公明党50年の佳節に「中道」待望論

衆議院解散を今日正式に安倍首相が記者会見で発表する。いやはやなかなか大胆だ。通常の感覚では考えられないが、あの麻生首相での解散先送りによる大惨敗がトラウマになっているのだろうし、首相としては自分の手で一度は解散権を行使したいに違いない。彼は前回には病気途中退場だっただけに猶更のはず。ところで、この解散は公明党にとってどういう意味を持つか、50周年の佳節に期せずしてぶつかったことの背景を考えてみたい▼公明党が衆議院に進出したのは昭和41年12月の黒い霧解散と呼ばれる佐藤首相のとき。あれから今日まで計16回の解散がなされており、今回は17回目。そのうち、与党として解散に立ち会ったのは過去4回。森,小泉(第一次,第二次の二回)、麻生と続いた(前回は野田民主党のもとで野党としての総選挙だった)。この4回はいずれも自民党の主導で公明党は巻き込まれたというか、かなり受け身の総選挙だった。しかし、今回はかなり違う。勿論、安倍の主導は当然のことだが、政権運営への公明党の関わり方がかなり主体的で、政治課題への取り組みの独自性が際立つ。ここは、大いに公明党らしさを強調できる大チャンスだ▼先日、元防衛大学校の教授で保守の論客・佐瀬昌盛氏が読売新聞紙上で面白いことを言っていた。「冷戦が終わりマルクス主義の権威は地に落ちたが、相変わらず白黒二分法の考えで、中道嫌いは今も続いている。中道とは足して二で割った考えではなく、それ自体の独立した価値がある。言い換えれば、人間性の洞察に基づく健全な常識のことだ。21世紀にこそ中道が根付いてほしい」(11・7付け 「冷戦終結25年」)と。これには文字通り我が意を得たりとの感が強い▼佐瀬さんは知る人ぞ知る「集団的自衛権」問題の権威で、日本の防衛問題の代表のひとりである。この人が中道の重要性を強調することに大いなる意義を感じる。結党いらい中道の旗を掲げ続けてきた公明党こそ21世紀の政党として本格的な出番だ。具体的な中道政治の現れ方は、「集団的自衛権」では「限定容認」だったし、「消費税」では「軽減税率の導入」であり、「原子力発電」では、「段階的撤廃」だ。こうした自民党とは明らかに一線を画し、健全な常識に基づく政治決断,政策選択こそ公明党の真骨頂と弁えて、大いに選挙戦に乗り出していきたい。(2014・11・18)

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