「核廃絶」への遠すぎる道➀ー「原発是非」と入り乱れての論争

小泉純一郎首相が登場したのは、季節外れの大雪現象のようなものだ。今はあたり一面が雪景色で、古い自民党政治の汚いものを全部覆い隠してきれいな風景に見える。しかし、雪は必ず溶ける。溶けたら今まで以上に汚いものが露呈して来るーこういう意味のことを私が衆議院の委員会で、直接首相に問いかけを始めたのは、彼が総理に就任したほぼ一年後の2002年の5月9日のことだった。私はそのあと、こう続けた。その汚いものを自民党政府のトップとして、川に全て押し流す大水現象を起こしてほしい。そういう決意ならば、私共はしっかり支えたい、と。何かと派手な小泉首相に対して、比喩を使いつつ皮肉もそれなりに織り交ぜての質問だった。導入部としては傑作の部類であり、自民党と公明党の関係の核心を突いてこれ以上のものはないと自画自賛したものだ。その後、同じ質問のなかで、私は、国際社会における日米関係は、あたかも国内政治における自公関係に似ている、と。それは、対米関係で日本があまり言いたいことをいえずに苦慮しているように、国内政治で公明党は自民党に大いに気を遣い苦労していることが類似しているからだ。公明党が自民党との連立でどれだけ苦心惨憺しているかは、米国との関係で苦労する自民党政府ならよくわかるはず、との思いもあった。「そんなことないよ。公明党はあれこれ言ってくれるよ」と首相席から彼が野次ったことは20年近い歳月が流れた今もなお妙に耳に残っている▼こうした古い話をいきなり持ち出したのは、昨今の核兵器禁止条約をめぐる政府自民党の対応ぶりを見ていて、対米忖度の典型例として思い出したからである。岸田外相は昨秋にはこの条約に賛成する意向を示し核保有国と非核保有国の橋渡し役を果たしたいと述べていた。これは広島県はじめ多くの関係者をして喜ばせたものだ。ところが、当の外相はこの3月末に一転して、日本が条約交渉の場に参加することは両陣営の対立を深め、逆効果になるかもしれないとして、後退する態度に変わってしまった。対米関係への悪化など始めからわかっているにも関わらず、格好いいことを言っておきながら結局は元の木阿弥に終わるのでは全くだらしがない。かねて私どもが日米、自公の関係が似ていることにことよせて、自民党政府に対米自立を追求する姿勢を求めたのだが、結局は十年一日のごとくその体質は変わっていないかに見える▲「核廃絶」という課題は、公明党議員にとってどの党よりも大きく重い問題である。最大の支持団体・創価学会がいかにこのテーマに真剣に取り組んでいるかは改めてここで触れるまでもない。「核廃絶」は、生命の尊厳に強い関心を持ち、平和確立を至上命題とする公明党にとって、まさに存立基盤が問われるほどの意味を持つ。一方、国際政治の現場では長く「核抑止力」が”市民権”を有してきており、”必要悪”としての位置を確保してきたことも否めない。理想としての「核廃絶」を叫ぶことは政治の現場では、意外に簡単なことではないのである。20年の議員生活の中でほぼ同期間を外交・安全保障の議論の場に置いてきた私としては、しばしば両論並び立たぬジレンマに悩んできた▼かつての同僚代議士・斎藤鉄夫元幹事長代行(党選対委員長)は、広島県を主な地盤とする。このひとと私は歳こそかなり違うものの”同期の桜”ということもあって親しい関係だが、その政治的主張ではしばしばぶつかることがあった。それは時に「核廃絶」であり、「原発是非」であった。被爆地・広島を背景に核兵器の絶対悪を颯爽と掲げる斎藤氏。それに対して、私は「核抑止」の立場を慮らざるを得ない安保・外交畑の人間だった。一方、テーマが「原発是非」になると、彼は工学博士として元大手建設会社の宇宙工学研究部門で鳴らしただけあって、原発を低減させやがては廃止するという主張には与しない。ゴールをゼロにおき、原発は順次減らすべきという私の立場とは折り合わなかった。かつて、「3・11」前には安全対策を最大限に凝らしたうえで、原発に依存することに疑問を抱かなかった私だけに、偉そうに言うべき立場ではないと分かっていながら、である。今となっては、政調の現場で大勢の後輩たちを前に激しく論争したことが懐かしく思い出される。これから数回にわたって「核廃絶」への道がいかに遠く険しくとも、それを乗り越えねばならないことについて考えていきたい。(2017・4・5)

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