Author Archives: ad-akamatsu

【150】信頼回復は大衆への「説明」から━━「軍事輸出」に歯止めかけた公明党質問/3-14

●公明質問に一条の光が射す感

 自民党の派閥による裏金疑惑によって、政権への不審が底知れぬ広がりを見せている中で、一条の光が射した感がします。13日の参議院予算委員会での、自公間のやりとりを聞いていてしみじみ感じました。西田実仁氏の「国際共同開発した防衛装備品(軍事機器)」に関する質問に対して、岸田首相が第三国への移転(輸出)について、個別案件ごとに閣議決定をするなど、慎重かつ厳格に対応すると答弁したのです。この問題の経緯を見るにつけ、自民党と公明党という政権与党の政治姿勢の違いを感じざるを得ません。安全保障案件について、自民党は幅広い国民の声を重視するよりも、国益重視の観点から、ことを急ぎすぎる傾向が強くあるように思えます。

 そもそも一昨年の暮れに、英国、イタリア両国との間で、取り決めをした際には、日本からの防衛装備品(次期戦闘機)の第三国への移転(輸出)などといったことは、含まれていなかったのです。それをあたかも当然の前提として、次の段階にスルスルと進ませようというのは早とちりのそしりをまぬかれません。公明党はそこをしっかり捉えて、議論を国民注視の場に引き戻しました。大事な問題であればあるほど、時間をかけてじっくりと説明することの重要性を改めて認識して、全てこの調子で行って欲しいなと思ったのは私だけではないと思います。

●国民世論の反応への注視

 西田氏が「なぜ22年末の方針を変更するに至ったのか」「なぜ次期戦闘機を第三国に輸出する必要があるのか」を岸田首相に説明を求めたことは、痒いところに手が届く聞き方でしょう。ロシアとウクライナ、パレスチナでのイスラエルとハマスとの間などでの事態が〝血まみれ化〟している時に、国民の不安と懸念は、そことダブって見えるのです。ことに精通した専門家から見れば、それとこれとは違うと自ずと分かることでも、一般の国民には分からないのです。まわりくどくても、そこを分るように説明せよと求める姿勢こそ、庶民大衆の党・公明党の真骨頂だと思います。

 国家の防衛というテーマを巡って、イデオロギッシュな観点から、まず反対ありきで、政府を追及するやり方はかつての国会で見飽きた、いや今も、一部野党の常套手法です。それを国民の理解に合わせて、丁寧に一緒に考えるのはとても大事なことです。国会での議論を経て、明らかに世論調査結果に変化が見えています。それを西田氏はパネルで説明していました。勿論、〝ポピュリズムに堕す〟ことは慎まねばならないことは当然です。時と場合によっては、政権は国民の声を乗り越えて突き進むことがあるかもしれません。ですが、一つひとつの局面で、世論の動向を押さえる必要はあるのです。

●二重、三重の限定条件付き

  同首相は、先の質問を受けて、今回の運用方針の見直しに関して、「改めて閣議決定として政府方針を決定したい」と述べると共に、「将来、実際に次期戦闘機をわが国から第三国に移転(輸出)する際にも、個別の案件ごとに、閣議決定を行うことを盛り込み、移転(輸出)を決定する前の、与党への協議が確保されるようにしたい。いわば『二重の閣議決定』という、より厳格なプロセスを考えている」と発言しました。

 加えて、首相は、質問に答えるかたちで①第三国移転(輸出)の対象は次期戦闘機に限定する②移転先(輸出先)は、「防衛装備品(軍事関連品)・技術移転協定」の締結国に限定する③現に戦闘が行われている国に対して移転(輸出)は行わない──といったいった主旨の答弁をしました。これは今後、「三つの限定」として捉えられていくものと想定されます。平和国家と自他共に認められ、それをまた望み、支持するのなら、政権も国民もそこにこだわり続ける必要があるでしょう。防衛関連で大事な原則がまた一つ付け加わったと考えられます。

●これで終わりではない

 これからそれぞれの党内で合意への最終的な議論が行われます。われわれ有権者としても、これで終わりではありません。輸出を「移転」に、戦闘機を「防衛装備品」と言い替えている、為政者の本心(公明党は違うはず)を見抜いた上で、冷静で柔軟な眼差しで対応をする必要があるのです。これは言いがかりをつけているのではありません。「政治」の言葉遣いの裏に潜む狙いを、いい加減に見過ごしてはならないと思うのです。公明党は何でも反対、あるいは全て賛成ではなく、是々非々をリアルにクリアにしていく政党だと、議員も、大衆も認識していくことが大事だと考えるからです。

 国民大衆への『説明』という点に絞りますと、足らないことがいっぱいあります。今回のような「戦争と平和」に直結する問題だけでなく、なぜこの30年ほどの間に、貧富の差が激しくなり、庶民大衆の生活が厳しくなったとの実感がするのかなど、「大衆の暮らし向き」に関する問題をめぐっても、国会で「説明」を求めて欲しいと思います。公明新聞はこのところ、一段とわかりやすい紙面作りをしていて頼もしい限りです。さらに、その手を緩めず、与党同士であっても、自民党への厳しい眼差しに立った論議が必要です。

 私はこれまで、公明党が自民党と政権を共にするのは、色々問題はあるものの、他の野党と比べて「よりマシな選択」だからだと言い続けてきました。だからこそ、なぜ私たちの生活がより良い方向に変わらないのか、自公政権とはどういう国に日本をしたいのかとの根本のテーマについても説明への努力を求めたいと思います。(2024-3-14)

 

 

 

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【149】安倍派5人組のひとりからのお詫び状/3-5

●安倍側近の毀誉褒貶

 私の住む地域選出の衆議院議員(前経産大臣)である西村康稔さんから封書が届きました。派閥の政治資金パーティをめぐっての裏金問題で疑惑の渦中にあり、つい先日も衆議院政治倫理審査会の2日目のトップで釈明し、同僚与野党議員から質問を受けていたばかりの人です。これまでの経緯を説明したB5コピー用紙2枚の文ですが、冒頭13行の中に、「深くお詫びする」との文言が3回も出てきます。政治不信を招いた事態を申し訳なく思うという内容です。

 彼は私より17歳歳下。初当選は2003年だから私のそれ(1993年)より10年後輩になります。公明党の与党参画後に自民党代議士になった人ですから、不適切な例えですが、後妻に入った先の本家に生まれた御曹司のように私には思えたものです。自民党を倒すべき対象と見て敵視してきた私のような、野党・公明党の生え抜きからすれば、戸惑いが先立って付き合い辛い存在でもありました。

 選挙でお世話になる(小選挙区で彼を応援し、比例区で応援を貰うだけでなく、隣接小選挙区での応援も貰う)得難い〝同志〟ではあるのですが、日本という国をめぐって深い意見交換をした覚えはありません。今頃になって、私は公明党の後輩たちに国家ビジョンを持て、自民党とそのテーマで議論しろと言っているのですが、私自身、西村さんとそうした議論をしてこなかった反省があります。(この辺りについては、また稿を改めて論及したいものです)

●2つの感想と1つの提案

 さて、お詫び状に戻ります。当選後20年足らずの間に、西村さんは安倍晋三元首相の最側近になっていました。尤も、彼の岳父が山口県出身の代議士だったことも強い影響があろうと思われます。ともあれ、安倍側近の彼は、肝心の後ろ盾の不慮の死後、急転直下で苦境に立たされたわけです。ここは隠忍自重して再起を期すしかないと思われますが、普通の眼で見て、その道は前途多難、お先真っ暗という他ないでしょう。

 ここでは、二つの点に絞って感想を述べて見ます。一つは、心配をかけた、申し訳ない、反省する、という言葉はあっても、恥ずかしいという言葉がないことです。かねて私は不祥事の当事者からこの言葉が発せられないことを疑問に思ってきました。スキャンダラスなトラブルについて、罪と罰の側面から語られることは当然ですが、そのこと自体に恥と誉の角度での自省があって。欲しいと思います。自分のしでかしたこと、関わったことに「恥ずかしい」という思いの表現がないことは、日本固有の文化、魂の有り様から見ても残念なことです。

 二つ目は、彼が「約20名のスタッフとともに」と触れているくだりに改めて驚きました。国会議員には3人のスタッフには国家から給与が供与されます。西村さんの場合は残る17人の報酬を自前で用意しないとならないわけです。人件費だけでなく、彼らが動くことに伴う、いや存在そのものに要する、ありとあらゆる費用が被さってきます。ちょっとした零細企業の経営者の稼ぎが求められます。国会での表向きの仕事をするだけでなく、裏の仕事として経営者の才覚が求められるのです。

 西村さんの詫び状の文末には「地元の発展のため、これまで以上に精進し、これからも誰よりも働くことをお誓いします」とありました。この言葉を実現するには、今まで以上のお金がかかってきます。それについてはこの際、一切合切辞めて見たらどうかと私は提案したいと思います。スタッフは最低限の3人に絞って、お金をかけない方法で知恵を絞った政治活動(この国のビジョン作成など含め)に専念したら、どうなるでしょうか。

 その試みは意外に政治家とカネ、政治家の真の働きというテーマに大きなヒントを与えてくれるのでは、と私は思います。(2024-3-5)

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【148】何処も同じ冬の朝明け━━「政治改革」の今昔を「予算委」「総合雑誌」から/2-27

 26日の衆議院予算委員会・集中審議。立憲民主党の野田佳彦元首相が自民党の政治資金パーティー裏金問題での岸田文雄首相の政治姿勢を追及した。実に見事だった。自民党の政治刷新本部長としての本気度をチェックするとして繰り出された野田質問に、首相答弁はいずれも的外れ。野田氏は①なぜ首相就任後に派閥代表を降りなかったのか②なぜ首相就任後に頻繁に政治資金パーティー(22年だけでも7回)を開いたのか③なぜ政治倫理審査会は完全公開するように指示しないのか──と糺した。首相は❶反省しなければならない❷勉強会だ❸国会が適切に判断される、と。加えて野田氏は、改革への対応は、超スローの山なりボールのようで、遅い上に的外れ。汚れた雑巾では汚れは落とせない。政治刷新本部長は辞めるべきだと厳しく追及。岸田氏は「派閥と資金、人事を切り離す、再発防止の法改正を今国会で結果を出すから的外れではない。当然、本部長は続ける」とした。堂々と追い込む野田氏に比して、首相は声音も表情にも、心の乱れがありあり。勝負は誰の目にも明らかだった◆「もはや政権交代しかないとの結論を確信した」との捨てゼリフめいた発言をした野田氏に、もう一度首相にチャレンジさせてみたいとの思いを抱いた人は少なからずいたと見るのは褒めすぎか。この日の質疑の冒頭に立った自民党の石破茂氏はかの88年前の「2-26事件」から説き起こし、地震避難所のお粗末さやシェルターの未整備など、現政府の「国民・国家」を守る姿勢の弱さを鋭く指摘した。終了後、野田質問をすぐ右後方の委員席で聞いていた石破氏の表情に、こちらの目も自ずと向いた。天を仰ぎ、同感を思わせるうなづく仕草。テレビを意識したパフォーマンスながら十分興味深かった。アンケート調査で首相への期待度No.1とされる彼に、一度はやらせたいと思う人も少しはいたに違いない◆野田氏が質疑の中で、30年前に比べて、今は政治改革への熱意が若手政治家に感じられないと言っていた。総合雑誌『文藝春秋』3月号の萩生田光一、加藤勝信、武田良太氏ら3人による鼎談『「派閥とカネ」本音で語る』を読んでその思いは一層募る。彼らは自民党内で、いずれも次を狙う「実力者」らしいが、三者三様で反省とも弁明ともとれる言い訳のオンパレードは「見苦しい」。立件されなかったことを助かったと思われるのは理不尽だとの〝不平〟(萩生田氏)や、有権者から政策課題を聞くのにも人手が必要との〝愚痴〟(加藤氏)、海外議員との交流では、自分の政治資金から「負担」しているのにとの〝不満〟(武田氏)などは「聞き辛い」。自民党の惨状に国民が呆れ果てている状況下にあって、政治には金がかかるものと泣き言ばかりに聞こえてくる。雑誌の企画が「本音」を喋らせる狙いだからだろうが、3人の頭文字を並べて「HKT」だとかと煽てられ、近い将来の総裁選挙に出るべくエールを交換しているかに窺えるのには、溜息がでてくる◆30年前に当選したばかりの新人議員として、政治改革の論議に参画した者からすると、総合雑誌『世界』の佐々木毅東京大学名誉教授と山口二郎法政大学教授の対談「90年代政治改革とは何だったのか」は、〝慨嘆対談〟の趣きで印象深い。佐々木氏は、司会役から冒頭で30年前の政治改革に主導的役割を果たした学者としての思いを問われて、「冷戦が終わって次の世界を描こうとしている時に、何てことに時間をとられるのか」「暴れ馬に乗せられたみたいに歴史の流れにさまようことになってしまった」などと、「心象風景」を語ったあと、「(あれから30年経って)また、『政治とカネ』かよ、もういい加減にしてくれよ」との心情を正直に吐露する。颯爽としていた気鋭の政治学者も今や黄昏れ感は否めない。山口氏の「政治改革をずっと論じ続けてきた人間にとっては何とも情けなさでいっぱいだし、このままでは、死んでも死にきれない」との泣き言ともとれる発言は真に迫って聞こえる。さてさて、これからどうなるのか。政治家も学者の世界もこの状況では、ただ先が思いやられるばかりだ。(2024-2-28)

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【147】自民との安易な妥協をせず理想希求を━公明党結党60年と原点(外交編)❺/2-23

●次期戦闘機の第三国移転問題での自公間の不一致

 さる2月5日の衆議院予算委員会で、自民党の中堅議員が日本が国際共同開発をする次期戦闘機の第三国移転をめぐって公明党の頑な反対姿勢を取り上げた。国際情勢が昔と今とは違うのだから、自民党と合意を得られるように、岸田首相から公明党にはたらきかけをするように求めたのである。珍しいケースだった。首相は武器の第三国移転は重要だと述べ、政府の丁寧な説明を期待するに留めた。この後、13日の自公党首会談で、政務調査会長レベルでの議論が行われることになり、報道ベースでは2月中の合意を目指しているかのごとく伝えられている。公明党からは「2月末の合意ありき」ではなく、中身を巡って徹底協議をすべきとの意見もある。こうした態度に対し、自民党内には、公明党を連立から排除しようとの声もあるやに聞く。

 ことの背景にあるのはそれだけではない。一昨年末の安保関連3文書をまとめるに際して、公明党の態度がガンだったとする麻生太郎元首相の非難発言(2023-9)のように、時折り衝突音が聞こえてくる。保守政党と中道に立脚する政党の連立政権ゆえ、あれこれと不都合なことはあろう。問題が明らかになるごとに、徹底した議論があって当然である。議論を蔑ろにして、いい加減な妥協を重ねるだけでは、「連立」の名が泣く。

●国際機関を強化し、世論背景に「平和構築」へ

 先に挙げた寺島実郎氏の雑誌『世界』の論考(『21世紀・未来圏の日本再生の構想』)の結論部分で、沖縄に国連機関の誘致を提案していることが注目される。これこそ公明党の国連政策の柱と位置付けられてきたテーマである。「軍縮と非核平和の推進」や「地球環境問題の取り組み」などを主眼とするアジア太平洋本部を沖縄に設立することは、長きにわたる日本の夢であり、願望である。実は、私も衆議院憲法調査会小委員会(2002-5-9)の場で、参考人として招かれた同氏に質問し、その必要性をめぐって意見の一致を確認し合えたことを思い起こす。

 ウクライナ、パレスチナを舞台にした「二つの戦争」に対して、国際社会は分断を強めるばかりで、解決の道を見出し得ていない。元国際司法裁判所所長の小和田恒氏は毎日新聞のインタビュー(2-21付け)で、「国際法が順守される世界をつくるにはどうすればいいか」と平和構築への解決方法を問われて、国連総会の決議や、それを受けた事務総長の役割の大事さを強調する一方、「市民運動に端を発して国際世論を背景に物事を動かしていくのは、大国と小国という力の差を超えることのできる重要なアプローチです」と述べている。「平和の道」の専門家のこの発言をどう捉えるか。幾たびも読み返した。

 なんだ結局はそんなことしかないのか、と失望するのではなく、そんなことから出発するしかない、との現状を踏まえての一歩を踏み出すことだろう。かつて野党時代の公明党は熱心に国連を始めとする国際機関の強化を今よりももっと強く訴え動いていた。結党60年。この分野でも改めて公明党は初心に、原点に立ち返る必要があることを痛感する。(2024-2-23  この項終わる)

 

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【146】お決まりのパターンでは危うい━━公明党結党60年と原点(外交編)❹/2-21

 今まで述べてきたことを総括すると、米国の戦争主導に、同盟国としてどう対応するかとの問題に収斂する。例えば、ウクライナ戦争に際してNATO傘下の各国と日本の対応は自ずと違ってくる。直接的に殺傷能力を持った武器を供与しないとの基本線を守る日本の姿勢は極めて重要である。また、パレスチナ・ガザでの争いに、イスラエルとの特殊な関係を持つ米国やドイツとは、日本は一線を画すことがあって当然だろう。中東地域にあって、どこの国とも一定の距離感を持って付き合える、数少ない国家が日本だと言えることは大きい◆ここでも、公明党の外交路線の基本が生きてくる。「地球民族主義」という大きな観点に依拠する「等距離中立外交」の旗印を今こそ堂々と掲げる必要があろう。草創の頃によく口にし耳に聞いたスローガンが、与党化という歴史の流れの中で、なぜか持ち出すのに躊躇する傾向があるかに思われるのは訝しい◆野党時代の公明党は、対中関係にあって独自のスタンスで「友好の道」を進んだ。党創立者池田大作先生の「日中間に黄金の橋を架けよう」との呼びかけに呼応したものである。その路線が、例えば「江沢民の13年」と称された中国の対日強硬路線や、今の習近平主席の「一帯一路」路線への変化の前に、いたずらに揺らぐことがあってはならない◆どの国にも言うべきは言い、指弾すべき時は指弾する、また協調すべきは協調するという柔軟で積極果敢な対外姿勢を持ち続けることこそ、信頼を得る選択肢だと言えよう。西側諸国で例をあげれば、伝統的にフランスが時おり見せる対米、対中姿勢のあり様がその参考例になるかもしれない。米国の主導のもと、いつも決まりきったパターンで外交を展開するのは、国を導く上で危ういというほかないのである。(2024-2-21 続く)

 

 

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【145】大きな転機となったイラク戦争─公明党結党60年と原点(外交編❸)/2-18

第二次世界大戦から5年ほどが経って勃発した朝鮮戦争(1950-53)や、さらに10年後に始まったベトナム戦争(1964-73)は共に、〝赤化阻止戦争〟の趣きがあった。イラクのクゥエート侵攻が契機になった湾岸戦争(1990-91)では、日本の参戦が迫られたものの、〝カネ対応〟で済ませた。世紀末までのほぼ半世紀は、ある意味で従来型の戦争の時代だった。だが、21世紀の幕開けと共に戦争の様相は一変する。2001年9月1日の米同時多発テロに端を発したアフガン戦争、イラク戦争は「対テロ」戦の色彩を帯びたものであり、それまでの戦争観を大きく変えた。「テロは断じて許すな」の呼号の中で、戦争の「後方支援」に引き摺り出されることになった。イラク戦争はサダム・フセイン大統領の悪逆非道ぶりがあったにせよ、「大量破壊兵器の存在」という虚偽のフェイクニュースをもとに米国が仕掛けた側面が強かったことが後に判明する◆これは全貌が未だ白日のもとに明らかになってはいない。しかし、ミルトン・フリードマン氏らを中心としたいわゆるシカゴ学派によるショック・ドクトリン(災難、戦禍につけ込む手法)の展開という色合いが濃いという。ブッシュ(息子)大統領とネオコンのしでかした戦争とみられ、当の米国でも評判が悪く、その過ちを認める発言(コリン・パウエル国務長官)さえ出ている。これは英国でも同様で、未だにその戦争加担の責任について何ら総括をしていないのは日本だけとの見方も強い◆私自身、20年間の国会議員生活の中で、この戦争に「後方支援」にせよ関わった日本の与党勢力の一員として、自ら「戦争肯定の発言」をしたことに後味の悪さを自覚している。ウクライナに侵略をしたロシアの責任を声高に叫ぶ声を聞くたびに、米英のイラク戦争に思いをいたす。日本の参加はあれで良かったのか、と。もちろん、当時を振り返ると、政権の責任者たちは平和憲法の枠組み中で、国際社会における責任を損なわずに、どうすればその役割を真っ当に果たせるかを考え抜いた。その結果、イラク・サマワ地域での道路、河川の補修、整備など非戦闘行為に限定して従事した◆だから、やましいと思う必要はないとの声もある。だが、当時、仏、独などNATO傘下の国家でも独自色を出して、米英に一定の批判の眼差しを持った国があったことを思うと、「イラク戦争」に何も発言しないという現状に、物足りなさを抱かざるを得ないのだ。(2024-2-20  一部修正  この項続く)

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【144】独立国家と言い難い日本の現状━公明党結党60年と原点(外交編)❷/2-16

 日本総合研究所会長の寺島実郎多摩大学長が改めて今、米軍基地の「段階的縮小」と「自衛隊との共同管理」へと順次移行させるべきだと述べ、「日本が米国の『保護領』でも『周辺国』でもなく、意志を持つ独立国であることが、中国およびアジアの国々との外交を拓く前提である」(『世界』24年1月号)と強調している。これをその通りと共鳴出来るか、それとも何を今どき言っているのかと反発するかは、日本人をわかつ分岐点と言えるかもしれない。これこそ60年前の公明党の主張とピタリ重なって、私としては目が覚める思いがする◆日本が独立国家とは呼び難いことは、横田基地の米軍が空域の航空管制を握っており、羽田や成田空港に出入りする民間機の自由が奪われていることが何より証明している。米軍と自国空域を共同使用するドイツやイタリアなどでは、米軍に使用規制をかけることで、主権行使の実を上げている。日本だけがそれを出来ない事実は如何ともし難いのだろうか◆寺島氏は21世紀の日本の基点となるのは、米国との関係を再構築することであり、日米同盟の再設計は、現代の「(不平等)条約改正」に値すると断言している。この種の問題を持ち出すと、あたかも世界観を異にした異教徒、左翼イデオロギーの持ち主と見られかねない風潮が今もあることは残念ながら事実だと言える。だが、本当にそうだろうか◆かつて明治の先達が維新直後から、懸命になって欧米列強との間における不平等条約を撤廃すべく汗をかいた。戦争に負けた日本が7年の占領期経て、独立を果たしていながら、その後70年を超えた今もなお実質的に変わらぬ「被占領国家」の実態を一歩も出ていない。占領期の研究で著名な五百旗頭真神戸大名誉教授が「(日本は)経済発展と利益配分の小政治に没頭し続けるうちに、大局観に立った国家的自己決定能力を失った感がある」と述べて久しい。「国家的自己決定能力を失った」──この表現の紙背に潜む意味に戦慄さえ覚える。かつての公明党結党当時の初心を忘れられない人間にとって、今一度原点に立ち帰ろうとの思いを禁じ得ない。こうした思いに左右のイデオロギー云々は関係がないはず。自主独立国家の一員としての率直な思いに立つことが第一だと言いたい。(2024-2-16 以下続く)

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【143】世界の戦争をどうする━公明党結党60年と原点(外交編)❶/2-13

●「平和構築」へ今再びの心意気を

 ロシアからウクライナへの侵略に端を発した戦争状態はやがて3年目に入るが「停戦」は一向に見えてこない。中東・パレスチナでのハマスのイスラエル攻撃を皮切りにした紛争も一段と激しさを増す。第二次世界大戦後の「米ソ冷戦」から「米の一極支配」を経て、世界は今、「米中対決」含みで「多極・無極化状態」にむかいつつあるかに見える。この80年近く「日米同盟」堅持を基軸に、米国と伴走・背走してきた日本。果たして、「世界の平和」に貢献し得る存在たり得ているのか。混迷する状況下に、改めて「激動続く世界の中の日本いかに生きるか」を考えてみたい。

 今から60年前。日本は「米ソ対決」の狭間に生きざるを得ないという国際情勢を反映して「自社対立」の最中にあった。その年11月に結成された公明党は、イデオロギー偏重の不毛の安保体制の中で「第三の道」を選択し、「平和の党」を志向した。その道行きの第一歩は、「在日米軍基地総点検」から始まった。無駄な基地の返還を迫るべく、議員と党員が一体となり、まずは在日米軍基地の「実態調査」に立ち上がったのだった。

 この行為をどう位置付け、どう見るか。米軍という巨大極まる存在に立ち向かうなどということは無謀なパフォーマンスに過ぎない、「蟷螂の斧」もいいところだなどの批判が相次いだ。だが、自主独立国家の中に、他国の基地が多数存在するといった現実を直視する上で、重要な楔を打つ役割を果たした。段階的とはいえ、日米安保条約の解消も目指した第一歩だった。

 一定の成果を得て、やがて「点検」は姿を消し、公明党も「日米同盟堅持」「自衛隊存続」に切り替えた。これは政党として「成熟化」を意味したのかもしれない。しかし、米軍基地の存在に慣れ切ることは独立国家として「堕落」に繋がるのではないか。

 沖縄・普天間基地の辺野古への移転をめぐって、沖縄県当局との軋轢から国交相の代執行が問われる場面が続く。この10年余というもの公明党の大臣が一貫してその任に当たる事態の報道に、せめて苦渋に満ちた表情を見せて欲しいとの声がある。時にみせる笑顔での対応ぶりはあまりにやるせないというのだ。安全保障をめぐる国家と県民との深い溝。容易には解決し難い難題と向き合う日々が今日も明日も果てしなく続く。(2024-2-13  以下つづく)

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【142】立法権と行政権の改革への取り組み━━「民主主義の見直し」議論に向けて(下)/2-2

●直に立法への参加もたらす「くじ引き民主主義」

 抜本的な民主主義の有り様の見直しや刷新を考える上で、必要な角度は2つある。第一に、立法権の改革であり、第二に、行政権の変革である。ここでは今、世界で議論されているテーマについて、概括的に触れた上で、問題提起してみたい。

 まず、立法権について。これまで「政治改革」が叫ばれるたびに、選挙制度の改革が取り沙汰されてきたが、その次元の話だけではすまない。そもそも「代議制民主主義」の基本が問われている状況下にあって、本来的に問題にすべきは、「直接民主主義」の是非であると思われる。

 今、世界各地における地方議会レベルで、「分散型ピア政治」(対等な立場による政治)なるものが展開しているという。ジェレミー・リフキンの『レジリエンスの時代』によると、発端は1989年のブラジルだという。地域内のコミュニティ組織を中心に、新たな予算への提案を募る一方、代表者を選んで「ピア議会」を開催して、合意を得ていったというものである。こうした「参加型予算編成」は、今や教育、公衆衛生、警察活動など全世界の地方自治体において広まっている。

 こうした議会の代表者の選び方は、通常の選挙によるのではなく、いわゆる「くじ引き」に匹敵するものによるというから驚く。市民の中からの無作為抽出で選ばれた人たちが地域の課題解決にむけて、そのためだけの特別な議会を形成し、ことに当たるというものだ。日本的にはイメージとして「裁判官員制度」を想起すれば良い。日本でこの問題に詳しい吉田徹同志社大教授は、「民主主義がそのポテンシャルを発揮し続けるためには、民主主義は常にアップデートされる必要がある」(『くじ引き民主主義──政治にイノベーションを起こす』)と述べたうえで「(このやり方は)みんなが平等な条件でもって、共同体の意思決定に参加することができる民主主義だ」と宣揚している。

 これだと、選挙が終わればあとは知らない、関われないではなく、直接的に立法作業に誰でも関われるという利点が生じる。日本でも導入が期待されよう。

●AI時代に求められる日常的行政のチェック

 ついで、行政権をめぐって。一般的に、民主主義といえば、選挙における投票権を連想するはず。しかし、有権者は一票を投じたら、後は当選した議員を見守るだけ、いや見守りさえしないという人が多い。尤も、政党や政治家に関わりを持つ人々は様々な政治的課題、特に地域内の問題解決に向けて動く。その過程で、行政における執行権を持つ中央官僚や地方自治体の役人に接触する。

 わかりやすい例として、戦後間もない頃に制作され、日本映画史上最高傑作との評価が高い黒澤明監督、志村喬主演の映画『生きる』を挙げたい。胃がんに冒されたある市の市民課長が死の直前半年ほどの間に、市民と共に公園建設に尽力することで、生きる価値を実感するとのストーリーである。この映画の最終場面で、この課長が文字通りの命懸けの行政権を、彼を動かした主婦たちと共に動く。このケースが典型的なのだが、同時に極めて稀なものとして、現代の市民たちの間では概ね忘れられてしまっているように思われる。

 さらに、最近話題の宇野重規・東大教授とジャーナリストの若林恵氏による『実験の民主主義』は、AIの時代における新しい政治参加モデルの可能性を模索し、具体策を提案したものとして特筆されている。著者たちは「政府の情報を開示させ、単にそれをチェックするだけでなく、自らの意思や問題意識をより直接的に政策に反映させることが出来る」と、日々の行政権への働きかけを推奨している。AIの登場で、新しい時代は新たな行政のチェックを必要としているというのだが、意外に日常的に行政権への参入の道が開けるかもしれない。

 公明党は、今年結党60周年を迎える。この党の最大の業績は「市民相談」の実践だと、当初から見守ってきた私は、誇りに思っている。市民と議員がタッグマッチを組んで、行政権を突き動かし、民主主義の土台作りに貢献してきた。AI時代にあっても先駆的役割を新たに生み出せるよう、期待したい。(この項終=2024-2-2)

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【141】自民党の「解体的出直し」ではなく、解党=分党を提案する/1-26

 自民党の政治刷新本部の中間取りまとめを見て、呆れた。こんなことで国民が納得すると思っているのだろうか。自民党支持者はともかく、普通の一般国民はとても理解できない。まず、事態の認識から間違っている。冒頭にある「今般、自民党の政策集団における政治資金パーティーにおいて政治資金規正法違反の不透明、不適切な会計処理が指摘され、特定の政策集団の行為により、自民党全体に国民の厳しい目、強い疑念が向けられている」の一文である。「特定の政策集団の行為により」というのは、安倍派の行為を指すと見るのが常識だろう。だが、他の政策集団(いわゆる派閥)も大同小異。自民党全体が厳しい疑念に晒されているからこそ、「政治刷新」が求められているのに、のっけから間違っている◆冒頭の結論部分にある「決意」もおかしい。国民の信頼を得るために、「わが党は解体的な出直しを図り、全く新しく生まれ変わるとの覚悟で、信頼回復に向けた取り組みを進めなければならない」というくだりだ。「解体的な出直しを図り」というなら、ここは覚悟を述べるだけでなく、ずばり解体=解党するしかない。その場合、今の5つの派閥ごとに、分党するのが最もわかりやすく、手っ取り早い。それは殺生な、無茶な、というのなら、百歩譲って、本来の政策集団の集まりらしく、テーマごとに違いを明らかにして再編成するのがいいかもしれない。この党は昔から今に至るまで、左右雑多な政策を信奉する人たちの集いとされてきた。いい機会だから、政策の差異を明らかにしてさっぱりと腑分けすればいい◆ちょうど時を同じくして、東芝が上場廃止に追い込まれた。経済の世界のことで、政治とは違うという勿れ、東芝のことここに至るまでの状況と、自民党が今直面している事態は極めて類似している。東芝の危機の発端は06年に買収した米原発子会社の不審にあったとされる。その後、リーマンショックやら東電福島第1原発の事故が重なった。自民党の政治差配の歴史も30年前のリクルート事件を持ち出さずとも、近年の首相経験者への疑惑を始め、閣僚級の犯罪に事欠かない。共にする不祥事の根っこには、自らが招いた「経営への不信」と、「政治運営(政営)への不審」があるという他ない。こうした類似性を知ってか知らずか、今回の中間報告では、ことの原因を「現行の法律ですら順守が徹底されていなかったこと、すなわちコンプライアンスの欠如にある」として、「コンプライアンスの強化を図る」一方、「ガバナンスを強化する」という。これらの言葉、元を正せば異国の企業経営に使われてきたもので、コンプライアンスとは、外的法的なルールであり、ガバナンスは自らを律する力といえる。日本の政治の根幹を束ねる集団が自らの不正を改めるにあたって、経済的外来語を用いるのは本気度を疑うだけでなく、いかにも侘しい◆さて、自民党を分党して解党すると、にわかに政治は緊張感を増して面白くなる。何回選挙をやっても、おおむね自民党が勝つという類型パターンは姿を消す。テーマごとに既成政党と旧自民党派閥政党の組合わせで連立すればいい。公明党にとってそれこそ、かつて望んだ「夢」だった。「55年体制」の打破を夢見た私など、自民党との連立は、内側からこの党を糺すため、言い換えれば、壊すためだった。「自民党をぶっ壊す」というセリフを小泉元首相に先に使われてしまったが、ようやく本来の意味でのその機が熟したといえよう。公明党が「政治改革の旗振り役を担う」というのなら、そういう事態を引き起こしてこそ、真実味を増すに違いない。30年前の政治改革の旗振り役を担った者の一人として、あの時の二番煎じであっては断じてならないとの深い反省の思いを込めて、そう思う。(2024-1-26)

※『民主主義の見直し議論に向けて』(下)は、次回にずらして掲載します。

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