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【203】苅部東大教授の公明党への注文━━理論誌『公明』3月号から/2-16

『公明』3月号でインタビューに答える苅部直東大教授

 3月号の『公明』に苅部直さん(東大教授)が、昨年の衆院選に関連して率直な公明党への注文をつけています。ここではその指摘をどう受け止めて、どうこれから対応すべきかを考えてみたいと思います。苅部さんの指摘をあげた上で、私の考えを提示していきます━━あたかも対談のように見えてきませんか(笑)。

⚫︎対自民の歯止め乏しく、独自方針の努力弱し

苅部)一つは、連立を組む自民党に対して歯止めをかけ、独自の方針を打ち出す努力が、最近は乏しくなっているのではないか。(中略)  結党当初から中道政治を掲げている公明党の凋落を、なぜ止められなかったのだろうか。昨年の衆院選において、中道を掲げる公明党は本来ならもっと伸びてもよかった。それが難しいとしてもせめて、現状維持にとどめられたはず。もう一つは、「政治とカネ」の問題に対してこそ、公明党は清廉さをアピールできたはずなのに、それができなかった。以上の2点は、政党としてきちんと検証し、関係者でよく議論すべきだ。(8頁下段〜9頁上段)

赤松) ご指摘の通りだと思います。与党になって、当初はギクシャクしていましたが、連立を組んできたこの20数年というもの、段々関係が深まり、良くも悪くも自公は一体化してきました。いい面は、統治する力つまり責任政党としての実力が付き、提案した政策の実現も官僚機構との阿吽の呼吸でスムースになりました。一方、悪い面は、公明党らしさが影を潜めてしまったですね。つまり、総点検など現場に走って、実態を調査する姿勢が以前より減ってしまいました。庶民大衆よりも役人、自民党に寄り添う傾向が強まったと残念ながら見ざるを得なかったのです。「政治とカネ」問題では、昔なら〝ちゃぶ台返し〟をする場面でしたが、妙に物分かりが良くなり、自民党を庇う姿が印象に残るばかりでした。自民に身内意識が強くなってしまっては、庶民の反感を買いますよ。

⚫︎一般市民との接点を日常的に作れ

苅部)個人的な見聞を言うと、同じ地域に住み続けて20年以上たっているが、その選挙区から当選した国会議員その人については、選挙期間も含めて、顔を見たことすらほとんどない。小選挙区選出の議員でさえそうなのだから、比例選出の場合など、接する機会はまずない。こういう状態を変えるべきだ。(9頁下段前半)

赤松)うーん。公明党の国会議員は党員、支持者の前に顔を出すのが精一杯で、世間一般の皆さんの前に姿を現すという場面は、街頭演説ぐらいで、殆どないかもしれませんね。私も反省込めて振り返れば、普通の有権者と語り合うというのは、20年間の現役時代を通じて数えるほどだったと告白せざるを得ません。自分の友人とはあれこれやり合っても、不特定多数の外部有権者との接触は難しかったと言うのが現実です。議員がどんどん地域の人々の意見を聞き、言葉を交わすべきですね。

苅部)公明党も自民党も議員が支部組織・支援団体を回って、そこで挨拶するだけで多忙になってしまう状況は、もちろん理解できる。しかし、それだけでは、どんなに優れた実績や能力、人柄があっても、一般市民に認知されない。市民との接点を日常的に作ることに、政治家が努力していない。それが、公明党始め既成政党に対する支持を減らす原因になっていると思う。(9頁下段後半)

赤松)私の場合、最初の選挙で落選しました。それから足掛け5年というもの、駅前で朝立ち演説をやったり、夕方、スーパーや市場の前で演説をよくしたものです。ところが当選すると、いっきにその回数が減り、地元に帰った週末だけとなり、やがては選挙の時だけとなってしまったと言わざるを得ません。ただ、公明党の地方議員は、街頭演説を競い合ってやってきています。私の後輩の県議は凄まじいまでの活動で身体を壊してしまったケースもあるほどです。

苅部)党員、支持者だけの内輪の集まりではなく、地域の市民に向けた国政報告会を定期的に開催するとか。そういった活動に、もっと熱心に取り組んだ方がいい。(10頁前半)

赤松)確かにそれは大事です。かつて1990年代初めまでは、選挙に際して立ち合い演説会がありました。各政党の候補者が全部集まり、地域ごとにそれぞれ演説を競ってしたものです。激しいヤジが飛び交う場面続出でした。結局それもなくなりました。政治家が楽をする方向に選挙の仕組みを変えていってしまったのです。

⚫︎党内議論を見えるように徹底的に行え

苅部)厚生労働省など、政府による説明は、しばしば詳し過ぎて分かりにくい。(中略)   公明党にとって社会保障の問題は、もともと得意な分野のはず。それ以外の領域も含めて、政府の施策を、官僚に代わって丁寧に説明し、市民が納得できるよう努力をしていけば、公明党の前途もそれほど暗くない。(10頁下段中盤)

赤松)それもまた大事ですね。公明党は国交大臣を連続7人輩出していますが、厚生労働副大臣や農水副大臣、財務副大臣や政務官などは10人を超えているはずです。私のように引退したものも多いですが、現役のメンバーが力を合わせると展望が開けるかもしれません。ただし、政府の施策を説明するというだけでは、結局は与党化、自民党化に直結する可能性大ですから。批判も折り込みメリハリつけないと、妙なことになってしまいます。

苅部)融通無碍に色々な声に対応するというのではなく、公明党としての統一された立場を打ち出さないといけない。ただ、重要なのはそうした結論に至るまでの過程の方だろう。(中略)  党内での議論を、党員・支持者に見える形で徹底的に行えば、多くの参加者が納得できる形に落ち着くのではないだろうか。(11頁前半)

赤松)党内議論の見える化という課題はとても大事ですね。古い話ですが、私の現役時代にPKO(国連平和維持活動)を巡って、党内の侃侃諤諤の大議論があったのですが、それを逐一公明新聞紙上に掲載していったのです。全議員の賛成、反対それぞれの言い分を党員、支持者に明確にわかるように公開していったのは画期的でした。今なら、経済格差や原発、環境問題を始めとする課題などでの党内議論をもっとオープンにすべきですね。(2025-2-16)

 

 

 

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【202】「架空鼎談」通常国会の与野党論戦をどう見たか/2-7

02 通常国会の序盤戦━━衆参両院での各党代表質問、そして衆議院予算委員会での冒頭の基本的質疑(テレビ入り)が終わりました。ここでは、石破茂首相と野党代表との論戦、公明党の戦いぶりに焦点を絞って、いつものように、爺、父、孫娘の3人による「架空鼎談」を紹介します。

⚫︎「少数与党」だからこその新展開を期待

娘)今年の国会は「少数与党」ということで、当初から政府予算案の修正のなりゆきが話題になっているよね。それって、今までのように原案から〝ビタ一円〟も削ったりしないことがわかりきった予算案審議よりもよっぽどましって思うけど。政治家さんたち、発想の転換しないと、AI時代に取り残されてしまうわよ。
父) 政府与党としては野党からあれこれ言われた末に修正するっていうのは、沽券にかかわるっていうのが専らだったけど、広範囲な国民の意向を取り入れることに繋がると割り切ればいい。決して、悪いことじゃあないよね。予算委員会が従来は野党の与党スキャンダル追及の場で、予算は二の次になってしまってたからね。爺)それに、今度の国会では、当初の首相以下全大臣が出席しての総括質疑が終わると、3日間は省庁別質疑ということで、各省庁に対して個別の質疑をする機会をもうけることにしたのもいいことだよね。これまで長年分科会質疑という名のもと、予算質疑の大勢が決まった後の消化試合みたいに、陳情質問の傾向だったから。娘)まるでいいことづくめみたいね。じゃあ、これまでのような「不祥事追及」はなしになるってことかしら。それもおかしいね。多分議論の場を変えてやればいいんだよ。要は予算案を人質にしなけりゃいいんだから。父)ただ、気をつけないといけないのは、野党の要求を野放図に受けいれて、予算が膨張してしまうことは避けないとね。既に、今年度予算案の一般会計総額は115兆円を超えていて、借金依存の体質は強まる一方だから。爺)これを機会に、与野党共に、財源確保と歳出改革を両睨みで考える姿勢を徹底することが大事だよね。そのあたり、公明党が目を光らせて、合意形成のリードを取れるかどうか。これが予算案成立までのポイントだ。斉藤公明党の新出発もまずまずだったね。あの人は明るさはなみじゃないよ。ただ気負い過ぎてちょっと勇み足が気になる発言もあったみたい。岡本政調会長の初デビュー質問は口うるさい仲間が絶賛してたよ。

⚫︎小手先のごまかしは効かない「政治改革」

父)「政治とカネ」の扱いが微妙だね。3月いっぱいで「企業団体献金」の取り扱いを決めることになってるので、予算案審議と重なる。石破首相の答弁ぶりは、全体のトーンが低姿勢なのに、「政治とカネ」をめぐってはゼロ回答だとの批判が強く出てる。ここは注目されているけど、カギを握るのはやはり公明党の態度だよ。娘)「政治改革」はもう決着がついたのかって思ってたら、未だなんだ。「企業・団体献金」をめぐる自民党と野党の間の溝ってどこにあるの?野党各党はほぼ全面禁止で一致してるけど、自民党は断固反対なんでしょ?父)自民党は「企業・団体献金」が生命線だから一歩も引けないんだね。透明性を確保すればいいっていうんだけど、この党のカネにまつわる過去の流れを追うと、いささかどころか、疑問視せざるを得ない点が多いよ。爺)30年前の「政治改革論議」で、最終的に細川護煕さん、河野洋平さんの与野党トップの決断で、国民ひとりあたり250円の負担による「政党交付金」の支給が決まった。一般的にはこれは、「企業・団体献金」廃止の見返りだと受け止められたんだけど、石破さんは真っ向から否定している。結局玉虫色決着だったわけだ。

⚫︎注目される「人間政治」の真価発揮

娘)国会って、いつでもそんなことで大事な問題を曖昧にしてきたのね。この問題も水掛け論に終わりそうねえ。公明党は与野党の狭間にあって、どう打開しようとしてるのかしら。国民民主党の態度も気になるけど?父)公明、国民民主両党は共に、第三者機関というか、有識者の判断に委ねようという点で一致してるようだ。娘)政治家間で行き詰まったら、第三者機関の登場って場面が多いけど、そのうち、AIつまり巨大情報処理機構に頼らざるを得ないようになるかもしれないね。間接民主主義の疲弊が著しいから、直接民主主義をAIの駆使で可能にしようとの試みが実験的に行われつつあるようだわ。でもそこには、人間の叡智が反映されないと。爺)そうだよ。この国会は、予算が当面の最大課題だけど、それが終わると、選択的夫婦別姓問題や皇位継承にむけての皇族数の確保といった、国家、社会の根幹をなす問題が待ってるよね。加えて、トランプ米大統領の再登場で、外交、防衛から関税などの多方面での予測不可能な対応を迫られることが目に見えているよ。  父)石破訪米で、トランプさんとの初めての会談がもう直ぐ始まるけど、興味津々だよね。どちらもキリスト教カルバン派のプロテスタントだから馬が合うはずとか、ゴルフをしないからうまくいかないとか、世間は喧しい。石を破るって名前の持つ威力で、トランプ流駆け引きを翻弄して欲しいね。注目する国民の方が、「困った時の神頼み」になる心境だよ。(2025-2-7)

 

 

 

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【201】「地方創生と列島改造」に立ちはだかる「大災害の時代」/1-31

 石破首相が誕生して4か月余。様々な発信があり、またそれへの批判もなされてきています。ここでは、同首相がさる24日の施政方針演説で明らかにした「国づくりの基本軸」について、私の考え方を述べてみたいと思います。

 ●「楽しい日本」の出処と具体化

 同首相は、目指すべき国の有り様について、「楽しい日本」を掲げました。かつての日本が、明治維新の集権国家体制において「強い日本」を目指し、戦後にあっては、戦後復興や高度経済成長の下で「豊かな日本」を目指したが、「これからは」、というわけです。実はこの言い回しは、元通産官僚で経企庁長官になった、作家の堺屋太一氏が発案元です。勿論、演説でもその淵源を明らかにしています。堺屋さんがいかに豊富な知識と鋭い知恵の人であったかは改めていうまでもありません。国の目標として、同氏が「楽しい日本」を持ち出したことは慧眼だったと認めます。ただ、一国の首相が国づくりの基本について、自前の言葉を紡がないで、先達の発想とネイミングまでそっくり頂くというのはちょっぴり残念な気がします。

 実は、国の目標をどう考えるかについては、かねがね私も考え、それなりに公表もしてきました。ある後輩が首相演説の直後に、ラインで「『富国強兵』から『富国強経』を経て『富国強芸』を目指すと言っていた赤松さんの『国家目標』の提起に似ていると」伝えてきたのです。拙著『77年の興亡』に至る考察の中で、思い至った考えに基づくフレーズですが、これからの日本は「芸術立国」で行くべしと思った故の「強芸」です。尤も、こじつけ気味なのは否めず、人に説明する場合に、しばしば「教育」「文化」と並列して述べることが多く、〝座りが良くない〟のも認めます。

 首相の決断にケチをつけるのは潔しとしないので、これ以上は申しません。ですが、堺屋さんが「大阪維新の会」の創立に関わった人だけに、裏の意図を感じるというのは少々勘ぐりすぎでしょうか。

●勉強し過ぎゆえの不具合

 石破首相は昨年11月末の所信表明演説の際に、石橋湛山元首相の言を引いて、野党に協力を呼びかけました。「国政の大本について、常時率直に意見をかわす慣行を作り、おのおのの立場を明らかにしつつ、力を合わせるべきことについては相互に協力を惜しまず」云々と。先に出版した著書には「気骨のリベラリスト、石橋湛山に学ぶべきことは多い」「湛山政権が続いていれば全く違う日本が出現したかもしれない」とまで、入れ込んでいるぐらいです。

 先に引用した演説が行われた1957年2月4日は奇しくも石破首相の誕生日といいます。「石橋氏」と「石破氏」は発音すると、酷似するのですが、あまり似過ぎて「短命政権」まで似ないようにと、余計な心配までしてしまいます。ともあれ、石破首相は「あらゆる事態を想定しておくことが政治家には求められ、そのためには寸暇を惜しんで本を読む、識者にお話を伺うなど、勉強をし続けることが絶対に必要である」(『異論正論』)とまで、言い切っています。

 様々な書物を読んで得た蓄積が迸り出るのは良いのですが、あまり行き過ぎると嫌味になったり、あれこれ不具合をもたらさないようにして欲しいとは思います。

●「大災害の時代」の「列島改造」の陥穽

 湛山元首相に続いて、石破首相が持ち出したのは角榮元首相の「日本列島改造」構想です。施政方針演説では、「『楽しい日本』を実現するための政策の核心は、『地方創生2・0』です。これを、『令和の日本列島改造』として強力に進めます」と訴えました。この実現の柱として、①若者や女性にも選ばれる地方②産官学の地方移転と創生②新時代のインフラ整備③地方イノベーション創生構想④新時代のインフラ整備⑤広域リージョン連携などをあげて、具体化の方途を示しています。

 同じ日本海側に位置する自治体出身の首相として、自らの鑑みとし、模範とするのはよくわかります。庶民宰相として就任直後に圧倒的な人気を博した尊敬する政治の師匠にあやかろうとする気持ちも痛いほど理解できます。ぜひとも看板倒れに終わらぬように緻密で大胆な実行力を期待したいものです。ただ、田中角榮氏の時代は高度経済成長の総仕上げの頃と重なっているのに比し、令和の現在は、平成からこの30年の地震、豪雨など「大災害の時代」といわれています。その上、つい先日発生し、今なお未解決の八潮市の道路陥没が突きつけているように、あらゆるインフラが老朽化し悲鳴をあげていることをも銘記する必要があります。

●難局を乗り切るに相応しい気質

  いよいよ今日から国会では予算委員会が始まります。内外に山積する難題、課題にどう対応するかが問われています。以上述べてきたように、石破首相は過去の自民党の歴史上、最も理想家肌の石橋湛山氏と極めてリアリスト的な田中角榮氏を尊敬してきています。ある意味で両極端と言ってもいい師匠筋に依拠しているのです。さらに。立憲民主の野田佳彦代表と維新の前原誠司共同代表とはかねて昵懇の間柄と見られています。現時点でいかなる保守政治家よりもリベラル的発想に理解があるはずです。

 かねて防衛オタクであり、キャンディーズの大ファンであることを公言していた石破首相。まさに硬軟両翼に通暁した政治家と言ってもいいでしょう。しかも、パートナーである公明党の拠って立つ基盤である日蓮仏法をキリスト者として最もよく理解しているはずと私は睨んでいます。日本国の舵取りを担う人物として、これ以上のタマはいないと期待もします。

少数与党政権という難局をどう乗り切るか。これまで長年培ってきた智力、胆力を存分に発揮していかれんことを望むばかりです。(2025-1-31)

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【200】文明の融合もたらした大動脈に感嘆━━「大シルクロード展」を観に行って/1-24

 「私は少年時代からシルクロードへの憧憬を抱き続けてきた一人です」━━「世界遺産 大シルクロード展」の会場入り口にそっと掲げられた東京富士美術館の創立者(創価学会SGI会長・池田大作先生)のメッセージが眼に飛び込んできました。春がやってきたのかと勘違いするほどあったかい1月23日の朝、私は妻と共に京都文化博物館に向かったのです。西明石の住まいから1時間30分余。そこは、「専制と分断」で喘ぐ世界の現状を全く感じさせない素晴らしき別天地でした。平日の朝とあって、会場には大勢の年配の女性たちが詰めかけていました。御多分に洩れずゆっくりと展示物を観るというには程遠く、観覧者の背中越しに辛うじて覗き見るのがやっと。会場の4階から3階へと3つのパートに分かれて公開された、様々な文物(中国国内27ヶ所の博物館からの約200点)を観て歩くのは難行苦行だったのです。ただし、場内で写真撮影がオッケーだったことはホットしました。スマホ片手に、俳優の石坂浩二さんの音声ガイドを聴きながら、なんとかザッと全行程を
クリア出来ました◆この催しは、日中平和友好条約が締結(1978年)されて45周年となったことを記念して、2023年9月16日の東京富士美術館での開催を皮切りに、全国6ヵ所で巡回されてきました。今年2月2日が最終日となります。私は3年越しの展示閉幕ギリギリに足を運んだわけです。実は私の友人でシルクロード研究者がいます。創価大名誉教授の小山満さん(80歳)です。若き日に東京・中野で共に広宣流布の活動に取り組んだ仲です。彼には『シルクロードと法華経』という著作があります。事前に「見どころは?」などと呑気なメールをしたところ、「一級文物、日本国宝の意味、法華経提婆品竜女成仏が見える写本です。あと、『図録』に拙稿を寄せました」とありました。嬉しくも有難い反応でした。冒頭に紹介した創立者池田先生のメッセージは、「シルクロードは物質交易の要路であるとともに、仏教伝来のルートでありました。東西文明の交流の舞台であり、ダイナミックな融合に寄与し、新しい文化を生み出してやまない大動脈でもありました」と続きます。人生の師匠の「舞台」、「融合」、「大動脈」といったシルクロード理解のキーワードと、若き日の同志の助言をもとに会場の人波をかき分けたしだいです◆44点の一級文物を観た印象は、何と言っても、「杯の光沢」の美しさでした。新疆ウイグル自治区イリ州の古墳から出たもの(写真左上 5-7世紀)や、8世紀の唐時代のもので、山西博物館貯蔵の杯が放つ黄金色の輝きは、今なおまぶたに鮮明に残っています。また、唐時代の菩薩坐像の姿からは、私が奈良の仏寺で観てきた数多くの仏像のふくよかな顔との類似性を感じたものです。そして、後漢1-3世紀のものと見られる車馬儀仗隊像の精巧な出来具合にも感嘆しました。また、一頭の馬の首を抱えた男と手綱を持つ男の絵(陜西省出土)には、「献馬図」(写真左)とのタイトルがつけられていました。2人の顔つきからして中近東地域より献上されたものと想像されました。また、5-6世紀のものとされる法華経の経巻は敦煌研究院所蔵とされていました。その精巧無比な漢字の列挙には改めて感じ入ったものです。こうした文物を見ながら、1500年以上も前に彼の地の人々がどのような努力と工夫とで、かくも魅惑的な美術工芸品を生み出し、こうも正確に思想、文化の伝播、維持に努めたのかに思いを巡らせました。さらには、これらが大地から出土され中国全域の博物館に搬入された年度が概ね20世紀後半であることに、深い感慨を抱かざるを得ません。政治経済的な観点のみで「中国の興亡」を追うことの無意味さを思ったものです◆常日頃私たちが眼にし耳に聞く情報の多くは猥雑で悲惨なものに満ち溢れており、雄大な文明の恩恵や生活の質向上に寄与する文化の知恵とは縁遠いものでいっぱいです。そういった忌むべき情報とは隔絶した今回の展覧会は、生命洗われる思いがしました。「シルクロード」という名のもとに東西文明が融合し、交流していった歴史の背後には「平和」を希求する人類の夢と希望があったはずです。現に、人間の命のメカニズムを解き明かした仏教もこの道を通って日本に伝来し、私たちの生活の根幹を培っています。その観点からこの壮大な企画をリアルなものとして展開してくれた東京富士美術館に感謝すると共に、その理想の実現へ尽力せねば、と強く自覚したしだいです。(2025-1-24)

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【199】「地震と介護」で揺れ動く「国家と家族」━━「あれから30年」の兵庫の今/1-18

●兵庫の地から「哀」を超えて

 阪神淡路大震災から1月17日で30年が経った。この地震は、同じ兵庫県下とはいえ明石海峡大橋を境に、ほぼ東西で運命を分けることになった。〝地震の牙〟は発生源の淡路北部地域から瞬時、海峡を越えて東の摂津方面に向かったのである。このため、当時の私の生活拠点だった西隣の播州地域は直撃を免れた。衆議院議員当選が1993年7月だったので、1年半後に起こったこの大惨事の復旧・復興におおわらわになったものの、自身も被災者となった赤羽一嘉代議士(後に国交相、現公明党副代表)とは大違いの「災後」となった。13年後輩(同じ慶大法学部出身)の彼とは一緒に当選したが、今も最前線で震災対応の専門家として八面六臂の活躍をする彼を横目に私は議員を辞めて10年余が経つ。そんな私ではあるが、あの震災からの30年は特段に感慨深い。

 いま改めて兵庫の地から過去を振り返り、未来を展望すると、兵庫県が日本の抱える課題の「先取り」を果たしてきたかのごとき「錯覚」にとらわれる。かつてこの地で県知事の職にあった井戸敏三氏が、「兵庫は日本海と瀬戸内海の双方の海域に面し、都市部から山間部、島嶼部まで多彩な地域性を持つ「日本の縮図」である」との趣旨の発言をしばしば口にしていた。私個人としては、兵庫で奇怪かつ不可解な事件が起きたりすると、その都度、井戸県政へのいささかの皮肉を込めて批判をしたものだ。すると、そのたびに、「縮図」というセリフを使って切り返された。知事は「どこにでも起き得ることに過ぎない」と反論したのである。あの震災からの30年の間に、新潟、熊本や、岩手、宮城、福島など東北全域、そして能登半島へと、全国各地で大きな地震が相次いだ。さらには豪雨被害に関しては枚挙にいとまがない。まさに、あの震災が「失われた30年」の口火を切ったことは間違いない。哀しい意味をも含む「先駆け」だったのである。

 また、地震や豪雨という「自然災害」だけではない。井戸氏の後を襲った現知事・斎藤元彦氏の去年一年の行動、発言、選挙戦などにおける一連の所作振る舞いを追うと、まるで「人的災害」においても同様かもしれない。彼は「民主主義の変容」という現代日本の最大の課題を考えさせる機縁になった人物と言わざるを得ないからだ。県の幹部らを結果的に死に追いやったことによる大騒動の張本人になっただけではなく、その後の再選に至る過程においてもSNS を使った選挙違反の嫌疑を受ける身でもある。また、100条委員会の場で斎藤知事批判の急先鋒であり、後に県議を辞職した人物が自殺をした。更に1月半ばの現時点でも副知事のなり手がいなく、県政は依然として混迷の極みであると言っていい。

 思えば、兵庫県の初代知事は官制下だったとはいえ、初代首相の伊藤博文だったことや、戦前最後の沖縄県知事として〝覚悟の采配〟を振るった島田叡氏は、戦時でなければ最後の兵庫県知事になった公算が強い。80年後の今日、兵庫県の知事が「民主主義の存亡」をめぐって注目され、県議会の有り様が問われ続けていることに、日本の課題を「先取り」する〝兵庫県の宿命〟を私が感じるというのは大袈裟であろうか。偶々、震災30周年の前日の16日に、同知事は公明党兵庫県本部の新春年賀会に来賓として出席した。天皇皇后の来神と重なってほんの僅かないとましか会場に留まらなかったのは残念だった。彼は一般参加者の複雑な思いとは別に、殆ど儀礼的な挨拶のみで会場を後にしたものである。翌17日は「大震災30年を追悼する式典」が兵庫県公館で行われ、私も参列した。遡ること4回にわたって5年ごとの追悼式典開催の実行委員長だった井戸敏三前知事と隣り合わせの席だったことは感慨深いことだった。この30年の県政、国政を顧みるいい機会となったのである。

●「大災害の連鎖」と「ヤングケアラーの悲劇」を描く2冊の本

  実は、昨年末から今年にかけて、ある小説家の2冊の新刊本の広告が全国紙5紙に5段広告で一斉に出た。17日には地方紙の神戸新聞にも登場した。この広告は単なる本の宣伝ではない。戦後日本における自然災害の連鎖と、子どもたちの不幸な現状の積み重ねが、やがて近未来にとてつもない災いをもたらすとの警告である。著者の強い意志に共鳴した一人の愛読者が著者の警告を無駄にさせたくないとの思いを募らせて、多額の資金を提供して広告宣伝に及んだ。いわゆる「意見広告」でもあるのだ。その2冊とは、高嶋哲夫氏の『家族』と『チェーン・ディザスターズ』である。

 チェーン・ディザスターズとは読んで字の如く、「災害の連鎖」を意味する。この本ではいきなり冒頭に、東海地震と東南海地震が連動して起こる。南海トラフ地震の幕開けである。そこから、首都直下型地震が続き、その上、超大型台風の襲来で首都圏が豪雨に見舞われ、各地で洪水や土砂崩れが多発する。さらに追い討ちをかけるように富士山が噴火。猛烈な噴煙が偏西風に乗って、百キロ先の首都圏を襲う。結局は「首都移転」やむなきの事態に至る一連の流れ中で、初の女性首相が懸命に対応するというのが、筋立てである。

実はこの小説の中身は、著者がこれまで世に問うてきたものばかり。いやそれだけではない。それに端を発した政治・社会的課題なども併せて描いてきた。『M8』『津波』『東京大洪水』『富士山噴火』『首都崩壊』『首都移転』などといった一連の小説群がそれである。いわば、総集編の態をなしているのだ。

高嶋氏の「災害発生予見能力」がいかに卓越しているかを実証したのは、コロナ禍が現実のものになるほぼ10年前に出版された『首都感染』であった。コロナ禍発生で騒がれていた当時、テレビでカフカの『ペスト』や小松左京の『日本沈没』と並んで、彼のこの本が取り上げられていた。これを知って、私は慌てて読むに至った。あの時の衝撃は忘れ難い。このテーマに関連するものだけでも、『バクテリアハザード』『パルウイルス』などがあるが、ほかのジャンルとしては、この人の専門である原子力関連で『原発クライシス』『メルトダウン』『福島第二原発の奇跡』『世界に嗤われる日本の原発戦略』など数多い。このように彼の作品にこだわるのは、見事なまでの分析とその視点の先にある「未来予測のリアルさ」に深い感銘を覚えるからである。これを小説家の戯言と捉えてしまってはならず、日本の今を担う識者たちの関心が強く求められよう。

●政治と教育の貧困さゆえの悲観的展望

 一方、『家族』は、ヤングケアラーについてのミステリー仕立ての小説である。既に国会の場でも私の後輩の伊藤孝江参議院議員らが質疑のテーマとしてしばしば取り上げている。近年日本の家庭における「貧困」や「障がい」「病苦」から、子供たちによる「介護」の必要性までがクローズアップされているように、「家族の崩壊」をそこかしこに生み出すに至っている。若者の未来を破壊するという意味で、「老々介護」より深刻な問題を孕んでいるといえよう。

 前述した新聞広告では、「2冊の本が一つになる時、日本の未来が見えてくる」とのキャッチコピーが続く。この2冊は、地震など自然災害が国土を崩壊させ、ヤングケアラーの増加が家族関係を破壊するとの近未来の日本の悲劇の予測を併せ描いているものといえよう。ここで「2冊の本」に触れるにあたり、私が連想するのは作家・筒井康隆氏のことである。筒井氏も高嶋氏も、偶然の一致だが、同じ神戸市垂水区に住む。筒井氏は今話題の映画『敵』の原作者として改めて脚光を浴びている。この映画(原作の小説も)は、人間の晩年の敵としての「老い」を、筒井らしいタッチで描いているものだが、両作家の本を併せ読むと、現代日本における「国家と個人」「国家と家族」といったテーマがより一層分かるに違いない。政治家にこそ読んで欲しい。

 石破茂首相は就任いらい、少数与党政権の悲哀を引き摺り、25年度予算の審議を経て、夏の参議院選(都議選も)まで持つのかどうかが問われている。そんな中で、首相が掲げた政策構想でなんとか陽の目を見そうなのが、「防災庁」であるが、果たしてその仕組みが迫り来るであろう「大災害の連鎖」に効力を発揮するかどうかは未知数だといえる。また、幼稚園、小学校から大学、大学院まで日本の明日を担う子ども、若者たちの学力、知力を担当する文科省は国民の信頼に耐えうるものなのかどうか。とりわけ、小中学校教育の現場では、いじめの氾濫、子どもたちの登校拒否。引きこもりなどの課題がひしめいており、高校大学教育における知的水準の劣化が俎上に登りがちである。この現状をどうするか。給食費や授業料などお金の給付のみに関心が向かっているかに見える政党、政治家の現状は淋しい限りである。行政対応の遅延はいささかも許されない。

 通常国会ではまたぞろ「政治とカネ」といった政治家の質が問われる初歩的課題で与野党が右往左往することが懸念される。そういった基本的課題に翻弄されるのではなく、国家の根底を形成する課題をめぐって、政治家たちの大論争が展開されることを心底望みたい。(2025-1-18  大幅修正、追加)

 

 

 

 

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【198】架空鼎談 立党精神「大衆のために」を今改めて考える(下)/1-10

前回は、自公政権下にあって、公明党の「立党精神」としての「大衆のために」の真意が自民党との間で共有されないと、所詮は選挙で有権者の理解を得ることは難しいというところで終わりました。以下続けます。

●「大衆観」の変容にどう対応するか

娘)なるほどね〜。でも私なんか「大衆」と聞いてもピンとこないな。むしろ「若者と共に」って、言ってほしいな。「イデオロギー」って、持ち出すの、もう古くない?

父)おっと、そう来るか。「昭和も遠くなりにけり」って、言いたいんだな(笑)。「大衆と共に」って、「エリート」や「富裕層」を意識した政治じゃあなくて、普通の市民に視点をおく政策が大事だってことだよ。

娘)勿論、それって分かるけど、少し、ワンパターン過ぎるって気がするなあ。AI時代にふさわしい、新しさ、ダイナミックさがないと、浮動票層がついてこないって思う。何か工夫が必要じゃあないかなあ。

爺)「立党精神」は不変だけど、理解を広げ、深めるために、訴える際に補助線めいたものはあってもいいかもしれないね。かつての「大衆」には、イメージとして貧しさや病弱さがつきまとってたって思うけど、今では、子供たちの世界のいじめ、引きこもり、不登校からヤングケアラーまで多様な問題が生じてきてるから。

父)「大衆」に包み込まれる層が多様化して見えるってことかもね。それにしても、親父さんも柔軟になったなあ。「老いては孫に従え」って、寸法なんだな。俺たちとしては、「老いては親父に見倣え」ってわけだ。

娘)お父さん!また茶化さないで!(笑)。去年の都知事選での〝石丸旋風〟や、兵庫県知事選の〝斎藤現象〟なんかを追って見てると、只事じゃないって気がする。みんなSNS時代についていかないと、取り残されるよ。

父)うーん。確かにね。玉石混交の情報の中から、真っ当なものを見極めるって結構大変だ。特に政治の世界は、既成の支配層をひっくり返す発想で、虎視眈々と「現状変更」から「破壊」を狙ってる連中がいるから。

爺)ん、だからこそ、我々公明党支持者の出番だよ。さっきいった「補強」の観点からすると、「中道主義」をど真ん中に据えるって、重要なポイントだと思うな。政治家ばかりに任せずに、有権者みんなが立つ時だよ。

娘)それも定番じゃないの?だいたい、「中道」って、2つ合わせて半分に割る「中間」のイメージが強いし、メディアや世間の風潮は、保守とリベラルのどっちでもない中間を「中道」の名の下に一緒にまとめたがる。

父)ところで、それでもいいとする捉え方が我々の中にもあるかもしれないね。いわゆる「中道」は中間派的で、公明党本来のスタンスは「仏法中道主義」に基づくものなんだけど、いちいち説明するのも面倒だから。

爺)そのあたりは重要だけど、それにこだわりすぎると、一般的には〝思想過剰〟と見られるから、もっとサラッと行くべきかもしれん。ここは思案のしどころだ。なんて言い続けて21世紀も早くも四分の一が経った(笑)。

●「中道主義」の存在感をもっと

娘)私からすると、先輩世代は「大衆」「中道」のスタンスにこだわってるくせに。世の中に対するアピールが足りないよ。もっとバンバン言いまくり、書きまくる人が出て、存在感を見せてくれないと、ね。

父)その点でいうと、太田昭宏元代表が「中道」について、「解を求め続ける知恵のダイナミズム」だって、あの人らしい定義の仕方を理論誌『公明』でしてたなあ。雰囲気的には良くわかるし、何たってカッコいい。

爺)カッコ良過ぎてもう一つ意味がわからん(笑)。でも、「現場には空気があり、匂いがあり、順位が分かる」とか、「『権力の魔性』とポピュリズムに抗する」なんて、実にうまい言い方をするなあ(笑)。

父)そうした「太田節」を受けて、思想家の先崎彰容さんが「土の匂い」という表現に共鳴した上で、「公的なものへの参加」を強調し、「繊細さを忘れぬ」ことが「中道政治」だって、難しい言い方をしてたねぇ。

娘)あんまり私たちの世代にはピタッとこないけど。でも、そんな言い回しが飛び交ってること自体には興味が湧いてくるわ。公明党について、もっとみんなが話題にして欲しい。旧態依然とした宗教的な観点からの批判だけではなくって。SNSの世界では、次元の低い一方的な攻撃が多くてうんざりしてしまう。

父)僕の友人が、沖縄の辺野古への基地移転問題で最終的にカギを握る公明党の国交大臣が、反対者の要請に笑顔で応対する場面がテレビのニュースに出てくると、どうも違和感を感じるって言うんだ。もっと苦渋に満ちた顔をして欲しいと。また、核問題で創価学会と公明党の態度が相反するように見えるのはおかしいとかね。

爺)表情への注文か。細かいな(笑)。でも分かる気はするよ。自民党の政策で「政治とカネ」と並んで公明党との違いを感じるのは、外交、防衛分野だし、核問題など「平和」について、だろうね。「福祉」などは一致する部分は多いから。公明党も自民と歩調を合わせ過ぎずに、独自色を発揮することがもっとあっていいよな。

娘)私なんか生まれた時から公明党は与党で、自民党といつも一緒。だけど、よってたつ基盤を異にする別の政党なんだから、日頃からあれこれ議論して、合意形成へ努力してるのかというと、あんまりしてないみたい。

父)公明党の国会議員も自民党の議員と政策だけでなく、党の綱領や理念についても意見交換をするのが相互理解のためには重要だと思うけど、難しいかな。ないものねだりするみたいだけど、そう思うね、近頃とくに。

爺)結局答えらしきものは出てこなかったけど、考え続けることが大事だということをお互い確認し合って、今年の出発にしよう。ワシも今年80歳になる。〝見えない壁〟突破に向かって、頑張るぞ!(2025-1-10)

 

 

 

 

 

 

 

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【197】架空鼎談 立党精神「大衆のために」を今改めて考える(上)/1-4

新しい年2025年が明けました。現在ただいまの内外の政治経済・社会の情勢はどうでしょうか?一言でいえば、お先真っ暗。残念ながら「暗澹たる状態」というほかありません。3年も前からウクライナ戦争やガザでの紛争が続く一方で、民主主義国家群は、「分断」に苦しむばかり。日本は政権与党の弱体化で、政治の混沌化が懸念されています。この状況を打破するために、政治に問われているのは何か。公明党はどうするのか。この辺りについて、これから鼎談方式で考えていきたいと思います。まずは、公明党の立党精神である「大衆と共に」を取り上げて見ます。

●連立政権における立党精神の活かし方

 娘)新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくね。去年の衆院選は全国的には残念な結果だったけど、今年は参院選、都議選を始めとして、各地で大事な地方選挙があるね。兵庫でも尼崎市議選があるし。

父)そうだね。どれも負けられないね。参院選で与党勢力が議席を大幅に減らすと、もうお手上げになって、石破政権は破綻してしまうかもしれない。期待された石破カラーが発揮されないままというのは残念だね。

爺)そこまで保たずに、通常国会で行き詰まるとの見方もあるよね。でも、そんな悲観論に負けてる場合じゃないぞ。与野党の狭間にあって、公明党が「合意形成」に今こそ汗をかくチャンスだっていいたいよ。

娘)お爺さんは、与野党伯仲政治の方が自民党の多数独裁風政治よりもいいって、前々から口癖だったからね。ところで、党の理論誌『公明』の新年号の「次の勝利へ立党精神の深化を」って、もう読んだ?

父)とっくに読んだよ。今回の衆院選でなぜ公明党が負けたのかを、分析してた。この60年の社会の変化に対応する手立てを示すことが出来なかったからだと、結構厳しく、微妙な言い回しをしながら指摘してたね。

爺)そうだけど、結論がいささか定番だったなあ。「立党精神を立脚点に、今こそ公明党の真価が問われているとの自覚で、強靭な党構築に向けて知恵を絞ろう」って言うんだろう?当たり前のことを言ってるに過ぎん。

父)しかも途中で、「その答えを出すのは容易ではないが」って挟んでたのはずっこけた(笑)。

娘)そんなぁ!せっかく、優秀な編集部員の人が知恵を絞って懸命に書いているのに〜。でも改めて考えると、「大衆と共に」という「立党精神」を深化させるって、どう言うことなのかなあ?意外に分からんよね。

父)うん。60年前に公明党が立党された時には、与党の自由民主党と、野党第一党の日本社会党や日本共産党などがイデオロギー競争の政治に囚われて、大衆を忘れているから、そこを糺せってことだったよね。

爺)で、そこから約30年間にソ連が崩壊してしまった。いわゆる体制間競争で、資本主義の側が勝ったわけだ。国内的にも社会党が壊滅に至った。だけど自民一党では政権運営がおぼつかず、公明党が与党入りした。

父)そうした変遷を経て、今まで25年ほど自公政権が続いてきたんだけれど、そもそも政権与党を組んでる相手の自民党って、「大衆と共に」の精神が分かっているのかなあ?そこに立ち入らないと、始まらん気がする。

娘)確かに、公明党だけがそこを強調していても、相棒の自民党が大衆と遊離してたんじゃあうまくいくわけないわよね。去年の「政治とカネ」騒ぎを見てつくづくそう思った。自公両党が負けたのは、当たり前だって。

爺)ワシは、公明党の歴史は30年単位で二分して見る必要あり、と言ってきた。野党時代の30年は「大衆と共に」を強調するだけで良かったけど、後半の与党時代は、自民党に「大衆と共に」の精神を真底から分かって貰う必要があるよね。そこが足りてないと、結局は去年の選挙結果のようになってしまう。(続く 2025-1-4)

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【196】久しぶりの政治家のパーティーで感じたこと/12-24

 先日、公明党の参議院議員である高橋光男さんの講演会に友人と共に参加した。姫路駅前の日航ホテルに数百人の人々が来られて、盛会だった。国会議員を辞めて12年が経つ私にとって、様々な意味で「考える材料」があった。この日の会合は、会費1万円でバイキング風の飲食を伴う形式で行われた。コロナ禍、「政治とカネ」問題で、公私共にしばらく遠ざかっていた政治家のパーティーだけに、意義深いものを感じた。

●後輩政治家を叱咤激励

 まず来賓の挨拶で感じたことから。自民党所属の元大臣の挨拶については、彼なりの衆院選の総括が聞けるものと期待したが、全く触れられなかった。加えて公明党から支援を頂いたおかげだと言うような謙虚さも感じられなかった。発言の中で、立憲民主党や維新は「大嫌いだ」との表現を用いていたのは、いただけなかった。政治家としての見識や節度を感じさせる微妙な言い回しが欲しかったのだが、配慮が感じられなかった。この辺り、彼の降壇後に直接指摘しておいた。他党批判はもっと気をつけて発言した方がいいよ、と。

 いいところをいっぱい持った優秀な後輩政治家だけに、現役時代からガンガン物申してきた間柄だ。彼の長所は人の話を聴く耳を持っているところだろう。翌日早速電話がかかってきた。私の方からも失礼な物言いになってしまったと詫びた上で、「彼は昔の彼ならず」(この場合の彼とは私のことを指す)だからね、と述べた。君は昔のままだねと皮肉を込めたわけではないけれど、もっと、自民党批判を聞きたかった旨のコメントを添えた。私はあれこれと持論を述べて、「分かってくれる?」と訊くと、「少しだけは」との反応だった。

 もう1人の来賓は、姫路南部地域の介護福祉にまつわる企業のトップを長年務めておられ、私の現役時代からずっと公明党支援をしてくださっている方だった。高橋光男議員のこれまでの6年間がいかに大衆に寄り添ったものであるかについて具体的な実例を挙げて褒めて頂いた。その上、開会前に控室で昔話をしたこともあって、きちっと私のことにも触れて頂いたことには恐縮した。こういう支援者のお陰で公明党はあるのだと思い知ったしだいである。

 飛び入りで挨拶に立った歌手の山本リンダさん(上の写真右)は、過ぎ去りし歳月を感じさせぬ若々しさで、持ち前の熱っぽい支援の弁を語りまくられたのには「困っちゃう」ほどだった。かつて、私の応援に大手前公園に駆けつけて来てくれた彼女を前に、私はあいにくの雨模様に一瞬たじろぐ風を見せてしまった。その時彼女は「候補者は雨なんか気にしないでみんなの中に飛び込むのよ」と背中をビシッと叩かれたことを思い出した。

 応援に隣県岡山から駆けつけてくれた谷合正明参議院公明党会長(右写真左)は、いわゆる政治家とは思わせぬ、まことに若々しくさわやかで軽やかな話ぶりだった。参議院のトップというと、私のような古くからの公明党を知っている者にとっては、黒柳明、二宮文造といったいにしえの大先輩を思い出す。彼我の差に茫然とすることは禁じ得なかったが、新時代の公明党を感じさせるに十分な振る舞いだった。宴たけなわの合間に、スマホで私とのツーショットを撮ってくれ、翌日のFBに上げていたようだ。これまた昔とは様変わりの風景といえよう。

●後生畏るべしを実感

 高橋光男議員は、6年前のデビューの時から一段と磨きがかかってまことに逞しい存在を感じさせた。できたばかりの斉藤代表との連名ポスターを使って政治家としての自分の目標を折り込む話をしたり、自分の話をずらして開宴中にしたことの意義を語るなど〝藝の細やかさ〟を感じさせた。実は私が驚いたのは彼のリーフレットに「中央大学法学部卒」との肩書きがあったことだ。彼は大阪外語大中退(外務省入省のため)だったはずなのに、と訝しく思った。恐らくこの1期6年の間に、通信教育課程に挑戦して取得した学歴に違いない。驚いたのはそのことに全く触れずに演説を終えたことだった。「後生畏るべし」をあらためて実感したしだいである。

 この日の会には、私の友人である〝電器商と小説家との二足の草鞋〟を履く、諸井学さんを連れて行った。彼は明年春には『リスボンから』という新刊小説を出すという。リスボンとはポルトガルの首都。ポルトガル語を外交官として操った高橋さんには是非会わせて、紹介したいと思ったからだ。案の定2人の出会いは実り多いものだった。この会には私がお世話になった数多の友人、知人が来られていて、まことに有意義だった。おまけに、帰途に着いた時に、姫路在住でウクライナの専門家である岡部芳彦神戸学院大教授が飛び込んでこられた。これ幸いと、諸井さん共々近くの馴染みのお店に二次会に誘った(写真=右奥が岡部氏。左手前が諸井氏)。

 加えてその場に、大学後輩の市役所の若い職員(写真手前右)も呼び出した。テレビでの解説に引っ張りだこの、今をときめく岡部さん。そして、日本古典文学(とりわけ和歌文学)とポストモダン文学の二刀流で売り出し中の地元作家の諸井さん。ふたりの話を私だけが独占せずに、若い人に聞かせたいという私の〝深い先輩心〟に、彼がいたく感激してくれたのはいうまでもない。(2024-12-24)

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【195】「いじめ」をなくすために━━私教育の立場からの提案を聞く/12-18

 先週末は、土曜日の公明党の県本部大会に次いで日曜日には、「いじめ」をめぐる私教育関係者の講演会が神戸であり、友人を誘って参加してきました。二部構成のこの会はとても面白い内容で、大いに考えさせられました。

「いじめ」をめぐる重要な対応提案を聞く

 幾たびか小欄でも紹介してきました作家の高嶋哲夫さんは、いま学校教育の現場での「いじめ」や「ひきこもり」による不登校の激増について、強い関心を持って世間に対応を迫る一大運動を起こす構えでいます。私に対しても協力要請があります。先日は2人だけのミーティングをやり意見交換をしました。その際にこの日の会合で彼が講演をするとことを聞いたのです。

 主催はAJC(全国学習塾共同組合)で、一部が『夢の話をしよう。でも夢じゃない』〜私教育を一つの力に〜とのテーマで高嶋さんが担当しました。二部は、『「いじめ」のメカニズムについて』で、学校法人神戸セミナーの喜多徹人校長が講師でした。集まった人たちは、県下各地で私塾の経営者や、予備校の関係者の皆さん30人ほどでした。

 高嶋さんの講演は、日本の教育現場がいま、子供たちが抱える、いじめ、不登校(ひきこもり)、虐待、ヤングケアラーなどの問題によって、極めて深刻な状況にあることを指摘するところから始まりました。その一方で、いわゆる「詰め込み・暗記重視型」の受験教育の結果は悲惨なもので、創造性豊かな個性溢れる人材群を輩出する米国の大学教育の成果とは比べるべくもない差を生み出すに至っていることを強調。その原因は、公教育を司る文科省の旧態依然とした杜撰な方針や展開にあるとしました。このため、今求められているのは、この現実を認識した上で、私教育に取り組む者たちが団結して、国民、政府を動かしていく大きな運動を起こすべきだとの持論を披歴されたのです。

 具体的には、「いじめをなくす」との共通の目的に向けて、「いじめを考える日」を設定した上で、適切な映画を作って、全国の学校でみんなが一斉に見ることなどを提起されたのです。そこには、高嶋さんの著作『ダーティー・ユー』(2001年)の映画化が考えられており、この映画を観ることをきっかけとして、子供も大人もみんなで、「いじめ」について考えようというわけです。ここから始めて、日本の教育の歪んだ側面を糺しつつ、創造性を取り戻す変革に向けての大きな運動を起こそうという壮大な計画の一端が述べられました。

 さて、どうするか。高嶋さんの提案を聞いて私は今思案投げ首の最中というのが偽らざるところです。

「いじめ」のメカニズムについて

 一方、二部の喜多さんの講演は、「『いじめる側』『いじめられる側』『保護者』への関わり方」とのサブタイトルが示すように、彼の経営する学校法人の現場の実践に基づいた極めてリアルな内容でした。

 まず、まじめで忠実な生徒ほどとても忙しい状況に直面していることを具体例を挙げながら語っていきました。繊細な感性を持つ、周囲に気を遣う子供ほど「いじめられる」ケースが多いというのです。喜多さんは、人には、それぞれ「個性」があり、「得意」「不得意」があるのは当たり前だとして、「所属組織の文化に合わない」「文化的に少数派」だと見られると、「問題化」することになるケースが多いと述べました。その中で、HSP(ハイリーセンシティブパーソン=感受性の異常に高い人)と発達障碍の差異を述べたのですが、なかなか興味深いものでした。

 また、「意図されないいじめ」から「意図されたいじめ」や「犯罪」としての「いじめ」に至る、「いじめ」のメカニズムについての話には引き込まれるに十分なものでした。現実的には、「意図されないいじめ」が多く、一人ひとりの生徒の感じ方でいじめが生まれるとのメカニズムの解明は納得がいくものでした。こうした分析を通じて、最終的な対応の基本は、①「事実はどうか」や、「正しいか、正しくないか」から入ると、対立が生まれる②「当事者間の話し合い」は避けるべき。「巻き込まれない」ことが大切③保護者への対応は、「関係性の構築」と、「目標の共有」を目指すこと━━だとしました。私教育の現場では、「仲裁は一切しない。巻き込まれてはいけない」という原理原則は極めて印象的でした。

 この話の合間に、喜多さんは斎藤元彦兵庫県知事の事例に触れ、論理的思考は極めて得意だが、情緒的思考は理解できないタイプであるとの趣旨を示されました。かねて、知事の性癖に病的なものを感じてきた私としては大いに納得したしだいです。(2024-12-18)

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【194】就任後初の兵庫入りした斉藤新代表とのやりとり/12-14

 師走12月もあっという間に中旬となってしまいました。このところ、来春に出版予定の『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』の出稿作業に忙殺されてしまい、『後の祭り回想記』が滞ってしまいました。今日やっと書こうという気力が漲ってきました。テーマは、「60周年を迎え終わった兵庫県公明党の今」です。といっても、抽象的になってしまうので、14日に開催された県本部大会の内容から、最新の「公明党の空気」を追いつつ所感を述べてみたいと思います。

 年4回ミニ新聞を作成し地域全戸に配布した市議の活動報告

 兵庫県公明党は実は日本一の党勢を誇っていると言っても過言ではありません。何しろ、全県下各市町で空白区がゼロなんです。つまり、あらゆる議会に必ず1人は公明党所属の議員がいるということです。これって凄いことだと思います。しかも、国会議員が衆参合わせて2人づつで合計4人もいます。今回の衆院選で残念なことに大阪が4人の小選挙区で全敗したため、参議院議員の2人だけになってしまいましたから、兵庫が人数でトップになりました。このあたりのことについて、新代表として就任後初めて兵庫にやってきた斎藤鉄夫氏が挨拶の中で、紹介してくれて改めてその値打ちを確認したしだいです。

 今回の大会で圧巻だったのは、高砂市議会の春増勝利議員の活動報告でした。彼は小学校の校長を定年で終えた後に初出馬した人です。当選直後の2年半前に前任者の砂川辰義さんに紹介されて会いましたが、その清々しいお人柄に魅入られたものでした。この日参加した議員や代議員(県下各支部から選抜された党員代表たち)も異口同音に「凄い」「大したもんだ」「みんなが見倣えばいい」と語っていました。

 中でも年に4回開かれる議会に全て質問に立ち、毎回40分の質問を重ねてきたことには驚きました。しかもその都度、「はるます通信」というミニ新聞を作成して、担当エリアの約1000世帯の家庭に自ら一軒づつ配布してきたと言います。なかなかできないことです。それをやり続けたと言うのですから、地域住民との絆は相当に深まったに違いありません。私は終了後、彼に原稿を貸して貰い、その場で写し撮った上で、続けることの大事さを強調して激励しました。その際に「砂川先輩にいつも厳しくも温かく励まされたおかげです。これからも頑張ります」と言っていました。結党60周年を飾る嬉しい活動報告でした。

斎藤代表の選挙総括に感想と提案

 赤羽県代表(党副代表、元国交相)の挨拶で印象的だったのは、公明党の中で小選挙区で8回当選し続けてきた(落選は一回)のは自分だけだと述べたことでした。確かにこれは凄い。その背景には、地域党員支持者の皆さんの涙ぐましい支援活動の展開やら自公選挙協力の積み重ねなどがあるのですが、並大抵のことではないとつくづく感じ入りました。彼が大学生の時から私はよく知って(13年後輩)いますが、そのタフガイぶり、挑戦の姿勢には感心し続けています。更に、大臣を経験し、一段と質問力や答弁力に磨きがかかってきました。

 斎藤代表の挨拶では、今回の選挙の総括を全国の県代表から吸い上げた結果として、共通する3点を挙げていたことが注目されました。一つは、選挙戦開始と同時に自民党非公認の候補者を公明党が推薦したこと。二つは、公明党が全世代社会保障に力を入れていることが、結果的に若い世代に力を入れていないと誤って捉えられたこと。三つは、公明党もSNSに力を入れてきたが、今一歩有効な手段となっていなかったこと。いずれもその通りです。ただ、自民党への批判が全く聞けなかったことに物足りなさが残りました。

 終了後、私は同代表に、メールで、「斉藤さんの明るさがいいですね」と率直に褒める一方、ぜひ今後は自民党との間で、この国をどうするかを巡って国家ビジョンを戦わせる場を設けるべきだと持論を強調しておきました。その際に、池田思想の何たるかを自民党に訴えることの重要性をも付け加えました。でなければ、世間から、自公政権が結局は「選挙互助会的協力に過ぎない」と見られるだけだ、とも。

 実は、この日会場に到着した斉藤さんを玄関で待ち受けていた私は、慰労と励ましの言葉を投げかける一方、「安保研リポート」55号を手渡し、「兵庫県知事選についての私の見解を書いてるので読んでね」と手渡しました。これに対し、彼は「いつも赤松さんの書かれるものを見てますよ」と言ったのです。果たしてどこまでかは疑問なしとしませんが、まずは、ほっとしたものです。それもあって、心からの〝追いかけメール〟を送った次第です。(2024-12-14)

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