「変な外人」の素晴らし過ぎる洞察力ー第19回アジア太平洋淡路会議から

毎夏に淡路島ウエスティンホテルで行われるアジア太平洋フォーラム淡路会議が今年は8月3日〜4日に開かれました。これで19回目。引退後のこの5年、私は毎年参加しています。尤も第一目だけで、二日目の分科会は出たことがありませんので、ほんのお付き合いかもしれません。ですが、それでも味わい深い中身で、いつも満足しています。まして今年は、テーマが「都市は競争するー創造性と多様性」で、メインの記念講演が株式会社小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏による「都市の魅力を高めるために日本で取り組むべきこと」とあれば、おのずと興趣は高まったというものです。といいますのも、この人は国宝・重要文化財の補修を本職として手がける一方、『新観光立国論』で山本七平賞をとったり、財界「経営者賞」をはじめ、日本ファッション協会「日本文化貢献賞」や総務省の「ふるさとづくり大賞個人賞」などを次々に受賞。しかも政府へのさまざまな提言をしながら、観光振興のために奔走するというマルチタレントぶりで、「変な外人」(この日のコーディネーターの村田晃嗣前同志社大学長の紹介による=ただし、この人は「変な日本人」かも)と讃えられる人でもあるからです。先年に二階俊博自民党幹事長から勧められて読んだ『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』も面白かったと言わざるをえませんでした(私の『忙中本あり』で紹介済み)■さてさて、彼の講演は、案の定極めて刺激的な内容でした。一言でその主張を表現すると、世界史上未曾有の人口減に直面する日本は「観光で生きるしかない」というものでした。前段では日本の人口減に対する対応がいかに危機意識がないものであるか、と指摘。輸出小国である実態を自覚せず、未だ輸出大国だとの思い込みの大きさなど具体的で、かつ迫力がありました。外貨の稼ぎ頭としての観光をめぐっては、漸く日本も本気の取り組みを見せて、2013年には1000万人強だったインバウンドが、わずか三年で2.8倍になり、明年には4000万人になろうかとの勢い。観光収入ランキングでベスト10入りしている現状は隔世の感だ、と。かつて彼が観光の重要性を指摘した際に、乗り気ではなかった識者たちが、今頃になって手のひら返すが如く、「自分の指摘した通りだ」と言ってる、と皮肉たっぷりに。これには、身につまされたと思しき場内からも失笑が漂っていました■ただし、確かに日本の観光は伸びはしたものの、未だ未だ本当の力を出し切っていないとの指摘も重要でした。一つは、自然、気候、文化、食事と、観光に必要な4条件を全て満たす稀有な国であり、最大の強みが「自然」であり、最強の伸び代だという点です。日本ほど「自然」に多様性がある国は滅多にないこと、文化に「自然」を足すと、観光に呼びこめる層が広がること、自然観光は長期滞在になるので、多くのお金を使ってもらえることなどは、いずれも盲点といえるものでしょう。二つは、観光地の作り方において、付加価値に対する意識が大事なことです。アクティビティー、解説案内の有無から始まり、座る場所、カフェ、食事の中身などに至るまで、事細かな付加価値の大事さなど私は気づきませんでした。三つは、5つ星ホテルの数が極めて大事なことです。観光戦略の成否は5つ星ホテルによって決まるのに、アメリカ755を断トツに、イタリア176、フランス125、メキシコ93、インドネシア57などに比し、日本はわずか28という実態すら認識していませんでした■この講演を受けて行われたパネルディスカッション「都市の国際競争力を支える成長戦略」も興味深いものがありました。中でも面白かったのは、佐々木雅幸同志社大特別客員教授がリンダ・グラットンの話題の著作『LIFE  SHIFT』を持ち出したこと。これからの「人生100歳時代」にあっては、生涯教育が大事だとの引用をしたのです。仕事は単一なものだけではなく、いくつかのものを渡り歩くことが大事だとして、人生の途中で新たな知見を有するための勉学の期間を持つことの重要性に言及。そのためにも公的支援の必要性を強調していました。佐々木さんは、アトキンソンさんの言う観光力だけでなく、グラットンさんの生涯教育にも力を注ぐべしと言いたかったのでしょう。この議論、私が最近こだわってることと同じです。それだけに我が意を得たりの気分でした。尤も、D・アトキンソン氏も、L・グラットン氏も二人とも英国人。英国人に言われないと、我が立ち位置が分からない我々日本人の悲哀を感じないわけにもいきませんでした。(2018-8-5)

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ブラジルと日本を繋ぐ二人の男の確かな出会い

7月の初頭。公明党の明年の参議院選挙における兵庫選挙区の新しい候補者が決まった。高橋みつお(光男)氏、41歳である。つい先月末まで、ブラジル駐在の外務省の一等書記官だった。公明党兵庫県本部の前代表である私としては、正式に後援会が発足するまでは、後見人の立場にたたざるを得ない。現県本部執行部から要請を受けて喜んで引き受けた。2日に県庁記者クラブでの出馬会見にも立会い、同日午後に二人だけでじっくりと懇談した。これからの公明党を担うに相応しい大物新人であることを実感。なんとしても当選させたいと強く思った。彼は大阪外語大英米語学科4年在学中に、外務省の専門官試験に合格、中退を余儀なくされた。入省後は、ポルトガル語の担当を命ぜられ、習得。ブラジルを始めとする関係国を中心に30カ国もの国々を飛び回った■私は彼の経歴を知るにつけ、ブラジルと日本の友好関係構築に取り組んできた、一般財団法人「日伯協会」に思いを馳せた。嬉しいことに、現在の同協会の理事長は私の竹馬の友である三野 哲治氏(本年、兵庫県功労賞を受賞)である。彼はつい先年まで株式会社住友ゴムの会長職にあった。京都大を出て住友電工に勤務していたが、常務取締役を最後に、住友ゴムの副社長として栄転。社長、会長と上り詰めた。現在の関経連会長の松本正義氏の住友電工での一年後輩になるが、かつて川上関経連会長当時の秘書長をするなど、関西経済界でも活躍をした。私と彼とは神戸市立塩屋小学校で同期。中学、高校は袂を分かったものの、少年期を共有した得難い友である。今に至るまでの共に抱いた夢を巡っては、電子本『運は天から招くもの』(キンドル)で縦横に語り合ったものである■ブラジルが結びつけた縁で、私は高橋候補と三野理事長とに面談してもらうことにした。まずは下検分にと、「海外移住と文化の交流センター」の中にある日伯協会の事務所を11日に訪れた。元町駅から北に向かって歩くこと15分ほど。神戸港を遥かに臨む高台にそれはあった。兵庫県を地盤とする選挙区で長年過ごしながら、この協会を訪れたことは今までなかった。ブラジルを説明する展示物(「不毛の地セラードを巨大穀倉地帯に変えた日系パワーの挑戦」)などを見ていたら、同協会の移住ミュージアムの天辰充幸専門調査員と出会った。私が初めての訪問だというと、彼は最上階の部屋に案内してくれ、神戸港を眺めるように勧めた。110年にも及ぶ日本からの移民の歴史の中で、数知れぬ人たちがこの窓から遠く海の向こうの地をどんな思いで見てきたか考えてほしいと言われた。移民についてほぼ無関心だった自分を反省せざるを得なかった■17日に高橋候補と一緒に、住友ゴム本社に三野・同社相談役を訪ねた。冒頭、ゼクシオなど同社のゴルフ用品を愛用しているとの高橋候補の話で初対面のもたらす二人の間の壁は一気に崩れた。共に仕事上欠かせぬ趣味ということだが、要するに二人とも私とは違ってゴルフが好きなのである。住友ゴムの工場進出の背景に始まり、ブラジル国民気質、移民の歴史の中で培われた日伯関係など、時間が経つのを忘れた。三野さんは、「誠実な人柄に加え、豊かな国際感覚と各国の利害が交錯する交渉の舞台で積み重ねた経験知が光ってる」と、公明新聞の22日付けに期待の声を寄せてくれた。また、私には後日、「立派なひとだね」との感想も。どちらかとえいえば寡黙な彼ゆえの万金の重みを持つ一言だった。激しい闘いが想定される明年の参議院選挙の初っ端の闘いで、私は一足早い滑り出しをすることが出来て満足感に浸っている■思えば2年前の伊藤孝江さんの参議院選挙でも、彼女の弁護士事務所の所長・蔵重信博氏が私の長田高校同期であることが幸いした。彼が動画の中でくれたコメントは秀逸だった。お陰で終始気分良く闘え、最終的に未曾有の得票を得ることが出来た。〝今再びの闘い〟で「伊藤超え」の票を得ることが来年の至上課題だが、三野さんを引き出すことで、密かに二人目の〝強力助っ人〟をゲット出来た喜びを心から味わっている。(2018-7-27)

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「老人ホーム入居」という厳かな選択

先日、新聞の「人生相談」にふと目が止まりました。普段から特にこうしたものを読む習慣はないのですが、偶々好感を持っている作家の高橋源一郎さんが回答者だったことが大きかったかもしれません。相談内容は、夫が亡くなったら、家族も友人も殆ど周りにいず、どのように過ごせばいいのか不安だという59歳の女性のものでした。源ちゃんの答えは、その女性と似て非なる自らの「不安」を赤裸々に語ったうえで、それを不安と思わない自分は、考える余裕がないからか、それとも鈍感なのかと述べつつ、他人の相談に答えている場合ではないのかも、と結んでいました。これを読んで、他人事ながら大いに身につまされてしまったのです■実は、私の60年来の友人がつい三ヶ月あまり前に糟糠の妻を亡くし、ひとりになってしまいました。たったひとりの息子とその家族は遠く離れた地にいて、殆ど交流(日常的に役に立たないということ)はありません。彼は最愛の妻への数年にわたる看病と最後の看取りを献身的に尽くしました。これからの人生をどう生きるかー彼は髪の毛がすっかり白くなってしまうほど徹底的に考え抜いたようです。その結果、全てのものを断捨離して、老人ホームに入る決断をしました。過去を引きずらず新たな人間関係のなかで生きると決めたようです。なかなか出来るものではありません。尤も、老人ホームといっても、今流行りの高級なものです。入居に一定のまとまったお金を払って権利を取得し、厚生年金支給額ほどのものを月々払えば、全て賄ってくれるのです。若き日より今に至るまで多くの時間を共有してきた親友の選択に、大いに考えさせられているしだいです■十日ほど前に、入居一週間あまりの彼のホームに行ってきました。先入観は多少ありましたが、いやはや驚きました。開けてビックリ玉手箱ならぬ、行ってビックリホテル並み、でした。筋力強化のためのスポーツジム風のものから、温泉並みのお風呂、ゆったりとした食堂、ビジター用の宿泊室(私が行っても泊れる仕組み)もあります。ただ個人の住居部分はいわゆるビジネスホテルのシングル仕様でした。といったハード面はともあれ、圧倒的な凄さはコンシェルジュの存在をはじめ、職員の丁寧さと優しさ極まる対応、つまりソフト面の充実ぶりでした。職員数も多いようで、至れり尽くせりのサービスをして貰えると友も満足しています■実はこの施設は、大阪府下にある「スーパーコート」のひとつです。関西エリアに50もあるとのこと。すでに定評のある「スーパーホテル」ー5つ星のおもてなしを一泊5120円で実現するとの触れ込みで有名ーが手がけているものでした。ホテル業界からの新規分野開拓です。山本梁介会長の著した『スーパーホテルの「仕組み経営」』によると、顧客満足も生産性もどちらも高めようという仕組みづくりは、半端ではありません。お客の快眠と健康促進についての科学的な研究を進めるために、大阪府立大の健康科学研究室と提携して「ぐっすり研究所」という機関まで設立したというのですから。快眠のための枕の研究をする一方、快眠の度合いを数値で実証しているというのです。眠れなければ宿泊料金は返金すると云うのですから、とことん徹底しています■このようなスーパーホテル(1996年に新規参入いらい、現在は全国で126店舗、海外にも3店舗)は実績十分ですが、スーパーコートの方はまだまだこれからかもしれません。と言いますのも、この分野は今まさに本格的な競争が始まったばかりだからです。他と比べたわけではないので、なんとも言えないですが、やはり〝上見りゃキリない、下見りゃキリない“というところかもしれません。我が友の決断は私からすると、どうしても〝早すぎた選択〟と言わざるをえず、独り身の面白さを満喫すべく、もっと娑婆世界でやることあるだろう、と思ってしまうのですが‥‥。冒頭の源ちゃんの人生相談の回答と同様に、独りぼっちになった時の選択は、いざとなるとなかなか難しいもののようです。(2018-7-20)

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伊藤博文から井戸敏三へ、兵庫県の150年

明治維新からの150年は、同時に兵庫県政の150年でもあります。7月12日にそれを記念し祝う式典が神戸国際会館で開かれました。初代知事は、のちに初代首相となった伊藤博文。この日の式典で最も私が感動したのは、五百旗頭真さん(兵庫県立大理事長)の「近代日本と兵庫の150年」と題する記念講演でした。時間の関係もあり、現実には昭和42年から今に至る50年に絞った兵庫の歩みでしたが、深い洞察に充ちた聞き応えのある中身でした。バブル経済崩壊、リーマンショックなど打ち続く経済低迷の中で、阪神淡路大震災、東日本大震災に襲われながらも懸命に頑張り抜いて、創造的復興から共生の舞台へと開き行く県政ー兵庫県人として誇りを持つに足りうるものでした■五百旗頭さんは、この50年を❶高度経済成長とそのひずみへの対応❷円高不況を超えて、生活文化重視のこころ豊かな兵庫、科学技術立県❸創造的復興へ全力投球、大震災後10年の復興❹災後の時代と行財政構造改革ー21世紀兵庫の創生を求めてーの4つに分けて、筋立てて鮮やかに解説。それによると、この50年の前半においては、日本全体の高度経済成長の中で、県内総生産も全国5位でしたが、後半は、大震災や、首都圏への生産集中の影響もあって、7位に後退しています。とくに印象に残ったのは「創造的復興」という言葉を県が掲げた背景には、一つは、将来構想を常に持ってきた県であること。二つには、強い意志のあるリーダーシップがあったことを強調されていたことです。「失われた20年」という呼称で悲観的に見られがちな時代状況にあってもしぶとく生き抜いてきた県政が浮かび上がってきました。彼の立場上、贔屓目の捉え方であることは割り引いても、賞賛に値するものだと感じ入った次第です■この講演の前に、佐渡裕(県立芸術文化センター芸術監督)指揮による管弦楽団の記念演奏がありました。ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、デーレ(編曲:宮川彬良)の「すみれの花咲く頃」、J.シュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」の3曲に参加者は酔いしれました。立ち込める弦楽器の響きの中からホルンが聴こえてくる様子は、あたかも鬱蒼と木々が生い茂る森の情景が浮かび上がらせました。宝塚歌劇団ゆかりのすみれの花咲く頃は、兵庫に生まれ育ったものにとって懐かしい思い出を髣髴とさせました。圧巻は胸高まる華やかな響きのラデツキー行進曲。佐渡さんの場内に向かっての指揮に、会場からの手拍子が一斉に鳴り響き見事な調和を見せました■式の前半を飾った映像「2030 君が輝くひようご」や「兵庫の未来を創る」での小中高の子供達の発表もなかなかのものでした。とくに、我が地元の兵庫県立姫路工業高校の「ホタルを通じた地域交流プロジェクト」(ホタルの飛び交う地域を目指して)には胸打たれました。学校内のビオトープにおけるホタルの養殖に取り組み、ホタルを媒介にした地域交流の場を設けているのです。船場川にホタルの幼虫を放流するので是非見てほしいと、地元の岩成城西連合自治会長から毎年のホタルシーズンたびに強調されてきていましたが、その本源が姫路工業高校の生徒たちにあったとは。「姫路城周辺地域にホタルを溢れさせたい」とは、郷愁に満ちた試みをする粋な高校生たちです。4時間近くの長丁場でしたが、充実したひとときを過ごせ、皆満足げに会場を後にしました。(2018-7-14)

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森を守り抜くための「奥山保全トラスト」の闘い

大分旧聞に属することですが、さる3月14日にフジテレビ系で放映された「世界の何だコレ!?ミステリー」をご覧になった方はいますでしょうか?南アルプスの南端のある地域を衛星写真で見ると、濃い緑一色の人工林地帯に、茶色い四角のなにかがたくさんあるように見える。これはいったいなんなんだ?現地を訪れて正体を突き止めようという番組でした。建物か?それとも遺跡か?興味津々に視聴者をさせていく見応えある番組でした■実はこれ、公益財団法人奥山保全トラストが所有する佐久間トラスト地で、静岡県の「森の力再生事業」を使って、自然の森を復元するため、スギの人工林を大規模に群状間伐している場所でした。茶色く四角く見えたのはスギの皆伐地だったのです。地元の佐久間森林組合に委託して、これまでに60ヘクタール、7万本を超えるスギを伐採しており、全国でも例がない大規模な森再生に挑戦している現場だったというわけです。この番組の最後に、奥山保全トラストの室谷理事長(当時)が登場しインタビューに答えていたのですが、この事業の持つ意味を十分に伝えるだけの放映時間がなかったのはチョッピリ残念でした■このトラスト地には私自身数年前に訪れたことがあり、こうした試みをする団体に自分が所属していることを大いに誇りに思ったものです。つい先週末には、同公益財団法人の理事会があり、新たに購入しようとするトラスト地について可否を求める議案が提出されました。それによると、熊本県上益城郡、宮崎県延岡市、愛媛県四国中央市、岐阜県本巣市、福島県会津若松市などの山林を手に入れることが射程に入っており、大変に嬉しいことです。担当者の報告によると、「我々トラストが買わなければ、スギの人工林が植えられる可能性が高い。将来的には、広葉樹の水源の森になる場所で、放置しておけば、植生回復が見込まれることから、トラスト地として保全していく意義がある」とか、「ツキノワグマの個体数が回復した暁には重要な場所となる。標高700メートル前後のコナラ林なので、水源地としても確保しておきたい場所である」など、胸高鳴る中身でした■昨今、日本の森の荒廃がようやく注目されてきてはいます。戦後の拡大造林政策がすべての元凶ですが、伐り出すことも出来ない奥山にまで植えられたスギやヒノキなど針葉樹の人工林1000万ヘクタールのうち、3分の2が放置されたままです。広大な放置人工林は、山の保水力を著しく低下させ、豪雨のたびに崩れて人命や財産が失われています。また、こうした奥山には食べ物が何もないため、野生動物たちは餌を求めて里に出てくる原因になったり、大量の花粉を発生させて花粉症の原因になるなど弊害は深刻さを増す一方です。こうした人工林を天然林に再生させるために、抜本的な対策が求められています。「奥山保全トラスト」のような戦いを国が総立ちでやらねば、と思うことしきりです。(2018-7-6)

さてどうこれを保全するかとなると、なかなか適切な対応策はとられていません。

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笑いとホルミシスー癒しの環境作りに挑む友たち

癒し、癒されるー最近聴く機会の多い、心地よい響きを持つことばです。先日、「癒し」に関わりのある二つの会に参加しました。一つは、一般社団法人「癒しの環境研究会」のメンバーで全国自治体病院協議会(公益社団法人)会長の邉見公雄会長が叙勲(旭日中綬章)を受けられたことを祝う会(6-21)です。もう一つは、人に癒しを与える「日本唯一の坑道ラドン浴」がある姫路市安富町の富栖の里で開かれた岡山大の山岡聖典教授の講演会(6-23)です。両方とも私と以前から深い関わりのあるキーパーソンが介在しています。かたや東京、もう一方は姫路の北部と離れてはいましたが、「癒し」に誘われて行ってきました■まず邉見会長の会について。この人と初めて会ったのはもう20年も前のことでしょうか。下駄履きで登場され、強いインパクトを受けたものです。今でこそ白髭を顎に蓄えておられますが、当時は痩身の若さあふれる「赤ひげ先生」の趣きでした。実はこの方と親しかったのが私とは高校同期の癒しの環境研究会代表で、笑医塾塾長の高柳和江女史です。かつて邉見さんと一緒に癒しの環境作りに汗を流していました。今回のお祝いの席にも高柳さん共々一緒に招かれました。印象に残るのは「彼女は女性として旨いスピーチをされるが、男では私です」と常々言われていたことです。ということもあり、この日の邉見さんのご挨拶、楽しみにしていました。開口一番、「今日お越しいただいた皆さんは、ヘレンケラーのようです」と切り出されたのです。何のことかと耳をそばだてると、2万円の会費で、立食であること、大阪地震の直後などと、来る人にとってまことに厳しい「四重苦」だと言われたしだい。私がこの種のパーティはいわば「生前葬」だから、そのつもりで、と言っていたことも功をそうしたのかも。なかなか聴かせるご挨拶でした。このように常にユーモア(笑い)を意識した、見事な医師で自治体病院のトップがこの人なのです■次に、癒しの洞窟についての講演会について。私は「坑道ラドン浴・富栖の里」を経営する亀井義明(会長)、浩一(理事長)親子と長い付き合いがあります。少量の放射線はホルミシス効果を高めて健康に極めていい効果をもたらすことから、約10年前にオープンしたこの施設ですが、最近その効用を礼賛する人々が一層増えてきています。この日も山岡先生の説得力ある素晴らしい話に多くの参加者が聴き入っていました。人の死に方はピンピンコロリ(PPK)が望ましく、ねんねんころり(NNK)はいけませんなどといった話にはどっと笑いが起こっていました。参加者からも次々と質問があり、関心の高さを伺わせました。私は当初からこの活動を支援する試みに携わっていますが、病気に効く効かないというよりも、心や体を癒す効果があるということだと思っています。病気に対する即効薬ではなく、ジワリと効果をもたらすものだと言えましょう■思えば、邉見、高柳ご両人が関わってきた「癒しの環境」作りに欠かせない「笑い」も薬ではありません。すぐに効果はないかもしれないけれど、生活の質の向上にはなくてはならないものが「笑い」なのです。「ホルミシス」も「笑い」と同様に悪い生活習慣を改める大きな効果があると確信しています。偶々私が深く関わってきた団体に縁のある二つの会がきびすを接して開かれたので、喜んで参加してきましたが、改めて多くの人たちにもっともっとこうした活動を知ってもらいたいと思ったしだいです。(2018-6-30)

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日本独自の歴史観を持たない悲しさ

米朝の交渉見ていて立ち上がる思いは、トランプ大統領の米国と同盟関係にある身の頼りなさである。思えば、明治維新とセットで語られてきた文明開化とは、西欧文明に日本が目を見開き、遅れた科学技術の振興に懸命になる一方、政治経済における欧米風の制度の導入に躍起となったことを意味する。日清、日露戦争のそれなりの勝利を経て、第二次世界大戦の明々白々たる敗戦で、日本は米国に占領される〝一国滅亡の憂き目〟にあった。これはまたペリー来航から80年越しの日米反目の歴史に決着がついたと見ることも出来る。以来、7年の占領期を経て、日本は〝平和憲法〟下の国家として今日に至っている。これは、国の安全保障は米国任せで、自らは経済発展にのみ取り組むとの“半独立国家”の姿という他ない。自由民主主義に生きる国家として世界で二番目の豊かさを誇って見たところで、その実、真の意味での自立を奪われた哀れな敗戦国家の悲哀を今になお引き摺っているのだ。戦後は真には終わっていず、“日米150年闘争状態”は続く■この間、日本はヨーロッパ近代の思想に絡めとられ、煎じ詰めれば、歴史観も自前のものを持てず、自然観、人間観すら欧米風に染まってしまっていることに気づく必要がある。例えば「人間主義」なるものを取り上げよう。組織偏重ではなく、一人ひとりの生身の人間を大事にしようというような浅い次元で捉えることを言いたいのではない。「人間主義」とは、人間と自然とを支配、被支配の関係において、人間を自然よりも上位におくことを意味する。こうした考え方の起源はヨーロッパ近代の思想に起因し、キリスト教哲学に淵源を持つ。北東アジアに位置し、神道から仏教、儒教を取り込んで、その豊かな思想を形成してきた日本では、人間と自然は本来は対立するものでなく、共生するものとの捉え方が本来のもである。このことを想起すれば、彼我の相違がはっきりしてこよう■また、経済至上主義も科学技術万能主義も人間優先の世界観からくるものであろう。これまで、様々な論者がもっとスローで地に足つけた社会の発展を目指そうと主張してきたが、未だ世に定着してはいない。つい先ごろ、山崎正和氏が読売新聞紙上で、米朝交渉を見据えたうえでの「日本の針路」に関する興味深い論考を発表していた。そこでは、多くの賢明な日本人が、「人口減少や高度高齢化、資源枯渇、環境悪化を憂え、もはや経済成長を諦めて『定常型社会』をめざそうと提案」し、「『慎ましい大国』への転身」を図ろうとしていることに論及。その上で、“経済成長主義”と決別することなど、格差是正という現代最大の課題を解決しない限り、幻想に過ぎぬとの鋭い刃を多くの識者に突きつけていた。同氏は具体的には「国家百年の税制改革」を考えることを提案しているのだが、私にはそれだけではまだ足りないものがあるように思われる。つまり、根底的なものの考え方、捉え方における彼我の差を埋める必要があるのではないか、と■経済成長なきゼロ成長社会とでもいうべき「定常型社会」を求める声は今や定着しつつある。だが、どのようにそこに至るかの道筋は山﨑氏の見立て通り、明確になっていない。しかし、迂遠のように見えても、そこには社会背景としての日本独自の歴史観や自然観、人間観が打ち立てられる必要があると考える。近代ヨーロッパ思想による呪縛からわが身を解き放ち、日本自前の思想哲学の裏付けを持たねばならない。でなければ、その求める豊かさは上滑りし、いかにもがいても結局は欧米の掌の範疇から逃れ出ることは出来ないのではないか。何を書生論めいたことを、と思われるかもしれない。だが、非人道的国家の専制独裁のものにせよ、背後に中国の影があるにしても、独自の歴史観を持つものたちの思い込みを目の当たりにして、我が胸を去来するものは少なくない。米国を相手に瀬戸際外交を展開する北朝鮮の金正恩氏の外交的巧さを思うにつけても、日本の思想的自立への渇望の思いが募ってくることは如何ともしがたい。(2018・6・19)

 

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米朝交渉の彼方に浮かぶ日本の立ち位置

トランプというある意味で極めて御し易い相手だったにせよ、対等に渡り合ったかに見える金正恩委員長の外交手腕は、侮れぬものであることが世界中に明らかになった。国内外における傍若無人の振る舞いー人権無視の恐怖政治の実態ーをよそに、核兵器・ミサイル開発をしたたかに展開して、何はともあれ一大政治ショーの一方の主役となったのである。これからの交渉の進展次第では元の木阿弥になる可能性も大いにあるが、国内的には大いに点数を稼いだといえよう。朝鮮半島の非核化と北朝鮮の体制保証を天秤にかけた駆け引きにあっては、〝どっちもどっち〟といえる側面を抱えてはいる。だが、表面的には金正恩なる人物の巧まざる交渉能力が功を奏したと見るのが自然ではないか。周辺世界の一致した経済制裁や、軍事的圧力がかけづらくなったからである。民主主義国家と専制独裁国家との渡り合いの難しさが図らずも露呈したといえよう■米国を相手に北朝鮮の交渉に至る経緯を見るにつけ、日本の対米関係の難しさに思いをいたさざるをえない。拉致被害者の問題を解決済みとする北朝鮮に対して、異議を唱えて交渉のテーブルに引っ張りだすことでさえ、米国頼みという状況がことの本質の異常な歪みぶりを物語っている。トランプ氏は大統領に当選した直後に、在日米軍基地にまつわる米側の負担の軽減をはじめとする日米関係の見直しを宣言した。過去の両国の関係を不平等だとしてアメリカ第一主義の立場を鮮明にしたのである。これはその後の日本側の巻き返しで、元の鞘に収まったかに見えるが、トランプ氏の本心は変わっていない。同盟国を慮る姿勢には程遠いのだ。今回の米朝交渉にあっても、日米韓の合同演習や在韓米軍の撤退を経済的観点から浮上させたいとの魂胆が垣間見える■これに対して、日米安保体制を万古不易のものとして、対米従属姿勢を保ち続けることに日本が躍起となるのは、「思考停止状態」という他ない。勿論、国際政治の現実からして、日米関係に動揺は無用である。ただ、当の相手の最高指導者が勝手気ままな発言をするのに対して、ひたすら音無しの構えではいかがか。一方でたしなめ、もう一方でかりそめの対応を考慮に入れる〝思考的実験〟ぐらいすべきではないのか。明治維新から150年。日本はほぼ前半の70数年前に〝対米戦争〟に負け、占領状態に陥った。建前としては7年後の講和条約で独立を勝ち得たが、それはうわべだけで、現実には半分占領状態の異常な事態が続く■トランプ大統領の登場を奇貨として、唯々諾々とした対米従属路線からの脱却を考えるべきときだ。それは究極的には日本も核を持ち、軍事的独立を目指すべしということではない。論理的にはそういう選択もあるが、それではあまりに能がないし、歴史の逆行以外の何物でもない。そうではなくて、今の世界の思想的枠組みを変えるという営みに挑戦してみてはどうかという提案である。近代ヨーロッパ思想の呪縛からの転換こそ、明治維新150年を契機に取り組むべきテーマではないか。それがどう日本の立ち位置と関わるのか、次回に考えてみたい。(2018・6・19)

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米朝交渉から見える北朝鮮・金正恩の巧みさ

さる6月12日のシンガポールでの米朝首脳会談とそれを受けての共同声明についての私の見方を示したい。結論からいえば、金正恩・朝鮮労働党委員長及びその周辺の見事な外交手腕が発揮されたものと見る。但し、それはトランプ氏という異端の米大統領が交渉相手だったからで、まともな意味での外交力が功を奏したものではない。政治ショーを演出するのに躍起なあまり、自らの譲歩に気づかぬようにさえ見えるトランプ氏が相手だったことが多いに幸いした。尤も、内外にわたってこれまでの米国政治のスタイルを変えることで、国内の過半の支持を得られると踏むトランプ氏からすれば、十分すぎる手応えを感じている節も見られる。米国内では当然ながら強い批判もあり、一段と世論の二分化が激しさを増す。俯瞰すると、いわゆる民主主義国家の弊害が、封建主義的独裁国家との外交交渉を前に、露呈したということに尽きよう■共同声明の文面を追うと、冒頭に全体を要約したところで、トランプ氏はcommittedし、金正恩氏はreaffirmedしたとの記述がある。片方が約束し、もう一方は再確認したというわけだ。字句通りに判断すると、前者は新しいことを述べているのに対し、後者は前から言ってることを追認したかに読める。つまり、かねて、北朝鮮が求めてきた「安全の保証」(security guarantees)を「提供する」(to provide)から、朝鮮半島の完全な非核化に向けた堅固で揺るぎない決意(his firm and unwavering commitment to complete denuclearization of the Korean Peninsula )を改めて確認するというのだ。このくだりについては、非核化のタイムスケジュールや最終的にどう着地させるかが、事前の最大の関心事だったのに、全く明記されていない。前からの主張を改めて言っただけ。にもかかわらず、「安全の保証」を与えてしまっていいのか、との疑念が当然起こってくる。勿論、これも具体的な方途が書かれてないから〝おあいこ〟だとの見方もあろう。だが、終了後の記者会見の席で、トランプ氏は「交渉中は 軍事演習を行わない」と明言し、ご丁寧にも「莫大な金を節約出来、(北朝鮮に対して)挑発的だ(から)」と理由にも言及した。ある意味、型破りだともいえようが、一般的には、お人好しで、善意に満ちた交渉人にしか見えてこない■米朝会談に至るまでの北朝鮮の動きについては、中西寛京都大大学院教授が興味深い論考を明らかにしていたことが思い起こされる。そこでは、トランプ氏が一旦会談中止を仄めかしたため、追いつめられた北朝鮮が悪あがきを諦め、首脳会談実現のために譲歩を見せ始めたという点を取り上げていた。同教授はこの解釈は浅薄であり、「交渉をコントロールしているのは北朝鮮の方である」可能性も見えてくるとしていた。その例証として、❶平昌五輪への妹・金与正氏派遣❷中韓首脳とそれぞれ二度の首脳会談❸米国政府高官ポンペオ氏をも二度招いたことをあげた。こうした外交活動を演出出来る北朝鮮が経済制裁やトランプ氏の強硬姿勢に音をあげたと見るのは楽観主義にすぎるのではないかとしていた。そう見えたのは「北朝鮮与しやすし」と油断させる戦略だったというものである■今、会談が終わってみて、この中西氏の「北の交渉力を侮ってはならない」(『正論』6-1付け)との指摘のリアルさが際立つ。これまで、長きにわたって、金正恩委員長を悪しざまに罵り、その能力を見くびってきた向きがあったのは、当の本人の言動がなせるワザが多かったにせよ、いささか過小評価だったと思わざるをえない。ともあ)れ、金正恩氏率いる小国・北朝鮮が超大国・米国と対等に渡り合う姿を世界にまざまざと見せつけた事実は覆い難い。日本のお茶の間や床屋談義での会話は、金正恩という人物を「幼稚」で「冒険的、挑発的」な言動に走る異常な指導者といった範疇を出ていなかったのである。ことの是非は、これからの米朝の細かな交渉に待たねばならず、長い舞台の幕開けを見たに過ぎないともいえる。しかし、その初の外交デビューぶりは、これまでの印象を覆すに足りうるものであったことだけは間違いない。(2018-6-16)

 

 

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ポートフォリオワーカーの楽しさを実感する日々

異なった業種の人たちが集まっての意見交換はなかなか楽しいものです。月に一回のペースで友人と始めたこの催しはすでに50回を超えました。引退したあとの私を友人が心配してくれて、交流の場を提供してくれたことがきっかけです。毎回10人ほどの仲間の集いは様々な〝化学反応〟を伴い、友人の友人は皆友人とばかりに輪は大きく広がってきています。私は自身の「掟」として、一度呼んだ人は二回目からは声をかけないことにしています。でないと、同じ人と何度も会うことになってしまい、面白さが欠けてしまうからです■例えば、この8日にやった6月の例会では、一年前に大阪で出会ったH産業の幹部に声をかけました。彼は、以前務めていた会社の同僚の女性を誘ってきてくれました。彼女は画家であり、デザイナーでもある多彩な才能を持った魅力な人でした。また、もう一人は兵庫県の中堅職員。彼は私が付き合った某中央官庁の幹部官僚の息子。親父さんと話していて、その存在を知ることになって、声をかけたしだい。なかなかガッツのある青年でした。一方、友人も自分の友達を呼んでくれます。今回は、建設会社の幹部や、老健施設の経営者。またNPO法人で斬新な活動を展開する女性といった具合。この人たちは新たに私の友人になるわけです■こんな感じで毎月3〜4人の新たな友を呼び、この場で新たに2人、3人と友人関係を結びます。ワインを飲みながらわいわいガヤガヤは実に楽しいものです。参加した友たちは、こんな楽しい会とは知らなかったと異口同音に言います。この背景は、なんといっても場所に恵まれていること。友人の持つマンションの事務所風の大きな部屋だという点です。これが普通のお店だったら、時間とお金を気にしないといけないが、全くお構い無しとは有り難い限りです。尤も、食べ物は自前で、持ち込み。それを皆でシェアするのです。通常は揚げ物やパン類が多いが、たまにはアッと驚く珍しいものにも出くわします■こういう出会いの場を持ちながらの第三の人生は味わい深いものです。今話題の『100年時代の人生戦略』にいう、3ステージ型の仕事人生と私自身が決別しつつあることを実感します。3ステージ型とは、「教育→仕事→引退」というもので、今までの日本社会の通常パターンです。これからの〝人生100年時代〝という「LIFE SHIFT」の時代には、それとは違った生き方が求められています。例えば、エクスプローラー(探検者)、インディペンデント・プロデューサー(独立生産者)、ポートフォリオ・ワーカー(異業種同時並行従業者)などといった多彩なステージを経験することでしょうか。私は今7つほどの異業種の団体、企業と関わりながら顧問や理事をしています。これって、まさに、ポートフォリオ・ワーカーでしょう。そして同時に様々な異業種の人と交流しながら、仕事への感覚を磨いているわけで、実に楽しいことです。(2018-6-10)

 

 

 

 

 

 

 

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