Author Archives: ad-akamatsu

まずは足元を知ることから全ては始まるのかも

このところ地元を見る自分の目が変わってきました。自分が生まれ育ったところとはいえ、8歳にして神戸に転居して再び姫路に戻ってきたのが、平成の始まった年ですから40歳を少し過ぎていました。まあ、働き盛りということもあって殆ど家の周辺にかまうことがなく、いわゆる町内活動もごみを出すことから秋祭りやら何から何まで全部妻任せでした。おまけに地域にどういうものがあるかも全く分からないことばかりでした。ん?議員をしていたのだからあちこち歩いて分かってるだろうと疑問に思われるかも知れません。どぶ板議員てそういうことを知ってのるのじゃないかと言われれば、グウの音も出ません。しかし、なかなかそうもいかないのです。言い訳はやめておきます。ともあれこのところ、町内会長をやり始めてからは新しいことの発見が多いのです▼先日、姫路市内北部にある随願寺に行くことになりました。ここは天台宗の名古刹というのですが、全く私は知りませんでした。地元・新在家にある薬師堂というお堂にお祭りしてある石仏を管理して(この云い方が正しいかどうかよくわかりません)いただいてるお寺なのです。毎年春のお花まつりというお釈迦様のご生誕を祝う記念の行事にそこのご住職が来ていただくわけですが、今年はお礼をかねてご訪問しようと思い立ち数人の町内会関係者と行きました。かなり急な山道を、といってもしっかり舗装されたドライブウエーですが、登ったところにあります。こんもりと生い茂った森に囲まれた、いかにも絵本にも出てきそうな素晴らしいロケーションに恵まれています。文字通り知る人ぞ知るいいお寺でした。ここから2キロほど尾根伝いに山道を歩くと、広峰神社に行きつくわけです。広峰神社も昨年の官兵衛ブームで少しは知られましたが、あまり参拝者が多いという話は聞きません。結局は姫路は書写山円教寺にお城以外の訪問客は限定されているようです▼さらにこの前の週に、昔の友人たちと姫路の最北部にある安富町に行きました。ここには日本唯一の坑道ラドン浴「富栖の里」がありますし、さらにその奥には「鹿ヶ壺」という自然美溢れるスポットがあるのです。いずれも数回は訪れているのですが、改めて行きますとあれこれの新たな発見がありました。「富栖の里」は大変珍しい体験ができます。少量の放射能が人間の体にとって大変な効能を果たす、という体験を実際に経験した方からお聞かせいただき大いに参考になりました。また、「鹿ヶ壺」は究極の癒しの場です。最近テレビで放映されたそうですからご存知の方もいようかと思います。要するに人間と殆ど見まがうばかりに精巧にできた人形というか案山子とでもいうべきものがいたるところにおいてあり、つい話しかけてしまうほどの出来具合なのです。ここも御多分にもれず人口減少に悩まされている地なのですが、観光客を呼び集めるのに驚くべき知恵を編み出されたのです▼このように、姫路市内も見渡すと私たちが良く知らない場所がまだまだありそうです。毎朝走るようになって10年近くが経ちますが、ちょっと脇道にそれますと、知らないところばかりです。お城の堀にしたところで外堀の魅力を私が知ったのはつい先年のことです。大袈裟でなく、天下国家を論じ世界の平和を希求する論陣を少なからず張った私ですが、足元を知らなかったことに今更ながら赤面を感じる次第です。「地方消滅」の危険が「東京一極集中」と並んで叫ばれ、少子高齢化が招く未来社会が危惧される昨今ですが、叫んでいる人たち自身が自分の足元の魅力を意外に知らないのではないかと思ったりもします。(2015・5・10)

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憲法記念日に、安保法制討論を聞いて感じたこと

68回目の憲法記念日は、NHKの各党代表による「安全保障法制」をめぐる「政治討論会」を観て聞いて考えました。10党の代表による討論ではいつもの倍の二時間とはいえ、一人の発言時間は平均10分足らずです。これではやはり大したことは言えません。聞いていても食いたらなさが目立ちました。というよりも自公政権の側の巧みさ、したたかさが圧倒していたように思えます。与党の二人のうち、高村さんとは約20年前の私の初当選いらいあれこれと一緒させていただいた仲です。北側氏とは一緒に出馬し、向こうは当選こちらは落選したという関係です。また、司会の島田さんとも以前から交友関係があります。手綱さばきの見事さは定評のあるところですが、この日もなかなか鮮やかでした。野党側は民主・長妻、維新・江田、共産・志位と各党が誇る論客揃いでしたが、如何せんバラバラでは与党の壁を壊すには到底至らなかったといえましょう▼公明党は憲法については三原理(国民主権、基本的人権、恒久平和主義)を堅持する姿勢に変わりはなく、環境権など新しい権利については加憲の方向をとるというものです。この点9条を含め改憲を党是にうたう自民党とは大きくスタンスが違います。安全保障法制についても昨年の閣議決定から今日の他国軍への後方支援や国際平和支援法をめぐって二党間で大論争があったことは天下周知の事実です。それをテレビを観る国民の皆さんにはっきりとわからせることが大事だと私は思います。それをやると与党内の亀裂をあぶり出すことになるからと避けるというのでは、結果として公明党の本心を間違って伝えられることになることを懸念します▼3日の放映中、たった一瞬でしたが緊張が走ったと私には思えた場面がありました。司会の島田解説委員が「自公の違いがあるのだけどー」「それは最終的な法案を見なければわからない」と云った時です。こうしたテレビでの討論を与野党の対決の場とするなら、野党の大同団結が必要です。そもそも与党の二党はこの問題にかけてきた時間が圧倒的に多く野党の比ではないのです。それを補うにはそれぞれが自己主張ばかりしないで、自公の食い違いに絞って論戦を挑むべきだと思います。公明党は今回の新しい安保法制作りで「隙間ない体制整備」をしたが、新3要件で明確な歯止めをかけたし、新たに海外派遣をするにあたっては国会の例外なき事前承認を要件とした、としています。ことここに至るまでには自民党に反論や異論があったはずですから、それを明らかにすることが国民にとってもわかりやすいことにつながると思います▼NHKの特徴は悪平等というところです。300議席なんなんとする自民党とわずか数人しかいない政党と一緒にするというのはやはり無理があります。ここは、自民党対公明党の代表による二党討論とか、自民対民主、あるいは自民対維新という組み合わせがあってしかるべきでしょう。それを経たうえで「自民・公明対民主・維新」という対決でも面白いと思います。いずれにしても短い時間で云いっぱなし、聞きっぱなしでは視聴者はストレスがたまる一方です▼私は、昨年の閣議決定に至るまでの自公両党の協議も、今回の法制化についても、まとまったものだけを公表して事足れりとしないでほしいと思うのです。私が現役のころ、ノーとされていたことが、今日限定付きや歯止め付きにしても、なぜイエスとなったかについてを詳しく知りたいのです。そのためには、国民の前に全部さらけ出すことが必要です。そのことによってより一層国民の間に理解を深めることになるはずと確信するからです。(2015・5・4)

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自分でわが身に課した支援の手法を楽しむ

統一地方選挙の後半戦から。太子町議選の選挙告示日に旧知の仕出し料理屋の大将と懇談しました。曰く。「あんたは落ちた時に礼に来た。当選したらあとは知らない顔を決める人間が多いのに。そこが気に入った(初出馬で落選した26年ほど前の私のことを未だに言われるのはこそばゆい限り)」「選挙になって慌ててお願いしますを連呼するのではなく、日ごろの行動の総決算が問われるのだからじっくり構えているべし(だからといってそうしているとまず落ちますね)」「選挙民は愚にして賢。小さい選挙ほどよく候補者の姿が見える(大きい選挙の候補者も安心しているととんでもないことになりますよ)」などなど。すぐに首肯できるものから、出来かねるものまで色々と貴重な意見をくれ、参考になりました▼国政レベルの選挙、とりわけ衆議院小選挙区比例代表並立制の弊害についてはかなり厳しい意見を提起していました。要するに小選挙区で落選しながら比例区での敗者復活は納得がいかない、と言う点です。私のように比例区のみの単独候補者でありながら落選してのち、他党の候補者数欠落のためにお鉢が回ってきて当選するなどという離れ業(?)の持ち主としては、いかんとも言い難いところがありますが、要するに選挙制度の欠陥ここに極まれりというほかない事態を指摘されるのです。議員をやめて二年。現場の意見の大切さが改めて身に沁みました。こうした地方選挙の応援は実に楽しいものがあります。あの人、このひと。日頃のご無沙汰を詫びて旧交を温める絶好の機会です。今回もいろんな場面がありました。姫路で司法書士事務所を経営し、太子町に住むS先生ともそれこそ長い長い付き合いです。今回電話すると、うちの事務所には新たな票が2票あるよ、と。聞くと、新しいメンバーと交代された様子。そのうち一人は私の大学の後輩。もう一人は後輩市議の同窓生。一気に深まる人間関係は面白いほどでありました▼新しいもの好きの私はなんでも自分でゲーム化したり、オンリーワンの手法(少なくともそう思える)を編み出すことが得意です。今回は姫路の8人の公明党市議と6人の明石市議と太子町の2人の町議にまったく新たな友人を紹介(それぞれの候補者の住むエリアの友人を充てることがミソです)することを目標と決めて自分に課しました。これって結構難しいのですが、自分としては4年前と同じ手法ではないことで、大いに気分が乗るのです。しかも一人ひとりに候補者自ら電話で依頼をさせました。楽しい選挙戦になりました▼今回の選挙戦のさなかに旧知の運勢判断(字画でやるのではなく、生年月日で行います)をされる方とお会いする機会がありました。談偶々、注目の首長選挙の勝敗のことに及び、やはり今年の運勢が強い方が勝つに違いないということになりました。ひと場の座興にしてはなかなか深刻なテーマです。急きょある市の候補者2人の生年月日を入手し、その運勢を占ってもらったのです。その結果は片方が見事なまでについているというもの。片や今年は新しいことに挑戦せずじっとしているべし、と。結果は?これ以上は、誤解されるといけないので、やめときましょう(笑)。▼ともあれ精一杯楽しみながら、愉快でわくわくするような選挙戦を終えることができました。私の所属する兵庫県公明党は全員当選です。後輩たちが初心に帰って地域住民の皆さんのためにいい仕事をしてくれることを心から望んでいます。(2015・4・27)

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負けて泣くより勝って泣けを胸に

昨日は姫路市内のある市議選候補者の事務所開きに参加し、応援演説をさせていただきました。朝から雨がかなり降っており、三々五々と集まっていただく支持者、支援者にはまことに申しわけなく思えました。尤も近畿全般に天気予報では「雨」と出ていましたから、どの陣営も同じ、恨みっこなしです。少し早めに着いたので、すぐ近くにある偶々先週末に亡くなられた先輩の家に弔問に出向きました。その方は昭和15年生まれ。私が初めて衆議院選挙に臨んだころは40歳台後半で元気いっぱいの猛者ともいえる支援者の幹部の方でした。残念ながら10数年前からは肺浸潤を患われ呼吸困難になられることもしばしば。数年前には余病も併発され、入退院を繰り返しておられました。私の選挙ではある意味、”守り神的役割”を果たしていただいただけに大きな感慨を抱きつつ御遺族にお悔みと励ましをさせていただいてお家を辞しました。このようにお世話になったひとの訃報に接することが増えてくるのは仕方がないこととはいえ、無念ではあります▼そういう思いとは裏腹に事務所開きは雨を吹き飛ばす勢いで幕を開けました。なんといっても凄かったのはずらり顔を揃えた自治会長たちの姿です。候補者がこの地で5期20年の間、市議をやってることもあって信頼の度合いが違っているとの実感を持ちました。加えて本人も実に豊富な実績を持っていました。生ごみの収集日を拡大したり、救急医療センターの設置はじめ医療問題への懸命の取り組みや投票お知らせ券への期日前投票宣誓書の印刷など事細かなものがいっぱいありました。それを整理して語る本人の姿はなかなか頼もしく思われました。実際、私の現役時代に彼は厚生労働省や学者に会うために上京を繰り返して来ていたものです。このあたりを含めいかに彼が真剣に地域発展、活性化に貢献してきていることを力説、これからも一層期待できる逸材であることを強調しておきました▼今回の地方統一選挙の最大の課題、焦点は、なんといっても地方消滅を促進するような”一極集中”を避けて、地方都市を蘇生させる方途を見出すことにあります。姫路も「播磨圏連携中枢都市」などといった美名に惑わされずに、「ふるさと回帰」とでもいうような活性化を周辺地域にもたらせる必要があります。そのあたりを強く主張しておきました。後半戦は、兵庫県では姫路市のほかに、明石市、芦屋市と首長選挙があり、それぞれ熾烈な戦いが始まっています。明石市に顧問先の企業を持つ私としては、姫路だけではなく明石市長選挙に強い関心があります。明石はかっての賑わいがすっかり姿を潜め、メインストリートにさえシャッターが降りている店があります。そういう店のシャッターの上に現職市長のポスターが所狭しと貼り付けてあるのは悪い冗談というか、政治センスを疑うばかりです▼先日、明石青年商工会議所主催の討論会に3候補が激突するというので出かけました。しかし、今述べたような明石を活性化するためにどうするのかという討論はあまり聞かれず、きれいごとの羅列に聞こえたのは残念でした。現市長は4年前に数十票差で井戸知事の元秘書室長を破って勝った元民主党代議士です。しかし、この4年というもの、このひとに殆ど見るべき実績はなく、むしろスキャンダルめいたことばかり。兵庫県政とは勿論、自公政権中央ともパイプはありません。そんな市長に何ができるのかとの思いは募る一方です。”負けて泣くより泣いて勝て”との言葉通り、支持する候補者の健闘を祈るばかりです。(2015・4・20)

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兵庫県議選の結果から見えてくるもの

統一地方選挙の前半戦が終わりました。私が住み、これまで深く関わってきた兵庫県の議会議員選挙に絞ってささやかな分析めいた感想を記しておきます。自民、民主が議席を減らし、維新がその分伸ばし、公明、共産は現状維持というのが大まかな獲得議席の結果です。なかなか味のある結果であると言えます。兵庫県議会は野々村某氏をはじめとする政務活動費問題で日本中の笑いものになり、人心を寒からしめました。あんな人物が県民の代表であったことに心底から恥ずかしく、悲しい思いを抱いたひとが数多くいたと思います。選挙期間中、私も個人演説会で今回の争点がこの問題の処理にあり、忘れ去られてはならないと強調しました。断じて疑惑の議員を通してはならないとの訴えに圧倒的な賛同の拍手を頂いたものです▼その結果、二人のベテランの関係議員が落選しました。とりわけ姫路の現職はテレビ局の取材に逃げ惑う姿を映されたことが話題になりました。落とすことができてホッとしています。彼は長きにわたって自分の地盤地域のみを大事にし、自民党のことにも殆んど関わらないという典型的な”自分党”所属のひとでした。つくづくとよくもまあ出馬したなあと呆れます。責任を感じて今回は出馬せずにいたら、「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」で晩節をここまで汚さずに済んだのに、と思ってあげるしだいです。典型的な古いタイプの地方議員の退場です▼姫路の場合、維新の会の若手議員がこれに取って代わりました。まだ30歳。地元の白陵高から名古屋大、東大大学院というエリートコースを歩んだ人物ですが、これからが注目されます。「維新」は大阪の女性衆議院議員の不祥事に見るように未だ未知数というか、玉石混交の不確かな政党です。学歴がいかに良くとも、この党には志が低いひとが多すぎるように見えてなりません。兵庫県議会でも9議席を得てこれからの議会運営に期待したいと思いますが、果たしてどうでしょうか。結局は期待外れに終わりそうな予感がします▼兵庫県議会は長年自民、民主、公明が与党を形成してきました。真の知事に対する野党が存在しなかったことが県政の弛緩を生み出してきたともいえます。「維新」に期待するのは、知事に対抗する勢力になりうるかどうかということでしょう。神戸志民党なるものを形成した樫野氏は二回にわたって神戸市長に挑戦しましたが落選。今回初めて県議選に挑み当選しました。しかし、ひとりだけです。神戸市議会も大勢擁立しながらひとり。これでは”一将功なって万骨枯る”の見本のようなものです。彼が志を全うするのか、それとも結局は就職先に県議を選んだのかは、早晩分かることです▼それにしても投票率の低さは嘆かわしい限りです。3人に2人は投票所にいっていないのです。そんな中で当選できたことを「万歳」などと叫んでいたら、喜劇を通り越して悲劇の幕開だと思います。姫路でも当選した自民党および自民党系無所属の4人は揃いもそろって二世、三世の世襲議員です。私はそれぞれの父親、祖父をよく知っていますが、彼らに罪はないものの、保守系政治家の供給源の浅薄さを嘆かざるを得ません。公明党は”出たい人より出したいひと”という言葉を大事にして様々な分野から人材を発掘してきています。それぞれ天職と思い励んできた道を途中で断念して政治家に進んだ人ばかりです。そういう人物であるがゆえの素人っぽさを大事にして庶民に寄り添う政治を貫いていってほしいものと思います(2015・4・13)

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小学校の入学式で日本の教育のこれからを考える

春は入学式の季節。各地で行われていますが、私は生まれた地・姫路に東京から戻ってきて27年。この間に都合4回住居を引っ越しました。今はそれこそ誕生した地のすぐそば、入学した小学校と同じ町内に住んでいます。たまたまこの4月から自治会長を引き受ける羽目になり、その最初の仕事として母校の入学式に参列しました。たまたま校長先生も新任で変わったばっかり。新入生の子どもたちが「ドキドキの一年生」という歌を合唱してくれましたが、校長も自治会長もまさに”ドキドキの一年生”ということで、大いに笑いあいました▼年々歳々新入生の数は減ってくるというのはやはり気がかりです。それでも今年は70人ほど。クラスにして3クラスに分けられていました。併せて「のびのび学級」と、「すくすく学級」というのが併設されていました。校長に聞きますと、身体的に虚弱な子どもさんと精神的発育に少し遅れがある子どもさんのためのクラスで、それぞれ1~2人いるとのこと。式が行われている間に見渡すと、車いすの子どもさんがひとりいました。式典の進行中に、司会の先生が「はい、みんな立ちましょう」といわれるたびに、立てないその子の心情をおもいやると胸締めつけられる思いに駆られました▼私は、今から60数年前にこの小学校に入学しました。戦争が終わって7年ほどたった頃です。文字通り戦後の焼け野が原からようやく立ち直りかけたころでした。米国による占領期間がちょうど私の幼年期に重なりました。学校に入った時が日本の独立した頃と同じなわけで、今更ながらに親の心が思いやられます。孫がもうすぐ幼稚園の入園式ですから完全に人間のひとサイクルが終わったといえ、実に感慨深いものがあります。「幼保一元化」や「小中一貫教育」といったことが叫ばれている今日、心底から子どもたちのために日本の教育の再建がなされねばならないと思う次第です▼選挙戦も終盤を迎えています。私の住む地域の県議会議員候補は、小学校の美術の先生を27年間やってきて、市議会に推薦され8年間議員をやってきました。今回は前任者が不慮の病気で、急きょ県議会に挑戦することになったひとです。文字通り政治家になろうと思ってきたひとではなく、教育者を目指して一心不乱にやっていたのに、「出たい人より出したいひと」というわけで、8年前に出馬することになりました。昨今、政治家を就職先として目指す人が増えてきていますが、果たしてそういう人の志はしっかりしているのかどうか、心もとない思いがします▼国家の礎は教育からといいます。敗戦後70年、独立を日本が果たしてから63年。自分が受けてきた教育には誇りと自負心があるものの、わが子を育ててきた教育環境というといささか自信が揺らいできますし、孫の世代がこれから受ける教育ということに思いを馳せると、急に不安が募ってくるのはどうしてでしょうか。教育者の道を捨てて政治家になった後輩の県議会議員候補が懸命に「ご支援を宜しくお願いします」と言ってる姿をみるにつけ、「よろしくお願いしたいのはこちらの方もだよ」と思います。つまり、日本の教育、兵庫、姫路の教育をしっかりと立て直してね、と。(2015・4・9)

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二世、三世や偽物議員候補に断じて敗けるな

地方統一選挙が告示されました。都道府県議会、政令指定都市議会などの選挙が19日の投票日目指していよいよ動き出したわけです。よく選挙期間中の戦いを「舌戦」といいますが、私はあまり好きではありません。いかにも舌先だけでいいくるめる戦いのように思われるからです。候補者の人間性、政策立案能力、公約実行力などすべてが問われる大事な闘いの期間がこの10日間です。支援する側は候補者の売りどころをしっかり踏まえて友人知人に訴えて行きたいものです▼兵庫県議会ほど今回の選挙でその存在意義が問われるところはないと思われます。3年間に345回もの豊岡方面への出張をしたなどといって虚偽の報告をして、政務活動費を不正に使った議員が存在したのです。その事件から始まって30人を超える議員たちの好ましからざる使い方が明らかになり、総計2500万円もの政務活動費が県に返還されました。あきれ果てた正に天をも恐れぬ不正行為の修羅場になっていたのが兵庫県議会です。私が住む姫路市選出の議員の中にも二人ほど多額の不明朗な使い方をしたものがいて、そのうちのひとりはテレビ局の取材に逃げ惑う姿が映し出されて、一般有権者の不興を買いました▼私も50年もの長き時間、選挙に携わってきましたが、今回ほど有権者を馬鹿にした議員が出た後の選挙というのは珍しいと思います。ところが、では新たな人材、新風を期待できる候補者が名乗りを上げたかというと、相も変らぬ二世、三世議員が跋扈している状態です。そのうえ、衆議院選挙に出て落ちたり、首長選挙に落選したものが回ってきたりと、要するに政治家としての志を疑うような、単なる就職先としての県議会や市議会と考えているとしか思えない輩が多いことはまことにゆゆしき事態だといえましょう▼告示の日、私は公明党県本部顧問として「あまの文夫」候補の事務所開きに、応援弁士として10分ほど話させていただきました。彼はフレッシュな庶民の代表に相応しい政治家です。腐りきった兵庫県議会を正す役目こそ新人のあまの候補の使命だと強調したのです。➀大誠実のひと(この人ほどその言葉が相応しい人はいません)。➁教育の専門家(27年間の小学校教員経験)。➂大きな絵の描けるひと(美術教師らしい、構想力の卓抜さを持つ)という3つの特質を訴えていこうと呼びかけました。前任の大野ゆきおさんは一昨年末に気の毒にも脳出血で半身不随になってしまいました。必死のリハビリで順調に回復していますが、道半ばで倒れた彼のためにも後継のあまの候補を通したい、いい加減な二世、三世の議員や偽(にせ)議員に敗けるようなことが会っては断じてならないと力説しました。(2015・4・3)

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野球とサッカーとを対比した政治改革の時代、今いずこ

4年に一度の統一地方選挙の告示を前に、春の選抜高校野球に続いて、プロ野球も開幕しました。いよいよ本格的な春の到来です。そんな春本番を前にしたある日、阪神から、南海、広島などの球団を経て活躍した元プロ野球選手の江夏豊さんが姫路にやってきました。場所は市内北部の大寿台にある善教寺という浄土真宗本願寺派のお寺。元フジテレビのアナウンサーで今はそのお寺の住職をやっている松倉悦郎氏(僧名 結城思聞)が企画した講演会です。題して「江夏の21球」。友人を誘って行ってきました。語りつくされている話ではあるものの、実物見たさ、聴きたさには勝てません。とはいうものの時期からいっても、場所からしてもいささかの抵抗感はありました。しかし、野球好きを連れ出すには絶好の機会です。楽しいひと時と語らいの場へのプレリュードになりました▼高校野球については、去年の夏に甲子園球場に足を運んだことがあります。球場近くに住む友人を誘って猛烈な暑さのなか観戦に汗を流したものです。炎天下ビール片手の野球観戦はせいぜい一試合を見るのがやっとですが、昔は一日中見ました。小学校時代に父が入場券(全日程分が一枚のシートになった豪華版)を取引先から貰ってきてくれたので大手を振っていきました。準々決勝戦など4試合がありますが、かちわりの氷水をチューチュー吸いながら、スコアブックをつけつつ、ひなが一日観戦に興じたものです。プロとアマチュアと。それぞれの持ち味を存分に発揮するのが野球というものでしょうか▼私が政治家になったばかりの頃はサッカーJリーグの誕生で世間はもちきりでした。当時は政治改革論議が花盛りで、新党ブームが勢いを増していました。古い自民党中心の政治に替えて新しい政権の受け皿作りが大きなテーマになっていたのです。そんな折、私は野球は「55年体制」を象徴するスポーツだが、サッカーは新しい時代の幕開けに相応しいものだと主張したのです。つまり、攻守がさいぜんと分けられて進む野球に比べて、サッカーは瞬時に攻守が入れ替わります。また、監督のサインを常に気にしてお伺いをたてるかのごとき野球に比べて、サッカーはプレイヤーが自分でとっさに判断を下さねばなりません。そのあたりが、派閥の領袖に支配された古い政治と、個人プレーが我がもの顔になった新しい政治とに対比されて面白いと思えたのです▼あれから20年余りの歳月が経ちました。自民党の単独政治が終わりをつげ、連立政権が常態となる事態が続いています。一時は二大政党が適宜交代をするやに見える状況もありました。しかし、このところ自民党が圧倒的な議席を得て、元の木阿弥になったかのような感じがしないでもありません。つまり一強の横暴を許しかねない事態の再来です。過去と違うのは公明党の存在が政権にしっかり根付いていることです。断じて自民党政治をチェックする役割を公明党が果たすよう監視を続けねばなりません。「江夏の21球」に見る駆け引きを聴きながら、改めて野球やサッカーというものと政治との対比に身を焦がしていたころを懐かしく思い返していました。そして地方から新たな政治の風を起こす役割を、公明党が原点に立ち返って果たす必要性を痛感しています。(2015・3・29)

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世界文化遺産・白鷺城修復完成の式典で考えたこと

日本で最初の世界文化遺産指定の栄誉を受けたのが国宝・姫路城。5年間に及ぶ大天守閣の保存修理工事がようやく終わり、27日からいよいよ一般に公開されることになりました。その前日に三の丸広場で記念式典が行われたのですが、なんといっても圧巻は航空自衛隊のブルーインパルスの祝賀飛行でした。実は前日の25日の10時過ぎ、予行演習に飛来してきており、私は自宅ベランダから合計約一時間ほどの時間、迫力満点の飛行ぶりを楽しんでいました。当日はわずか10分だけ。いささか物足りなかったのは否めませんでしたが、やはり本番の迫力にはそれなりに凄いものがありました。二日間にわたる航空ショーを見させていただき大いなる感動を抱いたしだいです▼この日おもしろかったのは、航空ショーの合間にカラスが5羽ほど飛んできて空中を舞ったこと。あたかもブルーインパルスの向こうを張るかのように。すかさず冒頭の挨拶に立った主催者の石見利勝市長が、「姫路のブラックインパルスが登場しました」と述べたのには心和むものがありました。どこまでも澄み切った青い空に冴えわたる純白の姫路城。別名・白鷺城と呼ばれるほどの白さを誇る城が修理を終えて一段と白さが増したことは感動の極みでした。ブルーインパルスの吐き出す白い排煙が、五線譜や花びらやハートじるしを大空に描き切る様子は見ごたえ十分でした▼姫路城は築城いらい一度も戦火を交えたことがありません。400年余りの間、戦いを経験したことがないのです。昭和20年の7月に米軍のB29による大空襲を姫路市は受けましたが、その時もお城は直撃は免れたのです。奇跡的ともいえることでした。それゆえこのお城は平和の象徴だともいわれるのです。この日の式典で、井戸敏三兵庫県知事やローデリック・ウォルス在大阪・神戸オランダ総領事がその辺りのことを強調していました。あまり全国的には知られていないのですが、姫路には先の大戦で無差別爆撃を受けて亡くなった人たちの御霊を祀る慰霊塔があります。毎年8月に全国の戦没者たちの遺族関係者が集まって行われる慰霊祭がありますが、大事な催しだと思います。不戦の象徴・姫路城のある姫路市こそ、戦没者の慰霊を祀るに相応しい街ではないでしょうか▼かつて衆議院予算委員会で,私はこのことに触れて、その存在はもっと注目されるべきだし、首相や政府を代表する人間こそ式典に参加すべきだと訴えました。その結果、時の官房長官であった福田康夫氏(のちの首相)が私の主催する会合に参加してくれる機会を利用して、つかの間でしたが立ち寄ってくれました。この姫路の戦没者慰霊塔を、無宗教の慰霊施設として靖国神社の代替施設としてはどうかとの考えが私にはあったのです。それを検討してほしいと福田氏に要請したのですが、彼は結果として、位置的に中央から離れすぎているとして賛同してはくれませんでした。ともあれ式典での挨拶を聴きながら様々な過去の出来事を思い起こしたものです。(2015・3・26)

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沼島に行き、太古の昔に思いを馳せる

淡路島の南に寄りそうように位置する島・沼島(ぬしま)。この島には国生み伝説があり、知る人ぞ知る有名な島ですが、兵庫県に生まれ育ちながらも今まで行く機会はありませんでした。このたび私が取り組む瀬戸内海観光振興の一環として、南あわじ市を視察する機会があったので、ついでに足を伸ばしました。南あわじ市の道の駅あわじ・松帆アンカレイジパークから30分ほどで土生(はぶ)港に。そこから船で10分乗ると、沼島の玄関口の港に到着します。島内を一周しても約4時間、周遊道路は8キロといいます。それでもかつては人口が3500人もいたといわれますが、現在は500人足らず。まことにかわいい島です▼まずは、この島の別名・おのころ島発祥の神社・おのころ神社に向かいました。ここには国生み神話で有名ないざなぎ・いざなみの二神が祀られているということになっています。100段ほどの階段を登ると目的の場所に着きますが、その周辺はあまりきちっとは整備されておらず、これでは観光客も足を運ばないだろうという感がしました。かろうじて二神の銅像が目を引きますが、もっと手を入れる必要があろうかと思われます。むしろ、私が強く関心を持ったのは、そこから島を横切って30分ほど東南部へ歩いたところの海岸にある上立神岩です。高さが30mほどもあり、国生み神話にある天の沼矛のモデルとも,天の御柱のモデルともいわれています。やりの穂先のような形状はなかなかのもので、竜宮の表門だとも称されています。北海道の積丹半島の先端部で見る奇岩とよく似た面影だといえましょうか。また、少し離れたところにある岩はあたかもエジプトのスフィンクスが波打ち際に座っているかのような印象を受けました。ともあれ二つとも一見の価値ある豪快な岩です▼この上立神岩に行く途上に沼島小学校があります。たまたまそこを通りかかったら、かわいい女の子が二人一緒に門を出てきました。話しかけると小学校一年生とのこと。全校生徒が10数人で、うち一年生が3人といいます。大変な過疎の中の学校ですが、この一年生はなかなかしっかりした見事な受け応えで、頼もしい限りでした。この娘たちがどう育っていくのか、強い関心と興味を持って見守りたいとの気持ちにさせられました▼この島には、ほかにも下立神岩、平バエ(竜宮の屋根に例えられる神聖な岩)や穴口(古事記にある黄泉への入口のモデルともいわれる)、鞘型褶曲(一億年前の地球のしわとされる)など様々な伝説を持つ奇岩が多いのです。兵庫県北部の但馬地域のジオパークでもめったに見られない奇岩が多くありますが、この沼島でも島の沿岸地域にこうしたものが多くあるということは実に貴重です。島周辺の海域では様々な魚が獲れるとあって、釣り客の人気もただならざるものがあります。もっとよく知ってこの地を大いに宣揚したいものだと心から思ったしだいです。(2015・3・20)

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