「大阪都構想」を巡って、公明党と大阪維新の会(以下、「維新」と略す)がこのほど合意をしたというニュースを聞いて、遺憾に思う人は多いようです。これまでの経緯を振り返れば無理ないことと思います。あれだけ公明党は反対し、維新とはぶつかってきたのですから。ですが、ここは冷静になって、ことの本質に思いを巡らす必要があるのかもしれません。一言で云うと、政治とは合意形成への道筋に尽きるということでしょう。ただ、それはそうだとしても、タイミングというものがあります。この両党間の合意に反対する人は、ついこの間まで公明党は都構想に反対し、「維新」をなじっていたのに、なぜ今手のひらを返すように、態度を変えるのか。維新から例によって大阪での衆議院小選挙区での「非協力→激突」をほのめかせられて動揺したのか、との疑念を持たれるのも無理ないことです▼確かに、これまで公明党は「維新」の掲げる大阪都構想には反対でした。対立のポイントは、「維新」案がひとたび大阪市を解体して五つの特別区にし、大阪府のもとに東京23区のように所属させようとするものなのに対して、公明党案は、大阪市を生かしたまま総合区を作ろうという考え方でした。煎じ詰めれば「大阪市解体の是非」が焦点でした。自らの意思をごり押しする「維新」は、政治の私物化に繋がるものだと私も批判しました(「浪速の〝ロシア風〟とりかえばや首長選」3-16)。住民投票と首長選挙の結果は違うんだとも強調しました。それを首長選挙で敗退したからといって、妥協するのはいささか早計に過ぎるではないかとの懸念です▼ただ、首長選挙に示された民意をどう見るかは、そう単純ではないとも言えます。賛否が拮抗しているとは言え、結果を全く無視して今まで通りの主張にこだわるのか。それとも賛成が上回った事実をどう勘案するか。無視して、従来通りの姿勢を貫くと、一貫性という面でつじつまは合いますが、もう一度住民に意見を聞く際に示される選択肢に、膨らみがなくなり、不毛の選択が続くだけになってしまいます。そういう意味で、歩み寄る態度を公明党が示したということは、民意をどう現実に反映させるか、という政治の柔軟性の発露の顕在化を意味します。合意形成で失うものと得るものの両者を天秤にかけたうえでの重要な判断だったと言えましょう▼今回の両党の合意では、公明党は、賛成するとの基本姿勢を定めた上、❶市民サービスを低下させない❷特別区の設置コストを最小限に抑える❸現行24行政区の窓口の機能を維持する❹全特別区に児童相談所を設置するーといった要請を踏まえての制度案(協定書)の作成を提案しています。つまり、合意形成に向かっての努力をこの4条件の実現に凝縮させようというわけです。このように言ったところで、所詮は、総選挙での「維新」の恐喝に屈したのだろうとの見方は根強いものがあります。それは勿論否定出来ません。選挙という現代の〝国取り物語〟で多少とも自らに有利になるように動くことは当然だからです。総選挙をまじかに控えたタイミングだからこそのディール(駆け引き)的側面はあり、双方のプラスマイナス両面の結果としての選択だったとは言えましょう▼さらにここで見逃し得ないことは、日本におけるもう一つの保守勢力の台頭を国民が望んでるのではないかとの視点です。つまり、現在のような自民一強ではなく、また立憲民主のような旧革新的な勢力を伸ばして先祖返りするのでもない。さりとて中道の公明党でもないという選択。それこそ、大阪における「維新」の持つ根強い人気をどう考えるかとの見方と関係があります。これを大阪の特別な事情と見るか、それともこれからの日本政治の方向性を先取りしていると見るか。この辺りは極めて重要な判断を要します。今後10年、20年先の日本を考える時に、日本の政治の安定的発展のために何が課題かを考え、複合的判断を下すのも大切です。その際に、政党間における友党関係は一つに限らない、二つあってもいいというのが私の大胆な見立てです。公明党はこれまで臨機応変に合意形成に知恵の限りを尽くしてきました。それこそ変幻自在の対応をする存在としていきてきましたが、これが中道主義の真骨頂なのかもしれないのです。(2019-6-2)
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四国・剣山次郎笈に熊の痕跡を求めて
どこまでも果てしなく澄み渡った青空のもと、5月26日の早朝に四国の徳島県と高知県の県境にそびえる剣山次郎笈中腹に登ってきました。これは一般財団法人・日本熊森協会の主催で、「剣山のクマ生息地を見に行こう! 四国クマ生息地ツアー」と銘打たれたもので、同法人の森山まり子名誉会長、室谷悠子会長を先頭に、30人を超える人たちと一緒でした。集結場所の四季美谷温泉からさらに車で登ることニ時間あまり。剣山スーパー林道を走って「奥槍戸 山の家」に到着したのはお昼前。標高1500mほどの場所から、壮大な眺めを眼にしながら、藤田恵元木頭村村長(現・熊森協会顧問)の鬼気迫る〝今昔話〟を聞きました。「拡大造林」こそ諸悪の元凶であると強調されたことがとても印象に残っています▼藤田元村長の話を改めて聞くまでもなく、戦後の日本はこの拡大造林政策によって、広葉樹林が皆伐されてしまい、山々の奥地に至るまで林業用のスギやヒノキの単一針葉樹林に変えられてしまったのです。クマたちは、広大な生息地を失いました。クマはこれら人工林の木の皮を剥ぐ害獣として、一頭30万円の懸賞金がかけられるなど、徹底した駆除が行われたのです。その結果、四国のツキノワグマは、四国自然史科学研究センターによると、現在は剣山(1955m)の頂上付近にある、狭いブナ・ミズナラ帯で菜食をして、人間に見つからないように、ひっそりと生息しているのではないかとみられています▼今回行った山地の近くに位置する高知県香美市の石立山南の地域の人工林を熊森協会はトラスト地として所有しています。実はそこを調査した際に、クマの皮剥跡を発見したことから、一度この辺りを徳島県側から皆で見に行こうということになりました。尤も、この日昼過ぎから二時間ほどかけてブナ林を歩きましたが、クマの生息している痕跡は全く見られませんでした。というより急な崖道が殆どで、この場所はクマが生息するには相応しくないという他ありませんでした。私の拙い経験では兵庫と岡山の県境にある若杉原生林の方がクマの生息地と感じさせる多くのものを持っていると言えます。クマの生息地を探すという狙いも、また天然林を見るという意味でもいささか的外れな場所であったという他ありませんでした▼実は、この5-2に毎日新聞の「発言」欄(「放置人工林の天然林化を」)に続いて、この日5-26には、神戸新聞のオピニオンのページ「見る 思う」欄に、拙稿が掲載されました。タイトルは、「豊かな森を取り戻すために」というものです。人工林と天然林を比較して見る機会が私の自然観を根底から変えてしまったとの書き出しで始めました。長く熊森協会や奥山保全トラストの活動に私は取り組んできましたが、政府も政治家も関心を寄せる向きは少なく、残念な状態が続いてきました。森が大事だとは皆口にするのですが、森の荒廃がクマを象徴とする大型野生動物の里山への出現に予兆として現れているということに気づかないのです。公明党の仲間たちからでさえ、「クマやイノシシ、シカなどと人間とどっちが大事なんや」と罵声を浴びせられてきました。今回「森林環境税法」や「国有林改正法案」などの審議で、少し森に関心が高まってきてはいますが、まだまだ緒についたばかりです。ましてやクマと森の関係に気づく政治家は未だ少数です。これから本格的に活動を始めねば、との意を一層強めています。(2019-5-28)
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共同「仕入れ・配送」で買い物弱者を守る営みに誇り
私が顧問をこの15年ほど勤めている一般社団法人「AKR共栄会」の総会が今年も23日午後大阪市内で開かれました。AKRとは「オール小売連合」の略で、弱小小売市場を守るために、京阪神地域を中心に50社ほどが参入している小さな団体です。私が選挙に出た30年ほど前は姫路市内にも公設の小売市場はあちこちにありましたが、今では殆ど見られません。巨大資本によるスーパーの進出で軒並み潰されてきました。これを救いたいとの思いで、共同で仕入れ、配送し、そして共同で保険をかけるという仕組みを作ったのが河田正興さん。ビジネスファームの代表ですが、AKRの専務理事をしています。毎日新聞の記者だった大学同期の成相幸良(元大阪毎日ビル社長)の紹介で、知り合いました。私たちはこの仕事こそ中小零細の市場を助ける一方、買い物弱者を守る大いなる営みだとの誇りを持っています▼今回の総会ではその河田さんが、AKRモデルについて説明を改めてしてくれました。彼は、まず「中小食品スーパーのボランタリーチェーン」と云うのが一般的な規定づけであることに触れました。出発の時点でお金もなく人も小人数しかいなかったので、既存機能を活用し、変動費型運営で、設備投資ゼロというところから出発したと強調。取引信用保険や中小企業倒産防止共済など多様なリスクヘッジ をして、国の助成制度をも活用してきた結果、18期連続で黒字の上、無借金という偉業を成し遂げてきたと誇らしげでした。また、組合員優先を重視してきたAKRだからこそのメリットが多いとして、具体的に❶組合幹部保証負担ゼロ❷共同保証による取引先の信用力❸大手卸との取引交渉力❹組合員負担(賦課金)への倍返し❺共同一括配送による荷扱い手助け負担軽減❻毎日配送による在庫負担の軽減❼組合員の出資金・保証金の最小限化❽組合員への購買割当負担なしーといったものを挙げていました▼このように発足以来18年で、タテ軸は見事に整ったことを強調するとともに、これからの10年に向けて①ボランタリーチェーン化の強化・充実②配送と決済に絞った中小食品スーパーのための地域安定供給システムの構築③消費者の信頼・利便向上策の展開を目標として掲げていました。つまりはヨコ軸の整備です。このあと、全日食の平野実社長が『小商圏時代における全日食の生き残り戦略』と題して講演。これはまた非常に示唆に富む話で、参加者は大いに刺激を受けていました。特に後半は、消費税増税についての対策を述べられ、軽減税率やポイント還元事業の複雑さにどう対応するかの問題を具体例を通して語られました▼この中で、スマホによるキャッシュレス決済の時代がもう目の前に来ていることを改めて私も認識しました。IT化に中途半端な対応で遅れている高齢者層にとっては脅威ではありますが、使いこなせば大いなるチャンスでもあります。定例総会終了後の懇親会ではそのあたりも含め、活発な意見交換が行われました。毎年一回の会ですが、私はこの場で知り合った人間関係を大事にしてきました。この日も新たな出会いとともに、多くの古い友人と関係を深めることができました。加えて、神戸で月一回やっている異業種交流会に誘って、次なる関係の発展に繋げる努力をするつもりです。(2019-5-25)
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あの中西先生と一緒に映画『チャイナ・シンドローム』を観る
「令和」の名付け親・中西進先生と月に一回、映画を観る機会があるってみなさん知ってますか?この試みはすでに100回を超えています。中西先生は、京都市の右京区中央図書館で一般参加者と一緒に映画を観て、終了後にその感想を語ってくれています。10年ほども続いてるのですから驚きです。私が専務理事を務める一般社団法人『瀬戸内海島めぐり協会』の代表が、実は中西進先生なのです。この法人は出来て未だ3年ほど。ということで、時々中西代表に会う必要性があると、京都まで出向いて、映画を観ることにしています▼17日の午後。今回の映画は『チャイナ・シンドローム』。ジェーン・フォンダとジャック・レモン、マイケル・ダグラスらの名優が出ていて、話題をかっさらった原発告発の映画(題名はいささかこじつけ気味ですが)です。もう随分前のもの(1979年)ですが、ある意味で今だからこそのリアルさが強く伝わってきました。最初はいささか退屈気味。「事実は映画より奇なり」ではないか、と高をくくっていました。福島の惨状に比べたらこんな映画なんか、と。しかし、終盤にきたって、原発事故の真相を語ろうとする職員を亡き者にすべく魔の手が忍び寄り、壮絶なカーチェイスが始まります。そしてテレビを通じて実情を発信する段階にまで漕ぎ着けながら、警察の手で結局は葬られてしまう残酷さ。その非情さの中で、辛うじて真実を述べる友情の発露にホッとする場面もあったり、とグイグイ引き摺り込まれていきました▼ともあれ福島第一原発の事故を経験してしまった私たちにとってもまことに切実なテーマであり、迫真性に富む内容でした。映画が終わって、中西進先生は、原発を巡っての立場の違いを超え、純粋に客観的に見られる観客の喜びを感じますね、と笑いを誘ったあと、原発というものの存在の危険性について、私達はあらためて正面から捉えていかねばなりませんと熱っぽく語っていました。時代の名付け親として何かを語られるか、と期待しましたが、それは特にありませんでした。先生はそんな時流めいたものにおもねる人ではないからでしょう▼終了後、若干の懇談の機会を持たせていただきました。私は原発を段階的にゼロにするとの公明党の政策立案に関わった人間です。原発は、喉元過ぎれば熱さ忘れるの喩えどおり、また元に戻る危険性があり、既にその兆候は出ています。これを覆すには「原発無用論」を明確に樹立する必要があります。日本経済にとって、あるいは文明の発展にとって、原発は必要なんだという牢固とした考え方から脱却することが大事です。この一点で、中西先生と私の意見は全く同じであると発見できたことは、この日の大いなる収穫でした。(2019-5-18)
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市政130年を寿ぐ「お城まつり」でのハプニング
姫路市は今年市政130周年を迎えています。この5月10日から12日までの三日間、例年のごとく「お城まつり」が行われていますが、節目とあってひときわ賑わっているようです。思えば、30年前の市政100周年は、平成元年、西暦1989年でした。私は衆院選に出るということで、故郷・姫路に戻って、西播磨一帯の4市6郡21町を走り回っていました。当時の市長は戸谷松司氏。兵庫県の副知事からの転身で、軽妙洒脱な話しぶりが印象的なうえ、なかなか華のあるお方でした▼以来、堀川和洋、石見利勝両市長と続き、今は先日当選したばかりの清元秀泰氏というわけです。平成のちょうど30年をここで過ごしてきた私としては、南北の駅前の整備が進んできていることには素直に評価をしたいと思います。ただ、姫路城に行っても、他に見るべきところも、滞在して楽しむところも殆どない。お城に登っても見えるのは冴えない街並みだけというのでは、二度と再び観光客は来ないと思います。ぜひ、私がずっと訴えてきた「城下町」を作って欲しいものです。▼それを作るにあたって、城周辺の掘削を文科省が許さぬのなら、少し離れたところにでも伊勢おかげ横丁的なものを、京都太秦の映画村と類似でもいいので、作るべきです。駅の東側に県立病院が出来るとのこと。それもいいのですが、わたし的には、イベントが出来、城情緒が味わえる溜まり場としての城下町を出現させたいものと思います。そうしてこそ、お城が生きてくると云うものです。新しい市長にはそのあたりを是非考えて欲しいと思うのですが、さてどうでしょうか▼お城まつりの初日。三の丸広場で恒例の薪能が催されました。市内北部の安富町に住む友人夫婦二組と、家内と私の6人で夕闇迫る会場に足を運びました。このうちの一人はフランス人男性。同町の山裾に居を構え6年ほど、IT関連企業での仕事をされています。その近くに住む私の60年来の友人(長田高から慶大と一緒)と共に、昨年のこの催しに参加されてから、親しくなりました。薪能の醍醐味を味わえたかどうか。演能者から発せられる言葉の難解さは日本人とて同様。日仏の国の枠を超え、わからなさと同時に伝統芸能の持つ奥深さを共有した不思議な時間と空間でした。二つの能の演目に挟まれた狂言は心和むものがあり、ほっとした次第です。ここでハプニングが起こりました。演能者に体調の不調を訴える方が出たと云うアナウンスがあったのです。間髪おかず救急車がサイレンとともに駆けつけ、更に消防車まで。場内騒然とまではいきませんでしたが、不安げな空気が漂いました。10分くらいで応急手当はすみ、病院に搬送されたとのことで、ほっとしました。火入れ式の直前で、ここから佳境に入るという時に〝水をさされた〟のは否めませんでした。初夏とはいえ冷え冷えとする寒さに、私たち6人は後ろ髪を引かれる思いで腰をあげてしまいました。初めてお目見えされる新市長の挨拶も、大会実行委員長の高石佳和さんの声も聞かずに。御免なさい。(2019-5-11)
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平成から令和へ、人との繋がり深く広く
「熊森協会」の年次総会(29日)で開けた今年のーといっても翌年の響きがあるがー私のゴールデンウィーク。2日には、毎日新聞の『発言』欄に「放置人工林の天然林化を」とのタイトルでの私の論考が掲載されました。3日には、現実に放置人工林との長い闘いの末に、自らが保有するそれを「熊森」に提供しようとする、徳島美波町の友人を姫路に迎えました。「熊森」本部の事務局の青年に紹介するためです。その間、近所に住む自治会活動を通じて知り合った青年と、初めて二人だけの懇親会(30日)をやったら、何と私の出た大学の後輩であることが判明。また、選挙期間中に知り合った夢前町に住む壮年と、その仲間3人との懇親会(2日)をやったら、多くの友人との絡みあった関係が明るみに出ました。人と人の繋がりはまことに面白いものです▼毎日新聞紙上での「発言」は、様々な波紋を呼びました。というか、こういう記事は放置していますと、誰も気づかないので、親しい友人にはメールをしました。読んでくれ、って。そのうち、兵庫県の井戸敏三知事は「(兵庫県の)緑税でも奥山林の整備として実のなる木を植えています。主張に全く賛成です。こころいたします」と。彼とは「熊森」を巡って論争の経緯(熊の駆除の是非)があるので、嬉しい反応でした。山口那津男公明党代表は、私の活動に敬意を表してくれたうえで、「広葉樹林化に大賛成です。故郷・日立市の森林再生は50年がかりでした」と述べてくれました。これに対して、私がもっと公明党も関心を持って欲しいと返事しますと、同代表は、私の発言が「刺激になる」し、農地問題とともに森再生が地方議員にとっての課題になると、丁寧に応えてくれました。さらに石破茂元地方創生相は「CLT(大型パネル)の普及促進など『儲かる森林作り』も併せて進めなくてはならないと考えております」と自民党の政策通らしい答えをくれました▼実はこの「発言」欄は、以前は「発言席」という名前でした。著名な知識人や文化人らが数多く登場する由緒あるもので、私は常々注目してきています。と言いますのも、かつて創価学会の池田大作先生が環境権を憲法に盛り込んではどうかと提案されたことがあるからです。実は私が厚生労働副大臣を辞めた直後に、関わった後期高齢者医療保険についての論考を寄稿し、掲載されました。今回久方ぶりに登場させて貰い満足しています。こちらが知らせないのに、読んだよとメールをくれた方たちも少ないながらいます。そんな中で最も嬉しかったのは、朝日新聞の根本清樹論説委員長が「論旨明快、間然するところなしですね」と激励してくれたことです。文章修行を人生の一つの目標にしてきた者にとって、ある意味で同業者の褒め言葉はお世辞半分としても悪い気持ちはしません▼徳島からの友人ー春田裕計さんーと知り合ったのは、地域起こしの対象地域として美波町(旧日和佐町)を、勝瀬元広島県立大客員教授から紹介されたことがきっかけです。放置人工林については、春田さんのご両親がかつて懸命になって植林したものですが、それを息子の世代が持て余し、方向転換に向けて長年苦闘されているのは、悲劇を通り越して喜劇にさえ見えてきます。私は彼を「熊森」の会員にして、未だ支部のない徳島の中心者に仕立てようと密かに意気込んでいます。今月末には熊の生息状況を見るために徳島県北部にそびえる剣山に行く予定ですが、彼との再会も楽しみです。このように、人との繋がりが一段と強化され、その輪が広がる中で、私の10日間のGWも終わろうとしています。 (2019-5-5)
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放置人工林の天然林化に動こうー日本熊森協会総会で強調
毎年恒例の一般財団法人「日本熊森協会」の総会がGWの第一日目の27日に尼崎市のホテルで開かれました。この協会の顧問を務めている私は今年も参加してきました。この協会は今年で発足以来22年目になりますが、会長が森山マリ子さんから、室谷悠子さんに代わって初めての総会です。全国各地から会員が参加され、例年にも増して盛況でした。と言いますのは、長きにわたって人工樹林の天然林化を訴えてきた同協会の念願が、ようやく叶う一歩となる「森林環境税」がこの国会で成立したことに起因します▼式次第の中に、「森林環境税への取り組み」が盛り込まれ、映像を通して国会でのロビー活動を中心に「特別報告」がなされました。この中で、挨拶をということで、私がマイクを握りました。この一年の新会長を中心とする懸命の努力を高く評価する一方で、私はこれまでの国会における政治の取り組みがいかにいい加減であったかを直裁に述べました。一つは、私が衆議院予算委員会分科会、同環境委で、森の荒廃が熊の状況に予兆として現れていることを質問でしてきても、大臣や政府担当部局はきわめて消極的であったこと。第二に、かつて某環境相に直接、熊森協会の青年たちを引き合わせて、森と熊の相関関係を訴えて、善処を要望しても全く取り合ってくれなかったこと。そして第三に、議員連盟を立ち上げ、数年間は活動したものの結局は挫折してしまったこと。以上の三点です▼これは、勿論私の非力の結果でもありますが、かくほどまでに政治家たちの関心が低いことを訴えたかったのです。今回の森林環境税の成立に当たって、人工樹林の天然林化を法律にビルトインすることを強く熊森協会は求めましたが、結局叶わず、付帯決議にとどまりました。一般的にこれは前進と受け止められているのですが、私個人としてはきわめて不本意です。この日も挨拶の中で、付帯決議なるものはこれまであまり実現されたことはない、と正直に述べました。努力目標であって、それ以上ではないとまでは流石に口に出来ませんでしたが。ともあれ、国会議員始め政治家のさらなる力の発揮を求めたいと強調しました▼最後に、近く一般紙に、日本熊森協会の顧問の肩書きで書いた私の文章が掲載されるはず、と述べて、是非とも読んで欲しいと力説しました。そして、この会を日本最大の環境保護団体とするために、さらなる努力をと訴えました。終わって、多くの方から、面白かった、感銘受けたとの反応や、それほどまで付帯決議は効力ないのかとの感想を聞かされました。ともあれ、全てはこれから始まるのだとの合意が大事だと思います。議員を引退して6年。この活動も新段階にはいったことを痛感し、皆で力を合わせようと励ましあったものです。(2019-4-28)
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統一地方選後半戦を終えてー姫路市長、市議選に見る
今回の統一地方選後半戦で、姫路市議選には定数47に対して57人が立候補しました。60人のポスターが貼れる大掲示板や、候補者の政見が読める公報を目にしつつ、考えたことは、一票をどう投じるかの難しさです。私のような人間にとっては、公明党から出ている候補者と、自治会のために日頃から頑張ってくれている候補者のどっちにするかは悩みどころでした。二票制に出来ないものか、ととつくづく思います▼また、掲示板の前で思案投げ首の一般の有権者に聴いてみると、誰を選ぶかは本当に選ぶ基準が分からず困るというのです。そこでいつも考えるのは、現役候補なら、実績一覧、新人候補なら、これまでの経歴を主張、抱負と合わせて見ることができる掲示板の常設です。選挙が終わったら片付けてしまわず、そのまま残しておき、当選者については、その後の活動ぶりを継続して見られるような工夫が出来ないものでしょうか。これは掲示板でなく、サイトでもいいのでしょうが、高年齢者には馴染まないかもしれません。ぜひこの辺りをどうするかは当選者の皆さんにも知恵を求めたいものです▼姫路市長選挙はなかなかの激戦でした。結果は、石見市政を継承するとした清元氏の2万5千票差の圧勝に終わりました。勝敗を分けたのはどちらも新人ながら、副市長としてここ数年関わった飯島氏よりも、全く突然舞い降りてきた清元氏の方が新鮮なイメージがあったのかもしれません。市政の継承をする清元氏か、それとも刷新を狙う飯島氏か、の関係が逆転して見えたのは、内科医あがりと総務省出身という政治とのこれまでの関わりも関係したかもしれないように思われます。加えて、組織戦と個人戦の違いもありました。かたや現職市長と代議士のタッグマッチです。地を這い回るような飯島氏の地道な戦いと、企業、団体ぐるみの清元氏とでは、自ずと差が出たのは無理からぬことと、見られましょう▼この選挙戦を通じて気づくのは、メディアの問題提起の弱さです。今回はどう見ても、「市政継承か、新しい市政か」が唯一最大の争点だったのに、正面切ってそうした切り口を提起し、掘り下げるメディアはありませんでした。それどころか、地元紙に至っては、明らかな勇み足をしでかしました。最終盤で、「名門校対決」などと称して、姫路西対白陵という候補者の出身高校を対比する記事を掲載しました。姫路の学校と高砂の学校を比べるのは、受験戦争の記事でもあるまいし、明らかにミスリードです。しかも西高の出身者が5代にわたって続いたとデカデカと市役所市長室の肖像写真を載せたうえ、後援会副会長のコメントを出しました。一方、白陵の方は名前を伏せたままの声だけです。政財界トップ輩出とはあるものの、西高も同様に輩出しているだけに首を傾げざるをえません。ある友人が怒りの電話をしてきました。こんなアンフェアはない、って。かつて、直木賞作家の車谷長吉さんが「西高にあらずんば人にあらず」という姫路の気風を嫌ったことはよく知られているところですが、思わず彼の言葉を思い出してしまいました。こんないびつな切り口で、市長選挙を追うしかなかったのか。大いなる反省を求めたいものです。(2019-4-22)
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中身ある政策論戦に期待の姫路市長選
先に、明石市長選挙や大阪府知事、市長選についてあれこれと書きましたが、今度は地元姫路市の市長選挙です。11日の夜に姫路市市民会館で7時から「公開討論会」があったので行ってきました。青年商工会議所の主催です。元総務省の防災課長で、前の副市長・飯島よしお氏と、元東北大教授で内科医出身の清元秀康氏の対決です。800人くらい入る会場ですが、結構空席があったので、500人くらいでしょうか。当初、一問一答形式で一方的に司会者と候補者のやりとりに終わるかと懸念していましたが、案に相違して面白い論戦になりました▼これをざっくり総括すると、大相撲でいえば、大関対前頭筆頭の勝負で、下位の力士があれこれと仕掛けたのですが、通じず最後は勇み足で自滅したいうことでしょうか。花にたとえると、華やかな桜と、厳しい寒さに耐えてやっと咲いた地味な梅との対決でしょう。桜は艶やかでしたが、パッと咲いて散ってしまいました。どっちがどっちと、訊かれなくともお分りでしょう。飯島さんは、総務省出身の行政のプロです。役人あがりの生真面目さと硬さは否めません。ただ、やはり地方自治については当然ですが、通暁しています。しかも姫路に帰ってきて8年ほど、副市長をしながら、姫路の全地域を這いずり回ってきた(本人はママチャリで走り続けたと言います)強みがあります▼一方、清元さんは、香川医大を出て内科医をしていたようですが、請われて東北大に移り、中央行政にも関わられたといいます。ポスターでお見受けするところ花も実もあるいい男ぶりです。いかにも優しい上品なお医者さんという雰囲気をたたえています。震災の地・東北で懸命の活動をされてきた強かさを持っておられます。この二人の討論は聞き応えがありました。立ち上がりからの前半戦は、清元氏が個別の質問を飯島氏に投げかけ、対論を有利に運ぶかに見えました。ただ、中盤以降は、やや肩や腕に力が入りすぎ、足元がふらつき、上体は常に揺らいでいました。特に、医科大を姫路に誘致するとか、道の駅を市内に四つ作るとか、財源的裏付けのないことを口にして、飯島さんから嗜められていました▼最後は、自ら喋りすぎたとか、ペットボトルの水を殆ど飲んでしまったと口にする一方、自分が行政の現場が分かっていないことを自ら認めていました。面白くて率直な人と見受けました。双方の意見を聞いて、これはいい試みだと感心しました。司会の方もうまい運び方でした。姫路市青年商工会議所も捨てたもんじゃあない、とも。姫路市の発展のためにはこういう機会はどんどん作るべきでしょう。両者とも見識豊かです。政策にもアイデアの違い、実現に向けて手法の相違は見えても、方向はもちろん「姫路の前進」で一致しています。私は今回の選挙で、兵庫県自民党がどちらかを推薦するのではないかと思っていました。しかし、しませんでした。すれば、自公協力で、公明党はその候補を応援せざるを得ないからです。しなかったということは、中立・自主投票で、個人の判断が優先することになります。自民党及びその関係者の干渉を受けずに、それぞれが自分の理性と感性で、より姫路市長に相応しい人を選ぶ選挙になったことは、地域発展にとって好ましいことだと思います。(2019-4-12)
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統一地方選前半戦を終えてー県議選を姫路市に見る
統一地方選挙前半戦を終えて、私がいま考えてることをご披露します。私の住む姫路市という人口53万人の地域に限ってのフォーカスですが、それはそれで全体に通じる教訓とでもいうべきものが見えてくるのではないかと思います。今回の姫路地域では、定数8に対して、公明2、自民3、立憲民主1、共産1、無所属3の11人が立候補。何れ劣らぬ強者揃いで、誰が落ちてもおかしくないと見られる激戦区でした。落選する3人は誰か、興味津々でした。公明は2人のうちどちらかが票を取り過ぎると、片方が憂き目を見ることは必至でした。終わって見れば、私が予想した通りの3人でした。公明勝利に胸をなでおろす一方、予想を書いておけば良かった、とクイズを言い当てたのに口に出さなかった人のように、悔しい思いさえしています▼なぜその3人が落選したのでしょうか。3人に共通しているのは、日頃の活動が市全域にわたっては見えなかったことが挙げられます。次点の維新現の候補者は、この4年間、街頭演説など殆ど私は目にすることがありませんでした。露出度が少ない分、恐らくダメだと見ていました。次の無所属新は、市議一期からの転進でしたが、知られていたのは彼が住んでる地域のみ。市内全域では全く知られていず、やはり無理だと見ていました。3人目の立憲新は、候補に決まったのが2ヶ月足らず前。しかも落下傘候補。これではいくら中央で野党第一党の党に所属しているといっても、難しいのが常識。案の定でした▼さて、後出しジャンケンの解説見たいで、気がひけますが、これからの選挙を占うために、当選者8人を見比べると、いくつかの強さの秘密が浮かび上がります。まず言えるのは二世候補の強さです。自民党現の3人はいずれも親父さんが、元県議であり、元衆議院議員(彼は爺さんも)でした。本人たちは、その秘書だったり、会社の後継者や普通の会社員だったりと色々。政治家としての力量は殆ど見るべきものがなかったのですが、一期4年ですっかり、親の地盤、鞄、看板を引き継いでしまいました▼公明を除くあとの3人は、元自民党だった無所属元と、旧民主の無所属現と、共産現。3人共、二世組とはひと味もふた味も違う個性が際立っています。根強い個人的人気に支えられたものと思われます。このうち、無所属元は前回市長選挙に出て落選しただけに、現市長と戦った功労賞的意味合いの同情票が集まったと思います。旧民主現は、かつて兄貴分だった民主党代議士がさっさと自民党に鞍替えしてしまったので、離婚した親の片方に残った弟のように、哀れに見られた向きがあります。節操のない兄貴分も、さすがに見捨てられないと思ったのでしょう、せっせと弟の面倒を見たとの評価が専らです。共産現はやはり、宮本百合子『播州平野』を生み出した土地柄もあって、一議席を死守するぐらいの力はあります▼公明党の現と新の二人は、知名度の低さが最後までまとわりつきましたが、見事に当選しました。これはなぜでしょう。組織力云々はこの際別にして、私の見るところ、二人が議席を受け継いだ先輩の遺産が大きかったと思われます。公明現の方の先輩は、街頭演説で声が潰れるほどの数をこなし、市民相談も圧倒的に多かった伝説的人物でした。残念ながら脳出血で倒れてしまいました。先輩のこのイメージがダブって、後輩は苦労もしましたが、その分かえって助けられたとも言えます。もう一人の公明新は、政治的にはズブの素人でした。やはり先輩が個性豊かで、演説の特異さが目立っていました。特に婦人層に大変人気があった人でしたが、体調が不調なこともあって、今回退きました。その先輩のイメージと支えがあって、やはり苦労はしたものの、後輩にも受け継がれるに違いないと、期待された向きがあります。こう見ると、今回は無事当選できたものの、次回はよほど頑張らねば、危ないことは違いありません。これから4年の精進が待たれるところです。(2019-4-9)
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