時代の下り坂をどう変えて上り坂にするか

23年目の「1・17」がやってきて、足早に過ぎ去った。あの時、私は衆議院議員に当選して1年半ほどが経とうとしていた。それ以来の日本の来し方を振り返るとまことに感慨深い。一言で言えば、あの震災で弾みがついたかのように、どんどんと時代は下り坂を転がる一方だということである。この数年あまり私は「40年日本社会変革説」や「80年周期日本危機説」を取り上げ、自分なりにそれへの処し方を考えてきた。ここでは、そういった議論の説明を繰り返さないが、論壇における未来展望の貧困さが気になる。例えば、1月15日付けの神戸新聞に掲載された文芸評論家の斎藤美奈子氏の「識者の視点ー近代の限界」である。この人は、あれこれと過去の具体例に触れた後、「経済は低迷、思想は戦前回帰、大地は揺れて科学技術の安全神話に疑問符がつく。近代にもさすがに限界が来たのか」と述べ、「次の40年をどんな形で上向かせるのか。2度目のどん底が来る(?)2025年の前に私たちは考えておくべきであろう」と結ぶ。おい、おい。貴女はどう考えるか、述べずに逃げるのかと問いたくなる■昨今の様々な論稿にうかがえる特徴として、この人のように、肝心のこれからどうするかを述べず(他のところで述べているかどうか寡聞にしてしらない)に、問題提起だけで終わるものが極めて多い。終りの数行を冒頭に持ってきて、そこから議論を始めてほしいものである。恐らくは誰しもその主張に決定打を欠き、世に問うだけの自信がないものと思われる。私の見るところ最近最も輝いている佐伯啓思氏でさえ、「矛盾をはらんだ日本の近代」(異論のススメ=朝日新聞)との論考で「福沢を後継する『新・文明論之概略』はでてこず、彼の危惧した『独立の気風』の喪失も問題とされない」風潮を嘆いている。阪神・淡路の大震災、東北の大震災の犠牲者の真の意味での追悼は、これからの日本をどう上り坂にするのかとの大議論を巻き起こすことだと、私は思う■これまで、私は日本の新しい国家目標を定めるべきだと主張してきている。明治の「富国強兵」、昭和の「富国強経」に代わる、平成の「富国強芸」とでも言えるものを、と。「強経」とは経済至上主義を指し、「強芸」とは芸術に力を注ぐことを意味する。尤も昨今の社会的状況は芸術ではなく芸能に傾きすぎてる感が強い。年末年始のテレビを観ていると、芸人のオンパレードでよくもまあとの感が強い、と思うのは私だけではあるまい。勿論芸術オンリーというわけではない。しっかりとした経済力と他国の侵略を許さない軍事力を背景に、したたかな外交力と成熟した文化を持つ、芸術に勤しむ国民、国家といったイメージである。勿論、これには異論があろう。私の尊敬する評論家の山崎正和氏も「国家目標などいらないでしょう」と、先年に私が持論を持ちかけた際にやんわり諭されたものである。確かに国家が人間の内面に関わることを目標として掲げると碌なことはないものと思われる。ただ、一つの方向としてはあっていいのではないか。その意味で、安倍自公政権が「一億総活躍社会」を掲げていることは興味深い。ただ、何でもって活躍の手だてとするかについてはあまり議論された形跡がないし、聞こえてこない。皆が元気で豊かに頑張れる社会作りということでは、政界に特有の当たり障りのないキャッチフレーズと同様に思われてしまう■最近になって”悪友”・飯村六十四(医者)と健康について語り合った。これまで、健康には食事、運動、笑いの三つが大切」(高柳和江との電子書籍鼎談『笑いが命を洗います』)というのが結論だったが、彼は、それに「音楽を加えよう」という。私も音楽、絵画など芸術に我を忘れて熱中することがいかに人間にとって重要かを考えてきただけに、もとより異論はない。というように、これからの日本の在り様に芸術志向を組み込むことは大切だ。音楽こそ民族、国境を越えて、言語、人種の違いを乗り越えて、平和のカギを握ると強く意識しているからだ。勿論、その背景には健全な思想の興隆(ワーグナーとナチスドイツとの関わりを想起するまでもなく)が欠かせない。過去の二回のどん底期(明治維新と昭和維新=斎藤さんは一回分を見損なっている)に勃興したナショナリズム、皇国思想がまたぞろ蠢いているとの感がぬぐえないだけに、なおさらそう思う。(2018・1・19)

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同時代を別世界で生きた同年代ー星野仙一の「逆算」

新年早々に、元プロ野球選手(中日、阪神、楽天で監督)の星野仙一さんが亡くなったとのニュースが流れた。各紙の評伝は「熱血と愛情の闘将」「反骨の闘将」「燃える男」「厳しさの裏に厚い情」と異口同音に熱い響きで褒め称えた。万人共通の印象を私も抱いていた。彼とは生前に一度だけだが話を交わしたことがある。私が厚生労働副大臣時代。某製薬会社のパーティに招かれた。その会社のイメージキャラクターとしてイチロー選手と星野さんが来ていた。イチローさんとは別室でツーショットに収まり(その写真は今も私の机の片隅を飾っている)、星野さんとは同じテーブルを囲んだ■昭和40年代初頭、慶大で4年間を過ごした私はご多聞にもれず、六大学野球のとりこになった。春と秋の神宮球場に足を運び、手を叩き声をからした。当然ながら矛先は専ら早慶戦。当時の慶応には我がクラスメイトの藤原真、早稲田には谷沢健一、荒川堯らがいた。一方、法政には田淵幸一、山本浩二ら。そして明治には星野。後にプロ野球の世界で綺羅星のごとく輝いた連中だ。星野さんとは束の間だったが、当時の思い出を、共通の友人をあれこれと語った。さして興味を惹かなかったはずだろうに、彼はにこにこと相槌をうってくれそれなりに応じてくれた■かねて子どもの世界では「巨人・大鵬・卵焼き」が人気の定番とされてきた。が、反骨ならぬへそ曲がりの私など、南海(阪神でないところがミソ)や柏戸贔屓だった。要するに強いもの、皆が祭り上げるものに抵抗したい傾向があった。後に、「巨人・東大・自民党」に反発する思いから、就職先に公明党機関紙局を選んだのも無縁ではなかった気がする。この辺り大いに星野さんと軌を一にするものと自賛している。尤も、今や巨人に昔年の面影なく寂しい限りではあるが■星野語録で最も共感するのは、「阪神タイガースの監督を引き受けた時から優勝を大前提にし、何をやっていくかを考えた」(平成16年2月の大阪市内でのセミナー)というものだ。目指すゴールから逆に今なすことを考える方式だ。実は私の政治家としての大先輩である故市川雄一氏も、選挙の世界での「逆算方式」の大事さを何時も語っていた。当選するには何票必要かを目標として立て、そこから一切を逆に組み立てていくというやりかたである。当たり前のことに思えるが、これがなかなかに難しい。自身の一念に未来の結果を強く、深く、刻印してから、その後の具体的戦略と戦術を実行することなのだ。同時代を別世界で生きてきた同世代の死。見事な生き方を前に、我が逆算の答は未だ出そうにない。(2018・1・15)

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食べ飽きたおせちみたいー新年元旦号の各紙を比較する

新聞メディアの苦戦が伝えられているなかで、新年元旦号への各紙の取り組みぶりを私なりに評価してみたい。取り上げる基準はあくまで私が感動したかどうか、で極めて恣意的であることはあらかじめお断りしておく。まず、いきなり番外編から。神戸新聞の3日付けトップ記事は面白かった。「雄県」兵庫際立つ個性との見出しで、新五国風土記「ごのくにのかたち」が始まった。➀県民性が惹きつける。47都道府県を擬人化した漫画「うちのトコでは」(飛鳥新社)で設定される兵庫のキャラクターはなんと5つ。他の46都道府県が一つづつなのに、唯一の例外県なのである。摂津、播磨、丹波、但馬、淡路の5地域がひとまとめにしがたいということなのだ。そのうち、我が播磨は、「やや保守的で頑固、剛毅、姫路城がプライド」とある。確かに、と妙に納得する。尤も、摂津が「おしゃれで進取的で洗練されたナルシスト」とくると、いささか嫉妬の気分も起こってくるが。兵庫の各地域の振興に特段の関心を抱く私としてはこれからの連載が楽しみだ■元旦号に戻ろう。まず、ニュース記事で目を引いたのは読売のトップ「中露企業 北へ密輸網」。北朝鮮が石油精製品を公海上で積み替えて密輸している実態を中露朝の密輸ネットワークとしてすっぱ抜いた。契約文書を入手し、タンカー提供で決済の仲介ぶりを明らかにし、国際制裁の抜け穴ぶりを暴露してみせた。このあたりは、いかにもさもありなんと思われることを実証してみせ興味深い。これと並ぶ話題をピックアップしたのが毎日の「拉致解決 資金と交換」。先年韓国に亡命した北朝鮮の元駐英公使の単独インタビューで、金正恩委員長が巨額の資金援助を受けることができれば拉致解決に前向きになるというもの。まことにこの国らしい身勝手な論理だが、同問題の進展の糸口になるやもと、気を引かせる。2面では、「軍の統制が核頼み」であるとの証言も引き出している。産経は、2面で朝鮮半島有事シュミレーションを、元海将や元空将のシナリオ予測で描く。見出しは「米の北攻撃3月18日以降「武力行使 条件整っている」とこの新聞らしい扱いで分かりやすい■一方、こうしたものと全く違うものをトップに持ってきたのが朝日と日経。朝日は、去年からの連載「平成とは 第一部時代の転換」の3回目。➂幸福論とあり、「成功とは違う、ハッピーの道みつけた」の見出し。2面は平成のライフスタイルの変化を挙げ、「一人カラオケ」に迫る。なんだか内向きが過ぎるとの印象は否めない。ここはやはり北朝鮮ものだろう。一方、日経は「パンゲアの扉 つながる世界」と題する連載の一回目。パンゲアとはギリシャ語を起源とする「すべての陸地」の意味で、かつてはみな繋がっていたということだという。「デジタルの翼に解き放たれた、小さな国、小さな企業、小さな個人が境界を溶かす」「もう誰も後には戻れない」と、この新聞社らしくグローバリゼーションの行末を見据える■こう見て来ると、各紙各社の日頃のスタンスが窺えて、なんだかありきたりに思われる。それぞれ中のページには様々の工夫が凝らされてはいるものの、定番ぶりが気になる。朝日は社説の「来るべき民主主義」で「より長い時間軸の政治を」とうたい、末尾に「先を見据えよ。憲法は、そう語っているように思われる」と訴える。いかにもの結論で、食べ飽きたおせち料理みたいだ。その点、「初めから同質の国はない」との見出しでの毎日の社説「国民国家の揺らぎ」には新味があり読ませた。ただ、同じ3面の「公明、改憲『目指す』削除」と、連立合意で自民を押し返していたことを明らかにしている記事は踏み込みが足りない。せっかく気を引く記事なのに扱いも中途半端だ。一方、読売も産経も対談や鼎談で登場する人物がお決り過ぎる印象が濃い。何時もの同じ人物が登場するのでは面白くない。特集記事では日経の「明治150年 維新再び」で「新しい日本へ8つの提案」が注目される。他の各紙に比べてきちっ時代の節目に対応しようとしているところはわたし的には大いに交換が持てるが、さて中身はどうか。これは今後のお楽しみに。(2018・1・4)

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地域振興に取り組む確かなるひとびとの雄姿

 今年の締めくくりとして仕事などで付き合ってきた人の中から、強く印象に残る二人を挙げてみます。共に地域振興に取り組む人です。まずは勝瀬典雄(かつせふみお)さん。この人の肩書は、兵庫県立大の客員教授ですが、広島県立大でもMBA対象に地域経営改革や観光振興に向けて教えておられます。一言でいうと「地域活性化に向けての住民主体の形成と自立的事業化の促進の仕組みをお手伝いすること」が彼の仕事になります。全国各地を飛び回り、更にその中から起きた需要に応えるべくこの三か月ぐらいの間にカンボジア、ハンガリー、オーストラリアと世界にも足を伸ばし、席の温まる暇もないほどです。2年程前に知り合いました。淡路島DMOに取り組むものとしてこれ以上ない強い助っ人です。ついこの間も広島で落ち合って彼の主宰するチームと種々意見交換する機会を得ることが出来ました▼国会議員として私も様々な分野の専門家と繋がりを持っていました。とは言いましても、現実の地域振興に向けて何が出来るかとなると、本当に無力という他ありません。マーケティングとマネジメント力を必要とする場面で正直言って右往左往するのが関の山です。これから彼が得意とする分野(地域商品の発掘・ブランド化、企業化支援など)で大いにお世話になるつもりです。広島で白熱の討議をしてきましたが、私の理解度はともかくとして、柔和で優しい彼の物腰と指導ぶりに深い感銘を受けたものです。明年早々から私が専務理事を務める瀬戸内海島めぐり協会と共に本格的に行動を起こしていく予定です▼もう一人は、榎田竜路(えのきだりゅうじ)さん。この人は音楽家でプロデューサーにして北京電影学院の客員教授という肩書を持っています。この人の仕事は極めて多岐にわたり、ひと言では言い難いものがあります。今ご本人が最も力を入れており、こちらも関心を強く持っているのは、地域おこしのために、高校生や地域住民を対象に映像作成の手法を伝授されていることです。先に紹介した勝瀬さんとほぼ同時に知己を得ることが出来ました。共通の友人がいるのに、当のお二人が忙しすぎて未だ対面が適っていないというのも面白く妙な話です。榎田さんは此の半年ほど西播磨の市川町に毎月やってきて30人ほどの受講生に講義をしてきました。その都度私は講義を終えた彼に姫路を中心とするこの地域の良きところを案内し、大変に喜ばれてきました▼彼もこのところ、沖縄、津山、徳島など全国各地を飛び回る傍ら度々外国にも足を伸ばしています。地元の名士たちに対して高校生を含む若者によるインタビューを展開して、それを活字と音楽とナレーションで2分間の映像にまとめるという作業の仕方を彼らに教えています。当初は過疎地域の地元に誇りを持てないばかりか、脱出ばかり考えていた若者たちがこの作業を通じて自分自身と向き合うことの大事さを知り、地元に強い関心と熱意を持つようになってきています。先日、市川町での最終講義と10人の受講生の作品公開及び講評、修了証書授与の場面を観てきました。作品に粗削りさは否めないものの、受講し終えての若者たちの嬉しそうな姿が印象に強く残りました。懇親会では口々にふるさとを蘇生させる願いを語っていました。こういう作業を通じて草の根の地域振興の基盤が出来ていくことを深く実感した次第です。淡路島の振興にも必ず役立てることができる手法だけに、いかにしてこれを導入するか、来年初頭から取り組みたいと思います。勝瀬さんと榎田さん。地域振興の奥の手を知り抜いたお二人の先達と知り合えた私は果報者です。これを生かすも殺すも私の腕次第。明年からの展開に乞うご期待と言って、今年最後のブログにいたします。皆さん、良いお年を。(2017・12・30)

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「明治150年」に待ち受けるものにどう立ち向かうか

先日、我が地域の公明党支部会に呼ばれてお話をさせていただく機会がありました。20分ほどでしたが、明年が「明治維新から150年」となることに事寄せて、そこに予測される事態とそれへの立ち向かい方について私の考えを述べてみました。ここではそこでの話を基本にして若干整理したものを記してみます。
 明治は1868年に始まりましたから、明年2018年でちょうど150年が経つことになります。この期間の大まかな捉え方は、世に「40年日本社会変換説」というべきものがあり、わたし的には中々穿った見方であると同調しています。維新からおよそ40年後に日清戦争を経て、日露戦争の勝利があり、日本はアジアの大国にのし上がりました。しかし、その後も「富国強兵」の国家的膨張政策を取り続けた結果、更に40年後の1945年には、あの太平洋戦争の敗北という事態を招き、一国滅亡の危機に瀕することになりました。そして、荒廃した国土を旧に復すための臥薪嘗胆の壮絶な経済至上主義の努力の結果、40年後には世界で米国と争う経済大国に昇りつめ、やがてバブル絶頂から崩壊へと歩みます。そして今、失われた20年、30年と呼ばれる時期を経て、40年後の2025年には少子高齢化のどん底に転がりこもうとしています▼これは極めて概括的な時代仕分けですが、見方によっては、80年のサイクルで日本は国家的危機に直面するとの予測に直結します。明治維新では江戸時代の鎖国状況が打ち破られ、欧米列強の侵略のもとに植民地にされかねない事態でした。それは先賢たちの必死の闘いで何とか乗り切りましたが、80年後に結局米国に叩きのめされ、占領されてしまいます。いらい現在に至るまでの73年程はうわべ上は独立国家ですが、実質的には未だ米国の占領下にあるのと大差ないとの見方さえあります。このままいくとあと7年ぐらい後には、再び日本は滅亡してしまうのではないかとの危機意識です。「三度の開国」ならぬ「三度の亡国」といえましょうか▼そういう時代背景を考えるときに思い起こされるのは、「尊王攘夷思想」の台頭という問題です。これは、ごく最近、加藤典洋さんが指摘していますが、それによると、明治維新の前夜に、「尊王」か「佐幕」か、あるいは「開国」か「攘夷」かなどと、欧米列強の侵略の前に、日本の思想状況は千々に乱れました。そして明治維新の前と同様にかの大戦の直前にも昭和維新の名のもとに、「尊王攘夷」思想が台頭してきたというわけです。今80年のサイクル通りに、我々の周りにみたびの「尊王攘夷」思想が跋扈する兆しがうかがえるというのが加藤さんの見立てです。ヘイトスピーチなどに見られる中国、韓国など近隣アジア蔑視やら日本会議の膨張がそれだといいます▼確かにそのような傾向は否定できません。しかし、以前の二回と明らかに違うのは創価学会、公明党の存在ではないでしょうか。日本だけではなく、世界にいま広く深く浸透しつつある創価学会SGIの存在は過去二回と全く違う要素です。また政権に公明党が入っておりその運営の一翼を担っていることは、大いなる希望でないわけがありません。自然に任せていると二度あることは三度あるとのたとえ話のように、日本が三度目の閉鎖的な一国主義に陥りかねないのですが、それを断じて跳ね除けるべき主体に、我々こそなっていかなければならないのです。しかしこれとて唯々諾々と構えていてはいけません、虎視眈々と我々のいくすえを邪魔しようと狙っている動きがあります。このことをしっかり銘記したうえで、元気に明るく新しい年に立ち向かっていきたいと思います。(2017・12・24)

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感性、優秀さ、見目麗しさー現代女性に纏わる三つのポイント

慌ただしい年末の会合で聴いたり、交わした話から気になるものを紹介したいと思います。相変わらず西に東に飛び回っていますが、その内の三つの忘年会でのものを。一つ目は、骨粗鬆ネットワーク(代表・高石佳知歯科医)の定例会が終わった後での打ち上げの会でのこと。Tさんという、手相観を始め、血液型や星占いを通じて人の運勢をみるのがもはや達人の域に達しているひとと久しぶりに話しました。このひとは、左脳派のひとは音楽や絵画など芸術に興味を持ちなさいと常日頃から強調しており、私も会うたびに言われます。つまり、理屈や議論が好きな理性タイプ(左脳派)は、感性重視の生き方を生活に取り入れることで、若さを取り戻せるというのです。しかもそれは女性と付き合うことが最も手っ取り早い方法だ、と。このひと、今年初めに奥様を失くされたとのことですが、未だ喪も明けぬうちから、ある女性と付き合い始め、今や毎日会うことを心がけているというのだからただごとではありません。この世では、妻以外の女性と一定の線を越えて付き合うなどご法度と決めている私など、とても真似ができることではありませんが、せいぜい芸術もどきのものに関心を持つことで代替させようと思っているしだいです▶二つ目は現役の頃に付き合った番記者の会でのこと。男女取り混ぜて5人の脂の乗り切った幹部記者(50歳代ばかり)たちが異口同音に言っていたのは女性記者の優秀さについてです。それはいわゆる学校の勉強が良くできるというだけではなく、取材力でも度胸ぶりも、とても普通の男では太刀打ちできないというのです。新入社員の試験となると、筆記はもとより、面接においても、合格者の7割から8割は女性が占めてしまうようです。男性にはあらかじめ下駄を履かせないと、自然に任せておくと、女性ばっかりになりかねないとさえ。先般某新聞社の女性記者が安倍首相への記者会見での質問で大向こうを唸らせましたが、そのうち彼女のような記者がどんどん増えるだろう、と。某テレビ局の女性記者が過労死をされましたが、これも仕事っぷりがいわゆる女性の域を超えた過酷なものに挑戦した結果ではないかと云います。女性はひ弱だとのイメージにいつまでも拘っている場合ではないのかもしれません▼三つ目は、姫路出身の各界で活躍するメンバーで作っている姫人会でのこと。官僚出身、大学の元副学長、元大手大企業幹部ら4人に加えて、久方ぶりに参加した早稲田大学理工学研究所研究院の福岡秀興教授(産婦人科医)の話は興味深いものがありました。このひとは、かねてより妊婦の栄養不足の行き過ぎに懸念を表明し、社会全体で対応を急がないと、こどもから大人へと成長するなかでの影響が深刻であると警鐘を乱打してきています(朝日新聞3・21付けオピニオン・フォーラム欄=「小さくなる赤ちゃん」という大型インタビュー記事)。実は現役時代に公明党の政調の会合に来てもらいスピーチをしてもらったこともあります。胎児期の栄養・環境が疾病のリスク、健康寿命の約70%を決定することが、遺伝子のレベルで明らかになってきており、母子保健の重要性がますます痛感されるというのです。これは今の若い女性が痩せることに熱心なあまり、栄養を摂らない傾向が強いことが最大の原因なのです。小さく生んで大きく育てるなどと高をくくっていては、とんでもないことになるかもしれません▼以上、何れも女性に纏わるお話三題です。「21世紀は女性の世紀」と言われてきましたが、20世紀までの男優位の社会の本質に基本的には変化がない状態が続いています。21世紀になってもう20年近くが経ちますが、掛け声だけで、依然として女性の社会的地位は低く、活躍場面はそう多くなっていないのです。さて、これをどうするか。稿を改めて意見を述べてみたいと思います。(2017・12・14)

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憲法9条をめぐる国民の声を訊こうー総選挙結果から連立政権のこれからに迫る⑤

それは、自民党や維新の会のように、最初に改憲ありきであったり、共産党や社民党のように断固触らせないという、まず護憲ありきという立場ではないということである。つまり、国民の意思動向が奈辺にあるかを探ったうえで、どこまでも行動を共にするスタンスである。言葉を換えると、国民の間に憲法9条を改正しようとする意見(加憲も含めて)が大勢を占めていないうちは慎重だが、それが変化してくれば、何時でも前向きになるということだ。これこそ国民世論と共にある中道主義の本旨だと言えよう▼そこで、私がかつて衆議院憲法調査会や同憲法審査会の場で提案したように、国民世論の動向を見極めるために、憲法改正国民投票の前に、先行的に憲法9条をめぐっての意見をひろく国民に問うことが必要だと思われる。これから憲法をめぐっての各党の意見調整が今後の政治課題になると思われるが、その際に是非とも国民世論の在り様を探ることが必要になってこよう。さらにもうひとつ大事な作業が残されている。それは政党間の協議で憲法のどこを変えるか、また、どこは変えずともいいのか、との視点からの総点検である。何を今さらという気がする向きが多いかもしれないが、それは違う。これまで一度も丹念にはなされていない▼私が現役時代に、日経新聞の唱えていた「憲法改革」の切り口に賛同して、今ある法律でことたれるものはそれでまかない、足らざるを補えるものについては、今ある仕組みを最大限に活用して、なお足らざるものに限って改正するということでどうかという提案を行った。これは私自身が取り組み原案を示すべきであったが、非力ゆえにかなわず、党内での議論に任せるのが精いっぱいだった。尤も、公明党にはその時の議論の積み重ねがある。今こそそこにこだわって行くべきではないか。改憲に熱心な政党も、護憲に執着する勢力も、つぶさにどこを変えるか、どこは変えずともいいのかの議論を政党の壁を越えてなすべきときである▼まず「改憲」ありきの安倍自民党は、いよいよいよいよ具体的日程に憲法9条を載せようとする構えである。恐らく上記のような提案をしても時間がないと一蹴してこよう。それに負けてはならない。ただ「慎重に」を口にするだけではならず、具体的な提案を次々と繰り出すべきだ。自民党の言いなりにならず、護憲ありきの自称、他称のリベラル政党の戦略にも乗せられてはならない。ひたすら憲法をめぐる国民の声に耳を傾け、幅広い合意を求めることに、中道主義の公明党の真骨頂が問われてくるものと、肝に銘じたい。(2017・11・16)

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憲法9条3項加憲の大胆な提案ー総選挙結果から連立政権のこれからに迫る➃

これからの公明党で最も注目されるのは、憲法改正に向かう立ち位置であろう。これまで、公明党は加憲を主張し、主に環境権やプライバシー権など現行憲法制定時に想定されていなかったものについて、国民的合意を得られるものから加えていくとのスタンスを取ってきている。優先順位が高いものものから手を付けるということでは一貫している。私が現役の頃に、9条3項に、自衛隊の存在を明記したうえで、国際貢献のためのPKO(国連平和維持活動)などに従事することもその役割として位置付けることを提案したことがある。しかし、時期尚早として党内で受け入れられなかった。これは2項については触れずにそのままにしておき、新たに加えるという文字通り加憲の対象として提起したのであった。その際に、2項で戦力不保持、交戦権の否定が明記されていることとの整合性をどうするかが大きな課題となる▶これについては、戦力とは、領土、領海、領空の領域保全を侵すものに対抗する自衛力とは違うと位置づけ、否定される交戦権とは、他国侵略のための戦争行為だとすることで、一応解決されよう。現行憲法9条1項、2項は、自衛のための戦力保持を否定などしておらず、領域保全のための戦闘まで否定してはいないとの解釈に立つことで、その行動主体としての自衛隊の存在を明記することが求められる。併せて国際貢献としてのPKOにも取り組むとの役割の明記も必要であろう。勿論、その際、自国防衛のためであっても、国際貢献のためであっても、いわゆる個別的自衛権の範囲内であり、集団的自衛権の全面展開にまで踏み込むものであってはならないとの自己規制は意味を持つ。先の「安保法制」においても、既に述べたように、その点はギリギリ踏襲されているとの観点に公明党は立っている▼ただ、これだと依然として不透明感は残るので、より明確にするために、2項の書きぶりを変え、整理するべきだとの主張は当然のことながら起きて来る。公明党の中では、そうすることよりも、自衛隊の位置づけも、その役割も特に明記せず、現状のままでいいとの判断が大筋であった。私のような立場に立つものはごく少なかったと記憶する。今回総選挙前に、安倍首相が3項に自衛隊を位置付けるとの提案をしたことについては、私の主張と同じに見えながらも、正直言って首相の大胆さに驚きを禁じえなかった。議論のたたき台を出しただけとのこちらの底意が透けて見えるだけに、いかにも能天気なことだと我ながら苦笑したものである。それよりも、この首相の繰り出した”くせ球”への公明党の対応が注目された▶党の立場は私の現役の頃からと同じで、ある意味微動だにしていない。現在の国民世論にあっては、9条に3項を加えるという加憲を求める声は決して大きくないとの認識である。尤も、それはまた国民の間に、自衛隊明記を9条に書き加え、その役割にきちっと一定の歯止めがなされてあれば、、それを認めるのはやぶさかでないというものであるはずだ。したがって、これから憲法9条をめぐる国民世論がどう推移していくのかが、公明党の決断に深く関わって来るといえよう。(2017・11・13)

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相互に影響を及ぼしあう関係ー総選挙結果から連立政権のこれからに迫る➂

自民党と公明党の連立が実現してほぼ20年。この二つの党はそれなりに影響し合ってきた。それはお互いをどう変えたか。自民党はかつて55年体制下にあって、野党第一党であった日本社会党と付き合う中で相手方の繰り出す政策をパクるかのように先取りしてきたとされる。本質的には富裕層の側に立ちながら、時に応じテーマに応じて、結果的に社会的弱者救済の道を、微々たるものであったにせよ、取り入れてきたと言えなくもなかった。日本社会党がその歴史的役割を終えて後方に退いた時に、代わって表舞台に躍り出たのが公明党であった。最初は”自公民三党”と呼ばれた野党の要役として、その後には与党の一翼を担って。世間の見方はどうあれ、この立ち位置の変化は、あくまで自民党政治を変革するための手段であった。外から変えるのが無理なら、内側から変えるしかないとの論理で。その戦いの具体的手だては、社会的弱者の側に手を差し伸べることに尽きた。かつて日本社会党からの政策提案を巧みに取り入れた自民党は一転、今度は政権与党のパートナーとしての公明党の主張に耳を傾けることに切り替えていったのである▼一方、公明党も永年の政権与党生活にあって、自民党的政策を種々取り入れてきた。二年前の「安保法制」をめぐっての政策合意はその最たるものであろう。それは、同盟国に対する攻撃がきっかけであったとしても、それが日本に対する攻撃と同様に日本の国民に深刻で重大な被害をもたらすようなものであれば、日本は武力行使をしてこれに反撃することまで憲法9条は禁じていないという解釈である。これは公明党からすれば、個別的自衛権の延長線上にあるとの認識に立つもので、集団的自衛権の行使を全面的に容認するものではないとの立場を主張した。この点における両党の捉え方は、玉虫色的側面があると認めざるをえないものの、集団的自衛権のフル展開を認めさせなかったという点で、公明党はより安倍首相側に譲歩をさせた結果といえる。これについては、当時の自民党内におけるさや当てが思い起こされる。石破茂氏があの事案の直後に防衛相就任を断ったことだ。彼は首相とのスタンスの違い(安保法制と公明党との関係)をその理由にしたことは我々の記憶に新しい。また、いわゆる「共謀罪法案」の成立過程にあっても、当初は膨大な数にのぼった犯罪要件をかなりの数絞ったことは注目される。これとて一般世論の反発を十分に抑えるには至っていないとはいうものの、この分野の特殊性に鑑みて、もっと評価されていいものと思われる▼こうした経緯を踏まえたうえで、自民党と公明党両党のイメージの変遷は興味深い。例えば、19歳から28歳までの若者にとって、最も「保守」に位置付けられるのが公明党で、自民党は「中道」だという調査結果(読売新聞社と早稲田大学現代政治経済研究所の共同調査)には驚いた。かつての「保守対革新」という枠組みに色濃く反瑛していた左右両翼の存立基盤であったイデオロギーは、今の若者には無縁である。「保革論争」の最中に、公明党は中道主義の旗を掲げて、イデオロギー抜きの国民生活優先の政治を生み出す新時代の担い手として登場した。しかし、それが気が付いたら、いつの間にか「保守」のレッテルを張られているとは感慨深い。何をもって「保守」といい、「リベラル」「中道」とするかはいささか見方が分かれるところだが、ここは公明党に政権担当能力があることが十分世間に認められたものとして、「保守」の名に甘んじておこう。だが、新たな風を送り込む気運に満ちているとは言い難いとの、古いイメージで公明党が捉えられているとするなら、要注意である▶今回の総選挙結果を受けて、これからしばらくまた安倍自民党権が続くことになるが、「一強」をどこの誰がが封じ、どう日本政治を進展させるかに、世の関心が集中している。小選挙区比例代表並立制のもとでは、かつてのような自民党内の反主流派の台頭は望むべくもないとの見方がもっぱらである。だとするならば、連立のパートナーであり、選挙協力という生殺与奪のカギを握る公明党の出番であろう。連立政権内野党として、自民党を揺さぶり、時にブレーキ役を果たし、またある時には覚醒させることが公明党の存在価値を高めることになるに違いない。(2017・11・10)

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50年前と本質的に変わらない政治ー総選挙結果から連立政権のこれからに迫る➁

 選挙協力に厳しい側面があるからといって、止めることはできるだろうか。20年にもわたって続いてきた自公の関係はそう簡単にくずれることはないものとみられる。だが、意外にもろいともいえる。一度ガチンコ勝負をしてみたらいいという意見も当方にないではないが、現実には相当な困難を伴う。それよりも公明党は小選挙区から撤退して、比例政党に特化したらどうかとの意見は内外を問わずにある。あるいは衆議院から撤退して、参議院にのみ議席を持つ政党になってはどうかとの問題提起もないではない。善意からにせよ、悪意からのものにせよ、聞き逃すわけにはいかない▼こうした主張に接するたびに、私は公明党の原点に思いを致す。それは政治の世界の浄化を掲げ、政治家改革、政党改革を目指して出来た政党であるということである。そこには既成政党が、国民、大衆から遊離してイデオロギー論争にうつつをぬかし、観念の遊戯に走っているとの認識があった。大衆福祉と平和な国際環境構築に向けて闘うことがその使命であった。「大衆と共に」を旗印にした政党の誕生は、出発においてどの政党とも違う原点を持つ。どこまでも素人の集団が公明党の”売り”であった▼昭和39年の結党以来、50年有余。日本経済は高度経済成長を成し遂げたものの、バブル崩壊を経て長期不況に低迷。今はアベノミクスの効用でいささかの景気浮揚は感じられるものの、経済格差は覆うべくもない。一方、国際社会にあっては米ソ冷戦は終結したのだが、ISの台頭、北朝鮮の核ミサイル攻撃への懸念、中国の軍事的大国化など新たな危機要因がひしめき、寸時の油断もならない。結局は、国内政治的には社会的弱者の中身が変化しただけで、救済を求める声は一段と高まっているし、国際社会では新たな不安定要因が高まり危機感は募る一方である。結局は50年前と政治が解決を迫られる課題は本質的には大きくは違わないのだ▼結党直後に党員になり、5年後に機関紙記者になって、衆議院議員秘書から代議士を経て今に至るまで、公明党を見守り、時に主体者として党を動かす一員であり続けてきた。その私にとって、与党・公明党の役割が今ほど重要視されるときはないものと思われる。今そこに横たわる内外の危機的状況にどう対応するのか。50年前に結党された時の思いに今再びの思いで立ち返らねばならない。党も個人も政治のプロになってしまって、シロウトだった昔の思いを忘れているのではないか。素朴な疑問が胸をよぎる。安倍一強といわれる自民党に寄り添うだけで、公明党らしさを発揮できずに大衆に満足を与え得ていないのなら、何のための公明党なのかと言われかねない。(2017・11・6)

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