だまし絵が教える視点移動の重要性

「だまし絵」というものをご存じだろうか?一見すると人間のように見えるのだが、よーく見ると様々な道具が積み重ねられているだけ、といったたぐいのものだ。目の錯覚をいたずらに引き起こすとでも言うのだろうか、不思議なほど面白い世界に引きずり込まれる。先日、兵庫県立美術館で開かれている「だまし絵Ⅱ」に行ってきたのだが、楽しいひとときを過ごせた▼通常の美術展にもまして、みんな一心不乱に絵に見入っている。いったいこの絵は何を意味し、何が隠れているのかを見抜こうとして、右に左に視点を移動させながら。遠くから見ると、きれいな女性の顔だと思って近づくと、指紋ですべて描かれていて、その気持ち悪さにぞっとしたり、男性が手を頭にあてて泣いているかのように見えるが、よく見るとものすごい数のオモチャが山のように積みあがってるとか。砂浜と岩山が広がる不思議な景色をじっくりと観察すると、次々と隠れているものが見えてくる。遠くからと近くからとではまったく違うものが見えてくるからおかしい。立体的な絵を右に左に動きながら見ると、絵が勝手に動くかのように見えてくる▼女性の顔だけが大きな像として立っているところで、みな立ち止まって見ていたが、つい私などはそばにいる女性学芸員の顔をまじまじと見てしまった。普通の人間までもが何かだまし絵のように見えてきたのだ。当たり前のものを違う角度から見る楽しさとでもいえようか。つい先日は、ハローウインのお祭りということで、各地で様々な仮装が現れたようだが、これも日常性を打破する意外性が受ける一つのポイントかもしれない▼日常的に経験することだが、扉を押しても開かないので、引いてみたら開く。つまりは押してもだめなら引いてみなということは数限りなくある。先日旅先で離れの部屋のカギを閉めようとしたらどうしても閉まらない。慌てて従業員を呼んだら、なんのことはない。鍵穴が二つあって、もう片方が見えていなかったのだ。また、同じくホテルでお湯を沸かそうとしてもどうしても湯沸かし器の使い方が分からない。これもホテルマンを呼ぶと、いとも簡単なことが気づいていなかった。要するにちょっと見方を変えてみると疑問が氷解することは少なくない。硬直化した捉え方に捕らわれてばかりいると、らちがあかないということを痛切に感じる。(2014・11・8)

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保守、左翼、中道の3総合雑誌を比べ読む

3種の総合雑誌を月ごとに購入し出してほぼ一年が経った。あまり読まないことも多いが時に熱中することもある。11月号はかなり読む機会があったので、気に入った読み物だけを紹介したい。3種類とは、保守系の『文藝春秋』、左翼系の『世界』、そして中道の『潮』だ。三つ併せ読めば、バランスを欠くこともないか、との思いからだ。かつては、『諸君!』や『中央公論』もよく読んだものだが、前者は廃刊になり、後者は「読売」がバックについてから、精彩を欠いているように思われてならないから殆ど読んでいない。ちなみに新聞は、『日経』、『神戸』の二紙だけしかとっていない▼雑誌作りのうまさというのをいつも感じるのはやはり、『文春』だ。今月の総力取材は、「世界の『死に方』と『看取り』 12か国を徹底比較」という特集だが、なかなか考えさせられた。ジャーナリストの森健氏による報告のうち、脳卒中で倒れた老教授が13年間もの長きにわたって延命治療うけ、90歳を目前にして管につながれたまま亡くなったという話はインパクトが強い。当たり前の発言だがエイジング・サポート実践研究会を主宰する人の「医師の仕事は病気や怪我を治すことですが、老化は治せない」との言葉は重く響く。だから「終末期は治そうとするより、生活の質を高め、維持する医療のほうがよほど負担が少ないし、QOLも高い」のだ。死と向き合おうとせず、準備教育を怠ってきたツケは大きい▼『世界』は学生時代からしばらくはよく読んだものだが、ソ連崩壊あたりから読まなくなった。つい数年前の表紙のセンスのなさといえば信じがたいものがあった。このところようやくまともになった感がする。”朝日岩波文化人”という言葉が象徴するように、お高いところからの政権、政治社会批判が鼻についてならなかった。が、このところの左翼退潮が結果的に絶滅品種を守らねばとの思いを駆り立てたのかどうか、読ませる記事が多い。というか、大事な視点を提供してくれて面白く感じる。今月は特集「ヘイトスピーチを許さない社会へ」のうち、「メディア・バッシングの陥穽」が迫力があった。朝日新聞問題に事寄せて、その他新聞各社をはじめ、「現下の雑誌や出版における反知性主義の氾濫」は目を覆いたくなるという主張には全く共感する。しかし、そういう反批判も度が過ぎると首をかしげざるを得ない。「融合一体化する政府権力とメディア」を元毎日新聞記者の西山太吉氏に書かせたのはいいが、ここはむしろつい最近岩波書店から『戦後責任』を出版した大沼保昭さんを登場させてほしかった。『文藝春秋』が大沼さんに「慰安婦救済を阻んだ日韓メディアの大罪」を書かせていたのはさすがだと思った▼こういう二誌が時の話題を執拗に追っているのに比べて『潮』は、少々角度が違う。「結党五十年ー公明党の使命と責任」の狙いどころはいいが、識者に1000字メッセージを書かせるという切り口が機関紙・公明新聞や理論誌『公明』とさして変わらないのはいかがなものか。ここは他党の幹部やかつて公明党議員に苦しめられた閣僚を登場させるなど、もっと意表を突く企画はなかったか、と思う。むしろ上野千鶴子との対談『「アグネス論争」から27年』や黒川博行と後藤正治の記念対談が興味深かった。『潮』が営々として築き上げてきた出版界における実績は本当に凄いと思うだけに、時々の課題にもっと鋭く切り込んでほしいとは思う。(2014・11・1)

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ナチュラリスト荻巣樹徳を君は知っているか

あなたは荻巣樹徳(おぎすみきのり)っていう人物を知っているだろうか?まさに知る人ぞ知る、幻の植物を求めて世界を駆けるナチュラリストである。彼の手によって数多くの新種の植物が発見されており、それらにはオギスの名が冠せられている。彼のことをわかりやすくプラントハンターと呼ぶ向きもあるが、正真正銘、地上にあって世に知られていない植物を探し出すプロ中のプロだ。今は中国大陸にしばしば足を運び、あれこれの新たな植物を発見している。私はこの分野に詳しいわけではなく、さしたる関心があったわけでもない。かれこれ10年余り前に、わが選挙区のなかの宍粟市山崎町に彼の主宰する東方植物文化研究所があったことから(今はない)知り合うことになり、今では大変懇意にしていただいている▼その彼が住む豊中市の東泉が丘に、わが友でカリスマ臨床心理士の志村勝之もいることから、二人を引き合わせることにした。私には人とひととを繋ぐことに妙に興味があり、著名なひと同士やら無名の人々を結び付けてきた。この二人、共に野に咲く知られざる名花といえ、”ご対面”させることには密やかな喜びがあった。志村勝之とは電子書籍で、とことん対談『この世は全て心理戦』をこの夏に出版したが、心理学の分野での造詣は圧倒的に深く、単なるカウンセラーの領域に留まらない豊富な知識と経験を持つ。彼の場合、きわめて有能でありながら、そのことで有名になるとか、世に出ることを徹底して嫌う。まっとうな意味での自己実現を果たせばそれで充分という、私からすればもったいない男だ▼談たまたま、荻巣さんが英国王立園芸協会のヴェイチー記念ゴールドメダルを受賞(平成8年)したことに触れた。かの国では園芸に関する関心と評価がきわめて高い。しかし、日本ではNHKテレビが放映する番組にも「趣味の園芸」といった風に趣味という二文字が形容されるごとく位置づけが低いことを嘆いていた。建築の分野では例えば安藤忠雄氏が日本を代表する建築家の地位をほしいままにしているが、園芸の分野である意味それ以上の実績を持つ荻巣さんは殆ど知られることがない。私もNHKに荻巣樹徳さんの活動を「プロフェショナル」番組に取り上げよと、推薦したが受け入れられなかった。こうしたことから、彼我の差を実感し悔しい思いを共有している▼おそらく志村はこうした荻巣さんの発言を聴いていて、別にひとが評価をせずともいいではないですか、ご自分で満足出来る結果を生み出すことができていれば、と感じたに違いない。彼は私との対話で、いつも人の評価を気にしないところから、平穏さと幸福感が発生することを強調するので、そのあたりの心理展開はよくわかる。もちろん、荻巣さんとて単なる功名心などとは無縁のお人だが、それにしてもあまりにも「園芸」の地位が低すぎることに我慢ならない思いがあるのだろう▼初めてお邪魔した彼のマンションの部屋のなかには、所狭しとその分野の本やら資料が置いてあったが、書庫に平然と並べられていた数千冊の専門書はすべて外国のものばかりであった。しかもこの世にせいぜい数冊しかないという代物が多く、その値打ちたるや一冊が一台の車や一軒の家にも値するものと聴いて、ひたすら驚くしかなかった。(2014・10・31)

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革命的な3人の歯科医たちの挑戦

凄い人がいるもんだとあらためて深く感心した。27日のNHK総合テレビで放映されたプロフェショナル 仕事の流儀 『ぶれない志 革命の歯科医』で取り上げられた熊谷崇さんのことである。ご覧になった方も多いに違いない。見損なった方は、なんらかの手段で見られることをお勧めする。番組での世界屈指の歯科医との触れ込みも決してオーバーではないと思われる。35年にわたって取り組んでこられた予防歯科治療は今、山形県酒田市で大きく実り、全国に広がろうとしている▼歯は痛くなったら歯医者さんに駆け込み、痛みが取れたらそれでいい、しばらくは行かない、という人が大半だろう。しかし、痛むようにならないための治療に取り組む熊谷さんは、患者のそういった安易な姿勢を許さない。痛み止めの応急措置はするものの、口腔をきれいに清掃してからでないと、直接的な歯の治療はしないのである。およそ27もの治療室はすべて個室で、歯科衛生士は20人もいるという。歯垢をとるために歯の間をフロス(糸で摩擦)したり、唾液検査もするという徹底ぶりだ▼歯はその人の人生そのもので、歯科医師は患者のパートナーにしか過ぎず、どこまでも患者本人のメンテナンスをする姿勢に健康な歯はかかっているという。実はこうした基本の考え方を持つ凄い歯科医は私の住む姫路市にもいる。河田克之さんだ。ジャーナリストの青山繁晴さんと淳心学院中高等部での同級生同士の間柄で、昨年対談本『青山繁晴、反逆の名医と「日本の歯」を問う』を出版した。この人も徹底した歯石取りを進める。歯磨きだけで事足れりとする姿勢を改めることを強調し、歯周病菌が歯槽膿漏の原因ではなく、歯周ポケットにたまった歯石にあるというのだ。歯石取りを習慣化しない歯科医界の現状やそれを放置する厚生労働行政に警鐘を乱打している▼わが姫路にはもう一人凄い歯科医がいる。既に何度も紹介してきたが、高石佳知さんだ。この人は、歯に骨密度が集約的に表れ、骨粗鬆症の予兆は歯に出てくるという仮説を立て、ついにそれを裏付ける検証を行った。海外で学術論文を発表し、高い評価を受け、今では骨密度を測るためのソフトも開発した。かつて私はご本人から事情を聴いたうえで、衆議院予算委員会分科会で質問にたち、厚生労働省に注目を促した。こういった方々の主張や研究をもっと多くの歯科医や内科医が注目する必要がある。どんな世界でもそうだが、出る杭は打たれる傾向にある。この人たちの試みが大きな潮流になることを強く期待している。(2014・10・29)

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高校卒業50年の同期会の席上考えたこと

先日、高校を卒業してことしは50年になるので記念の同期会があった。わが母校は兵庫県立長田高校。旧制でいうと神戸三中。昭和39年の卒業だ。後輩たちの頑張りで今や兵庫県下でも有数の受験校として知られているのはうれしい限りだ。しかも運動や文化活動にあっても決して他校の後塵を拝するばかりではなく、結構有名をはせている。その卒業の年は、いうまでもなく東京オリンピックが行われ、東海道新幹線が開通した。そしてわが公明党も結党された。文字通り食べるのにも事欠いた戦後に一区切りがつき、高度経済成長への道を驀進し始めたばかりの頃といえよう。同世代の歴史家・松本健一氏に言わせると、「1964年(昭和39年)は日本社会が転換した年」だ。我々の親からすれば戦後16年が経って子どもたちを高校に進学させ、3年後に卒業させたということで、本当にホッとした時期だったと思われる▼生まれた年はまさに先の大戦のただ中で、その数たるや少なかった。少し前の世代が産めよ増やせよの世代で、すぐ後が団塊の世代というわけで、ちょうど瓢箪のくびれ部分のような少子化の年代である。それだけに競争という観点からすると、かなりゆっくりした世代であったといえる。つい先ほど世代論を取り上げていたNHKのテレビ番組「オイコノミア」によると、1950年代からはしらけ世代,新人類世代、そしてバブル世代と続き、1970年代からは団塊ジュニア世代、1975年ぐらいから10年間ほどは氷河期世代といわれ、その後はゆとり世代から、この20年ぐらいに生まれた子どもたちはさとり世代と呼ぶようだ。要するに、生まれたときから不景気続きで、「世の中そんなものと悟っている世代」だというのだ▼そうした若い人たちの苦労を横目に、右肩上がりの経済成長のただ中で生きてきた我々世代はまことにラッキーだったというほかない。私は今年の前半期に、小中高大の同期の友人たちとの対談を電子書籍として出版した。そのうち、小学校の竹馬の友で、現在住友ゴムの会長をしている三野哲治君とは『運は天から招くもの』というタイトルで対談をしたが、要するに我々の生きてきた時代は幸せだったということを、関西経済界を代表する一人の経営者として語っていた。また、長田高校時代の同期の高柳和江さん(笑医塾塾長、元日本医大准教授)と、飯村六十四君(内科医)とは『笑いが命を洗います』との題で鼎談をした。ここでも3人は高度経済成長期と重なる躍動感に充ちた青年前期を語り合った。そんな世代と比べると、後に続く若者たちはまことに経済的には苦労が多いように思われ、先輩世代は彼らからすると、罪深く映るはずだ▼時代の甘い汁だけをたっぷりと吸い尽くして,遅れてきたる世代に何も残さないとすれば、確かに問題は少なくない。少し前の総合雑誌での世代間討論が妙に記憶に残っている。それは、そこそこの年金を貰って退官しようとする団塊世代の大学教師に、年金に将来期待が持てない今の大学生が「先生、逃げるのですか」と厳しい追及の矢を放つという中身だった。ともあれ恵まれた時代の子としての我々世代も、ついに齢70を迎える。その時代の意味を自覚したものたちが遅れて来るものたちに何を残すか。その真骨頂が問われるなあと、50年ぶりの再会場面で考えた。(2014・10・25)

 

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秋祭りの屋台をちょぴり担いだ肩の痛み

この一週間、両肩が痛い。先週の日曜日の地元の秋祭りで、屋台をほんのちょっぴりながら担いだためだ。これまでの人生で初めての経験である。今まで地域の自治会絡みのことはすべて家内に任せてきたのだが、今年からどうしても自治会副会長を引き受けざるを得なくなってしまった。粗大ごみの分別、整理など、あれこれと地域行事のお手伝いやらお世話をさせていただいているが、秋祭りでは格別の経験をさせてもらったのだ▼太鼓を叩く小さな子ども4人を含めて、屋台なるものは、およそ1000キロ、1トンはありそう。それを4、50人で担ぐ。一人当たり25キロから20キロの重みが肩にかかってくる計算だ。ところが、その人数を集めるのが年々難しいという。今年は40人を切ってしまった。一段と重くなってくる。私は担ぐ役回りではなかったが、つい見るに見かねて、飛び入りしてしまった。いやはや重かった。というより角棒が無性に痛かった。足はもつれてしまい、危うく転びかねない危険すら感じた▼一瞬、屋台が横転し大惨事になるという悪夢が頭をよぎったことも。時間にして5分間ぐらいだったが、貴重な経験をさせていただいた。若い男たちが力を合わせ屋台を担ぐのを、女や子どもや老人たちが囃すーこの他愛もない行為が持つ、浅からぬ因果関係に思いが及んだ。大げさながら、この構図が地域連帯のカギを握っているのかもしれない、とさえ。遠巻きにみているだけで、われ関せずの住民が殆どで、ごく一部の人だけが取り組む祭りの現状を変えていく必要を感じた。自ら屋台を担ぐことで、である▼昨日は、「人権を考える会」が催されるというので、小学校の体育館に足を運んだ。同じ町に住む子どものいじめを、見て見ぬふりをしていた新任の自治会副会長が、地域交流の大事さに目覚めるという短編の人権啓発映画『ヒーロー』が上映された。なんだか身につまされ、苦笑いやら涙ぐむことをも禁じ得ない作品で、印象深かった。また「公民館活動と人権とのかかわり」と題する講演も、小学校の校長を定年で辞めたあと、公民館館長をすることになったという人の体験談で、なかなか聞きごたえがあった。ヘイトスピーチが横行する現代社会を草の根から考え直すいい機会にもなった。肩の痛みが心なしか心地よく感じられてきたのはいささか不思議なことではある。(2014・10・19)

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黒澤組の職人が作った私好みでない映画

映画『蜩ノ記』を観た。観る前に、あまり感動しないのではないかとの予感がしていたが、案の定と言えなくもなかった。というのはこの原作小説がわたし好みの映画には向かないと思っていたからである。映画は、一にも二にも激しい動きを持って是とする、というのが持論。活動写真というのに、静かな映像で理屈が多くては相応しくないと思う。加えて映画にはカタルシスが不可避だ。辛い、苦しい、怒りに震えるような映像の連続が続き、途中でそれが一気にはね返されてスッキリするといった流れがないとつまらない。それはお前の好みだろうと言われればそれまでで、まったく違う好みの人もいよう▼残念ながら、これはもうわたし好みの映像ではなかった。ある罪のために10年後の切腹と自宅での藩史執筆を命じられた侍・戸田秋谷とその監視役として送り込まれた若侍・檀野庄三郎。静謐そのものの物語りの展開。主人公の役所広司は凛としており、助演の岡田準一もきちっとしすぎの観が強い。全体的に悪役が充分に描かれておらず、抑圧されたものが一挙に解消されるという筋書ではない。もっともっと理不尽な状況がしつこく前半で描かれないと、後半のスッキリ観が薄れてしまう。中途半端が否めない映画であったというのが私の率直な印象である▼尤も、先日の日経新聞の特集によると、この映画は黒澤明のまな弟子であった小泉堯史の6年ぶりの新作らしく、本物志向を貫く職人たちによる黒沢組のDNAを引き継いだ作品だそうだ。登場する家譜や日記の類は、すべて本物の書家がきちっと書いた。そう指摘されてみると確かにきれいな文字の羅列が印象深い。役所、岡田の二人が並んで書を書いている場面も幾度かあるが、書道の練習が課せられたというだけあって様にはなっている。それはそれで結構なことだが、肝心要の筋書がドラマティックな運びでないと、苦しい。というか、そうしたものが生きてこないのではないか▼原作について私は登場人物が眩しいほど立派すぎるというような感想を持った。映画はその原作に引きずられすぎたのではないか。確か、黒沢組には橋本忍という類まれな脚本家がいて、原作を大きく書き換えてみるといったような試みがなされたことが大きな役割を果たしたと記憶する。偉そうなことを書いてしまったが、あくまで私の視点だ。この映画にケチをつける気持ちはないのであしからず。黒澤映画に欠かせなかった三船敏郎や仲代達矢らの印象が私にはあまりにも強いからなのかもしれない。(2014・10・13)

 

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植村直己は高所恐怖症だったという謎

台風18号の足音が響き近づく中で、かねて予定していた山と海への旅を強行した。山とは、蓬莱山。大学時代の親しい友二人と、1174mの山頂から眺める琵琶湖の眺望は素晴らしかった。尤も、JR湖西線志賀駅から蓬莱山の隣に位置する打見山までは日本最速のケーブルカーで一気に登れる。だから歩いたり登ったのは二つの山の稜線をちょっぴりだけ。しかしそれでも、蓬莱山の山頂から小女郎峠までは山登りに慣れぬ者にとっては厳しかった。何よりも、台風の余波を受けてか、かなり風速が強く、一瞬でも油断すると谷底に落ちてしまうのではないかと恐れる場面もあった。過去10年ほどの間に同じ仲間で、奈良や和歌山、京都の山々を一シーズンに一回ほど登ってきたが、一度ならず遭難しかけたこともあり、毎回が命がけといっても過言ではない▼海の方は、山陰・浜坂海岸から船で行くジオパーク見学。私が今相談役として関わる企業が企画したモニターツアーに同行した。この旅は二回目。およそ珍しい岩肌や奇岩や洞窟などをたくさん見ることができるので何回も行きたいと思い、再度挑戦してみた。この日は残念ながら台風の余波でかなり海は時化ており、船上見学は30分間がやっとだった。フル行程は90分間なので、ほんのさわりだけ。というよりも入り口だけで引き返したというのが相応しい。船は大きな揺れに襲われ、船酔いをする人が出る寸前だった。陸上ではいかにも屈強で元気に見えても、海上での波にはからきし意気地がない人も散見でき、改めて海の怖さを知る思いだった▼そんな経験をした後、向かったのが植村直己冒険館。日本を代表する世界的冒険家・植村直己さんは、兵庫県日高町に生まれ、豊岡高校を出るまで、兵庫北部の但馬地域で暮らした。明大山岳部を出てから20年間で数々の冒険を敢行したが、43歳で世界初のマッキンリー冬期単独登頂に成功したのちに消息を絶った。この冒険館には、彼が使った数多くの装備品や世界各地で集めた品々が展示されている。また冒険行の記録映像なども見られるなど、感動を新たにした。会場では彼が担いだリュックサックが置いてあり、どうぞあなたもおぶってくださいと書いてあったので、背負ってみた。25キロだったが、思わずよろけてしまい、とても長時間は歩けない重さだった▼「僕は高所恐怖症です。今でも高いところは怖いし、高い山に登ると足が震える」ーこれは植村さんの言葉だが、とても信じられない。高所恐怖症といえば、選挙で支援要請のために高層マンションに行くのが嫌だった私のような人間に相応しい。モンブラン、キリマンジャロ、アコンカグア、マッキンリー、エベレストと世界初の5大陸最高峰登頂者には使ってほしくない。なぜこういったのか謎めいて聞こえる。南極,北極へ犬ぞりで単独行をしばしば敢行するなど、この人はおよそ冒険家とか探検家などという言葉では表現しきれない、壮絶な人格の持ち主だと感心する。山と海とでほんのささやかな怖さを,私自身が実感した後だっただけに余計に植村さんの凄さが感動を持って迫ったきた。冒険館で彼の書いた『青春を山に賭けて』を購入したが、いま早速読んでいる。このタイトルは、青春ではなく、生涯ではないのかと思う。10年間だけで死に別れることになった奥さんの公子さん(現在77歳で東京に在住とか)のことなど、知りたいことがいっぱいある。これらを親友だったという豊田一義さん(株式会社ジェノバ副社長)に訊いてみたいと思っている。(2014・10・8)

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徒労に終わった13年後の仇討

先日、親しい先輩から「なかなか良かったよ」と勧められたこともあって『柘榴坂の仇討』なる映画を姫路市内で見に行った。平日の3時過ぎに入場したこともあったが、観客はわずか5人くらい。おかげでホームシアターを満喫できた。この映画は、浅田次郎の同名の短編小説から脚本を書き起こしたもので、日経映画欄などを見る限り前評判は悪くない。中井貴一、阿部寛、広末涼子、中村吉右衛門らが出演している。警護の役割を持ちながら主君井伊直弼を暗殺され、自害も許されぬまま13年間にわたり、宿敵水戸藩の刺客の生き残りを探しゆく一人の彦根藩士の物語りだ。井伊大老暗殺事件そのものは明治維新の夜明け前の一大事として広く知られており、私も吉村昭の小説『桜田門外ノ変』で読んだ。襲撃後に、真っ白な雪の上に真っ赤な血とともに、指や鼻など人間の体の一部がむやみに残されていたとの記述が妙に印象に残っている▼その後日談ともいうべきものを描いた映画がこれだが、本の方は未だ読んではいない。『五郎治殿御始末』の中に収録されているというので近く読むつもり。映画と本はどちらの出来栄えも良いというのは意外にお目にかからない。その伝でいうと、本は面白いかもしれない。つまり、この映画は、一言で言うと「静かで、暗すぎる」というのが私の見立てだ。二時間ほどの上映中、”どっと”きたところは僅かに一か所、”くすり”ときたのが二か所ぐらい。笑いが少ない映画というのはいかにも寂しい。まあ、仇討がテーマだから仕方がないのだが、暗すぎるというのは好みではない▼この映画は深刻ぶらずに、ブラックユーモアの味だと見るといいかもしれない。というのも、13年間も追い続けてきて、ようやく仇討の相手を見つけたその日が太政官令によって仇討禁止となったというのだから。これを笑うのは不謹慎だろうか。最後に追い詰めた場面で、「殺せ」と開き直る相手に、亡き大老の言葉を持ち出して主人公は諭す。死んではならぬと説得をする場面には、変におかしな感じがこみ上げてきた。そんな大事な言葉を思い起こすのが遅すぎないか、と▼260年続いた江戸幕府下のおよそ封建的な侍の生き様と、明治維新後の大いなる生活の変革との対比は、極めて興味深い主題ではある。笑いを誘った唯一の場面の前段に感動的なくだりがある。消えゆく侍魂を維新後も持ち続ける男たちが、理不尽なやくざもののある侍への罵倒に耐えられず、次々と加勢に名乗りでていくところだ。このシーンは忘れがたい。あのあたりをもっと強く押し出すほうがわたし的には好ましい。惚れた夫にどこまでもついていく妻の愛しい姿勢や男女のからみよりも▼ところで、13という数字は何故か鋭い響きを伴っていて、小説的なふくらみを連想させるのに合うのかもしれない。山本周五郎の主従の絆の深さを描いた小説『蕭々13年』、高野和明のミステリー小説『13階段』、池上彰一郎の傑作脚本『13人の刺客』などが思い浮かぶ。そういえば、”江沢民の13年”というのもあった。彼がかの国のトップにあって半日教育に執念を燃やした歳月を指す。これは日中両国にとって本格的な悲劇の始まりだった。(2014・10・3)

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子どもたちの叩く太鼓の音から生命力を

先月に続き上京した。今回の目的はかつての市川公明党書記長の番記者たちとの懇親会に元広報局長として同席することや国交省、経産省への要望ごとなどだったが、たまたま26日の夜に昔の仲間が阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンでライブコンサートをするというので出かけることにした。30歳代半ばに別れたきりだったから、およそ30年ぶりの再会だった。6歳ほど年下だから団塊世代の最後だろう。早大で学んだことは知っていたが、テナーサックス奏者になったことは知らず、また奥方がピアノを弾きながらソプラノの美声で唄う音楽家だということもつゆ知らなかった。お琴と横笛など和楽器を見事に演奏する女性奏者も加わっての3人のライブは夏の終わりの夜を過ごすに相応しいものであった▼大学時代に教師から、なんでもいいから生涯を通じてやる運動を一つ持てと言われ、加えて演奏出来る楽器も一つもつといいと教わった。しかし、どちらにも縁遠かった。辛うじて60歳からジョギングをやり始めた程度。楽器となるとからきし出来ない。それどころか元々ピアニストとなるべく3歳から英才教育を受けていた妻を、長じてピアノから遠ざけてしまう因を私が作ってしまった。代議士の妻とピアノ弾きは両立出来なかったのである。お琴を弾く女性に憧れた若き日の思いを、記憶の闇から手探りで手繰り寄せながらの一時間余りはあっという間だった▼一転、姫路に帰ってからは自治会の秋祭りの準備で子どもたちによる和太鼓の練習に付き合う羽目になった。付き合うといっても練習会場の公民館に待機するだけで、何か非常のことが起こった際の対応要員に過ぎない。ところがそれが思わぬ機会になった。小学校1年生から6年生までの男女20人ほどの子どもたちの生態は滅多にお目にかからぬものだけに、一挙手一投足が面白い。ワイワイガヤガヤ、まことに落ち着きがなくうるさいことおびただしい。練習用に用意された古タイヤをバンバン叩きながら、「エンヤコーリャ、ドッコイ」「ヨイサー」などなどの掛け声をあげていく。当方は、観察するだけなのだが不思議なほどの生命力が漲ってくる▼教えるのは自治会の年配の幹部。年季が入っているというのか、まことに子どもの扱いがうまい。「何をへらへら笑おうとるんや」「もっと真面目にやれ」「やりたくないんやったら、やらんでもええで」「皆の真剣な姿や音にお父さんやお母さんは元気が出るんや」などと巧みに指導する。子どもたちも段々と真顔に。そんな合間に就学前の幼児や保育園児などがギャーギャーと歓声を挙げながら辺りかまわず飛び駆け回る。そんななかでじっとしているというのも決して楽じゃあない。しかし、ぼーっとしてるわけにもいかないので、本を開き読むことにした。かつて「忙中本あり」と銘打って静かな新幹線車中での心騒ぐ読書に没頭した私も、今では子どもたちの叩く太鼓の音や幼児たちの挙げる歓声や走り回る音のさなかにあって、心穏やかに読んでいるのだ。(2014・9・30)

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