嬉しい知らせとは、ハワイへ行くことでした。第2回SGI(創価学会インターナショナル)総会に、慶大会の代表が参加させていただくことになったのです。それこそ夢のハワイへ、仲間たちと行けるなんて文字通りの夢のような出来事でした。SGIは昭和50年(1975年)年に発足し、第一回の総会はグアムで開かれていました。池田先生は名誉会長になられていらい、SGI会長として縦横無尽の闘いを展開されてきて、この時にも51カ国の代表の前で、講演をされています。
慶大会は発足の〝あの日〟から13年が経っており、その時に集った一期生に加え、六期までの結成がなされて、全体では200人に迫る陣容となっていました。広宣流布の人材を育てようと、先生は全国各地で大学会を結成され、その都度、指導、激励をしてこられたのです。そんな中、アメリカ・ハワイの地でのSGI総会に世界のメンバーとともに参加さていただけるとは、まことに果報者という以外にありません。私は関西・兵庫の地から喜び勇んで参加しました。この時の参加者は58人。当時4年生で学内委員長だった和嶋公男君と3年生の赤羽一嘉君が現役生の代表として参加していました。二人とも快男児で、若い魅力を発散させていました。和嶋君は山形・酒田出身。高等部時代に東北担当だった私とは縁がありました。ハワイでの再会は、後の彼の人生を私がグイと捻じ曲げるきっかけとなるのですが、それはまだ先の話です。赤羽君も就職してから、我が兵庫にやってくるのですが、それが彼の運命を大きく変えることになります。
出発は8月22日4泊6日の旅でした。宿泊先のホテルはワイキキビーチのすぐそばにあり、絶好の眺望を楽しみながら、束の間の遊泳にも興じたものです。三人一部屋の同室の仲間は岡山から参加の日笠勝之、舞鶴からの阿戸與志和の二人。三人とも1945年生まれ。但し、現役合格の日笠さんは、一級上の兄貴格。夜を徹してあれこれと語り合いました。在学中、我々は「第三文明研究会」という学内組織に所属して、互いに切磋琢磨していましたが、日笠さんは、その委員長だったのです。
その当時、三田祭(慶應大学内の学生祭)に同研究会として参加したのですが、日笠さんと、女子学生の責任者だった高橋敏子さんとのツーショットが話題を呼びました。高橋さんは当時慶大法学部のマドンナ的存在だったので、羨む連中が〝美女と野獣〟と囃し立てたものです。その後、高橋さんは弁護士となり、国際弁護士と結婚して、浜四津姓となって、大きく転身します。そして日笠さんも同じ舞台で、見事に羽ばたくことになるのですが‥‥。
総会参加後、ホノルル滞在中に、真珠湾に船で見学に行ったことは忘れられない体験です。アジア太平洋戦争における日本の敗戦の年に、この世に生を受けた私としては、その勃発の地に、開戦後ちょうど40年経って訪れたことに深い感慨に浸らないわけにはいきませんでした。皆で、「戦争の世紀」の20世紀から、「生命の世紀」の21世紀への担い手足らんと、決意を固めあいました。
現地の皆さんとの交流の機会にフラダンスを見せていただいたり、またホノルル島内最先端の岬にまでバスで行って、まさに360度の眺望を見たことなど感激以外の何物でもありませんでした。ただ、残念なことに、一歳年上の先輩で副委員長的存在だった木村靖治さんが、35歳の若さで2年前に急逝されていました。小柄ながら大胆かつユーモア溢れる人で、私は様々にこの人から啓発を受けたものです。ハワイには無念の不参加となったのですが、先生からホノルルにおける記念植樹(ウリウリの木)の提案があり、滞在中に皆で植えたのです。この木が育って行くことを楽しみに、皆の成長を確認し合おうということになりました。かくほどまでに慶大会のメンバーに熱い思いを持ってくださる先生に深く厚い感謝の思いを抱きました。