●出版の余波あれこれ
2001年に発刊した『忙中本あり 新幹線車中読書録』は、新聞メディアが相次いで取り上げてくれました。掲載順でいくと、最初は産経新聞月曜版の書架欄(2月5日付け)。「HPの『読書録』で問題提起」との見出し、写真付きでデカデカと。13字詰め79行も。「本を読むことで幾重もの人生を経験できる。書店に並ぶ大量の本をみて『こんなにあるんだから読みきれない』といった友人もいましたが、だからこそ読まなければ、と思ったんです。五十代のいま、失われた四十代を取り戻しているところです」とのコメントが我ながらまぶしい。ついで、東京新聞「大波小波」欄。「見識を国政に」が見出し(5月2日付け)。ここでは、最後の数行が私にはきつくこたえました。「この人の読書領域は実に広い。駅頭などで見かけるそんじょそこらの議員センセの自己宣伝用国会報告よりも、肉声が聞かれて親近感がわく。ただし、その豊かな見識を国政に生かせなければ、本物の読書とはいえまい」ーおっしゃる通りです。
次に朝日新聞夕刊の「窓」(論説委員室から)欄(5月21日付け)。タイトルは「読書家議員」。「政界では市川氏に忠実に支えてきたというイメージが強かったが、最近は「読書家」の方が通りがよいようだ」「書評が評判になるにつれ、『本業に差しつかえる』などと心配する声が党内から出る。それには党外の知人らが『政治家こそ言葉を大事にすべきだ』と逆に励ます」ーどちらも有難いご指摘でした。エコノミストの「著者に聞く」7月24日号にも。「僕の読書録は、本を通じた『現代』の切り取り」ー「自分がどんな本を読み、そこから何を得て、何を考えているかとくことをさらけ出すことは、政治家にとって究極の情報公開だと思っている」と、聞き手の小松浩毎日新聞記者に語っています。この人は後に同紙論説委員長になる敏腕記者。彼はまた、翌年の毎日新聞「人」欄にも私を取り上げてくれました。
●日経新聞「交遊抄」や週刊紙にも登場
日経新聞エンドページの『私の履歴書』欄の下に掲載される「交遊抄」は、様々な人たち相互のお付き合いが窺える面白いコラムですが、この年の5月2日付けでは「アジア通に学ぶ」と題して、私の担当となりました。ここでは「アジア・オープン・フォーラム」を通じての恩師・中嶋嶺雄先生から始まって、一緒に台湾に行った曽根泰教慶大教授、伊豆見元静岡県立大教授らとのつながりを紹介しました。最後4人目には我が級友の小此木政夫慶大教授。「アジア研究の第一人者である方々の話は知的刺激にもなり、政策を考えるうえで参考にさせていただいている」と結んでいます。思えば、他にも朝鮮半島問題を専門とする学者や、台湾問題、中国問題に熟達した友人が私の周りにはなぜか多いのです。
中嶋嶺雄先生といえば、中国問題の碩学ですが、この頃、ある週刊紙の『私の週間「食卓日記」』なる連載コラム(5月31日号)に、私のことを書いてくださいました。その内容はある意味で衝撃の中身(笑)でした。「4月26日(木)(前略)虎ノ門パストラルで公明党代議士赤松正雄君の傑作『忙中本あり』の出版記念会。同君は私が慶応大法学部に出向していた時の教え子である。小泉新内閣に知人が何人か入閣した夜で、政界の面々や山崎正和氏、石川好氏らの旧知も多かったが、今夜は私が発起人代表なのでパーティではサンドイッチを少々つまんだ程度。帰宅後は明朝渡さねばならない新著の校正が深夜までかかり焼菓子で空腹を満たす」と。ー先生、すみません。何か持って帰って貰う気配りをするべきでしたのに。
●参議院選挙での「連合5党協」の動き
この年の夏の参議院選挙では、兵庫選挙区にちょっとした異変が起きました。1992年までは定数3だったのですが、1995年からは定数が2となってしまい、公明党は挑戦が難しくなりました。ところが、その次の1998年の選挙では共産党が一議席を奪取。このため、公明党は、2001年の選挙ではなんとしても共産党を通させまいとして、自民党を推す一方、一部民主党にも支援の手を差し伸べたのです。新進党結成当時から、自民党にとって代わる勢力の構築をということで、労組連合との相互協力も進んでいました。いわゆる「連合5党協」と呼ばれた仕組みがそれです。その背後には兵庫県の労組「連合」のリーダー・石井亮一さんの存在が大きかったといえます。彼は我が母校・長田高校の大先輩。私の同期の石井道信君の兄貴ということもあって、親しみを感じるところがありました。その上、兵庫県民主党のトップ本岡昭次さんとも私は妙にウマがあいました。というようなわけで、この年の民主党の候補者・辻泰弘氏に部分的支援をした次第でした。
そうしないと、共産党にまたもや一議席を奪われかねない恐れがありました。こんなことで、選挙直前の新聞(朝日新聞7-20付け)には、「兵庫で公明、民主に協力」ー「見返り狙い敵に塩」「非共産で利害一致」などと大きく報じられました。そこでは私の「民主というより、昨年の衆院選で支援を受けた連合兵庫が推す候補を応援するという意識が強い」とのコメントが紹介されています。選挙制度の変更で小選挙区に出られず比例区に回った私とは違って、兵庫では2区赤羽一嘉、8区冬柴鐵三の二人の小選挙区候補が、厳しい選挙を余儀なくされていました。水面下では一票でも欲しい壮絶な闘いが展開されていたのです。
こうした兵庫県独自の闘いに揉まれていく中で、のちのち花開く多くの付加価値を得ることが出来たのです。 (2020-4-24公開 つづく)