【37】鈴木宗男氏の証人喚問に立った日ー平成14年(2002年)❶

●不審船事件めぐり国交委で大議論

平成13年(2001年)の暮れに九州南西沖でいわゆる不審船事件なるものが起こりました。これについて新年早々の10日に閉会中審査(国会が休会中の時に開くこと)を行うことにしました。7党から9人の質疑者が立ち4時間かけての大議論になったのです。
不審船に対して、海上保安庁がとった行動をまとめると、次の5段階になります。①外見から外国漁船と判断②日本の排他的経済水域内において、いわゆるEEZ漁業法第5条第一項に違反して無許可で漁業等を行った恐れがあると判断③海上保安官が事実関係を確認するためにEEZに適用される漁業法74条第三項に基づき検査をするべく停船命令を繰り返した④当該船はこれを無視して、逃走したので、漁業法141条第二項に基づく検査忌避罪が成立、逮捕するため、巡視船及び航空機で追跡⑤なお、日中中間線を越えて、日本の排他的経済水域外に逃走したが、巡視船と航空機は、国連海洋法条約111条の二項及び第三条第一項第四号に基づく追跡権を行使した。

少々鬱陶しい書き方になりましたが、海上保安庁の行動がいかに法に基づいてのものであるかを改めて確認するために、詳しく記しました。これを見ますと分かりますように、海保が動いた法的根拠は殆どが漁業法違反との名目です。委員会では、これでは十分な対応は困難であるがゆえ、新たな法整備を急げとの提案やら❶領海外でも危害射撃をすべき❷海上警備行動発令前に準備命令ができるように法改正せよといった勇ましい問題提起がなされました。さらに、防衛庁と海保との共同対処についても積極的な意見が出た次第です。
私が国交委員長当時の議論ではこの問題が一番世の中の話題になりました。この時の議論で印象に残ったのは、海上保安庁の縄野克彦長官、防衛庁の首藤新悟防衛局長、北原巌男運用局長らの活躍です。

●予算委で鈴木宗男氏への証人喚問質問に立つ

この年大きな話題になっていったのが、自民党の鈴木宗男氏(当時衆議院議院運営委員長)の国後島における施設の建設工事の入札、個別事業者選定に絡んで関与したのではないかとの疑惑です。様々な経緯を経て、3月11日に予算委員会で同氏に対する証人喚問が行われ、私が公明党を代表して質問に立つことになりました。持ち時間は10分間です。この時のやりとりは5問5答だったのですが、実はその喚問に入る前提として、私は重要なことを述べています。この質疑は後々重要な意味を持つことになりますので、導入部を全文明らかにしておきます。

ー私は先の参考人質疑(2-20)における鈴木証人のお話を聞いておりまして、二つの大きな勘違いをされていると思います。それが今貴方が直面されている状況と非常に関係していると思うのです。一つは「ロシアやアフリカなどに取り組んだ政治家は自分以外にいないはずだ」と言われました。もう一つは、「自分は叩き上げであって、古いタイプの政治家だ」と言われました。しかし、これは2つながらに、ご自身誤った自己イメージを持っておられると思います。そこに、悲劇の原因があると思います。

前者については、確かにアフリカ、ロシアに関して、一所懸命にやっておられる政治家は貴方をおいていないかもしれない。しかし、同時にご自身の利権というものに対して強い関心を持っておられる。そこを優先されてるっていう政治家は他にいないだろうと思います。それから、叩き上げ、とおっしゃり、古い政治家のタイプだと言われました。ですが、貴方は、外務省の報告書を見る限り、人を叩いて上がってこられたんではないか。ご自身を叩き上げたというよりも、周りにいる人を叩いて上がってこられた人ではないかと、そういう風に言わざるを得ないのです。

こう発言したのですが、自身を叩き上げたのではなく、周りを叩き上げて上がってこられたというくだりで、予算委員室は爆笑に包まれました。本題に入って、私は様々な要職についてきた鈴木氏が人事の介入などを通じて、越えてはならない一線を越えたのではないか。感覚が麻痺してしまったのではないかとの観点からの質疑をしました。鈴木氏は終始一貫、真摯な答弁を展開しました。最後に、「ご指摘をしっかり受け止めないといけないと思っています。(中略)外から見れば、もたれあいだ、さらには癒着だと言われる構造があるかもしれません。この点重々私自身反省しながら、今後対応していきたいと思っています」と述べられたのは、印象に強く残りました。

実は鈴木宗男氏は、私の選挙の応援に陰ながら支援の手を差し伸べてくれていました。気に入った人間とは党が違っても関係構築を惜しまないという、度量の大きい政治家ではありました。また、当選後にも幾たびか懇親の機会を持つなど、私とは個人的に親しい関係にあったのです。それだけに、証人喚問をするというのはやり辛さは否めなかったのですが、手ごころを加えず、厳しい追及をしました。このやりとりは後々今に至るまで、尾を引くことになるのですが、それはまた追って触れることにいたします。

●「有事法制」巡って与党内や憲法調査会で議論

2002年の通常国会は、「有事法制」を巡って本格的な議論が展開されることになります。私はこの分野の担当政調副会長として、活発に動きました。政府当局がまとめた法案は、国会提出する前の段階で、自民、公明の議員で構成されたプロジェクトチームで揉むわけです。三月下旬に開かれた同チームの定例会では、有事(災害時も含む)に際して、国が地方自治体に指示する権限やら、物資の保管命令など私権制限にあたって罰則を設けるかどうかなどで、議論が白熱しました。加えて、大規模テロや不審船対策が盛り込まれていないことにも言及されました。この辺りのことについて、3月21日付けの讀賣新聞「スキャナー」欄で、「有事法制 はや異論」「国の権限 自×公対立の構図」などと書きたてました。しかも、「危機対応に穴」ー「『テロ』盛らず、与党内から批判相次ぐ」などの見出しで、いささかオーバーに書いています。「テロへの対処をどうして考えないのか」との自民・石破茂氏の発言と並んで、私の「小泉首相は武力攻撃に至らない事態を含めて考えろと言っていたはずだ」とのコメントも掲載されていました。

また、この案件は衆議院の憲法調査会でも取り上げられました。この当時(3月末から4月にかけて)、衆議院では4回の小委員会が開かれたり、沖縄県での公聴会を開くなど活発な議論が展開されました。とりわけ5月3日の憲法記念日の前に全委員による自由討論は盛りあがりました。この時に、「有事法制は現行憲法と相いれない」と、社共両党の議員が発言。これに対して、私は「九千九百九十九まで平和構築の努力をしても万が一、有事に直面したら努力は水泡に帰す。万が一の準備をするのが政治の責務」と、強調したのです。これは4月30日付けの朝日新聞「憲法を考える」欄に掲載されました。(2020-4-30公開 つづく)

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