●阪神淡路大震災を記録する防災センターが完成
この年、平成14年(2002年)は、阪神淡路の大震災からあっという間に7年が経っていました。未曾有の犠牲者と大災害をもたらした、あの震災の全ての記録を残そうと、「人と防災未来センター」が神戸市内に建設されました。4月21日にオープニング式典、その前日にレセプションがあり、私も出かけました。レセプションの場に、皇太子ご夫妻がご出席されていて、参加者と短い時間ですがお言葉を交わしていただく機会がありました。お二人の間隔は少し離れた位置にあり、二筋の人の列が出来ました。私は雅子妃殿下の列に並び、順番が巡ってきた際に、二つのことを申し上げました。
一つ目の話題は、小和田国連大使(当時=妃殿下の父上)について。一度だけ飛行機内で隣り合わせになった時のことです。飛行機が離陸後、安定飛行状態に入り、食事を済ませられると、同大使はあっという間に、睡眠態勢に入られ、目的地のワシントンに着くまで、そのままの状態で眠り続けられたのには驚いた、と言うことを伝えました。旅慣れぬ私など、文字通り悪戦苦闘して、寝付けなかっただけに、極めて印象に残りましたと申し上げると、妃殿下はにっこりされて「あの人はどこでも寝られる人なんですよ」と言われたのです。
二つ目は、私の後輩の山本かなえ参議院議員が元外務省の職員だったので、同じ職場に勤務されていた妃殿下はご存知かどうか、聞いてみました。すると、「よく存じ上げていますよ。頑張ってくださいとお伝え下さい」とのご返事。まことに他愛もないことを話題にしてしまいましたが、実に丁寧にお応えいただき、嬉しい思いを抱いたことをよく覚えています。
大震災から7年。ようやく復興へのメドがついた神戸にそれまでも幾たびか足を運んでいただいたお二人の温かいお心に、心より感謝する思いを抱いたひとときでした。
●集団的自衛権問題で『世界週報』などに論文
また、この頃、集団的自衛権をめぐる議論も活発に行われ、私も様々な主張を各種の媒体に提起しました。そのうちの一つは『世界週報』4月16日号です。タイトルは「集団的自衛権を認め『やれること』『やれないこと』の明確化を」です。また、もう一つは、産経新聞の『私にも言わせてほしい』欄で「武力行使の一体化」をテーマに論考を寄稿しました。
『世界週報』の論文は、憲法を拡大解釈する勢力(いわゆる改憲派)と、憲法を縮小解釈するグループ(いわゆる護憲派)との二つの立場が、適正な解釈を妨げることになっていることを、4頁にわたってわかりやすく述べたものです。自分としては、出色の出来栄えだと今なお自賛できます。憲法の「改正」の是非を問う前に一度整理しないと、結局は「神学論争」と言われたり、逆におおざっぱな飛躍した論争だと言われてしまう、との趣旨です。
イメージ図を掲げつつ、以下のように表現しました。
憲法の適正解釈を正方形で表す。それを包む大円を描く際に、四隅にできる空間が拡大解釈部分を意味する。一方、正方形の中に小円を描くと、やはり四隅に隙間ができる。これが、縮小解釈部分を表現するわけだ。(図参照=ここでは省略) あくまでイメージだが、これが長く日本の憲法や安保論争において取り沙汰されてきたもののポイントではないかと思う。このうち、集団的自衛権を巡って、今の憲法9条の規定ですべて認められるとすると、それは拡大解釈であろう。つまり、認められるものと、認められないものがあるということで、すべて認められないというのは、逆に縮小解釈であるということなのである。
このあと、具体的な例として、「9-11」のテロ事件に際して、NATOが発動した集団的自衛権の行使のように、アフガンに直接的な戦闘行動に参加することは、拡大解釈であり、後方地域で武器・弾薬の輸送を支援することなどを、武力行使と一体化と見なすのは縮小解釈だとしています。
産経新聞のコラムは、田原総一朗氏の「サンプロ」での発言や「週刊朝日」の記事に対する反論を書きました。周辺事態法は戦争法ではないのかとの批判に対して、「紛争に巻き込まれたら、その時点で業務を中断する、その意味では戦争に参画するものではない」と述べています。また、武力行使の一体化という概念については、「実力をもって阻止する行為そのものと、それ以外のものとは、区別した方がいい」と述べる一方、周辺事態法における対応については「憲法9条と前文の双方の精神を生かしつつ、日米同盟のきずなを強化していく『知恵』が働いている」と強調しています。
●安全保障問題議員訪米団に参加
安全保障問題を専門とする議員の訪米団の一員として、GWの只中の4月30日から4日間、ワシントンを訪問しました。これは「日米安全保障戦略会議」設立に向けての米政府関係者との意見交換と、ヘリテージ財団主催のシンポジウムへの参加などが主な目的でした。一緒に参加したのは、瓦力、久間章生、額賀福志郎、井上喜一、東祥三、末松義規氏らです。
この時のシンポジウムでの私のスピーチは、「世界同時多発テロと2つの失望」と題するものでした。一つは、ブッシュ米大統領が沖縄の米軍基地の縮小を言っていた(選挙戦で)が、「9-11」の結果、後退せざるを得ないこと。二つは、テロ対応として、これ以上の支援を日本に米国が期待されても期待外れに終わること。加えて、沖縄の米軍基地問題に触れ、日本は日米安保条約に基づき、ホストネーションサポートをしっかり行うが、米国はもっとゲストネーションマナーを弁えて欲しいと、強調しました。これは、米兵による婦女暴行問題、環境問題、軍事演習のあり方などを巡って傍若無人的行為が日常茶飯事であることを意識したものです。日米地位協定の差別的あり方に根源があるものですが、私はシンポジウムでだけでなく、米側との懇談の場でもしっかりと訴えました。
こうした言うべきは言うという私のスタンスは、少なからぬ反響を呼びました。旧知の各社現地特派員のお世辞的発言はともかく、米国に住んで40年が経つという沖縄出身のヴィクター・E・オーキムさんから、「沖縄に対するあつい心をお持ちのお話を聞かせていただき、感動いたしました。本当に嬉しかったです」との感想をいただきました。これにはこちらも感激しました。
この訪米は知日派として知られるアーミテージ国務副長官とも懇談する機会に恵まれるなど、なにかと収穫の多い旅ではありました。ですが、讀賣新聞の柴田岳特派員から、「多くの日本の国会議員が団を構成して訪米してくるけど、本当は個人で来られるべきですよ。そうでないと、実りある日米議員交流にはならない」と、きついアドバイスをいただきました。シンポジウムの時に、聴衆のひとりとして後部上方の座席にでんと座っていた彼のでかい身体に大きな懐かしい顔が、この言葉と共に、今もなお印象に残っています。(2020-5-3 公開 つづく)