●イラクへの陸自派遣めぐり独自の見解
イラクへ陸上自衛隊を派遣する問題は、党員、支持者の間でも強い疑念や反発が強く起こりました。特に婦人層に訝しく思う向きが多いので、わかりやすく、なぜ自衛隊がいかねばならないのかということについて説明してほしいとの声が強かったのです。当時、政府の説明も、自衛隊のいるところは安全だなどと、分かったような分からないような言い回しがなされたこともあって現場は混乱していました。そこで、私は平成16年(2004年)の新年未だ明けやらぬ頃に、公明新聞紙上で説明(2-2、2-3付け)をしたり、国会リポートで繰り返し解説しました。
とくに、公明新聞紙上に党外交・安保部会長として寄稿した論考では、「公明党はもはや平和主義を捨てた」との的外れな党内外からの批判について、「三つの勘違いと一つの思い込み」がある、との指摘をしました。
世の中の勘違いの一つ目は、イラク戦争を個別のものと見てしまってることです。湾岸戦争以来13年間続いていると見るべきだとしました。二つ目の勘違いは、仏独が米国と距離を置いているのに、日本は米国に肩入れし過ぎだという点です。対北朝鮮の視点から、日本が日米同盟の絆を強めることは自然だとしました。三つ目は、戦闘状態の再発が懸念される地域に自衛隊を出すことは、憲法の禁じる武力行使に追い込まれる可能性があるという点です。これは、もしそうなれば、任務を中断したり、活動地域を変えればいいと主張しました。一つの思い込みとは、国際貢献は、PKO(国連平和維持活動)までで、それ以上は踏み込み過ぎだとの捉え方です。直接戦闘が行われていない地域での人道復興支援は憲法の枠内であり、踏み込み過ぎというのは錯覚だとしました。
以上の議論をもとに、「多少危ないところであっても、秩序破壊の国際テロは断じて許さない、との決意のもとに人道的見地から、イラク復興へと行動することを、公明党は平和主義と決して矛盾するものとはとらえていないのである」と結論付けました。これで、現場は理解してくれるとの見方は、今となっては甘かったという他ありません。やがて、大量破壊兵器についてはとうとう見つからず、英国では政権が自己批判してしまいました。「どさくさ紛れにフセインが処分したか、どこかに隠した」との私の議論の破綻も自ずとハッキリしてしまいました。それでもイラクで不測の事態が起こらなかったことは、僥倖だったというべきでしょう。この辺についての〝落とし前〟は、やがて私の責任としてつけざるをえなくなるのですが、それはもう少し後になってからのことです。
●憲法調査会で女性天皇肯定論を発信する
2月5日に開かれた憲法調査会ー憲法のあり方調査小委員会では、象徴天皇制と憲法の関係を巡って議論がなされました。冒頭、参考人として招聘された横田耕一九州大名誉教授は、「伝統重視に立つとしても、過去に『女帝』は実在している。国民感情からも認める意見が多い。女性天皇を認めないのは合理的根拠がなく、憲法違反だ」との意見を表明されました。このあと、委員からそれぞれ、女性天皇をどう考えるかについての意見開陳がありました。自民党の船田元、森岡正宏氏らが反対論を述べたものの、他の政党の委員は私を含めてみな容認姿勢を示しました。
自民党の反対論者は、日本の伝統、歴史に基づく天皇制と基本的人権を同次元で議論する考えは受け入れられない」「男子の皇位継承者がいない一時的な場合を除き、女性天皇を認めるのは時期尚早」というものでした。いわゆる男系男子でなければ、日本の歴史と伝統にそぐわないというのでしょう。私は天皇制そのものが持つ理念として、女性天皇を排除することはおかしいとの立場です。ただ、小委員会の場であれこれ深入りすることは避けて、女性天皇を容認する短い発言にとどめました。
天皇制を巡っては歴史と伝統を強調すればするほど、古代から中世にかけて、天皇をめぐる血腥い権力闘争をどう見るのか、との疑念も起こってきます。勿論、時代状況のなせる業で、今とは全く時代背景が違うと言えるのですが、保守派の皆さんがあまり男系にこだわると、余計なことも想起せざるを得なくなってきます。その後、秋篠宮家に男子が誕生されたことから一時の切迫感が遠のいたやに見受けられますが、事の本質は変わっていないだけに、詰めた議論を踏まえた上での的確な対応が求められます。
●憲法9条も加憲論議の対象にすべしとの提案
憲法調査会が開かれた前日の4日に、公明党内でも憲法をめぐる議論が行われました。今と少し違って、かなり活発に党内議論を公明党もやっていたのです。座長を太田昭宏幹事長代行(当時)がやっていたこともあり、かなり賑やかに様々な学者や文化人を呼んで、意見を聞いたうえで、お互いの議論を交わしたりしていました。公明党は、当時、環境権やプライバシー権など、現行憲法施行当時には組み入れられてなかった権利についてのみ加えようとの「加憲」の方向性を打ち出していました。太田さんを中心に熱心にそのあたりについての必要性を発信したものです。
この日の党調査会では、太田座長から「加憲の対象として、環境権や、プライバシー権、知る権利に加えて、憲法裁判所や首相公選制も議論の対象としたい」との発言がありました。これに対して、私は、「憲法9条のあり方についても加憲の対象にすべきではないか」「国際貢献の必要性について、憲法に明示した方がいいのでは」といった発言をしました。これについては、翌5日付けの読賣新聞が「改憲論議本格化」との主見出しで、民主、公明両党の党内論議をめぐる話題として提供しましたが、それを基に点描すると、こうなります。
公明党については、「『加憲』9条巡り賛否」とのそで見出しで、私の9条加憲賛成論に対して、太田さんが私の意見は、個人的なものだとしたうえで、「党としては9条には手を加えないという考えでやっていきたい」と述べたと報じています。この辺については、神崎代表が同日夕刻の記者会見で、「党の従来の9条堅持という考え方があるということを踏まえながら、タブーを設けず議論する」と述べ、「(9条の条文を)変えない場合もあるし、変える場合もある」と付け加え、方向性を示すことは避けたとも伝えています。
私は加憲を言うなら、9条も含めるべきで、いつまでも議論さえしない、アンタッチャブルではおかしいとの意見でした。公明党のウイングを右に少し広げるには欠かせないと思ったのです。もちろん、左の方からの批判は覚悟の上ですが、男性諸氏には大いに受けたことも付け加えておきます。(2020-6-1 公開 つづく)