【51】結党40周年の節目の党大会を前にー平成16年(2004年)❹

●自衛隊中部方面隊と県伊丹高の合同演奏

昭和39年に結党された公明党も、早いもので、この年11月18日に40周年を迎えました。記念すべき日の一ヶ月ほど前に、兵庫県伊丹市にある自衛隊中部方面隊の創立44周年の会合に出かけました。この時、自衛隊の音楽隊員と地元の県立伊丹高校吹奏楽部の男女高校生による合同演奏がありました。チャイコフスキーの『序曲1812年』です。少し以前にイラクで犠牲になった外務省の奥克彦さんの後輩(彼は同高卒)たちによる演奏だと思うと、一層胸に染み込みました。

この時のレセプションでスピーチに立った私は、こう述べました。

今日は載せ上手な方が多いと見えて、タイミングよく拍手が出ていますが、私の話はすぐに終わります。自衛隊中部方面隊が誕生したのが44年前の昭和35年といいます。その年は日米安保条約改定の年です。いわゆる60年安保の年で、私はちょうど中学3年生でした。実に感慨深いものがあります。(ここで拍手が一部から出たものですから、「まだちょっと早い」とつい言ってしまい、場内大笑いに)。ところで、私は自衛隊を我が国の憲法にきちっと位置付けるべきだと考えるひとりです。以上、おわりっ。

こう述べたものですから、場内、大拍手。 短いことに喜んだか、その内容の歯切れの良さに感激してくれたのかはわかりませんが、恐らく両方でしょう。後に、交歓の時間になって元陸将で方面総監、富士学校の元校長だったという人物がやってきて、こう話しかけてきました。

「貴方のようなはっきりとものをいう公明党議員がいるとは驚いた。今の政治はことごとく公明党が自民党の足を引っ張っている。要するに(公明党は)何をしたいのか、はっきりしない。なんとかならぬかと思っていましたが‥‥」ーこう言われたので、私は以下のように言い返しました。

「自民党の足を公明党が引っ張ってるとおっしゃるが、政権を一緒に組んで5年。むしろ公明党のお陰で、自民党が助かってることが多いのですよ。貴方のようなことを言われる方に会うと、『それなら連立を解消しましょうか』っていうことにしているのです」と。これって、「売り言葉に、買い言葉」だったでしょうか。

●讀賣新聞が私の発言を引用して『変革の岐路』と書く

実はこのやりとりを国会リポートに書きました(10月12日号)ところ、讀賣新聞が「公明 結党40年」というたたみ記事を10月31日の党大会当日の朝刊で書きました。見出しは、「〝第三党〟変革の岐路」とありました。

そこでは、公明党がこの40年というもの 「イデオロギーにとらわれない庶民の党を標ぼうし、福祉重視で存在感を示した」うえ、「中小政党でただ一つ、生き残りに成功した形である」と評価する一方、「その間に連携相手を何回も変えた」ことは「政治のリアリズムだと言うのならそれまでだが、『場当たり的で一貫性がなさ過ぎる』と見る有権者も少なくない」と批判の矛先をこちらに向けていたのです。

そのあとで、私の国会リポートでの先に紹介したやりとりを引用した後に「赤松氏はこう語る。公明党のおかげで自民党が助かってることだって多いと反論したんだ。ただ、かつてのように国連中心主義を掲げていれば済む時代ではない。国内外の変化に応じるため、党はもっと自己変革をしていかなければならないとは思う」と続けています。

この記事は最後に、「公明党は自民党や民主党のような形で党首選を行ったことがない。『政党文化の違い』『団結優先の結果』とされるが、疑問に思う議員はいないのだろうか。公明党は今岐路に立っている。今回の党大会は四十年の歳月を振り返り、政党としてのありようを問い直す好機だ」と結んでいます。胸にグッと突き刺さってきました。

書いたのは飯田 政之記者。当時最も親しかった番記者のひとりです。彼はその後北海道の札幌支局編集部長になったり、讀賣交響楽団の事務方のトップを経験したあと、福岡放送取締役を経て、現在は広島テレビの専務取締役をしています。『北の日曜日』『オーケストラ解体新書』などの著作もあり、剣道を嗜み、ヴァイオリンの演奏も巧みな文武両道に長けた、なかなかの才人です。

●自民公3党の憲法調査会座談会(讀賣新聞)に登場

この年の11月4日付けの讀賣新聞14面、15面見開きで、衆院憲法調査会3党座談会が掲載されました。前日の3日が日本国憲法の公布日であり、翌年春に衆参両院におけるこれまでの同調査会の最終報告書をまとめるにあたってのものでした。自民党から保岡興治、民主党から枝野幸男(共にそれぞれの党の調査会長)、公明党からは党の事務局長をしていた私でした。司会は、御厨貴東大教授(当時)でした。

この座談会では、論議の現状と評価、国家と個人・家族、政治と行政、憲法9条と自衛権、日米関係と安全保障、今後の取り組みの6つの角度から自在に三人が語っています。冒頭のテーマでは、枝野氏が「なにをどう変えるのかというテーマ設定なしに、『護憲か改憲か』などという論議はあり得ない」と述べたので、私は「私流に言えば、全面的に変えるのか、それとも全く変えないのかという議論は設定の仕方がおかしい。(中略)『何をどう変えていくのか』という収束のさせ方をしていないから、いろいろな形で(憲法調査会の)話が飛んでしまっているという感じがする。今のような漠たるやり方ではなく、新しい人権では何が必要かとか、内閣と地方自治の部分も新しくするにはどういった点が必要かなどと、議論を整頓していくべきではないか」と述べました。枝野氏の主張をより具体的に言い換えた格好になっています。

国家と個人・家族については、「国家の責任、個人の責任、共同体の責任、家族の責任などについて、『権利対義務』という捉え方ではなく、『責任対無責任』という角度で、憲法上の大枠で捉えてはどうかと感じている」と述べています。家族の大切さを憲法に入れるべきだと考えているという保岡氏に対して、「憲法の中に家族の位置づけを規定する必要はない」として、これも枝野氏と同じ立場でした。

憲法9条と自衛権についても、枝野氏の「(集団的自衛権を巡っては、)どこまでやって、どこからはやらないという線を明確にする必要がある」という主張に対して、賛成の意を表明しています。その上で、「どう整理するかと言えば、先ほどの日米近海における日米共同対処の部分は、集団的自衛権の範ちゅうには入れない。一方、アフガン空爆やイラク攻撃など、海外における直接戦闘行動や武力行使にかかわるものは、日本はやらない。こういうことを明確にしていくことによって、国連平和維持活動(PKO)における武器の使用と、一般的な武力行使を混同するような議論も整理できるようになる」と述べました。

こういう風に見ると、この時点から15年以上経っていても、枝野氏と公明党の憲法における立ち位置はそう大きな隔たりはないように見えます。こうした点で、公明党が立憲民主党との合意を形成する努力をもっとすべきだとの私の持論は生きてくると思えます。(2020-6-10 公開 つづく)

 

 

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