【74】医療制度で毎日「発言席」に。産経「本棚」にもー平成20年(2008年)❹

●毎日新聞の「発言席」に寄稿

「高齢者医療制度」については、二年前の小泉政権の最後で私も厚生労働副大臣の立場で改革に尽力したことは既に触れました。その後動き出した新制度をめぐり、様々な意見が飛び交い運用に混乱の様相を呈してきたのです。このため、制度樹立時の責任の一端を担うものとして、改めて世に問う必要性を感じました。その思いを込めて「毎日新聞」発言席に寄稿。8月10日付けに「骨格の変更は許されない」との見出しで、掲載されました。

以下全文を転載します。読みやすさを考えて小見出しは新たにつけました。

【 □米国医療の暗部と日本の近未来像□

失業中の患者が治療費を払えないため、足の傷を自分の手で縫うー米国医療の暗部を衝くマイケル・ムーアの映画『シツコ』の冒頭シーンだ。以前に観た映画「ジョンQー最後の決断」は、心臓移植を息子に受けさせたくとも、医療保険が使えぬとあって、病院を占拠してしまう父親の姿を描いていた。世界最高の医療技術を持ちながら、貧しい人々は無保険中であえぐ。日本の近未来像だと恐れる人は少なくない。

発足から半世紀。国民皆保険制度を誇ってきた日本の医療も危うい。この4月に導入された高齢者医療制度は起死回生の一打はずだった。2年前に副厚生労働相としてかかわった私は、批判の嵐のなかで原点への回帰に思いを馳せたものだ。

貧しい老人は死を待つだけとの時代を経て「老人医療費無料化」から「老人保健制度」の導入へ。この流れから「病院待合室のサロン化」「ハシゴ受診」「検査・薬漬け」などと称される課題が浮き彫りになってきた。各種の病に見舞われがちな老人世代に、どう手立てを講じるか。老健制度に代わる制度を模索する中で様々な議論がなされた。散漫な治療から、集中的に一人の医者がひとりの患者をかかりつけで診ていく。病院へ、医療機関へとやみくもに向かいがちな老人を、地域社会、在宅での診療に振り向けられないか。過剰な医療費投入を抑制しながら、老人が人間らしい尊厳を持って最終章を迎えるにはどうすればいいか。

□三つの骨格□

長期的な視点に立った理想が勝ち過ぎて、現実に受け入れられるかとの懸念もあった。だが、生死を見据えた医療のビジョンを育て、定着させたいとの思いがまさった。今回の制度の骨格は三つ。すなわち、世代間不公平(加重する現役世代の負担増)、世代内不公平(一人暮らし老人と被扶養者老人の差)、地域間不公平(住む市町村による違い)を公平なものに近づける狙いを持った骨格である。75歳以上を切り捨てる発想などでは毛頭なく、現役世代とOB世代とが手を携えて、共に自立を目指す仕組みである。これらの構想の本質が正面から語られることなく、「姨捨て山にするのか」「75歳以上の高齢者は死ねというのか」などとのヒステリックな感情論が目立つのはまことに残念だ。法成立以後、年金をめぐる社会保険庁のずさんな体たらくが発覚した。このため、不信と不満の渦中に、新制度も巻き込まれた不幸があるにせよ、骨格の理念の方向性はもっと強調されてよい。

ー□余りに無責任な反対勢力□

例えば、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實氏は、総合雑誌上で、全体的には辛辣な批判を展開しながらも、かかりつけ医制度や出来高払いから包括払い制度への転換が、「医療崩壊」を乗り切るための「大きな仕掛けになりうる」し、「救世主」になる可能性を論じていた。このくだりには干天の慈雨を感じ、我が意を得た思いがした。

老人保健制度に代わる新たな制度の創設をかつて唱えた勢力が一転、先の国会の最終盤で、自ら否定したはずの元の制度に戻せとした。あまりの無責任さに呆れ果てた。ともに、声高な反対論を前に、法律を作った側にたじろぐ姿勢が散見されたのはいささかみっともない。制度の運用改善は当然なされるべきだ。ただし、骨格にかかわることまでが変更されてはならない。新しい制度導入にあたり、政治家の本領は、確たる信念を持って国民にあるべき道を提示することに他ならぬと銘記したい。】

この原稿を寄稿するにあたり、倉重篤郎・毎日新聞編集委員(当時。その後政治部長、論説委員長などを経て現在はサンデー毎日特別編集委員)にお世話になりました。彼の厳しいチェックを経て、いい文章になったものと思います。この「発言」には厚労省で一緒に仕事をした辻哲夫元次官をはじめ、関係者のみなさんからからよくぞ書いてくれたとの言葉をいただきました。

●産経「私の本棚」には読書日記が

一方、同じ年の9月7日付けの産経新聞の【読書・私の本棚欄】には、私の読書録が掲載されました。ここでは抜粋します。見出しは、遠藤誉『中国動漫新人類』「アニメ隆盛と反日解く鍵」。

【8月24日 元秘書の結婚披露宴のため上京。新幹線車中で、芥川賞、楊逸の『時が滲む朝』を読む。天安門事件と青年の社会変革への挫折を、中国人が日本語で描く。少々薄味が気になるのは、当方がユン・チュアン的な〝際物〟に毒されているからか。芥川賞とくれば、柴田翔『されどわれらが日々』を思い起こす。東京五輪の年、私は18歳。革命が未だ現実味を持つ中で、「政治と文学」に身を焦がした。あれから44年。世界から共産主義は後衛に退き、ついに五輪が北京で。その閉会式が夜に。テレビ中継を横目に、遠藤誉『中国動漫新人類』を読む。日本のアニメの隆盛ぶり。反日のはざまを解くカギが綿密に。産経新聞連載中に読み飛ばしていた伊藤正『鄧小平秘録』も「剛腕の独裁者」を克明に描き、飽きさせぬ。併せ読み一段と面白さが増す。「嫌中」と「親中」の葛藤。

8月25日 地元への車中で、浅羽通明『昭和30年代主義ーもう成長しない日本』と橋本治『日本の行く道』を併読。浅羽も橋本も昭和30年代以降の日本に懐疑的。橋本に至っては、高層ビルを壊せとまでいうから驚く。作家・半藤一利の「日本社会40年周期説」に私はかねてはまっている。その時代認識と分析は興味深い。明治維新から「日露」勝利、大戦の敗北、バブル絶頂から崩壊と40年周期で興亡は繰り返す、と。だから戦前の富国強兵から戦後の経済至上主義と続く国家目標に替えて、「文化立国を目指せ」は、私の持論。「もう成長しない」のだからGNPをGNH(国民の総幸福度)に変えよなどと、今枝由郎『ブータンに魅せられて』でのブータン国王のようなことは言わない。しかし、日本経済は「凋落の10年」(堺屋太一)に向かうとの予測もあるのが現実だ。

8月29日 地元への車中で福田和也『昭和天皇』第一部を。近代日本の核心に迫る心意気。国民の目線と、国家の枠組み、と。古くて新しい命題に思いをはせる。『悪の読書術』での彼の水先案内人ぶりは出色だ。「コンサバなワンピースとしての須賀敦子。最高最強のドレスは白洲正子。そして星のごとき存在としての塩野七生」ー言い得て妙と感心する。それぞれの代表作もいいが、須賀『遠い朝の本たち』、白洲『おとこ友達との会話』、塩野『人びとのかたち』も印象深い。】

こんな調子では、政治家としての仕事はどうなっているのか、との心配をされても仕方ないかもしれませんでした。先日、国会の本会議場や委員会室で読書をしている不埒な議員の批判が書かれていました。私は読書は、新幹線車中にこだわり続けたことを改めて断っておきます。(2020-7-27 公開 つづく)

 

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