●孫崎享さんと『公明』で、安保政策めぐり対談
外務省出身の評論家や物書きで懇意にしてきた人は、岡崎久彦さんを筆頭に何人かいますが、孫崎享さんもそのひとり。太田昭宏さんが代表当時に、ユニークな外交専門家がいるので一度関係者で会おうとの誘いを頂き、お会いしたのが初対面でした。『日米同盟の正体』を出版されたばかりの頃だったと記憶します。以来、交流を深め、党理論誌『公明』9月号で対談をしました。衆院選前の特集の一環として、「責任ある安保政策とは」というタイトル。そで見出しには、「平和観を積極的に生かす外交戦略を」とありました。
この時の孫崎さんの発言で注目されるものをひとつだけ挙げますと、英国BBCがWorld Public Opinionとの共催で、世界で行った世論調査「どの国が世界でもっと発言力を持って欲しいか」との問いに、「日本」との回答が圧倒的に多かったということです。孫崎さんは、日本が国際的に尊敬を得る地位を獲得するという点で極めて有利な位置にいながら、米国の求める軍事的支援への偏りが目立つことに疑問を投げかけていました。
加えて、アメリカンフットボールに例えて、それぞれのポジションごとに必要とされる役割は違うのと同じように、国家の役割も国によって違うのだから、日本はやれる範囲内での国際貢献でいいのだと指摘していました。私はかつて、55年体制下の日本の与野党は、攻守が裁断されていることから野球に例えられ、その後の新党ブームを経ての連立政権下では、攻守が瞬時に入れ替わるサッカーに似ていると、述べたものですが、二人の視点はいささか違っていました。
孫崎さんは、政権が民主党に移ったのちに、なんと鳩山由紀夫首相の個人的政策アドバイザーになられました。のちに重大な問題に発展する、「最低でも県外」発言などを始め影響を与えられたものと思われます。今では鳩山元首相肝いりの「東アジア共同体研究所」の所長をされ、UIチャンネルなどでしばしば共演されています。私が対談した際には、現在のような立ち位置になられるとは、もちろん想像だにしませんでしたが、月日の流れとは面白いものだと妙に感心している次第です。
●最初は好評だった「事業仕分け」
民主党は政権の座につくや、事業仕分けを打ち出し、大いに好評を博していきました。元をただすと、これは「構想日本」の加藤秀樹代表を中心に、数年前に打ち上げられ、公明党が最初に導入すべく動いたという経緯があります。ただ、政権のパートナーの自民党には受け入れられずに、時間が経ち、民主党が採用したわけです。一言で言えば、「公開の予算査定」で、これまでの〝密室の予算編成〟に比べれば、オープンなところは評判は悪くなく、いっときはフィーバーぶりを発揮しました。私の中学校同期の50年来の友人が大いに評価していたことを思い出します。
私は12月3日のブログでこんな風に書いています。
【昨日は、午前中に外交安保部会を開き、外務省と防衛省から事業仕分けの結果を聞いた。事業仕分けについては、賞賛の対象となるのは、やはり情報公開による予算決定過程の透明化だろう。一方問題点は、進め方、手法の乱暴さに尽きようか。細かい検証はこれからではあるが、政治主導に名を借りた財務省主導の側面も否定できない。そういったことを踏まえたうえで、外務省の事業仕分けで、注目を引いたのは、国際情報誌『外交フォーラム』をめぐってのやりとり。
この情報誌は歴史家の山内昌之氏が編集委員に名を連ね、編集顧問には元中央公論の編集長で著名な粕谷一希氏の名も。私もそれなりに愛読していた。しかし、この情報誌は買い上げ、無料配布がほとんどであったことが、事業仕分けの場を通じて、明らかになっていった。およそお役人の営業で、企業努力はゼロだったとわかった。
一方、防衛省関連では、国際平和協力センターが「教育・訓練は必要・重要だが、箱は不要。既存施設の最大有効利用を考え、教育を行うべき」などの意見が出され、廃止の方向とのこと。カナダのピアソンセンターのようなPKO教育センターが欲しいということで、私などが中心になって進めてきた事業だけに、葬り去られるのは惜しい。規模縮小はあってもいい。是非とも復活させるべくこれから尽力したいと考えている。】
前政権のやってきたことを否定し、新たな視点の導入を持ち込むことそれ自体は新鮮でしょう。口惜しさはあるものの、こういうところに政権交代の醍醐味も窺われると正直思った当時の感慨がしのばれてきます。
●官僚答弁ゼロが何をもたらすか
事業仕分けと並び民主党政権になって顕著なことは、委員会質疑において、官僚答弁がゼロになり、大臣始め副大臣ら政治家が答えることになった点です。このところ続いた自公政権においては、残念ながら褒められない閣僚答弁も散見されました。その分、民主党政権の閣僚諸氏は、中身はともかくなかなか頑張ってる印象は強いように見受けられました。
そのあたりについて、11月5日のブログにはこう書いています。
【官僚は答弁ばかりか、各省庁の政策立案の分野においても、大臣や副大臣、政務官ら政務三役が指示するものに限って対応するだけ、といったことが起こっているという。創造的な仕事が出来ず、ただ政治家の下請け機関に成り下がってしまった、これではもう仕事をする魅力もなく意欲もわかない、との声も聴く。かつての自公政権の正反対だとまでは言わないが、あまり無理をすると、あれこれ不都合をきたすのではないか、と懸念するのは余計なことだろうか】
基本的にはこの流れが今に至るまで続いているものと思われます。功罪相半ばするものはあるでしょう。それが政治家の能力を高める結果になってるならまだしも、どちらも地盤沈下している様子が否めないということでは困ったものです。
●台湾より旧友来り、意見交換
台湾の許世楷・前台北駐日経済文化代表処代表が久方ぶりに訪日され、公明党の関係議員と交流するために10月末に国会に来られました。かつて同氏は大阪を訪れられた際に、私の選挙区・姫路に足を伸ばされ、姫路城に一緒に登ったことが懐かしく思い出されました。
国会での懇談の場で、私は民進党から国民党への台湾の政権交代の実態やNHKによる偏向報道(シリーズJAPANデビュー①)の反響、さらに台湾の国連及び国連機関参加問題について意見を求めました。その際に、同氏は、同年5月に台湾は永年の希望であった世界保健機構(WHO)へのオブザーバー参加を中国の同意をもとに、実現させることができたと報告され、感謝の意を述べられました。
これは私が厚生労働副大臣時代に要望を台湾当局から受けて尽力したテーマ。ようやく陽の目を見て、喜んで頂けたことは大層嬉しいことでした。実は、昨年仕事で台北を訪れることがあったので、事前に許世楷さんの東京でのご自宅を訪問し、旧交を温めました。また、当時の秘書官・陳銘俊さんが現政府の高官になっておられると聞き、台湾総督府で再会を果たすことも出来ました。日本での交流やら国民党政権下の雌伏の頃に思いを起こし、隔世の感を強めたものです。(2020-8-10 公開 つづく)