●NOKINAWAだ、いやDAMERICAだ、との論争
ロバート・D・エルドリッジ氏ー今でこそメディアに時々登場(読売TV系『そこまで言って委員会』など)していますから、ご存知の方は多いでしょうが、私が沖縄米軍基地(キャンプ瑞慶覧)で会った頃は全く知りませんでした。3月18日の日曜日に、嘉手納基地以南にある基地の視察(6箇所)を目的に、沖縄を訪れました。彼は在日米海兵隊基地外交政策部次長の立場でした。スキンヘッドでブルーの瞳がとても印象に残る知性溢れる軍人(に見えましたが、実は政治学者)として、私の前に現れたのです。
冒頭型通りに20分ほど、沖縄米軍基地の全貌をかいつまんで説明を受けました。そのあと、私がかねて国会でも、米国国防省でも展開してきた持論を述べたことから論争になりました。それは、ホストネーションサポートを日本は米国に対して行っているのだから、米国側はゲストネーションマナーを持たねばならないのに、全くマナーが悪いと述べたことが発端です。
彼は、沖縄における日本人の犯罪に比べて、米軍人の犯罪はかなり少ないと言い、基本的な認識が相違していると、譲りません。私の方は、そうした比較は意味をなさない、悪質な事件の持つ日米関係への悪影響を貴方たちは考えなさすぎると、やり返します。彼はまた、もっと日米関係を強める努力をして欲しい。米側が地域での友好の催しや行事への参加を持ちかけても、殆ど乗ってこないのは遺憾だと、迫ってくるのです。究極、日米地位協定の規定を直さねば、と私が言っても乗ってきません。
論議は噛み合わぬまま。予定の時間がオーバーし、続きは公明党の外交安保部会にでも来てくれれば、やろうということで別れました。のちに、彼が東日本大震災の時に、「トモダチ作戦」の企画運営を行った当の中心者ということを知りました。
実は、議員を辞めてから、私は、神戸・北野坂にある友人の事務所風のサロンで異業種交流会をやっていますが、その場所に、なんと彼がやってきたのです。今から三年ほど前のこと。驚きました。久闊を叙するのもつかの間、論争の続きに入りました。彼が沖縄はNOばかりだから、「NOKINAWAだ」というので、こっちはアメリカはダメだから、「DAMERICAだ」と言い合う始末。
またしても決着つかず。御夫人の永未子さんの仲裁で〝水入り〟になりましたが、基本的政治信条は別にして、以来、肝胆相照らす仲で、とても親しい関係になっています。縁は異なもの味なものということをここでも実感したしだいです。
●渡嘉敷島で福島の子供たちを預かる試み
沖縄には、現役時代はこの米軍基地視察を最後に、随分と訪問しています。ここでは、渡嘉敷島に行った時のことを記しておきます。2011年の6月25日に党沖縄県本部で開かれた「日米地位協定の勉強会」の終わった後、一人渡りました。沖縄本島から西沖へ32キロほど、那覇から高速船で30分あまりです。原発事故による放射線汚染やその風評被害で悩む福島県の子供たちを、夏休みの間、沖縄で受け入れようという運動を展開している人がいると聞いて、急遽会うことを思い立ったのです。
坂田竜二さん(43)がその人。4年前からこの島に移住。有機農業や学習塾を営みながら、渡嘉敷島留学「わらびや」に取り組んでいます。山村留学というのは子どもたちが大自然の中で学び、仕事をしながら、集団生活を経験する(通常は1年間)というものです。仕組みそのものは、既に40年の歴史があり、現在は100の自治体で実施されています。坂田さんは、奥さんの明子さん(35)と共に、小学校5年生から中学校3年生までの6人ほどの子供たちの里親として一緒に暮らしています。
私が訪れた時間帯は、子どもたちは学校に行っていて留守でしたが、ご夫婦で生き生きとした日常の闘いぶりを語ってくれました。東南アジアでの生活も少なからず経験している二人は、惚れ惚れするほど逞しくしなやかな生き様を感じさせてくれました。
「沖縄県民プレゼント ティーダいっぱい夏休みプロジェクト(仮称)」は、沖縄県民から支援を受けながら、福島県の300人ほどの子供たちを8月初旬から2週間ほど、県下各地(伊江村、今帰仁町、渡嘉敷村、東村)で受け入れるというもの。プログラムを見ると、牛馬の世話、ヤギの乳搾り、堆肥作り、キャンプ、シュノーケル、サバニ、稲刈り、田植え、エイサー経験など、わくわくするようなメニューがずらり。福島県の子供たちが一人でも多く参加し、沖縄との絆が深くなって、日本に大きな希望が育ち行くことを祈りました。
本島への帰り際に子供たちが帰ってきて、束の間の交流が出来ました。滑りゆく船から身を乗り出す私に、海辺から手を振ってくれた姿が未だに目に浮かびます。
●海賊対処で海上幕僚長や船長協会長らと懇談
この数年、アデン湾を中心とする海域で海賊が出没、航海途上の船舶の安全を脅かす事案が発生していました。更にまた、インド洋方面へとその幅を広げつつあるということから、自衛隊や海上保安庁が苦労をしていました。このため、日本船主協会の主催で、関係者への感謝の意を表す集いが3月26日に海運クラブで開かれ、関係国会議員も招かれました。懇談の場で、昨年の衆議院参考人質疑の際にお会いした日本船長協会の小島会長と再会しました。川崎汽船出身のこの人、実は私の小中高同期の友人の一年後輩ということが分かりました。奇遇に大いに驚いたしだい。
対話の中で、日本関連の船の乗組員がほぼ100%外国人によって占められている現状を巡って、大いなる懸念をお互いに自覚する場面がありました。日本人船員の賃金が高すぎることが原因です。先進国と途上国の賃金格差だから仕方がないでは片付けられない問題を孕んでいるといえましょう。また、杉本海上幕僚長とも意見交換をしっかり行いました。彼とは江田島にある海軍兵学校を巡って思いを交わしました。
広島や沖縄の被爆跡地や戦跡に行くだけではなく、海軍兵学校跡地に行き、若い兵士たちに声なき声や、血涙溢れる手紙を見ることも同時にあっていいことを語り合いました。私は海軍兵学校跡地を50歳過ぎて初めて訪問しましたが、少々遅かったと、心底から後悔しています。
●森田実さんという強い味方の講演会
政治評論家の森田実さんといえば、元は日本共産党の党員。かつては公明党批判の急先鋒だった、その森田さんが今や大の公明党びいきになって、全国各地を飛び回って、味のある講演を展開してくれています。4月26日に「日本再建、言わねばならぬ!」とのタイトルで行われた、兵庫県本部主催の「公明党政経セミナー」では、時代は倫理性を政治に求めており、今こそ公明党の出番だという趣旨のものでした。風雪に耐えてなお、燻し銀のごとき輝きを秘めた森田実さんは、元外務省分析官で作家・佐藤優さんとまた違った角度での公明党の強い味方となってくれていることは有り難い限りです。
実は先年、姫路在住の女流作家・柳谷郁子さん(同人誌・『播火』前代表)と森田実さんを引き合わせる役割を果たすことが出来ました。ご両人共に、ご縁を感じてくださり、介在役の私に感謝していただいています。ひょんなことがきっかけですが、友だちの輪が幾重にも広がることに無常の喜びを私は感じるのです。(2020-9-5 公開 つづく)