●自信持って「神戸新聞」にエッセイ投稿
読者による小説とエッセイの投稿ー地元紙・神戸新聞に定期的に掲載されていることは知っていました。引退してしばらく経った頃、それに応募することを私は思い立ったのです。テーマは「本を読む」という行為について。若き日に、書店の書棚に並ぶ膨大な本を前に、友人が「本って、こんなに沢山有る。どないあがいても一生に読める本は限られとう。そやから僕は読まへん」と言ったのです。その時、私は「いや、そやからこそ、僕はせっせと読むんや」と呟きました。そんなことから口火を切って、読書遍歴をなぞったあと、決定的な転機となったエピソードを折り込む‥‥。私の妻に本を読む習慣が殆どないことを、人前で披露したことに対して、怒りを込めて彼女から「この人は確かに本を沢山読むけど、なあんにも身についてないんです」と逆襲されたショック。
他方、所帯を持った娘夫婦に蔵書をやがて譲るとの話をしたら、「私たちは家に本を置く習慣って、ない。本は基本的には図書館から借りて読むので、いりません」と言われた時の驚き。喜んで頂きますと言うに違いないとの思い込みが崩れたショック。そして、今は本に興味を持っている孫娘がやがて成長した頃には‥‥。紙の本に代わって、電子書籍が横行する時代になるのかも。これまたショックに違いない。こうした三つのショックを立軸に、ショーペンハウエルの『読書について』の「ただ次々と本を読むだけでは、運動場をぐるぐる回ってるようなもの」といった警句を横軸にして、その構想を組み立て、書き進めました。タイトルは『本好きが行き着いた果てに』。本と人との関わりを、私の実人生のエピソードに絡めてユーモアを込めて描く構想です。
これは圧倒的に面白くてためになる、きっと受けるに違いないとの確信を持った私は意匠を様々に凝らし抜いて書き上げました。そして自信満々で投稿。発表を心待ちにしたのです。が、結果はボツ。佳作として名前は上がっていましたが、紙面への採用はなし。敢えなく私の夢は消え去りました。この寄稿が紙面を飾れば、これから「エッセイスト」との名刺を作るぞ、と思っていたのですが‥‥。この時のショックは今もなお引きづっているのですから、哀れなものというしかありません。
●大学教師の口はていよく門前払い
大学客員教授あるいは講師といった肩書きも魅力的でした。学問を教える、学生に講義するということよりもその肩書きを持って、あれこれ文筆活動や講演活動をするということは、かねて私が志向するところではありました。さて、じっとしていてもどこからも声はかかりません。色々思案し、考えを巡らせた挙句、高校の後輩が理事長を務める某大学にアタックすることにしました。直接、理事長にアポを取り、面会に挑みました。
私の一存では決められないので、時間をくださいとの反応の末、数日後の答えはノー。大学の教員なんて、割りの合わないしごとですよ、長時間拘束されて、報酬は僅か、何を好き好んで、そんな仕事したいですか?、とにべもない。「いや、そうではなくて、肩書きが欲しいだけ、報酬には期待していない」とは流石にはっきりとは言えず、すごすごと引き揚げました。結局、武士と同様に、代議士は食わねど何とやらで、みっともない〝猟官活動〟は止めることにしたのです。
●国会議員の仕事ぶりをチェックする機関を
この頃、私が真剣に考えていたのは、国会議員の仕事ぶりをチェックする機関を作れないかということでした。議員の「資産公開」は大事な情報公開ではありますが、それだけでは十分ではありません。選挙前には掲げる政策が提示されますが、それへの遂行状況は明らかにならないまま。いわば言いっぱなしの聞きっぱなしです。それを正すには、各委員会での議員の質疑のありようをきちっと査定する機関などができればいいと思ったのです。
これができれば、議員は緊張すること請け合いです。与党の馴れ合い質問や、野党の腰砕け質問は、どこからもチェックされないから、ダラダラと横行する。これを暴くことができれば状況は大きく変わるはず。ただし、どういう基準で査定するか。勿論、議員や政党側からは反発があることは当然です。そうこう思い続けて未だに答えが出せずにいます。昨今の政治家のまたぞろの不祥事の連発を見るにつけ、こういう機関が陽の目を見ていれば、随分違っただろうなあと思うしだいですが‥‥。
また、地域の青年たちと共に郷土の歴史を学ぶ場を作れないかとも思いました。相互の打ち合いを通じて、明日を担う青年を育てることの大事さを痛感していたからです。これは党派を超えて県議会議員らと一緒になってやろう、と呼びかける準備をしましたが、これもまた挫折してしまいました。そんなこんなで定年後の仕事は何もかもうまくいかず、路頭に迷ってしまいました。(2021-2-5)