【19】勇退後初の統一地方選で奔走ー平成27年(2015年)❸/4-20

●新たな支援方策編み出し頑張る

この年は、4年に一度の統一地方選挙ということで、年初から準備に忙しくなりました。地元兵庫県では、4月第二週の日曜が県議選、神戸市長選、第四週が市議選、市長選の投票日になっていました。姫路市選出の県議選では、病気勇退の現職候補に代わって、新人が市議会から回って出るということで、いつも以上に激戦となることが予測されました。

昭和40年から、公明党の選挙に支援者として24年間、候補者として20年関わってきましたが、この度の選挙は、勇退後のOB議員として初めて地方選挙に出る後輩たちの支援にあたることになったのです。生来、新しいもの好きで、いつも通りのことをこなすのが苦手な私としては、この選挙戦で支援の新手法を自分なりに編み出しました。

姫路市選出の公明党候補者(市議8人、県議2人)を中心に、一候補者につき新たな友人を少なくとも一人見つけ出し、候補者と繋げて支持に走って貰うことを自身に課すルールとしたのです。これは張り合いも出て、自らの励みになりました。無事に10人の新しいメンバーに依頼し終え、候補者に会わせた時の充足感はなかなかのものでした。

姫路市長選では現職に対して、県議現職が対抗馬として出る一方、明石市長選でも同様に、現職に対して、県議現職が挑戦することとなりました。共に現職が勝利を収めたのですが、それなりに関心を持たざるを得ない事情があり、それ相応に動いたものです。今も昔も首長選挙は、公明党議員にとって自前の選挙に比べて、フリースタイル競技のようなもので、腕の見せどころといえそうです。尤も、やり甲斐はあるものの、結構それで〝怪我〟をしてしまうことも多く、要注意です。

●東京から友人たちが次々と来県

毎日新聞・特別編集委員の倉重篤郎さんは随分前からの友人ですが、この年2月5日に来阪した際に、姫路まで足を伸ばしてきました。その昔、憲法問題で取材を受けたことがきっかけで、政治部長の後、「大阪毎日」の編集局長をやった頃にも付き合いました。また、私が同紙『発言席』に「後期高齢者医療制度」で寄稿した際には原稿チェックもしてくれたのです。

この人は反自民、反安倍の急先鋒で、あの民主党にさえ好感を持っていると見られた「反骨の人」です。リュックを背負って飄々と議員会館を闊歩していましたが、今では『サンデー毎日』の看板記者。毎日新聞はいわゆる「ぶんや」らしい記者が多く、一匹狼的な猛者が多いと見られていますが、その代表格かも。

高校同期の高柳和江女医も2月6日に東京からやってきました。この人は、笑医塾塾長として、全国を飛び回っています。このときは、同期で医者の飯村六十四、同じく会社社長で患者の藤井重俊の二人と一緒に神戸で会いました。例の電子書籍の鼎談以来、この面子で時々会っていたのですが、医者と患者のツープラスツーは、いつもながら賑やかな健康談義となります。

さらに、やってきたのはO氏。当時、彼は自転車の駐輪にまつわる様々なアイデアを駆使し事業に結びつけることに腐心していました。大阪のビジネスファーム研究所の河田正興さん(コロナに感染し、昨年急逝)に紹介されたご縁で、2013年から付き合い始めました。2014年7月には私が紹介者となって、創価学会に入会を決断するまでになっていたのです。このときは2月17日に夢前町のサンピア夢前に一泊。信仰に誘ったとはいえ、日頃会えないために、この時とばかりに、しっかりとミニ座談会をするなどして、体験を語り合ったものです。 

一方、こちらから東京にも1月15日から二泊三日。4月24日に一泊二日といった具合で、ワンシーズンに一度は出向いていました。行けばかなりハードなスケジュールを組むなかで、彼を呼び出して、懇談を重ねたことはいうまでもありません。(2021-4-20)

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