【33】国王の喪中にタイ・バンコクへー平成29年(2017年)❶/7-2

●プーミポン国王の喪中にバンコクへ

 バンコクはどこもかしこも黒い服を着た人の群れでいっぱいでしたー2017年の新年開けてすぐの1月17日に初めてタイを訪れたのですが、国を挙げてプーミポン国王の喪に服していたのです。目にしたのは街中の寺院にお参りする、恐らくは全国各地からの、人の列だったのです。前年の香港、シンガポールに続く、「観光」の仕事を兼ねて、「瀬戸内海島巡り協会」の仲間のT氏らと3人旅でした。マレーシア、ベトナム、シンガポールには足を運びながら隣国タイは未踏の地でしたので、心躍る三泊四日の旅となりました。

 バンコクの中心を流れるチャオプラヤー川は、時々氾濫して大騒ぎになりますが、普段は悠然とした佇まいです。定番通り、この川の上を遊覧船で楽しみました。時間が許せば三島由紀夫の小説『豊饒の海』ゆかりのワット・アルン(暁の寺)に行きたかったのですが、船上から遠景を見やるだけで済ませ、巨大な涅槃仏が安置されたワット・ポーを訪れました。街の中の移動にはトゥクトゥクなる三輪タクシーに乗ってみましたが、これはもう凄まじく荒っぽい運転でした。もし事故ってたら、どうなってたことやらと、思い出すだけでも、ゾッとします。

 ここでも旧知の佐渡島志郎大使を公邸に訪ねて、ランチをいただきながら懇談のひとときを過ごしました。私のタイでの関心事は、軍政と市民政治をクーデターを挟んで交互に繰り返すこの国の統治のあり様について、でした。私はこれはタイの近代化の遅れだと思っていますが、かつて大使を務めた岡崎久彦さんは著作の中で、奥深い知恵のもたらすものだとしてむしろ評価しています。この辺りを佐渡島大使に聞こうとしたのですが、叶いませんでした。観光をめぐるこの国の取り組みを聞くだけで時間切れとなり、心残りのままお別れとなりました。

●姫路にやってきた外交評論家と懇談

 バンコクから帰った翌日、姫路に外交評論家の宮家邦彦氏がやってきました。元外務省の安全保障課長で、現役時代に親しくしていました。彼は親父さんが亡くなられたので、その仕事を継ぐために、志半ばで辞めたのです。私はそれは口実だろうと見ていましたが、案の定、メディアの世界で大活躍です。特に関西エリアでは、日本テレビ系の『そこまで言って委員会』のレギュラーメンバーとして人気絶頂。この日も、録画録りの終わった翌日、姫路で講演会ということで、その日の夜に会うことにしました。

 一回に二週分まとめて録画録りをするとか、カットされた禁じられた言葉のネタばらしなど、番組の裏話を喋ってくれました。実はこの人は元々アラビストで中東問題のスペシャリスト。タイ大使の後、駐サウジアラビア大使をやった岡崎久彦さんについて、駐在した国の本を書くのに熱心で、現地での仕事はあまりしなかった人だったといったとっておきの話を聞かせてくれました。

●元英国大使や演劇評論の専門家と懇談

 私には元外務省幹部や外交官の友人が少なくないのですが、中でも親しい関係にあるのが、以前にも触れた林景一さんです。条約局長などを経て、アイルランド、英国大使を歴任(退官後は最高裁判事)しました。2011年から5年間のロンドン駐在を終えて、2016年春には日本に帰ってきていた同氏を慰労するべくタイミングを測っていましたが、ようやく新年2月に実現。共通の友人である演劇評論で著名な岡室美奈子さん(早稲田大教授=坪内逍遥記念館館長)を誘い、林夫人共々4人で一緒に会いました。

実は林さんは、『イギリスは明日もしたたか』を前年暮れに出版したばかり。アイルランド大使を終えた後には、『アイルランドを知れば日本がわかる』を刊行しています。両方とも題名通りのとても面白い本でしたが、この日は著者へのインタビューのようになって話は弾みました。岡室さんはテレビドラマをウオッチし続けて毎日新聞紙上にコラムを書いている人で、視点がとても新鮮でユニーク。時を忘れての懇談のひとときはいつもながらの至福の時でした。(2021-7-2)

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