【36】瀬戸内海に夢を馳せた同志倒れるー平成29年(2017年)❹/7-17

●今度は「民泊推進」に首を突っ込む

コロナ禍前には、各地で「民泊」の動きが高まっていました。先に触れた勝瀬典雄さんの肝煎りで「全国民泊推進協議会」を結成して、インバウンドに備えようとの試みが進んでいました。5月29日に、会長に当時兵庫県立大の看板教授だった佐竹隆幸氏(中小企業論)を迎えることにし、同協議会主催で盛大なシンポジウムが神戸市内で開かれたのです。佐竹教授とは面識はあったものの、本格的な出会いはこの日が初めて。聞きしに勝る講演上手に、改めて聞き惚れました。

この日の集いには、観光をテコにした地域おこしに関心を持つ様々な人々が参加していました。政治家の転身は所詮〝武家の商法〟の域を出ず、いつまでも馴染めない私としては、名刺交換のたびごとに感心し、登壇者の多彩さに胸躍らせるひとときでした。この日を契機に、勝瀬・佐竹のコンビに、私も一枚加わることになりました。この3人はこの日を契機に〝時節外れの同床異夢〟を育み、歳不相応な遠大な希望を抱いていくのです。

●東京から京都へ、厚労省絡みの催しへ

二日後の31日。東京での前議員の会で、大先輩の坂口力元厚労相の講演が聞けるとあって上京しました。タイトルは、「ガン難民はどうするか」。ご自身の「大腸がんで余命3年」と言われた体験談をもとにした、がん医療の現状とこれからの展望についての奥深いお話でした。「医療として最善を尽くしても、患者の残された人生にとって最善とは言い難い」「がんは人間に考える時間を与えてくれる疫病」との位置付けなど、考えさせられる内容でした。「根治は難しくても、がんと共存の時間を延長する研究もすべき」など、〝医師にして政治家にして患者〟という立場からの興味深い中身の連続に、すっかりはまってしまいました。

翌々6月2日の帰路、京都に途中下車。かつて肝炎患者の救済で共闘した弁護団メンバーを中心にした有志の集いに参加しました。中心弁護士の一人が私の高校の後輩のT氏。彼がこよなく愛する京都祇園の地を選んで、弁護団仲間に加えて患者家族、厚労省の担当者、元代議士に声をかけてくれたのです。まさに〝忙中閑あり〟。英気を養う素晴らしいひとときになったことはいうまでもありません。

●夢を語り合った大先輩の志半ばの死

議員勇退後に何をするかで迷っていた私に大いに力になってくれた人が(株)ジェノバの副社長だった豊田一義さんでした。吉村靜穂社長との縁を結んでくれたことを始めとして、この5年ほどというもの、何やかやとお世話になりました。淡路、明石で、神戸、大阪で、夜となく昼となく、語り合ったものです。

明石港をサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフのようにして、瀬戸内海を縦横無尽に行き交う船を走らせるんだーいつもこの夢に向かっての戦略を練り、手立てを考えてきました。船がないー所有する富裕層から借りればいい。金がないー銀行は我々のためにある。元はといえば、仏法哲学の研鑽をベースに本の出版などを仕事にしてきた文化人的素養に満ちた人です。そんな人が眠っていた才能を呼び覚ますがごとく立ち上がって、私と肩組むようになりました。お互い似ているなあと思うことも、一再ならずありました。そうしてるうちに、ある時からどうも腰が痛いと、周りに訴えられることが多くなってしまったのです。

やがて脳腫瘍が発覚、半年余りの闘病生活を余儀なくされ、6月19日に逝去されてしまいました。断腸の思い迸る東京での葬儀でした。それでなくとも紆余曲折が多かった「瀬戸内海島めぐり協会」。その前途に、赤信号が点滅することが更に多くなってしまうのです。(2021-7-17)

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