●柳澤協二氏と『公明』8月号で対談
柳澤協二さんといえば、元防衛庁官房長、内閣官房副長官補などを経て、今は野にあって幅広い活動を展開する外交・防衛問題の専門家です。私は長きにわたって付き合ってきましたが、この年の6月ごろに党理論誌『公明』で対談。8月号に『求められる日本独自の安全保障哲学』と題して、掲載されました。
彼が役人を辞めて物書きになるときに「元防衛官僚が『左』の位置から発信するとは、考えましたねぇ」と言いました。ニヤッと笑ってましたから、図星だったのでしょう。今ではまさに、八面六臂の大活躍を展開していますが、この対談は彼の新出発から間もない頃のものです。
中でも「抑止力」に関わるくだりは、読み応えがあります。日本が戦略の独自性をなぜいつまでも出せないのかとの私の問いかけに、「抑止力についての戦略的な議論をちゃんとやらなければいけないのに、やっていない」とする一方、「米国との関係は非常に重要であることは間違いないのですが、日米同盟さえうまくいっていれば他もすべてうまくいくと考えがちなところも問題です」と述べ、注目されました。
また、沖縄について、ドラマ「テンペスト」が話題になりましたが、首里城を訪れた米提督が「この美しい島に星条旗は似合わないなと感慨深く語るシーンが印象的」だったとし、「自分たちがいる場所の風土や文化に対する尊敬の念があるかどうかが非常に大事」だと、意味深い発言をしています。
実は今、一般社団法人「安全保障研究会」(浅野勝人理事長)で、二人は一緒に在籍しています。
●読売コラム「政ナビ」に、「維新前夜」の憲法論議
読売新聞のコラム「政(まつりごと)ナビ」の8月18日付は、「『維新前夜』の憲法論議」と題して、鈴木雄一記者が、書いています。ここでいう維新は、本物の「明治維新」と、「大阪維新の会」の二つの維新を掛け言葉として使っています。中身は結論部分を除き、殆ど私に触れていました。そこで、このコラムを転載してみます。
【衆院憲法審査会が現行憲法の検証作業に入った5月24日。意見表明に立った公明党の赤松正雄氏は「明治維新前夜、福澤諭吉先生は、上野の山で飛び交う(戊辰戦争の)砲声を尻目に、三田の山上で『今こそ経済学を学ぶべき』とされました」と切り出した。
社会保障・税一体改革を巡る与野党や民主党内の対立は、このころ頂点に達していて、検証作業は当初から困難が予想された。憲法問題の論客として知られる赤松氏は、政争と一線を画した議論への期待を、慶應義塾に伝わる故事に求めた。
だが、赤松氏の思いもむなしく、憲法審査会は「休講」が続いている。民主党分裂騒ぎのあおりを受け、検証作業は6月7日から2ヶ月もストップ。今月2日に再開したものの、続く9日は、内閣不信任決議案を採決する衆院本会議の影響で見送られた。審査会での議論が進むほど、民主党内での意見対立が顕在化し、同党の消極姿勢も強まっている。今国会中の作業終了は、もはや絶望的だ。(以下略)】
このコラムの結論は、大阪維新の会が、憲法改正を次期衆院選の公約の柱に据える構えを示しているから、政治情勢はまさに「維新前夜」。既成の政党は憲法論議を先送りしている余裕はない、といかにも読売新聞の記者らしい筆運びです。現実には、そういう展開にもならず、依然として、憲法論議は不発のままの事態が延々と続いている状態です。嘆かわしい限りです。
●次期衆院選に不出馬でインタビュー
上に述べた読売新聞コラムから、5日後の23日に、私は次期衆院選には立候補せずに引退するとの談話を発表することになります。かねて覚悟していたことであり、山口代表からの事前にあった〝お達し〟も淡々とした思いで受けました。党本部が次期比例現職候補を発表したことに連動したものですが、全文は以下のとおりです。
【私は現在すでに66歳。党本部の内規による、任期中に66歳を超えないことという定年制に基づくものであります。本日午前の党中央幹事会で、次期総選挙に向けての第四次公認が発表になりました。新たな布陣を明確にしたうえで、来るべき戦いに臨むべきだとの判断から、本日の発表にしたものです。
初出馬から23年半、初当選から約20年の長きにわたり、ご支援いただいた創価学会の皆さんはじめ、党員、支持者の皆様方、兵庫県及び近畿ブロックの有権者皆様方に心から御礼申し上げます。
日本国の繁栄、兵庫県の発展、公明党の更なる躍進のために、これからの生涯を捧げることをお誓いし、私のご挨拶と致します。ありがとうございました。】
型通りの引退表明です。これを受けて、在日中国人向けの中国語新聞「東方時報」からインタビューを受けたものが、9月6日付けで掲載されました。率直に本音を語っています。ここで、全文を紹介します。
【ー政治家として、最も印象に残った出来事やエピソードは?また、中国に関わる深い思い出は?
日中国交回復40年の佳節における、尖閣諸島を巡る日中の軋轢。中国に関わる思い出は、公明党第12次訪中団(84年10月)の随行記者として訪中した際に、中南海で故胡耀邦総書記らと会食したこと。フォークをふりかざしながらの同氏の日本や神戸に対する思い出を直接聞いた。
ーご自身の政治生活を一文字又は一語で表すとどうなるか?
「鳴かず飛ばず」という言葉がありますが、私の場合は、「鳴けども飛べず」。
ー歴代首相の中で最も印象が深く、最も高く評価するのは誰?その理由は?
田中角栄総理。中国との国交正常化への貢献。その背後に公明党の野党外交の展開がある。
ー日本の政治における公明党の果たしてきた役割についてどのような感想を持つか?
市民相談を通じて国民大衆のニーズを吸い上げ、政策に反映させてきたことは他党の追随を許さない。
ーこれからの日本の政界についてどのように予測するか?
橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会が旋風を起こす。小泉郵政民営化選挙とその失敗、民主党の政権交代選挙とその失敗、と「二度あることは三度ある」。さらなる低迷と混乱に政治は陥る可能性が高い。
ーこれから解決すべき課題とは?幾つか列挙を。
一つは憲法改正。まずは公明党の主張するように、合意出来るところからの加憲を。もう一つは、国会議員の資質の向上。それには様々な能力を試す試験といったことなどの導入が必要かもしれない。
ー強力なリーダーの出現が急務だと多くの国民が考えている。このような考え方は正しいと思うか?
半分正しく、半分間違い。強力なリーダーシップ待望論は、ファシズムの温床になりうる。「民主主義」という制度の中で、よりましなリーダー選択しかない。
ー政界を引退した後、何をしたいか?
まずは、中国に永く住む友人(高校時代の同級生)と、中国国内を旅したい。その後は、中国語を勉強するなど、自分自身の充電期間を経て、故郷の青年を対象に、読書塾など未来の人材育成に貢献したいと思っているが‥‥。】
最後の質問への答えだけは本音を隠して、当たり外れのない穏便なものにしたからか、見事に外れました。尤も、これは見果てぬ夢で、これからも追い続けたいとは思っています。
引退については、有り難いことに、友人や知人から「未だ未だ若いのに」「辞めるのは早すぎる、惜しい」などとの言葉をこれ以降頂くことになります。(2020-9-11公開 つづく)