民衆のなかに育った党だけが持つ文化

大川清幸さんが亡くなった。公明党の元参議院議員であり、元都議会議員の重鎮だった。晩年は公明党の全国のOB議員団組織・大光会の中心者の一人だった。私も個人的にお世話になった。草創期の公明党にあって功績を残しながらも、その後の人生で様々な欲望に捕らわれて倒れていく先輩たちが少なくないなかで、常に変わらぬ熱い思いを持ち続け、戦い切られたひとだったと思う。公明党の50年を見守り、35議席を勝ち取る戦いを見据えて、その直後になくなるなんて、流石だと妙な関心をするのは私だけではあるまい。享年89歳だった。まだまだ後輩たちに範を示して頂きたかったと惜しまれる▼先日、兵庫県南あわじ市に住むある先輩OB議員が高齢者叙勲を国から貰うかどうか悩んでいるとの話を聞き、大光会仲間と3人でお宅を訪問した。日本の叙勲制度は複雑多岐にわたっているが、春秋の叙勲を授与される機会がなかった功労者に対して、年齢が88歳に達した際に授与されるものを高齢者叙勲という。公明党はこうした叙勲についてはすべて辞退をすることにしている。民衆の中から選ばれ、手弁当で熱き思いを持った人びとに当選させて貰って、その中で生き抜きそして死んでいくものにとって、国家による勲章は必要がないというのがその精神である。私はこれこそ公明党が天下に誇るべき文化だと思う。そんな話をその先輩議員にお話ししたところ、改めてその趣旨を理解いただき、こころよく辞退されることを決意された▼そのやり取りのなかで、私はある提案をすることを思いついた。国家による勲章ではなくて、我々仲間たちが先輩の88歳・米寿を祝うささやかでも心の籠った場をもってはどうか、というものだ。私が代表を務める兵庫県の大光会には200人近い先輩OB議員がいるが、そのうち88歳をすでに超えたり、近くその年齢に達するひとたちが20人ほどおられる。このひとたちは若き日に懸命の戦いをして地域に貢献されてこられた方々だ。今なおかくしゃくとしているひとは少しづつ少なくなってきている。その方たちに後輩としてお祝いの気持ちをあらわし、励まして差し上げたいと思う▼国家からの叙勲を授かるということは名誉だとの思いは、そう不自然ではない。とりわけ天皇への畏敬の念を持つ思いが強い年配の世代にとってはなおさらだ。しかし、それをご遠慮する、そこまでお気遣いをいただかなくとも結構ですというのも、また不自然ではないと思う。公明党の持つ他の党にない独自の文化は他にもある。例えば、勝手に個人的な海外旅行には行かない、どうしても必要な時には許可を求めるということもある。また、株式投資についてもすべきではないとの不文律もある。ともに、民衆のなかで戦うものにとって、普通のひとたちとの間に意識のかい離を生みださないように、との考えからだろうと思われる。窮屈ではないか、それでは自由がなさすぎないかとの批判もあろう。しかし、これも民衆の党としての文化、伝統なのだ。(2014・12・20)

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