この一年、私はこう動いた(上)

この12か月のわたし的活動のハイライトを取り上げて、一年の締めくくりにしてみたい。まず、一月。年来の友人からB型肝炎の訴訟を起こしたいので弁護士を紹介してほしいとの依頼を受けていた。担当してくれる玉田欽也弁護士(私の母校長田高出身)を伴って姫路市野里の福田宅へ(8日)。患者本人を含むご家族三人一緒にこれまでの医療機関とのやりとりを聴く。この患者は生来の重度身障者。すでに60歳を超えられたが、25年ほど前の私の初めての選挙いらい、いつも熱心に支援の闘いをしてくれたひとだ。なんとかこの訴訟は成功させたい、と決意▼二月。淡路島西海岸の海若(わたつみ)荘で、万葉学者の中西進先生らを招いて瀬戸内フォーラムが開催(公明党主催)された(9日)。私は、議員を辞めてから、瀬戸内海に内外の観光客を呼び集めるために奔走することに執心している。このため、裏方として参加したが、遠山清彦氏を始め党の生きのいい若手が多数参加してくれて大いに盛り上がった。必ず近い将来に大きく飛躍させたい、と誓う▼三月。今年始めから私は電子書籍の発刊に取り組んでいる。これはNPO法人デジタルファーストの副理事長としての仕事で、まず手始めに自ら友人との対談集を刊行することに。高校時代の友・高柳和江さんと飯村六十四君との鼎談(笑いが命を洗います)を皮切りに、中学校時代の志村勝之君との対談(この世はすべて心理戦)と続き、第三弾は小学校時代の竹馬の友で、今は住友ゴムの会長を務める三野哲治君と対談(運は天から招くもの)をした(19日)。これで、あとは大学時代の級友で慶応義塾大名誉教授・小此木政夫君、雅叙園社長の梶明彦君との対談へと続く。いよいよこの仕事も佳境に入り、大いに満足している▼四月。井戸敏三兵庫県知事と持田周三大阪朝日新聞代表(現、同顧問)とを合わせるために神戸の鯰学舎で会食する。知事とは同郷、同年齢とあって気が無類に合う。持田氏はかつての市川雄一公明党書記長の番記者で、私とも大変に親しい間柄。この二人、勿論相互に面識はあるが、私の仲介にのってくれ、この日の集いになった(22日)。知事は毎年の六甲山縦走に挑戦するほどの健脚。私は、姫路城周辺を毎朝一時間は走るほどの健脚。どちらが上かとばかりに,その場でスクワットで競い合ったりしてしまった。持田氏曰く「こんな70歳って,なんか変だね」と驚くことしきり▼五月。伊吹文明前衆議院議長が議長公邸に私を呼んで食事を戴きながら時局を論じた(29日)。これは、春先に偶々私が京都に出かけた際に、彼の個人事務所に立ち寄ったことから持ち上がった。伊吹さんとも長い付き合いで、大いにウマが合う。というよりも合わせてくださってきた。市川雄一先輩と太田昭宏国交大臣、井上義久党幹事長の三人も呼んでいただき、期せずして市川元公明党機関紙局長配下の仲間たちが集まった。先方は、大島理森副総裁、逢沢一郎議院運営委員長が同席。時あたかも集団的自衛権問題が山場にさしかかってきたころだったので、自公両党の腹の探り合いになった▼六月。私が顧問をしている日本熊森協会は、実践自然保護団体として極めてユニークで大事な戦いを展開している。初めてこの団体を知ってから20年近い。今、奥山保全のトラスト活動のために公益法人化が課題になっている。皆で力を合わせてこの目的成就に向けて立ち上がろうと理事会が開かれた(21日)。「クマたちの棲む豊かな森を次世代に」をスローガンに掲げるこの団体の同志たちのために私も貢献したいと立ち上がる決意をした。(2014・12・30)

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