Author Archives: ad-akamatsu

青年部を結成、壁新聞の発刊もー3年間の自治会長務めを終えて

姫路城のすぐ西側に位置する新在家自治会(城西小学校区)の自治会長をすることになって、あっという間に3年が過ぎました。約410世帯もの大所帯です。東京から生まれ故郷に引っ越してきたのが昭和の終り、1989年のこと。今のところに落ち着くまで4度も引っ越しましたが、どこでも自治会活動は妻任せ。地域活動ーゴミ出し、溝掃除から祭りなどーには顔出しすらしませんでした。ところが公職をおりて間もない4年前に、今住む地域の自治会の副会長を引き受けざるを得なくなり、1年やりました。我が地域には4つの区域に23の隣保があります。それぞれ平均すると約20世帯くらいの住民を受け持つわけです。あっという間に副会長の1年が過ぎると、今度は我が区から会長を出すという巡りあわせだということを知りました。会長も、副会長も任期は2年ですが、例外もあり、結局すったもんだの挙句に私が会長を引き受けざるを得なくなってしまったのです■というわけで、2年が過ぎましたが、後継者難で結局1年延長。何とかこのたびは後を継いでいただける方を発見し、拝み倒して引き受けてもらい、私は新設の相談役に就任した次第です。この3年の間に色々なことに手を付けましたが、客観的に見て一番評価されることは、青年部を作ったことでしょう。毎年10月に行われる秋祭りの最大の呼び物はご多聞に漏れず、屋台巡行です。姫路の南部地域では全国に名を馳せる「灘の喧嘩祭り」がありますが、それには到底及びつかないものの、それなりに魅力があります。私も当初はあまり乗り気ではなかったのですが、やがてその魅力に嵌りました。若者が重い神輿を担ぎ、それを老人や女性、子どもたちが囃す。やって見ると中々の面白さです。皆で力を合わせ一つのことを成し遂げる喜びです。屋台を担ぐには最低40人ぐらいの若者が必要ですが、これまでいつも大騒ぎしてギリギリの人数をかき集めるのが精いっぱいでした。それを就任一年目の祭りのあとの「打ち上げ」の場で、皆に青年部を作ろうと提案。賛同を頂いたのです■それには十数年も前から、少年野球の指導をやってくれている壮年の存在があります。この人を中心に毎年祭りの運営が行われてきていました。その息子さん(30歳代後半で小学校の先生)が、かつて父親のコーチのもとに少年野球をやっていたのです。その仲間たちが今やいい青年になっています。そこで、この青年教師を中心にして青年部を結成しようと呼び掛けました。昨年は様々な活動を率先してやってくれ、ついに正月の「餅つき大会」まで企画運営をしてくれることになりました。また、昨年の祭りの終わった時点で、役員の新旧交代をすることにしました。その際に、永年祭りを仕切ってきた壮年が若い世代と交替することに、感極まってしばし声が出なかったことは、大いなる感動を呼んだものです■また、女性のお年寄りを中心に「百歳体操」なるものを毎週水曜日に開催。参加者が少しづつながら増えて、皆本当に楽しいと言ってくれてるのにはホッとします。これは中心になる二人の女性の存在が大きいのです。昨年参加者の皆さんの持ち寄りの品々や手芸ものでバザーを開催するまでになったことも嬉しい限りです。市の高齢者活動を担当する方が、「ここまで活発な自治会は珍しい」と褒めてくれています。ただ、課題も残っています。私が就任する直前に解散した「老人会」を復活させるべく、名前を「超青年クラブ」と替えて、春の桜見物、秋の紅葉狩りとバス旅行をやってきましたが、結局はそれだけで進展はなし。今後の課題として新会長に引き継がざるを得ません。個人的に最も大きな仕事だと自負しているのは、「新在家ニュース」という名の壁新聞(A4版)を発刊したことです。毎月一回発行し、2年を越えて続けてきており、既に27号を数えています。地域内に住む医師や数学者、杖術道指導者らに講演、実技を披露してもらって、それを掲載してきました。また、地域内の飲食店の紹介も好評を博しました。今は「播磨の写真風土記」をプロはだしのカメラ好きに連載してもらっています。もともと新聞記者だったのに編集長になれずに政治家に転出した私ですが、70歳を過ぎて遂につかんだ編集長の座に一人にんまりしている次第です。(2018・3・31修正)

Leave a Comment

Filed under 未分類

領域保全に限定した自衛隊ー憲法9条加憲についての私案( 修正版)

私は衆議院議員に在職当時(1993~2013)のほぼ大半を、憲法調査会と憲法審査会に身を置いていた。中山太郎(元外相)さんが会長を務められている頃には、第一回目の海外における憲法事情の調査(2000年)に、共に欧州へ赴いたものだ。与野党呉越同舟の旅で、右は保岡興治、中川昭一(故人)、左は仙谷由人、辻元清美氏らといったうるさい面子との和気藹々の旅であった。忘れがたいことは、イタリアはローマの大使館において同地在住の作家・塩野七生さんに会ったことである。そのときに彼女は「日本の政治家の皆さんがわざわざイタリアまで来られて、日本人の私に憲法についての考え方を聞きたいと仰るのは名誉なことではありますが、しかし……」と語尾を濁された。懇談の中では、憲法改正に向けては、各議院の総議員の3分の2以上の賛成を得ないと発議できないことを定めた憲法96条の規定を変えることが最優先されるべきだと持論を強調された。政治の世界のまどろっこさを気にされながら、いつものこの人らしい直言居士ぶりに似合わない抑え気味の口調が強く印象に残っている。あれから20年近い歳月が流れた。ここへきて、日本国憲法も改定に向けて、ようやく一歩を進めるかのように見えることは喜ばしい■このたび一般社団法人「安保政策研究会」の構成メンバーによる議論を経て、憲法9条についてどう考えるかの意見表明をまとめる機会が得られた。まず、冒頭に私の考える結論を簡潔に記したうえで、その周辺を補足してみたい。ただし、当然のことながらこれは私個人の考えで、現時点での公明党のスタンスとは異なる。公明党は「憲法9条改正」をめぐっては、慎重な姿勢を崩していない。
 
 憲法9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際平和を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
 ただし、我が国の存立を危うくする明白な事態に対応するため、領域保全に限定した能力を持つ自衛隊を置く。

 今回の憲法改定論議は、憲法9条1項、2項をそのままにして、自衛隊の存在を明文化しようとする安倍首相の提案から始まった。これは改憲、護憲に対して、第三の加憲の立場に立つ公明党を意識したものであることは自明のものであり、従来から加憲の対象に9条も例外ではないとしてきた身として、我が意を得たりという他なかった。公明党内の主張としては少数派であったが、かつての同僚でも有力なメンバーに同様の意見があったものと記憶する。公明党が憲法論議の中で、各党の同意が得られやすいものから加憲していくとの態度をとってきたことは周知の事実であり、環境権などをその筆頭に挙げてきた。議論の当初において加憲は殆ど顧みられなかったが、ここへきて「9条加憲論」がにわかに脚光を浴びるに至ったことは感慨深い■陸海空の戦力を保持しないと述べた後に、自衛隊を置く規定を設けることについては、もちろん異論が少なくない。字面を追うことから矛盾ありとする議論である。ただ、2項の規定を削除せずに、自衛隊を置く規定を新たに加えることは、従来の政府解釈からすれば矛盾はしない。政府は、一切の「戦力」の保持を禁止するとしながら、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするため必要な自衛の措置をとることを(9条が)禁じているとはとうてい解されない」としたうえで、「(自衛の措置は)国民のこれらの権利を守るためやむを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべき」との解釈を示してきている。これは政府の憲法9条解釈の基本的論理であり、1972年(昭和47年)の政府見解である。むしろ、2項を削除したあとに、自衛隊を置く規定を明記することは、明らかに自衛の能力を超えたものとしての自衛隊保持を意味することになり、これまでと違って際限なき軍備拡大への道を開くことを意味しかねない■もちろん、この「9条加憲論」が本来の意味からの合理性に難点を抱え、従来から指摘されてきている現実との乖離を一掃するものでないことは百も承知である。だが、自衛隊という現実に今存在するものを否定しかねないという最も大きな非合理からは逸脱できる。今回の議論はまず、その一歩を踏み出すことで収束させるべきである。つまり、戦後70有余年、延々と続けられてきた憲法論議の顛末を蒸し返すことはもはや御免蒙りたい。今ある自衛隊を認め、領土、領海、領空を守る専守防衛に限定した領域保全能力を発揮することを銘記することだ。なお、先に規定された安全保障法制でも、公明党は専守防衛を越えた、専ら他国を防衛するための武力行使、いわゆるフルサイズの集団的自衛権の行使は許されないとの立場を取った。これは、他国の武力攻撃について、日本が直接に武力攻撃を受けたと同様の被害が及ぶことが明らかな場合を存立危機事態と定め、自衛の措置を認めたものであり、いわゆる集団的自衛権の行使ではない。あくまで、専守防衛内の領域保全のための自衛力を行使するものだとの解釈に立つ。
                                          (2018・3・28)

Leave a Comment

Filed under 未分類

依存派とゼロ派、どちらにリアルがあるか「原発考」❷

Continue reading

Leave a Comment

Filed under 未分類

結局はいつか来た道に迷い込むー「原発考」❶

平成23年3月11日午後2時46分。東日本大震災の発生した瞬間、私は新幹線車中にあった。横浜を過ぎて間もなく。当然ながら列車は停止したが、10分ほどで何事もなかったように目的地に向かった。かなりの混乱に陥った東京をその寸前に脱出していたのだ。さらに、それを遡ること16年前。平成7年1月17日午前5時17分。阪神淡路大震災の当日は神戸から西に約50キロ離れた姫路の借家で寝ていた。グラグラっと揺れる最中に瞬時、不謹慎にも「この家潰れても俺の家じゃない」と呑気なことを考えたことを覚えている。後者は衆議院議員に当選してのち2年。前者は勇退する2年前のことである。要するに20年間の議員生活のほぼすべてが大地震と共にあった。今や”大災害の時代”といわれる特筆すべき時間の流れの中に生きてきていることを改めて痛感する■地震のリアルは歳月と共に揺らぐ。直撃を受けず被災の当事者たることを免れたものは、ややもすれば悲惨な現実から目を遠ざけがちなのは否めない。だが「福島第一原発事故」がもたらした事態は、本来そうした身勝手を許さないはずである。事故発生直後ー経済最優先でしゃにむに生きてきた姿勢を改め一端立ち止ることが求められているとの論調が支配した。しかし、それから7年。結局は元来た道に戻ろうとしてはいないか。「原発」に向き合うことは、現代社会をどう生きるかを考えることに直結する。私は事故前まで、徹底した安全管理のもとに原発依存は止むを得ないという立場だった。だが今では、できるだけ早いうちに依存体質を解消し、早急にゼロに持っていくべしとの態度に変わった。国会議員としての現役最後の2年間は党の内外での様々な場で「原発ゼロ」に向けてどう政策展開をしていくかについて発言していったのである■外交・安全保障分野の党の政策責任者として、核抑止力は必要悪だとのだとの立場を堅持しながら、エネルギー政策にあっては原発依存から脱却していくべしとの態度を取った。これは「核」をめぐって一見矛盾するようだが、その実矛盾しない。前者は直ちに核廃絶は無理だが、必ずや将来において実現できる可能性はある。一方、後者も直ちにゼロは無理だとしても、その意思を持てば必ず実現できる。どちらも端から無理だと決めつけないことではないか。ところが原発にあっては、最初から最後までゼロは無理だとして「依存」を前提とする姿勢を崩さない人びとがいる。原発「ゼロと依存」と。この立場の違いをかつてのイデオロギー的「左右対決」という不毛のものにしてはならない■公明党内部でも後半2年、政調の議論の場で幾たびか論争した。経済力向上の立場からゼロには出来ないという人たちと、ゼロに持っていくべきだというものたちがぶつかり合った。原発依存の立場には、嵐が過ぎればやがてもとに戻せるという気分がそこはかとなく漂う。しかし、それを変えなくては元も子もない事態になるのではないか。衆議院予算委員会の場で、野田首相(当時)枝野経産相(当時)とも議論した。また外務委員会で、自らの原発事故の始末をつけぬままに外国に原発技術を輸出する民主党政府の姿勢に疑問を投げかけた。今は崩壊してしまった政権との論争を振り返ることには虚しさが残るとはいえ、議論の本質は色褪せない。これから数回にわたって国会での自らの議論の軌跡や、昨今の議論の流れを追いながら、これからどうこの問題に向き合うべきかを考えていきたい。(2018・3・11)

Leave a Comment

Filed under 未分類

領域保全に限定した自衛隊ーわたしの考える憲法9条改正案

憲法を改正するとしたらどうするか。これまで現役の時から私がずっと主張してきていることは、「憲法改正」の国民的大論争を起こそうということです。つまり憲法論議をタブーすることなくオープンにすべきだ、と。更に、どこを変えて、どこを変えずとも今のままで良いのかも、はっきりさせようと言ってきました。それは、「憲法改正」ではなく、取りあえずは「憲法改革」とでもいうべきものではないのかとも。日経新聞社に同名の本がありますが、あえて私はこの社の姿勢に賛意を表明し、その本をまとめた現・論説委員長にも会って、それなりに意気投合したことを認めます■で、今話題の核心である憲法9条に限って言えば、私は三項に自衛隊を位置付ける項目を加えればいいという考えを公表してきました。昨年、安倍首相がほぼその線での改憲姿勢を表明したため、若干の驚きを抱いたことも包み隠さずに書いてきました。今、国会の内外でこれをめぐって意見が百家争鳴の様相を呈してきています。私が議員を引退してから所属している一般社団法人「安保政策研究会」でもこのほど憲法論議を開始しました。この会は東京で月に一度開催され、できるだけ上京をその開催日時に合わせるようにしてきましたが、このところ難しくなっています。憲法論議の一回目もやむなく欠席してしまいました。現時点で、同研究会の浅野勝人理事長(元衆議院議員、元外務副大臣、元内閣官房副長官)から次のような試案が提起され、それに対する意見を求められています■「第2章戦争の放棄 第9条1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2項 前項の目的を達するため、国の交戦権はこれを認めない。但し、我が国の存立を危うくする明白な事態に対応するため自衛隊を置く」というものが理事長試案です。これに加えて、いくつかの註が挙げられています。➀平和憲法の根幹は堅持する➁国の存立を担保するために、自衛隊保持を明記する➂集団的自衛権の行使は厳しく制限する。手直しは最小限度に留め、国情および現下の国際情勢に合致するものが望ましいと考えるなどといったものです■これに対して、➀概ね賛同➁異論(手直しすればOK)➂慎重ないしは反対ーの見解を次回までに提示してほしいと求められています。私はこれに対して、➁と提示するつもりです。そして、具体的な手直しについては、第2項の但し以下を、我が国の存立を危うくする明白な事態に対応するため、領域保全に限定した自衛隊を置くとの案を提起するつもりでいます。つまり、領土、領海、領空の領域に限定しての自衛隊です。公明党がこれまで認めてきた自衛隊は、海外に派兵するものではありません。先の安保法制でも我々が認めたのはあくまで領域保全に限定したものです。ここらは自民党との間で見解の差異が存在することは認めざるを得ませんが、改めてここは譲れぬ一線としておきたいと思っています。(2018・3・4)

Leave a Comment

Filed under 未分類

国連への期待寄せるSGI提言の重みー「テロとの戦い」の時代は終わらない➄

世界の歴史を振り返ると、キリスト教と切っても切れない関係にある西欧哲学のもとヨーロッパ近代が世界を席巻して百数十年が経つ。世界は今や進むべき道に迷い、羅針盤たる思想を見失っているかに見える。一方で、「続・新冷戦」の核心とでもいうべき「大国間核開発競争」が再燃、もう片方でイスラム過激主義が西欧文明への報復の一環として自爆テロを繰り返す。そんななか、核開発に躍起となり、ミサイル攻撃をもちらつかせる北朝鮮を非難することは容易なことかもしれない。だが、大国の核保有が認められて、小国のそれが認められないのはおかしいという主張を、いわゆる大国の論理だけで論破し斥けることには無理があるように思われる。核と人類は共存できないということを、事実として推し広める行為の裏付けがあってこそ、北朝鮮を正しく導けるのではないか■国家サイドで一触即発の戦争の危機が新たに高まり、民衆レベルでは自爆テロのもたらす悲劇が跡を絶たない。世界が行き詰ったかのごとくに見える今、真に打開の道はないのだろうか。昨年7月に122か国の賛成のもと、国連で採択された「核兵器禁止条約」は市民社会の圧倒的な声が後押ししたと言われる。採択いらい50を超える国が署名をし、条約が発効すれば、生物兵器や化学兵器に続く、大量破壊兵器を禁止する枠組みが整う。この動きを決してお座なりに見てはいけないのではないか、「国連無力論」が世を覆って久しい。しかし、世界平和の原点に立ち返って改めて人類は国連にもう一度思いを託すべきではないのか。核廃絶、核軍縮、テロ撲滅など、所詮絵に描いた餅にすぎぬとの各個人の胸の内に巣くう思いーこれを打ち破ることに「今再び」の情熱が傾けられるべきではないのだろうか。世界で唯一の被爆国たる日本が、核保有大国米国と歩調を合わせることに腐心し続けているだけでいいのか。「恐怖の均衡論」や「核抑止論」に翻弄され続けてきた年老いた世代は、もはや後裔に退くことが求められている■今年は世界人権宣言採択70周年の節目に当たる。難民や移民の子どもたちの教育の機会の確保を始め、世界の人権確立に向かってやるべきことは数多い。かつて日本で「ベトナムに平和を!市民連合」の動きが盛んであった時代に青年期を過ごした世代は、他国における惨状を放置する自身が許せなかった。支援の手を差し伸べよう、でなければ、悪の側に加担することと同じになるのだとの自責の念があった。今はリベラルを自称する人々の間にさえそういう機運があまり見られない■創価学会SGIの池田先生がこの1月26日に、43回目のSGI 提言を発表した。ここには大乗仏教の粋としての法華経を基盤にした確固たる思想が横たわっている。今日までの半世紀近く営々として発表されてきた提言の数々。と同時にICANなどと共同した市民活動の展開も。国連への期待を寄せる平和確立に向けての具体的な提言に、世界の識者たちも注目度を高めている。「大国の論理」に押し流されるだけでなく、市民の側からの澎湃とした潮流を起こす機縁といくために、この提言の価値は実に重く、深い。日本でももっと真剣に受けとめられるべきではないのか。(2018・2・24=この項終わり)

Leave a Comment

Filed under 未分類

核戦略を転換する米トランプ政権ー「テロとの戦い」の時代は終わらない④

近年、「明治維新見直し論」が盛んになってきている。一言で分り易く言えば、いわゆる「司馬史観」なるものが維新を美化しすぎているとの批判が背景にある。吉田松陰が作ったとされる松下村塾の実態はなく、彼は単にテロの首謀者だったとの作家・原田伊織氏の『明治維新という過ち』説は興味深い。いささか極論の誹りはまぬかれないにせよ、この辺りをしっかりと史実に沿った形で吟味する必要はあろう。松陰の思想と行動をつぶさに追えば、確かに「テロ礼賛」と見るのもあながちオーバーとは言えないかもしれない。尤も、司馬遼太郎さんも原田伊織さんも共に行き過ぎで、「真実は中間にあり」というところだろうが■いささか議論は横道にそれたが、ここで私が言いたいのは日本にもテロの伝統が厳然とあるということである。言い換えれば、テロを認める気分が国民のうちに内在しているということと無縁ではない。例えば、核兵器を弄ぶ北朝鮮の指導者の横暴ぶりに業を煮やした人々の間で、彼を亡き者にすればすべては収まるといった議論がある。また、およそ常軌を逸した言動をする米大統領を前にして、彼さえ倒れればと、まことしやかな議論を口の端に登らせる向きもあろう。これらは単なる井戸端会議や床屋談義かもしれないが、であるがゆえに一層国民の間に広く内在する「テロ容認論」と言えるかもしれないのである。超軍事大国米国が自己中心主義に陥り、世界の盟主たる自覚も何処へやら、ひたすら内向きになっているかに見えていたが、ここへきて冷戦時とはいささか趣きを異にした核軍拡競争にふたたび邁進しようとする姿勢を見せ始めた■2月2日に発表された「核戦略見直し(NPR) 」は、オバマ前政権の目指した「核なき世界」を事実上放棄したものである。ここでは、非核攻撃への報復にも核を使うことがあり得ると明示したほか、「使える核」としての小型核兵器を開発することもうたった。この米国の一大方針転換に至った背景には「前回のNPR発表時に比べて、世界の安全保障上の危機ははっきりと高まっている」との現状認識がある。失墜した一方の旗頭の座に復権したロシア。そして一世紀ほど前に味わった屈辱からの復讐の念に燃える中国。確かに、この両国は今や着々と世界に地場を固めている。とりわけ中国の権益拡張的振る舞いは眼をみはるばかりである。また、ロシアも新たな核兵器開発を進めており、「魔神はすでにランプから解き放たれている」(サラ・クレプス米コーネール大准教授)と見る向きが専らである。尤も、ここにきて、ネパール、ミャンマー、パキスタン、タイなどで中国が進めてきたダムや高速鉄道建設工事などが中断されたとの報道が相次ぐ。各国がその巧妙で悪辣な手口に気付いたとされるが、果たしてどうだろうか。背に腹変えられぬ貧しき国家群はいつなんどき、遅れてきた侵略国家の毒牙の深みにはまるやもしれないのである■こういう状況下にあって、米国がまたぞろ核の役割を拡大させる方針に転換するということは、予期されることではあったものの、「非核推進」陣営にとって、まことに気が重い。世界唯一の被爆国家日本の政府は、いち早く米国の方針を高く評価するむねの河野太郎外相談話を公にした。米国の核の傘に入っているがゆえに、やむを得ぬ選択というのでは陰影がなさすぎないか。核抑止力維持と核軍縮推進は矛盾しないとのいいぶりには、やはり無理がある。オバマ前大統領の示した核軍縮姿勢に世界が共鳴した事実を思い起こしたい。核の傘のもと核に依存する日本政府の与党の一員として、当時はこれを核軍縮への流れを一気に加速させる好機ととらえた。ノーベル平和賞を彼が受賞したことにも素直に喜んだものだ。前政権の政策を悉く覆すトランプ政権の決断に、異議を唱えぬ日本の安倍政権では失望を禁じ得ない。公明党も物言わぬ政権与党であってはならないのではないか。(2018・2・18)

Leave a Comment

Filed under 未分類

地下鉄サリン事件の忌まわしい記憶ー「テロとの戦い」の時代は終わらない➂

テロとは、「政治的な目標を達成するための暴力的戦略」とされる。かつて明治維新前夜には我が国内でも横行したことを記憶にとめておられよう。だが、テロに対する現代日本人の感覚はどちらかといえば、疎いという他ない。それでもある程度呼び覚まされたのは、23年前のオウム真理教の起こした地下鉄サリン事件によるところが大きい。「9・11」よりも前に、日本社会を根底から覆そうとした大掛かりな事件だったが、当初はこれがテロだとの認識が弱かったように思われる。阪神淡路の大震災が発生したと同じ平成7年に起きた故か、その影に隠れた側面はなきにしもあらずだ■オウムという特殊なカルト宗教団体への生理的嫌悪感とでも言おうか。あまりに荒唐無稽で唐突な事件だったことも手伝って、リアルさが希薄だったのかもしれない。真正面から事の本質が日本転覆をねらった「テロ」として受け止められなかった気がする。当時ある参議院議員が「これこそテロだ」と予算委員会だったかで、力説していたことが思い起こされるがあまり共感を呼んでいたとの印象はない■オウム真理教をめぐるすべての刑事裁判は、このほどようやく終結することになった。最初の公判が始まってから22年半。192人が罪に問われ、うち13人に死刑が言い渡されている。このオウム教団は自分たちが勝手に思い描いた「救済」を、一般大衆に向けて実行しようとした。そのための手段を選ばず、独善そのものの狂信的行動に走った。そこにはIS が自らの王国をつくるために、「異教徒」を全て敵とみなし、攻撃の対象としてきたことと、本質的に違いはない。尤も、オウムとIS とを比べると、普通の人間との差異ばかりが目立って、テロの依って来る根本的原因が見えにくくなるやもしれない。むしろ150年前の日本を思い起こす方がよりテロの本質が分るように思われる。「維新の志士」という美名で語られることが多いが、その実、彼らは自分たちの目指す政治的信念を貫くために邪魔になる存在はことごとく倒すべし、とテロ行為に走ったと言えなくはないのである■近年、「明治維新見直し論」が盛んになってきている。一言で言えば、いわゆる「司馬史観」なるものが維新を美化しすぎているとの批判がその背景にある。吉田松陰が作ったとされる「松下村塾」の実態はなく、彼は単にテロの首謀者だったとの作家・原田伊織氏の「『明治維新という過ち』説」は興味深い。いささか極論のそしりはまぬかれないにせよ、この辺りはしっかりと史実に沿った形で吟味される必要があろう。松陰の思想と行動をつぶさに追えば、確かに「テロ礼賛」と見ることもあながちオーバーといえないかもしれないからだ。尤も、司馬遼太郎氏も原田伊織氏も共に行き過ぎで、「真実は中間にあり」というところだろうが■ここで言いたいのは、日本にもテロの伝統が厳然とあるということである。言い換えれば、テロを認める気分が国民のうちに内在していることだ。例えば、核兵器を弄ぶ北朝鮮の指導者の横暴ぶりに業を煮やす人々の間で、彼を亡きものにすればすべては収まるとの議論がある。また、およそ常軌を逸した言動をする米大統領を前にして、彼さえ倒れれば、とまことしやかな議論を口の端に登らせる向きもあろう。これらは単なる井戸端会議や床屋談義かもしれないが、であるがゆえに一層国民の間に広く内在する「テロ待望論」と言

地下鉄サリン事件の忌まわしい記憶ー「テロとの戦い」の時代は終わらない➂ はコメントを受け付けていません

Filed under 未分類

日本に住む我々の隣にも危険がー「テロとの戦い」の時代は終わらない➁

海外における日本人のテロ被害者も散発的ながら後を絶たない。近過去で最大のものは、バングラデシュ・ダッカでのテロ事件であろう。2016年7月1日に、イスラム過激派によって22人もの人が殺害されたが、そのうち7人が日本人だった。事件から1年が経ち、忘れ去られようとしていた昨年7月、NHKスペシャルで放映された『謎の日本人テロリストを追え』という番組には衝撃を受けた。この事件では、30歳代半ばのバングラデシュ人が容疑者として浮上した。この男、サイフラ・オザキは19歳で立命館アジア太平洋大学に留学したのちに、日本国籍を取得した。テロ事件で重要な役回りを果たしたこの人物のことを番組は克明に追っており、見るものは釘付けになったのである■彼は日本が好きで好きで仕方がないと言っていたという。2001年9月の訪日以来、大学で指導に当たった教授は「極めて優秀な学生で、勉学に励む姿は真剣そのものだった」とほめそやしていた。日本人女性との間に4人の子どもを授かり、やがて准教授にまでなった。その男がいつの日か、バングラデシュの若者を次々と誘い、テロを主導するISの一員になっていった。この謎にあふれた経緯には息を吞む思いでテレビ画面に引きつけられた。ヒンズー教徒だった彼は、イスラム教徒に改宗。やがて「日本人が一人でも殺されると大変なニュースになるのに、イスラム教徒が何千人殺されてもニュースにさえならない」と憤り、「日本に失望し、嫌いになった」と述べていたというのである■対テロ国際研究所長のボアズ・ガノール氏はテロを起こすものを➀ローンウルフ(一匹狼)型➁ローンウルフが集まったローカル・ネットワーク型➂組織型ーと言う風に三つに分類している。10年ほど前までは、圧倒的に組織型が多かったが、今や拡散しているとされる。「領土」を持ち、地域住民を支配するハイブリッド(混成型)テロ組織と見なされるIS は、表面的にはシリアやイラクで「領土」を失い、古典的なテロ組織に戻りつつある。アメリカ・トランプ政権としては、ISはもはや壊滅した、恐るるに足りないと言いたいところだろうが、油断は禁物だ。いつなんどき地下に潜伏したIS の逆襲が始まるとも限らない。中東地域を中心にヨーロッパからアジアへとテロ組織やらテロリストの暗躍は半永久的に続くと見るしかないのである■日本においては未だイスラム過激派による本格的なテロは起きていない。しかし、東京オリンピックがその標的にならない保障など全くない。国民が意識を変えて日常的に警戒心を持たねばならない。先に触れたオザキのような人物がどこからか現れるかもしれないからである。先年の国会でテロ防止に主眼を置いた法律を作るに当たって、野党から猛然と反対の声が上がったことは記憶に新しい。事前に防止を防ぐことが、国民の自由を脅かすことにつながるとの観点からのものだった。勿論、運用には十分な注意が必要だが、起きてしまってからでは遅い。先に挙げたガノール・対テロ国際研究所長も国内外の治安機関や安全保障の専門家が一堂に集まり、情報や課題を共有し、一緒に解決するインテリジェンス・センターを設立すべきだと主張している。各国がエゴを乗り越えて協力し合うことの重要性を強調しているのだ。広範囲に国民的意識を高めたうえでの万全の態勢作りが必要とされよう。(2018・2・4=一部修正2.5)

Leave a Comment

Filed under 未分類

前門にも後門にも待ち受けるー「テロとの戦い」の時代は終わらない➀

 27日午後アフガニスタンの首都カブールで自爆テロとみられる爆発があり、100人を超える市民が犠牲となった。世界各地でテロが日常茶飯事となっているにもかかわらず、アメリカはテロへの対応にひと区切りをつけ、むしろ大国間軍拡競争に回帰しようとしているかに見える。転換期を迎えた「テロとの戦い」の時代を考える。
 2001年9月11日ーアメリカでの同時多発テロで、いわゆる「テロ戦争」と言われる、「テロとの戦い」の時代が幕を開けた。あれから16年余り。相変わらずテロの横行がやまぬ中、アメリカでは「テロとの戦い」の時代認識を変えようとしている。恐らくその変化の背後には、イラクのイスラム国(IS)拠点壊滅という事態が影響しているものと思われる。それだけではない。北朝鮮、中国をめぐる北東アジア情勢や、シリア、ロシアを中心とした中東情勢など、世界の焦点と思しき地域での伝統的な軍事大国の復権が関係していることも無縁ではない。2月2日には「核態勢見直し(NPR)」を公表、新型の小型核兵器と核巡航ミサイルを導入するとした■前世紀末にソ連の崩壊によって、「米ソ対決」の冷戦の構図は終焉を迎えた。新たな「米国一強」の時代の到来で、国際情勢に大きな変化が訪れるかに思われたが、それは長続きしなかった。21世紀の幕開けと共に、「フラット化する世界」(トーマス・フリードマン)と呼ばれるように、国家から企業、企業から個人へと、経済主体の大転換が始まった。国境を越えて移動するヒト、モノ、カネの動きは、戦争の形態まで国家主体から共同体や個人主体のものへと劇的な変化を促してきたのである。1990年代から今日までの25年ほど低迷を続けたソ連崩壊後のロシアは、今や昔年の雄姿を彷彿とさせるまでに回復したかに見える。そしてほぼ同じ時期に、軍事力を蓄え続けてきた中国は、今や名実ともに経済大国にのし上がってきた。テロとの戦いにかく乱され続けてきたアメリカは、今やテロという前門の虎と中露という後門の狼というように、新旧取り混ぜた戦争要因に囲まれる自身を自覚せざるをえないのである■なんのことはない。冷戦から新冷戦の時代を経て、今や世界は大混乱の時代を迎えたという他ないのではないか。私が現役時代に国会にテロ対策特別委員会が設けられた。国家間相互の戦争に代わって、テロ組織グループや自爆テロによる国家への挑戦といった動きが顕著になってきたことへの対抗措置であった。全く新たな形態を持つ戦争にどう対応するか。毎国会ごとに論議が交わされた。とりわけアフガンやパキスタンなどの地でのタリバンをめぐる動きに、多国籍国家群によるインド洋における給油活動をどう進めるかなど、多くの時間が割かれたものであった。またソマリア沖での海賊活動をどう取り締まるかについても激論が交わされた。そして2014年に過激派組織ISが「建国」を宣言するに至って、その戦いは頂点に達した■日本にとって、「テロ戦争」の主戦場は遠く離れた地だとの認識が一般である。中東、欧州は言うに及ばず南アジアでテロが発生しても対岸の火事と見る傾向は根強い。テロよりもむしろ北朝鮮の核弾道弾ミサイルの標的になる可能性についての問題の方が、国民の危機意識は大いに煽られる。しかし、テロへの対応を放置したままでは奈落の底に突き落とされる可能性は高い。2020年の東京オリンピックが標的になるかもしれないと、随所で真剣に囁かれている。いつなんどき我々の住む地が悲劇の主舞台になるかもしれないのである。近隣国家による軍事力攻撃にも、見えない敵の理不尽なテロ攻撃にも、双方に備える対応力が今強く求められているといえよう。(2018・1・27=一部修正1・29/2・5)

Leave a Comment

Filed under 未分類