《9月もはや下旬に。訃報が相次ぎ、気分もつい滅入りがち。15日からの1週間を点描します。特別版です》
★9-15(火)今日は「結婚記念日」。54年前のあの日は台風と史上最大の国鉄ストに見舞われ新婚旅行も行けなかった。前途多難を思わせるトラブルはその後の人生を暗示させた。元兵庫県議だった羽田野求君死す。享年78歳。数日前に電話すると肝臓がんが肺にも転移したと聞き、ハイパーサーミアについて話し励ましたばかり。好漢の死はとても悔しい。県議時代の仲間によると環境問題に熱心で、モンゴルがCo2排出規制に先駆的だと聞き単身同国に調査に飛び懸命に動いたことが語り草だという。『モンゴル抑留』で意見交換したかった。夜は近くのホテルのレストランで過ごす。
★9-16(水)顧問を務めるAKR(小売り市場を大資本スーパーなどから守るための団体)が取組むHACCP会議が大阪・堂島にある本部で行われた。つい先頃も京都で食中毒が発生したばかりだけに細心の注意が必要であることを確認しあった。この団体に関わるようになってもう30年近い。慶應同級の元毎日新聞大阪本社の幹部だった成相幸良君から、河田正興専務理事を紹介されたことがAKRと付き合うきっかけだった。「共同仕入れ、共同配送、共同保険加入」の仕組みは弱小市場を守る妙手だったが、昨今は厳しい経済情勢の前に苦戦を強いられている。コロナ禍で河田氏が早々に犠牲になったことは痛恨事だった。もっと生きていて欲しかった。AKRのような団体が消えたら世も末だ。
★9-17(木)映画『オデュッセイア』を明石イオンへ観に行く。ホメロスのギリシャ古典。トロイの木馬、一眼の巨人など有名な挿話の展開は興味深々だったが、暗い映像の連続は見辛く〝もっと光を〟の気分に。偶々「毎日」「公明」の映画欄に相次ぎ紹介された。「毎日」夕刊の毎週金曜日の欄のトップを飾る映画は「当たり!」が多い。時々参考にして鑑賞する。少し前に観た『黒牢城』は実に面白かった。米澤穂信の原作にはまり「荒木村重」にまつわる諸作品を読み続けている。司馬遼太郎の戯曲『鬼灯』よりも、黒部亨『命惜しゅうて候』の方が印象深かった。
★9-18(金)20日付けブログを麻生太郎自民党副総裁のことでまとめようと資料探しに図書館へ。ここは駅のそばで便利だ。若き日よりせっせと本を買い込んできたが、13年前に議員を引退した時から一転、蔵書の処分を始めている。なるべく本は新たには買わずに図書館で借りている。また最近はAIを専ら相談相手にしている。今日も先崎彰容氏が『知性の復権』の中で麻生太郎氏を突然のように持ち上げている狙いについて議論した。彼の『自由と繁栄の弧』に見る思想と、安倍晋三元首相の「インド太平洋戦略構想」の比較をしたのだが、イマイチ腑に落ちない。
★9-19(土)北海道旭川市からかつての職場の大先輩・橋本立明さんが「旅友の女性」と一緒にやってきた。この人は公明新聞に僕が
入社し政治部に配属された時の上司。5歳年上で記者生活の手ほどきをして貰った。政治部長、編集総局長を経て2001年に定年退職。後に次男の住む旭川へ千葉から移転。第三の人生へ。以来約20年、今は「健康・生きがい開発財団」に所属する健康生きがいづくりのアドバイザー。「人生百歳時代━━老いを生き活き楽しく!」っていう講話をされている。話の合間に算数マジックを入れ、お江戸名物大道芸「南京玉すだれ」を演じているよといかにも楽しそうに。かつての先輩の姿はそこにはなくまるで別人がいるかのようだった。認知症を患った愛妻と数年前に死別。渾身の思いを込めた介護の末だった。今回の旅は気品溢れる2歳下の女性と。遠来の懐かしき先輩の思い出作りにと、妻と共に繰り出す。行き先は垂水のアウトレットから須磨水族館(須磨スイ)へ。夜は明石「魚の棚」で楽しい時を過ごした。
★9-20(日)姫路の古くからの友・野村邦弘(野村工芸)社長と昼前に会う。舞子駅前のビル最上階にあるレストランで。ここは「眺めよし味よし」のお気に入りの店。遠来の友と食事をする場合にはうってつけ。久方ぶりの出会いだがいつも若々しいナイスガイの彼とはとても気が合う。昨今の国際情勢から日本が直面する課題についてあれこれと意見交換。特に僕が今一段と関心を深めている「77年の興亡」について持論を展開したら、熱心に耳を傾け意見を挟んでくれた。真の意味での対話が出来た。戦後第一世代の我々が今こそもう一度立ち上がらねばいけないねとの合意をした。11月に姫路南西エリアの太陽会の担当を仰せつかった。創価学会の中高年層の仲間たちの集いだが、久しぶりの懐かしい出会いが待ちどおしい。
★9-21(月)長田高校同期の畏友・飯村六十四が亡くなった。享年80歳。名古屋市医大卒の内科医。高齢者の医療施設を経営する傍らアンチエイジングの研究をするなど生涯現役の医師だった。今年初めに心臓病で手術。直後に肺疾患で再入院。8月下旬初めて見舞った。衰弱はしていたが毅然としておりあれこれ話せた。彼とは10年前に、『笑いが命を洗います』とのタイトルで、同期で笑医塾塾長の高柳和江と共に鼎談・電子本を出版した。彼が「食事」、僕が「運動」の大事さを、彼女が「笑い」を強調する中身だ。「60過ぎたら薬はいらない」という逆説めいたフレーズが彼の口癖だった。様々な機会に健康のアドバイスをしてくれた。さきに逝くなんて。もっと長生きして〝仲間たちの相談医役〟を続けて欲しかった。熱血医の退場は無念にも程がある。嗚呼。(2026-9-22)






