⚫︎80歳半ばでも全く衰えない創作意欲の持ち主
前回は「公明党論」について考えさせられる本を3冊、章横断的に取り上げてみました。今回は、第3章の中に登場する10人のうち、僕が日常的に親しくお付き合いをしてきた4人についてふれてみます。川成洋、佐竹隆幸、岡部芳彦、相島淑美の皆さんです。
川成さんとは公明新聞記者時代からのお付き合いですから、かれこれ50年になろうかというほど古い間柄です。文化欄を担当していた頃にスペインについて書いて貰うべく交渉したことがきっかけだったと記憶します。今回取り上げた『スペイン内戦と人間群像』を読むと分かるように、スペインについて圧倒的に深い知見を持っておられます。新聞記者を経て政治家になった僕が長い空白の時を経て再会した時に、赤坂のとある食事処での語らいが印象に残っています。
問わず語りに彼の口をついて出てきたのは、若き日に事故を起こして片目の視力を失われたということでした。確かにお顔を見ると隻眼ぶりが分かります。しかし、合気道、居合道、杖道の3つ合わせて13段の武道家で、両目の見える人間には何事でも負けたくないという凄まじいまでの気迫に圧倒されました。先年も横浜と埼玉に住む友人ふたりと一緒に、鶴川の武相荘を訪れた際に最寄駅でお会いしましたが、年齢的に若い我々が到底太刀打ち出来ない気力(年に数冊出版する)を見せつけられたものです。
本業とは別に書評に手を初められており、昨年ご自分が編纂されている本への寄稿を僕に求められました。僕も書評は好きなもので、2つ返事で承諾しました。『アラバマ物語』について書いたのですが、川成さんからそれなりに認められたことはとても嬉しい気分だったことを告白しておきます。
⚫︎関学大を舞台に走り抜ける学者たち
関学大の教授だった佐竹隆幸さんは60歳直前にこの世を去ってしまわれました。本にも書きましたように、彼とは晩年あれこれと、よく付き合ったものです。県知事選に出たいという〝下心〟があったからでしょう、読売テレビの人気番組『そこまで言って委員会』に出るにはどうすればいいかと相談を持ちかけられたものです。学問としての経済学を極めて、日常的な企業の経営に口を挟み、目をむけるうちにそれだけでは飽き足らなくなって、政治の道に進みたかったものと見えます。彼とは真逆に政治家を経て学問に興味を持って大学の門を叩きたくなった僕ですが、皮肉なことに2人とも挫折してしまいました。
ウクライナ戦争ももう3年を優に越えてしまいました。〝戦争慣れ〟とは言いたくないものの、すっかり常態化してしまった日常に、改めて居住まいを正したくなります。関学大を出て今神戸学院大教授の岡部芳彦さんはこの3年、すっかりお茶の間のウクライナ専門家として有名人になってしまいました。公明党の後輩・衆議院議員であった遠山清彦君から紹介されて初めて会った頃から、この人は変わらぬ熱情を湛えてウクライナのことを語り続けてくれています。
取り上げた本は「日本とウクライナの交流史」なのですが、戦争が起きてなかったら、僕は読んでたかどうか。遠山君はコロナ禍の最中に不用意な行動を起こし議員辞職の憂き目に遭ってしまいました。一方、岡部さんは戦争と共に、過去に積み重ねた研鑽の成果を発揮しまくっています。人生万事塞翁が馬と言います。遠山君も政治の世界ではなく、持ち前の学識の深さと語学力で、そろそろ異世界で浮上してもいいのにと思うしだいです。罪は十分償われました。彼の能力が発揮されない現状は勿体無いです。
最後に、相島淑美さん。この人の経歴ほど凄まじきものはないとつくづく感心します。上智大学を出て日経の記者になり、その稼業が自分に合わないと見るや、慶應の大学院でアメリカ文化を研究し、某女子大で講師をする一方、翻訳家として活躍。やがて今度は関西学院大学のMBAとしてマーケティング習得に精を出して博士号を取得し、今では神戸学院大教授になって、おもてなしと茶道の関係解明に取り組むといったしだい。しかもこの間に2度結婚し2度離婚しているというから、まことに慌ただしい。
ひとつの仕事だけの会社人間で、ひとりの相手とずっと暮らしてきたなどという平凡な人生道を歩んできた人にとっては、なんとも言い難い破天荒ぶり。ただただご苦労さんというのが精一杯だろう。この人、妙に僕と気が合う。60歳を過ぎて益々意気盛んで、3度目の挑戦も厭わない風が眩しいだけに、ついお相手を探してあげたくなってしまいそうになる。よせばいいのに、僕の世話好きも尋常じゃないかもしれない。(2025-7-3)