Category Archives: 未分類

【186】あと3日となった選挙戦━━激戦兵庫からのリポート/10-24

 衆院選挙も残すところ3日となった。選挙のたびに思うことは、政党関係者の熱量ほどには世の中の反応は弱いということであろう。今回のように、自民党が旧統一教会の問題と政治とカネの問題で、前代未聞の不祥事を起こしていながら、その批判の矛先が鋭く向かっていないかのように思われる。しかし、それも果たして実際にはどれほどのものか、蓋を開けて見ないとわからないというのが本当のところだろう。さる18日、神戸のホテルオークラで開催された公明党の赤羽かずよし候補の個人演説会には自民党の隣接選挙区候補が4人も顔を揃えた。4者4様で自身の選挙情勢の厳しさを伝えつつ、赤羽候補へのエールを送っていた。「もう一度一から出直します」「やましいことは何もない」「ご迷惑をおかけして申し訳ない」などなど。これらの弁明めいた発言を聞きながら「政治家の反省」とは何かを考えざるを得なかった◆20日には、公明党の山口那津男前代表と石破茂首相が「赤羽」の支援にJR新長田駅前にやってきた。石破首相の演説で印象に残ったのは、冒頭での「テレビで見ると怖い顔と言われますが、現物は意外とそうでもないでしょう?」との切り出しで笑いをとり、ゆっくりと語りかける口調は好感が持てた。とりわけ赤羽氏が三井物産、自分は三井銀行と三井繋がりのうえ、大学も同じ慶応大学法学部政治学科でほぼ同期(首相が年齢は一個上)の政治家であることを強調したあたりは親しみを感じさせた。ただ、演説の中身はいささか物足りなかった。というのは、今有権者が一番関心のあるのは物価高と所得減に象徴される「暮らしづらさ」に他ならないのに、そこへの言及がなかったのだ。経済格差の拡大は、安倍晋三元首相の主導したアベノミクスに起因するというのは衆目の一致するところである。首相自身兼ねてそういう発言をしてきていたのに、ここへきてそれを封印しているかに見えたのには、訝しく思わざるを得なかった◆22日の夜は元町の飲食店で、かねて私もメンバーの一員である異業種交流の趣きを持つ懇親会が開かれたので、顔を出した。この日は20数人ほどが参加して和気藹々の懇談の場となった。常連である「維新」の著名な現役国会議員も私とツーショットで挨拶に立った。彼は今回の選挙が維新にとっても逆風で、県下各地で厳しい戦いを強いられていることを嘆いてみせた。私は、現役を引退した議員として、与野党が政党の枠を越えて、日本が抱える課題を巡って、大論争を起こす時だとの持論を〈起・承・転・結〉の4点に分けて展開した。拙著『77年の興亡』を著した2年前の2022年が日本近代を画する大きな転機だったとの導入部【起】から始めて、【承】は、明治維新からの77年、昭和の敗戦からの77年に次ぐ「第三の77年」が①少子高齢化②コロナ禍③ウクライナ戦争という危機に見舞われて始まったという現状を述べた。そこから【転】として、第1期の77年の「軍事力」、第2期の「経済力」に代わる、第3期の国家目標に「文化・教育力」を掲げて新たな国づくりをすべきだと展開した。【結】として、そのために、今こそ国民的大論争を起こそうと訴えたのだが、与党・自民党と野党・「維新」の〝不祥事連発の二重奏〟で、それどころでない現実は残念という他ない◆選挙は未だ3-4割の人たちが投票先を決めかねており、投票所に足を運ぶかどうかさえ迷っているとの見方が専らである。ここにどう切り込むか。人間心理として、選挙公示前は未だ早いという意識が走り、投票日前はもう遅いとの気分が漂う。つまり、相手よりも自分自身の「気持ちの壁」に左右されるのが〝人の世の常〟である。そこを一票、また一票と積み重ねる「一念の強さ」こそ、「勝利の要諦」に違いない。無党派層の気ままさを、我が手の届かぬ〝雲の上の秘め事〟と諦めず、〝自家薬籠中の物〟とするのも、また「強き一念」に帰するに違いないと思われる。選挙は大きく捉えれば、現代の「国取り物語」だが、個人に当てはめれば、自分の弱さとの戦いであり、懐かしき友との再会や、新しき友との出会いをもたらす「人脈開拓のお祭り」に直結するといえよう。新たな希望の夜明けに向けて出発するのは今をおいて他にない。(2024-10-24)

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【185】吉と出るかはたまた凶と出るか━━全ては選挙での国民の判断に委ねられた/10-10

 石破茂氏が自民党総裁に選ばれてから、2週間足らず。国会召集から首相指名、所信表明演説。それへの各党代表質問を経て、85分の党首討論。そして衆議院解散。あっという間の出来事だった。この間の猛スピードぶりや、首相発言の中身に対して、野党は勿論、メディアの評判もいたって悪い。それらに共通するのは、総裁選挙を通じての発言とあまりに違いすぎる、まるで手のひらを返したようだということだろう。私も大いに落胆した。所信表明への代表質問に対する答弁が専ら棒読みで、ご本人の口癖だった「自分の言葉」が殆ど出てこなかったからだ。ひどい出来栄えに見えた。ずっとテレビの前に座っていたわけではないので、不確かなのだが、イメージ先行の捉え方をすれば、その印象が否めなかったのである。ひな壇の先頭席での首相は、照れ隠しのような彼独特の含み笑い的表情で、臨席の林芳正官房長官の端正な顔つきとの違いが際立った。衆参2日間の〝セレモニー出演〟は、お世辞にも褒められたものではなかったというのが率直なところだ◆ところが、昨日の党首討論はうって代わって「良い面」が見られた。勿論、ここで「良い面」というのは少々意味合いが違うかもしれない。過去の自民党の首相は、野党の追及に対してすり替え答弁をしたり、はぐらかしたりして、まともに答えない場面が常態であった。ところが昨日の首相は認めるところはそれなりに認めていた。前日2日間の棒読みとは違って堂々と自分の言葉で述べていたように見えた。たとえば、政策活動費について、石破幹事長時代の2年(2012-14)に、どういう使い方をしたかと問われて「国会でいろんなご議論を賜るときに、それを円滑にするため」に使ったと述べたり、「いろんな選挙区でいろんな事情もあり、厳しいところも当然ある。そういうところで、適法な範囲内で今許されている政策活動費を使うことは、可能性として否定しない」と述べたりした。彼らしい正直な答弁だったといえよう。一連のやりとりを見聞きしていて、立場の違いが錯綜する中で、隠さず述べるところは好感が持てた。尤も、ここはせめて「近い将来には、政策活動費はきっぱり廃止する」と明言すべきだったろう。自民党の総裁候補者間に廃止論が出ていたし、公明党も廃止を明確にうち出すよう求めているのだから、物足りないというしかない◆また、政治資金収支報告書に不記載があった12人の議員らを、石破自民党は公認しないと公表した。野田佳彦氏はこれでは少な過ぎると追及した。首相は「そういわれるが、よくよく判断をしたうえでのことで、最終的な判断は主権者たる国民に任せる」といい、非公認の候補者が当選した場合、「(追加公認については)主権者たる国民が判断された場合、公認することはある」と、ここでも正直に発言していた。つまり、問題だらけの考え方を堂々と誠意を込めて正直に語っていたというのが率直な印象だ。これをどう国民が判断するか。吉と出るか、凶と出るか━━選挙での有権者の判断にすべて委ねられたのである◆この問題に関連して衆議院小選挙区で、自民党が公認した予定候補のうち、174氏の推薦(第一次)を決定した上で、無所属の小選挙区予定候補2氏の(兵庫9区の西村康稔氏と埼玉13区の三ツ林裕巳氏)推薦も決めた。これには驚きを持って聞いた人も多いと思われる。兵庫9区の明石に住む私のところにも、何故かとの問い合わせが幾つもあった。この2人の選挙区と隣接する選挙区を重ね合わせると自ずと分かってくるというものだろう。党中央の発表(西田実仁幹事長の昨9日の記者発表)によると、今回の判断を下した基準は①地元の公明党員、支持者に謝罪し、説明責任を果たしたか②公明党との協調に貢献したか③地元の党員、支持者の納得を得られたか━━であるという。推薦決定にあたっては、地元の意思を最大限に尊重したとされる。私は、西村氏については彼の初陣の時からよく知っているが、識見、人柄共に卓越していると評価してきただけに、今回の不始末には驚きもし、残念にも思ってきた。既にブログにも「『ゼロから出直す』というなら、秘書を公設秘書3人プラス私設秘書1〜2人に絞って、大所帯の秘書団は廃すべし」と、差し出がましいことも書いた。また、推薦に際しては、「自公連立政権合意」の徹底を候補者に求めるべしと言わずもがなのことも言った。本人のためにはいらぬ情けは不必要に思われるが、それは門外漢の無責任な妄言なのだろう。(2024-10-10)

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【184】「空文化」は許されない━━2024「自公連立政権合意」を前に/10-4

 私の目の前に2つの「自公連立政権合意」を報じた記事がある。一つは、3年前の11月2日の岸田・山口両党首によるもの。もう一つは、このたびの石破・石井ご両人が交わしたものである。前者が世に出た頃はコロナ禍真っ盛りとあって、当日の写真は2人ともマスク姿。冒頭に「我々は一層気を引き締めて、国民の声を聞き、謙虚な姿勢で真摯な政権運営に努めていかなければならない」とある。山口氏は党首会談後に記者団に対して、合意文中冒頭にある「一層気を引き締めて」という言葉が「連立政権の心構えだ」と強調していた。しかし、それからほどなく、「政治とカネ」にまつわるいわゆる「裏金事件」が表沙汰になった。安倍派を中心にした、派閥ぐるみでの脱税紛いの不祥事がかねて自民党の底流で渦巻いていたのである。それに「統一教会問題」も加わって、自民党の屋台骨を揺るがし、存立基盤が問われる嵐となった。連立政権のパートナーである公明党も大きな余震、余波を蒙ったことは言うまでもない◆新しい党首同士による今回の政権合意書には当然ながら、その「危機意識」が滲み出ている。前回は猛威を振るった「コロナ禍」への対策が先頭で、「政治改革」は、ほぼ末尾に2行だけしか触れられていなかった。それが今回は冒頭に「政治改革」が掲げられている。まず、「政治の信頼回復を図るため、政策活動費の透明性の確保や、『政治資金に関する独立性が確保された機関』の設置、政党交付金の交付停止などの制度創設など不断の政治改革に取り組む」とある。加えて「調査研究広報滞在費の使途の明確化、使途の公開、未使用分の国庫返納などに取り組むとともに、当選無効となった議員の歳費返納などを義務付ける法改正の実現を図る」と続く。これをどう見るか。まだまだ手ぬるい、これでは再発必至との懸念もあろう。いや、第三者機関設置による監視機能が整えば、大きく前進するはず、その実現に期待するとの見方もある。ともあれ政治改革に「不断に取り組む」との一言を信じたい◆欲を言えば、「国民各層の厳しい目線を意識して」とか「大衆本位の政治に更に一段と立って」とか、短くてもいいから、「あゝ反省の気構えが伺えるな」と思える感情のこもったくだりが欲しかった。でないと、結局自民党は、「政治とカネ」の問題に深い反省はしていないと見られ、公明党はそれを見逃すのかと責められるに違いない。総選挙が近づくにつれ、裏金議員の公認をめぐって不審や懸念が取り沙汰されており、石破首相の対応が注目されている。公明党的には自民党候補が推薦に値するかどうかの見極めが必要となる。その際に、各候補者がこの「政権合意」をどう認識しているか、実現への熱意が問われてこよう。今までの「政権合意」の位置付けは、両党が目指す最大公約数的な枠組みに過ぎなかった面は正直否定できないかもしれない。しかし、今度は違う。自公政権の本気度が試される。石破、石井両党首誕生からわずか数日の余裕しかないままの「政権合意」作成だった。急拵えのイメージを払拭するためにも石破、石井両党首肝入りの「政権推進課題検討チーム」を作って議論を重ねていってはどうか◆例えば、今回の総裁選挙で石破氏がいくつかの「新基軸」を打ち出した。公明党として直ちに賛同できるものも、できかねるものもある。これらをめぐって、早期に首相の考え方を丁寧に聞いておく必要があろう。うち続く災害への対応としての、防災省設置の提案や、地方創生への首相構想なども両党ですり合わせたい。さらに、憲法に自衛隊の存在を明記することをめぐっては、石破首相の本意は自民党の主流の考え方と異なる部分があるように思われる。また原発についても、政権合意にある「安全性が確認され地元の理解が得られた原子力発電所の再稼働」との記述には違和感がある。原発にどこまで依存するのかの〝線引きの合意〟がなくて、とりあえずは再起動を目指そうとしているかに読める。そんな曖昧な合意でいいのか。この辺りも含め、連立政権の中長期的展望やビジョンについても積極的な議論を開始する必要があろう。(2024-10-4)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【183】苦節時代の心忘るべからず━━前略 石破茂・自民党新総裁殿/9-28

★実行の優先順位は一に「政治とカネ」、ニに旧統一教会問題

 石破さん。総裁選挙ご当選おめでとうございます。「今度こそ」を繰り返されること4回、5度目の挑戦で念願を遂に果たされました。自民党のためだけではなく、「国家、国民のため」に、あつい志を持ち続けてきた貴方だけに、党再建に今まで掲げられてこられた主張を通し抜かれていくことを強く期待しています。

 苦闘の季節を貴方が過ごされていた頃のことです。いざという困難にこの国が直面したら、必ず登板する機会があるから、その日のために準備を怠らぬようにと激励をしました。また、安全保障分野ばかりでなく、国政全般の課題に習熟されるようにと、自分のことを棚に上げて偉そうなことを言ったことがありますよね。覚えていますか。

 政治家として私は貴方より後輩ですが、年齢がひと回り上の酉年ということや、同じ大学で学んだ同窓とあって、それなりにお付き合いを交わせていただきました。またかつて貴方が自民党を離党され、一時的にせよ私たちと同じ党に所属されたことを忘れてはいません。同床異夢の側面なきにしもあらずですが、自民党という政党を一緒に外から変えようとした一つの得難い時代だったと私は思っています。

 しかし、時は移り、貴方は古巣に戻ってもう一度一から出直そうとされてきました。一方、公明党は、外からの自民党政治の変革の難しさを知って、一転、政権内から同じ与党として、変革に取り組むことになりました。党は違えども、自公連立政権という枠組みにおいて「再びの同志」となったわけです。自民党に返り、総裁を目指されてきた貴方を、私はこの短くない歳月をずっと、そういう目で見てきました。

 総裁になられて、ありとあらゆるテーマについて解決に着手されることになりますが、まず心底から銘記されるべきは「自民党改革」であることはいうまでもありません。それは、とりもなおさず「政治とカネ」というハード(構造)面と、旧統一教会問題というハート(精神)面の2つにきちっと決着をつけることだと思います。

★キリスト者としての見識こそ

 ここでとやかくは申しません。安倍晋三という近過去の自民党にとって巨大な存在であった先輩総裁と正面から闘ってきた貴方を私は高く評価、尊敬してきました。実は、安倍元首相を私は「功罪相半ばする」存在だと位置付けています。いいところと悪いところそれぞれあった、と。今、改革の対象となっている両面で、彼の所業は残念ながら「罪」と言わざるを得ません。それを心ある国民はしっかり理解しています。ここを曖昧にしてしまっては、結局貴方も「同じ穴の狢」と言われかねません。

 また、旧統一教会問題も、もうケリはついたとして、議論を遠ざけることは禍根を残します。自民党という政党が宗教の仮面を被った得体の知れない集団に、「反共」であるという側面だけから、選挙支援に依存してきた事実は幾重にも検証し、自省されるべき問題です。実はこの問題で、私が期待するのは貴方がキリスト者だという一点にあります。「宗教に対する畏敬の念と、真摯な理解が決定的に我が党には欠けている」との貴方の返答は「確かなる希望」だと、私の目には映ります。

 さて、私は今回の自民党総裁選で、「自公連立」について言及した候補者がいなかったことに、深い失望を抱きました。残念ながら貴方もされなかった。しないことは、わざわざ言わずとも連立は当たり前だと思ってるからでしょう。しかし、私はこの国の将来を見据えた上での憲法を軸とする国家観、米国、中国を始めとする世界各国の中でどう生きるのかの世界観、突き進む少子化への対応など社会保障観などで両党が徹底したビジョン論争をすることこそ大事な点だと思います。

 当面する「政策合意」をかわして終わり、というのではなく、両党の絆をより確かなものにする奥深いところの議論をぜひ貴方が音頭をとって、やっていただくよう提案したいと思います。野田佳彦立憲民主党代表が、貴方との党首討論を腕を撫しつつ待ち構えているとの報道があります。2人の対決に議論好きの多くは期待しているところです。相手にとって不足なしでしょうが、貴方の質問がいつも長くて講義調だったことに一抹の不安を持ちます。

 質疑はショート・クエッション、クリエイティブ・アンサーを持って旨とすべしと私は尊敬する先輩から聞きました。くれぐれも長くて訳のわからん答弁をされませぬように、老爺心ならぬ老輩心から余計なことを申し上げます。以上、お元気で。なお、地元での奥様の素晴らしいお姿をテレビで拝見しました。この妻ありて、と多くの日本人は思ったはずです。呉々も大事にして差し上げてください。これまた余計なことですね。

(2024-9-28)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【182】「交代」の前に「伯仲」を━━立憲民主党の新体制とこれからの政局/9-24

 立憲民主党の新代表に野田佳彦氏が決まった。この党については、政権を獲ったあの3年間を指して、自民党筋から徹底して「悪夢の時代」と叩かれ続けてきた。主に安倍晋三元首相の口になるものとの印象が未だに強く、確かにその側面はあった。ただ、この党の苦節12年への「レッテル貼り」も、そろそろお蔵入りにしてあげてもいいのではないかと思う。政権を手放した時の首相だった野田氏は、自身のことを安倍晋三氏の「かませ犬」と自虐的に位置付けてきたようだ。安倍氏もまた最初に政権の座について1年ほどで持病もあったにせよ、失政続きで降板を余儀なくされた。のちの福田、麻生政権を経て自民党が下野した時を含めて安倍氏には、合計苦節5年あったればこその復活があったと、その『回顧録』で心情を滲ませている。今の立憲民主党の立ち位置とは比較にならないものの、野田氏は恐らく亡き安倍氏の思いを我が身にダブらせて、〝2度目の登板〟に期するところは相当に重いものがあろうと察せられる◆野田佳彦という人物は、何と言っても名演説家であり、国会質問上手である。安倍晋三氏への追悼演説で多くの人々を泣かせたし、最近では岸田文雄首相をしばしば追い詰めた、政治とカネをめぐる追及など記憶に新しい。昭和44年から国会記者になって今日まで、私は政治家の数多の演説や質疑を聞いてきたが、野田氏の右に出る人はそうザラにいない。とりわけ「情」の部分が大きいウエイトを占める。身内を褒めるのは憚られるが、公明党の先輩たちでは渡部一郎氏の演説や黒柳明氏の委員会追及は迫力があった。また、太田昭宏前代表も味わい深い名調子だったが、野田氏の「聞かせる演説」、「説得力ある追及」は彼らに決して勝るとも劣らない。そういう名うての論客、切れ味抜群の元首相が表舞台に登場したからには、党派を超えて日本の政治の前進のために大きな働きを期待するのは「人情」というものだろう◆なによりも、「旧統一教会」と「政治とカネ」の問題で、「地に落ちた」政治への信頼から、どう立ち上がるのかとの面で、野党第一党の立憲民主党も、ただ自民党を批判すれば事足りるというわけではない。何よりもこの2つの問題をうやむやにしたままで、〝刷新感という目眩し〟で当面する衆議院総選挙を逃げ切ろうとする自民党との論戦が注目される。その場面で徹底的に自民党の再生を促して、新総裁のもとでの上記2問題からの再生の本気度を確かめる必要がある。今の同党総裁選挙では、2つ共に上っ面をなぞっているだけで、およそ「もう一度一から出直します」(小林旭)感は伝わってこない。しきりに野田氏は自身の代表選出馬に当たって「昔の名前で出ています」(小林旭)じゃあいけない、つまり「新しい人よ目覚めよ」(大江健三郎)との思いを披瀝していた。しかし、顰蹙を買うことを承知で言うと、小林旭お馴染みの曲には「私の名前が変わります」というのもある。これはまた心機一転立ち向かう心意気の大事さを訴える名曲なのだ◆野田氏が「政治改革は政権交代である」と強調していたことについて、今朝早く私の友人の女医が「野田さんはどこの党と組んで政権を獲るつもりかなあ」と呟いてきた。私は「当面は、国民民主党、維新を考えてるんでしょう。今度の総選挙で、自民党が壊滅的に減ることを期待して、その分、野党が増えるはずと〝取らぬ狸の皮算用〟をしてるに違いない」と返しておきました。政権を一気に取れるかどうか、つまり立憲民主党を中心とした今の野党が多数を占めるということは、俄に信じがたいし、公明党の人間としてもそれは防ぎたい。ここは、手前勝手を承知でいうと、自民党の大敗は身から出た錆で仕方ないものの、公明党は勝利させて貰った上での「与野党伯仲」状況が望ましいというほかない。どう考えても、あれだけ酷い体たらくだった政党が直後の総選挙で「現状維持」をするということは日本の政治にとって良くない。と同時に、未だ未だ政権担当能力があると言い切れない未熟さのある立憲民主党を中核とする野党が政権を獲ることも信じ難い。ここでの政権選択は「曖昧模糊とした現状維持」かそれとも「交代直前の伯仲状況」かであろう。どちらがいいか。〝政権交代の寸止め〟という「奇跡的伯仲状況」での「政治の緊張感」が求められるべきだ。全ての党が「過去の過ち」、「至らなさ」を反省して、次なる「真の国民政権樹立」に向けて、「大衆を巻き込んだ競争」に立ち上がることを期待したい。(2024-9-24)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【181】兵庫県知事を取り巻く「究極の事態」を見て考えること/9-20

 斎藤元彦兵庫県知事を「不信任とする決議案」が、全会派の86人の賛成のもとに議決された。この結果、同知事は10日のうちに自ら辞職するか、逆に議会を解散し県民に信を問うかの選択を迫られることになった。同知事はその議決を受けて、重く受け止めて自ら決断するというだけ。ここで一人の兵庫県民として、この事態をどう受け止めるか、考えてみた◆今回の事態の発端となった「西播磨県民局長の知事告発文書」と、「同局長の自死」という結果の間に「隠れた事実」があるように私には思われる。告発文書に対し「嘘八百」と言った知事及びその周辺は、恐らく「壮絶な脅迫」をしたに違いないと見られる。一般に通常の感性の持ち主の男が自ら死を選ぶケースは、「恥」が暴露されることを恐れることが多い。今回の事件における一連の報道で伏せられている真実は、「死を選ぶほど(本人が)恐れる事実の公開をちらつかせられた」ことだと思われる。そのことを知事は「知らなかった」と言っているようだが、仮にそうだとしても副知事以下の側近がしたことの監督責任は免れない。即刻辞任に値する◆ことここに至るまでの流れを追うと、どうしても「斎藤元彦」という人物の「人となりの異常さ」が浮かぶ。先日来のテレビ報道で見る限り、一度涙を催した場面を除き、およそ表情に喜怒哀楽がない。議場で県民の付託を受けた県議会議員が相次いで提出議案に賛成する票を投じているのを平然と見ている姿は、これまでの短くない私の政治家人生でも稀な場面だった。別に涙を流せ、薄ら笑いを浮かべよ、怒りを表せと言っているのではない。全くといっていいほど人間味を感じさせない、能面風の面構えには驚きあるのみだった◆ほぼ3年前の県知事選で、私は井戸知事後継の候補者に一票を投じた。〝よりまし選択〟だったと思った。総務省幹部が相次いで知事となってきた県政だから、流れを変えようとの声が自民党国会議員団から出て、維新府政下の隣県大阪の財務課長だった斎藤氏を引き抜いて持ってきたと聞く。今頃になって言うなとはいわせない。維新の罪はもちろんのこと、自民党で斎藤知事を担いだ一部県議団の責任は軽くない。兵庫県自民党が一時的にせよ分裂した当時を思い起こし、県民に詫びる必要さえあると思う。「人を見る目がありませんでした」と。当時、斎藤知事を担いだ自民党若手の一人が知事の責任追及をしている発言をテレビ画面で見ていて、自らの不明を恥じる発言を聞きたいと心底から思った。人格者だった彼の祖父を政敵ながらリスペクトしていた私だけに、尚更その思いが強い。この際我が身を棚に上げて、国でも県でも市でも町でも、政治に携わる全ての人々に「もっと人格を磨け」「人を見る目を養え」といいたい。(2024-9-20)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【180】〝できそうにないものねだり〟━━自民党総裁選挙に提案する/9-15

 米大統領選挙の2人の候補者の90分間の討論を先日テレビで観た。メロメロに見えた民主党のバイデン大統領と違って、新たな候補・ハリス副大統領はそれなりにしっかりとメリハリが効いた攻守の展開でホッとした。世界のトップ・リーダーを決める選挙の討論会で初歩的なハラハラどきどきは御免被りたい。トランプは、いわゆる「常識」を超えた言葉遣いや振る舞いで、日本人的には理解不能な側面が強い(米国人でも熱烈な支持者を除いてその色合いが強いようだが)人物だが、今回の討論会では司会役がファクトチェックをして、事実と相違する発言にはいちいち注意していたのは良かった。個人的にはハリスに勝たせたい思いが強い。なにしろその執務室に池田大作創価学会SGI会長の写真が掲げられていたのだから。トランプが大統領になって、我が畏友・宮家邦彦の本のタイトルにあるように、「復讐が始まる」というのでは正直なところ怖い。分断の危機を煽るトランプの復活で、「第三次世界大戦」も真実味を増す。尤も歴史は民主党政権下の方が共和党よりも戦争に馴染んできたことを証明しているのだが◆さて、日本の場合である。国民が直接トップを選ぶ選挙と違って、日本の場合は直接選べない。自民党の党員、地方議員や国会議員たちにしか投票権がない選挙で、この党の総裁に選ばれた人が首相になるケースがほとんどなのである。今回現職の岸田文雄首相が不出馬となって、過去最高の9人もの候補者が乱立しての選挙戦がスタートした。これから27日の投票日まで延々と舌戦が続く。新聞、テレビが様々な取り上げ方をしているが、投票権のない、自民党員でない一般の有権者は、色々見聞きして好悪の感情を抱いたところでも、隔靴掻痒では困ったものだ。「政治とカネ」と「旧統一教会」問題で、壊滅的状況を迎えている自民党が一般国民への〝めくらまし〟を演じることがあってはならない。そこで、私としては、ダメもとを承知で2つほどの提案をしてみたい◆一つは、野党第一党の立憲民主党も代表選挙をやっているが、それぞれが身内だけで選挙戦をやるのではなく、相互乗り入れでやってみてはどうか。「9対4」ではどうにもならぬという疑問もあろうが、与野党それぞれが勝手に言い放題ではなく、疑問点を投げ合って議論を深めてみると面白いと思われる。男女の代表を双方一人づつ選び出して「2対2」でやるのも一興だろう。「野田対高市」「石破対枝野」といったカードは面白そうだ。それは出来ぬと言うなら、それぞれの相手党への批判点を投げて、それに全員がどう答えるかをチェックするような場面があってもいいと思う◆もう一つは、与党間の討論である。自公連立政権も20年を超えて続いているが、一般的にはその実情が見えていない。なぜか隠されている。単に「選挙互助会的連立」ではなく、それぞれの政権構想を戦わせる、つまり「この国をどうするのか」との根本的な「ビジョン討論」をして見せてほしいと思うのは私だけだろうか。いわゆる「党首討論」でも、公明党の党首は一切表に出てこないのは、おかしくないか。かつて、毎日新聞社が安全保障を巡って全政党間の討論を展開したものを単行本にまとめていたが、実に興味深いものだった。そういった「超党派のテーマ別対論」があっても悪くないように思われる。以上、〝出来そうにないものねだり〟のようだが。「政治とカネ」「旧統一教会」問題という自民党の宿痾とでも言うべき巨悪を覆い隠すための「お祭り的総裁選挙」であっては断じてならない。このことを改めて強く主張しておく。(敬称略 2024-9-15)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【179】明石市は県議も市議も立民はゼロ!━━立憲民主党代表選挙に思うこと/9-8

 立憲民主党の代表選挙が告示された。7日の日本記者クラブ主催の討論会に続いて、8日にはNHK総合テレビで日曜討論会が放映された。こうした報道に接して、兵庫県の明石市に住む人間として素朴な違和感を感じることからこの稿を書き始めたい。まず、この地域の衆院小選挙区は兵庫9区だが、この20年余りずっと自民党安倍派だった西村康稔氏が当選し議席を7期にわたり独占し続けてきた。野党第一党の立憲民主党は、衆議院では議席を有したことがない。いや実は現在明石市選出の県議会議員(定数4)も、市議会議員(定数30)も所属議員はゼロなのである。そんな政党が「政権をとる」というスローガンを掲げるのは、残念ながら絵空事に思えてならない。この3年間に限っても「旧統一教会」や「政治とカネ」の問題といった、自民党の屋台骨や土台を根底から揺るがす大事件が起きているのに、である◆政権交代を窺う一大チャンスの時に、市内で目立つポスターは「自民党公認」を得られない、「無所属」の西村氏のものばかり。テレビで野田佳彦元首相始め立憲民主党代表選の候補者の口からでてくる「裏金議員には対抗馬を立てて、当選させないようにする」というセリフが虚しく響く。辛うじて名乗りをあげている「維新」の候補に一本化できるのかどうか。その「維新」は斎藤元彦県知事の少数与党としてパワハラ問題で苦境に立ち続けていて、それどころじゃない。金権腐敗体質から抜けきれず、思想信条も怪しげなエセ宗教団体との関係にどっぷり浸かった自民党がものの見事に自壊過程に入っているのではないかと見られる時に、野党がこの体たらくでは、嘆かわしい。NHK の放映を見ていて、私なら知りたいという角度の質問がこの日は全くでなかった。期待した質問は、政権の座から転がり落ちた2012年末からこの12年間、野田氏や枝野氏はどう政権時を反省して、どう変身への努力をしてきたかというものである。一般市民としては、あの民主党政権の3年の「負の遺産」から、今はどう変わっているのかがさっぱり分からないのだから◆野党共闘の問題も、「国民民主党は、元は同じ党だったから」という言い回しが使われていたが、だからどうなんだと聞きたい。同じ党だったから修復は簡単なのか、いや、返って難しいのか。そのあたりが一般有権者は分からない。また、「維新」や共産党との関係については地域ごとの事情に応じて変幻自在、自在無碍にやろうという空気が感じられるが、果たしてそううまく行くのかどうか。スタート時点での討論会の雰囲気は、政治改革では一致するものの、消費税や原発を巡っては訴える主張に差があった。それは当たり前のことで、あまり差の部分ばかり強調され過ぎないようにしてほしいに違いない。これからの長丁場で立憲民主党は頼れる政党だ、自民党に代わって十分政権を担えるという確信を国民各層に思ってもらえるかどうか。しっかり見極めていきたい◆自民党政権の与党・公明党も、山口那津男代表がこの度の代表選挙(18日告示28日投票)には立候補しない方向であり。週明けにも記者会見するものと見られる。世代交代、若返りの流れも取り沙汰される状況下で、山口氏の続投には無理があるように思われる。複数の立候補者が出て初の選挙になるのか、それとも1人だけで信任投票に終わるのか現時点では不明だが、私は月末までの3週間ほどの期間は公明党にとって、極めて大事な時だと思う。これまでの自公政権で解決し得た課題、積み残した課題を整理して、せめてこれからの展望に向けての問題点を明確にしてほしいものである◆この稿の冒頭で立憲民主党が明石市において県議も市議もゼロという逆三角形の政党であることに触れた。実は地方に行けば、町村議会では保守系無所属という名の擬似自民党ばかり。人間の身体に例えると自民党以下の政党は中枢機能は立派でも、末端神経や先端細胞は繋がっているかどうか疑わしい党ばかりだ。その点、公明党は中枢部分は小ぶりでも最先端部とがっちり繋がっていて、連携は正確無比である。自民、立民のように〝頭でっかち尻つぼみ〟政党とは違う。であるが故の、地に足つけた現実主義的な議論をし得る政党としての真価を、この際天下に示して欲しい。それが無くて、ただ大きい政党の候補者の大風呂敷を広げられるのを聞くだけでは、たまらない。いやそんなもの聞きたくないと思うのは私だけではないはずだ。(2024-9-8)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【178】「新・政権合意」こそ魅力あるものに━━自民党総裁選を前に思うこと(下)/8-30

●「コメなし騒動」から見えてくるもの

 おコメを買おうにもどこにもない、という声を家人から聞く。スーパーやコンビニなどあちこちの店内を探してもどこも同じのようだ。つい先日元農水官僚で、キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹が「不作でもインバウンドでもない コメが買えない『本当の理由』」とのタイトルで、毎日新聞記者のインタビューに答えていた。それによると、歴代自民党政権の減反政策(安倍元首相の「減反廃止」政策はまやかしと断定)に主因あり、という。

 直接のきっかけは、8月初旬に気象庁が南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を出したことと無縁ではないように私的には思われる。私の周辺からは一般大衆が不自由を感じ、その原因を訝しく感じているのだから、公明党は早急に実態を調査して原因を究明すべきだとの声が出ている。国民生活の上で、問題が発生したら直ちに現場に飛び、実態を調査するというのが公明党の現場第一主義による反応だろう。

●過去12年の「連立政権」の評価をめぐって

  これから1ヶ月ほどの間、自民党や立憲民主党の総裁、代表選挙が続く。公明党も28日に投票(18日告示)を迎える。公明党も他党のような代表選挙をすべきだとの意見もある。勿論、小さな政党が代表選びの選挙を大々的にすると、団結にヒビが入るだけで碌なことがないとの考えが支配的だろう。それを踏まえた上で、あえて提起したいのは、これまでの自公連立政権、とりわけ約8年続いた2期目の安倍政権と菅政権の1年、岸田政権の3年の合計12年を総括した上で、新たな「政権合意」の準備をすべきだということである。

 この期間の見方は大いに分かれる。例えば、一般的に安倍政権については、外政は及第点だが内政面ではいわゆる〝もりかけ桜〟問題に見るように疑問符をつける向きが多い。菅政権も学術会議の人事をめぐる拒否権発動問題など内政は権威主義的傾向を疑問視する傾向が専らだ。岸田政権については、あれこれと手は付けたがいずれも実を結ばずやり過ごしたとの不評が見過ごせない。

 しかし、公明党的にはいずれについても肯定的な評価が専らである。連立政権の全体的評価は大筋それでいいかもしれない。しかし、それと自民党積年の病弊を抑え込めなかった問題は、別に見なければならないのではないか。それも含めて高評価はおかしいし、見て見ぬ振りは許されない。

 私個人としては、安倍、菅政権の9年は〝功罪相半ばする〟と見る。功と罪を仕分けする必要を感じる。岸田政権の「旧統一教会」や「政治とカネ」問題の発覚も、自民党固有の積年の体質と関わりがあると見ざるをえない。このため例えば、「岸田政権の3年」を評価するに際して、成果を羅列するだけではなく、全体像の中から岸田政権3年における「公明党の努力成果」と位置付けて、分離し抽出するものだろう。

 ●新党首の政権構想の掌握について

  自民党のトップ選びの期間が終わるのは9月27日。その翌日の28日は公明党大会。それまでに自民党の新しいリーダーとの間で「政権合意」を交わすことになるのだろうか。あまりに時間がなさ過ぎる。厳密にいうと、同じ党とはいえ、新旧の総裁の政治姿勢、政策理念は微妙に違う。それを選挙戦を通じて知悉しておかないと、今後の政権運営に支障をきたしてしまう。

 それは公明党にとっても同じであろう。山口代表の留任か、それとも新たな代表を選ぶのか。選挙になるのか、信任投票になるのか。それなりの党内議論が戦わされ、党の内外に周知されねばならない。双方のトップを選んでいく過程を睨み合せながら、短時間で合意を得ていかなければいけないからだ。政策的な側面はこれまでの経緯をおさえれば、さしたる困難はない。問題はもっと大きな政権戦略についてである。この辺りについては、自公共に、選挙戦を通してお互いに十二分な意思疎通を怠らぬようせねばならない。

 ともあれ、違う政党が一つになって明日の日本を作り上げていくためには、「二人三脚」の呼吸合わせが第一である。いささかの遺漏なきよう、取り組まれることを望みたい。(2024-8-30  この項終わり)

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【177】問われるべき「連立」の有り様━━自民党総裁選を前に思うこと(中)/8-26

●「政治とカネ」「旧統一教会問題」への不見識

 今回の自民党総裁選挙には10人を超える候補者が名乗りを挙げようとしている。中でも最も若い部類に入るのが小林鷹之氏。かねて「経済安全保障」をめぐる主張をテレビで観て注目に値する人物だと記憶に残っていたことを覚えている。しかし、出馬表明して以降の言動を聞く限り怪しげな部分が多い。先日の毎日新聞の夕刊では佐藤千矢子論説委員が「政治とカネ」をめぐる彼の発言ぶりが「あまりに後ろ向きで、驚いた」と、具体的に列挙していた。また、旧統一協会との関わりでは、作家の鈴木エイト氏が統一教会のPEACE ROADイベントで、「公明党さんが勉強されている教えより、皆さんの方が上ですよ。自民党の国会議員として真の家庭運動ができるよう皆さんと一緒に頑張ります」と挨拶していたということを、ネット上で公開している。

 この発言の有無については、同党議員らしく例によって曖昧な言い振りで否定している。ここで改めて「勉強の対象」が何を指すか、から始まって両者の比較などするほどのヒマは当方にないから論及はしないものの、少なくとも連立相手の「公明党理解」がおよそ幼稚であることだけは見てとれる。発言を否定しておられるようなので、それなら改めて聞いてみたい気がする。公明党の議員たちが「勉強している教え」って何なのか、またそれどこまで知っているのか、と。

●公明党との政策選択への異論を問う

 こうしたことから私が懸念するのは、自民党の総裁選挙に名乗りを挙げた候補者たちがこれまでその選挙戦を通じて、連立政権の是非を正面から問うたことがあるのか、という点だ。小渕恵三首相の要請に始まって、公明党が連立政権に参画してから20年余。途中、民主党政権誕生によって下野した3年間ほどを除き、ずっと政権を一緒に担ってきたが、その間の総裁選挙で公明党との連立の是非をめぐる議論は殆ど聞いたことがない。そのくせ、様々な政策選択の場面で、不協和音が出ては消え、消えてはまた出てくる。

 直近でいえば、「政治とカネ」の問題で、公明党の意を汲んだ岸田首相の決断に反発した人たちが数多くいたとされることは、先般のNHKスペシャル番組でも報じられていたし、防衛装備輸出(移転)問題での決着についても公明党サイド寄りの結論に異論が自民党内にあったことはよく知られている。さらに遡ると、安保法制論議での集団的自衛権の部分的容認をめぐって、自民党内に不満を持つ人々がいたことも同様だ。これらは、その時どきの首相が公明党のリーダーとの間で合意をしたことに、異議を唱える人たちがいたことを意味するのだが、そうしたことの積み重ねが、自民党の中から、公明党がブレーキをかけるがためにその政策選択がうまくいかないとの不満の源泉になっているのではないか。

 そうした問題について、議論を侃侃諤諤とすることがあっていい、と私は思う。岸田首相が総裁選挙に出ていたら、当然そこいらは議論の対象になっただけに、不出馬は残念な気がする。しかし、ぜひ、候補者には、自公両党の選挙協力以外の、政策選択のあり様をめぐっての意見を披瀝して貰いたい。(2024-8-26  この項続く)

Leave a Comment

Filed under 未分類