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【81】「過疎」を跳ね返す可能性を探る━━ある地域活性化セミナーから/3-30

 ⚫︎にぎやかそ━━賑やかそうな過疎の町

 いま、日本の至る所で地域おこしに取り組む試みは数多い。私も議員を辞めてから四国・徳島県南部の海沿いのまち・美波町の地域活性化に関わるようになった。今回はさる3月25日に同地で開かれた『地域活性化セミナー』に参加した際の模様を中心に報告したい。

 町役場に入ると「にぎやかそ 美波町」のポスターが目に飛び込む。「賑やかそうな過疎の町」という意味だと思われる。数年前に町内挙げての大激論の末に決まったキャッチコピーだという。僕はこれを見るたびに妙にいとおしい気持ちになる。月夜の大浜海岸からの幻想的風景は観る者をして瞬時遠い古代に誘う。この海岸には「赤ウミガメ」が産卵にやってくる。松林の中に立つ「日和佐うみがめ博物館」は日本一の規模と中身を持っており貴重な施設なのである。

 毎年秋10月にこの海岸で行われる「日和佐八幡神社秋祭り」は町中の人びとがやってきて盛り上がる。四国の「お遍路」は徳島・霊山寺から第一歩が始まるが、ここの町にある薬王寺が23番目で同県最後の「札所」である。高台にある同寺の展望台から見下ろす風景(写真)は、町の中心部が一望できる。ご多分に漏れず人口は減少の一途をたどり、かつて存在した高校もなくなって、若者たちの流出も止まらない。この町の賑わいのカギを握るのが「道の駅日和佐」であることから、その有り様を見直す試みがいま本格的に始まろうとしている。

⚫︎鮮やかだった学者たちの競演

   3月25日の夜6時から(株)道の駅日和佐の主催、一般社団法人「未来を創る新教育推進会」(会長=相島淑美神戸学院大教授)の共催で、セミナーが開催された。終日振り続いた雨にも関わらず会場に駆けつけた春田裕計議長ら町議会関係者や町民代表らで場内は熱気がこもっていた。司会は日和佐をご先祖からのルーツにする勝瀬典雄氏(元関学大講師)。全国を飛び回る地域おこしプランナーであり、この日の催しの仕掛け人でもある。タイトルは「道の駅 日和佐の可能性を考える」。講演に立ったのは相島教授の他に、石賀和義神戸学院大教授と山川拓也流通科学大准教授。いずれも聞き応えがあった。

 相島氏は元日経記者で翻訳家でもあり、今は茶道を通して「おもてなし」の研究もするチャーミングな経営学者。この日は、日本本来のおもてなしは「場」を作って楽しむことにあるとした上で、訪れる人びとと一緒に町も自分たちみんなが幸せになる「場」を作っていこうと強調した。味わい深い「町の活性化手引き話」に強い感銘を受けたしだい。

 石賀氏は、日本銀行勤務を経て大学教授になって4年。学生たちと渾然一体になる〝かたちの面白さ〟に嵌っている人と私は見た。「兵庫県における道の駅の経営サポートを実践」との演題で、国交省主催の「道の駅大学連携事例発表会」でのご自身の取り組みを語った。私の選挙区だった宍粟市波賀町のケースの紹介は〝彼の地あのひと〟が思い出されるリアルなお話の連続で無性に懐かしかった。こんな先生と一緒に学べる学生はさぞ楽しいに違いない。

 山川氏は観光業に携わったのち学問の世界に。前日まで香川県琴平町での継続的な仕事に携わってそのまま移動。「観光の世界的かつ中長期的な潮流」との講演は、実に興味深く「観光から〝歓交〟へ」との展開には大いに感じ入った。流通科学大はダイエーの創始者・中内㓛が魂魄を留めて世に問う大学。私の母校長田高の大先輩でもあり、「創立80周年記念式典」で2人だけで控室で語り合ったものだ。私は議員を辞めたのち「コロナ禍」までの数年を「瀬戸内海島めぐり協会」(中西進会長=万葉集学者)で過ごした。山川氏の精緻な「観光学講義」を聞きながら中内、中西という2人の「商いと学問の巨人」の微笑む姿がなぜか我が脳裡に浮かんできた。

   3人の学者の凝縮された講演の合間に、司会の勝瀬氏が当意即妙で長い繋ぎの言葉を添えて参加者の理解を促していった。この4人のスピーチはぜひ紙化して、関係者だけでなく地域おこしに興味を持つ向きに提供して欲しい。

⚫︎「南海トラフ」への防災を基礎に四国を一国に

 この日の会合の冒頭の挨拶は、道の駅日和佐の社長であり美波町の町長の影治信良氏。この人は現在「全国道の駅連絡会」会長も務める。むべなるかなと思ったのは、辺境の地のトップだとは信じられないほどオシャレで粋な政治家に見えることだ。進む道を間違われたのではと思ってしまうほどだ。

 質疑応答を経て最後の挨拶に私が立った。議員時代に事務所を支えてくれた女性スタッフが上智大を出たあとハワイでウミガメの産卵を記録するアルバイトをしていたことや、現在住む西明石の海岸がウミガメとの縁が深いこと、お遍路さんの真似事をした菅直人元首相との特別な関係など山ほど海のように語りたいことがあったが、時間の都合で全部カットして、話したのは一つだけ。四国4県が本当の意味で一つになることの大事さについてだった。近い将来必ず起こる南海トラフ大地震に備えるために、四国4県が一丸となってしっかり防災に取り組まねばならない、と。

締めくくりに2001年に誕生した国土交通省の初代衆議院委員長として、道の駅日和佐のリニューアルを契機に、美波町が大きく発展していくようお手伝いしますと述べることも忘れなかった。(2026-3-31    一部修正)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【80】新党「中道」、憲法、イラン情勢をどう捉えるか/3-25

先の衆院選で自民党が未曾有の議席増を果たす一方、新党「中道」は大惨敗を喫した。明年の統一地方選挙で公明党は「中道」と合流するのか、更に2028年の参議院選挙はどうするのかの問題や、日本のこれからにとって大事な憲法をめぐる問題および米国とイスラエルのイラン空爆など大いに気になるところだ。これら緊急課題について、以下私の考えを述べたい。

 

①公明党と新党「中道」のこれからについて

明年の統一地方選まで4月でちょうどあと一年となる。公明党は現状のままの党名でいき、「中道」には合流しない方向のようである。ただ、中道の大きな塊を作っていきたいとの方向性に変わりはなく、先の臨時公明党大会でも改めて確認されていた。それからすると、明年以降も公明の看板をかけ続けるというのはいささか違和感がないわけではない。

実は従来からの地方議会、特に市町村議会では政党を名乗らず無所属でいくケースも多い。かつては保守系無所属とか革新系無所属などといった呼称が用いられることもあった。それからすると、中道系無所属という呼び名でもいいのではないかという気もする。新党結成という大きな決断をした背景については、メディアでもしだいに明かされつつあるが、高市早苗首相の新年早々の国会召集冒頭解散の奇襲に、奇策で対応したとの見方が強い。衆院における中道の活躍、参院における公明党、立憲民主党の動向が気になるところだが、早急に相互理解を深め、日本をどうするかのビジョンを共有して欲しいものだ。

 

②憲法について

現行の日本国憲法は戦後米国の占領下の1946年11月3日に誕生(公布)した。以来80年間一度も改正されることなく施行されてきた。様々な課題のうち国家の安全を担う行使力の主体である「自衛隊」の位置付けさえ規定されていない。自民党は結党後70年、「改憲」を党是にしてきた。一方、かつての社共両党や立憲民主党など「リベラル」勢力は「護憲」の立場。この二項対立の中で議論は平行線だった。この状況を打開するために、「護憲」から「加憲」に立場を変えた公明党は、環境権など新たな規定の盛り込みを提案したものである。

2012年に自民党が作った憲法草案は、①自衛隊の「9条明記」②緊急事態対応③参議院の合区解消④教育の環境強化の4項目を優先課題としてきた。だが、この10年近く憲法審査会での論議でも合意には至っていない。先の衆院選の結果、自民党単独で3分の2の議席を確保したことから「改憲」の機が高まったかのように見る向きがあるが、参議院は依然少数与党であり、変化は起こりそうにない。

実は「自衛隊明記」については、公明党は太田昭宏代表当時に問題提起したが、自民が前向きになると逆に撤回してしまうなど、「加憲」よりも「護憲」に戻った感が強い。新党「中道」が新たな塊を作れるかどうか。まずは、参議院の公明、立民と中道三党間での徹した憲法論議がカギを握るものと思われる。

 

③米国のイラン空爆、ロシアのウクライナ戦争など国際法無視の流れをどう捉えるか。

米国は第二次大戦後の80年、政権の如何を問わず性懲りも無く他国の内政に関与してきた。世界の警察官というと聞こえはいいが、自立した国家主権を時に潰しにかかる。かつてのベトナムへの介入は「赤化ドミノ」、イラクは「大量破壊兵器」が口実だった。今イランには「核使用阻止」のための先制攻撃である。これらが国際法違反であることは論を待たない。しかし今や「力の平和」が大国の通常の論理になり、国際法無視が常態になっている。

一方、ロシアのウクライナ戦争はもう4年を超えた。この国も米国と同様というより開びゃく以来、「侵略」を変わらざる性とする。共産中国も本質は大同小異で、特に隣国は油断も隙も見せられない。つまり、米中露の「専制3大国」は、第二次世界大戦後80年の戦間期に、建前では国際社会の和平への協調姿勢を見せながらも、本音では国益優先を隠さないできた。しかし、今や建前と本音のマダラ模様は一変したと見ざるをえない。

放置すると「世界大戦三たび」が現実のものになってしまう。国連を無力と諦めるのではなく、三大国以外とりわけEU、日印などの中堅国家群の連携が大事で、外交力の見せどころだ。日本は中東において日米同盟下にありながらイランとの関係に注力してきた歴史を持つ。イラク戦争で犯した「情報詐欺の愚」を今再び繰り返すのではなく、自前の「人間外交」を縦横無尽に展開する時である。

その点で希望を持つべきなのは、各国の市民レベルの連帯力ではないか。かつて米国には権力を諌めるジャーナリズムの力が横溢していた。ロシアにも中国にも伝統的な文学、芸術に基盤を持つ壮大な文化力がある。こうした市民、一般知識人層の連帯力を結集するチャンスではないか。国境を越えた権力の横暴に対抗しうるのは、民衆レベルの共同戦線しかない。ここは新党「中道」、公明党の出番であると考えるのだがどうだろうか。(2026-3-25)

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【79】不屈の「共戦の友」たち━━年に一度の議員OBの集いから/3-20

 兵庫県下の公明党の議員OBたちが年に一度集まる機会がある。私がその会の代表世話人を務めており、例年は年初に開くのだが今年は衆院選があったので3月14日になった。党中央から太田昭宏代表を招き、県本部に82人の共戦の友たちが参加した。この会での模様の一部を今回はお伝えしたい。(写真は終了後に会員とやりとりする太田代表と私)

⚫︎闘病中、回復後など様々な姿

 最も高齢のメンバーで90歳過ぎ。若い人で60歳代後半。現役時代の任期は短い人で1期4年、長い人で8期32年の人と幅が広い。引退後も人それぞれだが、年金生活といっても悠々自適とはいかず、様々なアルバイトで苦労している人も少なくない。それよりも高齢になると、身体に不都合をきたして病院に入ったり、老人保護施設にお世話になる人なども増えてくるし、連れ合いを亡くしてしまう人も多い。そのような仲間たち相互に励まし合う組織である。今回の集いでは県下10のエリアごとに特徴的なひとを選んで冒頭に紹介した。

 まず、洲本市のOさん。このところ体調がかなり思わしくなく、主治医から厳しい診た手を受けているが、先般の洲本市議選では後輩2人の勝利を目指して渾身の闘いを展開された。その結果は女性候補がダントツの当選、もう1人の壮年候補も厳しい条件のなか見事に当選を果たすことが出来た。この日の会合は参加が危ぶまれたが、何としても皆に会いたいと、きてくれた。洲本から高速バスに乗って三宮に到着し、休みながら歩いて会場へ。私は国際会館南の途中まで出迎えたが、会った時には思わずハグして、あたりの目も構わず抱きしめた。長時間座るのは疲れるので懸念されたが、最後まで真剣な顔つきで参加して頂いたのは心底から嬉しかった。

 西宮のYさんは、3年半前の統一選の直前に、脳の障害を一時的にきたし倒れてしまい意識不明状態になったと聞く。急遽、夫人が身代わりで立候補して当選された.。その後本人は奇跡的に回復した。後遺症もない。今は元気になって妻を逆に支えておられるとのこと。見事に復活された姿に万雷の拍手でみんな喜んだ。他にも加古川市のNさんは去年自転車運転中に転倒して背中や腰を強打された。だが無事に回復されその後米寿の祝いを迎えられた。

⚫︎地域での貢献の活動あれこれ

 尼崎市のM、T、Mさんらのトリオは皆さん市選管委員長の要職を2年づつ合計6年にわたってこなされた。20数年前に市議会で思わぬ不幸な出来事があり、それに巻き込まれたメンバーたちだが、苦難を乗り越えて大事な仕事をし終えた喜びを味わっておられた。私も当時の苦労をそれなりに知るものとして、とても嬉しかった。但馬方面からは去年現役を卒業してOBになったばかりの豊岡市のA、新温泉町のT、香美町のNさんら3人が遠路遥々参加していただいた。また、大阪の和泉市から兵庫・川西市に転入してこられたNさんも初めての参加。ご挨拶を頂いたが、「常勝の絆」のバトンを和泉から川西に頂いたような気がしてならなかった。

 更に、神戸市長田区のFさんは、このたび地域安全街づくり知事賞を受賞された。県議会議員を終えられた後、自治会長として数千世帯が住む広大な区域をまとめられ、地域報まで定期的に発行されている。受賞の喜びを語られる姿に改めて労苦がしのばれた。また、今回後輩のHさんと総支部世話人を交代された姫路市のNさん(今回は欠席)は、3万人の老人会の会長を長年にわたって続けられている。奥さんを十数年前に亡くされており、1人暮らしを続けながら地域発展のために粉骨砕身頑張っておられる姿には本当に頭が下がる。今回OB会の顧問になって頂き、少し楽をしていただこうと思ったが、ご本人は、Hさんをしっかり支えて共戦すると「ライン」を通じて誓って下さっている。

 こういう仲間の様子を短い時間だったが私から紹介させて貰った。大いに皆さんに喜んで頂いたのは嬉しかった。

⚫︎議員をしながら自治会長をも

 一方、高砂市のSさんと、西宮市のUさんから活動報告をして頂いた。Sさんは、なんと23年にわたって自治会長をしておられる。議員時代に初めて引き受け、終わってから今もなお引き続いてされている。私は議員を辞めてから5年ほど姫路で自治会長(副会長、顧問含め)をやったが、とてもやりがいがある仕事だと分かった。また、Sさんは、後継の市議に小学校の校長先生を辞めた人を得た。この後輩議員に対して、自身が取り組んできた地域の約千人の住民一軒一軒に挨拶周りをするように伝授したというが、言われた方は毎回の定例会ごとに通信報を作成してそれを持って一軒ずつ配布しているとのこと。凄いことと驚き、心底感心したしだいである。

 また、Uさんは、既に亡くなっている先輩市議Tさんの未亡人と共に、過去3回の国会議員選挙の支援の闘いを展開された経緯を語ってくれた。ひとりで回るよりも、一緒に回ることで、今は亡き先輩と共通の懐かしい友人に会えたことをとても喜んでおられた。未亡人の方も亡夫の友人に会えて、久闊を叙することができ一石二鳥だと言っておられた。そんな微笑ましい闘いぶりに、参加者も大いに感じ入ったに違いない。(2026-3-20)

 

 

 

 

 

 

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【78】「終わっていない」のに再稼働の動き━━東日本大震災から15年/3-15

 ⚫︎切な過ぎる「風の電話」

 東日本大震災から15年が経った。様々なイベントや記憶すべきテレビ放映番組を見た。そのうち忘れ難い印象のものが2つあった。一つは「風の電話」。岩手の大槌町のあるお家の広い庭の一角に電話ボックスが置かれ、そこから亡くなった家族や行方不明の人に電話をかける(実際には独り言だが)という試みである。もう一つは、震災後の復興に向けての選択が正しかったかどうかを問う「当事者の告白」である。これは15年前から復興に向けて地元行政が取り組んできた事業のその後の推移を追ったものだが、うまくいかなかったケースを当事者たちが赤裸々に告白していた。

 共にNHKによるものだが前者は、実は数日前に「時をかけるテレビ」(2016年放映)で、震災5年後の映像を再放送していた。観ていて泣けた。無性に涙が溢れ落ちた。「一つ父さんに聞きたいことがある。‥‥何で死んだんだよ」とか「いつもあんたと電話で、生きてる?ってお互い言ってたね。会いたいなあ」や、「お父さんごめん。いつも臭いってばっかり言って」など。最もこたえたのは子ども3人と共に残された妻が亡き夫に語りかけるところだ。あまりに切な過ぎてここに書けない。

⚫︎計画した企業誘致や集落移転の失敗

ふと思ったのは、「永遠の生命」を信じて生きてきた人たちの呼びかけがあってもいいなってことである。「そっちのみんな元気してるか?こっちは相変わらず元気しているよ。安心してくれ」っていう内容のがあったけど、もっと明るく語れないかと、思ってしまった。突然津波に巻き込まれて、あっという間に生命を絶たれてしまった身内への呼びかけは終わることのない会話であろう。後者の番組は、また違った意味で見るのが辛かった。復興を夢見た川内村の村長が計画した企業誘致がうまくいかないことや、津波の再来を恐れて高台に作った集落が当初は10世帯という枠組みがありながら集まらず5世帯に変更したが、これで地域コミュニケーションが成り立つのかとの懸念が起きているとのことなど、正直に告白していた。

 かつて、復旧・復興を目指した地域の計画を前に描いた構想が立ち行かなくなっていることは大きな課題であろう。それを打開するには、常に計画を見直すことや、「事前復興」と言った予防的復興計画の重要性が指摘されていた。確かにそうした事前と事後双方からの飽くなき執念ともいうべき対応が望まれよう。

 ⚫︎凄い復元力で元に戻ろうとする「原発」

 一方、15年経った今最大の懸念は、「福島原発事故」への対応である。毎日新聞11日付のオピニオン欄「論点」で、元国会事故調調査統括の宇田左近さんが語る「福島原発事故から15年」はとても重要なものである。全ての日本人が読むべきだろう。この人物は政府から2011年12月に憲政史上初めて設置された政府から独立した調査機関の責任者。延べ千人超の関係者へのヒアリングを行い、翌年7月に600頁を超える報告書を公表した。その冒頭は「事故は終わっていない」で始まる。それから15年。福島県内には「帰還困難区域」が未だ残り、ふるさとに帰れない住民が多数いる上、「第一原発」の廃炉作業も終わりは見えず、人が近づけないほど放射線量が高いごみをどうするのかも決まっていない。こんな状況では到底「事故が終わった」とはいえない。にもかかわらず、大手電力会社や政治を取り巻く空気は、原発「再稼働」を許容する方向が強い。

 中部電力・浜岡原発では耐震設計の目安となる「基準値震動」のデータ不正操作が発覚した。この現実は衝撃的だ。大手電力会社の隠蔽体質とそれを見抜けぬ原子力規制委。「使い終わった核燃料の最終的な行き場もないまま。その中で原発推進の合意が形成されているのが今の日本の姿です」と述べ、「(この15年原発は)すごい復元力でかつての姿に戻った」という。

⚫︎防災庁のトップに石破茂前首相を

 巨大地震への備えを強調する論考も注目された。そんな中で私が最も気がかりなのは、来年政府が新設する予定の防災庁の方向性である。毎日新聞12日付の社説は、その指揮系統の明確化を強調していた。防衛省、国土交通省、厚生労働省と防災庁の役割分担が明確でないとして、「縦割りを排して円滑に連携できる具体像を早急に示せという。

 ここで、私が注目したいのは、石破茂前首相の動きである。彼こそ防災庁の設置を強く主張した張本人である。高市早苗首相の旋風の前に忘れられがちだが、石破さんが防災庁について軌道に乗るまで率先して差配を振るうべきだと提案したい。前首相が後の内閣で財務相になったり、副総理になったりするケースは散見されるが、新設の省庁のトップにそれを提案した当時の首相が就くことは今までにないと思われる。ここはぜひ、石破さんの登用を期待したい。(2026-3-15)

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【77】友遠方より播州路に来たりて分かったこと/3-10

大学時代の旧友が細君と共にさる3日に播州路にやってきた。彼は三重県伊勢の出身で今は横浜に住む。若き日より京滋阪奈和の関西5府県には足繁く訪れたようだが、兵庫とは比較的に縁が薄かった。ところが完全にリタイアして年金生活に入ったこの5年ほど、ちょっと様子が違ってきた。播磨の奥深さに開眼したかのようなのだ。今回はお目当ての「京都旅」の前に、赤穂から高砂へと行くから付き合ってくれとの前触れ。喜んで同行役を引き受け手練れの車係を2人手配した。初の奥方連れに粗相は許されない。彼女は花嫁の時は厳密には未だ女学生だった。披露宴ではみな驚き呆れ羨んだものである。以来半世紀。かつての乙女は気品溢れる熟女に変身していた。茶と花の道は言うに及ばず香道を嗜むも達人の域で、時にフランスなどで腕前(鼻前か)を披露されてきたと聞く◆赤穂での運転は古くからの創価の友・Oさんにお願いした。この人は水彩画、油絵から随筆、詩に至るまで多彩な趣味を持つ。昨年、念願だったエッセイ集『萩簾』を上梓されたばかりだ。旧友には既に紹介済みで気心合う仲である。姫路で一緒した僕らは、Oさんと坂越駅で合流し、大避(おおさけ)神社に。私は厳かな古めかしいこの神社のことも、更に僅かな海域を挟んで熊がうずくまって睨んでいるように見える生島(写真)についても共にその来歴を知らなかった。僕らとほぼ同年輩の宮司さんから、大避神社の御祭神が聖徳太子との縁深く、雅楽や能楽の祖と崇められていること、生島に葬られたのち大避神社に祀られたことなど歴史の数々を教えて貰った。加えて毎年10月に繰り広げられる「坂越の船祭」の由来なども知った。神殿前の社の天井部分に掲げられた数多の額像や陳列された貴船の姿にしばし見惚れたしだいである。小雨降る中の帰り道。神社の山門前の坂道を経て見やった生島は、来た時と違って優しい母熊が横たわってるように見えた◆次に瀬戸内の海が一望出来るはずの(この日は生憎見えず)小高い丘の上のホテルに移動し、4人で「海の幸」を楽しんだ。Oさんが師事する詩人・谷川俊太郎の著作『旅』(絵=香月泰男)を肴に小宴は盛り上がった。ここ数年水彩画を嗜み始めた旧友がその道の先輩と絵を語らう姿は、門外漢の僕にはチョッピリ眩しかった。食後の訪問先は大石神社。鳥居の前の歩道脇に並ぶ47義士の石像。初めて目にした夫人は喜びの声を女学生のように上げていた。2時には赤穂を離れ、加古川へ。ここでは我が公明党の後輩で長年苦楽を共にしてきたY君の運転で、高砂神社から松右衛門生家跡、十輪寺を経て鶴林寺への2時間コース。これまた、殆ど僕が訪れぬままに時が経った名所旧跡ばかり。高砂神社と鶴林寺は兎も角も後はなし。我が畏友は事前に関係する書物類を十二分に学んでいたように思えた◆このコースになぜ松右衛門生家跡か。これは彼が玉岡かおる『汎神 北前船を馳せた男』を読んだために違いない。工楽松右衛門なる人物は廻船業を営みながら帆布(松右衛門帆)を発明するなど、日本の海運業界を支えたという。高砂が生み出した得難い庶民の英雄であるのに、恥ずかしながら僕は殆ど知らなかった。高砂神社には松右衛門の銅像、十輪寺には玉岡さんの文学碑(写真)があった。この地域には友人、知人も多くいてしばしば歩きまわっていながら、神社仏閣の類にとんと足を踏み入れる習慣がなかった。旧友は各地の歴史的建造物を、昔から今まで飽くことなき好奇心で追いかけ続けている。その彼が「播磨」を賞賛する。とても文化的素養の高いひとを沢山生み出している地だと。一方、デビュー当時から親しい仲の玉岡かおるさんは、次々と播磨が生み出した人物を描いている。残念ながら僕はその小説群に挑んできたとは言い難い。2人と僕との生き方の比較を通して、改めて自分の拙さを思い知らされゾッとした。西明石への帰りの車中、数日来の風邪による寒けもぶり返してきたようだ。(2026-3-10)

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【76】夜明け前の日本を動かした影のネットワーク━━宮本輝『潮音』全4巻を読む/3-5

 宮本輝さんの『潮音』全4巻をやっと読み終えた。去年の晩秋から読み始めたので、それこそ一年越しだ。実はこの本、人情ものに目がない読書家・日笠勝之さん(元郵政相)が贈ってくれた。僕の妻が輝さんファンだと知ってのお心遣いだった。本人が喜んだのはいうまでもない。ただし、いつまで経っても仏壇脇に積まれたまま。で、1冊づつ僕がそっと手をつけ、読み終えるごとに戻しておいた。著者初めての時代小説。しかも幕末から明治維新を経て、西南戦争までの約30年という近代日本激動の夜明け前を描いた興味深い内容だった。これまで明治維新関連の小説は司馬遼太郎のものを始め、数多手にしてきたが、これは一味も二味も違う。越中富山の薬売りの生活に目線を据え、腰を構えた上で、〝日本革命〟の背後に横たわった知られざる動きを追った異色の物語でもある。根幹をなすのは富山の売薬業者と薩摩藩と清国と廻船問屋という四者の密貿易ネットワーク。それを見事に仕立て上げて見せた◆明治維新については、270年ほど前の関ヶ原の戦いで負けた側の「復讐戦」というざっくりとした見立てがある。改めてその辺を痛感させられた。この本ではあくまで歴史の背後に潜む動きが過不足ない形で盛り込まれている。「薩長土肥」と呼称される四つの藩、なかんずく薩長二藩が権力を手中に収め、君臨していく様子が赤裸々に描かれていくが、薩摩の背後にこんな仕組みがあったとは、ついぞ知らなかった。しかも富山の薬売りが介在していたとは二重の驚きだ。薩摩という九州最南端に位置する地域は、あたかも独立国家の風があると見られてきたが、改めてその方向性の強さが確認された。ただしそれも西南戦争で多くの有為な青年が亡くなり、さらに日清、日露の二つの大戦でも犠牲者が大量に出て、すっかり様変わりしたとの思いが消えない。つまり、明治維新で名を馳せた地域はひとしなみに現代日本では元気が無くなり、画一化しているように思われる。この辺りは東京一極集中及び横浜、名古屋、大阪、福岡といった東海道、山陽道ラインの大都市への人口集中のなせるわざと言えよう◆富山の置き薬の記憶は我が幼少期にもある。薬そのものは飲んだ覚えは殆どないが、薬業者が置いていった紙風船の類は微かに懐かしい。越中富山の「反魂丹」などといった呼び名も朧げながら甦る。尤も、富山の薬売りのネットワークが薩摩を始め全国ここかしこに張り巡らされていたとは、この本で初めて気付いた。北前船が北海道から日本海、瀬戸内海を経て京都に至る海のルートで様々な商品を交流し、情報伝達役をも果たしていたのと同様に、九州西岸伝いに薩摩へ、そして琉球を経て清国までにも至る売薬人コースも大きな力を持っていたのである。それにしても、あの時代、遠方への交通機関は船だけ。あとは駕籠や馬であろうが、基本は歩きだったに違いない。よくぞまあと改めて感心する。旅の途上における事故の生々しい描写も胸を打たずにおかない◆周知のように著者は法華経の信仰を持つ。随所に人生における戦いへの対処ともいうべき教えへの言及が顔を出して興味深い。魔との戦い、各種の障害はなぜか集中的に襲ってくるとか、厳冬のような試練も必ず暖春の到来で乗り越えられるといったように。第四巻の終焉近くで原因不明の悲しい自死事件が起こる。冒頭に予告があり、そのことが原因で主人公が大病に陥るという設定だが、不透明で不可思議な空気漂う現代的風潮にも通じる不可解さを感じさせる。この小説の主たる舞台である八尾は、「おわら風の盆」で知られるが、この本でも哀しさ漂うラストシーンへの運びに八尾への仄かで切ない印象が重なり響く。尤も、主人公夫婦の若き日の微笑ましい愛の交流を、徒然草第62段「こひしく」の引用でそっと忍ばせる手法など心憎い。ただし、仮名手本忠臣蔵11段目「合印の忍兜」を登場させた場面に僕は戸惑った。読む人の教養レベルが試されているかのようで心震える。この人ならではの知的味わい深さで、心乱されたり慰められたりして心ぜわしい。ただし仏壇脇の本は元通り4冊に戻っていても、妻からの問いかけも反応すらも未だない。(2026-3-5)

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【75】アメリカとイスラエルのやりたい放題━━イラン侵攻と世界の危機/3-2

 
 アメリカがイスラエルと共に、2月28日にイランを軍事攻撃した。その際にイランの最高指導者ハメネイ師が死亡した。これに関連して、トランプ米大統領は、①差し迫った脅威から米国民を守るため、大規模な軍事作戦を開始した②ミサイル、海軍、新イラン組織の能力を壊滅させ、核武装を阻止する③革命防衛隊や軍、警察などの一部が戦意を失い、米国に免責を求めている。国の立て直しに協力することを期待している④精密で激しい爆撃は今後1週間、もしくは中東と世界の平和達成のために必要な限り、中断なく続く━━などと言った声明を発表したと伝えられている。いずれも怪しげと言わざるを得ない。イランは直ちに報復を開始すると共に、大統領ら3人で作る臨時指導協議会を発足させた。報復の激化、応酬で紛争の長期化は必至だとの見方が強い◆今年冒頭のベネズエラへの軍事介入、大統領拘束を思い出す。トランプ大統領は、地上軍を派遣することなく、目的をほぼ達し得たことに味を占めたと見られることが指摘されている。つい先日、ロシアがウクライナを侵略し、戦争が始まって4年が経過したばかりである。第二次世界大戦後の「冷戦期」における米ソ(露)二大国が共に国際法を無視して、無謀な軍事破壊を試みる姿は、歴史の逆行を超えており、到底容認できない。たとえ、いかなる事情が相手国にあったとしても、外からの軍事力による介入は許されるものではない。この80年の世界史における戦争の顛末を見る限り、戦争を仕掛けた側の国内の戦争反対の世論に待つしかないと思われる。さて、米国内はこのイランへの軍事攻撃に対してどう動くか。米国歴史上、社会の分断が今ほど極まった時はないといわれているが、世論の動きを注目したい◆そんな時に、日本人記者がイラン当局にスパイ容疑で拘束されたとの情報が入ってきた。その人物が旧知のK記者だと分かって、驚いた。数年前に神戸・北野坂の異業種交流会の場で出会った。しばらく経って鳥取の支局に転勤になったと聞き、松江に行った際に寄り道して会おうとしたが、都合がつかず断念したままになっていた。テヘラン支局に派遣されたことまでは知らなかったのだが、同会のホスト役からの連絡で判明した。屈強な身体つきのナイスガイだったとの記憶が甦ってくる。アメリカの同盟国日本のテレビ記者。何があったか不明だが、スパイ容疑がかかるとは。無事に解放されることを望みたい。この交流会には様々な人々が集まるが、少し前までは近所に住む米大リーガーのダルビッシュ投手の実父がちょくちょく顔を出していた。その人は生粋のイラン人であり、時に彼の対米観を聞いたことがあったが、明るい笑顔が印象的だった◆日本では、ホルムズ海峡封鎖がもたらす原油高が懸念されている。茂木外相は、「イランによる核兵器開発は決して許されず、米国による対話を通じた問題解決を一貫して支持をしてきた」というが、対話ではなく、軍事力行使に至った現状についての判断は不明である。武力行使は支持できないとの態度を鮮明にすべきだ。この状況を前に、第三次世界大戦の開始を懸念する向きがあろう。過去の二つの世界大戦では、複数の大国が正式に参戦し、戦域が地球規模にまで広がって、総力戦体制を各国が発動するといった共通点があったとされる。参加国も第二次大戦では60カ国を超えた。現状ではそういった過去の事例とは程遠い。だが、今後の推移しだいではそうならないとも限らない。国際政治の専門家の間では、慢性的な大国間対立状態の中で、国際秩序の再編を狙う動きが起きているとの見方が支配的なようだ。そんな状況下で、ただ黙っているだけで何もしない日本、日本人であってはならないと思うことしきりである。(2026-3-2)

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【74】第二次「戦間期」の終わり━━「2-26」事件から90年で考える/2-26

★「2-26事件」で、日本の第一次「戦間期」は終わった

 1936年(昭和11年)2月26日。その日からちょうど90年が経つ。もはやその日のことをリアルに覚えている人は皆無に近いだろう。かく言う私も映画や書物を通しての〝幻影〟に過ぎない。だが、「二十世紀を生きてきた日本人に何が最も強烈な記憶かと聞くと、二・二六事件と答えた人が多数でした」(岡崎久彦『百年の遺産』)と言われるほど、「2-26」は戦前世代には強いインパクトを持っていた。なぜか。

 真珠湾攻撃や原爆投下や米軍の占領よりも、「日本人が自分達が生まれ育って来た社会自体が足元から崩れる予兆に脅えた」からだという。桜田門外で井伊大老が暗殺された事実と同列視されると、降りしきる早春の雪景色と相まって納得してしまう。その日は青年将校や兵隊ら約千五百人が「昭和維新」を叫び、首相官邸、警視庁などを占拠し、重臣達を襲撃(齋藤実首相、高橋是清蔵相ら4人が死亡)するという日本近代史上空前絶後のクーデターが敢行されたのである。

 最終的には昭和天皇の「朕自ら近衛師団を率いてこれが鎮定に当たらん」との強い意思のもと、この試みは失敗に終わった。だが、ここから「軍国主義の潮流」は歯止めの効かない事態になっていったのである。

★世界に漂う第三次世界大戦開始の空気

 この事件の3年後、ドイツはポーランドに侵攻、世界は第二次大戦に突入する。つまり、第一次世界大戦が終わった1919年から20年続いた「大戦後の空白」が終わりを告げたのである。これを「戦間期」というのだが、世界的には、4年前のロシアのウクライナ侵攻から、イスラエルとパレスチナ間のガザ紛争、そして米国のベネズエラ大統領強制拘束やグリーンランド介入姿勢など、まるで80年間続く第二次「戦間期」が終わろうとしているかのように見える。

 第三次世界大戦前夜のただならぬ気配が漂うとの見方をする識者は少なくない。今月発売の『Wedge (ウエッジ)』は、「酷似する『戦間期』と現代 第三次世界大戦を防げ』と題する一大特集を組んでいる。①満蒙開拓②「1930年代の危機」再来③「戦中派」のひとびと④「戦後開拓者たちの成田闘争⑤〝新たな戦前〟が近づくドイツ⑥世界の転換点で問われる日本の覚悟━━という6つの切り口で、現在只今の空気が戦争に突入していった「戦間期」末期にとても似ていることを暴き出していて興味深い。

★欧州で進む戦争への支度

 世界の戦間期の終わりを証明する事実関係は、先に述べた米ロの風潮に加えて中国の絶えざる軍事力拡大の動きが挙げられるが、欧州の急速な変化も注目される。ドイツでは、今年冒頭から新しい兵役制度のための法律が施行された。身体検査で「適格者」だとみなされた18歳の青年男子は、最低6ヶ月間の基礎訓練を受ける。ここから志願する者は兵役に就くものの、未だ強制を伴う徴兵制ではない。だが、志願兵だけで足りないと独政府が判断したら、新たな法律を施行して本格的な徴兵制度へと移行する。

 更に、フランスとイタリアも志願制に基づいた兵役制度をスタートさせるし、ポーランドも現役および予備役兵士の数を大幅に増やす方針である。この動きには米国の欧州からの軍事撤退と自立要請が影を落とす。

 これに対して、日本は戦後80年間というもの、軍隊を持たない「平和国家」であり続けている。国家防衛のためには自衛隊員がその任に就く。公表されている自衛隊員は、陸海空合わせて215719人で、幕僚監部4533人と合計すると220252人(昨年度末)。法律で決められた定員に対して充足率は90%に充たない。先にあげた雑誌の巻頭リポートで「(大戦開始寸前だった)1930年代に近づきつつあると感じている」という編集長ですら、「コロナ禍だった当時、全体主義体制を称揚するような空気が漂い、議会制民主主義の危機も顕在化」すると見ているだけに過ぎない。戦争近しと、無理やり危機を煽ってるという風に見えると言わざるを得ない。

★「戦争か平和か」の議論さえ棚上げ状態つづく日本

 この状況下で、仮に新たな世界大戦が勃発し、日本も参戦を迫られるとしたらどうなるか。この想定をすることは、あまりにも非現実的かもしれない。「戦争を放棄し、軍事力は持たない」として、憲法に定めている国が戦争に関わってはいけないとの「建前論」と、降りかかる火の粉は払わねばならず、自衛戦争は当然との「本音論」のぶつかり合いが実質的には決着がついていない。憲法9条をめぐる論争はある意味で、実質的にはずっと棚上げされたままなのである。

 すぐお隣にまで「戦争の脅威」が迫ってきていても、リアルな対応の是非を巡っては議論は進まない。80年間の「長過ぎた戦間期」のなせる業(わざ)だろうか。世界の「戦争」と日本の「平和」が異次元のものに見えるからか。

 先日もある大手紙で著名な文化人が「戦争絶対反対論」を改めて語っていた。国家が壊されようが、構成員の国民一人ひとりが何をされようが徹頭徹尾、非戦、不戦を貫き通すというスタンスだった。独立主権国家の尊厳を保とうとするから、戦争の悲劇が起こる。だから、始めっから白旗を掲げる、負けるが勝ちを地で行く、身を捨てるところに、浮かぶ瀬もあり、なんだと私は読んだ。これぞ無手負流に見えて、真の勝利への道かもしれない、と。

 この議論をどう考えるか。これをスルーして問答無用とばかりに、緊急事態対応にはやるのでは取り返しがつかないことになるかもしれない。いまこそ、国家を二分する論争を開始する時だと思われる。(一部修正 2026-2-26)

 

 

 

 

 

 

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2026年2月25日 · 12:25 PM

【73】改めて「国家悪」と向き合う━━ジャーナリストたちの戦い/2-20

 「国家」というものはその構成員たる「人間」にとって、時に「幸福」をもたらす存在でもであり、また「地獄」に突き落とすものでもある。現代の政治の場で、そうしたことを実感し得るのは社会保障、安全保障といった専門用語で語られるケースが多く、分かりにくい。これを分かりやすくいうと、前者は国家による様々な給付やサービスであり、後者は地震災害から戦争までの危険から個々人を守ってくれる働きであろう。

 つい先日、テレビで放映された『「地方の時代」映像祭2025   伝えることをあきらめない』(NHK 2-15)は、まさに「国家悪」の究極としての戦争がもたらした悲惨な現実を、地方に拠点をもつジャーナリストたち4人の視点で描いたドキュメンタリー作品だった。ここでは、彼らによって「国家の犯罪という悪」を、「あきらめずに伝えた映像」を基に、私が考えさせられたことについて触れてみたい。

⚫︎58年間も獄に繋がれた「冤罪」という「国家悪」

 まず、この映像祭の記念講演に登場したのが、58年間にわたって冤罪で獄に繋がれた実弟のために戦い続けた袴田ひで子さんだった。92歳を超えた今も凛とした佇まいに圧倒された。まさに「国家悪」の究極としての冤罪に立ち向かった彼女の戦いぶりは、壮絶だ。私も様々な報道を通じてそれなりに知ってはいたが、公的な場面でのご本人の発言には胸打たれた。

 自身が預かり知らぬ罪を押し付けられたまま、人間が自由を奪われ続けたらどうなるか。彼女は弟さんが精神に異常をきたす身となったことを淡々とした口調で述べられた。自由の身になってからも、テイッシュペーパー(ちり紙)さえ一枚づつきちっと折りたたんで大事に使う習性が残るのは、刑務所で1日の使用枚数が決められていたからだった。また、うなぎを食べることが生命を長らえさせると信じ込んでいたがゆえ、出獄後1年半というもの2軒のお店のものを交互に毎夕食の際に食べ続けたという話は痛々しい。また、彼女が国際会議で訪れたローマからの土産にぬいぐるみを買って帰ると、彼はそれを布団の中に入れて寝ていたという。これらのエピソードを「幼児に戻ったんです」と伝える彼女の口ぶりには、涙を誘われざるを得なかった。「国家悪」の一端を生々しく語って余りある。

◆正視し得ない戦争被害を受けた人々の姿

 今回の映像に関わる討論に登場したパネラー4人のうち、3人は先の大戦に直接関わるテーマについて語った。つまり過去の歴史上の事実を掘り起こすものだった。もうひとりは現在進行中のガザでの取材に基づく現在ただいまの問題提起である。前者は、①「一億特攻」②「満蒙開拓団」③「沖縄戦」の3つの歴史的経緯をそれぞれの地域での取材によって構成したものであり、後者は、現在も紛争中のガザからの生々しいレポートであった。

 「特攻」は、アジア太平洋戦争末期に危機に瀕した日本軍が航空機を直接米艦船に体当たりで立ち向かった攻撃を指す。今にいう「自爆テロ」の戦争版であろう。ドローンを使っての無人機による攻撃が通常になりつつある現在からすると、何とも痛ましい。軍の命令でその使命を押し付けられた航空兵たち。出発が直ちに「片道飛行」であることを自覚させられた彼らの胸中を慮る時に、その顔を正視し得なかった。

 また、満州、蒙古の地には素晴らしき新天地があり、そこを開拓する使命を担う仕事に従事することはとても誇らしいことだと、生徒に示唆し誘った教師が取材を受けた。結果的に教え子を死に至らしめたのだが、何故か、その教師は終始ニコニコとして語っていた。この顔をもまた私は正視し得なかった。

 更に、沖縄戦の戦没者たちの遺骨を収集するボランティアたちは、子どもたちの数多い遺骨にも出くわした。日本政府はいま、未だ残っているに違いない遺骨混じりの土砂を、辺野古基地の米軍滑走路埋め立て用に使おうとしている。その非を強く抗議する沖縄の人々。この顔もまた私は正視できない。

◆かつて戦争を礼賛し後押ししたメディア

 先の大戦での国家の強制的な圧力が普通の人間(市民、国民)を死地に追いやった。それを批判するべきメディアがむしろ国家に加担し、後押しをした。その反省が戦後80年、取り沙汰されてきたが、まともな意味でそれが一般的に理解されたようには思えないという角度からのシンポジウムだった。ガザの地からの報告をしたカメラマンが、イスラエルのメディアがガザの現場を報道しないという事実を伝えた。それは、彼らが「興味がない」としているからであった。彼は人間というものはいつまで経っても変わらないのだと述べていたのが強く印象に残った。

 この番組で、記念講演した袴田ひで子さんは、日本の再審制が余りにも時間がかかり過ぎることに異を唱え続けており、残された人生をその課題解決にかけると言っていた。また、登場した4人のジャーナリストは、戦争というものの悲惨さをあきらめずに伝え続けると語っていた。それを聞いた私は「正視できない」自分の弱さ、身勝手さを自覚した。あるがままの酷い現実から目を背けたいとする傾向があるからに違いない。せめてもの償いに、「国家悪」という表現ではなく、もっと直裁に「政治悪」「政権悪」というべきかもしれないと思うのだが‥‥。(一部修正 2026-2-22)

 

 

 

 

 

 

 

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2026年2月20日 · 12:08 PM

【72】新党「中道」の明日を占う国会論戦/2-15

/ 新党「中道」の新たな代表が小川淳也氏になりました。世間は色々と喧しい限りですが、ここでは雑音は封じ込めて、今後の見通しをざっと述べてみます。その前に、本日(15日)日本経済新聞のコラム「春秋」から紹介します。ここではある仏教学者の著書を引用した上で、中道とは「単に極端に偏らないバランス感覚のようなものにとどまらず、事実を事実として直視できる目を持って、主体的に道を選び取る生き方のこと。政治に当てはめれば、リアリズムに基づいて最善の道を考える姿勢」としています。リアリズム云々は、主に旧立憲民主党への注文だと思われますが、「安全保障も財政も社会保障もいよいよ難しい現実の的確な評価や直視が要る。にわかに掲げた中道の旗は案外、核心に触れている面がある」と、遅きに失した面はあるものの、一定の評価は出来ると思われます。

 旧政党のどっちがどうだなどと言うことはこの際は避けて、新たな決意の門出を率直に喜びあいたいと思います。

★新党の出発に相応しい国会論戦を

  小川淳也氏といえば、『なぜ君は総理大臣になれないのか』っていう映画を世に送り出した人物で知られています。私は予告編を今頃になって見ただけ(至急本編を見たいものと思っていますが)で、殆ど何も知りませんが、一部メディアでは高く評価されていたことだけはよく覚えています。その当時タイトルを見て、「うーむ。そう来るか」と半ば呆れ気味に敬遠してしまったものでした。「出る杭は打たれる」世界にあって、打たれ強い逞しい人は、今回の大激戦の中でも見事に小選挙区で勝利しました。そして新党の新たな代表に。発信力は抜群と言われるだけに大いに期待したいと思います。5票差で敗れた階猛氏を始め、49人の前には七難の二乗を超える艱難辛苦が待ち受けているでしょうが、是が非でも頑張って欲しいものです。

 18日から幕開けする国会は7月18日までの150日間。あれこれ取り沙汰されていますが、従来よく見られた国民大衆から顰蹙を買うだけのような議論はやめて欲しいと、攻守双方に言っておきたい。攻める野党側に、スキャンダル追及ばかりするな、予算委員会は予算質疑をする場だ、というようなことを言うつもりはありません。必要欠くべからざるものはどんどんやっていいと思います。しかし、同時に国の根幹に関わる問題については外さず議論の俎上に載せて欲しいと思います。とりわけ、新党「中道」には「憲法」「安全保障」「社会(生活)保障」「エネルギー保障」を始めとする重要テーマをきっちり議論する場を選んで、国民有権者に明確に発信して欲しいと思います。

★国民注視の「社会、政治的実験」としての「中道」

  新党については、地方議会、参議院に存在する公明党、立憲民主党との合流問題が大きな関心事でしょう。ですが、私は急ぐことはないと思います。それぞれ明年、2年後に、統一選挙、改選期を迎えるわけで、遅くともその時までにそれなりの答えを出せばいいのではないでしょうか。それまでの時間、それぞれのレベルで中道政治の本義に叶った実践をしていくことに着眼し、鋭意邁進すべきだと思います。まずは、衆院中道、参院公明党、参院立憲民主党という国会における3党が綿密な連携をとりながら、呼吸を合わせていく必要があるでしょう。「三位一体」など至難の業かもしれませんが、国民注視の「社会・政治的実験」だと私は思っています。

 60年余の歴史を持つ公明党で、人生そのものを生きてきた人間のひとりとして、私は政治家は党派性に拘らず「オール日本」の価値観を大事にすべきだと考えます。その場合の共通認識は日本が世界の中で「少子高齢社会」の先駆を切っていることです。今や日本は限界集落ならぬ「限界国家」の運命にあるということでしょう。と同時に、中米ロの三極が一段と専制国家的色合いを強めてきているとの国際情勢認識を持つ必要があります。国会審議にあっては、野党慣れした立民と与党ズレした公明の旧弊を打ち破る議論を望みたいものです。

 ★『公明』3月号の特集インタビューが興味深い

 その際に、3月号の理論誌『公明』の特集『現役世代と政治をつなぐ」の中の興味深い論考などが参考になります。苅部直東大教授の「中道改革勢力の結集には〝確たる中心軸〟が不可欠〟」とのインタビューがとくに印象的でした。とりわけ、優先順位を明確にして課題に取り組む姿勢の大事さを強調する中で、〝与党の逆張り〟をしているだけではいけないと述べているくだりです。ここは「中道」の本気の覚悟を表すバロメーターとして注目されます。

 合わせて、共産党やれいわ新選組が非正規労働者や外国人労働者を巡る問題に関心を持つ人々を惹きつけ、若者は国民民主党や参政党を支持し、有力な業界団体に属する経営者は自民党を引き続き支持すると位置付けてるところが気になります。では、「中道」や公明党はどの層に焦点を合わせればいいのか?苅部氏は、「真面目に働いてはいるけれど、今の世の中は暗く窮屈になっていると感じている人々の声が響く居場所になれる政党をめざすべき」と述べています。この辺り、議論が分かれるところでしょう。さて、それらも含めて国民みんなが大論争を起こしたいと私は考えます。(2026-2-15)

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