衆院選挙も残すところ3日となった。選挙のたびに思うことは、政党関係者の熱量ほどには世の中の反応は弱いということであろう。今回のように、自民党が旧統一教会の問題と政治とカネの問題で、前代未聞の不祥事を起こしていながら、その批判の矛先が鋭く向かっていないかのように思われる。しかし、それも果たして実際にはどれほどのものか、蓋を開けて見ないとわからないというのが本当のところだろう。さる18日、神戸のホテルオークラで開催された公明党の赤羽かずよし候補の個人演説会には自民党の隣接選挙区候補が4人も顔を揃えた。4者4様で自身の選挙情勢の厳しさを伝えつつ、赤羽候補へのエールを送っていた。「もう一度一から出直します」「やましいことは何もない」「ご迷惑をおかけして申し訳ない」などなど。これらの弁明めいた発言を聞きながら「政治家の反省」とは何かを考えざるを得なかった◆20日には、公明党の山口那津男前代表と石破茂首相が「赤羽」の支援にJR新長田駅前にやってきた。石破首相の演説で印象に残ったのは、冒頭での「テレビで見ると怖い顔と言われますが、現物は意外とそうでもないでしょう?」との切り出しで笑いをとり、ゆっくりと語りかける口調は好感が持てた。とりわけ赤羽氏が三井物産、自分は三井銀行と三井繋がりのうえ、大学も同じ慶応大学法学部政治学科でほぼ同期(首相が年齢は一個上)の政治家であることを強調したあたりは親しみを感じさせた。ただ、演説の中身はいささか物足りなかった。というのは、今有権者が一番関心のあるのは物価高と所得減に象徴される「暮らしづらさ」に他ならないのに、そこへの言及がなかったのだ。経済格差の拡大は、安倍晋三元首相の主導したアベノミクスに起因するというのは衆目の一致するところである。首相自身兼ねてそういう発言をしてきていたのに、ここへきてそれを封印しているかに見えたのには、訝しく思わざるを得なかった◆22日の夜は元町の飲食店で、かねて私もメンバーの一員である異業種交流の趣きを持つ懇親会が開かれたので、顔を出した。この日は20数人ほどが参加して和気藹々の懇談の場となった。常連である「維新」の著名な現役国会議員も私とツーショットで挨拶に立った。彼は今回の選挙が維新にとっても逆風で、県下各地で厳しい戦いを強いられていることを嘆いてみせた。私は、現役を引退した議員として、与野党が政党の枠を越えて、日本が抱える課題を巡って、大論争を起こす時だとの持論を〈起・承・転・結〉の4点に分けて展開した。拙著『77年の興亡』を著した2年前の2022年が日本近代を画する大きな転機だったとの導入部【起】から始めて、【承】は、明治維新からの77年、昭和の敗戦からの77年に次ぐ「第三の77年」が①少子高齢化②コロナ禍③ウクライナ戦争という危機に見舞われて始まったという現状を述べた。そこから【転】として、第1期の77年の「軍事力」、第2期の「経済力」に代わる、第3期の国家目標に「文化・教育力」を掲げて新たな国づくりをすべきだと展開した。【結】として、そのために、今こそ国民的大論争を起こそうと訴えたのだが、与党・自民党と野党・「維新」の〝不祥事連発の二重奏〟で、それどころでない現実は残念という他ない◆選挙は未だ3-4割の人たちが投票先を決めかねており、投票所に足を運ぶかどうかさえ迷っているとの見方が専らである。ここにどう切り込むか。人間心理として、選挙公示前は未だ早いという意識が走り、投票日前はもう遅いとの気分が漂う。つまり、相手よりも自分自身の「気持ちの壁」に左右されるのが〝人の世の常〟である。そこを一票、また一票と積み重ねる「一念の強さ」こそ、「勝利の要諦」に違いない。無党派層の気ままさを、我が手の届かぬ〝雲の上の秘め事〟と諦めず、〝自家薬籠中の物〟とするのも、また「強き一念」に帰するに違いないと思われる。選挙は大きく捉えれば、現代の「国取り物語」だが、個人に当てはめれば、自分の弱さとの戦いであり、懐かしき友との再会や、新しき友との出会いをもたらす「人脈開拓のお祭り」に直結するといえよう。新たな希望の夜明けに向けて出発するのは今をおいて他にない。(2024-10-24)