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【146】お決まりのパターンでは危うい━━公明党結党60年と原点(外交編)❹/2-21

 今まで述べてきたことを総括すると、米国の戦争主導に、同盟国としてどう対応するかとの問題に収斂する。例えば、ウクライナ戦争に際してNATO傘下の各国と日本の対応は自ずと違ってくる。直接的に殺傷能力を持った武器を供与しないとの基本線を守る日本の姿勢は極めて重要である。また、パレスチナ・ガザでの争いに、イスラエルとの特殊な関係を持つ米国やドイツとは、日本は一線を画すことがあって当然だろう。中東地域にあって、どこの国とも一定の距離感を持って付き合える、数少ない国家が日本だと言えることは大きい◆ここでも、公明党の外交路線の基本が生きてくる。「地球民族主義」という大きな観点に依拠する「等距離中立外交」の旗印を今こそ堂々と掲げる必要があろう。草創の頃によく口にし耳に聞いたスローガンが、与党化という歴史の流れの中で、なぜか持ち出すのに躊躇する傾向があるかに思われるのは訝しい◆野党時代の公明党は、対中関係にあって独自のスタンスで「友好の道」を進んだ。党創立者池田大作先生の「日中間に黄金の橋を架けよう」との呼びかけに呼応したものである。その路線が、例えば「江沢民の13年」と称された中国の対日強硬路線や、今の習近平主席の「一帯一路」路線への変化の前に、いたずらに揺らぐことがあってはならない◆どの国にも言うべきは言い、指弾すべき時は指弾する、また協調すべきは協調するという柔軟で積極果敢な対外姿勢を持ち続けることこそ、信頼を得る選択肢だと言えよう。西側諸国で例をあげれば、伝統的にフランスが時おり見せる対米、対中姿勢のあり様がその参考例になるかもしれない。米国の主導のもと、いつも決まりきったパターンで外交を展開するのは、国を導く上で危ういというほかないのである。(2024-2-21 続く)

 

 

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【145】大きな転機となったイラク戦争─公明党結党60年と原点(外交編❸)/2-18

第二次世界大戦から5年ほどが経って勃発した朝鮮戦争(1950-53)や、さらに10年後に始まったベトナム戦争(1964-73)は共に、〝赤化阻止戦争〟の趣きがあった。イラクのクゥエート侵攻が契機になった湾岸戦争(1990-91)では、日本の参戦が迫られたものの、〝カネ対応〟で済ませた。世紀末までのほぼ半世紀は、ある意味で従来型の戦争の時代だった。だが、21世紀の幕開けと共に戦争の様相は一変する。2001年9月1日の米同時多発テロに端を発したアフガン戦争、イラク戦争は「対テロ」戦の色彩を帯びたものであり、それまでの戦争観を大きく変えた。「テロは断じて許すな」の呼号の中で、戦争の「後方支援」に引き摺り出されることになった。イラク戦争はサダム・フセイン大統領の悪逆非道ぶりがあったにせよ、「大量破壊兵器の存在」という虚偽のフェイクニュースをもとに米国が仕掛けた側面が強かったことが後に判明する◆これは全貌が未だ白日のもとに明らかになってはいない。しかし、ミルトン・フリードマン氏らを中心としたいわゆるシカゴ学派によるショック・ドクトリン(災難、戦禍につけ込む手法)の展開という色合いが濃いという。ブッシュ(息子)大統領とネオコンのしでかした戦争とみられ、当の米国でも評判が悪く、その過ちを認める発言(コリン・パウエル国務長官)さえ出ている。これは英国でも同様で、未だにその戦争加担の責任について何ら総括をしていないのは日本だけとの見方も強い◆私自身、20年間の国会議員生活の中で、この戦争に「後方支援」にせよ関わった日本の与党勢力の一員として、自ら「戦争肯定の発言」をしたことに後味の悪さを自覚している。ウクライナに侵略をしたロシアの責任を声高に叫ぶ声を聞くたびに、米英のイラク戦争に思いをいたす。日本の参加はあれで良かったのか、と。もちろん、当時を振り返ると、政権の責任者たちは平和憲法の枠組み中で、国際社会における責任を損なわずに、どうすればその役割を真っ当に果たせるかを考え抜いた。その結果、イラク・サマワ地域での道路、河川の補修、整備など非戦闘行為に限定して従事した◆だから、やましいと思う必要はないとの声もある。だが、当時、仏、独などNATO傘下の国家でも独自色を出して、米英に一定の批判の眼差しを持った国があったことを思うと、「イラク戦争」に何も発言しないという現状に、物足りなさを抱かざるを得ないのだ。(2024-2-20  一部修正  この項続く)

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【144】独立国家と言い難い日本の現状━公明党結党60年と原点(外交編)❷/2-16

 日本総合研究所会長の寺島実郎多摩大学長が改めて今、米軍基地の「段階的縮小」と「自衛隊との共同管理」へと順次移行させるべきだと述べ、「日本が米国の『保護領』でも『周辺国』でもなく、意志を持つ独立国であることが、中国およびアジアの国々との外交を拓く前提である」(『世界』24年1月号)と強調している。これをその通りと共鳴出来るか、それとも何を今どき言っているのかと反発するかは、日本人をわかつ分岐点と言えるかもしれない。これこそ60年前の公明党の主張とピタリ重なって、私としては目が覚める思いがする◆日本が独立国家とは呼び難いことは、横田基地の米軍が空域の航空管制を握っており、羽田や成田空港に出入りする民間機の自由が奪われていることが何より証明している。米軍と自国空域を共同使用するドイツやイタリアなどでは、米軍に使用規制をかけることで、主権行使の実を上げている。日本だけがそれを出来ない事実は如何ともし難いのだろうか◆寺島氏は21世紀の日本の基点となるのは、米国との関係を再構築することであり、日米同盟の再設計は、現代の「(不平等)条約改正」に値すると断言している。この種の問題を持ち出すと、あたかも世界観を異にした異教徒、左翼イデオロギーの持ち主と見られかねない風潮が今もあることは残念ながら事実だと言える。だが、本当にそうだろうか◆かつて明治の先達が維新直後から、懸命になって欧米列強との間における不平等条約を撤廃すべく汗をかいた。戦争に負けた日本が7年の占領期経て、独立を果たしていながら、その後70年を超えた今もなお実質的に変わらぬ「被占領国家」の実態を一歩も出ていない。占領期の研究で著名な五百旗頭真神戸大名誉教授が「(日本は)経済発展と利益配分の小政治に没頭し続けるうちに、大局観に立った国家的自己決定能力を失った感がある」と述べて久しい。「国家的自己決定能力を失った」──この表現の紙背に潜む意味に戦慄さえ覚える。かつての公明党結党当時の初心を忘れられない人間にとって、今一度原点に立ち帰ろうとの思いを禁じ得ない。こうした思いに左右のイデオロギー云々は関係がないはず。自主独立国家の一員としての率直な思いに立つことが第一だと言いたい。(2024-2-16 以下続く)

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【143】世界の戦争をどうする━公明党結党60年と原点(外交編)❶/2-13

●「平和構築」へ今再びの心意気を

 ロシアからウクライナへの侵略に端を発した戦争状態はやがて3年目に入るが「停戦」は一向に見えてこない。中東・パレスチナでのハマスのイスラエル攻撃を皮切りにした紛争も一段と激しさを増す。第二次世界大戦後の「米ソ冷戦」から「米の一極支配」を経て、世界は今、「米中対決」含みで「多極・無極化状態」にむかいつつあるかに見える。この80年近く「日米同盟」堅持を基軸に、米国と伴走・背走してきた日本。果たして、「世界の平和」に貢献し得る存在たり得ているのか。混迷する状況下に、改めて「激動続く世界の中の日本いかに生きるか」を考えてみたい。

 今から60年前。日本は「米ソ対決」の狭間に生きざるを得ないという国際情勢を反映して「自社対立」の最中にあった。その年11月に結成された公明党は、イデオロギー偏重の不毛の安保体制の中で「第三の道」を選択し、「平和の党」を志向した。その道行きの第一歩は、「在日米軍基地総点検」から始まった。無駄な基地の返還を迫るべく、議員と党員が一体となり、まずは在日米軍基地の「実態調査」に立ち上がったのだった。

 この行為をどう位置付け、どう見るか。米軍という巨大極まる存在に立ち向かうなどということは無謀なパフォーマンスに過ぎない、「蟷螂の斧」もいいところだなどの批判が相次いだ。だが、自主独立国家の中に、他国の基地が多数存在するといった現実を直視する上で、重要な楔を打つ役割を果たした。段階的とはいえ、日米安保条約の解消も目指した第一歩だった。

 一定の成果を得て、やがて「点検」は姿を消し、公明党も「日米同盟堅持」「自衛隊存続」に切り替えた。これは政党として「成熟化」を意味したのかもしれない。しかし、米軍基地の存在に慣れ切ることは独立国家として「堕落」に繋がるのではないか。

 沖縄・普天間基地の辺野古への移転をめぐって、沖縄県当局との軋轢から国交相の代執行が問われる場面が続く。この10年余というもの公明党の大臣が一貫してその任に当たる事態の報道に、せめて苦渋に満ちた表情を見せて欲しいとの声がある。時にみせる笑顔での対応ぶりはあまりにやるせないというのだ。安全保障をめぐる国家と県民との深い溝。容易には解決し難い難題と向き合う日々が今日も明日も果てしなく続く。(2024-2-13  以下つづく)

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【142】立法権と行政権の改革への取り組み━━「民主主義の見直し」議論に向けて(下)/2-2

●直に立法への参加もたらす「くじ引き民主主義」

 抜本的な民主主義の有り様の見直しや刷新を考える上で、必要な角度は2つある。第一に、立法権の改革であり、第二に、行政権の変革である。ここでは今、世界で議論されているテーマについて、概括的に触れた上で、問題提起してみたい。

 まず、立法権について。これまで「政治改革」が叫ばれるたびに、選挙制度の改革が取り沙汰されてきたが、その次元の話だけではすまない。そもそも「代議制民主主義」の基本が問われている状況下にあって、本来的に問題にすべきは、「直接民主主義」の是非であると思われる。

 今、世界各地における地方議会レベルで、「分散型ピア政治」(対等な立場による政治)なるものが展開しているという。ジェレミー・リフキンの『レジリエンスの時代』によると、発端は1989年のブラジルだという。地域内のコミュニティ組織を中心に、新たな予算への提案を募る一方、代表者を選んで「ピア議会」を開催して、合意を得ていったというものである。こうした「参加型予算編成」は、今や教育、公衆衛生、警察活動など全世界の地方自治体において広まっている。

 こうした議会の代表者の選び方は、通常の選挙によるのではなく、いわゆる「くじ引き」に匹敵するものによるというから驚く。市民の中からの無作為抽出で選ばれた人たちが地域の課題解決にむけて、そのためだけの特別な議会を形成し、ことに当たるというものだ。日本的にはイメージとして「裁判官員制度」を想起すれば良い。日本でこの問題に詳しい吉田徹同志社大教授は、「民主主義がそのポテンシャルを発揮し続けるためには、民主主義は常にアップデートされる必要がある」(『くじ引き民主主義──政治にイノベーションを起こす』)と述べたうえで「(このやり方は)みんなが平等な条件でもって、共同体の意思決定に参加することができる民主主義だ」と宣揚している。

 これだと、選挙が終わればあとは知らない、関われないではなく、直接的に立法作業に誰でも関われるという利点が生じる。日本でも導入が期待されよう。

●AI時代に求められる日常的行政のチェック

 ついで、行政権をめぐって。一般的に、民主主義といえば、選挙における投票権を連想するはず。しかし、有権者は一票を投じたら、後は当選した議員を見守るだけ、いや見守りさえしないという人が多い。尤も、政党や政治家に関わりを持つ人々は様々な政治的課題、特に地域内の問題解決に向けて動く。その過程で、行政における執行権を持つ中央官僚や地方自治体の役人に接触する。

 わかりやすい例として、戦後間もない頃に制作され、日本映画史上最高傑作との評価が高い黒澤明監督、志村喬主演の映画『生きる』を挙げたい。胃がんに冒されたある市の市民課長が死の直前半年ほどの間に、市民と共に公園建設に尽力することで、生きる価値を実感するとのストーリーである。この映画の最終場面で、この課長が文字通りの命懸けの行政権を、彼を動かした主婦たちと共に動く。このケースが典型的なのだが、同時に極めて稀なものとして、現代の市民たちの間では概ね忘れられてしまっているように思われる。

 さらに、最近話題の宇野重規・東大教授とジャーナリストの若林恵氏による『実験の民主主義』は、AIの時代における新しい政治参加モデルの可能性を模索し、具体策を提案したものとして特筆されている。著者たちは「政府の情報を開示させ、単にそれをチェックするだけでなく、自らの意思や問題意識をより直接的に政策に反映させることが出来る」と、日々の行政権への働きかけを推奨している。AIの登場で、新しい時代は新たな行政のチェックを必要としているというのだが、意外に日常的に行政権への参入の道が開けるかもしれない。

 公明党は、今年結党60周年を迎える。この党の最大の業績は「市民相談」の実践だと、当初から見守ってきた私は、誇りに思っている。市民と議員がタッグマッチを組んで、行政権を突き動かし、民主主義の土台作りに貢献してきた。AI時代にあっても先駆的役割を新たに生み出せるよう、期待したい。(この項終=2024-2-2)

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【141】自民党の「解体的出直し」ではなく、解党=分党を提案する/1-26

 自民党の政治刷新本部の中間取りまとめを見て、呆れた。こんなことで国民が納得すると思っているのだろうか。自民党支持者はともかく、普通の一般国民はとても理解できない。まず、事態の認識から間違っている。冒頭にある「今般、自民党の政策集団における政治資金パーティーにおいて政治資金規正法違反の不透明、不適切な会計処理が指摘され、特定の政策集団の行為により、自民党全体に国民の厳しい目、強い疑念が向けられている」の一文である。「特定の政策集団の行為により」というのは、安倍派の行為を指すと見るのが常識だろう。だが、他の政策集団(いわゆる派閥)も大同小異。自民党全体が厳しい疑念に晒されているからこそ、「政治刷新」が求められているのに、のっけから間違っている◆冒頭の結論部分にある「決意」もおかしい。国民の信頼を得るために、「わが党は解体的な出直しを図り、全く新しく生まれ変わるとの覚悟で、信頼回復に向けた取り組みを進めなければならない」というくだりだ。「解体的な出直しを図り」というなら、ここは覚悟を述べるだけでなく、ずばり解体=解党するしかない。その場合、今の5つの派閥ごとに、分党するのが最もわかりやすく、手っ取り早い。それは殺生な、無茶な、というのなら、百歩譲って、本来の政策集団の集まりらしく、テーマごとに違いを明らかにして再編成するのがいいかもしれない。この党は昔から今に至るまで、左右雑多な政策を信奉する人たちの集いとされてきた。いい機会だから、政策の差異を明らかにしてさっぱりと腑分けすればいい◆ちょうど時を同じくして、東芝が上場廃止に追い込まれた。経済の世界のことで、政治とは違うという勿れ、東芝のことここに至るまでの状況と、自民党が今直面している事態は極めて類似している。東芝の危機の発端は06年に買収した米原発子会社の不審にあったとされる。その後、リーマンショックやら東電福島第1原発の事故が重なった。自民党の政治差配の歴史も30年前のリクルート事件を持ち出さずとも、近年の首相経験者への疑惑を始め、閣僚級の犯罪に事欠かない。共にする不祥事の根っこには、自らが招いた「経営への不信」と、「政治運営(政営)への不審」があるという他ない。こうした類似性を知ってか知らずか、今回の中間報告では、ことの原因を「現行の法律ですら順守が徹底されていなかったこと、すなわちコンプライアンスの欠如にある」として、「コンプライアンスの強化を図る」一方、「ガバナンスを強化する」という。これらの言葉、元を正せば異国の企業経営に使われてきたもので、コンプライアンスとは、外的法的なルールであり、ガバナンスは自らを律する力といえる。日本の政治の根幹を束ねる集団が自らの不正を改めるにあたって、経済的外来語を用いるのは本気度を疑うだけでなく、いかにも侘しい◆さて、自民党を分党して解党すると、にわかに政治は緊張感を増して面白くなる。何回選挙をやっても、おおむね自民党が勝つという類型パターンは姿を消す。テーマごとに既成政党と旧自民党派閥政党の組合わせで連立すればいい。公明党にとってそれこそ、かつて望んだ「夢」だった。「55年体制」の打破を夢見た私など、自民党との連立は、内側からこの党を糺すため、言い換えれば、壊すためだった。「自民党をぶっ壊す」というセリフを小泉元首相に先に使われてしまったが、ようやく本来の意味でのその機が熟したといえよう。公明党が「政治改革の旗振り役を担う」というのなら、そういう事態を引き起こしてこそ、真実味を増すに違いない。30年前の政治改革の旗振り役を担った者の一人として、あの時の二番煎じであっては断じてならないとの深い反省の思いを込めて、そう思う。(2024-1-26)

※『民主主義の見直し議論に向けて』(下)は、次回にずらして掲載します。

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【140】「政治刷新」は〝急がば回れ〟━━「民主主義の見直し」議論に向けて(上)/1-22

 新年早々にNHKテレビが放映した『AI×専門家による6つの未来』なる番組は中々興味深い内容であった。30年後の日本がどんな風な社会になっているかを念頭に、膨大なデータをAIに取り込ませた上で、6つのシナリオを提示させた。専門家の助言を得ながら、どう我々が選択していけばいいかを政治家、学者、企業家らの代表が考えるというものだった。番組の展開は、「地方分散・マイペース社会」と、「多様性・イノベーション社会」の2つに絞り込ませ、結局はこの2つをうまく融合(共鳴)させようとの結論に落とし込んでいった。その過程で私が注目したのは、政治家と学者の考え方・取り組み方の根本的なズレが改めて浮かび上がったことである。

 登場していた政治家は新藤義孝経済再生担当相。一方、学者は、経済思想家で東大大学院准教授の斎藤幸平氏。共に私が個人的に期待を寄せる気鋭のプロフェッショナルだが、基本的な経済思想的立脚点が相違する。前者は、与党自民党の担当閣僚として当然ながら経済の成長を第一義とする。後者は、そうではなく、人間中心の社会を目指すために、脱成長も辞さないことを徹して訴えている。

●政治家と学者の基本的な考え方の差異

 番組の中で、斎藤氏はこの30年の日本が「ビジョンなきバラマキ」に終始してきたと指摘した上で、現状を企業中心でなく、人間本位の社会に変えていくために、国民的な議論を始めていくべきだと強調していた。一方、新藤氏はこの30年がなぜ停滞したかに全く触れず、今が社会を変えていくタイミングであり、いいチャンスだといった風に、前向きに視聴者を鼓舞することに終始していた。若者の考え方が老人中心の政府に反映されていないとの批判に対して、「一度税調の場に来てくださいよ」と切り返していたが、笑うしかない。

 斎藤氏は自著の中で、「政治家は次の選挙より先の問題を考えられない生き物なのだ」と明言している。この日も恐らく再確認したに違いない。一方、新藤氏は《学者は現実から遊離した空論を弄ぶ生き物なのだ》との考えを再認識したかもしれない。この日の議論で、対立する立場を埋めるきっかけさえ掴めなかったのは、見る側としてとても残念だった。

●民主主義刷新の方向性

 新年元旦に能登半島を襲ったM7の大地震で、石川県を中心に被災者が悲惨な日常に喘いでいる。そうした緊急事態を横目に、自民党の政治資金パーティを巡る裏金事件は、幅広い国民各層に政治への幻滅を与え続け、政治不信の拡散は深刻な状況にある。同党内の「政治刷新本部」の動きを見ていて、まるで30年前の〝政治改革の嵐〟当時にタイムスリップしたような錯覚を持つ。「政治刷新」の方向が政治家、政党のカネの行方ではなく、国民大衆の生活向上のための国民大衆のカネの行方を左右する「政治・刷新」に、どうしてならないのか。庶民大衆の嘆きの声が聞こえて来る。

 この状況下で、「政治刷新」の議論は、政治資金を巡っての法的レベルの分野に留まっている場合ではない。この国のこれからの有り様、国家ビジョンにまで及ぶものでなければならないと、強く確信する。その観点で、より大事なのは「日本の民主主義」についての考察であり、見直しである。それが〝急がば回れ〟ということになると、私は思う。(この項続く 2024-1-22)

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【139】「私の動物観は、猫との出会いから。」━━『熊森協会』の会報に寄稿/1-15

 私は、実践自然保護団体の一般財団法人「日本熊森協会」の顧問をもう20年あまり務めています。このたびその会報誌『くまと森と人』(2023冬号)の「熊森顧問のリレー連載」のトップバッターとして寄稿した文章が掲載されました。ここではその一文を転載しますので、ご覧ください。

 にゃんにゃんじいじ── そのむかし、孫が私につけた愛称である。妻は、にゃんにゃんばあば。というのも、猫がいた我が家から娘が嫁いだ先には、犬がいた。いつの日からか、2組の爺さん、婆さんの区別をつけるため、そう呼ばれることになった。略して、ニャン爺。響きは悪くない。もう呼ばれることもない今となっては、とても懐かしい。

 かつて宍粟市一宮町の山あいの集落で演説をした際に、特設演壇の端っこにちょこんと座って聴衆の方を向いていた一匹の猫。〝票集め猫〟と睨んだわけではないが、この猫を貰って帰った時の家族の喜びといえば尋常じゃなかった。この猫との出会いが私のふつうの動物観を変えた。大袈裟なようだが、人間中心主義(人間が一番大事)から、生物主義(いきもの主義=人間だけでなく生きとし生けるも皆大事)への転換だったのだ。

 私が森山まり子さん(現名誉会長)の情熱的誘いを受けて、日本熊森協会と奥山保全トラストの2つの団体に関わらせて頂いて、はや20数年が経つ。つい先日には第9回トラスト地ツアーで、岐阜県高山市の奥飛騨温泉郷を訪れ、焼岳のふもとに横たわる原生林を、米田真理子奥山保全トラスト理事長始め仲間の皆さん20人ほどと共に登った。急な勾配の山道を行くため、予め入念な準備体操をし、熊との遭遇にも備える対策を学んだ上でのことだった。

 常日頃ウオーキングに励んでいるとはいえ、平らな道ばかり。起伏が激しく、時折り崖っぷちを歩くのとは勝手が違う。往復3時間ほどの登山は、紅葉真っ盛りの展望を楽しむゆとりはあまりなく、あたかも罰ゲームを受けているような難行苦行の連続だった。元気で若いスタッフや女性会員の心温まる支援を受けて、事故なく生還できたことは多少オーバーながら奇跡的ともいえ、感謝しかない。

 こんな私が熊と出逢ったのは一度だけ。4年ほど前、室谷悠子熊森協会会長らと一緒に、写真家で自然ガイドの安藤誠さん(熊森協会顧問)の案内で、釧路湿原から知床半島に行ったときのこと。1頭の大きな熊が川沿いで待ち受ける観光客のカメラの放列の前に悠々と登場したのである。シャケを取ってくわえる立ち居振る舞いの一部始終は、まさに舞台俳優の観客の前での演技を見るようであった。

 太古の昔からこの国の山深くに棲みつき、その生活を営んできた熊たち。昨今、人間とのトラブルが取り沙汰されているが、共存への知恵を出して行かぬ限り、日本の、世界の、地球の未来はない。あいも変わらず人間同士が憎しみあって繰り返すウクライナやパレスチナ、アフガニスタン、ミャンマーなどでの戦争。そのニュースを耳目にするたびに心痛めつつ、今のところ人と人が戦争で殺し合わぬ日本だからこそ、動物との共存、共棲の先進国たりたいと、心底から願ってやまない。(了)/2024-1-15

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【138】賀状は自ら出さず返事だけにした初体験考/1-7

 昨年末は賀状を一枚も書きませんでした。人生初めてのことです。人生の師・池田大作先生のご逝去から、49日も経たぬ間に「新年明けましておめでとうございます」と書くことは気乗りがせず、憚られたというのが正直なところです。新年を迎えても賀状を新たに書くことはせず、頂いた人への返信にのみ絞りました。しかも、常日頃連携をとっている友人にはラインやメールで済ませました。また私が顧問をしている一般財団法人『日本熊森協会』の会報(冬季号)に、私が書いた一文がちょうど掲載されたので、それを大型封筒に新年の挨拶文と共に入れて送ったりもしました。結局お年玉付きの賀状に書いたのは100枚だけでした◆この作業を通じ、日本の文化と伝統に根ざした賀状もそろそろ見直す時期かもしれないと思いました。理由の一つは、頂く賀状の殆どが出来合いの印刷されたものが多く、単に「謹賀新年 旧年中はお世話になりました。今年も宜しくお願いします」という定型パターンばかりだということです。私自身は、これまでも出来るだけ相手を意識した文言を添えるようにしてきましたが、一年を通じて会う機会のない人には書く言葉に苦労します。繋がりを断つことは忍びないとの側面はあるものの、賀状だけではなく、他に違う交流の機会を作ってもいいかもしれないと思うのです◆若い世代は賀状離れが著しく、もっぱらラインにアプリで独自の写真などを貼り付けて出すことが流行しているようです。そんなことに輪をかけて、郵便料金の値上げが追い討ちをかけるに違いありません。SNS全盛のこんな時に値上げしたら、ますます郵便離れになり、葉書や封書に書くことは遠のいてしまうのは必至でしょう。かつて、賀状は筆で書こうとしたこともあったのですが、今ではボールペンや筆ペン、あるいはマジックで書いたりしていますから、何をか言わんやです。もはや、とっくの昔に文化と伝統は変質を余儀なくされていると言えましょう◆そういえば、昔はおせち料理も一家の主婦の一年の集大成とでもいうべき側面があって、我が家でも母親が腕によりを掛けて頑張ってましたし、お餅も臼に入れた餅米を杵でペッタンぺったんと、父の声がけで突いたものです。私の子供の頃はそうやって突いた餅を家族総出で丸め、直ちに小豆やきな粉でまぶして食べるのが楽しみでした。祖母から歳の数だけ食べるんやでと言われ、踏ん張ったものですが、子供心におばあちゃんは60個もよう食べるんかいなあと、真面目に心配したこともありました。いつの間にか、我が家の臼も杵も関連器材全て消えてなくなりました。代わりにスーパーやコンビニで買ってきた味気ないお餅を辛うじて元旦だけ食べています。ここでも、「昭和は遠くなりにけり」を実感するのです。(2024-1-7)

 

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【137】「安定」だけではなく「改革」こそ━━新しい年を迎えて思うこと/1-1

 新年明けましておめでとうございます。国会周辺で次々と議員の逮捕者が出たり、政治資金パーティに関連して、捜査の手が自民党政治家に延びるという異常事態が続いています。これをどう見て、どうすればいいか、夫婦の対話方式で考えました。《公明新聞と同様に、新年号ですが、年末に発信しました。》

妻)  年末のニュースを見聞きしていると、暗いものが多いけど、ったく国会は異常ねぇ。第一義的には自民党のしでかしたことだけど、政権を一緒に組んでる公明党も知らんぷりできないどころか、責任あるわよねぇ〜。

夫)そうだね。残念ながら、ことここに至るまで、気がつかなかったのかというのは酷だけど、共産党の赤旗しんぶんに指摘されて、大騒ぎになるというパターンは本当に悔しいよ。与党も、ほかの野党も、いやメデイアも、みんな責任あり。徹底的にウミを出さないといけない。

妻)それはそうだけど、そうみんなの責任にする前に、まず公明党のことが心配ですよ。友達に会うと、公明党がついていながら、この体たらく、もともと、政界浄化の旗印は公明党の専売特許じゃあなかったの、って皮肉混じりに言われて、とっても辛いわよ。

夫) 男の場合というか、僕の友達なんかは、まあ、政治はカネがかかるから仕方ない面もあるよなぁと、物分かりのいい面を見せているけど、突っ込んで話すと、それにしてもひどすぎるって言うよね。特に安倍派については、腐り切っているとの見方をされても仕方がないかもしれないなぁ。

妻) そうよね。とくにうちの明石は、西村やすとし前経産大臣の選挙区で、公明党との関係も深い人物だけに、ショックだっていう人も多いわよ。あの人は側近No. 1を誇りにしてたもんね。新聞報道では自民党県本部の集めたお金よりも、あの人ひとりの方がパーティ収入を沢山集めているって言うから、呆れるわ。

夫)安倍派の5人組といわれる幹部たちへの検察の追及を、故安倍晋三首相への怨念だとする見方もあるけど、事の真偽はさることながら、一般的に彼の内政面、とりわけ第二次政権での強引極まりない姿勢は問題視する向きが強かったよね。

妻)例のモリ、カケ、サクラって言われる一連の疑惑でしょ。あれは元総理自身の犯罪でないかとさえ、見られていたからね。公明党との関係も強いから、心配したけど、こういう形で噴出するっていうのは驚いたわ。当時、サクラの現場で、山口代表や太田さんが安倍さんと一緒に壇上に上がって祝杯あげてたのを見て、危ういなあって思ったんだけど。

夫) まあ、あれは政権を一緒に組んでる限りはお付き合いの側面もあるからね。それより、山口代表が政権の「安定」の大事さを強調し過ぎることに違和感を感じてきたね。「安定」は自民党のセリフで、公明党はもっともっと「改革」を言わねばって思ったよ。公明党は野党の時から「改革の政治」を掲げてきた中道政治の党だからね。与党になったのは、改革をするためで、それを犠牲にして安定を目指すのは本末転倒だと思うよ。

妻)そうよね。「大衆と共に」という結党以来の創立者から示された旗印も、「改革」あってこそっていうか、それを無視したら、大衆からそっぽ向かれてしまうわよね。

夫) その通り。公明党の立ち位置は本当に大事だよ。ここは自民党に寄り添いすぎてしまわないで、政治とカネに関してはどこまでも厳しく差配していってほしいね。それに加えて、政治資金の使い方に関する改革案を出して、よしとするんではなくて、もう一歩進めて、この国をどこへ持っていくのかという国家ビジョンなどをもっと自民党との間で議論していってほしいね。

妻)そうそう。今年は公明党にとって「結党60年」の節目の年よ、思いっきり頑張って欲しいわね。

 

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