⚫︎切な過ぎる「風の電話」
東日本大震災から15年が経った。様々なイベントや記憶すべきテレビ放映番組を見た。そのうち忘れ難い印象のものが2つあった。一つは「風の電話」。岩手の大槌町のあるお家の広い庭の一角に電話ボックスが置かれ、そこから亡くなった家族や行方不明の人に電話をかける(実際には独り言だが)という試みである。もう一つは、震災後の復興に向けての選択が正しかったかどうかを問う「当事者の告白」である。これは15年前から復興に向けて地元行政が取り組んできた事業のその後の推移を追ったものだが、うまくいかなかったケースを当事者たちが赤裸々に告白していた。
共にNHKによるものだが前者は、実は数日前に「時をかけるテレビ」(2016年放映)で、震災5年後の映像を再放送していた。観ていて泣けた。無性に涙が溢れ落ちた。「一つ父さんに聞きたいことがある。‥‥何で死んだんだよ」とか「いつもあんたと電話で、生きてる?ってお互い言ってたね。会いたいなあ」や、「お父さんごめん。いつも臭いってばっかり言って」など。最もこたえたのは子ども3人と共に残された妻が亡き夫に語りかけるところだ。あまりに切な過ぎてここに書けない。
⚫︎計画した企業誘致や集落移転の失敗
ふと思ったのは、「永遠の生命」を信じて生きてきた人たちの呼びかけがあってもいいなってことである。「そっちのみんな元気してるか?こっちは相変わらず元気しているよ。安心してくれ」っていう内容のがあったけど、もっと明るく語れないかと、思ってしまった。突然津波に巻き込まれて、あっという間に生命を絶たれてしまった身内への呼びかけは終わることのない会話であろう。後者の番組は、また違った意味で見るのが辛かった。復興を夢見た川内村の村長が計画した企業誘致がうまくいかないことや、津波の再来を恐れて高台に作った集落が当初は10世帯という枠組みがありながら集まらず5世帯に変更したが、これで地域コミュニケーションが成り立つのかとの懸念が起きているとのことなど、正直に告白していた。
かつて、復旧・復興を目指した地域の計画を前に描いた構想が立ち行かなくなっていることは大きな課題であろう。それを打開するには、常に計画を見直すことや、「事前復興」と言った予防的復興計画の重要性が指摘されていた。確かにそうした事前と事後双方からの飽くなき執念ともいうべき対応が望まれよう。
⚫︎凄い復元力で元に戻ろうとする「原発」
一方、15年経った今最大の懸念は、「福島原発事故」への対応である。毎日新聞11日付のオピニオン欄「論点」で、元国会事故調調査統括の宇田左近さんが語る「福島原発事故から15年」はとても重要なものである。全ての日本人が読むべきだろう。この人物は政府から2011年12月に憲政史上初めて設置された政府から独立した調査機関の責任者。延べ千人超の関係者へのヒアリングを行い、翌年7月に600頁を超える報告書を公表した。その冒頭は「事故は終わっていない」で始まる。それから15年。福島県内には「帰還困難区域」が未だ残り、ふるさとに帰れない住民が多数いる上、「第一原発」の廃炉作業も終わりは見えず、人が近づけないほど放射線量が高いごみをどうするのかも決まっていない。こんな状況では到底「事故が終わった」とはいえない。にもかかわらず、大手電力会社や政治を取り巻く空気は、原発「再稼働」を許容する方向が強い。
中部電力・浜岡原発では耐震設計の目安となる「基準値震動」のデータ不正操作が発覚した。この現実は衝撃的だ。大手電力会社の隠蔽体質とそれを見抜けぬ原子力規制委。「使い終わった核燃料の最終的な行き場もないまま。その中で原発推進の合意が形成されているのが今の日本の姿です」と述べ、「(この15年原発は)すごい復元力でかつての姿に戻った」という。
⚫︎防災庁のトップに石破茂前首相を
巨大地震への備えを強調する論考も注目された。そんな中で私が最も気がかりなのは、来年政府が新設する予定の防災庁の方向性である。毎日新聞12日付の社説は、その指揮系統の明確化を強調していた。防衛省、国土交通省、厚生労働省と防災庁の役割分担が明確でないとして、「縦割りを排して円滑に連携できる具体像を早急に示せという。
ここで、私が注目したいのは、石破茂前首相の動きである。彼こそ防災庁の設置を強く主張した張本人である。高市早苗首相の旋風の前に忘れられがちだが、石破さんが防災庁について軌道に乗るまで率先して差配を振るうべきだと提案したい。前首相が後の内閣で財務相になったり、副総理になったりするケースは散見されるが、新設の省庁のトップにそれを提案した当時の首相が就くことは今までにないと思われる。ここはぜひ、石破さんの登用を期待したい。(2026-3-15)

