斎藤元彦兵庫県知事を「不信任とする決議案」が、全会派の86人の賛成のもとに議決された。この結果、同知事は10日のうちに自ら辞職するか、逆に議会を解散し県民に信を問うかの選択を迫られることになった。同知事はその議決を受けて、重く受け止めて自ら決断するというだけ。ここで一人の兵庫県民として、この事態をどう受け止めるか、考えてみた◆今回の事態の発端となった「西播磨県民局長の知事告発文書」と、「同局長の自死」という結果の間に「隠れた事実」があるように私には思われる。告発文書に対し「嘘八百」と言った知事及びその周辺は、恐らく「壮絶な脅迫」をしたに違いないと見られる。一般に通常の感性の持ち主の男が自ら死を選ぶケースは、「恥」が暴露されることを恐れることが多い。今回の事件における一連の報道で伏せられている真実は、「死を選ぶほど(本人が)恐れる事実の公開をちらつかせられた」ことだと思われる。そのことを知事は「知らなかった」と言っているようだが、仮にそうだとしても副知事以下の側近がしたことの監督責任は免れない。即刻辞任に値する◆ことここに至るまでの流れを追うと、どうしても「斎藤元彦」という人物の「人となりの異常さ」が浮かぶ。先日来のテレビ報道で見る限り、一度涙を催した場面を除き、およそ表情に喜怒哀楽がない。議場で県民の付託を受けた県議会議員が相次いで提出議案に賛成する票を投じているのを平然と見ている姿は、これまでの短くない私の政治家人生でも稀な場面だった。別に涙を流せ、薄ら笑いを浮かべよ、怒りを表せと言っているのではない。全くといっていいほど人間味を感じさせない、能面風の面構えには驚きあるのみだった◆ほぼ3年前の県知事選で、私は井戸知事後継の候補者に一票を投じた。〝よりまし選択〟だったと思った。総務省幹部が相次いで知事となってきた県政だから、流れを変えようとの声が自民党国会議員団から出て、維新府政下の隣県大阪の財務課長だった斎藤氏を引き抜いて持ってきたと聞く。今頃になって言うなとはいわせない。維新の罪はもちろんのこと、自民党で斎藤知事を担いだ一部県議団の責任は軽くない。兵庫県自民党が一時的にせよ分裂した当時を思い起こし、県民に詫びる必要さえあると思う。「人を見る目がありませんでした」と。当時、斎藤知事を担いだ自民党若手の一人が知事の責任追及をしている発言をテレビ画面で見ていて、自らの不明を恥じる発言を聞きたいと心底から思った。人格者だった彼の祖父を政敵ながらリスペクトしていた私だけに、尚更その思いが強い。この際我が身を棚に上げて、国でも県でも市でも町でも、政治に携わる全ての人々に「もっと人格を磨け」「人を見る目を養え」といいたい。(2024-9-20)