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【199】「地震と介護」で揺れ動く「国家と家族」━━「あれから30年」の兵庫の今/1-18

●兵庫の地から「哀」を超えて

 阪神淡路大震災から1月17日で30年が経った。この地震は、同じ兵庫県下とはいえ明石海峡大橋を境に、ほぼ東西で運命を分けることになった。〝地震の牙〟は発生源の淡路北部地域から瞬時、海峡を越えて東の摂津方面に向かったのである。このため、当時の私の生活拠点だった西隣の播州地域は直撃を免れた。衆議院議員当選が1993年7月だったので、1年半後に起こったこの大惨事の復旧・復興におおわらわになったものの、自身も被災者となった赤羽一嘉代議士(後に国交相、現公明党副代表)とは大違いの「災後」となった。13年後輩(同じ慶大法学部出身)の彼とは一緒に当選したが、今も最前線で震災対応の専門家として八面六臂の活躍をする彼を横目に私は議員を辞めて10年余が経つ。そんな私ではあるが、あの震災からの30年は特段に感慨深い。

 いま改めて兵庫の地から過去を振り返り、未来を展望すると、兵庫県が日本の抱える課題の「先取り」を果たしてきたかのごとき「錯覚」にとらわれる。かつてこの地で県知事の職にあった井戸敏三氏が、「兵庫は日本海と瀬戸内海の双方の海域に面し、都市部から山間部、島嶼部まで多彩な地域性を持つ「日本の縮図」である」との趣旨の発言をしばしば口にしていた。私個人としては、兵庫で奇怪かつ不可解な事件が起きたりすると、その都度、井戸県政へのいささかの皮肉を込めて批判をしたものだ。すると、そのたびに、「縮図」というセリフを使って切り返された。知事は「どこにでも起き得ることに過ぎない」と反論したのである。あの震災からの30年の間に、新潟、熊本や、岩手、宮城、福島など東北全域、そして能登半島へと、全国各地で大きな地震が相次いだ。さらには豪雨被害に関しては枚挙にいとまがない。まさに、あの震災が「失われた30年」の口火を切ったことは間違いない。哀しい意味をも含む「先駆け」だったのである。

 また、地震や豪雨という「自然災害」だけではない。井戸氏の後を襲った現知事・斎藤元彦氏の去年一年の行動、発言、選挙戦などにおける一連の所作振る舞いを追うと、まるで「人的災害」においても同様かもしれない。彼は「民主主義の変容」という現代日本の最大の課題を考えさせる機縁になった人物と言わざるを得ないからだ。県の幹部らを結果的に死に追いやったことによる大騒動の張本人になっただけではなく、その後の再選に至る過程においてもSNS を使った選挙違反の嫌疑を受ける身でもある。また、100条委員会の場で斎藤知事批判の急先鋒であり、後に県議を辞職した人物が自殺をした。更に1月半ばの現時点でも副知事のなり手がいなく、県政は依然として混迷の極みであると言っていい。

 思えば、兵庫県の初代知事は官制下だったとはいえ、初代首相の伊藤博文だったことや、戦前最後の沖縄県知事として〝覚悟の采配〟を振るった島田叡氏は、戦時でなければ最後の兵庫県知事になった公算が強い。80年後の今日、兵庫県の知事が「民主主義の存亡」をめぐって注目され、県議会の有り様が問われ続けていることに、日本の課題を「先取り」する〝兵庫県の宿命〟を私が感じるというのは大袈裟であろうか。偶々、震災30周年の前日の16日に、同知事は公明党兵庫県本部の新春年賀会に来賓として出席した。天皇皇后の来神と重なってほんの僅かないとましか会場に留まらなかったのは残念だった。彼は一般参加者の複雑な思いとは別に、殆ど儀礼的な挨拶のみで会場を後にしたものである。翌17日は「大震災30年を追悼する式典」が兵庫県公館で行われ、私も参列した。遡ること4回にわたって5年ごとの追悼式典開催の実行委員長だった井戸敏三前知事と隣り合わせの席だったことは感慨深いことだった。この30年の県政、国政を顧みるいい機会となったのである。

●「大災害の連鎖」と「ヤングケアラーの悲劇」を描く2冊の本

  実は、昨年末から今年にかけて、ある小説家の2冊の新刊本の広告が全国紙5紙に5段広告で一斉に出た。17日には地方紙の神戸新聞にも登場した。この広告は単なる本の宣伝ではない。戦後日本における自然災害の連鎖と、子どもたちの不幸な現状の積み重ねが、やがて近未来にとてつもない災いをもたらすとの警告である。著者の強い意志に共鳴した一人の愛読者が著者の警告を無駄にさせたくないとの思いを募らせて、多額の資金を提供して広告宣伝に及んだ。いわゆる「意見広告」でもあるのだ。その2冊とは、高嶋哲夫氏の『家族』と『チェーン・ディザスターズ』である。

 チェーン・ディザスターズとは読んで字の如く、「災害の連鎖」を意味する。この本ではいきなり冒頭に、東海地震と東南海地震が連動して起こる。南海トラフ地震の幕開けである。そこから、首都直下型地震が続き、その上、超大型台風の襲来で首都圏が豪雨に見舞われ、各地で洪水や土砂崩れが多発する。さらに追い討ちをかけるように富士山が噴火。猛烈な噴煙が偏西風に乗って、百キロ先の首都圏を襲う。結局は「首都移転」やむなきの事態に至る一連の流れ中で、初の女性首相が懸命に対応するというのが、筋立てである。

実はこの小説の中身は、著者がこれまで世に問うてきたものばかり。いやそれだけではない。それに端を発した政治・社会的課題なども併せて描いてきた。『M8』『津波』『東京大洪水』『富士山噴火』『首都崩壊』『首都移転』などといった一連の小説群がそれである。いわば、総集編の態をなしているのだ。

高嶋氏の「災害発生予見能力」がいかに卓越しているかを実証したのは、コロナ禍が現実のものになるほぼ10年前に出版された『首都感染』であった。コロナ禍発生で騒がれていた当時、テレビでカフカの『ペスト』や小松左京の『日本沈没』と並んで、彼のこの本が取り上げられていた。これを知って、私は慌てて読むに至った。あの時の衝撃は忘れ難い。このテーマに関連するものだけでも、『バクテリアハザード』『パルウイルス』などがあるが、ほかのジャンルとしては、この人の専門である原子力関連で『原発クライシス』『メルトダウン』『福島第二原発の奇跡』『世界に嗤われる日本の原発戦略』など数多い。このように彼の作品にこだわるのは、見事なまでの分析とその視点の先にある「未来予測のリアルさ」に深い感銘を覚えるからである。これを小説家の戯言と捉えてしまってはならず、日本の今を担う識者たちの関心が強く求められよう。

●政治と教育の貧困さゆえの悲観的展望

 一方、『家族』は、ヤングケアラーについてのミステリー仕立ての小説である。既に国会の場でも私の後輩の伊藤孝江参議院議員らが質疑のテーマとしてしばしば取り上げている。近年日本の家庭における「貧困」や「障がい」「病苦」から、子供たちによる「介護」の必要性までがクローズアップされているように、「家族の崩壊」をそこかしこに生み出すに至っている。若者の未来を破壊するという意味で、「老々介護」より深刻な問題を孕んでいるといえよう。

 前述した新聞広告では、「2冊の本が一つになる時、日本の未来が見えてくる」とのキャッチコピーが続く。この2冊は、地震など自然災害が国土を崩壊させ、ヤングケアラーの増加が家族関係を破壊するとの近未来の日本の悲劇の予測を併せ描いているものといえよう。ここで「2冊の本」に触れるにあたり、私が連想するのは作家・筒井康隆氏のことである。筒井氏も高嶋氏も、偶然の一致だが、同じ神戸市垂水区に住む。筒井氏は今話題の映画『敵』の原作者として改めて脚光を浴びている。この映画(原作の小説も)は、人間の晩年の敵としての「老い」を、筒井らしいタッチで描いているものだが、両作家の本を併せ読むと、現代日本における「国家と個人」「国家と家族」といったテーマがより一層分かるに違いない。政治家にこそ読んで欲しい。

 石破茂首相は就任いらい、少数与党政権の悲哀を引き摺り、25年度予算の審議を経て、夏の参議院選(都議選も)まで持つのかどうかが問われている。そんな中で、首相が掲げた政策構想でなんとか陽の目を見そうなのが、「防災庁」であるが、果たしてその仕組みが迫り来るであろう「大災害の連鎖」に効力を発揮するかどうかは未知数だといえる。また、幼稚園、小学校から大学、大学院まで日本の明日を担う子ども、若者たちの学力、知力を担当する文科省は国民の信頼に耐えうるものなのかどうか。とりわけ、小中学校教育の現場では、いじめの氾濫、子どもたちの登校拒否。引きこもりなどの課題がひしめいており、高校大学教育における知的水準の劣化が俎上に登りがちである。この現状をどうするか。給食費や授業料などお金の給付のみに関心が向かっているかに見える政党、政治家の現状は淋しい限りである。行政対応の遅延はいささかも許されない。

 通常国会ではまたぞろ「政治とカネ」といった政治家の質が問われる初歩的課題で与野党が右往左往することが懸念される。そういった基本的課題に翻弄されるのではなく、国家の根底を形成する課題をめぐって、政治家たちの大論争が展開されることを心底望みたい。(2025-1-18  大幅修正、追加)

 

 

 

 

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【198】架空鼎談 立党精神「大衆のために」を今改めて考える(下)/1-10

前回は、自公政権下にあって、公明党の「立党精神」としての「大衆のために」の真意が自民党との間で共有されないと、所詮は選挙で有権者の理解を得ることは難しいというところで終わりました。以下続けます。

●「大衆観」の変容にどう対応するか

娘)なるほどね〜。でも私なんか「大衆」と聞いてもピンとこないな。むしろ「若者と共に」って、言ってほしいな。「イデオロギー」って、持ち出すの、もう古くない?

父)おっと、そう来るか。「昭和も遠くなりにけり」って、言いたいんだな(笑)。「大衆と共に」って、「エリート」や「富裕層」を意識した政治じゃあなくて、普通の市民に視点をおく政策が大事だってことだよ。

娘)勿論、それって分かるけど、少し、ワンパターン過ぎるって気がするなあ。AI時代にふさわしい、新しさ、ダイナミックさがないと、浮動票層がついてこないって思う。何か工夫が必要じゃあないかなあ。

爺)「立党精神」は不変だけど、理解を広げ、深めるために、訴える際に補助線めいたものはあってもいいかもしれないね。かつての「大衆」には、イメージとして貧しさや病弱さがつきまとってたって思うけど、今では、子供たちの世界のいじめ、引きこもり、不登校からヤングケアラーまで多様な問題が生じてきてるから。

父)「大衆」に包み込まれる層が多様化して見えるってことかもね。それにしても、親父さんも柔軟になったなあ。「老いては孫に従え」って、寸法なんだな。俺たちとしては、「老いては親父に見倣え」ってわけだ。

娘)お父さん!また茶化さないで!(笑)。去年の都知事選での〝石丸旋風〟や、兵庫県知事選の〝斎藤現象〟なんかを追って見てると、只事じゃないって気がする。みんなSNS時代についていかないと、取り残されるよ。

父)うーん。確かにね。玉石混交の情報の中から、真っ当なものを見極めるって結構大変だ。特に政治の世界は、既成の支配層をひっくり返す発想で、虎視眈々と「現状変更」から「破壊」を狙ってる連中がいるから。

爺)ん、だからこそ、我々公明党支持者の出番だよ。さっきいった「補強」の観点からすると、「中道主義」をど真ん中に据えるって、重要なポイントだと思うな。政治家ばかりに任せずに、有権者みんなが立つ時だよ。

娘)それも定番じゃないの?だいたい、「中道」って、2つ合わせて半分に割る「中間」のイメージが強いし、メディアや世間の風潮は、保守とリベラルのどっちでもない中間を「中道」の名の下に一緒にまとめたがる。

父)ところで、それでもいいとする捉え方が我々の中にもあるかもしれないね。いわゆる「中道」は中間派的で、公明党本来のスタンスは「仏法中道主義」に基づくものなんだけど、いちいち説明するのも面倒だから。

爺)そのあたりは重要だけど、それにこだわりすぎると、一般的には〝思想過剰〟と見られるから、もっとサラッと行くべきかもしれん。ここは思案のしどころだ。なんて言い続けて21世紀も早くも四分の一が経った(笑)。

●「中道主義」の存在感をもっと

娘)私からすると、先輩世代は「大衆」「中道」のスタンスにこだわってるくせに。世の中に対するアピールが足りないよ。もっとバンバン言いまくり、書きまくる人が出て、存在感を見せてくれないと、ね。

父)その点でいうと、太田昭宏元代表が「中道」について、「解を求め続ける知恵のダイナミズム」だって、あの人らしい定義の仕方を理論誌『公明』でしてたなあ。雰囲気的には良くわかるし、何たってカッコいい。

爺)カッコ良過ぎてもう一つ意味がわからん(笑)。でも、「現場には空気があり、匂いがあり、順位が分かる」とか、「『権力の魔性』とポピュリズムに抗する」なんて、実にうまい言い方をするなあ(笑)。

父)そうした「太田節」を受けて、思想家の先崎彰容さんが「土の匂い」という表現に共鳴した上で、「公的なものへの参加」を強調し、「繊細さを忘れぬ」ことが「中道政治」だって、難しい言い方をしてたねぇ。

娘)あんまり私たちの世代にはピタッとこないけど。でも、そんな言い回しが飛び交ってること自体には興味が湧いてくるわ。公明党について、もっとみんなが話題にして欲しい。旧態依然とした宗教的な観点からの批判だけではなくって。SNSの世界では、次元の低い一方的な攻撃が多くてうんざりしてしまう。

父)僕の友人が、沖縄の辺野古への基地移転問題で最終的にカギを握る公明党の国交大臣が、反対者の要請に笑顔で応対する場面がテレビのニュースに出てくると、どうも違和感を感じるって言うんだ。もっと苦渋に満ちた顔をして欲しいと。また、核問題で創価学会と公明党の態度が相反するように見えるのはおかしいとかね。

爺)表情への注文か。細かいな(笑)。でも分かる気はするよ。自民党の政策で「政治とカネ」と並んで公明党との違いを感じるのは、外交、防衛分野だし、核問題など「平和」について、だろうね。「福祉」などは一致する部分は多いから。公明党も自民と歩調を合わせ過ぎずに、独自色を発揮することがもっとあっていいよな。

娘)私なんか生まれた時から公明党は与党で、自民党といつも一緒。だけど、よってたつ基盤を異にする別の政党なんだから、日頃からあれこれ議論して、合意形成へ努力してるのかというと、あんまりしてないみたい。

父)公明党の国会議員も自民党の議員と政策だけでなく、党の綱領や理念についても意見交換をするのが相互理解のためには重要だと思うけど、難しいかな。ないものねだりするみたいだけど、そう思うね、近頃とくに。

爺)結局答えらしきものは出てこなかったけど、考え続けることが大事だということをお互い確認し合って、今年の出発にしよう。ワシも今年80歳になる。〝見えない壁〟突破に向かって、頑張るぞ!(2025-1-10)

 

 

 

 

 

 

 

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【197】架空鼎談 立党精神「大衆のために」を今改めて考える(上)/1-4

新しい年2025年が明けました。現在ただいまの内外の政治経済・社会の情勢はどうでしょうか?一言でいえば、お先真っ暗。残念ながら「暗澹たる状態」というほかありません。3年も前からウクライナ戦争やガザでの紛争が続く一方で、民主主義国家群は、「分断」に苦しむばかり。日本は政権与党の弱体化で、政治の混沌化が懸念されています。この状況を打破するために、政治に問われているのは何か。公明党はどうするのか。この辺りについて、これから鼎談方式で考えていきたいと思います。まずは、公明党の立党精神である「大衆と共に」を取り上げて見ます。

●連立政権における立党精神の活かし方

 娘)新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくね。去年の衆院選は全国的には残念な結果だったけど、今年は参院選、都議選を始めとして、各地で大事な地方選挙があるね。兵庫でも尼崎市議選があるし。

父)そうだね。どれも負けられないね。参院選で与党勢力が議席を大幅に減らすと、もうお手上げになって、石破政権は破綻してしまうかもしれない。期待された石破カラーが発揮されないままというのは残念だね。

爺)そこまで保たずに、通常国会で行き詰まるとの見方もあるよね。でも、そんな悲観論に負けてる場合じゃないぞ。与野党の狭間にあって、公明党が「合意形成」に今こそ汗をかくチャンスだっていいたいよ。

娘)お爺さんは、与野党伯仲政治の方が自民党の多数独裁風政治よりもいいって、前々から口癖だったからね。ところで、党の理論誌『公明』の新年号の「次の勝利へ立党精神の深化を」って、もう読んだ?

父)とっくに読んだよ。今回の衆院選でなぜ公明党が負けたのかを、分析してた。この60年の社会の変化に対応する手立てを示すことが出来なかったからだと、結構厳しく、微妙な言い回しをしながら指摘してたね。

爺)そうだけど、結論がいささか定番だったなあ。「立党精神を立脚点に、今こそ公明党の真価が問われているとの自覚で、強靭な党構築に向けて知恵を絞ろう」って言うんだろう?当たり前のことを言ってるに過ぎん。

父)しかも途中で、「その答えを出すのは容易ではないが」って挟んでたのはずっこけた(笑)。

娘)そんなぁ!せっかく、優秀な編集部員の人が知恵を絞って懸命に書いているのに〜。でも改めて考えると、「大衆と共に」という「立党精神」を深化させるって、どう言うことなのかなあ?意外に分からんよね。

父)うん。60年前に公明党が立党された時には、与党の自由民主党と、野党第一党の日本社会党や日本共産党などがイデオロギー競争の政治に囚われて、大衆を忘れているから、そこを糺せってことだったよね。

爺)で、そこから約30年間にソ連が崩壊してしまった。いわゆる体制間競争で、資本主義の側が勝ったわけだ。国内的にも社会党が壊滅に至った。だけど自民一党では政権運営がおぼつかず、公明党が与党入りした。

父)そうした変遷を経て、今まで25年ほど自公政権が続いてきたんだけれど、そもそも政権与党を組んでる相手の自民党って、「大衆と共に」の精神が分かっているのかなあ?そこに立ち入らないと、始まらん気がする。

娘)確かに、公明党だけがそこを強調していても、相棒の自民党が大衆と遊離してたんじゃあうまくいくわけないわよね。去年の「政治とカネ」騒ぎを見てつくづくそう思った。自公両党が負けたのは、当たり前だって。

爺)ワシは、公明党の歴史は30年単位で二分して見る必要あり、と言ってきた。野党時代の30年は「大衆と共に」を強調するだけで良かったけど、後半の与党時代は、自民党に「大衆と共に」の精神を真底から分かって貰う必要があるよね。そこが足りてないと、結局は去年の選挙結果のようになってしまう。(続く 2025-1-4)

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【196】久しぶりの政治家のパーティーで感じたこと/12-24

 先日、公明党の参議院議員である高橋光男さんの講演会に友人と共に参加した。姫路駅前の日航ホテルに数百人の人々が来られて、盛会だった。国会議員を辞めて12年が経つ私にとって、様々な意味で「考える材料」があった。この日の会合は、会費1万円でバイキング風の飲食を伴う形式で行われた。コロナ禍、「政治とカネ」問題で、公私共にしばらく遠ざかっていた政治家のパーティーだけに、意義深いものを感じた。

●後輩政治家を叱咤激励

 まず来賓の挨拶で感じたことから。自民党所属の元大臣の挨拶については、彼なりの衆院選の総括が聞けるものと期待したが、全く触れられなかった。加えて公明党から支援を頂いたおかげだと言うような謙虚さも感じられなかった。発言の中で、立憲民主党や維新は「大嫌いだ」との表現を用いていたのは、いただけなかった。政治家としての見識や節度を感じさせる微妙な言い回しが欲しかったのだが、配慮が感じられなかった。この辺り、彼の降壇後に直接指摘しておいた。他党批判はもっと気をつけて発言した方がいいよ、と。

 いいところをいっぱい持った優秀な後輩政治家だけに、現役時代からガンガン物申してきた間柄だ。彼の長所は人の話を聴く耳を持っているところだろう。翌日早速電話がかかってきた。私の方からも失礼な物言いになってしまったと詫びた上で、「彼は昔の彼ならず」(この場合の彼とは私のことを指す)だからね、と述べた。君は昔のままだねと皮肉を込めたわけではないけれど、もっと、自民党批判を聞きたかった旨のコメントを添えた。私はあれこれと持論を述べて、「分かってくれる?」と訊くと、「少しだけは」との反応だった。

 もう1人の来賓は、姫路南部地域の介護福祉にまつわる企業のトップを長年務めておられ、私の現役時代からずっと公明党支援をしてくださっている方だった。高橋光男議員のこれまでの6年間がいかに大衆に寄り添ったものであるかについて具体的な実例を挙げて褒めて頂いた。その上、開会前に控室で昔話をしたこともあって、きちっと私のことにも触れて頂いたことには恐縮した。こういう支援者のお陰で公明党はあるのだと思い知ったしだいである。

 飛び入りで挨拶に立った歌手の山本リンダさん(上の写真右)は、過ぎ去りし歳月を感じさせぬ若々しさで、持ち前の熱っぽい支援の弁を語りまくられたのには「困っちゃう」ほどだった。かつて、私の応援に大手前公園に駆けつけて来てくれた彼女を前に、私はあいにくの雨模様に一瞬たじろぐ風を見せてしまった。その時彼女は「候補者は雨なんか気にしないでみんなの中に飛び込むのよ」と背中をビシッと叩かれたことを思い出した。

 応援に隣県岡山から駆けつけてくれた谷合正明参議院公明党会長(右写真左)は、いわゆる政治家とは思わせぬ、まことに若々しくさわやかで軽やかな話ぶりだった。参議院のトップというと、私のような古くからの公明党を知っている者にとっては、黒柳明、二宮文造といったいにしえの大先輩を思い出す。彼我の差に茫然とすることは禁じ得なかったが、新時代の公明党を感じさせるに十分な振る舞いだった。宴たけなわの合間に、スマホで私とのツーショットを撮ってくれ、翌日のFBに上げていたようだ。これまた昔とは様変わりの風景といえよう。

●後生畏るべしを実感

 高橋光男議員は、6年前のデビューの時から一段と磨きがかかってまことに逞しい存在を感じさせた。できたばかりの斉藤代表との連名ポスターを使って政治家としての自分の目標を折り込む話をしたり、自分の話をずらして開宴中にしたことの意義を語るなど〝藝の細やかさ〟を感じさせた。実は私が驚いたのは彼のリーフレットに「中央大学法学部卒」との肩書きがあったことだ。彼は大阪外語大中退(外務省入省のため)だったはずなのに、と訝しく思った。恐らくこの1期6年の間に、通信教育課程に挑戦して取得した学歴に違いない。驚いたのはそのことに全く触れずに演説を終えたことだった。「後生畏るべし」をあらためて実感したしだいである。

 この日の会には、私の友人である〝電器商と小説家との二足の草鞋〟を履く、諸井学さんを連れて行った。彼は明年春には『リスボンから』という新刊小説を出すという。リスボンとはポルトガルの首都。ポルトガル語を外交官として操った高橋さんには是非会わせて、紹介したいと思ったからだ。案の定2人の出会いは実り多いものだった。この会には私がお世話になった数多の友人、知人が来られていて、まことに有意義だった。おまけに、帰途に着いた時に、姫路在住でウクライナの専門家である岡部芳彦神戸学院大教授が飛び込んでこられた。これ幸いと、諸井さん共々近くの馴染みのお店に二次会に誘った(写真=右奥が岡部氏。左手前が諸井氏)。

 加えてその場に、大学後輩の市役所の若い職員(写真手前右)も呼び出した。テレビでの解説に引っ張りだこの、今をときめく岡部さん。そして、日本古典文学(とりわけ和歌文学)とポストモダン文学の二刀流で売り出し中の地元作家の諸井さん。ふたりの話を私だけが独占せずに、若い人に聞かせたいという私の〝深い先輩心〟に、彼がいたく感激してくれたのはいうまでもない。(2024-12-24)

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【195】「いじめ」をなくすために━━私教育の立場からの提案を聞く/12-18

 先週末は、土曜日の公明党の県本部大会に次いで日曜日には、「いじめ」をめぐる私教育関係者の講演会が神戸であり、友人を誘って参加してきました。二部構成のこの会はとても面白い内容で、大いに考えさせられました。

「いじめ」をめぐる重要な対応提案を聞く

 幾たびか小欄でも紹介してきました作家の高嶋哲夫さんは、いま学校教育の現場での「いじめ」や「ひきこもり」による不登校の激増について、強い関心を持って世間に対応を迫る一大運動を起こす構えでいます。私に対しても協力要請があります。先日は2人だけのミーティングをやり意見交換をしました。その際にこの日の会合で彼が講演をするとことを聞いたのです。

 主催はAJC(全国学習塾共同組合)で、一部が『夢の話をしよう。でも夢じゃない』〜私教育を一つの力に〜とのテーマで高嶋さんが担当しました。二部は、『「いじめ」のメカニズムについて』で、学校法人神戸セミナーの喜多徹人校長が講師でした。集まった人たちは、県下各地で私塾の経営者や、予備校の関係者の皆さん30人ほどでした。

 高嶋さんの講演は、日本の教育現場がいま、子供たちが抱える、いじめ、不登校(ひきこもり)、虐待、ヤングケアラーなどの問題によって、極めて深刻な状況にあることを指摘するところから始まりました。その一方で、いわゆる「詰め込み・暗記重視型」の受験教育の結果は悲惨なもので、創造性豊かな個性溢れる人材群を輩出する米国の大学教育の成果とは比べるべくもない差を生み出すに至っていることを強調。その原因は、公教育を司る文科省の旧態依然とした杜撰な方針や展開にあるとしました。このため、今求められているのは、この現実を認識した上で、私教育に取り組む者たちが団結して、国民、政府を動かしていく大きな運動を起こすべきだとの持論を披歴されたのです。

 具体的には、「いじめをなくす」との共通の目的に向けて、「いじめを考える日」を設定した上で、適切な映画を作って、全国の学校でみんなが一斉に見ることなどを提起されたのです。そこには、高嶋さんの著作『ダーティー・ユー』(2001年)の映画化が考えられており、この映画を観ることをきっかけとして、子供も大人もみんなで、「いじめ」について考えようというわけです。ここから始めて、日本の教育の歪んだ側面を糺しつつ、創造性を取り戻す変革に向けての大きな運動を起こそうという壮大な計画の一端が述べられました。

 さて、どうするか。高嶋さんの提案を聞いて私は今思案投げ首の最中というのが偽らざるところです。

「いじめ」のメカニズムについて

 一方、二部の喜多さんの講演は、「『いじめる側』『いじめられる側』『保護者』への関わり方」とのサブタイトルが示すように、彼の経営する学校法人の現場の実践に基づいた極めてリアルな内容でした。

 まず、まじめで忠実な生徒ほどとても忙しい状況に直面していることを具体例を挙げながら語っていきました。繊細な感性を持つ、周囲に気を遣う子供ほど「いじめられる」ケースが多いというのです。喜多さんは、人には、それぞれ「個性」があり、「得意」「不得意」があるのは当たり前だとして、「所属組織の文化に合わない」「文化的に少数派」だと見られると、「問題化」することになるケースが多いと述べました。その中で、HSP(ハイリーセンシティブパーソン=感受性の異常に高い人)と発達障碍の差異を述べたのですが、なかなか興味深いものでした。

 また、「意図されないいじめ」から「意図されたいじめ」や「犯罪」としての「いじめ」に至る、「いじめ」のメカニズムについての話には引き込まれるに十分なものでした。現実的には、「意図されないいじめ」が多く、一人ひとりの生徒の感じ方でいじめが生まれるとのメカニズムの解明は納得がいくものでした。こうした分析を通じて、最終的な対応の基本は、①「事実はどうか」や、「正しいか、正しくないか」から入ると、対立が生まれる②「当事者間の話し合い」は避けるべき。「巻き込まれない」ことが大切③保護者への対応は、「関係性の構築」と、「目標の共有」を目指すこと━━だとしました。私教育の現場では、「仲裁は一切しない。巻き込まれてはいけない」という原理原則は極めて印象的でした。

 この話の合間に、喜多さんは斎藤元彦兵庫県知事の事例に触れ、論理的思考は極めて得意だが、情緒的思考は理解できないタイプであるとの趣旨を示されました。かねて、知事の性癖に病的なものを感じてきた私としては大いに納得したしだいです。(2024-12-18)

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【194】就任後初の兵庫入りした斉藤新代表とのやりとり/12-14

 師走12月もあっという間に中旬となってしまいました。このところ、来春に出版予定の『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』の出稿作業に忙殺されてしまい、『後の祭り回想記』が滞ってしまいました。今日やっと書こうという気力が漲ってきました。テーマは、「60周年を迎え終わった兵庫県公明党の今」です。といっても、抽象的になってしまうので、14日に開催された県本部大会の内容から、最新の「公明党の空気」を追いつつ所感を述べてみたいと思います。

 年4回ミニ新聞を作成し地域全戸に配布した市議の活動報告

 兵庫県公明党は実は日本一の党勢を誇っていると言っても過言ではありません。何しろ、全県下各市町で空白区がゼロなんです。つまり、あらゆる議会に必ず1人は公明党所属の議員がいるということです。これって凄いことだと思います。しかも、国会議員が衆参合わせて2人づつで合計4人もいます。今回の衆院選で残念なことに大阪が4人の小選挙区で全敗したため、参議院議員の2人だけになってしまいましたから、兵庫が人数でトップになりました。このあたりのことについて、新代表として就任後初めて兵庫にやってきた斎藤鉄夫氏が挨拶の中で、紹介してくれて改めてその値打ちを確認したしだいです。

 今回の大会で圧巻だったのは、高砂市議会の春増勝利議員の活動報告でした。彼は小学校の校長を定年で終えた後に初出馬した人です。当選直後の2年半前に前任者の砂川辰義さんに紹介されて会いましたが、その清々しいお人柄に魅入られたものでした。この日参加した議員や代議員(県下各支部から選抜された党員代表たち)も異口同音に「凄い」「大したもんだ」「みんなが見倣えばいい」と語っていました。

 中でも年に4回開かれる議会に全て質問に立ち、毎回40分の質問を重ねてきたことには驚きました。しかもその都度、「はるます通信」というミニ新聞を作成して、担当エリアの約1000世帯の家庭に自ら一軒づつ配布してきたと言います。なかなかできないことです。それをやり続けたと言うのですから、地域住民との絆は相当に深まったに違いありません。私は終了後、彼に原稿を貸して貰い、その場で写し撮った上で、続けることの大事さを強調して激励しました。その際に「砂川先輩にいつも厳しくも温かく励まされたおかげです。これからも頑張ります」と言っていました。結党60周年を飾る嬉しい活動報告でした。

斎藤代表の選挙総括に感想と提案

 赤羽県代表(党副代表、元国交相)の挨拶で印象的だったのは、公明党の中で小選挙区で8回当選し続けてきた(落選は一回)のは自分だけだと述べたことでした。確かにこれは凄い。その背景には、地域党員支持者の皆さんの涙ぐましい支援活動の展開やら自公選挙協力の積み重ねなどがあるのですが、並大抵のことではないとつくづく感じ入りました。彼が大学生の時から私はよく知って(13年後輩)いますが、そのタフガイぶり、挑戦の姿勢には感心し続けています。更に、大臣を経験し、一段と質問力や答弁力に磨きがかかってきました。

 斎藤代表の挨拶では、今回の選挙の総括を全国の県代表から吸い上げた結果として、共通する3点を挙げていたことが注目されました。一つは、選挙戦開始と同時に自民党非公認の候補者を公明党が推薦したこと。二つは、公明党が全世代社会保障に力を入れていることが、結果的に若い世代に力を入れていないと誤って捉えられたこと。三つは、公明党もSNSに力を入れてきたが、今一歩有効な手段となっていなかったこと。いずれもその通りです。ただ、自民党への批判が全く聞けなかったことに物足りなさが残りました。

 終了後、私は同代表に、メールで、「斉藤さんの明るさがいいですね」と率直に褒める一方、ぜひ今後は自民党との間で、この国をどうするかを巡って国家ビジョンを戦わせる場を設けるべきだと持論を強調しておきました。その際に、池田思想の何たるかを自民党に訴えることの重要性をも付け加えました。でなければ、世間から、自公政権が結局は「選挙互助会的協力に過ぎない」と見られるだけだ、とも。

 実は、この日会場に到着した斉藤さんを玄関で待ち受けていた私は、慰労と励ましの言葉を投げかける一方、「安保研リポート」55号を手渡し、「兵庫県知事選についての私の見解を書いてるので読んでね」と手渡しました。これに対し、彼は「いつも赤松さんの書かれるものを見てますよ」と言ったのです。果たしてどこまでかは疑問なしとしませんが、まずは、ほっとしたものです。それもあって、心からの〝追いかけメール〟を送った次第です。(2024-12-14)

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【193】大光会前後に、大使経験者、厚労省幹部、姫路出身の経済人らと懇談/11-28

 翌日24日は、東京に2日ぶりに舞い戻った。鴻巣駅から乗車したのだが、この場所が「こうのとり有縁の地」であることに、兵庫県人として大いに感じ入った。ただし、宿泊先のホテルのフロントの2人の女性も、お世話になった我が友人夫妻も、「豊岡のこうのとり」については全く知らず、ちょっぴり残念だった。午後は、前ポーランド大使の宮島昭夫さんと会った。現役時からお付き合い頂いた懐かしい人だ。なお、少し前にポーランドを訪れていた参議院公明党の谷合正明会長にも同席してもらった。宮島さんからは、ウクライナからの避難民受け入れに奮闘した彼の国の実態をつぶさに聞くことが出来た。明年春に開戦3年目を迎えるウクライナ戦争について、同氏から避難民受け入れ、定住支援について、継続して支援をしてほしい旨の要望があり、谷合氏からは必ず対応するとの回答がなされた。私はその際にウクライナ問題に詳しい岡部芳彦神戸学院大教授との連携を強調し、直ちに電話をして関係を強化できた。宮島さんは、7年ぶりに帰国した感想として「活気漲るポーランドに比べて、日本はあまり元気がない」と話されたのが印象的だった。私は「77年の興亡」に起因する持論に触れて、日本の立ち位置を説明した◆夕刻には、人形町のホテルで、元英国大使の林景一さんと、サミュエル・ベケット研究の第一人者である岡室美奈子早稲田大教授の3人でひさしぶりに会った。この3人は私がアイルランド訪問をした2005年以来のご縁で、時に応じて集まり懇談する仲間だ。この日は先年亡くなられた林夫人を悼む目的もあり、遺影を囲んでの集いにもなった。話題は、林さんが退官後に最高裁判事を経験されたため、その期間の思い出を聞くことから始まった。最も彼が関心を寄せたのは「袴田事件」だと言われたことから、種々議論が展開された。テレビドラマ研究でも著名な岡室さんは、女性初の弁護士、裁判官としても活躍した三淵嘉子さんをモデルにしたNHKの朝ドラ『虎に翼』について、とてもよくできた見応えのある中身だったと述べられた。また、脚本を書いたのが教え子ということから、部分的にはこなれていないくだりを指摘されたことなど、面白いドラマ論議になった。また、女性の社会進出について未だ未だ日本が遅れていることについての問題指摘が興味深かった。私からは、姫路での小説家の諸井学氏の出版祝いの模様について触れた上で、岡室さんにぜひベケットにまつわる単著を書いて欲しいと頼んだ。何とか書きたいと考えているところだとの返答があったことは、嬉しい限りだ◆25日は、お昼に創価学会SGI副理事長の寺崎広嗣さんと会った。彼は中野区在住でかねて私とは昵懇の間柄。「核廃絶の問題」で世界を駆け巡っての活躍ぶりはまさに目を見張るばかり。この日も話題は世界の核問題から国内政治の現況まで、大きく深く広がった。私からは、先の衆院選の最中に日本記者クラブでの各党党首の合同会見で、来年3月の核兵器禁止条約会合に、日本のオブザーバー参加について、今一歩積極的発言をしなかった公明党代表についてこだわった。あの場面は、石破首相の方に身を向けて「総理ぜひ参加しましょうよ」と述べる一大チャンスを逃したのは惜しい、と。その後、中野桃園町から西新宿へと、昔からの中野区の仲間2組と、明年の都議選に向けての対応などを種々話し合った。夜は、溜池山王の料理屋で私が厚労副大臣時代の宮崎淳文秘書官が総括審議官に就任したことに

姫路出身の経済人たちと(11-26)

伴うお祝いの会を、かつての仲間たちと一緒に持った。それぞれ成長を如実に物語る話に聞き入りながら、歳月の持つ意味を強く感じた◆翌26日は、今回の上京の目的である公明党大光会の全国県代表世話人会が正午から開かれ、出席した。冒頭、斎藤鉄夫新代表から、これからの党再建に向けての決意が述べられた。彼とは「核」や「原発」問題で激論を交わした仲だけに、党内議論を積極的に起こし、この党を大きく変える役割に貢献してもらいたいと切に望みたい。夕方5時からは、西麻布の霞会館で、在京姫路出身者有志による「姫人会」に出席した。この会は有難いことに私の上京時に合わせて7-8人が集まってくださる。この日は私が衆院選の時に知り合った電力総連政治部の俊英と、私のいとこの長男である農水省の役人という40歳台の若い2人と、総合商社丸紅出身の70歳台の熟練の先輩が初参加してくれた。話題は、未熟児出産問題の権威である福岡秀興医学博士の現状報告に始まり、私の兵庫県知事選挙の経緯説明に至るまで、広範囲に広がった。このように、4泊5日の闘いを終えて新幹線のぞみに乗って、西明石に着いたのは深夜11時40分。79歳の誕生日はこうして暮れた。(2024-11-28)

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【192】晩秋の南紀から宇都宮、行田へ、友との熱き語らい/11-25

壮絶な戦いだった衆院選と兵庫県議選を終えて、久方ぶりに束の間のお休みを得ることが出来た。11月1ヶ月のうちに、あれこれと動き、多くのひとと旧交を温める一方、初めての地での新たな出会いをも経験出来た。ここで時系列を追って、かいつまんで報告したい。

 まず、11月9日から一泊2日で南紀・白浜温泉に行ってきた。毎年恒例の関西連合三田会による各県持ち回りの企画である。関西各県から200人近い人が集ったが、姫路慶應倶楽部からも仲間10人ほどが参加した。伊藤公平塾長はドイツでの大学学長会議のため欠席されたが、現役生たちの学問、スポーツ両面での活躍をビデオで印象深く伝えてくれた。またいつもながら、大学への寄付の重要性が例年にも増して強調された。何とか応えねばと思ったしだい。夜は、アドベンチャーワールドのサファリテーマパークへと移動して、サイに餌を与えたり、ライオンや虎などの肉食動物の実態をつぶさに見た。夜間の動物の生態を見るのは珍しく、忘れていた自然の凄みを感じた◆11月16日は、姫路での「諸井学氏の出版を祝う会」に参加してきた。このひとは電器商を営む一方、小説を書く。しかも、日本古典文学(特に和歌文学)と、ヨーロッパ現代文学(特にポストモダン文学)に精通する。いわば〝二足の草鞋を履く二刀流の使い手〟と言ってよい。このたび上梓された『マルクスの場合』は、古代ローマ帝国時代の第16代賢帝マルクス・アウレリウス・アントニウスの名前を拝借したという「犬」にまつわる奇想天外な物語を描いたもの。姫路の著名なドクター石川誠先生の呼びかけで開催が実現した。私もかねてからの友人として世話人に名を連ね、遠くは東京、横浜、広島、徳島など親しい仲間10人に声をかけた。中でも中野時代以来の後輩・林光政君は京都・祇園の舞芸妓とお茶屋の女将を連れて参加してくれ、会場を一段と華やいだものにしてくれた。また、大学以来60年の盟友・尾上晴久君は歌舞伎の名場面を再演する十八番を披露して会場を沸かせてくれた。他にも、『首都感染』で知られる作家・高嶋哲夫さんや神戸学院大の相島淑美教授らも錦上花を添えてくれたことは忘れ難い◆11月22日は、東京三田で、昭和44年卒業の同級生13人が懐かしい慶應仲通りの中華店に集まった。卒業後55年が経ったが、この30年あまり毎年集まってきたメンバーが今年も元気に姿を見せた。私は「欠席」と事前通知していたが、選挙が前倒しとなって無事に参加出来た。「近況報告」では皆身体の不具合を訴えるケースが目立ったが、得意のギター演奏を披露してくれる者がいたり、明治維新での幕臣の隠れた立役者のひとり「小栗忠順との出会い」を語った、歴史好きの仲間もいて、大いに盛り上がった。私は求められるままに昨今の政治情勢を語った。終わって、三田祭の賑わい

慶應義塾大学図書館前で級友たちと(11-22)

さんざめく中を、慶應義塾図書館旧館2階に足を運び、「福沢諭吉と近代日本の歩み」を常設展示する「慶應義塾史展示館」を観に行った。帰りに旧知の福澤諭吉研究センターの都倉武之准教授と久しぶりに会うことが出来た。この人からは姫路で幾たびか福澤先生の人物像を語って貰ったことがある。その日は夕刻に、大隅一興君と、尾上君と3人で宇都宮に移動して、夕食を共にしながら、〝我らが60年の人生〟を語り合った。彼らは拙著『77年の興亡』を読み込んでくれており、行き詰まりを見せる目下の内外の情勢を巡って、むしろ今こそ中道主義の公明党が立ち上がるチャンスだと励ましの言を述べてくれた。「与野党伯仲の再現」は、〝合意創出の公明党の出番〟だというわけである。昭和40年慶應入学以来の公明党員としての私の動きを知ってくれている〝同期の桜〟たちの激励はたまらなく嬉しかった◆翌23日は、宇都宮市内を走るLRTに30分乗ったあと、車で「大谷資料館」に向かった。ここは地下奥底深くに掘り広げられた神秘的空間ともいえる。このような大谷石の歴史を初めて知って、まさにたまげる思いを抱いた。午後は宇都宮名物の餃子入り出し汁のうどんを食べたあと、埼玉県行田市へ。その地に住む中野時代から親しい関係が続く後輩・大塚俊彦君夫婦と再会した。彼らに、埼玉古墳群の二子山古墳やさきたま神社、水城公園周辺を案内して貰ったのち、先の衆院選・埼玉14区での選挙戦の総括と次なる戦いの展望を語り合った。その結論は、一言でいえば、「自前能動」。キャッチコピー風に言えば、「楽しく面白くなければ選挙活動じゃない」というところか。50年来の同志の心温まる歓迎を胸いっぱいに受け止めながらの語り合いは、何よりもの栄養源となった。(2024-11-25)

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【191】問われる県議会、既存メディアへの信頼━━兵庫県知事選の結果/11-18

 「いったい全体どうなっているの?兵庫県は」━━当初、毎日の新聞やテレビを観てきた人は、概ね齋藤元彦前知事が再選されるとは、思っていなかったはず。それがあれよあれよと言う間に、ぐんぐん形勢は変化していきました。ネット、ユーチューブなどSNSで、興味津々な舞台裏を日々観てきた人びとにとっては、まるで出遅れたランナーが見事に逆転する姿を見るようだったのです。実は私には、今回の知事選に至る状況の一部始終を追い、街頭演説の現場にも足繁く通った、〝妙に暇で粋な友人〟がいます。彼による連日の報告をあたかも実況中継のように聞いてきました。齋藤候補の街頭の演説には、話を聞き終えて握手やサインを求める人たちが列をなしており、涙ぐむだけでなく泣きだすひとたちもいたことを日々聞かされてきたのです。この人たちは恐らくSNSで知った「裏話し」を確認するために、現物を見に足を運んだものと思われました◆この逆転劇の背景には〝一つの伏線〟と「一つのシナリオを描いた人物」の存在があるように思われます。一つ目の伏線とは、知事不信任案が全県議会議員の賛成によって成立したことです。百条委員会の場で、まさに被告を査問するかのような辛辣なやりとりが見せつけられました。厳しい追及に対して、殆ど感情を露わに見せず淡々と答える知事の姿が極めて印象に残りました。前知事の頑ななまでの一途な姿勢をどう見るか。自分を文書で批判した県幹部の自死については、最小必要限のお詫びに留め、ひたすら県政の改革に努めたいとの意思を貫き通しました。当初は異常に思えた風景が選挙戦が進む中で、〝作られた知事批判〟へと変化していったのです。もう一つのシナリオを描いた人物とは、「NHK党」の立花隆志氏のことです。彼はユーチューブを駆使して、〝はめられた齋藤元彦〟を描き出す役割に徹しました。選挙戦に出馬して、自分が当選したいということではなく、前知事を応援するために、今回の選挙に至る背景を露わにしていったのです。キワモノと見られがちな人物の、もう一つの事実を描く手法に、県民の多くは驚き、翻弄されながらも、高揚感を持っていったといえそうです◆私が観たユーチューブでの極め付けは、『齋藤を貶めた主犯格』でした。一部県議たちの動きを実名で批難するもので、ことの真偽はともあれ、中々迫力あるものでした。こういう映像からは、新聞、テレビの既存メディアが報じるものと全く違ったストーリーが浮かび上がってきます。作った側の意図、検証の有無など考察を必要とするテーマが幾つもありますが、〝一見は百聞に如かず〟の威力は抜群なのです。しかもそれを解説する人物が複数出て、選挙戦最中に語るとなると効果は的面でしょう。加えて、前知事と対立した候補の背景をなす勢力がその「物語」に関わっているとなると、ことはおだやかではありません◆この事態の背景には、既成メディアと政治家への不信が相乗作用と効果を発揮しているように思われます。速報性で劣るだけではなく、「一点集中」というよりも〝多数混濁〟に傾きがちで、しかも〝各種しがらみ〟への忖度に縛られがちな既成メディアは、SMSに太刀打ちできないと言えそうです。また、今回の事案での県議会各政党の動きは、日頃の主義主張とはまるで裏腹に、多様性を微塵も感じさせないほどの〝一致団結ぶり〟は見事なまでの〝非民主主義的〟なものと言わざるを得ませんでした。寄ってたかって前知事を叩く風景は、あたかも学校現場でのいじめを見るようで、聴衆の「判官贔屓性」を呼び覚ますに充分だったのです。「真面目に県政改革を叫ぶ齋藤さんが可哀相」と。ここには選挙時とは違って、日常的には有権者を顧みようとしない〝特権階級の議員体質〟とでもいうべきものへの反発も含まれているように思われます。勿論ここで述べてきたような〝現実とは違う事実〟も幾らでも指摘できます。選挙戦終盤のこだまする「齋藤コール」の響きは、対立候補の無念の呻きと共に、これからかなり尾を引きそうです。(2024-11-18)

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【190】架空鼎談「僕らの夢の行方」━━「原点回帰」の意味するもの/11-11

「自公惨敗」に衆院総選挙が終わって2週間。今日からは、特別国会が始まる。安倍晋三政権が復活して以来10年余り続いた政権の安定が脆くも崩れた。「政権交代」が寸止めに留まったものの、極めて不安定な国会状況になった。常々「与野党伯仲」が望ましいと広言してきた私ゆえ、文句を言う資格はない。この事態をどう見るか。3月のこの場での爺さんと息子と孫娘の架空鼎談を再現して、考える糸口を見つけたい。

●「与野党伯仲」での緊張の効果

孫)今度の選挙の結果、お爺さんがいつも言ってた「伯仲状況」が実現したけど、国会は何もかも大騒ぎ。緊張感が漲ってはぃるけど、こんなことでいいの?

爺)公明党が小選挙区で全員勝って、比例区も改選前ぐらいに留まっていて、自公両党でギリギり過半数だったらいいと思ってたんだけど、やっぱり、そうはいかなかったね。改めて「民意」って凄いなって思うよ。

父)どう考えても、「旧統一教会」や「政治とカネ」の問題で、自民がデタラメなことをやってきてたってことが明白になったのに、その対応ぶりがいまいち釈然としなかったからね。〝天罰てきめん〟って、とこだよ。

爺)公明の立ち位置も難しかったなあ。こちらを立てればあちらが収まらず。野党の意見を自民に飲ませるかなという場面もあったけど、結局は尻つぼみ。公明って、「自民のお助けマン」との印象だけ残ってしまった。

孫)しょうがないよ、一緒に政権組んでるんだから。私が物心ついた頃からずっと与党だよ。「あちらと思えばまたこちら」っていう風に与野党間を調整に飛び回るなんて、現実的には無理よ。「自公同罪」なんだし。

★「古い体制壊し」のせめぎ合い

父)さてこれからどうするかだけど、代表が新しくなったばかりで落選してしまった。それだけでなく、小選挙区で落ちた人たちはいずれも党のこれからを担うエース級。前途は厳しいよ。どうするつもりかなぁ。

爺)そういうことも勿論あるけど、もっと根本的なことは、公明党の夢って何かであり、みんなそれを見失ってることに深刻な問題があるって思うよ。わしらの若い頃は、「55年体制打破」つまり、「自民党一党支配」を崩すことに情熱を燃やしたもんだよ。公明党の草創期は夢や物語と共にあったというのが正直なところだね。

孫)ああ、それって、忠臣蔵の赤穂浪士を公明に見立て、自民のトップを吉良上野介に据えてみたり。また、中国の三国志を日本の戦後政治に当てはめて、魏蜀呉を自公社に見立てて、勝手に夢膨らませたって話ね。

父)何度もオヤジから聞かせられたよなあ。でも、仇討ちって発想は古いし、公明が与党化した時点でジ・エンドとなった物語じゃあないの。でも、それに代わりうるなんかが欲しいよね。

爺)遂に気がついてくれたか(笑)。立憲民主の連中は、自公政権がほぼ確立した「99年体制」を打破することに執念燃やしてるって聞いたぞ。彼らも物語に生きてるはず。人間って夢に情念を掻き立てられるもんだよ。

●「失われた30年」との戦い

孫)公明は「原点回帰」って言ってるけど、それじゃあダメなの?創立者の掲げた大衆に政治を取り戻すってことに帰着するものなんでしょ?野党とか、与党とかじゃあなくて。ただ、それにプラス何か今の私たちにグッとくるお話が有ればいいわねぇ。

父)党が創立されて今年で60年だけど、前半の30年と後半の30年はまるで党が違ったように見える。前半は敵だった自民が後半は守るべき存在になってるし。後半の戦いの厳しさと複雑さに公明が手を焼いてるっていう風に見えるかもしれないね。

爺)公明が連立に加わって、自民政治を政権の内側から改革するというように方針を変え、再出発してから25年ほどが経った。実はその少し前の1995年辺りから、「失われた10年」という形容のされ方で、デフレ不況が問題視され、それが20年、30年と10年づつ積み増されてきた。この問題の絡み方がコトをややこしくしている。

父)それって、単に経済の問題だけでなく、社会全体の構造の変容に深く関わっているんだよね。そういう時代社会の没落傾向に向かって公明が立ち上がったんだけど、いつの間にか押し流されているって感じかなあ。

娘)今回の選挙でも、「れいわ新選組」なんかが「失われた30年」を取り戻せってしきりに叫んでいたけど、若者中心に共感を呼ぶところがあるわね。公明が「原点回帰」という場合、そういう時代の変化にマッチした取上げ方を加えていくと、より一層現実味を増すように思えるわ。

爺)うん、いいこと言うなあ(笑)。公明の60年の歴史のうち、前半30年はおおよそ高度経済成長期だった。一方、後半30年はほぼ低度経済混迷期だったといえるよね。その日本社会全体の苦闘の時期は、自民だけでは抗し得ない状況下でもあったんだけど、公明が必死に頑張ってきた。そこんとこの捉え方だろうね。

父)「原点回帰」と聞くと、イデオロギーでなく、大衆という生身の人間を大事にする政治に戻ることだと思うけど、今はかつてのようにイデオロギーはのさばっていない。でも大衆は相変わらず大事にされていない。

孫)うん。だから戦いを続けなくちゃいけないっていうことなんだろうね。でもそれには大衆の多様化による日本社会の変質、国際社会における内向き思考、分断の激化などという、内外環境の変化を考えないとね。ともあれ、「原点回帰」と一言で済ませられない多くの問題があるってことよね。(2024-11-11)

 

 

 

 

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