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前議員の会で熱い論争や画期的提案をした後に……

14日から二泊三日で上京しました。顧問先の仕事をこなすことが主たる目的でしたが、偶々最後の日に、恒例の「前議員の会」が行われるとの案内がありました。これは年に二回開かれており、毎回、議員会館で学者の講演を聴いた後、衆議院議長公邸で懇親会があります。私は議員を辞めてから3年が経ちますが、今回初めて参加しました▼今回の講演は、京都大学名誉教授の中西輝政氏の『危機に立つ日本の安全保障』でした。外交安全保障の分野に長く携わってきましたから、この人の著作はそれなりに読み、講演も幾度か聴き、言葉も交わしたことがあります。『大英帝国興亡史』など胸躍らせて読んだものです。講演のなかで「私は歴史学者でした。ベルリンの壁の崩壊後、激動する国際政治の渦中に巻き込まれてしまい、ようやくこの2~3年は元に戻りました」と述べられたのが印象に残りました。かつて、中西さんが産経の「正論大賞」を受賞された際のパーティの席上、「先生は最近過激すぎますね。以前とは変わられましたね。少々ついていけないとの声がありますよ」と直接話しかけたことが懐かしく思い出されました▼5~60人が参加した懇親会ではオールド・ポリティシャン同士での昔話に花が咲いていました。私も多くの人と会いましたが、元官房副長官や元外務副大臣を経験したA氏とは熱が入った対話をしました。というのは、安保法制をめぐって「公明党は二の字に二の字の下駄のあとですね」、と挑発してこられたからです。山口那津男代表が連立離脱はないと決めて交渉に臨んだことを主に指しているようです。私はそれがあったからこそ安倍首相の譲歩を可能にしたのではないかと反論する一方、「それよりも自民党内に全く論争が起こった風に見えないのはどういうことですかね」とやり返しました▼大島理森議長には、衆議院議員を辞めたら名誉衆議院議員との名称を考えるべきでは、と提案をしました。大学の名誉教授のケースを習って、と言いかけたときに、会場に新たに福田康夫元首相が入ってこられたので中断してしまったのは残念でした。様々な思いを抱きながら会場を後にしました。それから二日後の18日。森本晃司元建設相が亡くなったとの驚くべき報が飛び込んできたのです。あの日顔を出されており、言葉も交わしました。「奈良の観光案内をするからぜひお出でよ」との温かい言葉も頂き、こちらは「近く仕事で橿原に行きますよ」と報告したものでした。お元気そうに各テーブルを回って、多くの人と挨拶を誰よりも熱心にされていた姿が目に焼き付いています。亡くなられたなんて今なお全く信じられません。天を仰ぐのみ。人の命の無常さを改めて実感します。(2015・12・21)

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新聞社と大学との連携への熱い期待

新聞社と大学。この二つが一緒に地域貢献をしたいという連携協定が結ばれました。どちらも社会の木鐸、つまり先駆的に牽引する役割を担う集団ですから地域社会にとって非常に結構なことだと思います。友人からそれを記念してのシンポジウムがあるから、行かないかと誘われたので、二つ返事で承諾しました。具体的にはさる五日に神戸新聞社と関西学院大学の間で結ばれました。神戸を根城にする両者が生き残りをかけて世に問う試みと大いに共感をしました▼新聞社は今や存亡の危機にあると私は思います。世にいう「活字離れ」から、紙の文化は絶滅寸前です。新聞に代わって電子媒体が隆盛を誇っています。大学も象牙の塔に籠ってるうちに、もはや無用の長物と化しつつあります。知識や知恵を得る手立てはあまた満ち溢れており大学に頼る必要性はあまりないというのが現状なのです。そういう現状を覆すために、神戸新聞は「もっといっしょに」という地域パートナー宣言を打ち出しました。地域社会の皆さんと「もっと近く、もっと深く」付き合いたいとの願いを込めたキャッチです。よくわかります。これまで「遠く、浅かった」し、一体感とは遠かった関係を変えたいという思いです。一方、関学は理工系の産官学連携だけではなく、文系の地場産業との連携や学生の活動での地域活性化の推進をうたっています。「社会に開かれた大学とするために」、「大学における研究成果や人材等の知的資源を地域社会に提供する」というのです。そうでしょう。あまりにも大学と地域社会は迂遠な関係にあったのです▼この日のシンポジウムでは基調講演に村尾信尚関学大教授(ニュースゼロのキャスター)が登場。テロ後のパリで、これからの世界の行く末について考えたことを披露されました。少子高齢社会に突入する日本が、GDPが世界のなかでわずか4,3%しか占めていない状況で、海外ともっとつながることが大事だと強調、聴きごたえある問題提起でした。新聞社も大学もグローバル社会の中で国際化にどう対応するかが問われています。その一方で、どちらももっとローカル社会で個別の課題への対応力が問われているのです。いわば遠心力と求心力の双方が同時に求められているのが現状でしょう。村尾さんが海外ともっとつながることを強調されましたが、大学と新聞社の関係者はもっと地域社会との連携を密にすることが大事だと訴えていました。見事に基調講演とは反対の方向を向いたパネラーの主張には笑ってしまいました。恐らく時間がなくて、グローバルとローカルの両方向を見据えた話には及ばなかったのです▼事前の打ち合わせ不足も原因だったかもしれません。せっかくの機会だったのだからもっとかみ合った議論が聴きたかったというのが本音ですが、まあご愛嬌でしょう。私からいわすれば新聞社は記者ではなく幹部が一般大衆の中にもっと入ること、そして大学は学生だけではなく、教授が率先して社会の渦の中に入れば、かなり一般の受け止め方は変わると思います。そのあたりの壮絶な撃ち合いが聴きたかったのですが。まあこういう催しは一回だけではなく、引き続きおこなわれるべきでしょう。次回に期待したいと思います。(2015・12・11)

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共産と公明の熾烈な争いを予感させる世論調査結果

先月末に共同通信社が発表した世論調査結果が気になりました。政党支持率において、公明党が4.0%、共産が4.2%と、ほぼ同じに位置していることがです。このところは殆ど相手にならないと思い込んでいた同党ですが、なかなか侮れないものがあるというのが率直な印象です。現役のころから付き合いのある記者に訊いてみました。「公明党にとって来年の参議院選挙では共産党が当面最大の敵だと思うけど、このところの動きは不気味だね。どう思う?」って。彼の返事は「うーん。軽減税率をびしっとしたものに決めないと、大変かも」というのが答えでした▼先の国会での安全法制をめぐる論議を通じて、かの党はひたすら「戦争法案」というレッテル張りに邁進しています。「平和の党」ならぬ戦争推進を図る公明党との負のイメージ作りに総力を挙げているというのが実態です。加えて、このところ野党共闘に向けて、民主党に対して、安保法制廃止を実現する「国民連合政府」への参加を呼び掛けています。およそ締まらぬ野党陣営にあって、共産党が久方ぶりに旋風を巻き起こしそうな気配です▼ただ、この党は全てを自らの革命のために利用するという「微笑戦術」をとる政党だということを忘れてはなりません。よもや民主党がそこを見間違うことはないと思いますが、”貧すれば鈍する”のことわざ通り、その票欲しさに擦り寄ることもあながち否定できないのです。私の住む姫路では元外相が先日民主党を離党しました。左翼バネを利かせすぎる岡田党首にいや気がさしたと語っていますが、沈みゆく船を敏感に察知した動きとして少なからぬ注目に値します。ともあれ、参院選で定数が1や2のところでは野党共闘が大いなる威力を発揮しますし、3以上のところでは、共産党と公明党の戦いが随所で火を噴きそうです▼安保法制でも公明党が体を張って戦争推進に歯止めを掛けたし、消費税の軽減税率でも文字通り庶民のためになる仕組みつくりに懸命の知恵を振り絞っています。共産党などただ安保法制反対、消費税上げ反対を叫ぶだけで、具体的な戦いなど元よりゼロです。消費税の軽減税率導入については財源問題が大きく横たわっており予断は許しません。今の与党内の攻防に目を凝らすことが何より大切です。傍観して反対するだけの政党の戦術、戦略に騙されてはならないのです。(2015・12・5)

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早朝の倉敷での講演で二つの戦後の意味を語る

縁とは不思議なものです。先月末、倉敷市倫理法人会の早朝6時からの講演会に出ました。以前に姫路で開かれた上甲晃さん率いる会の今年の総会に出て、たまたま知り合った橋啓一さんという同倫理法人会の会長から依頼を受けて、二つ返事で承諾してしまったのです。なにしろ晩秋の早朝です。しかも岡山県で。どうしてオッケーしたか。ひとえに彼の笑顔に魅入られたからです。想像にたがわぬ素晴らしい人でした。前夜にやはり同会が主催された講演会(賢人塾代表の田端俊久さんが講師)にもお招き頂き、二時間ひたすらメモしながら聴きました。なかなか破天荒なお話で、最大の論点は近く大変事が日本に起こり、恐らく東京オリンピックは開催が難しくなるというものでした▼私の講演は、「二つの戦後から何が見えるか」という題で、いたってまっとうな持論を披露しました。二つの戦後とは、戊辰戦争とアジア太平洋戦争です。前者は日本最後の内戦ですが、江戸幕府の終焉と明治維新をもたらしました。後者はある意味で、対米100年戦争の決着で、西欧近代による日本近代の敗北とも言えます。私は日本社会が40年周期で興亡を余儀なくされてきた経緯を述べました。「富国強兵」で40年、日ロ戦争で勝利した日本はやがて80年の後に一国滅亡。そして「富国強経」(経済至上主義)で40年の栄華を誇っても、やがてその40年後、つまり2025年の少子高齢化のピーク時には今再びの危機に瀕するというものです▼それを回避するには、「富国強芸」の国家目標のもとで、芸術、文化立国を目指すしかないというのが私の主張です。加えて、欧米哲学(キリスト教をプラス)を乗り越える、日本思想のモデルチェンジをもたらす変革作業が欠かせないとも力説しました。手を変え品をかえて今私が強調していることを30分あまりで概説したのです▼この倉敷倫理法人会は全国で6万人ほどの会員を擁する一般社団法人「倫理研究所」の下部機構です。早朝から20人余りの会社経営者の皆さんが元気いっぱい集まられ、熱心に私の拙い話を聴いてくださいました。私や皆さんに共通するのは、今のままでは日本は危ういという問題意識です。生まれて初めての早朝講義の担当をしましたが、実に爽やかな気分に浸れることができました。このご縁は必ず大きく輪を広げるものと確信して会場を後にしました。(2015・12・1)

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健やかに生きられる地域作りへ大競争の始まり

ウエルネスマネジメントー少子高齢化、人口減少が進む中で注目される事業分野です。健やかに生きることができる町づくりとでも言えましょうか。厚生労働省の仕事を7年前にしていらい、わたしも関心を強めてきたのですが、このところ急速にその課題解決に向けて具体的に取り組む必要性に駆られています。先日も上京してその道の専門家たちと意見交換をしてきました。日本を代表する研究者(東京大学特任教授)並びに直接その事業に従事するコンサルタント会社の幹部たちとです。なかなか魅惑的な面白いひとときでした▼この問題を考える上で、中心に置かれるべきものは⓵医療・介護の集約⓶新たな産業の集積、整備⓷健康地域への転換ーの三つだとされています。要するに、医療、介護がワンストップで得られるような地域包括ケアシステムが確立されることが第一。次に、その地域に適応した新たな産業をそこに集めることです。そして最後に、その結果として雇用や新規の事業が創出され、若者が永住したくなるような魅力を持った町づくりをすることでしょう。この日の懇談の中で話題の一つに上がったのは、空き家、空き地対策でした。空き家を古くて邪魔なものとして建て替えてしまうのではなく、古き良きものとして再生させることの大事さが強調されました。かの人気テレビ番組の「ビフォア・アフター」の全面展開でしょうか▼いま、具体的なモデル事業を実施される候補地として考えられているのは奈良県橿原市、岩手県矢巾町です。こうした自治体は共に奈良県立医科大や岩手県立医科大など大学が存在し、そういった事業の先導役をするべく意欲を示しています。様々な企業群がこれから名乗りを上げてくることになるはずです。また、こういった事業展開のために必要不可欠な人材育成も集中的になされねばなりません。懇談のなかで、候補地の当事者の間では、はやる気持ちばかりが先行して、具体的な構想の中身が明らかになっていないことが指摘されました。集中的な議論の不足です▼聴いていて、私の地元姫路市での県立病院新設問題が思い起こされました。県立循環器センター病院と民間病院の統合を通して新たな地に基幹病院を新設しようというのですが、大事なのは医療関係者、行政、そして一般市民を巻き込んだ広範囲な地域医療に向けての議論です。どういう町づくりをするのかを合わせ論じないと、単なる場所選びではまったく意味をなしません。姫路には医科大がないという欠陥があります。そのマイナスをどう乗り越えて、立派なウエルネスタウンを作るか。他人ごとではないと強い決意を改めて持つにいたりました。思えば、住民みんなが自分の住む町の再生に向かって競争しあう時代の幕開けです。(2015・11・21)

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現代社会を覆う不審、不安、不満を誰が払しょくするか

20年来の友人であるAKR共栄会(オール小売り連合=小売業に共同で仕入れ、配送し、保険をかける画期的な仕組みを進める一般社団法人)の河田正興専務理事と現今の政治、社会、経済をめぐって話し合いました。さる13日神戸市内で開催された公明党の赤羽一嘉氏のパーティに出席する前のひとときのことです。河田氏は私と同世代。日本なかんずく関西圏の中小企業の実態を知り抜いています。大企業との格差は歴然としているだけに、政権の経済運営はなかなか難しい舵取りが迫られているとの認識を持っています。加えて日米、日中関係を始めとする外交課題は山積しています。つまり政党の力関係とは別に、日本の底流には不安定さが付き纏っており、まさに今は正念場だとする厳しい見方です。その直後に二人揃って太田あきひろ前国土交通大臣の20分ほどの演説を聴きました。いつもながらの鮮やかな演説で、聴いていて気持ちいいものでした▼民主党政権時代の不始末から公共工事は行き詰まりすべてが閉塞してしまった。ようやく今、それがアベノミクスで一気に息を吹き返した。国外からの観光客も当初の予想を上回り2000万人に迫りそうで、大いに活気が出てきているというものでした。聴くもの皆がこれからの日本の前途に大いなる希望が持てそうな勢いが感じられる演説でした。ただ、河田さんとのやりとりにあったように、我々の日常にはそこはかとない不審が漂っています。それを太田さんの演説が払しょくしてくれたかどうか。私には何か足らない、これでいいのかとの不満が残りました。彼独特のリズミカルな熱弁が触れていないことへの不安でもあったように思えました▼来年は参議院選挙の年ということで今各党とも準備に余念がありません。公明党もすでにほぼ陣容を整え、機関紙にその候補者一覧がお目見えしています。選挙区には東京、埼玉、大阪の現職3人に加えて、神奈川、愛知、兵庫、福岡に新人を立て、合計7選挙区に挑みます。顔ぶれはまことに多彩かつきらびやかな経歴の持ち主ばかりです。比例区も定数48に対して現職5人に新人1人の計6人が挑みますが、これまた実力十分の素晴らしい面々です。私はかれこれ50年公明党の選挙をサポーターや取材記者として、あるいは候補者として関係してきましたが、これほどの人材が結集したのはこれまでにないことだと、改めて関心してしまいます▼とりわけ24年ぶりに挑む兵庫選挙区では、伊藤たかえさんが出馬します。先日ご本人に会って言葉を交わしましたが、まさにほれぼれしました。堂々たる体躯は”肝っ玉姉さん”とでも呼びたくなるような女性です。私は「凄いパンチ力だなあ」と失礼さも顧みないで、思わず口走ってしまいました。要するに頼りがいのある力強くて優しい雰囲気を五体に称えた。まことに素晴らしい個性を感じさせるのです。実は私の高校時代の友人・蔵重信博弁護士が経営する事務所にこの数年所属していたとあって、ひときわ強い関心があります。辣腕弁護士の彼も彼女の実力には太鼓判を押してくれています。こういう風な人材の宝庫たる公明党の参議院候補を見ていて、ぜひとも日本の前途に大きな希望を投げかけてほしいものと大いなる期待をするものです。といった思いを巡らせていた矢先、フランスでのおぞましいテロ事件が発生しました。遠く離れた異国でのよそ事ではありません。何時なんどき日本でも起こるかもしれないーこう考えたときに太田演説で聴きたかったことが浮かび上がってきました。日本の政治家の中では文明評論に無類の長けたものを持つ彼から、人類が直面するこうした事態の解決への手立てを示してほしかった、と。(2015・11・15)

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孤高の兄弟子の少し早い”長すぎる不在”

とても親しい関係にあった同門の兄弟子が数日前に死んでしまった。この夏の初めに大病を患って入院加療中と聞いていた。回復し退院したとご本人から連絡をいただき、全快祝いを段取りせねばと思い込んでいたのに、突然の訃報にしばし茫然自失してしまった。あらゆる意味で青春を共有した仲だった。共に稀有の大師匠を仰ぎ見ながら、切磋琢磨したかけがえのない同志でもあった。まだ古希を迎えたばかり。ようやく第一線の仕事から少し身を引き、これからは壮大なる天地で束の間の自由を謳歌できるという矢先に。別れの言葉も交わさずに、早々と逝ってしまった▼昭和55年の夏。35歳だった私は、大阪の地に転勤し、神戸に戻ってきた。それからの1年半というものは、19の年に上京していらい久しぶりの慣れない関西の地のため悪戦苦闘することが多かった。その間、陰に陽に激励をしてくれ心を砕いてくれた。大阪のとある場末の酒場で一緒に食ったてっちりの味は忘れ難い。当時関西の若き青年群像のリーダーだった、この兄貴は輝ける存在だった。背筋がびしっと一本通った孤高ともいえる男だった。彼の義母上が不慮の事故で義弟とともに焼死されるという惨劇があった時のことは今なお鮮明に覚えている。涙をこらえて凛々しく振舞っていた姿には、個人の悲しさを超えて、大義に生き抜く者の尊さと厳しさを教えられた。実父を早い段階に失っていて、その存在を記憶に持たない彼は、師匠を実の父同様に思い慕い抜いたに違いない。色々な場面で関西の師弟の壮絶な関係を身で教えてくれた。得難いひとだった▼その後東京に戻った私は、やがて5年余りが経った平成の初年に再び関西の地に戻ってきた。そしてまた苦節5年の戦いの末に大きな立場をいただいた。ここでも生来の生意気でわがままな気質が災いして、まわりと軋轢を生むことが少なくなかった。そのつどかれは陰に回って私をかばってくれた。幾度助けられたことか数知れない。あるとき、大先輩がついむつかしい顔をしてしまう私を咎められたことがあった。その時、「人はそれぞれだ。一緒じゃないよな。そんなこと気にするな」と、慰めてくれたことは無性にうれしかった▼定年前の私は数回にわたって入院したことがあって迷惑をかけたが、いつも激励をしてくれた。また定年後、ブログやフェイスブックで勝手気ままな言動を発信する私をしばしば褒めてくれた。私が発刊した電子書籍六冊もことごとく読み、感想を寄せてくれた。つい数か月前に私は72候に因んで5日間ごとに原稿を書くことを公表した。そのときも真っ先に「赤松ちゃんらしい発想だ。とてもふつうはそんなことを思いつかない」と言って感嘆してくれた。褒められれば豚も木に登るというが、70近くになってもその原理は適応するようだ。そんな兄貴も今はいない。かつて神戸のスナックで二人だけでカラオケを楽しんだ。その時に彼が歌ったのは『わが人生に悔いはなし』(石原裕次郎)だった。「右だろうが、左だろうが」とのくだりで、「真ん中だろう、俺たちは」と茶々をいれたことが堪らなく懐かしい。しかし、いつまでも嘆き悲しむのはよそう。その死は肉体の不在であって、消えて亡くなってしまったのではない、と。「長き不在」の身になってしまった兄弟子の代わりを一分なりと果たせる弟弟子にならねばならない、と心に期している。(2015・11・5)

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自転車をめぐるほろ苦くも珍しい体験について

最近のラジオで傾聴に値するのは自動車事故防止キャンペーンです。毎日ジョギングの最中に聞ききながらにやにやしています。NHKにしてはまことにユニークな工夫を凝らした番組です。私の住む地域でも先日、自転車にまつわる道路交通法改正についてのポイントを学ぶ講習会がありました。例年この時期に行われる防災訓練に付随して、今年は自転車の運転マナーについて学ぶことになったのです。老いも若きも警察の関係者やホンダ技研からの派遣社員による講演をしっかり聞き、いい勉強をしました▼自転車にまつわる私の思い出はちょっと珍しい。幼年期を小高い丘の上で暮らしたことから自転車に乗る機会を失ったために、実は私は40歳を超えるまで自転車に乗れませんでした。まあ、正直言うと、丘の上暮らしは理由になりません。恥ずかしながら自転車に乗る勇気をガキの頃に持ち合わせなかったのです。そのまんま自転車に乗れぬ状態で歳をとってしまいました。そういう私にとって42歳で選挙に出馬するという機会は複雑な心境をもたらしました。選挙には自転車が欠かせません。自動車の免許の方は慌てて取ったものの、自転車は今更練習するにも気恥しくズルズルと日が経ってしまいました▼東京から姫路に転居して間もないころ、家の横にあった広場で思い切って練習を始めました。あいさつ回りが本格化する前に自転車を乗りこなす必要があったからです。自転車のタイヤと地面の間に摩擦があったほうが滑らずにいいのではないかと、砂利のあるところを選んでひとり練習を始めました。すると、妙な物音に気付いた当時中学一年生の娘が二階から乗り出して「お父さん!背筋をもっとまっすぐ伸ばさなきゃ」「曲がるときは体を傾けて」と大きな声でアドバイス。一度にまわりに知られるところとなりました。で、あとは一度バタンと倒れたものの、なんとか免許皆伝”となったしだいです▼娘のお陰で乗れるようになったものの、覚束ないハンドル捌きで市内を回ったことは懐かしい思い出ですが、思えば命がけの選挙活動だったとも言えます。選挙活動のさなかに交通事故で亡くなったり、大けがをしたという先輩や同業他者の話は数多あるからです。言ってみれば、私も危ない橋を渡ったというか、危ない道路を走ったものです。自動車も、自転車も”免許取り立て”てで、播磨路を縦横無尽に走り、無事に大した事故(小さな事故はいっぱい)もなく終えて当選することができました。それからはおかげさまで運転をしてくれる秘書さんができて、20余年。今や完全なペーパードライバーです。自動車は仕方ないにせよ、自転車は乗らないわけにはいかず、このところまた乗るようになりました。そこへ今回の道路交通法改正です。真剣に講義を聞いたことは言うまでもありません。お互い自転車をなめずにしっかりとルールを守って無事故を目指しましょう。そんな私が今や、自転車のシェア化を目指す仕組み作り事業の顧問を引き受けています。その辺りの苦労談はまたの機会に(2015.10・30)

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山口訪中が殆ど新聞報道されなかったのはなぜか

先日の山口公明党代表の訪中、訪韓のニュースはタイムリーな出来事でした。とくに訪中については、国際政治の動向に関心を持つ多くの真面目な人たちを爽快な気分にさせました。安保法制に対する「戦争法案」などというためにするレッテル張りを覆す、きわめて大事な外交攻勢だったからです。中国を一方的に敵視するのではなく、外交関係を円満に培っていくためにも。ところが、公明新聞などの報道ぶりは別にして、一般紙ではほとんど取り上げられませんでした▼なぜなのか。どうしてメディアは山口訪中をもっと大々的に取り上げないのか。習近平国家主席と会談をしたのに、との疑問や不満の声を私も幾つか聴きました。公明党が軽視されているからではないか、と懸念する向きもありました。安倍首相の不人気もあり、その親書を携えていくこと自体に、あえてメディアが無関心を装う形をとっているのではないか、との見方もありました。私はその理由を北京に駐在する親しい某社の特派員に訊いてみました。すると、まったく同じタイミングで楊元外交部長(ようけっち)が急きょ東京に飛び、谷内正太郎国家安全保障局長や、安倍首相自身に会ってしまったので、山口訪中の意味がなくなってしまったからだというのです▼加えて中国が主催した「シルクロードアジア政党会議」に、日本の与党代表を出席させるべく公明党が利用されたというのが本当のところだろうというのです。いかにも報道機関の記者らしい見方です。ニュース性から言えば確かに親書の意味は半減しました。また中国も、かの国らしい巧みな外交戦術のなせる業かもしれません。ただ、「戦争法案」との一方的な誤った見方を振りまいておきながら、平和構築に向けての信頼醸成への努力をまっとうに取り扱おうとしないのは問題が多いと言わざるを得ません▼安保法制よりもやる事があるだろう、と指摘していたメディアにはそれに呼応する動きを公平に追い、読者に提示する責任があると思うのです。尤も、一般紙の報道姿勢に一喜一憂するのではなく、ここはわが機関紙・公明新聞の威力を信じ、活用するチャンスだと受け止めるべきでしょう。早速、識者による山口訪中を評価する記事も寄稿され紙面を飾っています。(2015・10・23)

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なぜ10月初めの世論調査で公明の支持率だけ下がったのか

10月の7,8両日に行われた共同通信社の世論調査結果のうち、政党支持率の項目にはいささか驚きました。「あなたはどの政党を支持しますか?」との問いかけに、自民党から民主、維新、共産、社民党と主な政党が軒並み前月よりも伸ばしたにも関わらず、公明党だけが支持率を下げていたからです。ちなみに、自民は32・8%から36・8%へ、民主は9・5から10・4、維新は、2・8から4・4、共産は3・9から4・2、社民が1・5から1・6といった具合です。それに対して、公明党は、3・8から3・6へと僅かながらではありますが、減らしたのです。あまりメディアでは注目されませんでしたが、私は気になったので、親しい共同通信社の記者に意見を求めました。自民党も一緒に下げたのなら、安保法制が原因とみられようが、なぜ公明党だけなのか、と▼答えは、安保法制のせいではなく、軽減税率で公明党がブレたからだ、というのです。ご承知のように、財務省サイドから妙な案が出されて、一部新聞報道がそれに公明党が乗ったという書きぶりをしました。北側副代表が事前に自民党との水面下工作で了解をしたかのごとく報じられたものです。その記者は、北側氏だけではなく、党の首脳はこぞって同調していたと見て、決して一部報道の勇み足ではないとまで言って、同業他社の肩を持っていました。真偽のほどを知る立場に私はありません。そうかもしれないと思う程度です。家人などは、その一部報道に接して「断固財務省案などは許されないよ、僅かばかりのお金が返還されるぐらいでは承服できない」と、いつになく熱っぽく多弁で、おかんむりでした。消費者は消費税に敏感で、食料品などはむやみ上げられてはたまらん、と端から決めてかかっているのです。そういう有権者が公明党の垣間見せた態度に怒ったというのがくだんの記者の見立てでした▼勿論、今は公明党はそんな態度をとっているわけではありません。当初の予定通りに軽減税率導入を実現する構えを強めています。自民党も財務省寄りが目立った税調会長を替える一方、安倍総理も公明党と同一歩調をとるべく懸命な姿勢を示しているようにみえます。さる15日に公明党の井上幹事長は、17年度導入は与党の公約であり、具体的な制度設計に向けて年末の税制改正大綱の策定までに成案を得るよう努力したいと記者会見で表明したばかりです▼確かに、軽減税率をめぐる制度設計が極めて難しいことは言うまでもありません。煩雑な事務手続きには賛成する小売業者などいないのです。一方で、消費者はそんなことにおはおかまいなく、ひたすら財布からでていくものを抑えたい一心です。この食い違いをどう収めるのか。まことに政権与党の腕の見せ所です。間違っても変な案を出すことのないように願いたいものです。年末の合意案次第では、さらに支持率が下がるかもしれません。ともあれ初心を忘れず合意形成にまい進してもらいたいことを願っています。(2015・10・19)

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