先日私の住む地域でちょっとした騒動がありました。アライグマと思われる小動物が天井裏を駆け回ったり、ゴミ捨て場を荒らして困るという苦情が発端です。ほかのお家でも庭に出没するとか、いたるところに糞や足音が発見されると聞いていましたが、あまり信じられないでいたのです。住宅地のど真ん中でクマがいるなんて、とたかをくくっていたのです。しかし、親と子の三頭の写真を見せられ、クマが住みかにしていると思しき空き家の現場に足を運んで、ようやく納得せざるを得ませんでした。すぐに市役所に連絡を取り、農政課に捕獲のための仕掛け檻の取り付けを依頼しました。その後、猟友会の方が来てくれて、リンゴをぶら下げた檻をしかるべき場所に設置してくれました。数日後には無事に親グマが御用となり、一件落着と相成りました▼私が自治会長になって初めての仕事がクマ退治とは皮肉なことです。なんとなれば、私は日本最大の自然保護団体である日本熊森協会の顧問をしているからです。「森の荒廃はクマを見れば一目瞭然。クマや鹿、イノシシやサルなどが人里に現れるのはひとえに奥山が荒れているからだ」という主張のもと、クマを始めとする野生動物の殺処分に対して、森の復元や再生による棲み分けの復活を提言し続けている団体です。この団体にかかわって早いものでもう20年近くの歳月が流れます。アライグマはもとをただせば外来種のもので、ペット用に購入され日本に持ち込まれたものがやがて持ち主が手を離したことから日本中のいたるところで野生化してしまっているといいます。ツキノワグマを始めとする大型野生動物とは性格を異にする存在ですが、生き物に違いはありません。簡単に捕らえて殺してはならないというのがこの団体の精神であり、主張です。ただ、この動物は様々な病原菌を保有し、人間との間に介在するうえ、危害を加える恐れもあることから、地域住民の生活の安全を守ることを優先させざるを得ません。▼実は私はつい先ごろの日曜日(24日)に尼崎で開かれた日本熊森協会の年次総会に出席したばかりです。全国各地からクマを愛し、森をこよなく大切に思う人たちが100人余りも集まってきていました。この団体が運営してきた「NPO法人奥山保全トラスト」を公益財団法人化しようとする試みに、この一年私は尽力してきました。それがこの春に見事に実っただけにひときわうれしい総会でした。この日の催しで最も印象に残ったのは昨年の大阪府の豊能町で起きたツキノワグマの捕獲騒ぎとその顛末でした。熊森協会は会長の森山まり子さんを先頭になんとか殺処分せずに森に戻すように大阪府に掛け合い、それが無理だとわかると、これを受け入れてくれる施設、機関を探し回りました。結果、真言宗のある寺院がその広大な土地の一角に大きな檻を作ってそこで飼ってくれることになりました。この一部始終を映像で見ると、いかに「熊森」関係者と行政担当者の気分に隔絶したものがあるかを知り、愕然とせざるを得ませんでした。出席者の多くは、命は保ちえたものの、残された時間をこの狭い檻に閉じ込められたままのクマが(トヨちゃんと命名)かわいそうでならないとの声が専らでした▼その日から4日が経った27日のある新聞の文化欄を見ていると、たまたま「ツキノワグマとのすみわけ模索」という記事を発見しました。これは昨年度に本州で3500頭を超すツキノワグマが捕獲され、110人を上回る人身被害が起きた事実を踏まえて、今月の9日に日本クマネットワーク(JBN)とWWF(世界自然保護基金)ジャパンが主催して開かれたシンポジウム「2014年ツキノワグマ大量出没の総括と展望~クマによる人身事故ゼロを目指して~」の中身を紹介したものです。この原稿は、シンポジウムを素直に追っただけのもので、この問題の背後に横たわる大きな原因を探るには至っていません。日本熊森協会のスタンスからすると、クマの大量出没がなぜ起こっているのか、それはひとえに、奥山の荒廃にあり、戦後日本の森林行政の破綻がもたらしたもの以外にありえないということになります。人身事故ゼロは当然でしょうが、その背後に見え隠れするクマの殺処分はやむを得ないとする考え方への強い抗議をしてきているのがこの団体なのです。昨日私に電話をしてきた森山さんは、この記事に登場する学者や行政関係者らがいかに奥山保全を考えていないかを鋭く糾弾していました。この記事を書いた記者さんには「どれだけ奥山が荒廃しているかを実際に見て欲しいのです」ーと強い口調で述べていました。私自身、奥山の荒廃を見る前まではクマや野生動物の実態をいい加減に考えていましたし、今も「人間とクマや動物とどっちが大事なんや」と迫られると、たじろぐ気分は否めません。「どっちも大事や」と思うのですが、「棲み分け」はそう簡単には出来そうにありません。結局はクマなどの生き物を捕獲し殺処分するという対症療法に陥らざるをえないようです。真の問題解決には近代日本の誤れる思想にまで立ち入らねばならないと思われますが、その前に環境、森林行政の問題点を洗い出し、根気よくその姿勢の転換を求めるしかないと考えます。(2015・5・29)
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暗い時代の再登場を予感させるできごと
経済評論家の内橋克人さんの講演会『戦後70年を抱きしめて~「再びの暗い時代」を許さない~』を神戸文化ホールに聴きに行きました。さる17日のことです。主催者は「神戸空襲を記録する会」。この会の代表の中田政子さんは長田高校で私とは同級生。この人は1945年の神戸空襲の際に母親のおなかにいましたが、逃げ惑う母親の背中におわれた幼児だった姉が混乱のさなかに死んでしまいました。身代わりになって死んでしまった姉への思い果てず、1971年から発足したこの会の運営に参画。2013年には神戸市の大倉山公園に『神戸空襲を忘れないーいのちと平和の碑ー』を幅広い市民の募金によって建てました。10年前の戦後60年記念の節目にも、内橋さんを招いて同様の講演会を開いています。神戸市出身で、神戸新聞記者を経て経済評論家、作家として多くの読者を持つ内橋さんは反戦・反権力の旗頭的趣きがあります。それだけにこうした講演を託すにはうってつけのひとだといえましょう。この日も場内いっぱいの市民で埋め尽くされていました▼冒頭に映された、神戸市教育委員会が制作したという神戸空襲を記録する映画(「炎の証言ー大空襲の記録ー)はなかなか迫力がありました。これまで広島、長崎、沖縄といった先の大戦での著名な地の惨劇もさることながら、自分たちの生まれ育った地域の戦争被害の現場を映像を通じて見るということは、また異質の胸抉るものがあります。しばしば中田さんの母親(三木谷さん)が登場して当時の惨状を淡々と語っています。私の母親とおそらく同世代(大正6年生まれで、今生きていたら98歳)でしょう。彼女自らの辛い哀しい経験を語っている姿が私の母のそれとダブって見えました。私の亡き母のほうは、姫路空襲に遭いましたが、直接被災して亡くなった人のことは聞いていません。この映画が映されている時に一二度ぷっつりと映像が途切れました。私はあたかも人の人生が戦争や、あるいは地震や津波で中断されるというのはこういうことだろうと想像しました▼内橋さんは講演の最初を「とうとう困難な時代が来てしまった」という極めて深刻な言葉で語られ始めました。基本的には昨今の安倍政権による集団的自衛権をめぐる政治決断を指しているのでしょうが、それだけではなくて各地で「憲法9条を守る会」などが主催する際に、土壇場になって後援団体が開催を断ってきたりするケースが相次いでおり、自由な言論に対する抑圧の兆しが見えるというのです。「緊迫した状況が続いているのです」という内橋さんの表現に只ならぬものを感じました。聴いている私の心の中には、公明党が政権にいる限り断じてそうはさせないと思うゆえ、いささかオーバーではないかとの思いが正直よぎりました。ただ、つい数時間前に語り合った柳澤協二氏も警鐘を乱打していただけに、いい加減に聞き流してはいけないとも思い、わが身を引き締めたものです▼内橋さんは、メディア、マネー、マインドの3Mが現代社会をコントロールしようとしていることに大きな懸念を示していました。これは、かつて戦後の日本社会が、3Sつまりスクリーン、セックス、スポーツでしだいしだいに緩められ翻弄されていったと同様に、危険な兆候だといわれるとむべなるかなとの思いを禁じ得ないのです。ジョン・ダワーの著書『敗北を抱きしめて』をもじった演題に事よせて、戦後70年を経た今日の日本が今再びの危険な道を歩もうとしているとの指摘は私の肩に極めて重くのしかかってきてなりませんでした。彼はNHKの朝6時43分から10数分間の番組「ビジネス展望」のコメンテーターでしたが、この春から番組名が変更になると共に常連出演者から外されたといいます。そのことは、彼の言う暗い時代の再登場とはあまり関係ないと思いたいのですが。(2015・5・27)
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元防衛官僚の反旗はなにゆえかを探る
先週の日曜日は神戸で二つの印象的な出会いがありました。一つは年来の友人である元防衛官僚の柳澤協二氏との対談であり、今一つは経済評論家の内橋克人氏の講演を聴いたことです。この二人は後で分かったことですが、前日に柳澤氏の講演を内橋氏が聞くという形で出会っておられ、三人が相互にいびつながらリンクした関係を構成していたことになります。共に、筋金入りの安倍政権批判を展開中のひとであるだけに、私としてはそれなりに緊張を強いられ、襟を正しつつ聴く羽目となってしまいました▼内橋克人氏の講演については次回にし、ここでは柳澤氏の主張のポイントと公明党についての彼の思いと、それへの私の印象だけを簡単に触れておきます。彼は防衛省の局長や防衛研修所長を経て、元内閣副官房長官補(安全保障・危機管理担当)をこなしてきた人で、私とは理論誌「公明」誌上で対談をしたこともあります。彼は今「政府の側で仕事をしてきた人間が、政府の政策批判をするのはおかしい」との論法で陰口をたたかれています。しかし、本人は安倍首相が政府の従来の姿勢を逸脱しているのだから、それを従来の見地から批判するのは当然だと全く意に介していません。抑止力についての安倍首相らの捉え方に根本的な疑念を抱いており、米国自体がかつての米中関係とは違って経済を軸にしっかりと相互補完の関係にあると認識しています。ですから、今まで通りの考え方でいると、日本の方向を誤るというわけです。それに米国は日本の政府が思うほど集団的自衛権の行使を望んでいず、むしろそれでは迷惑だというのが本音だともいうのです。結局は、抑止力よりも危機管理力が問われているというのが彼の主張です▼公明党に対しては、「自民党の行き方に追随しているだけで、なんら歯止めになっていない」とまことに手厳しい見方に立っています。私は、昨年の閣議決定時点までの公明党の対応は精一杯歯止めを果たしたと思っていますが、安全保障法制への法案化に関してはいささか不満があります。この数か月の間に自公両党の間で何がどう議論されてきたかを明らかにすべきだと思っているのです。それだけに、柳澤氏の公明党批判は気になります。先に衆議院の議員会館で佐藤優氏をも交えて安全保障法制をめぐっての討論会がありました。そこでは安倍政権批判で二人は同調したけれども、公明党の役割認識では大いに食い違った(佐藤氏は公明党を高く評価)とされています。このあたりも気になったので直接確かめてみたかったのです▼今や、集団的自衛権の限定的容認は、9条下で許される武力行使であり、ギリギリの憲法の枠内で捉えられる「専守防衛」だとのスタンスは、国民一般に理解されがたいとの印象が強くあります。いくら説明がなされても詭弁ととらえられかねません。ここは慎重な見極めが必要です。ただ、私は彼の主張が”伝統的左翼”と同じものだと見られるのは不本意ではないか、と注文をつけました。かつての自民、社会両党による”不毛の対決”は歴史の彼方に流れ去りました。現在は、安全保障をめぐって一定の共通の土俵が出来たのだから、実のある落ち着いた議論がなされねばならないと思います。これこそ柳澤氏にとっても私たちにとっても念願のことであったはずです。真正の中道の立場に立つ公明党としてもこの議論は願うところであり、決して右のスタンスだけにこだわるものではありません。その意味で、抑止力に代わりうる概念を構築すべきだとの彼の主張は傾聴に値します。来週から国会での論議も本格化します。これを注目しながら、曇りなき目で真実に迫っていきたいと考えます。(2015・5・23)
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瀬戸内海にインバウンドする試みは、まず淡路島から
今私は定年後の仕事として、幾つかの団体、企業の顧問や相談役をしています。いずれも公益に深くかかわるものばかりで、きわめてやりがいがあります。おいおい全てについてその取り組みを紹介したいと考えていますが、その一つが瀬戸内海へのインバウンド、つまり海外からの観光客を大幅に導入することで、この地域周辺を振興させたいというものです▼瀬戸内海は言わずと知れた世界でも珍しい一国内に存在する内海です。お隣の中国には、そういうものは存在しませんし、有名な地中海は沢山の国々が沿岸に存在しています。私自身の個人的体験から云っても、これまでの人生の中で、この瀬戸内海の島々を縫うように航海した旅ほど劇的で幻想的なものはありませんでした。高校の修学旅行という多感な時代のもたらした産物と云えなくもありませんが、それだけではない強いインパクトが50年経ったいまでも体の中に余韻として残っています▼瀬戸内海は東西に広がっていますが、東の入り口をあたかもふさぐがごとく南北に横たわっているのが淡路島です。瀬戸内海の島めぐりを外国の方々に存分に味わってもらおうという試みの最初に来るのが、淡路島を堪能してもらうことです。関空についた外国人観光客は今は大阪、京都といった京阪神に足を運ぶケースが専らですが、それを淡路島から瀬戸内海に向けようという挑戦です▼淡路島には翼港という専用の船着き場を持つウエスティンホテルがあります。ここに宿泊した外国人に、いざなぎ、いざなみの神話の世界から、人形浄瑠璃の魅力や鳴門海峡の渦潮の感激を味わってもらい、やがて瀬戸内海のクルーズへと誘い出そうという目論見です。2020年の東京オリンピックの年にはこれを軌道に乗せたいと考えていますが、まずは国内の方々から淡路島と瀬戸内海の醍醐味を味わってもらいたいもの。この夏には明石港から出発する「ぐるり一周淡路島めぐり」を新たに企画しました。私が顧問を務める淡路ジェノバラインのしごとに大いに期待していただきたいと思います。(2015・5・16)
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まずは足元を知ることから全ては始まるのかも
このところ地元を見る自分の目が変わってきました。自分が生まれ育ったところとはいえ、8歳にして神戸に転居して再び姫路に戻ってきたのが、平成の始まった年ですから40歳を少し過ぎていました。まあ、働き盛りということもあって殆ど家の周辺にかまうことがなく、いわゆる町内活動もごみを出すことから秋祭りやら何から何まで全部妻任せでした。おまけに地域にどういうものがあるかも全く分からないことばかりでした。ん?議員をしていたのだからあちこち歩いて分かってるだろうと疑問に思われるかも知れません。どぶ板議員てそういうことを知ってのるのじゃないかと言われれば、グウの音も出ません。しかし、なかなかそうもいかないのです。言い訳はやめておきます。ともあれこのところ、町内会長をやり始めてからは新しいことの発見が多いのです▼先日、姫路市内北部にある随願寺に行くことになりました。ここは天台宗の名古刹というのですが、全く私は知りませんでした。地元・新在家にある薬師堂というお堂にお祭りしてある石仏を管理して(この云い方が正しいかどうかよくわかりません)いただいてるお寺なのです。毎年春のお花まつりというお釈迦様のご生誕を祝う記念の行事にそこのご住職が来ていただくわけですが、今年はお礼をかねてご訪問しようと思い立ち数人の町内会関係者と行きました。かなり急な山道を、といってもしっかり舗装されたドライブウエーですが、登ったところにあります。こんもりと生い茂った森に囲まれた、いかにも絵本にも出てきそうな素晴らしいロケーションに恵まれています。文字通り知る人ぞ知るいいお寺でした。ここから2キロほど尾根伝いに山道を歩くと、広峰神社に行きつくわけです。広峰神社も昨年の官兵衛ブームで少しは知られましたが、あまり参拝者が多いという話は聞きません。結局は姫路は書写山円教寺にお城以外の訪問客は限定されているようです▼さらにこの前の週に、昔の友人たちと姫路の最北部にある安富町に行きました。ここには日本唯一の坑道ラドン浴「富栖の里」がありますし、さらにその奥には「鹿ヶ壺」という自然美溢れるスポットがあるのです。いずれも数回は訪れているのですが、改めて行きますとあれこれの新たな発見がありました。「富栖の里」は大変珍しい体験ができます。少量の放射能が人間の体にとって大変な効能を果たす、という体験を実際に経験した方からお聞かせいただき大いに参考になりました。また、「鹿ヶ壺」は究極の癒しの場です。最近テレビで放映されたそうですからご存知の方もいようかと思います。要するに人間と殆ど見まがうばかりに精巧にできた人形というか案山子とでもいうべきものがいたるところにおいてあり、つい話しかけてしまうほどの出来具合なのです。ここも御多分にもれず人口減少に悩まされている地なのですが、観光客を呼び集めるのに驚くべき知恵を編み出されたのです▼このように、姫路市内も見渡すと私たちが良く知らない場所がまだまだありそうです。毎朝走るようになって10年近くが経ちますが、ちょっと脇道にそれますと、知らないところばかりです。お城の堀にしたところで外堀の魅力を私が知ったのはつい先年のことです。大袈裟でなく、天下国家を論じ世界の平和を希求する論陣を少なからず張った私ですが、足元を知らなかったことに今更ながら赤面を感じる次第です。「地方消滅」の危険が「東京一極集中」と並んで叫ばれ、少子高齢化が招く未来社会が危惧される昨今ですが、叫んでいる人たち自身が自分の足元の魅力を意外に知らないのではないかと思ったりもします。(2015・5・10)
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憲法記念日に、安保法制討論を聞いて感じたこと
68回目の憲法記念日は、NHKの各党代表による「安全保障法制」をめぐる「政治討論会」を観て聞いて考えました。10党の代表による討論ではいつもの倍の二時間とはいえ、一人の発言時間は平均10分足らずです。これではやはり大したことは言えません。聞いていても食いたらなさが目立ちました。というよりも自公政権の側の巧みさ、したたかさが圧倒していたように思えます。与党の二人のうち、高村さんとは約20年前の私の初当選いらいあれこれと一緒させていただいた仲です。北側氏とは一緒に出馬し、向こうは当選こちらは落選したという関係です。また、司会の島田さんとも以前から交友関係があります。手綱さばきの見事さは定評のあるところですが、この日もなかなか鮮やかでした。野党側は民主・長妻、維新・江田、共産・志位と各党が誇る論客揃いでしたが、如何せんバラバラでは与党の壁を壊すには到底至らなかったといえましょう▼公明党は憲法については三原理(国民主権、基本的人権、恒久平和主義)を堅持する姿勢に変わりはなく、環境権など新しい権利については加憲の方向をとるというものです。この点9条を含め改憲を党是にうたう自民党とは大きくスタンスが違います。安全保障法制についても昨年の閣議決定から今日の他国軍への後方支援や国際平和支援法をめぐって二党間で大論争があったことは天下周知の事実です。それをテレビを観る国民の皆さんにはっきりとわからせることが大事だと私は思います。それをやると与党内の亀裂をあぶり出すことになるからと避けるというのでは、結果として公明党の本心を間違って伝えられることになることを懸念します▼3日の放映中、たった一瞬でしたが緊張が走ったと私には思えた場面がありました。司会の島田解説委員が「自公の違いがあるのだけどー」「それは最終的な法案を見なければわからない」と云った時です。こうしたテレビでの討論を与野党の対決の場とするなら、野党の大同団結が必要です。そもそも与党の二党はこの問題にかけてきた時間が圧倒的に多く野党の比ではないのです。それを補うにはそれぞれが自己主張ばかりしないで、自公の食い違いに絞って論戦を挑むべきだと思います。公明党は今回の新しい安保法制作りで「隙間ない体制整備」をしたが、新3要件で明確な歯止めをかけたし、新たに海外派遣をするにあたっては国会の例外なき事前承認を要件とした、としています。ことここに至るまでには自民党に反論や異論があったはずですから、それを明らかにすることが国民にとってもわかりやすいことにつながると思います▼NHKの特徴は悪平等というところです。300議席なんなんとする自民党とわずか数人しかいない政党と一緒にするというのはやはり無理があります。ここは、自民党対公明党の代表による二党討論とか、自民対民主、あるいは自民対維新という組み合わせがあってしかるべきでしょう。それを経たうえで「自民・公明対民主・維新」という対決でも面白いと思います。いずれにしても短い時間で云いっぱなし、聞きっぱなしでは視聴者はストレスがたまる一方です▼私は、昨年の閣議決定に至るまでの自公両党の協議も、今回の法制化についても、まとまったものだけを公表して事足れりとしないでほしいと思うのです。私が現役のころ、ノーとされていたことが、今日限定付きや歯止め付きにしても、なぜイエスとなったかについてを詳しく知りたいのです。そのためには、国民の前に全部さらけ出すことが必要です。そのことによってより一層国民の間に理解を深めることになるはずと確信するからです。(2015・5・4)
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自分でわが身に課した支援の手法を楽しむ
統一地方選挙の後半戦から。太子町議選の選挙告示日に旧知の仕出し料理屋の大将と懇談しました。曰く。「あんたは落ちた時に礼に来た。当選したらあとは知らない顔を決める人間が多いのに。そこが気に入った(初出馬で落選した26年ほど前の私のことを未だに言われるのはこそばゆい限り)」「選挙になって慌ててお願いしますを連呼するのではなく、日ごろの行動の総決算が問われるのだからじっくり構えているべし(だからといってそうしているとまず落ちますね)」「選挙民は愚にして賢。小さい選挙ほどよく候補者の姿が見える(大きい選挙の候補者も安心しているととんでもないことになりますよ)」などなど。すぐに首肯できるものから、出来かねるものまで色々と貴重な意見をくれ、参考になりました▼国政レベルの選挙、とりわけ衆議院小選挙区比例代表並立制の弊害についてはかなり厳しい意見を提起していました。要するに小選挙区で落選しながら比例区での敗者復活は納得がいかない、と言う点です。私のように比例区のみの単独候補者でありながら落選してのち、他党の候補者数欠落のためにお鉢が回ってきて当選するなどという離れ業(?)の持ち主としては、いかんとも言い難いところがありますが、要するに選挙制度の欠陥ここに極まれりというほかない事態を指摘されるのです。議員をやめて二年。現場の意見の大切さが改めて身に沁みました。こうした地方選挙の応援は実に楽しいものがあります。あの人、このひと。日頃のご無沙汰を詫びて旧交を温める絶好の機会です。今回もいろんな場面がありました。姫路で司法書士事務所を経営し、太子町に住むS先生ともそれこそ長い長い付き合いです。今回電話すると、うちの事務所には新たな票が2票あるよ、と。聞くと、新しいメンバーと交代された様子。そのうち一人は私の大学の後輩。もう一人は後輩市議の同窓生。一気に深まる人間関係は面白いほどでありました▼新しいもの好きの私はなんでも自分でゲーム化したり、オンリーワンの手法(少なくともそう思える)を編み出すことが得意です。今回は姫路の8人の公明党市議と6人の明石市議と太子町の2人の町議にまったく新たな友人を紹介(それぞれの候補者の住むエリアの友人を充てることがミソです)することを目標と決めて自分に課しました。これって結構難しいのですが、自分としては4年前と同じ手法ではないことで、大いに気分が乗るのです。しかも一人ひとりに候補者自ら電話で依頼をさせました。楽しい選挙戦になりました▼今回の選挙戦のさなかに旧知の運勢判断(字画でやるのではなく、生年月日で行います)をされる方とお会いする機会がありました。談偶々、注目の首長選挙の勝敗のことに及び、やはり今年の運勢が強い方が勝つに違いないということになりました。ひと場の座興にしてはなかなか深刻なテーマです。急きょある市の候補者2人の生年月日を入手し、その運勢を占ってもらったのです。その結果は片方が見事なまでについているというもの。片や今年は新しいことに挑戦せずじっとしているべし、と。結果は?これ以上は、誤解されるといけないので、やめときましょう(笑)。▼ともあれ精一杯楽しみながら、愉快でわくわくするような選挙戦を終えることができました。私の所属する兵庫県公明党は全員当選です。後輩たちが初心に帰って地域住民の皆さんのためにいい仕事をしてくれることを心から望んでいます。(2015・4・27)
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負けて泣くより勝って泣けを胸に
昨日は姫路市内のある市議選候補者の事務所開きに参加し、応援演説をさせていただきました。朝から雨がかなり降っており、三々五々と集まっていただく支持者、支援者にはまことに申しわけなく思えました。尤も近畿全般に天気予報では「雨」と出ていましたから、どの陣営も同じ、恨みっこなしです。少し早めに着いたので、すぐ近くにある偶々先週末に亡くなられた先輩の家に弔問に出向きました。その方は昭和15年生まれ。私が初めて衆議院選挙に臨んだころは40歳台後半で元気いっぱいの猛者ともいえる支援者の幹部の方でした。残念ながら10数年前からは肺浸潤を患われ呼吸困難になられることもしばしば。数年前には余病も併発され、入退院を繰り返しておられました。私の選挙ではある意味、”守り神的役割”を果たしていただいただけに大きな感慨を抱きつつ御遺族にお悔みと励ましをさせていただいてお家を辞しました。このようにお世話になったひとの訃報に接することが増えてくるのは仕方がないこととはいえ、無念ではあります▼そういう思いとは裏腹に事務所開きは雨を吹き飛ばす勢いで幕を開けました。なんといっても凄かったのはずらり顔を揃えた自治会長たちの姿です。候補者がこの地で5期20年の間、市議をやってることもあって信頼の度合いが違っているとの実感を持ちました。加えて本人も実に豊富な実績を持っていました。生ごみの収集日を拡大したり、救急医療センターの設置はじめ医療問題への懸命の取り組みや投票お知らせ券への期日前投票宣誓書の印刷など事細かなものがいっぱいありました。それを整理して語る本人の姿はなかなか頼もしく思われました。実際、私の現役時代に彼は厚生労働省や学者に会うために上京を繰り返して来ていたものです。このあたりを含めいかに彼が真剣に地域発展、活性化に貢献してきていることを力説、これからも一層期待できる逸材であることを強調しておきました▼今回の地方統一選挙の最大の課題、焦点は、なんといっても地方消滅を促進するような”一極集中”を避けて、地方都市を蘇生させる方途を見出すことにあります。姫路も「播磨圏連携中枢都市」などといった美名に惑わされずに、「ふるさと回帰」とでもいうような活性化を周辺地域にもたらせる必要があります。そのあたりを強く主張しておきました。後半戦は、兵庫県では姫路市のほかに、明石市、芦屋市と首長選挙があり、それぞれ熾烈な戦いが始まっています。明石市に顧問先の企業を持つ私としては、姫路だけではなく明石市長選挙に強い関心があります。明石はかっての賑わいがすっかり姿を潜め、メインストリートにさえシャッターが降りている店があります。そういう店のシャッターの上に現職市長のポスターが所狭しと貼り付けてあるのは悪い冗談というか、政治センスを疑うばかりです▼先日、明石青年商工会議所主催の討論会に3候補が激突するというので出かけました。しかし、今述べたような明石を活性化するためにどうするのかという討論はあまり聞かれず、きれいごとの羅列に聞こえたのは残念でした。現市長は4年前に数十票差で井戸知事の元秘書室長を破って勝った元民主党代議士です。しかし、この4年というもの、このひとに殆ど見るべき実績はなく、むしろスキャンダルめいたことばかり。兵庫県政とは勿論、自公政権中央ともパイプはありません。そんな市長に何ができるのかとの思いは募る一方です。”負けて泣くより泣いて勝て”との言葉通り、支持する候補者の健闘を祈るばかりです。(2015・4・20)
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兵庫県議選の結果から見えてくるもの
統一地方選挙の前半戦が終わりました。私が住み、これまで深く関わってきた兵庫県の議会議員選挙に絞ってささやかな分析めいた感想を記しておきます。自民、民主が議席を減らし、維新がその分伸ばし、公明、共産は現状維持というのが大まかな獲得議席の結果です。なかなか味のある結果であると言えます。兵庫県議会は野々村某氏をはじめとする政務活動費問題で日本中の笑いものになり、人心を寒からしめました。あんな人物が県民の代表であったことに心底から恥ずかしく、悲しい思いを抱いたひとが数多くいたと思います。選挙期間中、私も個人演説会で今回の争点がこの問題の処理にあり、忘れ去られてはならないと強調しました。断じて疑惑の議員を通してはならないとの訴えに圧倒的な賛同の拍手を頂いたものです▼その結果、二人のベテランの関係議員が落選しました。とりわけ姫路の現職はテレビ局の取材に逃げ惑う姿を映されたことが話題になりました。落とすことができてホッとしています。彼は長きにわたって自分の地盤地域のみを大事にし、自民党のことにも殆んど関わらないという典型的な”自分党”所属のひとでした。つくづくとよくもまあ出馬したなあと呆れます。責任を感じて今回は出馬せずにいたら、「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」で晩節をここまで汚さずに済んだのに、と思ってあげるしだいです。典型的な古いタイプの地方議員の退場です▼姫路の場合、維新の会の若手議員がこれに取って代わりました。まだ30歳。地元の白陵高から名古屋大、東大大学院というエリートコースを歩んだ人物ですが、これからが注目されます。「維新」は大阪の女性衆議院議員の不祥事に見るように未だ未知数というか、玉石混交の不確かな政党です。学歴がいかに良くとも、この党には志が低いひとが多すぎるように見えてなりません。兵庫県議会でも9議席を得てこれからの議会運営に期待したいと思いますが、果たしてどうでしょうか。結局は期待外れに終わりそうな予感がします▼兵庫県議会は長年自民、民主、公明が与党を形成してきました。真の知事に対する野党が存在しなかったことが県政の弛緩を生み出してきたともいえます。「維新」に期待するのは、知事に対抗する勢力になりうるかどうかということでしょう。神戸志民党なるものを形成した樫野氏は二回にわたって神戸市長に挑戦しましたが落選。今回初めて県議選に挑み当選しました。しかし、ひとりだけです。神戸市議会も大勢擁立しながらひとり。これでは”一将功なって万骨枯る”の見本のようなものです。彼が志を全うするのか、それとも結局は就職先に県議を選んだのかは、早晩分かることです▼それにしても投票率の低さは嘆かわしい限りです。3人に2人は投票所にいっていないのです。そんな中で当選できたことを「万歳」などと叫んでいたら、喜劇を通り越して悲劇の幕開だと思います。姫路でも当選した自民党および自民党系無所属の4人は揃いもそろって二世、三世の世襲議員です。私はそれぞれの父親、祖父をよく知っていますが、彼らに罪はないものの、保守系政治家の供給源の浅薄さを嘆かざるを得ません。公明党は”出たい人より出したいひと”という言葉を大事にして様々な分野から人材を発掘してきています。それぞれ天職と思い励んできた道を途中で断念して政治家に進んだ人ばかりです。そういう人物であるがゆえの素人っぽさを大事にして庶民に寄り添う政治を貫いていってほしいものと思います(2015・4・13)
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小学校の入学式で日本の教育のこれからを考える
春は入学式の季節。各地で行われていますが、私は生まれた地・姫路に東京から戻ってきて27年。この間に都合4回住居を引っ越しました。今はそれこそ誕生した地のすぐそば、入学した小学校と同じ町内に住んでいます。たまたまこの4月から自治会長を引き受ける羽目になり、その最初の仕事として母校の入学式に参列しました。たまたま校長先生も新任で変わったばっかり。新入生の子どもたちが「ドキドキの一年生」という歌を合唱してくれましたが、校長も自治会長もまさに”ドキドキの一年生”ということで、大いに笑いあいました▼年々歳々新入生の数は減ってくるというのはやはり気がかりです。それでも今年は70人ほど。クラスにして3クラスに分けられていました。併せて「のびのび学級」と、「すくすく学級」というのが併設されていました。校長に聞きますと、身体的に虚弱な子どもさんと精神的発育に少し遅れがある子どもさんのためのクラスで、それぞれ1~2人いるとのこと。式が行われている間に見渡すと、車いすの子どもさんがひとりいました。式典の進行中に、司会の先生が「はい、みんな立ちましょう」といわれるたびに、立てないその子の心情をおもいやると胸締めつけられる思いに駆られました▼私は、今から60数年前にこの小学校に入学しました。戦争が終わって7年ほどたった頃です。文字通り戦後の焼け野が原からようやく立ち直りかけたころでした。米国による占領期間がちょうど私の幼年期に重なりました。学校に入った時が日本の独立した頃と同じなわけで、今更ながらに親の心が思いやられます。孫がもうすぐ幼稚園の入園式ですから完全に人間のひとサイクルが終わったといえ、実に感慨深いものがあります。「幼保一元化」や「小中一貫教育」といったことが叫ばれている今日、心底から子どもたちのために日本の教育の再建がなされねばならないと思う次第です▼選挙戦も終盤を迎えています。私の住む地域の県議会議員候補は、小学校の美術の先生を27年間やってきて、市議会に推薦され8年間議員をやってきました。今回は前任者が不慮の病気で、急きょ県議会に挑戦することになったひとです。文字通り政治家になろうと思ってきたひとではなく、教育者を目指して一心不乱にやっていたのに、「出たい人より出したいひと」というわけで、8年前に出馬することになりました。昨今、政治家を就職先として目指す人が増えてきていますが、果たしてそういう人の志はしっかりしているのかどうか、心もとない思いがします▼国家の礎は教育からといいます。敗戦後70年、独立を日本が果たしてから63年。自分が受けてきた教育には誇りと自負心があるものの、わが子を育ててきた教育環境というといささか自信が揺らいできますし、孫の世代がこれから受ける教育ということに思いを馳せると、急に不安が募ってくるのはどうしてでしょうか。教育者の道を捨てて政治家になった後輩の県議会議員候補が懸命に「ご支援を宜しくお願いします」と言ってる姿をみるにつけ、「よろしくお願いしたいのはこちらの方もだよ」と思います。つまり、日本の教育、兵庫、姫路の教育をしっかりと立て直してね、と。(2015・4・9)
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