●女性人権弁護士・伊藤孝江の登場
公明党兵庫県本部としては、かつて3年ごとの参議院選を大きな節目として、闘いの駒を進めてきていました。ところが、平成4年(1992年)に定数がそれまでより1減って2議席になってからというものは、挑戦することが出来なくなっていました。しかし、24年後のこの年から再び定数が3になったのです。議席奪還のチャンス到来です。ほぼ一年前ぐらいまえに、伊藤孝江という女性人権弁護士に兵庫県の支援団体による白羽の矢が立ち、参院候補として私の前にも現れました。
記者会見をするに際して、初めて県議会公明党の控室で会った時の印象は、パワフルそのもの、福よかな優しさを全面に湛えた魅力あふれる女性でした。関西大学出身で、10数年に亘り大阪を中心に弁護士活動をしてきたといいます。当初、私との縁はないものと思っていたところ、あに計らんや大ありでした。我が母校長田高校の同期生・蔵重和博(『文藝春秋』の写真コラム「同級生交歓」に一緒に登場した友人)が彼女の所属する弁護士事務所の代表格だったのです。〝世間は狭い〟という慣用句と共に、確かなる勝利の展望を実感しました。
●我が友・蔵重弁護士の推薦の弁の巧みさ
当初、私は蔵重弁護士に事務所を代表しての推薦演説など、全面的な支援を依頼しようと考えました。ところが、彼は大阪における労組「連合」の顧問弁護士でした。残念ながら兵庫県選挙区とはいえ、公明党候補応援の矢面に立つのは差し控えさせてくれ、といいます。無理ないことでした。方針を変え、彼女のアピールをするPR動画に推薦の弁を貰うことにしました。それが当たったのです。
彼は、事務所の後輩の伊藤さんが、人権弁護士として、恵まれない人々の権利保護に専念する仕事ぶりを見て、「やや不満に思わないでもなかった」といいます。いわゆるお金にならないことが多く、事務所のためにはもっと稼げる仕事をして欲しいと思ったというのです。それが、参議院議員に挑戦すると聞いて、これまでの苦労がきっと実る、政治家になったら過去の経験が生きるに違いないと。中々味のある推薦の弁でした。私は映像を見ながら「おーっ、ええこというやないか」と我が友に快哉を送ったものです。
●事務長として裏方の仕事に徹する
この選挙は春先から実質的に熾烈な選挙戦となりました。自民党、民主党の現職に維新と共産党、公明党の三新人による激しい闘いです。6月22日に公示されましたが、私は選挙事務所長を務めることになりました。前神戸市長の矢田立郎さんが関大の先輩として実質的に後援会長をしてくれたのは有難いことでした。公示日当日久しぶりに、マイクを握りました。24年前の1992年といえば、PKO法(国連平和維持活動法)が成立した年。それにことよせて、私なりのひねりを加えて練った演説を披露しました。それは、過去24年もの間、自民党の友党、協力党としての立場に甘んじる中で、鬱積したものを一気に炸裂させるものでした。
この選挙では、伊藤孝江候補は、最終的に542090票をも獲得。維新新人と共に、自民党のベテランを苦しめ抜いて当選するという、思いがけないことが起きました。民主党の現職を落選させたのです。大勝利に沸いた7月10日の夜は、心底からの喜びの爆発が事務所から全国へと、一気に広がりました。(2021-6-10)