●10万円一律給付がもたらした波紋
コロナ禍の中で注目され、多くの国民から喜ばれたのは10万円の一律給付でしょう。当初は所得制限付きの30万円給付が検討され、実施寸前まで事態は進んでいたのですが、自民党内の政治力学の変化や、公明党の乾坤一擲の闘いによって、急転直下変更となりました。ごく一部の人にしか恩恵をもたらさない部分給付よりも、一律給付が望まれたのはある意味で当然のことでしょう。この背景には、古今未曾有ともいえるこの疫病蔓延によって、従来なら頭をもたげる財政的障害が一気に吹き飛んでしまったことが大きいといえます。結果として今まで、出ては消え、消えては出てきた、貧困対策としてのベーシックインカム(BI)構想の政策実験的様相を呈してきていることは否定できないようです。
政府の現金給付は、これまでならバラまき給付として悪評芬々(ふんぷん)たるものとして片付けられがちでした。しかし、今回ばかりは違います。これをきっかけに、むしろ現代における生活保障はいかにあるべきかという議論に発展していく可能性が見えてきています。つまり、財政的制約に拘束されがちな政府与党が、想定外の自然発生的外圧によって伝統的くびきから自由になって、政策的実験を試みたといえるかもしれません。
日本では、この手の政策提案は従来は野党から提起されてきました。3年前の2017年に当時の民進党が所得税の減税に現金給付を組み合わせた「給付付き税額控除」を柱とする「日本型ベーシックインカム」構想の関連法案を国会に提出しました。その勢力の一部によって構成された「希望の党」がBIを公約に掲げていたことも記憶に新しいものがあります。しかし、構想の主体を成した政党の衰退と相まって、議論はひとたび終息を余儀なくされました。それが今、コロナ禍によって、これまであまり関心を示してこなかったと見られる自公政権が、関心を持たざるを得なくなったと言えるのは皮肉なことと言えましょう。
●コロナ禍における諸外国のBI導入への実験的試み
BIとは、全ての国民一人一人に、無条件で生活に必要な最低限のお金を定期的に給付する制度のことで、貧困によって生活を破壊されるのを防ごうという仕組みです。これには、「生活保護」が世間体を巡っての課題やら、労働意欲をもたらすかどうかの問題など、種々の難問を惹起している現状の中で、常に対立軸の位置を占めてきました。しかし、実施するとなると、膨大な予算を必要とする(仮に10万円支給だと、年間約150兆円)ことから、議論は沙汰止みになる運命なのです。
諸外国でも同様で、現在世界中で、実際に完全な形でのBIを導入した国はありません。かろうじてフィンランドだけが、2017年から2年間実証実験を行ったといいます。無作為に選んだ失業者2000人を対象に、過去の収入などの如何に関わらず、毎月560ユーロ(約7万円)を支給しました。
一方、コロナ禍の影響で、スペインでは、この5月から低所得者を対象に、単身生活者で月額最大462ユーロを給付する所得保障制度を導入したといいます。また、米国では今年6月にカリフォルニア州ロサンゼルス市など11都市が合同でBIを推進する団体「収入保証のための市長連合」を設立しています。既にそのうち5都市で試験的導入が始まっているとのこと。さらにドイツでは、明春から120人を対象に、1ヶ月1200ユーロを3年間無条件で給付する予定といいます。いずれも規模は小さいし、およそBIとは言い難いものの、努力と工夫はうかがえます。それらと比べても日本の場合がダントツでBIに近いスタイルだといえましょう。
●BIよりもBS(ベーシックサービス)の提供を、との主張
BIについては効用もさることながら、財源問題以外に「社会保障切り捨て」に繋がるといった懸念も取り沙汰されます。そうしたことからBIよりもベーシックサービス(BS)の方が大事だと主張する学者がいます。慶應義塾大学の井手英策教授です。同教授によると、BSとは、「すべての人に現金をわたすのではなく、すべての人が税を負担しながら、生活に欠かせない基本的なサービスを保障し合う」仕組みだといいます。これなら、財源はBIほど要らず、安上がりだともいえる、と。
この人は、これまで『分断社会を終わらせる』『幸福の増税論』『今こそ税と社会保障の話をしよう』などといった著作を読むと分かりますように、リベラル派の理論的主柱として、知る人ぞ知る存在です。「医療や介護、教育、子育て、障害者福祉に関する分野をBSとし、みんなで負担することで、出来るだけ多くの人を受益者にし、安心して暮らせる社会をつくりたい」と、彼は述べています。その著作を読むにつけ、私はかつての草創の頃の公明党が抱いた「大衆福祉」への情熱に近い、激しいものを感じるのです。この人の学問上の師は、神野直彦氏(東大、関学大教授経て、社会福祉事業大学長)とのことですが、公明党も政策立案過程で種々の影響を受けたことも思い出します。
公明党は、21世紀に入る直前に自民党と政権与党を組んで以来、小渕政権から今日の菅政権まで20年が経ちました。中道主義路線から保守・中道路線へと、かなり右寄りに、その歩む道が逸れてきていることは否めません。それによって得たものは多いのですが、失ったものも少なくないのです。かつてなら政治と金をめぐる問題に敏感に反応してきたのに、昨今いささかその追及の手が緩い場面が見受けられます。
これでは、自民党の公明党化を目指してきたのに、気がついたら公明党の自民党化が進んでいたと言われないでしょうか。「安定」を望むあまりに、「改革」が疎かになっていないでしょうか。「小さな声を聞く」のに熱心なあまり、大きな方向性を見誤っていないでしょうか。アベノミクスを擁護する誘惑に駆られ、新自由主義的傾向と付き合う中で、公明党本来の良さを発揮する動きが弱まっていくことを懸念せざるをえないのです。
ところが、そうした懸念を吹き飛ばすかのように、9月末に新生公明党が掲げた政策集の中にBSの導入を見出したことには快哉を叫びました。党として本格的にこの問題の実現化に取り組む姿勢だとしています。このところ、公明新聞の若手記者や政調関係者、地方議員を中心に井手教授と接近する向きがあったと聞いていましただけに、なるほどと首肯する思いです。一段と関係が深まることを期待したいと思っています。(2020-10-3一部修正=10-7)