《13》政治家、政党関係者の使う「甘い言葉」について/11-18

 さる14日朝のNHK総合テレビで放映された、『これからの日本政治は 新人議員に問う』は、なかなか聞き応えのある番組でした。昨今の政治家にかなり失望してきた私としても、微かな期待を持つに至りました。恐らく、新人議員なるが故の発言でしょうが、古い政治家に大いに見聞させたい爽やかな発言でした。登場していたのは知事経験者、秘書経験者、地方政治家出身者の3人。聞き手が、世論と政治に関するデータ分析する学者ら二人の女性。この人たちの切り口も真摯なものでした◆勿論、それでも気になるところはありました。議員を「先生」と何回も呼んだことや、いきなり自党宣伝めいたことを口にした議員の姿勢は、あまりいただけなかったと思います。それでも率直に自分の頭で考えたと思われる口ぶりは好感がもてました。このように言うのは、政治家の「言葉の劣化」を嘆き、憂う論調が新聞、雑誌等で散見されるからです。たとえば、情報誌『選択』11月号の「国を蝕む『甘い嘘』の氾濫』は、政治家として大いに耳が痛い内容でした◆「寄り添う」「誰ひとり取り残さない」「共感力」といった現実性、具体性のない甘い言葉を与野党政治家が乱発するようになった、としているのですが、確かにその傾向は顕著です。これは、政治家たちの責任というよりも、政党スタッフ(政調関係者、広報宣伝部局)から、ひいては世のコピー作りを職業とする人々のせいかもしれません。つまり、世の中全体の風潮と関わりあり、と思います◆そんな中で、「総選挙で抽象的な甘い言葉を振り撒」くことで、「目立っていたのは公明党」と、前述情報誌が指摘しています。「子ども基本法」「子どもコミッショナー」「グリーンイノベーション」ーなどを挙げたうえで、「具体性なく耳に心地よい言葉をAl(人工知能)で合成させたような造語の羅列」だというのです。これらは選挙用政策集で使われていました。候補者たちが頻繁に使っていたようには思えません。政治家の言葉の劣化というよりも、政党関係者の言葉の使い方の問題でしょう。有権者の関心を掴むために、より多数の人の胸に食い込む言葉を探した経験は私にもありますが、「甘い言葉を最も振り撒いた党」と言われると、穏やかではありません。恐らくは「未来応援給付」に抵抗を抱く、書き手の〝ためにする論難〟と思われますが、公明党側の反論を聞きたい気持ちが起こってきます。(2021-11-18)

 

 

 

 

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《12》「哲理なき現状維持」と批評されていいのかー衆院選の結果から

 今回の総選挙結果の様々な分析、評価などを見聞きして、最も考えさせられたのは、歴史家・保坂正康さんの「哲理なき現状維持」との位置付け(朝日新聞11月5日)である。その結論にいたった見立てを挙げている。一つは、有権者が大きな変化を望まず、安定と現状維持を求めたこと。二つは、自民党に近い政党が議席を伸ばし、総体的に保守勢力の追認となったこと。三つは、その結果、ますます立法府が無力化することの3つである。細かくは異論もあるものの、概ねその通りであろうと肯定したい◆この結果をもたらし、こういう論評を可能にした最大の責め負うのは、立憲民主党の枝野幸男代表の主導した共産党を含む野党共闘路線だろう。「政権選択」の選挙の側面が強い小選挙区比例代表並立制のもとで、「自民党中心か、立憲共産党(麻生太郎氏)か」と迫られれば、自ずと答えは出てくる。あれだけ、自民党に政治とカネにまつわる不祥事がありながら、この選択では、誰しも〝よりましな方〟を選ぶということになる。分かりやすく言い換えると、金権腐敗政治の継続か、強権政治の始まりかとの「地獄の選択」なのだから。この選挙戦略をとった方が巧みで、得をしたということになる。◆12日間という短い期間の選挙で勝利を得たい政党、政治家は自ずと、 短いフレーズで相手方を斬る戦術に終始しがちである。深い政策論争や国家観や未来展望など聞こうにも聞けるはずがない。そういう仕組みに、今どきの選挙がなってはいないのだ。かつてあった立ち合い演説はもとより、テレビでの政見放送も小選挙区候補はまとめて扱われがち。党代表ばかり前に出て、一人ひとりの政治家の顔は殆ど見えない。比例区単独候補にあっては、一般的には名前さえわからない。一束なんぼ、十把ひとからげとはこのことなのである。これで怒らない政治家はおかしい◆総選挙を通じての政党、政治家の哲理のあるなしを問う保坂さんの思いはわかる。だが、土台無理な選挙の仕組みで、ないものねだりという他ないのである。選挙上手、つまり、時々の空気を読んで、上手いやり方を駆使した方が勝つように出来ているのだ。今回でいえば、「革命的変化か現状維持か」を問うように仕掛けた側が、妙な例えであるが、かの人気テレビ番組の『プレバト』のように「才能あり」になる。それを受け入れた側は、「才能なし」と判定される他ない。政治に哲学と理念がないことを憂えて作られた公明党。その関係者にとって、別に政党名の上に冠せられたわけではなくても、「哲理なき」との形容には頭から反発したくなる。言った人にも、言われた党に対しても。せめてここは「哲理潜む現状維持」ぐらいに留めておいて欲しかった。(2021-11-9)

 

 

 

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《11》維新躍進の背後でー衆院選結果から考える/11-2

自民15減で261、立憲14減で96、公明3増で32、維新30増で41、国民3増で11、共産2減で10、れいわ2増で3ーこれが衆院選の公示前からの増減結果である。この結果、自民は単独で絶対安定多数を獲得した。菅前政権の末期、メデイアはこぞって、自民党の大幅議席減を予測し、野党協力のそれなりの効果を占った。だが岸田政権に衣替えした結果、自民の議席減は小幅にとどまり、立憲、共産の〝選挙向け連合〟は瓦解したと言わざるをえない。それに比し、維新の約4倍増は、公明と国民の堅実な勝利とともに大きく光って見える。国民の意思は、過激な変化を嫌い、野党内右派と与党内左派に力を与えようとしたと、見たい◆国会に議席を有さない代表が率いる地方発の政党がここまで議席を伸ばした背景をどう見るか。先の東京都議会の「都民ファースト」の善戦と相まって、既成の政党の行状に飽きたらない有権者の思いの反映と見るしかない。巨大与党、古い野党は共に根底から、政党運営の有り様の変革を迫られよう。巨大百貨店の停滞をよそに地方の中小スーパーが果敢な発展を示しているようなものではないか。それにしても、自民党は奈落の底に落ちるところを踏みとどまった意味を考えねばならない。問題がかねて指摘され落選が懸念されていた三回生たちが踏ん張った。その一方で、幹事長、現職大臣、派閥のトップ、高齢の大物議員が次々落選した。このことは世代交代を突きつけているに違いない◆立憲、共産の選挙協力は、与党側から「野合」との攻撃に晒されたように、選挙に勝ちたいがための付け焼き刃の印象がいかにも濃かった。議席結果だけ見ると失敗は否定できない。この方式を押し進めた枝野執行部の責任を問う立憲民主党内の議論の行く末が注目される。勝つための数合わせで、革命政党の本質を持つ勢力と組んだことは〝危険な火遊び〟に興じる子どもたちにも似て、AI時代にそぐわないといえよう。安倍、菅政権の負の側面に苛立つ有権者が少なくなく、政権運営の大転換を望む気運が満ちている時に、お門違いの手法で対応しようとした野党首脳の罪は大きい◆公明党は勝ったと素直に喜んでいいのだろうか。確かに9小選挙区は厳しい情勢のなか、涙ぐましい党員、支持者の戦いと夥しい友人たちの協力で当選できた。友党・自民党の協力も大きい。しかし、近畿の公明党の人間としては、大阪4、兵庫2の6小選挙区勝利は維新の挑戦回避に助けられた側面は無視出来ず、自民全敗もあって、思いは複雑だ。その点、立憲王国の北海道10区での連続勝利。維新の猛追を退けた東京12区の初勝利。金権腐敗の自民政治への嵐の中、立憲、維新を寄せつけなかった広島3区の勝利は特筆される。だが、比例区の目標800万票に90万票ほど届かなかったことは大いなる反省を要する。細かな分析は今後の課題だが、近畿は1議席減となってしまった。兵庫は小選挙区2を勝ち取ったものの、3期当選の働き盛りの人材を落としてしまった。私の後継者だけに引退後9年経っているものの責任を感じる。明年の参議院選が思いやられる。30万に届かなかった兵庫比例区票。さてどうするか。課題は限りなく多い。(2021-11-3 一部修正)

 

 

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《10》衆院選挙事務所での〝心うたれた出会い〟の数々/10-31

第49回衆議院選挙の選挙活動が30日の午後8時で終わりました。ただし、候補者は夜中の12時、つまり投票日の31日の時報が鳴るまで、選挙区内の街道沿いに立ち、走りゆく車に手を振るという初出馬いらいの恒例の「行事」に取り組んでいました。19日の公示いらい12日間、私は大学の13年後輩にあたる代議士の選挙事務所の事務長を務めました。5年前と2年前にそれぞれ参議院の新人候補者の事務長を務めましたが、衆議院は初めての経験です。開票結果が分かるまでの束の間、この間の得難い経験談を披露します▲第一日目に、近所に住むという老婦人が事務所に顔を出し、玄関先での言葉が今に至るまで印象深く残っています。「政治家は僅かの年金で暮らすものの身になってほしい。亡夫の遺族年金があるからなんとか暮らせているが、通常の国民年金だけだったら到底生きていけない」ー生活保護を受給している人たちより少ない生活費に喘ぐ苦しさを訴えられた。また、選挙中盤でやってきた高齢の女性が、今の政治家の質の低さーとりわけ世襲議員の劣化を嘆いていたのはとても印象深かったです。爺さん世代は日本政治史にその名が残るものの、孫たちは酷すぎる、と。今例にあげたお二人は、共に公明党員ではありません。友人に熱心な学会員がいることから公明党に興味持ち、頼りにするに至ったと言っておられました▲事務所にいると、当然ながら候補者の人となりがよく分かるエピソードにでくわしました。初出馬から28年、落選した3年余りの空白期を除いても25年も衆議院議員をやっているだけあって、心底から世話になったという人たちが次々訪れてきてくれたのです。中でも〝陣中見舞い〟に来てくれたある企業のトップが、寄付金額を備え付けの用紙に書いた際に、「あっ、間違えた」とひと声呟いたのが聞こえました。一桁書き間違え六個もゼロを書いたといわれるのです。私が、「ああそれは、大変」というと、その社長曰く「いや、本当は一桁多く出してもいいぐらいなんです。それくらいお世話になったから」と。また、最終日の午後6時過ぎにある大企業の中堅幹部が、最終打ち上げ演説に間に合うようにと、わざわざ東京から来てくれました。残念ながら、今回は現場にひとときでも長く回りたいとのことから、事務所前演説はしないことを伝えました。すると、遠く離れた最終演説場所までタクシーを飛ばして行くと言われるのです。一眼見て帰りたい、と。その熱情に心打たれた次第です▲事務長の私としても、心和む個人的出会いがいくつもありました。長く会えなかった仲間の町議の息子さん、所在が不明の高校同期の弟さん、その昔世話になった先輩のご子息や、昔親しくした国交省のOB官僚たちなどという風に枚挙にいとまがありません。航空会社の最高幹部を務めた友人の元部下やら、JR東西の幹部や電力会社の幹部の皆さんとは、ついつい観光政策の展開、都市の発展と駅舎の佇まいや、原発の是非論を口にしてしまうなど、私の悪い癖が出ました。選挙支援の挨拶に行って、事務長に議論をふっかけられたことは恐らく初めてでしょう。ちょっと余計だったかなと反省もしました。それでも、ある訪問客が「勉強になりました。今日のことは生涯忘れません」と口にしてくれた事は、お世辞半分にしても、嬉しいことではありました。(2021-10-31)

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《9》迫られる選挙制度の見直しー衆院選公示で思うこと/10-21

衆議院選挙が公示されて3日。思うことは多い。一つは、選挙期間の短さ。衆議院は12日間。参議院選、県知事選挙の17日間より5日短く、14日間の市長選挙より2日短い。長ければいいというものではないが、その立場の重要性、位置付けの大きさからすると、この逆転現象は異様に思える。かつてあった立ち合い演説も今はない。そうした衆議院選挙の簡素化の主要原因は、「小選挙区比例代表併用制」の導入による、一つの小選挙区の区域の狭さである。以前の一選挙区の半分くらいに減ってしまっているケースが殆どである◆この選挙制度の最大の問題は、選挙戦を通じての候補者個人の政策論争、候補者比較が見えにくいことだ。中央の党首間での議論はあっても、地域における候補者同士の姿が一般有権者には見えにくい。それぞれ個別に街頭や駅頭、公共施設での政談演説会などで一方的に「支持者」を前に話すだけ。これでは、普通の市民には比較のしようがないだろう。公示から投票日まであっという間に終わる。これでは投票率が低いのは当たり前ではないか◆加えて、比例代表についてはもっと問題が多い。重複立候補が許されており、小選挙区で落選した候補者が惜敗率の高い順に復活するというのは、やはり割り切れなさが残る。一方、単独比例候補者は政党の予めの順位付けによって当落順が決まることについても同様である。一般有権者の側に、選ぶ契機が皆無で、全くといっていいほど顔も姿も分からない人が突然選ばれる。政党関係者内部では知られていても、部外者には無縁のままである◆選ばれる側からも、単独比例区候補者というのは物足りないこと夥しい。政党名を書いて貰って、その票数から政党の取り分が決まり、それにしたがって、名簿順から選ばれるというのは、候補者個人が無視されているようでまことに切ない。比例区候補者同士の論争があってもいいように思う。例えば、比例ブロック内で、名簿上位5人が各党ごとに、論争する場面があれば面白い。少なくとも今のような、敗者復活者と全く有権者に無名の存在が知らぬ間に当選する事態よりマシではないか。ともあれ、選挙制度、運用のあり方など見直すべき時にきていると思うのは、私だけではないはずと思われる。(2021-10-21)

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《8》改革迫られる本会議質疑ー岸田首相との代表論戦を聴いて/10-13

岸田首相誕生後の国会での所信表明演説、それに対する各党代表質問が終わりました。衆議院選挙直前というこもあり、テレビ、ラジオでほぼ全部の質疑を聴きました。その結果思ったことを書き連ねてみます。国会の場に身をおいたものとして、改めて強く思うのは、十年一日のごとき本会議での代表質問のやりとりの退屈さです。こんなことをいつまでもやっていないで、新しい質疑方法を考え出すべきではないか、としきりに思います。原稿を書いたものを読む質問、それに対して予め書かれたものを読む答弁ー改善の余地はないのかどうか◆これは予めそれぞれの党が紙で質問して、それに対して、答弁を紙で出すということで済むはず。その上で、足らざるを質疑応答するということにすればいいのではないか。予算委員会のように一問一答方式でなくても、事前のやりとりをした後、議場での質疑によって深めることが出来ると思います。今のようなやり方では議場で聴いてる方も気の毒です。首相ばかりが答弁に立ち、あとの大臣はほぼ全て聴いているだけ。眠りを堪えるのがやっとという姿もあり、見苦しいばかり。議場の議員はもっと悲惨に見えます◆私が20年間の経験で、最も良かったと思えるのは、衆議院憲法調査会での「自由討議」でした。これはまさに自由に議論をする機会で、質問を浴びせたい議員に色々議論をふっかけて、溜飲を下げたものです。全ての委員会とはいかずとも、国会はもっとこういう方式を取り入れるべきでしょう。それにつけても、今回の三日間の議論を聴いて思うのは女性議員の元気さです。質疑内容は、いささか言い過ぎではないかと、その嗜みを疑わせることなきにしもあらずのものでしたが、耳をそばだたせられるものもありました◆岸田首相は、真面目さを感じさせたものの、読み間違いが多かったのは気にかかります。これもひとりで読み上げることからくるものだと思われます。まるで〝早口読み上げ競争〟みたいでした。それぞれの代表者が一番訊きたいものを一、二本に絞って、とことん質疑する方式に変えたらどうかと思います(それ以外は紙で事前にやりとりしておく)。答弁者は首相と担当大臣のペアにするのも一案です。ともあれ、今のやり方を抜本的に見直さないと、政治への関心が一段と薄れるだけ。もっと「見える化」「見せる化」しないといけないのではないでしょうか。まずは、本会議の質疑のあり方そのものから変えるべきだと強く思ったしだいです。(2021-10-15  一部修正)

 

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《7》緊急事態明けに出雲から広島へ様々な出会い/10-7

 コロナ禍の緊急事態が全国一斉に解除され3日が経った10月4日。前日に地域おこしの仕事絡みで訪れた出雲市から中国山脈を縦断して、広島市に入った。実は、9月中旬に訪問する予定だったのが、緊急事態が続くことになり、延期していた。ようやく私が広島に来た日は、この地から「総理大臣岸田文雄」が誕生した日と重なったのである。と同時に、この地から初めて衆議院小選挙区に立つ、斎藤鉄夫氏が国交相に就任した。自公連立政権誕生から20余年、同じ県から自公両党の首相と大臣が揃うのは初めてのことである▲私の世代は、岸田氏の所属する自民党宏池会には好感度を持つ向きが少なくない。同党におけるいわゆる鳩派とも最近ではリベラルとも称されるグループだということが大いに関係する。池田勇人、大平正芳、宮澤喜一という同会に所属した首相たちは、いずれも官僚出身だが、いかにも学者っぽい。よく公家集団と揶揄されるが、それは武闘派と称される人々の僻みが多分に含まれているように思われる。香川の大平氏を除き皆広島が生み出した逸材である▲この日私は、広島3区に住む高校同窓の仲間3人と会うべく久方ぶりに同地を訪れた。うち、高校同期のA君は残念ながら、昨年病気で他界していた。この春に電話で夫人にお悔やみを述べた際に、とても喜んで頂いていた。実際に会って話すと、不思議なことに、生前亡き夫君が親しくしていた友人3人がいずれも私の懇意にしている同期ばかり。しかも彼女がその3人をとても良く知っていたのには本当に驚いた。亡夫が私を呼んでくれたと更に喜んで頂いた。共通の友たちに話題が弾み、お互い本当に縁を感じたしだい。「斎藤支援」が更に固まったのはいうまでもない▲その後安佐南区内2軒を、同区に住む大学同期の親友F君の運転で回った後、安佐北区に住むH先輩を呼び出し3人で旧交を温めた。ここでは「これから日本の進むべき方向」について、50年前に青春を共有した者たち同士のみが知る、熱い語らいを行なった。懐かしくも、有意義だった。夜は、地元某メディアのトップ及びその後輩と4人で会って情報交換をした。その人はかつての公明党番記者。私とは一緒に議員会館脇の卓球場で汗を流した仲。先年彼が福岡から広島に転勤となった際に、大阪の某新聞社の社長になった共通の友人の就任祝いを姫路で3人でしたばかり。会うなり一気に話は弾んだ。「斎藤」は 急浮上の勢いが出たものの、厳しい情勢に変わりがないとの見方で一致した。同地の美味い地酒『雨後の月』を頂き、ほろ酔い気分で新幹線車中の人になったのは8時過ぎ。出雲から広島へ、〝いい日いい旅〟の地域おこしと選挙支援の二日間を終え、私は心底から満足感で一杯。広島から岡山、西明石への車中の人となった。(2021-10-7) Continue reading

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《6》岸田氏に「歴史の区切り」に立つ首相の自覚を問う/10-5

 岸田文雄氏が伊藤博文以来100代目の総理大臣になった。伊藤の就任は1885年(明治18年)だから、136年前のこと。44歳。それ以来四度首相を務めた。彼の評価は分かれるが、紛れもなく、今の日本の礎を作った人物のひとりだということは間違いない。岸田氏も当然ながら「区切り」を意識していると思う。いや、してほしい◆実は、明2022年(令和4年)は、先のアジア太平洋戦争での敗戦の年1945年(昭和20年)から77年になる。そして、その年は明治元年の1868年から77年経っていた。つまり、明治維新から「二つの77年」が日本の歴史上経ったわけだ。その時の国のリーダーが岸田氏ということになる。この77年の区切りは意味深い。一つ目の77年は、天皇のもと「近代日本」へ必死に取り組み、遅れてきた資本主義国家としての「興国」に取り組んだ挙句、欧米諸国と戦ってひとたびは「滅亡」の憂き目にあった◆二つ目の77年は、米国に占領された後、焼け野が原から必死に立ち上がり、米国に並ぶ「経済大国」に上り詰めた。そして今、中国にGDP2位の座を奪われ、IT万能の時代に台湾、韓国の後塵を拝してしまっている。前者が「軍事の興亡」の歴史だったとすると、後者は「経済の興亡」だった。コロナ禍という未曾有の疫病に襲われて2年。世界同時多発のパンデミックとはいえ、日本が受ける「区切り」の衝撃は重い◆岸田氏はそうした歴史の分岐点に立つ。新たな時代は全くこれまでと性格を異にする大きな課題が待ち受ける。一つは、少子高齢化の行き着く果てとしての人口減社会。働き手が急速に減っていく。二つは、「気候変動」による大災害の時代の深刻化である。大地震、河川の氾濫などがいつでもどこにでも襲ってくる。三つは、コロナ禍の定着である。この三つの危機に加えて、中国の動向が危惧される。「自由と民主」を基本におかない隣国の、国境を意識せぬ傍若無人の立居振る舞い。三つの危機と一つの危惧。これにどう立ち向かうのか。自公政権の真価が問われる。(2021-10-5)

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《5》自民党総裁選で〝見えたもの〟と〝見えないもの〟の落差/9-30

自民党総裁選挙が終わった。いつもながらのショーまがいの光景が延々と続く中であれこれ感じた。ひとつは、名乗りを上げた4人の立ち位置の「見えた」部分と「見えない」部分の変化の落差である。岸田氏は、安倍元首相の過去から今に続く「諸疑惑」を問題視するように見えて、変えた。河野氏は、「原発」でこれまでの主張をあっさり下ろして「現実対応」へと、変えた。男性二人に比べて、女性陣は、その主張を変えていないように見えた。しかし、高市氏には見えないところでの支配者の影が見えた▲この与党第一党の舞台を見て、野党第一党の枝野氏は自民党は「変わらないし、変われない」と切り捨てた。一国の首相選びが結局は第一党の内輪だけで決められることの不可解さ。総選挙が間違いなくすぐ後に控えているだけに、自民党に対する〝下駄の高さ〟が気になった。メデイアもそこは意識して野党の動きを並行して追っていた。しかし、これがかえって両者の違いを浮き立たせた。立憲民主党も代表選挙をぶつけるぐらいでないと目立たない。変わらぬ「立憲」を感じただけだったのである▲さて、公明党である。この期間一切といっていいほど、メデイアは報じなかった。辛うじて最終盤で、山口代表が自公両党における「連立政権合意」について発言したことが取り上げられたぐらいだ。これは歯がゆい。総裁選の諸場面でメディアが公明党との関係を候補者に聞くということはなかったように記憶する。始めに連立ありき、ではないはず。どちらの党にも本音と建前はある。それを剥がして「見える化」しようとしないメディアでは面白くない。保守、リベラル、革新の鼎立の狭間で中道の存在感がないのは心残りだ▲それにつけても、この「総裁選び=首相選び」の仕組みは気がかりである。尤も、米国のような一年かけて大騒ぎの大統領選がいいのかどうかは、疑問だが。かの国が結局は南北戦争さながらの、民主・共和の争いで「分断国家」の憂き目にあっているからだ。民主主義のありようがいわゆる先進諸国家で問われている。一方、中国のような「専制国家」がスピード力を持って国家経営に取り組んでいる。これからの日本をどうするのか。与野党の政治家は〝長過ぎる眠り〟から覚めて、仕事をして欲しい。(2021-9-30)

 

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《4》B型肝炎救済に立ち向かうー被害者弁護団との連携に力/9-21

「とっても長く裁判が続いているから、ここらで被害者を適切に救済する手立てを講じてみてはどうか」(趣意)ーこんな粋な判決を下した人は三浦守裁判長。さる4月26日のB型肝炎をめぐる最高裁でのこと。B型肝炎訴訟とは、幼少期の集団予防接種の際に、注射器の使い回しなどが原因と見られるケースでその後に肝炎を発症したりしたことから起こされた裁判のことである。国と被害者弁護団との争いは既に10年を超えて続いている▲三浦裁判長の判決に喜び、一気にここで救済の手が差し伸べられるよう、動きたいとする弁護団から相談があった。実は、私が現役の頃に党肝炎プロジェクトチームの座長としてC型肝炎、B型肝炎と双方の訴訟に関わる機会があり、弁護団のメンバーや被害者らと接触した。前者では、福田康夫首相(当時)の英断もあり、見事な政治的決着を見た。後者でも問題を残しながらも一定の成果はあった。それから10年あまり、B型肝炎について残った大課題が引き続き存在してきた▲それは除斥問題である。B型の場合、解決には発症から20年の間に限り、肝炎訴訟の救済対象とするとの規定がある。つまり、時効である。一旦治ったと見えても再発することも多く、「20年規定」を杓子定規に用いようとすると、泣くに泣けない人が出てくる。そこで、三浦裁判長の示したような手立てが必要となり、〝政治の出番〟となるわけだ。国はーここでは直接担当する厚生労働省だがー一律に除斥の基準を講じることで、損害賠償を低く抑えようとする。これを覆すべく公明党の力を貸して欲しいというわけである▲私のところには、この10年あまり共闘してきた少壮の弁護士がやって来た。被害者の実情を改めて訴えられた。是非、政治の力、公明党の戦いを期待したいとの声に動かされた。山口那津男代表に直ちに連絡をした。同代表によると、三浦裁判長は司法修習生の同期だとのこと。司法と政治と、道は分かれたけれど、彼の被害者救済の温かい心配りに感動したという。言葉の響きに共闘の思いを感じた。「落ち度がないのに、苦しむ人たちを救済する」との司法の原点に立ち返って、動くことを約束してくれた。さあ、夢よもう一度。肝炎対応で、苦しむ被害者のために、私ももうひと働きしようと決意している。(2021-9-22  一部修正)

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