「競争信仰」はもう終わりにしようー長谷川眞里子と佐伯啓思の場合❹

●まったく新たな価値観への期待

ポストコロナ禍を描く様々な日本人の論考で私が注目したのは、長谷川眞里子さん(総合研究大学院大学長)と佐伯啓思氏(京都大名誉教授)のお二人のものである。前者は、毎日新聞『時代の風』(5月17日付)。後者は産経新聞『コロナ 知は語る』(5月31日付)に基く。

長谷川さんは二つのことを論じているが、ここで強調したいのは、「競争に基づく発展」という価値観についてである。彼女は競争に基づく人間活動が、多大な環境負荷を生み出し、そこに住む人々に精神的ストレスと不幸と矛盾をもたらしてきたが、永遠に富の増加を求めて競い合うことはもうやめて、転換したらどうかとの問題提起をしている。「まったく新たな価値観が出現することを期待したい」と結んではいるが、その中身には触れていない。

佐伯さんは、「グローバリズムの立て直しによる経済成長主義というような価値観はもはや破綻している」と断じ、一方で「このショックをしのいで、V字回復で再びグローバル競争に戻すべき」だとの考え方と「大きな社会転換の契機にすべきだ」との考え方があり、今人類はこの二つの岐路にたっているとの認識を示す。その上で、自分は後者の側に与し、ポスト・コロナの社会像があるとすれば、「医療、福祉、介護、教育、地域、防災、人の繋がりなどの『公共的な社会基盤』の強靭化を高めるものでなければならない」との方向性を明示している。しかも、それは「効率至上主義のグローバルな競争的資本主義というよりも、安定重視のナショナル(国民的)な公共的資本主義というべきものであろう」と、一歩踏み込んでいて、分かりやすい。

ポスト・コロナ禍を巡っては、表面的な変化を追うものが殆どであるなかにあって、価値観の転換を求めるこのご両人のもの、特に佐伯氏のものが出色だと私には思える。

●旧来的価値観の根強さを排そう

我々の社会がコロナ禍に襲われる前から、私などは価値観の転換の必要性を訴えてきた。ただ、訴えはしても、その実現可能性については悲観的にならざるを得なかった。というのは、近過去の様々な安倍首相周辺の不始末があっても、根強い「安倍神話」とでもいうべきものが存在しており、崩れそうになかったからである。つまり、どこまでいっても「経済成長至上主義」であり、株価依存の体質に凝り固まった旧来的価値観の信奉者が多いという現実がある。

しかし、今回のコロナ禍は、その辺りを一気に吹き飛ばしかねない様相を呈し始めている。日本はアメリカや中国ほど貧富の差、格差は酷くはないものの、放っておくと、益々その差は広がりかねない。一歩間違うと、つまり旧来的価値観に身を委ね続けていると、中米二国の後塵を拝するだけになりかねない。ここは、新たな価値観に向けての大論争を始めるべきなのだ。その一歩となるのが佐伯さんの提案だと思う。(2020-6-11)

 

「互助」の取り組みが必然になるとの期待ージャレド・ダイアモンドの場合❸

◉国際的・国内的な互助の取り組みの強化

今回のコロナ禍を巡って世界の識者がこれからの世界について色々な発言をしています。ここで私は、国際経済や国際政治の動向よりも、もっと大きな枠組みの変化について語ってくれる人のものを取り上げてきましたが、第三のケースは、ジャレド・ダイアモンド氏です。『銃・病原菌・鉄』で有名なアメリカに住む生物・地理学者。つい先ほど私は彼の書いた『人類と危機』上下を読んだばかりです。残念ながらそこには直接的には感染症は危機の対象に挙げられてはいません。ここでは毎日新聞のシリーズ「疫病と人間」第4弾(5-15付け)を基にしてみます。

ダイアモンド氏の指摘で最も胸を打つのは、疫病は世界史の転換点になり得るとしたうえで、「グローバル化が進んだ現代は、自国で感染を抑え込んだとしても、他国で終息しない限り、再び自国に飛び火する恐れがある。自国を優先するだけでは長期的には自国のためにならないのであって、必然的に国際的な協力体制が不可欠なのだ」としているところでしょう。「国際的・国内的に『互助』の取り組みを強化せざるを得なくなる」との結論は極めて重要だと思われます。

ただし、この結論は本人も認めているように、自国優先主義が広がることへの懸念もあるのを承知の上で、あえて、ポジティブな影響に目を向けているに過ぎないとも言えます。「新型コロナへの対応を通じ、人類が『脅威』を見つめ直すことにつながってほしい。それが国や人種、社会階層を超えた連帯を選択する契機となることを期待したい」と述べているように、期待を表明しただけに終わる可能性もあります。

というのも、超大国アメリカが今回のコロナ禍の前に、自国優先主義の旗を高く掲げるに至っていたし、今回の感染拡大に対応するにあたっても、ただひたすら自国を守るのに精一杯だからです。しかも、科学を軽んじる姿勢さえ大統領周辺に顕在化していることには呆れてしまいます。一方、もう一つの超大国中国は、他国への救済姿勢を披歴しようとしているかに見えますが、その本意はどこにあるのか。判別するのは心許ないと言わざるを得ません。ダイアモンド氏は、中国が今なすべきことは、「野生動物の取引の全面禁止」だと強調しています。それがなければ、再び中国初の感染症が起きる可能性が高い、というのです。ここでも科学に背を向けた姿勢の危険性が憂慮されています。つまり、中国にも変形した自国優先主義の存在が窺えるのです。

◉パンデミック第二波への対応が試金石

こうした現状を打開できるかどうかの試金石は、恐らくパンデミックの第二波にどう対応するかで、問われてきます。二つの超大国始め、第一波を経験した欧米先進各国や日本、韓国などアジアの国々が、次に第二波が襲ってきた時に、どう対応するかという側面が極めて重要です。つまり、今は未だ被害状況が大きく報じられていない、アフリカや中南米がこれからパンデミックの危機に陥った時に、どう支援の手が差し伸べられるかで、たちどころに試されてきます。一波で経験したことを、遅れてきたる国々にどう提供できるかという問題です。

やはり、今回と同じように自分のところの問題解決に翻弄されてしまうのでしょうか。それとも、救済の手を差し伸べられるのかどうかです。一波とニ波の境目は判然とせず、マダラ模様になるかもしれません。未だ一波が十分に終わり切っていない状況下に、対応が迫られる可能性もあるのです。そんな時に、このダイアモンド氏の見立てが正しいか、それとも単なる期待だけだったのかがわかるといえましょう。正しかったとなると、地球は大きく明るい方向へと舵取りが進むことになるのですが。

前回みたハラリ氏と、今回のダイアモンド氏の結論は、共に連帯と互助が求められているとしており、ほぼ同じです。前者は全体主義的傾向の台頭を恐れていたことが特徴的でした。ダイアモンド氏は、フィンランドという小国の知恵と頑張りを評価しています。コロナ禍への対応という問題に限らず、北欧各国が様々な課題に果敢な取り組みを見せていることが注目されます。これまで、私たちは、超大国の動向に目を奪われ過ぎる傾向がありました。アジアではベトナムの奮闘ぶりが目を引きます。これからは、小国にもっと目を向ける必要が出てくるのではないか、との予感がしてきます。(2020-6-2)

「自国優先」排したグローバルな連帯は叶うかーユバル・ノア・ハラリの場合❷

◉瞑想にふけることの大事さ

イスラエルの歴史思想家のユヴァル・ノア・ハラリ氏の発言については、1時間にわたるNHKテレビのインタビュー放映(4月7日)分のものを基にします。この番組の最後に、インタビュアーの道傳愛子さんから、目下の厳しいコロナ禍の中で、どう過ごしていますかと訊かれて、同氏は、ほんの一瞬考えたあと、「瞑想にふけっています」と答えていました。アメリカの政治学者のイアン・ブレマー氏が同種の番組において、同じく道傳氏から今の危機にどう過ごせばいいかと訊かれて「犬を飼うことをお勧めします」と答えたのと、似て非なる意外感を多くの視聴者は感じたのではないかと思います。

ハラリ氏の仏教理解がどの程度のものかは存じませんが、恐らくはそう深いものではないだろうと私は勝手に推測しています。これはこちらのハラリ理解が浅いためであって、深い意味はありません。現存する世界の思想家の中で、仏教の中にあって、法華経が最も高い位置を占めるということを理解し、南無妙法蓮華経の題目と南無阿弥陀仏の念仏との違いなどを説明できる人にはあまりお目にかかったことはありません。その上で、瞑想にふけるということに、東洋的なものを感じてしまうというのは、我ながら思想的軽さを感じてしまいますが、これは率直な印象だから仕方ありません。

今回のパンデミックの持つ歴史的意義はなんだと思うか、と最後に訊かれてハラリ氏は、こう答えていました。「自国優先の孤立主義や独裁者を選び、科学者を信じず、陰謀論を信じたら、その結果は歴史的な惨事でしょう。多数の人が亡くなり、経済は危機に瀕し、政治は大混乱に陥ります。一方で、グローバルな連帯や民主的で責任ある態度や科学を信じる道を選択するなら、後になって決して悪くない道だったと思うでしょう」と。

実はハラリ氏は、自国優先の孤立主義や独裁者が出現する危険性について、ハンガリー、イスラエル、そしてアメリカのケースを挙げて説明していました。大半の時間をそれに当てていました。それとは真逆の道を行くのはどういう場合か。彼はそれを「グローバルな連帯や民主的で責任ある態度や科学を信じる道」だとしました。周知のように、民主主義の超大国・アメリカ自身が、トランプ大統領の登場以来「アメリカ・ファースト」という「自国優先」の旗印を掲げて、「分断」の迷走に陥っています。著名なアメリカの地理学者・ジャレド・ダイアモンドが近著作『危機と人類』の中で、アメリカにおける合意形成の道が現実的でなくなったと不信感を募らせ、嘆いたばかりです。

そういう状況を狙いすましたかのように、新型コロナウイルスは人類に襲いかかってきました。そして、当のアメリカが犠牲者を最も数多く出してしまうという皮肉な結果になってしまっています。しかもアメリカの指導者トランプ大統領は、かつての同国のリーダーたちが率先して世界に救済の手を出すスタンスを、全くと言っていいほど放棄してしまい、ひたすらに自国に構うのに精一杯です。それどころか、中国敵視を強め、かの国がグローバルな観点で、救済の手を差し伸べようとすることを口汚く罵っています。

◉注目される中国の浸透とその狙い

この度のコロナ禍が発生したきっかけが中国・武漢にあったと見られることから、その後の推移において、中国が欧州各国をはじめ世界にマスクの供給やら医療機材提供などに手を染めようとしていることを、マッチポンプではないかと勘繰る向きがあります。そのように見られがちなのは、これまでの同国の振る舞いに起因するところが大きく、〝身から出た錆〟と見る向きが一般です。つまり、純粋な利他行為ではなく、この際、恩を売ることで、他日の見返りを期待しようとの魂胆が見え見えだということでしょう。

もちろん、国際政治の現実は、甘いものではなく、どの国も自国の利益優先、国益重視に赴くことは避けられません。しかし、中国の場合は二つの意味で、歴史的に大きな脅威に映ります。一つは、〝一帯一路〟の旗印の元に、意図的に世界の覇権を目指す露骨なまでの世界戦略が窺えます。もう一つは、かつて、アヘン戦争以来、中国が欧米列強および後発の日本にまでいいように植民地戦略の餌食にされたことへの復讐の念に燃えているとの見立てが窺えるからです。

日本を含む資本主義列強諸国が巡り巡って、過去に自らがしでかしたことへの償いを中国から求められていると見ることも、あながち荒唐無稽なこととは言えないのです。さて、中国がどう出るか。世界は固唾を呑んで見守っています。尤も、コロナ禍以前と違って、経済力における中国の相対的下降は否めません。時あたかも、延期されていた中国全人代において、「一帯一路」の強調が少し減り、全体的に慎重で低姿勢に転じたと見られるものの、勿論その方向の修正を明確に表すには至っていません。自国優先を掲げて、世界のリーダーの地位からあたかも後退するかの如くに見えるアメリカに代わって、中国がその地位を窺うのかどうか。中国の世界への浸透の今後とその真意が試されようとしていると思われます。

ハラリ氏は、もちろん、名指しにはしていませんが、非民主国家の台頭を認めてはいず、むしろ警戒する必要性を強調していることに、留意する必要があります。(2020-5-26)

ポスト「コロナ禍」考、読み比べージャック・アタリの場合❶

コロナ禍の後にどんな世界が私たちの前に待ち受けているか。様々な論者の競演で喧しい。ここでは目にするままに取り上げ、思うつくままに感想を書いてみたい。1回目は、フランスの経済学者、ジャック・アタリさんから。あちこちの新聞やテレビで取り上げられているが、ここでは、産経新聞5月10日付けの『コロナ 知は語る』をまずはベースに。

★利他的な『生命を守る産業』への方向

ここでの彼の主張は、「過去1世紀で最悪の事態になるかもしれない」とした上で、「人々の間で『社会を別の形に変えねばならない』という意識が芽生えて」きており、そのためには『生命を守る産業』に経済の方向を変える必要がある」としている。ここでいう『生命を守る産業』とは、「衛生や食糧、エネルギー、教育、医療研究、水資源、デジタルや安全保障、民主主義にかかわる生産部門のこと」だとする。なんだか多すぎて、焦点が定まらぬ感なきにしもあらずだが、要するに、「誰かを守り、他者への共感を重んじる利他的な産業へとシフトせねばならない」という。

ここでは、「民主主義にかかわる生産部門」という条件が重要だ。デジタルや安全保障というと、今話題になっている大型データの使われ方は、他者への共感よりも、他者を抑圧し、管理する方向を向いているし、安全保障についても生命を守るというより、自己を守り、他者を傷つけるものに偏りがちだ。すなわち、アタリ氏の掲げる『生命を守る産業』といっても、産業それ自体は中立であっても、用いる人間の哲学、理念、思想次第で、全く逆の結果を生み出すことに注意が必要である。要するに共産主義・中国などは念頭にない。

このところの世界ーつまりコロナ禍以前での動向は、平和構築に向かっての協調、融和よりも、自国優先志向が強かった。その結果、分断の横行がほしいままとなり、経済格差の拡大である。一番端的に現れているのがアメリカ社会である。オバマ民主党政権の目指したものへの反対姿勢を貫き、移民社会の現状に真っ向から反旗を掲げるトランプ共和党政権は、アメリカ社会から「合意形成」を遠ざける一方だとされる。トランプ政権のコロナ禍対応を見ていると、その方向に一段と加速度をつけて進むかに見えている。

アメリカファーストの自国優先、つまりは自己中心主義から、他者との共存、利他主義への転換が求められているということだろう。「情けは人のためならず」という最もポピュラーな格言が今ほど重要視されねばならぬ時はないのではないか。アタリ氏はここでの発言の最後を「他者を守るために動く社会こそ、我々が目指すべき方向」であり、「生命を守る分野で、自立できる産業力を築かねばならない。道のりは長い。その途中、経済競争を乗り越えねばならないだろう。それでも考え方を新たにして、希望を持って進んでいこう」と結んでいる。具体的に、「生命を守る分野での自立できる産業力」に向けての大競争が始まることになるとの予感がするが、日本はどう動くか、大事な局面である。ついこれまで、AI分野を中心に日本は圧倒的に米欧中に立ち遅れているだけに、気分を入れ替えて、新規参入の息吹で挑みたい。

★池田思想によるSGI提言の価値

実は、これこそ、私たち日蓮仏法の目指す方向であり、池田大作先生が「21世紀は生命の世紀である」との旗印のもと、毎年のSGI提言で国連にあらゆる提言をされてきたものと一致する方向だ。改めて池田思想の正しさに強い共感を覚えるものである。

文明にもたらす疫病の影響という観点からすると、14世紀のペストの流行によって、キリスト教カトリック教会が権威を失った。アタリ氏は「宗教的権威は救いを求める人たちの生命を救えなかったばかりか」、「死の意味すら示すこともできなかった」し、「教会の権威は衰え、聖職者に代わって警察が力を持つようになった」という。そして、18世紀末には、死の恐怖から人々を守る存在として医師が警察にとって代わった」とする。つまり、疫病が「近代国家を生んだ」のであり、「迷信や宗教的権威に対し、科学の精神が優位に立つようになった」という。

ここまでの分析は正確だと思う。ただ、今起きているコロナ禍による欧米社会で「医療崩壊」すら招く惨状は、「科学万能」にも警鐘を鳴らしているかに見える。キリスト教の権威崩壊から、科学万能主義の挫折を経て、今回のコロナ禍以後の世界の精神、理念、思想はどこへ行くか。アタリ氏のいう「利他主義で『生命を守る産業』が確実に勝者となるであろう」との方向付けは正しいと思われるが、完全な表現ではない。私に言わせると、利他主義の寄ってきたる思想的根源こそ仏教にあり、なかんずくその最高峰である法華経、その実践の主体である創価学会SGIの力強さが証明される時だと思う。つまり、利他主義のくだりをより正確に言えば、日蓮仏法のもたらす利他主義と置き換えることが望ましいと思われる。

このことは何も我田引水ではない。イスラエルのユヴァル・ノア・ハラリ氏が著名な著作『ホモサピエンス全史』の結論で、これからの人類にとって、「特に興味深いのが仏教だ」と結論付け、「己が心を自身で操れる方途を説く」ものであることをその理由に挙げている。もちろん、仏教の先、その中身には触れていないが、キリスト教に代わりうる思想としての位置付けを評価したい。次回はこのハラリ氏の主張を追ってみる。(2020-5-15)

 

 

コロナ禍のステイ・ホームでの「放送大学」の魅力

新型コロナウイルスの猛威を前に、これまで全く知らないままできた「放送大学」の存在に気づきました。テレビを見る機会がこれまで以上に増えたといっても、くだらないものが圧倒的に多い民放は見る気がしないという人は少なくないでしょう。NHKには見応えのあるものが時々ありますが、四六時中家にいて見るとなると、とてもその欲求に応えてはくれません。そんな時に私は「放送大学」の講義に、連日はまっています▲当初は20講座ほどに触手を動かしましたが、一講座45分間なので、いささか多すぎ。試行錯誤の結果、半分ほどを淘汰して今は10講座ほどを録画して見ています。率直な感想は、イケルの一言に尽きます。なぜ今までこの存在に気づかなかったのか▲具体的に魅力的だと私が思う講座を挙げますと、国際政治学者の高橋和夫さんのものです。この人は中東問題の専門家とは知っていましたが、実際に講義を聞いてみて、本当に面白く魅力的です。『世界の中の日本』『現代の国際政治』『中東の政治』の3講座を一人で担当していますがいずれも抜群に引きつけられます。北欧、米国、中東など世界各地に足を運び、テーマごとに現地のキーパーソンにインタビューをしたり、縦横無尽に新鮮な画像を提起してくれます。また、『徒然草と方丈記』を担当する国文学者の島内裕子さんの講義も実にためになります。仏像のようなお顔から発せられる落ち着いた語り口はなかなかです。英文学者の宮本陽一郎さんの『英語で読む大統領演説』も単なる英語学習だけでなく、米国政治を中心に幅広い知識習得に役立ちます。そのほか一つひとつ挙げるときりがありません▲今、通常の大学では講義が行われず、このままいくと、大学教員の失業が一気に増えるのではないかということが懸念されているとのこと。確かに、オンライン化による講義の効用がこのまま「ポスト・コロナ禍」も続くと、そういうことも起きかねません。今の大学の講義がどのように勧められているかは詳しく存じませんが、放送大学のような工夫をしている講義はあまりないのではないかと危惧します。ともあれ、70歳台半ばの爺さんが久方ぶりに美味しい食事に出会った時のようにワクワクする思いで、毎日テレビの前に座っています。(2020-5-12  一部再修正)

オンライン飲み会で気付いた新たな効用と人間関係

私は「異業種交流ワインを飲む会」を、友人の素敵なサロン風事務所(三宮・北野坂)を借りて、毎月その友人(以下〝相棒〟と呼ぶ)との共催で行っています。もともと、7年前に議員勇退後の私が無聊をかこっているように見えたのが可哀想だと思って〝相棒〟が企画してくれたのが発端です。毎月一回欠かさずやってきたので、今月で75回目となりました。会費は2000円。ワインなどの飲み物はそのお金をあて、食べ物は各自の持ち寄ったものをシェアします▲この会には我々2人それぞれの友人が多い時で14-5人、少ない時で5-6人ほど集まってきます。老若男女、ありとあらゆる職種の人たちが集まってワイワイがやがやと、基本的には6時から10時くらいまでの楽しい時間を過ごします。私は自分でルールを作り、極力一度誘った人はこちらからは声をかけないようにしてきました。でないと、同じ顔ぶれになりがちだからです。新たに名刺交換をしたり、色んな場面で知り合った人を誘うように心がけてきました。〝相棒〟が、この会専用のサイトを立ち上げてくれているので、私の一度来た友人もそれを見て二度、三度と来てくれても勿論いいということにしています▲一回に平均2-3人の新たな友人を誘ってきたため、お蔭様でこの7年で200人ほどの友人とここでワインを酌み交わしてきたことになります。〝相棒〟の知り合いとの出会いも含めると、やがて500人の友達の輪になろうかとの勢いです。当初は私が会を仕切って、自己紹介をしてもらった後、テーマをあれこれ振って会話を楽しんできました。しかし、当節ワンテーマで会議を取り仕切るのは難しく、どうしても数人ずつのグループに分かれての雑談が主になってきています(勿論それはそれで楽しいのです)▲そんな会ですが、今の「コロナ禍」で一堂に集まっての会食は〝三密〟に該当するため、避けようということになり、その代わりパソコンやアイパッド、スマホをつかっての自宅や事務所発のオンラインでの飲み会をすることにしました。6時開始の時点では6人でしたが、やがて時間差で2人ほどが加わりました。こういう会は勿論初の試みなのですが、要するに勝手な会話を気に入ったもの同士がすることは出来ません。自ずと中心者なりの発するテーマを中軸にして話題が集中します。つまり、勝手なワイワイガヤガヤでなく、話題を絞っての〝ワインワインがやがや〟が展開されました。このため、かえって今まで見過ごされてきた友人の生の姿が見えたり、新たな友人の特徴が浮き彫りになったりしました。これは大きな収穫だと思われます。スキンシップは希薄になるものの、その分、バーチャルシップの良さが見えるのです。「コロナ後の世界」が気になる中、私はテレビでの放送大学の受講(10講座)を始めましたが、もっともっと新しい挑戦を増やしていきたいものだと期しています。(2020-5-3)

「コロナ以後」の社会像や人間像の変化について

新型コロナウイルスの感染が終息を迎えたら、それ以前と以後とではどう社会が違っているのか、というテーマは考えるに値する重要な問題だと思います。前回私は、大まかな予測として、アメリカの時代の終わりと自民党政権の時代の根源的変化を挙げました。誤解を恐れずにいうと、国の内外における常識的な見方がひっくり返るようでなければ、感染症パンデミックに襲われがいがないと思うからです。つまり、多くの人々が突然に人生を中断される悲劇に会うのですから、騒ぎの後で元のままに戻るというのは、何かおかしいとの受け止め方です。

それは、企業倒産、雇用喪失、失業などの経済、生活における壊滅的打撃を受けている人たちにとって、聞き辛いことかもしれませんが、単にV字型の回復を願うという次元ではなく、質的な変化、これまで幾たびか繰り返されて提起されながら、放置されてきた問題をこういうときにこそ、実現を願うということがあっていいのではないかと思うのです。

具体的に言いましょう。全体と個という二つの観点から挙げます。一つは、経済成長一本槍の思考からの転換です。これは政治経済分野での環境、エネルギー政策と関連してきます。例えば、原発は、安全性に気をつけてやはり推進することが経済にとって重要だという考え方が一般ですが、そうではなく、全面的に廃止して、持続可能な新エネルギーに全面的に切り替える必要があると思われます。また、リニアモーターカーのようなものも、果たして必要なのかどうか。立ち止まって考え直す必要があるのではないでしょうか。これらは共に極端だとの意見があるかもしれませんが、まさに一考を要します。経済成長万能の考え方からの脱却という意味で、この二つは反成長のシンボル的意味合いがあるので、挙げてみました。

もう一つは、人生の価値をどこにおくかという観点と絡む問題です。共に、自己中心的な生き方ではなく、他者救済的な志向を意味します。例えば、これまで、弱者救済を口にし、障がい者に手を差し伸べることを訴えてきた私たちですが、人との接触を極限まで避けよと言われて、自宅に居続けることが常態になって、改めてその不自由さに気づくということがあります。あの『五体満足』の著者である乙武洋匡さんに、健常者の落し穴的思考を示唆(毎日新聞)されて、恐らく初めて気づく人が多いのです。また、沖縄と本土との格差というテーマも、私自身、「沖縄独立論」を主張してきましたが、本土のエゴと指摘(毎日新聞)され、改めて自分勝手な押し付け的側面が強かったことを認めざるを得ません。たとえ、それが「対中国揺さぶり戦略」だとの持論であるにせよ、です。

以上に挙げた角度の問題はいずれも従来、正論であっても無理筋だとして、脇に追いやられて来ていたものばかりです。これ以外にも勿論山ほど、私たちが向き合わなばならないのに、日常の忙しさや、いわゆる常識に左右されて、棚上げしてきているものがあります。私の想像力の貧弱さもあって直ちに列挙できませんが、「コロナ以後」に予測される新たな自画像、社会像といったものに思いを致す必要性は極めて高いと思われます。

その点で、フランスという国は一味違うなあと思います。というのは、「コロナ以後」にあるべき社会をめぐり、市民的議論のプラットホームを超党派の国会議員が立ち上げたというのです。日本も見倣う必要はあると思うのですが。(2020-4-26)

今の「政治」はコロナ禍後に抜本的に変わるとの予感

☆世界の知識人3人の提言

新型コロナウイルスの猛威が人類史の上でどういう意味を持つかとの問題は、緊急の医療、政治、経済政策的対応とは別に、極めて重要です。様々な知識人による発言がありますが、先日NHKで放映された、三人の世界的な著名人へのパンデミック・インタビューは聞き応えがありました。三人とは、イアン・ブレマー(米国在住 国際政治学者)、エヴァル・ノア・ハラリ(イスラエル在住 思想家)、ジャック・アタリ(フランス在住 歴史家 経済学者)で、聞き手は道傳愛子さんでした。

それぞれの主張を簡潔に要約すると、ブレマー氏は、中国の国際政治における影響力拡大が注目されるとの見立てをしていました。ハラリ氏は、全体主義的機運の台頭に今後は気をつけていく必要があり、いかなる事態にも民主主義的価値を守らねばならないというスタンスを表明しました。アタリ氏は、自国第一主義を退ける一方、利他主義こそが今最も求められている価値観であることを訴えていました。

私は彼らの主張を聞いていて、直感的にアメリカの時代はこれで終わるとの予感を持ちました。勿論それへの道筋は紆余曲折を伴うでしょうが、その流れが加速化するに違いない、と。合わせて、ポスト・コロナ禍の時代には全ての分野で、新しい価値観が古臭いものに代わって登場するに違いない、との確信をも持つに至りました。

☆与野党のあり方の視座の転換を

そんな思いを抱いたあと、19日のNHK の国会討論会での与野党の中心者の議論を聞き、日本の政治の世界でのこれからのあるべき姿に思いをいたさざるを得なかったのです。それは一言で言えば、与党・自民党の時代の終わりです。この30年の日本は、二つの巨大災害の直撃を受けました。阪神淡路の大震災と東日本大震災による福島第1原発の原発事故です。前者は社会党を中心とする自社さ政権、後者は民主党政権でした。今回ある意味で初めての自民党中心の政権のもとでの緊急事態です。安倍首相は当時の政権の震災対応を悪しざまに言ってきましたが、自らの感染症パンデミック対応もあまり褒められたものでないことがハッキリしてきています。「安倍さんはやはりダメ」「自民党よお前もか」との気分が広がってきています。

未だ始まったばかりで、断定的なことをいうことは憚らねばなりませんが、これだけの未曾有の事態を前にして、この事態が終わった後も同じ統治形態であってはならないのではないかとしきりに思うのです。それは、勿論、民主主義から全体主義への復古を意味するのではありません。未だ見たことのない先鋭的な統治の姿であって欲しいとの願望です。政府与党の酩酊的蛇行ぶりを見ていると、野党の代表が異口同音に「もっと我々の主張を聞け」という言いぶりに同意したくなります。野党も〝昔の野党ならず〟ということに期待したい気分が大きく、無い物ねだりに終わる公算は否定できないのですが。

周知のように、二転三転の挙句、国民全てに10万円を支給することが決まりました。この過程で、予算組み換えをせよとの公明党の要求を自民党はしぶしぶ受け入れましたが、この辺はもっと平時から柔軟に対応すべきです。今回のことで、私的には山口代表がここ一番で立ち上がった印象が強いことに深い感銘を抱くと共に、ここから先は、もっと大胆に頻繁に自民党にもの申す姿勢を見せて欲しいということがあります。かねて、私は公明党がいま野党なりせば、ということを言ってきました。改めて、公明党が与党であり続けることについては、検討を要するのではないか、と思います。少なくとも、安定と改革の優先度は逆転させるべきだと思うのです。(2020-4-21 一部修正版)

 

 

 

新型コロナ・感染症による緊急事態に思うこと

新型コロナウイルスの爆発的感染を防ぐために、東京、大阪始め7都府県で緊急事態宣言が出された。私の住む兵庫県でも、安倍首相、西村担当相の方針表明のもと、井戸知事が緊急対応を発出している。個人に対しては、基本的には三密を伴う場所に身を置くことを避け、なるべく出歩かないようにとの要請である。手洗いの励行、マスクの着用は言わずもがな、出来る限り人との接触をするなとのお達しだ。これを受けて、公共施設はもちろんのこと、多くの民間施設も続々右へならへとなっている。「コロナ禍で何処も同じ春の夕暮れ」といった風であること、まことに危く先行きは暗く覚束ない▲かつて一年間とはいえ、公衆衛生分野に責任を有する厚生労働省に所属(2005-2006)し、感染症をめぐる課題について触れる機会もなしとしなかっただけに、己が無力さを痛感している。もし、自分の任期中に直面していたならどう対応していたか。武者震いならぬ、権力者震いがしないと言えば嘘になる。私が担当したのは厚生分野(労働分野ではなく、医療を含む)で、今は橋本岳副大臣がその任についている。先般の大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」対応をそれなりに無事に乗り切ったようで、他人事とは言えず、胸撫で下ろしている。公明党議員の後輩・稲津久副大臣は直接的には労働担当だが、大臣を支えて国会論戦で頑張っていることも嬉しい。感染症医療の専門家と連携を十分に取りつつ、地方自治体の長と心合わせて頑張ってほしい▲昨今、尾身茂・新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長がテレビで登場する場面が少なくない。実は私が副大臣時代に彼はWHOの事務局長を選ぶ選挙に推薦され、出馬した(当時の彼の身分は西太平洋地域の事務局長)。2006年の選挙は、中国の代表との一騎討ちだった。日本としてはこの選挙に勝つべく、関係各国が集まるニュージーランドに工作隊を送り込むことになり、私も責任者の一人として乗り込み、それぞれの担当者に働きかけたものだ。つまり、選挙の事前活動をしたのである。結果は敗北。中国の代表にその座を奪われた。あれから14年。その中国の武漢から発生した新型の感染症の始末に尾身氏が対応していることは、因縁浅からぬ私としては感慨深い。彼は70歳。選挙に負けたことが良かったのかどうか。彼の手腕にも期待したい▲さて、前回のこのコラムで、安倍首相以下の与党の責任云々について、あれこれ口を挟むことは避けたいと言った。その姿勢は変わらない。緊急事態宣言から二週間後の4-22にピークアウトを迎えられるかどうかを固唾を飲んで見守りたい。私はこの間に、住まいのそばにある公共施設でトレーニングをし、明石市自慢の市立図書館に通って本を読み、誰もいない社団法人の事務所で思索を深め原稿を書くつもりだった。しかし残念なことに、緊急事態宣言のおかげで、トレーニング施設は休館となった。おかげで一部方針転換を余儀なくされ、今は片道3キロを歩いて事務所に通うことにしている。東京都のように、ステイホームを呼びかけるだけではなく、兵庫県では、ゴー・アウトドア・イン・カントリーを県民に呼びかけてはどうかと提案したい。もちろん三密を避けるために、一人ないしせいぜい二人だけで。行った先や途中のことも考えて、人のいない田園地帯に、自転車や車で。あるいは電車でもいいから行くことを勧めるべきだと。大きい邸宅ならともかく、ちっちゃな家の狭い部屋にずっといたら、それだけで病気になってしまう。今回の新型コロナとの戦いは紛れもなく人類、文明の危機である。これを乗り切った先にはきっと価値観の転換が待ち受けており、それがないなら永遠に戦いは終わらないかもしれない。(2020-4-10  一部修正)

「新コロナ」と政府批判と新しい生き方と

新型コロナウイルス(以下「新コロナ」と略す)が、いよいよ世界中に本格的に蔓延する様相(アフリカの実態が分からないのが却って不気味ですが)を呈してきました。この時に、未来予測を読み解いた月刊誌の特集を『読書録』に取り上げた私としては、政治評論や行動録を旨としているこの欄(『後の祭り』)では、今この時の「政治の対応」を論評するべくあれこれ考え、準備に身をやつしました。そんな中で、思わぬところから、「自分自身の対応」を書こうと思い立つきっかけを見つけたのです。怪我の功名ならぬ、苦労の甲斐あってというべきでしょうか▲それは、新聞の特集ワイド「この国はどこへ コロナ禍に思う」(毎日新聞夕刊4-3付け)でした。作家の島田雅彦さんによる「政府批判が自己防衛になる」とのインタビュー構成の記事です。私はてっきり、「今政府批判をしておくことが世の識者にとって身を守ることになる」との趣旨の話だと思いました。このところ感染症の専門家でない人も含めて、あれこれと政府批判や提案で百家争鳴の様相だから、何かを発言しておくことが文化人、言論人のアリバイ作りになると思われるからです。ところが、最初から終わりに至るまで、徹底して安倍政権をこき下ろす中身でした。で、結論として「市民の生命を危険にさらしかねない政府を批判し、改善を求めることこそが積極的な自己防衛につながるのです」とあって、私の思い違いに気付きました。私が元議員とはいえ、公明党という政府与党に与する存在であるが故に、「聞き辛い中身」だというわけではありません。これまでの安倍政権の身の振り方はおよそ酷いとは思うものの、「新コロナ」対応まで一緒くたにするのはいささか能がなさすぎると思うからです▲ただ、この際それは棚上げしましょう。私がひらめきを持って読んだのは、一番最後に付け足された数行です。「ここまで各国が鎖国してしまうと、逃げ場がない。長期化した場合に心的ストレスとして重くのしかかってくるでしょう。その時、芸術や遊びの多様性が確保されていると、精神衛生上、有利です。誰もが引きこもらざるを得ない時こそ今まで縁の薄かった本や映画、音楽に触れ、自分の頭でものを考える喜びに目覚める絶好の機会になると期待しています」ーここから後を読みたいのですが、これで終わっています。島田さんから政府批判の数々を聞かされるよりも、「貴方の今の過ごし方を聞きたい」と。と思ったのですが、これは新聞編集側の意図(インタビュアーの狙い)とのズレなのでしょう。残念ながら。「芸術や遊びの多様性の確保」ーこの一点について島田さんの試みや論考を聞きたいと思うのは私だけでしょうか。政治批判は食傷気味なのです▲私は今、YouTubeから流れるクラシック音楽を聴きながら、近くの公的施設のトレーニング室で、汗を流す日々です。ランニング、ウオーキングマシンで30分(約5キロ)。自転車ペタルを漕ぐこと10分(約3キロ)。軽めのバーベルを持ち上げたり、スクワットをしたり。更に、腹筋を鍛えるためのマシンを使って50回。鉄棒にぶら下って終了。しめて1時間(因みに利用料200円)。併せて、電車に一駅乗ったお隣の駅前にある図書館へ。明石市は〝図書館シティ〟を売り物にしているだけあって、まことに機能が充実しており、職員も親切丁寧です。ここで借りた本を、ボランティアで関わっている一般社団法人の事務所(新装のうえ、事務員ゼロ)でじっくりと読み、ものごとの行く末を考えているのです。勿論、iPadを使っての原稿書きや発信も。こういう生活が出来るのは定年後の後期高齢者ならではのことでしょう(倒産や失業の憂き目に合われている皆さん、ごめんなさい)。今の政治の貧困をもたらした〝団塊前後世代〟の責任云々はこの際、棚上げにさせてください。皆さんが今の境遇を逆手にとって、強い境涯を磨き上げていくことが最も求められることです。これこそ「新コロナ」がもたらす事態への対抗手段かもしれません。(2020-4-4)