今の「政治」はコロナ禍後に抜本的に変わるとの予感

☆世界の知識人3人の提言

新型コロナウイルスの猛威が人類史の上でどういう意味を持つかとの問題は、緊急の医療、政治、経済政策的対応とは別に、極めて重要です。様々な知識人による発言がありますが、先日NHKで放映された、三人の世界的な著名人へのパンデミック・インタビューは聞き応えがありました。三人とは、イアン・ブレマー(米国在住 国際政治学者)、エヴァル・ノア・ハラリ(イスラエル在住 思想家)、ジャック・アタリ(フランス在住 歴史家 経済学者)で、聞き手は道傳愛子さんでした。

それぞれの主張を簡潔に要約すると、ブレマー氏は、中国の国際政治における影響力拡大が注目されるとの見立てをしていました。ハラリ氏は、全体主義的機運の台頭に今後は気をつけていく必要があり、いかなる事態にも民主主義的価値を守らねばならないというスタンスを表明しました。アタリ氏は、自国第一主義を退ける一方、利他主義こそが今最も求められている価値観であることを訴えていました。

私は彼らの主張を聞いていて、直感的にアメリカの時代はこれで終わるとの予感を持ちました。勿論それへの道筋は紆余曲折を伴うでしょうが、その流れが加速化するに違いない、と。合わせて、ポスト・コロナ禍の時代には全ての分野で、新しい価値観が古臭いものに代わって登場するに違いない、との確信をも持つに至りました。

☆与野党のあり方の視座の転換を

そんな思いを抱いたあと、19日のNHK の国会討論会での与野党の中心者の議論を聞き、日本の政治の世界でのこれからのあるべき姿に思いをいたさざるを得なかったのです。それは一言で言えば、与党・自民党の時代の終わりです。この30年の日本は、二つの巨大災害の直撃を受けました。阪神淡路の大震災と東日本大震災による福島第1原発の原発事故です。前者は社会党を中心とする自社さ政権、後者は民主党政権でした。今回ある意味で初めての自民党中心の政権のもとでの緊急事態です。安倍首相は当時の政権の震災対応を悪しざまに言ってきましたが、自らの感染症パンデミック対応もあまり褒められたものでないことがハッキリしてきています。「安倍さんはやはりダメ」「自民党よお前もか」との気分が広がってきています。

未だ始まったばかりで、断定的なことをいうことは憚らねばなりませんが、これだけの未曾有の事態を前にして、この事態が終わった後も同じ統治形態であってはならないのではないかとしきりに思うのです。それは、勿論、民主主義から全体主義への復古を意味するのではありません。未だ見たことのない先鋭的な統治の姿であって欲しいとの願望です。政府与党の酩酊的蛇行ぶりを見ていると、野党の代表が異口同音に「もっと我々の主張を聞け」という言いぶりに同意したくなります。野党も〝昔の野党ならず〟ということに期待したい気分が大きく、無い物ねだりに終わる公算は否定できないのですが。

周知のように、二転三転の挙句、国民全てに10万円を支給することが決まりました。この過程で、予算組み換えをせよとの公明党の要求を自民党はしぶしぶ受け入れましたが、この辺はもっと平時から柔軟に対応すべきです。今回のことで、私的には山口代表がここ一番で立ち上がった印象が強いことに深い感銘を抱くと共に、ここから先は、もっと大胆に頻繁に自民党にもの申す姿勢を見せて欲しいということがあります。かねて、私は公明党がいま野党なりせば、ということを言ってきました。改めて、公明党が与党であり続けることについては、検討を要するのではないか、と思います。少なくとも、安定と改革の優先度は逆転させるべきだと思うのです。(2020-4-21 一部修正版)

 

 

 

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新型コロナ・感染症による緊急事態に思うこと

新型コロナウイルスの爆発的感染を防ぐために、東京、大阪始め7都府県で緊急事態宣言が出された。私の住む兵庫県でも、安倍首相、西村担当相の方針表明のもと、井戸知事が緊急対応を発出している。個人に対しては、基本的には三密を伴う場所に身を置くことを避け、なるべく出歩かないようにとの要請である。手洗いの励行、マスクの着用は言わずもがな、出来る限り人との接触をするなとのお達しだ。これを受けて、公共施設はもちろんのこと、多くの民間施設も続々右へならへとなっている。「コロナ禍で何処も同じ春の夕暮れ」といった風であること、まことに危く先行きは暗く覚束ない▲かつて一年間とはいえ、公衆衛生分野に責任を有する厚生労働省に所属(2005-2006)し、感染症をめぐる課題について触れる機会もなしとしなかっただけに、己が無力さを痛感している。もし、自分の任期中に直面していたならどう対応していたか。武者震いならぬ、権力者震いがしないと言えば嘘になる。私が担当したのは厚生分野(労働分野ではなく、医療を含む)で、今は橋本岳副大臣がその任についている。先般の大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」対応をそれなりに無事に乗り切ったようで、他人事とは言えず、胸撫で下ろしている。公明党議員の後輩・稲津久副大臣は直接的には労働担当だが、大臣を支えて国会論戦で頑張っていることも嬉しい。感染症医療の専門家と連携を十分に取りつつ、地方自治体の長と心合わせて頑張ってほしい▲昨今、尾身茂・新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長がテレビで登場する場面が少なくない。実は私が副大臣時代に彼はWHOの事務局長を選ぶ選挙に推薦され、出馬した(当時の彼の身分は西太平洋地域の事務局長)。2006年の選挙は、中国の代表との一騎討ちだった。日本としてはこの選挙に勝つべく、関係各国が集まるニュージーランドに工作隊を送り込むことになり、私も責任者の一人として乗り込み、それぞれの担当者に働きかけたものだ。つまり、選挙の事前活動をしたのである。結果は敗北。中国の代表にその座を奪われた。あれから14年。その中国の武漢から発生した新型の感染症の始末に尾身氏が対応していることは、因縁浅からぬ私としては感慨深い。彼は70歳。選挙に負けたことが良かったのかどうか。彼の手腕にも期待したい▲さて、前回のこのコラムで、安倍首相以下の与党の責任云々について、あれこれ口を挟むことは避けたいと言った。その姿勢は変わらない。緊急事態宣言から二週間後の4-22にピークアウトを迎えられるかどうかを固唾を飲んで見守りたい。私はこの間に、住まいのそばにある公共施設でトレーニングをし、明石市自慢の市立図書館に通って本を読み、誰もいない社団法人の事務所で思索を深め原稿を書くつもりだった。しかし残念なことに、緊急事態宣言のおかげで、トレーニング施設は休館となった。おかげで一部方針転換を余儀なくされ、今は片道3キロを歩いて事務所に通うことにしている。東京都のように、ステイホームを呼びかけるだけではなく、兵庫県では、ゴー・アウトドア・イン・カントリーを県民に呼びかけてはどうかと提案したい。もちろん三密を避けるために、一人ないしせいぜい二人だけで。行った先や途中のことも考えて、人のいない田園地帯に、自転車や車で。あるいは電車でもいいから行くことを勧めるべきだと。大きい邸宅ならともかく、ちっちゃな家の狭い部屋にずっといたら、それだけで病気になってしまう。今回の新型コロナとの戦いは紛れもなく人類、文明の危機である。これを乗り切った先にはきっと価値観の転換が待ち受けており、それがないなら永遠に戦いは終わらないかもしれない。(2020-4-10  一部修正)

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「新コロナ」と政府批判と新しい生き方と

新型コロナウイルス(以下「新コロナ」と略す)が、いよいよ世界中に本格的に蔓延する様相(アフリカの実態が分からないのが却って不気味ですが)を呈してきました。この時に、未来予測を読み解いた月刊誌の特集を『読書録』に取り上げた私としては、政治評論や行動録を旨としているこの欄(『後の祭り』)では、今この時の「政治の対応」を論評するべくあれこれ考え、準備に身をやつしました。そんな中で、思わぬところから、「自分自身の対応」を書こうと思い立つきっかけを見つけたのです。怪我の功名ならぬ、苦労の甲斐あってというべきでしょうか▲それは、新聞の特集ワイド「この国はどこへ コロナ禍に思う」(毎日新聞夕刊4-3付け)でした。作家の島田雅彦さんによる「政府批判が自己防衛になる」とのインタビュー構成の記事です。私はてっきり、「今政府批判をしておくことが世の識者にとって身を守ることになる」との趣旨の話だと思いました。このところ感染症の専門家でない人も含めて、あれこれと政府批判や提案で百家争鳴の様相だから、何かを発言しておくことが文化人、言論人のアリバイ作りになると思われるからです。ところが、最初から終わりに至るまで、徹底して安倍政権をこき下ろす中身でした。で、結論として「市民の生命を危険にさらしかねない政府を批判し、改善を求めることこそが積極的な自己防衛につながるのです」とあって、私の思い違いに気付きました。私が元議員とはいえ、公明党という政府与党に与する存在であるが故に、「聞き辛い中身」だというわけではありません。これまでの安倍政権の身の振り方はおよそ酷いとは思うものの、「新コロナ」対応まで一緒くたにするのはいささか能がなさすぎると思うからです▲ただ、この際それは棚上げしましょう。私がひらめきを持って読んだのは、一番最後に付け足された数行です。「ここまで各国が鎖国してしまうと、逃げ場がない。長期化した場合に心的ストレスとして重くのしかかってくるでしょう。その時、芸術や遊びの多様性が確保されていると、精神衛生上、有利です。誰もが引きこもらざるを得ない時こそ今まで縁の薄かった本や映画、音楽に触れ、自分の頭でものを考える喜びに目覚める絶好の機会になると期待しています」ーここから後を読みたいのですが、これで終わっています。島田さんから政府批判の数々を聞かされるよりも、「貴方の今の過ごし方を聞きたい」と。と思ったのですが、これは新聞編集側の意図(インタビュアーの狙い)とのズレなのでしょう。残念ながら。「芸術や遊びの多様性の確保」ーこの一点について島田さんの試みや論考を聞きたいと思うのは私だけでしょうか。政治批判は食傷気味なのです▲私は今、YouTubeから流れるクラシック音楽を聴きながら、近くの公的施設のトレーニング室で、汗を流す日々です。ランニング、ウオーキングマシンで30分(約5キロ)。自転車ペタルを漕ぐこと10分(約3キロ)。軽めのバーベルを持ち上げたり、スクワットをしたり。更に、腹筋を鍛えるためのマシンを使って50回。鉄棒にぶら下って終了。しめて1時間(因みに利用料200円)。併せて、電車に一駅乗ったお隣の駅前にある図書館へ。明石市は〝図書館シティ〟を売り物にしているだけあって、まことに機能が充実しており、職員も親切丁寧です。ここで借りた本を、ボランティアで関わっている一般社団法人の事務所(新装のうえ、事務員ゼロ)でじっくりと読み、ものごとの行く末を考えているのです。勿論、iPadを使っての原稿書きや発信も。こういう生活が出来るのは定年後の後期高齢者ならではのことでしょう(倒産や失業の憂き目に合われている皆さん、ごめんなさい)。今の政治の貧困をもたらした〝団塊前後世代〟の責任云々はこの際、棚上げにさせてください。皆さんが今の境遇を逆手にとって、強い境涯を磨き上げていくことが最も求められることです。これこそ「新コロナ」がもたらす事態への対抗手段かもしれません。(2020-4-4)

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東京オリンピックの「延期」と、3人の発言

東京オリンピックを来年に延期することで安倍首相と国際オリンピック委員会(IOC)が24日に合意しました。新型コロナウイルス感染の猛威という突発的事態で全ての状況が変動的にならざるを得ません。前回の昭和39年の時に高校を卒業したという個人的理由もあって、私には感慨深いものがありますが、このことをどう前向きに捉えていくか。ここでは三人の発言を思い出して考えてみます▲実はこれまで2020東京オリンピックは開催されるかどうかわからないということを早くから発信していた人物がいて、その発言を直に聞いたことがあります。2015年11月末のこと、場所は岡山県倉敷市で。発言したのは熊本市在住の教育者・田端俊久さん。知る人ぞ知る「賢人塾」塾長で、多くのファンを持つ講演上手のリーダーです。講演の中身は「5年後の東京オリンピックは、近く起こる大変事のために開催は恐らく難しくなる」というものでした。私は強く印象に残ったので、「早朝の倉敷での講演で二つの戦後を語る」とのタイトルで「後の祭り回想記」(12月1日号)に書きました。この人の予測力をここで云々するつもりはありません。要するに世界が「なんでもあり」の時代に突入した証左だと理解したいと思います▲同時に、私がつい先日『忙中本あり』で取り上げた、邉見公雄さんの『令和の改新』を思い起こします。そこでは、強く東京オリンピックの開催に憂いを投げかけています。日本オリンピック委員会(JOC)の竹田会長による〝不祥事〟がことの発端。かのカルロス・ゴーン氏のような私益ではないが、国益のための〝おもてなし〟に不審を抱いたのです。続けて❶東京でオリンピックを開くことで、東北の復興が遅れる❷ライバルだったイスタンブールに譲れば、アラブ・アフリカでの開催となり、念願の5大陸が揃う❸東京での開催は一極集中が更に加速されるだけ、むしろ東北とか広島・長崎の被爆両県、あるいは金沢、富山、福井、新潟の日本海側地域の共同開催が望ましいーなどを挙げ、東京オリンピック開催に否定的見方をしています。ひとえに、〝日本列島を最輝〟させるために必要なことだ、と▲ここでもう一つ思い出すのは、「昭和39年日本社会転換説」です。これは歴史家の松本健一さんが公明新聞紙上などで唱えた説。あの東京オリンピック第一回開催の年から、日本社会はそれまでと一変したとする考え方です。先の大戦からほぼ20年で日本は変わった、社会が大きく転換したというもので、あれこれと付け加える必要はないでしょう。そんなことから、56年経った時点で、もう一度日本社会を変革する必要あり、と密かに考えていた人は少なくなかったはず。全てに行き詰まりが見られ、抜本的に国と世界の生き方を変えていかねば、前途に希望が見られないと考える人も、また。田端俊久さんの見立てが的中し、邉見公雄さんの憂いが半ば当たったかに思える今、我々が取り組むべきは何か。大事なことは、今までの惰性から一旦自由になってこの国と、この地球とのこれからに想いを馳せることではないでしょうか。後々新たに「令和3年日本社会転換説」が出てくるような〝世直し〟をせねば、と思うことしきりです。(2020-3-25)

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古今未曾有の事態のなかで、画期的な構想に想いを馳せる

新型コロナウイルスの世界中の蔓延という事態は、数々の深刻な問題を提起しています。ことここに至った政治的責任をあげつらうことはここでは差し控えます。不要な外出を控え、不特定多数の人たちが集まる場所には行かず、マスクの着用と手洗いの励行の徹底が幅広くよびかけられています。小中高といった学校も概ねお休みという状況が続いています。年初までインバウンドの外国人で賑わっていた観光地もガラガラ。企業活動にも大きな影響が出始め、株価の暴落やらで、倒産する企業もこれから相次ぐ雰囲気は避けられないものと見られます。こんな時だからこそ、普段は忙しさにかまけて考えてこなかったことに思いをいたす、ということが大切かもしれません。2008年のリーマンショックの時にも語られたことですが、一体化を強める「世界経済」にあって、マネーゲーム的要素に支配されがちな金融経済と、ものづくりの現場と密接に関わる実体経済とのたてわけをしっかりすることが大事です。両者はもはや一体不可分の傾向は否めぬものの、一時の突風に上っ面が吹き飛ばされようとも、基底部の地に足つけたものの考え方を維持することが重要です。また、常識だと思い込んでいることに、疑問を呈することもこの際とても大事です▲その最大のものは「成長神話」とでも言うべき目標への疑問です。高度経済成長がバブル経済を招き、その破綻から30年ほどが経っているのに、未だに政治・経済のリーダーたちは、“夢よもう一度”との「経済成長」にばかり関心が向いています。現政権は当初、財政出動、金融展開に成長戦略の三本の矢を掲げていたのですが、その後は、地域おこし、女性パワー、高齢者対応といった風なものに目先を変えてしまいました。これは、「経済成長」がままならぬことから、目標を曖昧にしたと言わざるをえません。結局は「経済成長」の幻想に翻弄されているからだと言えましょう▲そんなおりに、政府が全ての国民に12000円のお金を緊急の生活支援として配るということを検討しているとのニュースに接しました。冷え込んだ消費を一気に回復するために、というわけです。一般的にはかつての「定額給付金」(麻生内閣時)が思い出されているようです。ただ、私は「ベイシック・インカム」(現金給付)を想起しました。桁が一桁は違うとはいえ、全ての人々に一定の現金を生活するための資金として配るというこの制度は、出ては消え、消えては出てくる根本的な経済政策の転換の柱です。最近は、一部専門家から、膨大な予算を必要とするものよりも「ベイシック・サービス」(現物給付)の方がよりベターで、現実的であるとの問題提起がなされています▲一方で、生活の困窮を訴える人々への救済策として、「消費税ゼロ」を強調する一部野党の動きがあります。それとは真逆に、消費税を20%ほどにまで引き上げて、そこから得る財政収入を国民全てに還元する方途が望ましいとするベーシック・インカムやベーシック・サービス
を主張する専門家たちとの対立は熟慮の要があります。消費税を上げることにその都度反対の声を上げてきた公明党も、今や軽減税率導入とセットとは言え、賛成の側に身を置いています。いわば、オール・オア・ナッシングの選択肢を前にどう舵取りをするか。ちょうど考えるのに、いい機会です。古今未曾有の「新コロナ」騒ぎの只中で、根本的にこの国のありようを変える試みに挑戦しようと考えることは決して無意味なことではないと思われます。(2020-3-19)

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「新型肺炎」の陰で見過ごされてはならないもう一つの疑惑

参院選挙の運動員への買収疑惑発覚から四ヶ月が経って、このほど広島地検は、河井案里参議院議員の公設秘書を公職選挙法違反の疑いで逮捕したと報じられました。新型コロナウイルス問題で、日本はおろか世界中が大騒ぎとなっていますが、これも見過ごせないテーマなので、少し問題の所在を明らかにさせたいと存じます。実は河井克行氏とは私が外務委員会に所属していた時に、同委で一緒に理事を務めていたことがあります。与党筆頭と二番手の理事ということでそれなりに接触する機会が多かったのです▼私自身実害はそう受けたことはないのですが、関係の職員や官僚の一部には滅法きつく当たる、際立って強引な議員ということで、あまりいい評判は聞かなかったということが記憶に残っています。この評判の悪さは、私だけの思い込みや単なる噂ではなく、広島の政界に詳しい人の間では共通の認識だったようです。その人物が安倍首相側近の一人として重用され、とうとう法務大臣にまで上り詰められたことに、正直皆が驚きました。とりわけ与党関係者は事の成り行きに懸念を持っていたものと思われます▼今回の事件報道を追っている限り(勿論未だ当局が操作中の案件ですから断定的に言えないまでも)、自民党内部の勢力争いが背景にあることは否定できません。その間隙を縫って河井氏が夫人起用に執心し、遮二無二当選を果たすべく、周りを巻き込んだもののようです。巨額の選挙資金を自民党が投入、それを惜しげも無く使ったとの舞台裏の報道を見るにつけ、さもありなんとの思いが募ります。この問題について、安倍首相は任命責任者として大きな責任があります。また、自民党の総裁として、官房長官と政調会長間での選挙における分裂騒ぎにも、我関せずとはいかないはずです。同党関係者は、本人の説明責任を指摘するばかりですが、それは当然のこととして、問題の背景にはもっと根深いものがあるように思われます▼公明党の山口代表も3日の記者会見で、「河井議員夫妻は捜査に協力して実態を解明すべきだ」と述べていますが、当然のことでしょう。新型肺炎を巡っての安倍首相の野党への協力呼びかけの場面を見ていて、山口代表や斎藤幹事長が同席する姿に改めて「自公一体」を痛感しました。「桜を見る会」の問題にせよ、いわゆる「もり、かけ」疑惑にせよ、公明党の追及を疑問視する向き(弱すぎることに)が少なくありません。身内意識が強く、手心を加えているのでは、ないかと。勿論、政治腐敗追及に熱心だった野党時代と同じようにすべきとまでは言いません。衆参の選挙を通じて両党はほとんど一体化しているだけに、難しいものがあるでしょう。しかし、政治腐敗を見過ごすことはたとえ同じ党であっても許されません。「公明党の自民党化」の悪い実例に、新たなカードを加えることは御免被りたいものです。(2020-3-7 一部修正版)

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長い空白期を経て、心肺蘇生法の実践講座に参加

新型コロナウイルスの蔓延で、とうとう政府が大規模な催しの開催の「2週間自粛」(新学期までの小中高の休校も)を呼びかける事態となりました。近くは大阪での大相撲春場所の開催、遠くは東京五輪の実施が気になるところです。そんな状況を前に先週二つのささやかなイベントに参加しました。一つは、「AED を使用した心肺蘇生法普及500人講習会」(播磨町総合体育館)。もう一つは、「中小企業の経営革新と事業承継」セミナー(神戸市産業振興センター)です。共に、講師の先生との個人的関係から行く意思を固めました。前者は、AED導入に貢献した医学博士の河村剛史先生。後者は関西学院大学の兼任講師で、中小企業の在りようを熟知する勝瀬典雄先生(6次産業化中央サポートセンタープランナー)。この二つは、一見無関係に思える講義でしたが、人の生き死にと、企業の存続と、実は底流でしっかりと繋がってることを実感しました▼このうち、今回は心肺蘇生法についての報告をします。河村先生と知りあった20数年前から、私は大いにこれに関心を持ち、国会でAED 導入に関する質問も一番早い段階で行いました。しかし、胸や心臓の発作、あるいは脳の異常からか、現実に倒れ込んだ人に遭遇する機会はこれまでなく、いつの日かAEDを操作することもないまま歳月は流れ去りました。心肺蘇生法についても結局は耳学問のまま、その手順についても遠い彼方に消え去ってしまっていました。AEDの設置場所については今でこそ至る所で目にしますが、どこまで活用されているか、疑問なしとしません。そんな折、心肺蘇生法を強力に支える手段としての補助機材がドイツにあることを知りました。手を使うだけではそれこそ手応えが分かりません。そのうえ、女性の胸に、着服のままにせよ触ることへの抵抗があるので、それを避けるために作られた機材だと言います。そこで神戸のクリニックを訪問、同機材を巡って河村先生と意見交換をしたのです。手技によることが唯一最高と確信される同先生は補助機材導入には否定的でした。その代わりに帰り際に、同先生の主宰される講演と実技の会への出席を要請されたのです▼河村先生はこれまで数限りない機会に、数万人にも及ぶ人の前で講演をし、心肺蘇生の手ほどきをしながら、実際にご自身がそれを披露する機会は一度だけしかなかったとのこと。交通事故は日常茶飯事ですが、目の前でぶつかることはほとんどないのと同様でしょうか。講演で印象に残ったのは、救急救命に対する日米の対応の差です。米国では直ちに救命に立ち向かうケースが通常なのに、日本では尻込みする人が多く、見て見ぬ振りをする人さえ珍しくないとの比較には、今更ながら胸に痛みを覚えました。そんな現実を打開するために、帰国後心肺蘇生法の普及に従事することになったとの話は痛烈に響きました▼日本人は倒れた人を前にして大きな声を出して助けを求めることすらしないという指摘には、そんなものかと呆れました。そのせいもあって、私は実技に際して誰よりもでっかい声を出したものです。尤も、すぐさま実行できたのはそれくらいで、人体のモデルを前にして、意識の有無の確認、心肺蘇生のための胸骨圧迫、気道の確保、口からの息の注入、AEDの操作に至る一連の手順には困難さを覚えました。人の生死に関わる場面に直面すると、誤って死を早めたりすることを恐れるあまり、狼狽するのも無理ないことかも、と思ってしまいます。不測の事態を前に日本人社会での対応をどう価値あるものにしていくか。心肺蘇生の補助機材はどのような威力を発揮するものか。あれこれと検討する必要があるのではないかと考えるに至っています。(2020-2-28=一部修正)

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熊が出たぁ!越後の里は大騒ぎー「熊森協会」の懸命な闘い

「越後の山には熊が棲む。冬ごもりの前や雪解けののちには、餌を求めて里に現れることもしばしばであった。中には獰猛な人食い熊もいるという」ー江戸と越後を舞台にした無類に面白い時代小説『大名倒産』を読んでいて出くわした一節です。思わず唸ってしまいました。今私が直面している課題を連想させたからです。一般財団法人『日本熊森協会』の室谷悠子会長から、「新潟県南魚沼市の里に三頭の親子熊が出てきて、騒ぎになっている。地元では保護と殺処分の二説があります。何とか助けてやりたいので、応援を」との連絡を貰ったのは昨年の暮れのこと。いらい、私なりに地元の公明党議員団と連携したり、環境省への働きかけなど、あれこれとサポートの手を打ってきました。現在のところ、まだ自治体や関係者との間で調整が続けられているようです。熊は本来はおとなしく優しい野生動物なのですが、人間の側の過剰な防御反応が時に変身させることもあり、冒頭の浅田次郎さんの小説の一節のような表現を生み出してしまうのでしょう。熊にとってはいい迷惑なのですが▼さて、新潟県南魚沼市で昨年暮れに起こった事件とは?全国的に報道されたためご存知の向きもあるかもしれませんが、12月8日朝のこと。同二日町にある萌気園二日町診療所で、親子熊三頭が発見されたのが事の発端です。恐らく山の木ノ実(どんぐり)の不作で、お腹をすかした親子は、餌を求めて人里まで降りてきたに違いありません。たどり着いた先が診療所だったとは、ホッとする思いですが、慣れぬひとたちにとっては驚きです。さてどうするかで地元では意見が分かれました。偶々、熊森協会の企業会員である(株)マルソー(三条市の運送業者)の渡邊雅之社長がとりあえず引き取ることを申し出てくれました。南魚沼市とは百キロほど離れているのですが、熊森協会との連携をとった上で、越冬期間の保護管理をしてくれることになったのです▼「熊が暴れ出したらどうするつもりか」ー北海道を始め全国各地で熊と人間のトラブルが起こっているため、様々な反応があります。もし、少しでも人間に危害が及ぶような事態が起これば、申し開きが出来ないとばかりに、どうしても自治体の責任者は対応に神経質になりがちです。南魚沼市でも当初は保護することに懸念する動きもあったようです。しかし、熊森協会本部の積極果敢な動きもあって、なんとか殺処分はしない方向が選択されたようです。実際に現地に飛んで熊を見たうえで、周辺関係者の意向を聞き説得に当たった水見君は「通常なら母熊は50-60キロあってもおかしくないのに、30キロほどしかなく、子熊共々栄養不足の状態が顕著です。マルソーさんのお陰でこの冬を越すことが出来て、元気になったら、春には奥山に放してやりたい」と言っています▼先日、「熊森協会」の本部(西宮市)で、姉妹団体の「奥山保全トラスト」の理事会があり、私も出席しました。こちらの方は、公益法人化されて今年でちょうど5年になります。その前身時代から着実に取得されてきたトラスト地も今では全国で18箇所、約2290ヘクタールにも及びます。日本全国のトラスト地のうちこれは14%ほどを占め(全国で三番目)ます。荒廃が懸念される日本の森林。熊が里山に出没するのはひとえに、奥山が食糧不足で住み辛いからです。つまりは、熊の出没が森の荒廃の予兆となっているわけです。その因果関係を無視して、熊は人間にとって危険だから、人里に出てきたら殺処分するのが適当とばかりに安易な動きをしてしまうのは、人間の身勝手です。これは結局森の荒廃を許してしまうことにもつながります。広葉樹林の豊かな森林と大型野生動物のシンボルとしての熊の生息を可能とする奥山保全。これこそ次代に残すべき人間の貴重な遺産ではないでしょうか。(2020-2-20=一部修正)

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合意形成へ行動をー憲法調査会発足20年・毎日新聞インタビューから

今年は、衆参両院に憲法調査会が設置されて20年になります。現在は、憲法審査会と名前を変えて、国民投票法の改正法案の審議などに当たっています。このほど毎日新聞が各党代表にインタビューを試みたものが同紙に掲載されました。1回目が発足当時の衆議院憲法調査会長の中山太郎氏。2回目が元民主党の江田五月氏。そして3回目(2-8付け)が私でした。(最後の4回目は自民党の高村正彦氏)。私はここで「合意形成へ行動を」との見出しで❶憲法調査会20年への評価❷与野党が国民投票法改正案を巡って対立していることをどう見るか❸公明党が04年にまとめた「論点整理」では、自衛隊明記案も含まれていたではないか❹公明党の山口那津男代表は慎重姿勢を崩していないことをどう見るかーの4点を記者から問われて答えています▼一つ目については、中山太郎会長のもと、各党が世界観の違いを乗り越えて、自由に議論が出来たこと。政治改革の機運が強く、自民党も民主党も丁寧な議論を心がけた結果、国民投票法が成立したことを高く評価しています。二つ目は、与野党対立の流れを作ったのが、17年5月の安倍首相の自衛隊明記案や改正憲法20年施行などの「フライング連発」にあると断じました。三つ目は、安倍首相が加憲の対象に「自衛隊明記」を掲げたのは、公明党がかつて「論点整理」(04年)に同じことを挙げていたことがあるとしています。ある意味で変化球といえ、これを見送りしないで、ファウルでもいいからバットを合わせる努力をすべきだと述べています。つまり、公明党内で議論をしたり、自民党とも議論を交わすべしという提言です。四つ目は、山口那津男代表が、安保法制が成立を見たため、今のままの憲法9条でも差し支えがない、として、加憲ではなく、護憲に戻ってしまったことを嘆いています▼これについて、様々のご意見をいただきました。憲法をめぐる議論について、普段からあまり知らなかった人からは、これを読んでもよくわからないとの意見を頂きました。確かに、いきなり憲法調査会や憲法審査会などでどういう議論がされてきたと言っても訳がわからないかもしれません。今話題の国民投票法改正案についても、野党がなぜCM規制を求めているのか自体がわからないと指摘されました。この辺りは、メディアの報道の仕方について、もっと工夫を求めるべきかもしれないと思うと共に、政党、政治家ももっともっと有権者に分かりやすく語る必要を感じた次第です▼関心の高い識者からは、赤松は合意形成を言うが、どこに持っていくのか方向性がはっきりせぬまま、合意を得ようとすることは危険ではないかとの疑問を向けられました。これには、私は反論があります。予め方向を決めるからこそ、議論ははなからデッドロックに乗り上げてしまうと思います。お互いの基本姿勢をひとまずは棚上げして、白紙状態から虚心坦懐に憲法論議をすることこそ、迂遠の道であるように見えて合意形成の直道ではないでしょうか。更に、赤松は評論家だ、政治家としてどうすべきかが見えないとの意見を投げられました。これには、私は既に産経新聞のインタビュー(昨年8月)で、❶予備的国民投票法の実施で、国民の憲法についての考えを聞く❷学者、文化人ら有識者の意見を求めて、憲法改正原案を形成する❸政局から離れて純粋に憲法をどうするかの議論をするために専門チームを作って、2年間ほど缶詰めにして議論をし、成案をまとめるーなどの提案をしています。今回も産経新聞の時に続いて、大筋では、多くの方からよくぞ言ったとの評価を得ましたが、これは、憲法というよりも、現在の政治状況全体における安倍与党の政治に対する不満があるゆえだと思われます。もっと、公明党は自民政治にノーというべきは言え、ということでしょうか。(2020-2-12)

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〝後進国〟の「福祉」論が問われるー公明党の二枚看板を検証する❻

「生活保護」をめぐる攻防

政治家の日常的仕事の最大のものは、支持者や地域住民の要望を聞くことー住民(市民)相談である。公明党の所属の議員にとっては、かなりのウエイトを占めるのが生活保護の受給をめぐる問題だということは今も昔も変わらない。かつて自民党のあるベテラン代議士が、当選直後の私に対して、「共産党と公明党の両党議員が生活保護の道筋を積極的につけるものだから、財政が厳しくなる。困ったものだ。公明党のみなさんも、相談を受けても直ぐに頼らせず、自立する生き方の大事さ、自己責任を分からせて欲しいよ」と言われたことが鮮明に記憶に残っている。共産党の専売特許の雰囲気があったこの分野に、後発の公明党が参入して以来、両党が競い合うので、政府・自民党は迷惑すると言いたげだった。
元々究極の生活困窮者の救済の手立てとして、生活保護は位置付けられ、それなりに運営されていた。しかし、高度経済成長の頂点としてのバブル崩壊を経験する前後あたりから、徐々に風当たりが強くなっていく。市民にとって生活保護の対象となり、公的機関から助けを受けることは恥ずかしい、自らの努力で解決すべきだとの考え方の台頭である。生活保護は最後の手段、出来うることなら貰わずに済ませたい。尾花打ち枯らし、ニッチもサッチも行かなくなってから受給するものと、多くの人は思っていた。それがいつ頃からか、生活保護を取り巻く状況が変わってきた。「生活保護を貰っているくせに、派手な生活をしている」とか、「生活が苦しいのはお互い様。それをすぐお上に頼るなんて」などの声に代表されるように、生活保護者が一般の市民から攻撃を受ける対象になってきた。加えて、生活保護を受けて暮らす人を横目に、歯を食いしばって生きながら力尽きてしまい、将来への不安から自殺の道を選ぶ人が後を絶たないという現状も取り沙汰されてきている。つまり、本当に生活保護を必要とする人は誰か。何が障害になっているのかとの疑問が起きてくるのだが、明確な答えが出されぬまま、自公政権下で、生活保護費の切り下げだけが着実に進んできているのだ。

本当の弱者とは誰なのか

かねて、社会的弱者を救済する党という言いぶりで、公明党は福祉の分野での第一人者、第一党の名を欲しいままにしてきた。確かに、大衆福祉という言葉を政治のど真ん中に押し上げ、多彩な政策を縦横無尽に展開してきた。いかにバラマキ福祉と詰られ非難されようとも、「地域振興券構想」などそれなりの手応えはあった。だが、民主党政権3年から安倍政権が7年続いている今、果たして十全たる対応がなされていると言えるのか。
実は、かの55年年体制下でも、自民党は当時の野党・社会党や公明党の提起する弱者救済の具体的方向を事前にキャッチし、それを先取りしてきた歴史がそれなりにある。2000年以降、公明党の連立与党化に伴って、政権の政策決定過程に組み入れられ、よりスムーズに福祉政策が陽の目を見てきた。その動きは、民主党に政権の座を奪われて以降の3年間がピークとなった。政権交代劇のもと、現与党と前与党の間で、福祉政策を互いに競い合うという側面が際だったのである。どちらが先に手を染めたか、との政党間の実績争いは時に激しくぶつかり合う。尤も、勝負は渾然一体化し見極めがつけ難いというのが偽らざるところだ。
例えば、2017年の衆議院選挙で、幼稚園、保育所を無償化するためや、大学や高校の授業料の軽減に消費税を使うとの主張を自公政権が掲げた際に、当時の民進党が政策のパクリだと指弾したことを思い出す。与野党が真剣に有権者の生活の安心・安全に意を注げば、自ずと道は重なり合おうというものだろう。どっちが先に言いだしたか、どっちが体系だった主張かというのは聞き苦しい。もはや、生活の保障に向けての政党間の争点は殆ど区別がつかなくなってきている。
かつて私自身、本当の弱者とそうでもない弱者を区別し、線引きすべきだとの主張をした記憶がある。その当時は、それが可能だと思い込んでいた。が、よく考えれば、それは至難の業に違いない。膨大な予算の投入を講じないと難しい。有り体にいえば、弱者の位置付けを茫漠と曖昧にしたままで、実際に必要としているところには救済の手が届いていなかった。それなのに見て見ぬ振りをしたのではなかったかとの苦い思いが蘇る。

既成政党の枠組み超える動きが急浮上

既成の政党(公明党も今や立派な既成政党だ)が、福祉政策を巡ってツノ突き合わせている現状の間隙を縫って、「れいわ新選組」なる新しい勢力が不気味な動きを見せている。昨年夏の参議院選挙で、身体に障がいを持つ人たちを候補に立て、当選させた。これは大衆の声が十分に届いていないと見る国会に向けて、機能していない代議制への根源的な挑戦だと思われる。山本太郎氏の特異なパフォーマンスに過ぎぬと切り捨てていると、意外なしっぺ返しを受けかねない。安倍自民党が、伝統的な政治家の犯罪に加えて、「桜を見る会」や「統合型リゾートIR」などの汚職事件を繰り返しながらも、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。その状況に対して効果的な攻撃を加えられない既成野党のだらしなさに大衆はうんざりしている。そこに、付け入ってくる可能性は高い。
山本氏は、野党に対して「消費税5%切り下げ」による共闘を呼びかけ、叶わぬなら「消費税ゼロ」を、と訴える構えだ。消費税でなく、大企業の法人税や大金持ちの所得税から代わりにとればいい、との議論である。これはもう既に言い古された論法の蒸し返しだ。その実現のためにはかなりの高税率が求められよう。しかし、今や経済・社会の時代状況が一段と厳しくなっているだけに、人々の胸に深く入り込んでくる可能性なしとしない。消費税をどれくらいあげるか、それともあげないかとの議論が次の衆議院選挙の争点にまたぞろなりそうだ。その際に、改めて財政論の根本にまで立ち至って「税と社会保障のあり方」を問い直す議論がなされるべきではないか。経済成長が半永久的に期待できず、「日本はもはや先進国ではない」との指摘も、特段耳新しくは聞こえない様相を呈してきている。今までの延長線上ではなく、後進国となった日本の福祉をどうするか。既成の与党目線ではなく、新たな大衆目線で公明党は福祉に再挑戦、再起動すべきでないのか。政権の主体者が遠い昔の成功体験に酔ったままではならない。旧態依然とした福祉論では、新型コロナ禍で大きく動揺する社会、経済状況に太刀打ち出来ない。格差はさらに拡大し、真の弱者は置き去りにされたままの事態が続くほかないと、懸念される。(この項終わり)

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