【82】米国と共同対処や43兆円の防衛費で対応(下)/12-28

●「中国脅威」をわざわざ持ち出さずとも

   前回までに見た基本的な戦略に基づいて、具体的戦略の構え方が提示されているのが、第二文書「国家防衛戦略」である。骨格は、米国を始め同盟国との連携によって、周辺国からの力による現状変更の試みを阻止することだ。その戦略の鍵に「反撃能力」がなるとした上で、重視する能力の具体例を列挙していく。①地上発射型および艦艇発射型を含めたスタンド・オフ・ミサイルの運用可能な能力を強化する②無人機による情報収集、警戒監視のみならず戦闘支援など幅広い任務に活用する③防衛省・自衛隊で能動的サイバー防御を含め政府全体の取り組みと連携する④島しょなどわが国に侵攻する部隊の接近、上陸を阻止するため、自衛隊の海上輸送力・航空輸送力を強化する⑤27年度までに、弾薬、誘導弾の必要数量の不足を解消する──などといった具合に。

 さらに、第三分書「防衛力整備計画」では、具体的に装備を整備する手順について事細かに挙げている。そして、それを実現するために、「23年度から5年間の計画実施に必要な防衛力整備費用は43兆円程度とする」と、締め括っている。

 以上の3文書策定に対して、与党内で批判が集中したと報じられたのが、43兆円もの費用をどう捻出するのかとの「財源論」についてである。防衛国債から始まり、法人税、たばこ税、震災税の転用などと、議論百出の末に、結論は先送りされたのは周知の通りである。迫り来る外敵の「挑戦・脅威・懸念」の〝恐怖3点セット〟を前に、お金の算段で揉めるとはいかにも「民主国家」らしい、などと皮肉はいわない。結局は、国民の財布に頼るしかないのだから、大いに議論をして、国民的大論争を展開すべきだと思う。

 今回の問題の中で、一部メディアが日本が中国に対して弱腰なのは公明党が原因だとの誤謬を犯している。直接的なきっかけは、中国の昨今の動きを「脅威」とせずに「挑戦」との表現にゆるめさせたことが挙げられている。直接その場にいた身ではないゆえ、ことの真偽は闇の中だ。背景には山口那津男代表の対中姿勢があろう。同氏は常日頃から、いたずらに敵視せず、慎重で丁寧な外交を主張しているからだ。

 ここ10年余の習近平・中国の「一帯一路」構想の展開や、南シナ海、尖閣列島付近での我がもの顔の動きが気にならぬ日本人はいない。そんな中国に手ごころを加えるとはとんでもないというわけである。その気持ちは分かるものの、「中国脅威」論をここで持ち出すのは得策とはいえない。大事なものはのちのちに取っておくというのはこの世の通り相場でないか。お隣さんとの付き合いに差異化があっても悪くないと私は思う。(12-28   この項終わり)

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【81】これまでとどこがどう違うのか(中)/12-26

●「反撃能力」の保持を明記

    これまでとどこが違うのか。「防衛に徹する姿勢」を逸脱しようとしているとの批判もある。しかし、この文書を読む限り、それは余計な心配に過ぎない。まず、第一文書の「安全保障戦略」の基本原則には「平和国家として専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を堅持するとの基本方針は今後も変わらない」とある。従来と同様に、「専守防衛」「非核三原則の堅持」が掲げられている。わが国の領土、領海、領空の領域を徹して守り、他国の領域で戦闘行為はしないし、核についても、「持たず、作らず、持ち込ませず」の3原則の堅持をすることに変化はない。

 では、どこが違うのか。まず、冒頭に「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面している」と述べた上で、具体的に3つの隣国の動向への受け止め方を明記している。中国については、「対外的な姿勢や軍事動向は、わが国と国際社会の深刻な懸念事項だ。法の支配に基づく国際秩序を強化する上で、これまでにない最大の戦略的な挑戦であり、わが国の総合的な国力と同盟国や同志国との連携で対応すべきだ」としている。

 北朝鮮については、弾道ミサイルの繰り返し発射や核戦力の質的量的向上という「軍事動向はわが国の安全保障にとって、従前よりも一層重大かつ差し迫った脅威となっている」と、厳しく警鐘を鳴らす。また、ロシアの軍事動向は「中国との戦略的な連携と相まって、安全保障上の強い懸念だ」と表明している。ここで、3カ国を名指して、それぞれの軍事動向を「挑戦」「脅威」「懸念」と、相手国ごとに言葉を使い分けられていることが注目される。

     その上で、どう日本が対応するのかの明記が、従来との最も大きな相違点である。一言でいえば、「過去に政策判断として、保有してこなかった『反撃能力』を持つと決断した」のである。「反撃能力」とは何か。「相手からミサイル攻撃がなされた場合、ミサイル防衛により飛来するミサイルを防ぎつつ、相手からのさらなる武力攻撃を防ぐため、わが国から有効な反撃を加える能力」であって、「わが国に対する武力攻撃が発生した場合、武力行使の3要件に基づき、必要最小限度の自衛の措置として、相手の領域で反撃を加えることを可能とする」と位置付けている。これに加えて、「憲法および国際法の範囲内で、専守防衛の考え方を変更するものではない」「武力攻撃が発生していない段階で自ら先に攻撃する先制攻撃は許されない」と、幾重にも条件をつけているのである。

 かつて、公明党は日本を攻撃しようとする国に思い止まらせるために、「ハリネズミ国家」に例えたことがある。その表現が適切かどうかは別にして、触ると痛い目に合うぞとのイメージはわかりやすい。(12-26   以下つづく)

 

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【80】安全保障関連3文書とはなにか(上)/12-24

 さる16日に閣議決定された「安全保障関連3文書」について考えたい。これをどう評価するかは、もちろんその人間の立場、国際情勢認識によって異なるが、同じグループに属するものであっても捉え方はかなり違うように思われる。ここでは、3文書をどう見るか、日本の防衛を政府与党はどう変えようとしているかを、公明党に寄せられている疑問への考え方も含め、3回にわたって触れてみたい。

 ●歴史的なパワーバランスの変化への対応

 まず、この3文書なるものは、①国家安全保障戦略②国家防衛戦略③防衛力整備計画の3つをさす。これらのうち、①は、従来「国防の基本方針」と言っていたもので、2013年に既に改めている。②と③は、これまで「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」と言っていたものをそれぞれ衣替えしたのである。いずれも概ね10年をめどに見直すとしている。公明党のほぼ60年の歴史のうち、前半3分の2の40年ほどは野党として、これらの防衛の基本原則を批判的に監視するスタンスであった。後半の20年は与党であったため(民主党政権下の3年は除く)、監視するというより厳しく見守る態度だったといえようか。シビリアンコントロールの精神のまっとうな展開を目指した。

 そんな役割の変化の中で、今回の改定は約10年ぶりの基本的な安保戦略の見直しと共に、その戦略の展開及びそれに基づく具体的な装備を始めとする防衛力の整備計画を定める作業であった。なぜ今かを、一言で表現すると、「歴史的なパワーバランスの変化が生じた」からである。「ロシアによるウクライナ侵略で、国際秩序を形作るルールの根幹がいとも簡単に破られた」し、「同様の深刻な事態が、将来、インド太平洋地域、とりわけ東アジアで発生する可能性は排除されない」との現状認識によるものだといえよう。

 結党以来、初めて国家の統治の根幹に公明党が関わったのは、6年前の「安保法制」の時だったとされる。政策的判断からしてこなかった「集団的自衛権」行使に、踏み切ったからである。「憲法9条違反」との批判を受けたが、公明党的には、「憲法のギリギリ枠内」との判断であった。その枠組みにそって、新たな事態に対応しようと、従来からの「3点セット」を書き直したのが今回の試みである。その意味では、憲法の枠内での第2弾の展開といえよう。(2022-12-24  つづく)

 

 

 

 

 

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【79】防衛費増と日本の安全保障をどう考えるか/12-21

 先日フジテレビで、読売、朝日、産経の三新聞社の政治部長が集まって、防衛三文書、防衛費増などをめぐる政府与党の動きについて議論している番組があった。ここで興味深かったのは、最後に紹介された視聴者の意見だった。それは3人の議論が、政策というより政治的動きに偏りすぎている、この国の防衛をどう展開するのかの議論がもっと聞きたかったと疑問が示されていたことであった。これは鋭い意見で、司会も3人の政治部長も、その非を認めてはいたが、果たしてどこまで分かっていたか疑問だと私は思う◆というのは、国会でも与党内の議論でもあまり本格的な安全保障をめぐる議論はなされない傾向があるからだ。政策よりも、政局好きなのはメディアも政治家も同じという気がしてならない。それはそれで大事なのだが。例えば、防衛費増については、当初、初めに防衛費枠最初にありきではなく、積み上げが大事──人件費や砲弾にまで含めて何が足りていないか──だとの議論が、国会討論会の場などでもなされていた。しかし、与党内の議論が終わってみると、積み上げ部分についてはあっさり吹っ飛んで、GNP 2%枠やら総額43兆円などの数字だけが飛び交っている。これでは、この金額が高いとか、財源がどうだとかの議論にばかりに国民の関心が向かうのも無理はないように思われる◆今回の防衛費増については、ロシアのウクライナ侵略戦争や、中国の台湾併合への懸念、そして北朝鮮の日本海に向けての度重なるミサイル発射などの三隣国の動きが背景にあることはいうまでもない。これまで、自衛隊が動こうにも動けないほど、実戦で役立たない防衛力しかないことは取り沙汰されてきている。ようやく、隣国の動きが風雲急を告げてきて、腰をあげるように見えるのは嘆かわしい。ここら辺りについて、常日頃から議論がなされ、国民も共有していることが大事なのだが、依然として、安全保障になると、〝非武装的平和論〟が幅を利かせるばかりである◆オールオアナッシング(全てか無か)ではなく、必要な防衛力はきちっと持つことが大事だとの考えに立った議論が望ましい。かつての防衛論議は、野党第一党が非武装平和主義であったため、一歩も進まなかった。今は、そうではない。共産党や令和新撰組が、外交力を強調し、防衛力増には否定的(共産党は政権をとると自衛軍を持つ懸念は否定できないが)であるだけ。立憲も維新も野党の中核が一定の防衛力を持つことに肯定的なのだから、今こそもっとオープンに必要な防衛力論議を進めるべきだ。通常国会での議論に期待したい。公明党については、中国やロシアと政治スタンスが近いなどといった風評があるが、これも商業週刊誌の〝ためにする〟噂話の域を出ない。公明党ももっと自らの立場がいわゆる「対中脅威論」ではないのはなぜかを積極的に語らないと、誤解が広まるだけだと思う。今こそ与党内の議論だけでなく、与野党も、国民も安全保障の大議論を起こすことが大事ではないか。(2022-12-21)

 

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【78】「旧統一協会」問題と臨時国会論議/12-14

 安倍晋三元首相が選挙最終盤で奈良県の街頭演説先で射殺されて5ヶ月あまり。犯人が旧統一教会信者の家族であり、その供述から同協会を支援してきた安倍氏に対する逆恨みが犯行の原因だった。臨時国会では、悪質な寄付の勧誘を強要する行為を規制する法案が閉幕日に成立した。この法案成立の直接の背景は、言うまでもなく旧統一協会による被害者の救済にある。法律の成立過程には被害者、家族及びその弁護士団の意見陳述が重要な要素を占めている。しかし、出来上がった法律に対してのその人びとの率直な評価は、極めて低い。涙を浮かべながら「私たち被害者を忘れないで欲しい」と言った被害者家族の象徴的コメントを始め、ないよりはましとの意見が専ら。東大の河上正二教授は「100点満点で60点。最初の一歩に過ぎず見直しが必要」という◆国会論議や与野党協議を振り返る報道をメディアで追うと、野党が被害者家族の側に立っていたのに、与党が当初積極的でなく後半になって成立に前向きになったとの論評が多い。また、宗教団体を支援母体に持つ公明党への配慮が足枷になったとも伝えられる。これらの報道をめぐっては真偽のほどは不明である。ためにする見方や、最初からバイアスのかかった思い込みの観点で見る向きが多いことは否めない。この辺りは、報道関係各社の真摯な姿勢に期待する一方、関係政党の党利党略にこだわらないフラットな情報公開を求めたい◆思い起こせば、この問題は今日まで日本社会の中で広く知られていたにもかかわらず、報道機関は生ぬるい対応だった。今頃になって、高みから批判する態度には問題なしとはしない。旧統一協会との接点を持つ政党、政治家も、自民党は勿論、立憲民主党始め野党にも数の差はあれ存在していた。それゆえ、当たり前といえようが、国会で追及してきた議員はほんの僅か。殆ど放置されてきていたのが実態。その責任は大きいと言わざるを得ない◆法案成立の最終段階で、配慮義務に「十分な」という言葉を加えることが与野党協議の決め手になったという点が話題になった。先日のフジテレビのプライムニュースでも、その効力をめぐって論議が交わされていた。これは誰が考えても政治的意味合いはあれども実効力は疑問視せざるを得ない。「言葉遊び」か「ダメ押し」か、などといったことで野党間で議論の応酬をしていると、政治不信が高まるだけだろう。法案が成立したので終わりではなく、より真っ当なものを目指して修正を加えていく必要がある。同時に同協会への「質問権」行使の施行を徹底することで、闇の部分を明らかにすべきである。(2022-12-14)

 

 

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【77】師走の日曜日、西宮から神戸へと、動き・聞き・語る/12-5

 昨4日、朝9時から夜10時まで、絶え間なく人に会い、聞き、語り合う楽しい懇談で充実した日を過ごしました。まず、朝は西宮江上町にある、公益財団法人『奥山保全トラスト』の本部での理事会。自然環境保護に長年取り組んでこられた大学教授、大学経営に携わられる元衆議院議員らの理事の皆さんと共に私も参加しました。お昼まで、この一年の事業展開を総括したり、内閣府に提出する文書などの点検に勤しみました。全国各地で「再生エネルギー確保」名の下に、森林破壊など乱開発が進められている現状に、早急な対応をせねばとの認識を共有したのです。静岡県浜松市の佐久間トラスト地近傍の開発計画にストップをかけるべく、今月半ばに動くとの報告があり、それを受けての国会陳情に私も協力することにしました◆その後は、一年の納めでもあることから、皆で場所を移し、昼食懇親会を阪神西宮駅そばで。そこでは新たに理事候補になった台湾出身の青年や、事務局の若者たちと卓を囲み、〝男女混在・老青一体〟の有意義なひとときになりました。この法人は『日本熊森協会』と姉妹団体。両法人ともにトップは女性で、子育て真っ最中。片や弁護士、もう一方は高校英語教諭ですが、おふたりとも幼子を連れての参加もしばしば。この日も、〝未来からの使者〟ひとりが卓の周りを這い回っていました。昭和戦前生まれを筆頭に、団塊の世代から、その第二世代まで幅広い人たちが集まったわけで、相互に刺激し合う会話が飛び交いました。若い男女青年との語らいは私にとって何よりものパワー源です◆3時からは、神戸市脇が浜海岸住宅に阪神電車で移動。春日野道駅から歩いて10分。元神戸新聞編集委員の武田良彦さんの4LDKの全ての部屋はどこもかしこも骨董品だらけ。仏像やら陶磁器などありとあらゆる珍品が所狭しと陳列されていました。実はこの人、そのむかし東京支社勤務時代に国会担当で親しくした友人。このほど『骨董病は治りません』という〝超面白本〟を出版したばかり。贈呈していただき、今読んでる最中です。たまたまこの日は、彼の自宅で年に一回開かれる芋煮会ということを知り、押しかけました。彼は山形県生まれ。珍しい同県の食材をいただきながら、集まった彼の職場の後輩たち4人の現役記者と懇談したのです。骨董については全くの門外漢ですが、この20数年彼が買い込んだ品々を背にし、横にしての〝骨董談義〟は笑いと感動の連続でした。日本文化の奥深き粋は骨董品にあり、を実感したしだいです◆夜は西明石駅で小説家の高嶋哲夫さんと6時前に待ち合わせ、川崎町の我がマンションに向かい(私は帰り)ました。我妻の姫路在住の友だちたちとの〝女子会〟のゲストとして今回彼を招いたものです。高嶋さんは、『首都感染』『メルトダウン』など現代社会をめぐる、ありとあらゆるテーマで小説を書き続ける気鋭の作家です。最近は『EV』で近未来の自動車産業の展開を追い、『落葉』でパーキンソン病患者の甦りの姿をあつく描いています。お好み焼きと焼きそばをいただきながらの、読書好きお喋り好きの女性たち3人との語らいは、あっという間の4時間でした。この夜の主たる話題は、近未来に襲ってくるはずの大地震やら、混迷続く日本政治の行方でした。別れ際に、女性たちは、1999年にサントリーミステリー大賞を受賞した『イントゥルーダー』を、高嶋さんから頂いていました。サインには「夢を叶える」と。〝13時間の連続行〟の1日を終えた私はそそくさとベッドイン、〝夢の中の人〟になりました。(2022-12-5)

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【76】アフリカへの中ロの進出と日本の対応/11-28

 先日、私が朝日新聞Webサイト『論座』に寄稿したものが掲載されました。『専制主義と自由主義の主戦場となるアフリカ』というタイトルです。論旨は、両国のアフリカとの関係を20世紀末から今に至る流れを追う中で、かつて欧州列強の植民地になっていた国々が態度を変えるに至っている背景を探ったものです。きっかけは、ブルキナファソの外相の「今の苦境から抜け出すためには棘のある枝でも掴むしかない」との発言をNHKテレビ『クローズアップ現代』で観たことでした。ロシアのあの手この手のアフリカへの接近ぶりを紹介していました。私はその狙いは、国際社会での孤立化から我が身を守ることにあり、今回の「ウクライナ戦争」でも、真っ向から反対しない国がアフリカに多いことが裏付けているとの見立てを提起しました。同時に、中国がほぼ同じ時期にアフリカ進出を果たしてきたことを、私はかの国の「一帯一路」構想の具体化と、国連平和維持活動(PKO)の展開の両面から描いてみました。この国も、新興勢力として、自国の味方を増やす狙いがあるからでしょう。この30年、中ロ両国が紆余曲折を経ながらもそうした行動を可能にしたのは、経済の発展があったからという点をも付け加えたのです◆アフリカを巡って、ヨーロッパの自由主義国家と、中ロの専制主義国家の〝歓心獲得戦〟の様相を呈していることに世の注意を喚起し、本来的には先進国家群の「国家欲」の主戦場とすべきではなく、人道主義の観点から支援の手を差し出すべきではないか、と結びました。この論考に対して、早速、元OECD大使の登誠一郎さんが貴重な助言を私信で提供してくれました。この人は今、一般社団法人「安保政策研究会」で理事を務めておられ、かねて私が畏敬の念を抱く方です。同大使は、アフリカへの一般的な関心を高める上で、私の論考が役立つものだとの好評価をしていただいた上で、このテーマにおける日本の対応について大事な問題を提起していただきました。それは、中ロ両国がアフリカ人留学生を受け入れていることが、友好関係を築く上で大きい役割を果たしているとの視点でした◆日本の対応についてはまた別の機会にすればいいと、私は今回はスルーしてしまいました。登さんが言われるように、留学生交換については、例えばロシアはソ連時代から熱心にアフリカ人留学生を受け入れてきた歴史があり、すでに8万人にも及ぶと言われます。一方、日本は「30万人留学生受け入れ計画」が実行されている中で、アフリカ人は1%の3千人にも及ばない段階です。中国はアジア一の留学生受け入れ大国と言われて久しく、「一帯一路」戦略の大きな柱にもなっていますので、アフリカ人受け入れも、いうまでもないものと思われます。この問題は各国の民族性とも絡んでいるのでしょう。日本人は比較的外国との交流促進に淡白な上に、このところ一段と内向き傾向が強いと見られているのはどういうことでしょうか◆先日、ルワンダに居住する日本人青年が街中の風景を克明に紹介しているユーチューブを観ました。中心部は素晴らしい発展ぶりで、現代化が著しく欧米風のビルが立ち並んでいたのです。私自身、かつてルワンダを舞台にした映画を観たことを思い出しました。『ホテル ルワンダ』(2005年)です。内戦で混乱の極にあり、虐殺も行われていたことが描かれていました。悲惨な状況だったその国が今ではすっかり生まれ変わっている様子がユーチュウブ映像から伺え、とても驚いたのです。その背景には中国の存在が大きいことも伝えられていました。国家が総力を挙げて他国に経済的、軍事的協力を惜しまぬ中国の戦略の一端が読み取れ、息呑む思いがしたものです。ロ中の向こうを張る必要はないでしょうが、等身大の日本文化の良さを、アフリカ諸国に知って貰う努力をもっと官民あげてすべきだとは思います。(2022-11-28)

 

 

 

 

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【75】自民党の異常な体たらくを前にして思うこと/11-21

 寺田稔総務相が20日に辞任した。「政治とカネ」にまつわる、ずさん極まりない管理の責任を追及された挙句の末である。一ヶ月の間に、閣僚が更迭されるのはこれで3人目である。1人目は山際大志郎経済再生担当相。旧統一教会と密接な関係を持ってきていながら曖昧極まる説明に終始した結果だった。2人目は、葉梨康弘法務相。法務大臣とは死刑決定の判を押す時だけしか注目されない地味な仕事だとの放言を問われた。三者三様、見事なまでの政治家失格、大臣不適任の言動の実態である。これはどう見ても、岸田内閣が危機的症状にあることを示している。この状況を前に、私自身が恥ずかしいと思うことがある。それは、今夏の参院選が終わったあと、これで岸田自公政権は、次の参院選まで国政選挙はないと見る「黄金の3年間」を手にしたとする論調に便乗したことである。こんな体たらくで、ここから先の政権運営がうまく行くはずがない。よほどのことがない限り、早晩衆院解散に追い込まれることは必至であろう。「黄金の3年」などと、よくも言ったものよと、ひたすら我ながら恥じいるばかりである◆今、私は「恥」という言葉を使ったが、今回辞めた3人、テーマは違うものの、共通するのは、辞めた理由はこれ以上大臣を続けていると、国会運営に支障をきたすので辞めることにしたという言葉を使っていることである。関係者に迷惑をかけるので、申し訳ないからというのだ。そこには、有権者から選ばれた政治家として、国事を司る大臣として、恥ずべきことをしてしまったという倫理観がうかがえない。元衆議院議員としての私でも、政局の見方、政治の風向きを見誤ったことが恥ずかしいと思っているのに、である。人間、恥を忘れたらおしまいだと思う。政治家にせよ、企業経営者にせよ、誰にせよ、自身の職業倫理に照らして恥ずべきことはないとの確信なきところに、希望の明日はない◆自民党は本当にどうかしているというほかない。今回の3大臣の〝罪〟は重い。政治とカネの不始末、政治家の無責任な暴言という伝統的な不祥事に加えて、政治家と思想・宗教という根本的な問題について、きちっとした理解、認識がなされず、単に〝票欲しさだけ〟でなかったのかとの疑問に答えていないからである。こうした「大臣辞任劇」は、これまで見慣れた風景であるが、あいも変わらず続くのは、なぜか。それは、国民有権者を舐めており、政治家の責任を甘く考えている。──そこから帰結するのは〝恥知らず〟だということではないか。岸田首相は、緊張感を持って立ち向かうとの趣旨のことを述べているが、任命責任の重大さを感じているのかどうか疑わしい◆連立政権を組む公明党にとっても、人ごとでなく、他党のことだからでは済まされない。ここは重大な連帯責任を感じる場面であろう。コロナ禍に加えて、ロシアの「ウクライナ戦争」で「第三次世界大戦」への懸念さえ惹起され、国民生活は異常な物価高で危急の極みに瀕している。私が尊敬している某新聞社の論説主幹経験者は、私が先に上京して会った際に、「この場面は公明党の出番で、山口代表の首班もあり得る。取りに出るべきではないか」とけしかけられたことを思い出す。確かに、かつて「自社さ政権」で自民党は少数与党の村山喜一社会党委員長を担いだことがある。立憲民主党の元首相である野田佳彦氏を担ぐ声もあるやに聞くが、政権構成の常識からすれば、ここは連立パートナーの公明党の代表にとの話は決して夢想ごとではないと思われる。山口氏はことあるごとに、政権の「安定」を強調し続け、自民党を支えると発言してきている。色々差し障りはあっても、一声上げるのはむたいなことではないと思うのだが。(2022-11-21)

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【74】泉明石市長の「政治家引退」発言の真偽を問う/11-14

 昨13日に明石市で開かれた「全国豊かな海づくり大会」に、天皇、皇后両陛下が出席されました。この大会が兵庫県で開かれるのは1957年の香住町に続き2度目。かつて一般社団法人「瀬戸内海島めぐり協会」の専務理事として「明石の海づくり」に僅かながらも関わった私としては、思い入れはそれなりにあり、3年ほど前にはこの大会を目指していたものです。残念ながら、同協会はこの2年余り前に、コロナ禍による観光業の打撃を免れず、挫折してしまいました。泉房穂市長絡みで何かと話題が多い明石市ですが、これをきっかけに「子育てしやすい町・明石」の看板だけでなく、本来の海の恵み溢れる港町として一段と輝きを増して貰いたいものです◆それにしても、同市長の暴言癖には驚きます。市内の土地買収の遅れに業をにやして、担当職員に「そんなもん火つけてこい」とのたまわったパワハラ発言に続き、先日は、市長自らの「情報漏洩」に端を発した「市長問責決議案」提出に対して、「そんなもん出しやがって、今度の選挙で落としたる」と、公明党女性市議や現職市議会議長に凄んでみせました。この暴言の責任をとって、明年の市長選には立候補せず、「政治家引退」を表明しました。しかし、一方で、地域政党を立ち上げ、明石市に〝院政〟を引く一方、兵庫、関西エリアの「政治指南役」を買って出ようとしています◆彼の暴言によるトラブルは枚挙にいとまなく、その被害にあったのは、市職員や市議会議員にとどまりません。会合に遅れてきた衆議院議員に、「挨拶なんかさせるな」とか、著名な女性小説家が会長を務める環境保護団体のフォーラムに対して、「税金の無駄遣いや」と一方的に決めつけるなど、枚挙にいとまがないのです。このほかにも、大小様々な舌禍どころか、暴言、妄言の数々はただただ呆れるばかりです。発言の後で、その都度失礼を詫びて謝り、撤回するのですが、本人自身が自己をコントロール出来ないようです。市長を一旦辞して出直した前回市長選の際には、〝自身の病状〟について異例の説明会見をするなど、市民公認の〝病気持ち〟ではあります。市長の能力を高評価するある著名な学者が、「障害者が市長をしているのだから」と、弁明したことも知られています◆今回の同市長の政治家引退と地方政党創設発言が今後どういう成り行き見せるのかは未だ不明部分が多いようです。これまでの経緯から見ると、世間の反応を見据えて、自由自在の対応をしてくることも考えられます。多様で高度な能力を併せ持つ人材だということは、私も認めるのにやぶさかではありません。いや、これだけの付加価値を併せ持つ政治家は珍しいと、かつては宣揚したものです。しかしながら、言葉を操る職業である政治家がその言葉でたびたび人を傷つけ、痛めつけるようでは、残念ながら失格です。潔く政治の世界から手も足も完全に洗って、未練をかなぐり捨て、違う世界で再生されることを勧めます。(2022-11-14)

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【73】「奥山保全トラスト」の仲間と、紅葉の白山ツアーに/11-7

錦秋の白山は輝いていた。急な山の斜面を幾たびか転び落ちそうになりつつも、豊かな広葉樹林のふところ深く登っていった──昨6日朝、前泊した金沢から特急しらさぎで20分、小松駅に降り立った私の気分は静かに高揚していた。公益財団法人『奥山保全トラスト』のツアー20人ほどの仲間たちと一緒に白山連峰のふもと白峰に向かう。天候は予測を裏切り温暖そのもの。コロナ禍ゆえの久しぶりの試みに、高校の30年ほど後輩の弁護士の玉田欣也君を誘った。文化の地・金沢をこよなく愛す同君との北陸・石川紀行も2日目となる。〝歴史と文化〟の探訪から一転、大自然の恵みを味わおうという、短くも贅沢な旅に私は酔いしれた◆全国に19カ所のトラスト地(2346ha)を持つ、この法人の理事を務める私だが、現場に足を向けることは残念ながらあまりない。地元兵庫以外には浜松市の天竜区佐久間に続きこれが2回目。『77年の興亡』が現実化し、我が国も世界も混迷の極致に彷徨う今晩秋。だが、白山の1日には心慰む場面がそこかしこにあった。お昼前に約22haに及ぶトラスト地に向かい、紅と黄色が織りなす緑の絨毯のような林の中を分け入った。地質学や植物学に明るく詳しい3人の同法人所属の青年職員の案内のもと登りゆく。参加した人々の歓声があちこちで。〝広葉樹文化〟を愛してやまない美しい心の持ち主たちの〝森の交遊〟である。市ノ瀬ビジターセンターの前の広場で思い思いのお弁当を食べた後、午後からは釈迦新道入口より、天然自然林のなかに分け入った◆2008年に、トラスト地を購入し得た経緯には驚く。山林の持ち主は、「山を荒らす動物はいらない、山には植物だけでいい」との考え方の人であった。その彼と根気よく対話を重ね信頼関係を築いた上で、「人と動植物の共生共存こそあるべき姿」との主張を繰り返し、取得に至った。三井明美支部長(当時)の手記には心揺さぶられる。当初頑強にトラスト化に反対した地主さんの考え方は、今なおポピュラーなものかもしれない。「生きとし生けるもの皆平等の生命」だとの思想は、頭では分かっても現実には難しい。〝人間優先による動植物支配〟の考えは残念ながら〝普通の常識の座〟を譲らないのである◆自然環境破壊は、様々な様相を呈しつつ日本の各地を日々脅かす。東北の森林が〝新エネルギー確保〟の旗印のもと、次々と侵食されているが、東海地域でも新たな危機が迫る。今進めようとされる「浜松陸上風力発電事業」(仮称)には、我が公益財団法人が所有するトラスト地が含まれていると聞く。にも関わらず、開発着手に及ぼうとしているという。これが事実なら前代未聞の暴挙という他ない。早急に事実関係を明らかにして、節度ある開発にたち戻らせる必要がある。暮なずむ小松駅に帰った私たちは、豊かな紅葉に癒やされた一日から、新たな課題に取り組む日常へと立ち向かうべく、特急サンダーバードの人となった。(2022-11-7)

 

 

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