●首都圏から自然環境豊かな地方への流れ
コロナ禍が蔓延する中で、ビジネスの変容ということに関連する大きな流れの変化が見過ごせません。それは東京一極集中から地方への転換です。建築家の隈研吾さんが、自分の設計事務所を田舎に移した話を日経新聞に書いていましたが、大変に興味深い内容でした。富山の山の中に酒蔵を建てるプロジェクトの担当者たちが、住まいを首都圏から仕事場に移したというのです。
隈さんは、人類が歩んできた建築空間の歴史は、「集中へ」という一言に要約できるとし、野っ原を駆け巡って、狩猟採集に明け暮れていた人類はやがて集まって定住を始め、ハコの中に詰め込まれて労働を強制された。それが効率的、経済的で幸福だと信じ込んで、集中への坂道を転がり続けたといいます。その結果は、「平面的に見れば『都市化』であり、立体的にみれば『高層化』」で、その行きついた先が高層オフィスビルであり、その閉じた箱で働くことが社会のヒエラルキーの上位にいることを意味し、誰も疑わなかったというのです。それがこの度のコロナ禍によって、地方に脱出する機縁を掴み、「集中」から反転した先の「分散」の状況下で、セルフメイドの道が開け、空間を人々が自分自身で作る道が開けたと強調しています。
既に淡路島北部に、パソナの南部靖之氏が東京からの移住を実行する構想を表明しています。淡路市西海岸を中心に、いたるところに同社の観光客を意識した建築物やレストランなどがその姿を見せていて話題を呼んでいます。一昨年でしたか、私が徳島商業高校ビジネス部の皆さんと初めて会ったのは淡路島でしたが、いかにしてこの地を観光振興させるかと熱心に取り組む姿に感動を覚えたものです。これに思いをはせる時、淡路島振興に先鞭をつけたのは少しオーバーにいうと、恐らく徳島商のみなさんだといえましょう。
●熊森協会の取り組みに見る自然保護の究極
私は一般財団法人「日本熊森協会」の顧問を務めています。衆議院議員の現職時代からですから、もう20年を超えています。熊が人里に現れるのは、彼らが森に棲めなくなっているからです。現在の杉やヒノキの針葉樹林の森を、ぶなやならの広葉樹林に変えていかないと、森がダメになってしまうということです。初めの頃は殆ど理解をされませんでしたが、ようやく昨今は耳を傾ける人たちが増えてきました。
それは、昨今大雨が降ると、すぐに川の氾濫を招くことが示すように、山の土壌が弱体化し、保水力を無くしているからです。人工樹林を日本中の山に戦後日本が国策として、植えまくったことが、今頃になってマイナスの効果を発揮してきました。陽の当たらぬ人工樹林の山の荒廃、すなわち森の枯渇を何より証拠づけているのが、熊が人里に降りてくることです。彼らは好物のドングリなど食べるものがないから、それを求めて降りてくるのです。人間はそれを恐れて熊を殺す方向に走り、やがて熊は絶滅することが懸念されています。
熊は好き好んで人里に現れるのではない、餌がないほど山が荒れているからであり、餌が豊富になり、豊かな森になれば、熊は降りてこない。熊の出没は森の悲鳴なんだと私がいうと、多くの人は、熊と人間とどっちが大事だと反論してきます。人間に決まってるだろうと。しかし、そのつど、私は人も熊もどっちも大事、大型野生動物との共生が大事だと言ってきました。これからの日本を考える、つまりコロナ禍後の日本を考える際に必要なのはまさにこの熊と森に代表される自然環境と人間の共生、共存が大事だと気付くことだと思います。
その視点に山間地域のみなさんたちが立って、日本全体に押し広げることが地域活性化、日本再興にとって欠かせないことだと思われます。こうした観点に立つ人々を育てることの大事さはいくら強調してもしすぎることはないのです。地域振興に取り組むにはまず、それに携わる人々の「人間振興」が大事だとは私の信念です。コロナ禍後の世界は、地球上に住む人々が国を超えて民族の壁を乗り越えて、連帯感に立つ必要があります。「地球民族主義」とでも言うべき理念の共有が欠かせません。
コロナ禍によって、これまで分断の風の前に風前の灯であった世界が、同じ地球上に住む人類としての連帯感を取り戻すことができたら、文字通り「禍を転じて福と為す」ことになります。いままさに、そうなるか、それとも一国主義的ナショナリズムの前に分断を加速させて、破滅への道を転がるかの瀬戸際だといえましょう。その時に、これからを生きる若いみなさんが、それを成し遂げる使命は我にありと立ち上がるなら、前途は大いに開けます。私の好きなある哲人の箴言に「使命を自覚する時、才能の芽は急速に伸びる」というものがあります。この言葉を若い皆さんに送ることで、今日のお話の締めとさせていただきます。(2020-12-24 12-29 2021-1-13一部修正)