【19】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━官僚編/7-6

⚫︎官僚における師弟関係と先輩・後輩関係

  次に第6章、官僚編です。上巻では外務省の岡崎久彦さんと宮家邦彦さんを取り上げました。両者ともに僕の筆致は冴えていたと自己満足していますが、さて実際はどうでしょう。宮家さんが今年の産経新聞新年元旦号で、第40回「正論大賞」を受賞されたことを記念してBSフジの報道番組「プライムニュース」のキャスター反町理さんと対談をしていました。この中身に関しては既に一部取り上げた(7月2日付け)のですが、今回は宮家さんと岡崎さんの師弟関係の発端といえるくだりについて触れてみます。

 それは、第11回の同大賞を岡崎久彦さんが受賞されていたことに関連して、宮家さんが岡崎さんのことを深く尊敬されている様子が明らかにされます。米国に留学していた宮家さんが当時、戦略国際問題研究所(CSIS)で客員フェローを務めていた岡崎さんから、安全保障をやるのなら歴史の勉強をせよと言われたことが出てきます。当初宮家さんは、その意味がすとんと落ちなかったようですが、外務省を辞めてから初めてわかったことを披瀝しています。「岡崎さんのアドバイス(外交には歴史観が必要)がなければ、今の私はありません。最初の恩師です」とまで。二人の歳の差はほぼ20年。頷ける思いがします。

 僕のかつての仕事上のボス・市川雄一さんも岡崎さんを深く尊敬されていました。年齢は5歳違いでしたが、政治家と外務官僚の域を超え畏敬の念を抱かれていたように思えました。僕には『陸奥宗光とその時代』『小村寿太郎とその時代』『幣原喜重郎とその時代』『重光・東郷とその時代』『吉田茂とその時代』や『百年の遺産 日本近代外交史73話』を読めと〝強請〟されました。懐かしい思い出です。

 もうひとり、官僚編で取り上げた元厚労省事務次官の辻哲夫さんに触れてみます。僕が厚労省に一年だけお世話になった頃の事務方トップが辻さんでした。厚労行政のイロハも知らない僕でしたが、実に親しく付き合って頂きました。忘れえぬ恩義を感じています。その背景には、この人が公明党の大先輩である坂口力元厚労大臣を深く尊敬されていたことがあります。つまり「大先輩の七光り」という余波を僕は受けて、ひたすら大事にして頂いたのです。力もない存在に勿体無いことだったと今は思います。

 つい先日のこと、僕が副大臣だったころに秘書官として支えてくれた宮崎淳文総括審議官が次期官房長に昇格することが判明しました。最高に嬉しいニュースだったので、その喜びを分かち合って貰おうと東大特任教授の辻さんに知らせました。すると、「宮崎さんという大変優れた方が着任され、赤松さんと共に私も心から嬉しく存じます。少子化対策を含む社会保障政策は、超高齢人口減少社会における不可欠の地域再分配を含んだ公共事業ともいえます」と書かれていました。僕が厚労省を離れて既に20年。今も当時の関係を大事にしています。それを辻さんは喜んでくれ、こちらもまた嬉しいのです。

⚫︎人の見方さまざま、官僚の生き方もさまざま

 元英国(アイルランドも)大使だった林景一さんは、帽子の良く似合う英国風紳士です。いつも穏やかで理路整然と外交を、国際政治を、国際法を語ってくれました。僕が下巻に取り上げた『アイルランドを知れば日本がわかる』についても、うまくまとめていただきありがとうございますとの連絡を頂きました。その林さんが過去の対話の折に、色をなして反論されたことがあります。外務省出身の著名な外交評論家のことを僕が肯定的に述べた時です。世間での評価は分かれるものの能力は凄い、と思うって。

 彼は記憶力には目を見張るけれど、国際情勢分析においておよそ公平さを欠いているといった趣旨のことを述べられ、落ち着いた議論にはならなかったのです。外務省の正統派からすると、どこまでもその評論家は異端にみえる存在なんだと、妙に感心したことを覚えています。僕の国会における発言が発端になり、世間での評価も高まった人(という側面なきにしもあらず)だけに、複雑な心境になります。

 国交省最高幹部だった大石久和さんからは、「小生の著作もご丁寧にご紹介頂き感謝に堪えません」とのお礼状を頂きました。その後に「(大石は)国民の貧困化に危機感のないオールドメディアの批判を続け、講演活動、執筆活動も懸命に行っています」とあり、B5用紙2枚に、3000字ほどの小論考「亡国の『改革』に専心した日本」(多言数級245)が同封されていたのです。政権批判の色が濃い文章でした。

 今日ここにまで庶民生活を貧苦の底に追い込んだ「政治の流れ」とでもいうべきものに、大石さんは怒っています。2001年の省庁再編に端を発した「大蔵省解体」の動きと「財政健全化」という方向の定着がもたらした、今に続く自公政権の負の元凶が綴られています。この論調、今の選挙戦の底流に淀んでいます。政権の屋台骨を揺るがせているようにも思われ、深刻に受け止めざるを得ません。(2025-7-6)

※これでこの連載は終わります。第7章政治家編は省略します。

 

 

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【18】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━ジャーナリスト編/7-5

⚫︎日本の各地で貴重な仕事に取り組む人々を描き出す営み

 この本の出版直後に、当の出版元の存在する出雲市から、「知ってる人が出ている」との報がありました。驚きでした。総合雑誌『潮』の編集記者を経て月刊誌「理念と経営」の編集長をされた背戸逸夫さんのことでした。取材を受けたことがあるという会社の関係者からの知らせでした。日本中の企業経営者の人物像を描き出す仕事を、ジャーナリストとしての人生の総仕上げにした背戸さん。新聞記者を振り出しに、政治と社会を見続けてきた僕にとって、同じ業界のうるさい先輩でした。「本出した?俺のこと書いた?大丈夫かよ」と、冷やかされたかのような錯覚を抱いたものです。

 僕の人生と新聞の関係は、少年時代に「新聞の題字」を切り抜き集めていたことがきっかけかもしれません。昭和20年代後半から30年代初めの神戸市垂水区塩屋町界隈で流行っていたのです。そんなの幾ら集めてもタカが知れてるのにと、今では思うのですが‥‥。やがて、「新聞配達少年」になり、「記者」に憧れて、配る側から書く側に回り、初めてそれが記事になった日の甘酸っぱい感動。まるで自分の娘の幼稚園に初参観して、お遊戯の輪の中に見い出した時のような、複雑な感覚でした。

 元毎日新聞記者の大森実さん(母校長田高の先輩)の講演(ベトナム戦記)を聞いたことが、僕の人生を決める発端、誘因になったことは、この本の上巻に書き留めた通りです。実は、「匠の世界」を描き切った元神戸新聞の内橋克人さんも永く憧れた郷土出身のジャーナリストでした。上巻の第4章(経済と生活)の頭に彼を置き、第5章(社会と人間)のトップに大森さんを配置したことは、僕の職業選択と後の伴走役へのお礼の意味合いを込めたつもりだったのです。

⚫︎広がる本を愛する読者仲間の輪

 下巻ではジャーナリスト編として、冒頭に述べた背戸さんを先頭に7人の面子を並べています。以下、残る人たちのうちから4人を紹介します。

 議員を引退後、東京に行く機会がほぼなくなり、めっきり交流する場面も減りました。そんな中で唯一、安保政策研究会のみが大事な繋がりです。理事長の浅野勝人(元内閣官房副長官)さんは元NHKの解説委員でした。その豊富な人脈を活かして集まったメンバーによる『安保研リポート』も50号を超えて活気を呈しています。浅野さんは『ふれあう読書』下巻を、ご自身の『宿命ある人々』から目を通したのちに「こんなに的確に解読してくれた人はおりません。こんなに深い評論をしていただいて嬉しい。家内が読んで感動しました。著者同士の長い、いい付き合いが絆の深い友情で繋がっているから、こんな好意ある公平な評論になったに違いない」とのメールを届けてくれました。

 50人の著者たちから感謝していただく声が相次いでいますが、奥方からの声は浅野夫人のみです。最後に総括して50人の書評のトップをあげたら、迷うことなく、とご自身の著作を挙げておられたのは微笑ましい限りでした。

 公明党の議員になる前から機関紙記者をし、市川雄一元書記長の秘書をしていた僕だけに新聞記者との付き合いも数多くあります。その中で縁が深かったのが、「朝日」の西村陽一さんでしょう。本の中でもふれましたが、彼の処女作『プロメテウスの墓場』は実に読ませました。先日も本好きの慶應の後輩に拙著を贈呈したところ、まず西村さんの本から購入して読んでいるという返信を貰ったのには〝同好の士〟を得たようで、とても嬉しかったものです。

 西村さんと並ぶ俊英ぶりの印象が濃い記者は共同通信の太田昌克さんです。最近はテレビのコメンテイターとしての登場が多いようですが、雑学に流されないで、本業である「外交・安全保障」分野での発信を忘れぬように願いたいと思うのは老爺心が過ぎるでしょうか。この分野でもリベラルの潮流が劣勢で、リアル優先のために、保守の基調が強まり過ぎている傾向があるように見えてなりません。その意味でも『偽装の被爆国』はとても大事な本だと思えました。

 最後に神戸新聞の武田良彦さんについて。僕が書評集下巻をものするにあたって、紛れもなく楽しみながら読み続け、指先によりをこめて書き上げたのは骨董品をめぐる彼のエッセイ集『骨董病は治りません』でした。出来栄えも悪くないはずです。武田氏本人も「今年の芋煮会にはぜひ」と僕が喜ぶセリフを忘れていません。ところが僕の大学同期で骨董品に入れ込んできたO君が、この書評にほとんど関心を示さない。謎です。一番喜んでくれるはずと思い込んでたのに。なぜかくも骨董品を愛好してやまない記者の経験談に冷たいのか。深まる疑惑を解明しようと近く直談判を決めています。(2025-7-6)

 

 

 

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【17】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━自然科学者編/7-4

 前回は本の中身というよりも「他生のご縁」の拡大版のようになってしまいました。上巻を出版してから1年余。それなりに人気を集めているのは、著者と僕とのエピソードのようですから、仕方ないかも。あまり気にせず、今回も続けます。

 自然科学者編は、8人が登場していますが、大雑把に分けて、前半の4人が泰然自若としたおおらかな性格の研究者タイプ。後半4人がどちらかといえば、自身の原理原則に相手を合わせようとする厳格な指揮官タイプ。勝手な僕の見立てを許していただくと、そうなります。まずは伏見康治さんから。

⚫︎泰然自若としたおおらかな研究者タイプの4人

 伏見さんについては本文にも書きましたように、日本学術会議議長をつとめられた原子核物理学者。今考えると、よくぞこういう巨大な自然科学分野の大物を公明党は政治の世界に引っ張り出したものと思います。結局一期6年(1983-89)で参議院議員を辞められ、今日後継の流れの痕跡すらないことは、学者の政治家への登用が成功しなかったケースなのかも知れません。

 伏見さんが引退された4年後に政治家になった僕としては、先輩たちの先見性を推奨するくらいがせいぜいですが、国家的見地からは惜しまれます。伏見さんと短い時間だけどお付き合いをした僕が、議員を勇退された後の伏見さんと付き合っていればなどと、後悔しても遅きに失するというものでしょう。

 帯津良一さんについては一度講演を聞いただけですっかりファンになりました。作家・五木寛之氏との一連の健康対談を始め、その著作の殆どを僕は読んでいます。生き死にのあり方から、リアルな健康指南ぶりの卓越性はつとに知られていますが、法華経へのご理解は希薄なように見受けられます。一度お会いして〝お手合わせ〟していないと、また後悔する羽目になりそうな予感がするのですが、さて。

 網本義弘、福岡秀興のお二人は、この本での登場をとっても喜んでくれました。網本さんは大病を患われ、このところ入院状態が続いています。そんな中で、先日も母校への図書贈呈の労をとってくれました。僕としては校長始めルートは幾らでもあるのですが、先輩のご好意に甘えたしだいです。福岡さんからは、胎児期の栄養と疾患の関係をめぐって国際学会の招聘に成功したとの嬉しいニュースが入ってきました。さてどうなるか。僕としては彼の研究が更に前進を示されるよう強く望んでいるものです。

⚫︎原理原則で挑む厳しい指揮官タイプの4人

 さて、ノーベル賞受賞者の大隅良典さんからの4人はいずれも厳格な雰囲気を湛えたリーダーに見えます。ただし、大隅さんは一度講演を聞いただけ。しかも小中高校生ら子どもを中心にした会合。で、なぜ泰然自若のグループに入れなかったのでしょう。その理由はただ一つ。「いま議論の虚しさを感じさせる場面は国会かもしれない。議論が破綻していることは誰の目にも明らかだ。日本の政治の劣化は著しい」というくだりを本の中に発見したからです。これ一つで僕には十分な彼の厳しさが伺えるのです。

 あとの森山まり子、荻巣樹徳、中川恵一のお三方はいずれ劣らぬ骨太な精神の持ち主。勿論お人柄は皆さん優しく、僕の〝仕分け〟に異論を唱えられるかもしれません。しかし、ご自身の信念を貫かれる姿勢において微塵も妥協しない場面を幾たびか見聞きしてきた僕の確信は、断じて揺るがないのです。

 森山さんについては先日もある著名な政治家が「森山さんは本当に妥協ということを知らない、まるで宗教団体の指導者みたいだ」と語っていました。聞いてた僕は吹き出しそうになりました。この政治家、宗教団体云々は決して僕の周辺の人を指しているのではありませんし、例え方は適切とは思えません。ですが、彼女と幾たびか熊と森の関係を語り合って、断じてブレない姿勢には、つくづく呆れてしまった経験があるのです。もう少し、引くことをしないと、合意形成は難しいのにとしばしば思います。それでいて、その頑固さにはなんとも言えぬ純粋な精神が張り付いていて清々しさをも感じるのです。

 その純朴そのものの優しさと厳しさは、荻巣樹徳さんにも共通しています。荻巣さんとは長い付き合いがあり、幾度か議論もさせていただきました。紛れもない植物学における天才であり、その存在は「日本の宝」だと思います。過去の種々の議論の中で、昨今の世間の俗物的風潮の蔓延に異議を唱えられる時の厳しさたるや、怖いほどの迫力を感じます。

 それは中川さんも同じだと思われます。ただ、世間一般が天才的感覚を持った科学者や医学者の厳格な姿勢を分からぬことが多いのかもしれません。近寄りがたい怖さを感じる旨の発言を散聞することがあります。そういう人だとわかっているつもりの僕が、今回取り上げた『がん練習帳』の面白さにはたまげるほどでした。読まれた人にはどういう意味かお分かりでしょう。実に見事な両面性ぶり発揮とは僕の誤解でしょうか。(2025-7-4)

 

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【16】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━社会科学者編②/7-3

⚫︎80歳半ばでも全く衰えない創作意欲の持ち主

 前回は「公明党論」について考えさせられる本を3冊、章横断的に取り上げてみました。今回は、第3章の中に登場する10人のうち、僕が日常的に親しくお付き合いをしてきた4人についてふれてみます。川成洋、佐竹隆幸、岡部芳彦、相島淑美の皆さんです。

 川成さんとは公明新聞記者時代からのお付き合いですから、かれこれ50年になろうかというほど古い間柄です。文化欄を担当していた頃にスペインについて書いて貰うべく交渉したことがきっかけだったと記憶します。今回取り上げた『スペイン内戦と人間群像』を読むと分かるように、スペインについて圧倒的に深い知見を持っておられます。新聞記者を経て政治家になった僕が長い空白の時を経て再会した時に、赤坂のとある食事処での語らいが印象に残っています。

 問わず語りに彼の口をついて出てきたのは、若き日に事故を起こして片目の視力を失われたということでした。確かにお顔を見ると隻眼ぶりが分かります。しかし、合気道、居合道、杖道の3つ合わせて13段の武道家で、両目の見える人間には何事でも負けたくないという凄まじいまでの気迫に圧倒されました。先年も横浜と埼玉に住む友人ふたりと一緒に、鶴川の武相荘を訪れた際に最寄駅でお会いしましたが、年齢的に若い我々が到底太刀打ち出来ない気力(年に数冊出版する)を見せつけられたものです。

 本業とは別に書評に手を初められており、昨年ご自分が編纂されている本への寄稿を僕に求められました。僕も書評は好きなもので、2つ返事で承諾しました。『アラバマ物語』について書いたのですが、川成さんからそれなりに認められたことはとても嬉しい気分だったことを告白しておきます。

⚫︎関学大を舞台に走り抜ける学者たち

  関学大の教授だった佐竹隆幸さんは60歳直前にこの世を去ってしまわれました。本にも書きましたように、彼とは晩年あれこれと、よく付き合ったものです。県知事選に出たいという〝下心〟があったからでしょう、読売テレビの人気番組『そこまで言って委員会』に出るにはどうすればいいかと相談を持ちかけられたものです。学問としての経済学を極めて、日常的な企業の経営に口を挟み、目をむけるうちにそれだけでは飽き足らなくなって、政治の道に進みたかったものと見えます。彼とは真逆に政治家を経て学問に興味を持って大学の門を叩きたくなった僕ですが、皮肉なことに2人とも挫折してしまいました。

 ウクライナ戦争ももう3年を優に越えてしまいました。〝戦争慣れ〟とは言いたくないものの、すっかり常態化してしまった日常に、改めて居住まいを正したくなります。関学大を出て今神戸学院大教授の岡部芳彦さんはこの3年、すっかりお茶の間のウクライナ専門家として有名人になってしまいました。公明党の後輩・衆議院議員であった遠山清彦君から紹介されて初めて会った頃から、この人は変わらぬ熱情を湛えてウクライナのことを語り続けてくれています。

 取り上げた本は「日本とウクライナの交流史」なのですが、戦争が起きてなかったら、僕は読んでたかどうか。遠山君はコロナ禍の最中に不用意な行動を起こし議員辞職の憂き目に遭ってしまいました。一方、岡部さんは戦争と共に、過去に積み重ねた研鑽の成果を発揮しまくっています。人生万事塞翁が馬と言います。遠山君も政治の世界ではなく、持ち前の学識の深さと語学力で、そろそろ異世界で浮上してもいいのにと思うしだいです。罪は十分償われました。彼の能力が発揮されない現状は勿体無いです。

 最後に、相島淑美さん。この人の経歴ほど凄まじきものはないとつくづく感心します。上智大学を出て日経の記者になり、その稼業が自分に合わないと見るや、慶應の大学院でアメリカ文化を研究し、某女子大で講師をする一方、翻訳家として活躍。やがて今度は関西学院大学のMBAとしてマーケティング習得に精を出して博士号を取得し、今では神戸学院大教授になって、おもてなしと茶道の関係解明に取り組むといったしだい。しかもこの間に2度結婚し2度離婚しているというから、まことに慌ただしい。

 ひとつの仕事だけの会社人間で、ひとりの相手とずっと暮らしてきたなどという平凡な人生道を歩んできた人にとっては、なんとも言い難い破天荒ぶり。ただただご苦労さんというのが精一杯だろう。この人、妙に僕と気が合う。60歳を過ぎて益々意気盛んで、3度目の挑戦も厭わない風が眩しいだけに、ついお相手を探してあげたくなってしまいそうになる。よせばいいのに、僕の世話好きも尋常じゃないかもしれない。(2025-7-3)

 

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【15】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━『社会科学者編』/7-2

⚫︎公明党が自民党を支え続けるプラスマイナスと罪と罰

  第3章社会科学者編には10人が登場します。ここでは過去2回とは趣向を変えて、第2節の米・コロンビア大名誉教授のジェラルド・カーティスさんの『政治と秋刀魚』から「公明党論」を取り上げ考えてみたいと存じます。

 実は、この本の65頁に出てくる発言こそ、現時点で公明党の幹部がぜひ読むべき重要なものです。「(三党の連立政権が実現した1999年)そのとき、公明党が小渕総理の呼びかけを断って、与党でもなく野党でもない『中間党』という立場を取ったなら、日本政治で初めて国会という立法府が政策立案の重要な場になったはずだとそのとき私は思い、今もそう思っている」というくだりです。その時から10年近く経った2008年時点で「左右両勢力のどちらにも与しない生き方を、公明党もとっていればよかったのに、(中略) 今や自由に動きが取れなくなった」とカーティスさんは嘆いてくれているのです。

 これはドイツの自由民主党との比較で語っているのですが、いらい20年近く延々と公明党は日本における与党であり続ける選択肢をとってきました。勿論、公明党の与党化によって、日本の政治は何はともあれ安定したといえます。自民党という「上から目線」の強い政党を、「庶民大衆目線」で補う選択は大いなる幅を持ち、曲がりなりにも経済格差の是正に役立ってきたといえなくはないからです。ただし、それももはや限界に達しています。

 公明党が与党を離れて、立憲民主党や維新、国民民主党など野党と共同戦線を組んでいたら、日本の政治はもっと違ってたのに、と思います。取りうる選択肢を自ら狭めてしまったことは返す返すも惜しまれます。著名な評論家が公明党の与党化の効能を説いてやまないのですが、与党=自民党ではありません。自公政権が半永久的に続き、政権交代が可能にならないと、民主主義は凍てついてしまうと言わざるを得ないのです。何も自民党とくっつくだけが与党化ではないのです。その辺りをカーティスさんの本は考えさせてくれるといえましょう。

⚫︎公明党につきまとう平和主義の「危うさ」という誤認識

 公明党について考える上で、第6節の御厨貴さんや、第5章のジャーナリスト編第3節で登場する芹川洋一さんの『平成政権史』は極めて大事です。お二人とも日本政治が30年を経て、公明党が野党から与党に変化したのに、基本的には政治の風景は変わっていないとの認識です。それは自民党を公明党が下支えすることで、結果的に自民党単独政権時代と変わっていないとの見方なのです。この2人とカーティスさんのものと合わせて3本一緒に読むと分かりやすいと思われます。

 御厨、芹川ご両人とも悪意はないのでしょうが、自民党を中心に見る癖がつき過ぎている分だけ、公明党を付録のように見ていると言わざるを得ません。それもそのはず、「小さな声を聞く公明党」という自前のキャッチコピーが示しているように、国の根幹は自民党政治で、そのオマケ部分を公明党が担っているかのような表現が横行しているのです。これは誤解を生むもとだと思います。

 意図的なのか偶々なのか判然としないのですが、公明党の国家戦略は見えません。自民党とどこまで同じなのか。どこが違うのか。あえて漠然とさせている風があるようにも思えます。御厨さんが81頁で後藤田正晴元官房長官の「公明党はちょっと危ない」「この国への忠誠心がない政党」だとの発言を取り上げていますが、なかなか意味深長だともいえそうです。

 これはジョークのように聞こえますが、実は日本の保守勢力の重大な基礎認識を示しています。要するにいざというときに公明党は頼りにならない、つまり武器を持って立ち上がらない政党だと言っているのです。しかしこれは、日蓮仏法を信奉する創価学会が持つ絶対平和主義の理念と、公明党の平和主義をわざと曲解したものだと言えましょう。

 そういえば、キヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦さんが、「公明党は危うい」という表現で、戦争にどこまでも反対する政党と位置付けて(2025年産経新聞元旦号での対論)いました。なんだか後藤田氏と共通する響きを感じますが、これは僕は誤認識だと思います。平時においてどこまでも対話を重んじ平和外交を貫くことと、国家への忠誠ということは両立することだと思うからです。ただし、現代日本ではこの辺りの論議が曖昧なままになってることは否めず、不安が付き纏うのです。(2025-7-2)

 

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【14】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━作家編/7-1

⚫︎男の自立と自律、ユーモアめぐる忘れえぬやりとり

 第2章は、作家編です。まず、ドナルド・キーンさん。この人とは偶然新幹線で隣り合わせになりました。元衆議院議員の大先輩の塩爺こと塩川正十郎氏から『明治天皇』上下巻を貰って読んでいらいファンになったという妙な関係です。『日本文学史』全18巻もせっせと読みました。ここで紹介した本はそのダイジェスト版です。谷崎潤一郎や芥川龍之介に比べて「夏目漱石が世界の古典にはなかなかなれない」との評価は妙に印象深いものがあります。

 次に曽野綾子さん。ついこの間亡くなってしまわれました。衆議院憲法調査会に来ていただいてご意見を聞き、質問したことがご縁のきっかけです。短い時間でしたが、心が通い合う質疑ができました。キリスト者らしい人間への深い洞察力に満ちた『晩年の美学を求めて』は、読み応えのある本ですが、「自立と自律」をめぐる現代人への忠告など、僕の耳にはとても痛い中身でした。要するに家事の一切を妻任せで、サポート出来ない男は、自立はしていても自律できてないといわれるのです。深く印象に残っています。

 河合隼雄氏は、ご自身1人で書かれたものより対談集が面白いと、この『あなたが子どもだったころ』を選びました。7人の才人たちとのまことに楽しい会話に、心の底から笑い、ほっこりした気分になれました。ユーモア溢れる本には目がない僕ですが、つくづく面白いと思うのは福澤諭吉の『福翁自伝』です。つい最近読み直したのですが、最高に笑ったのは、細い道を屈強そうなサムライが歩いてきて、すれ違いざま怖くて走り過ぎたと言うのですが、同時に相手も同じように走って逃げたと言う話です。

 その昔、河合氏にユーモア力の磨き方を教えて貰える本を訊きました。挙げていただいた本を読んだのですが、残念ながら全く面白くなかった。そういうと、「そうですか、やっぱり」との答え。これには笑った。今の僕なら『福翁自伝』を挙げるはずです。河合氏ともっと語り合いたかったと思います。

⚫︎維新や戦争めぐる親子、友人との深い溝

 次に安部龍太郎氏の『維新の肖像』。ここでは維新をめぐる朝河正澄と朝河貫一の親子二代の生き様を描いたものですが、今、公明新聞に安部氏は『ふたりの祖国』と題して、朝河寛一と徳富蘇峰の物語を書いているのは周知の通りです。佳境に入ってきたところですが、どのように決着をつけるのでしょうか、大いに興味が募るところです。実は新聞小説が始まった時に安部さんに書いた手紙には返事を頂いたので、とても嬉しかったものです。しかし、つい先日書いた手紙にはなしのつぶて。さすがに、連日の新聞小説には気が休まる時がないのかもしれず、柳の下に二匹目のどじょうはいなかったようです。

 最後に、玉岡かおるさん。デビューされて間もない頃に友人の建設会社の社長と一緒にご自宅に伺ったのは懐かしい思い出です。お互い駆け出しだったのですが、あれから30年。今や彼女は押しも押されぬ大女流作家。こっちは議員を辞めてもう12年ほど。来し方を比較するべくもないのですが、彼女の本格的小説はあまり読んでいません。ところが先日かつて事務所を手伝ってくれた女性事務員(西宮市在住)と話していると、玉岡さんの『帆神』を激賞したのです。これには驚いた。北前船をめぐる物語で絶対読むべしと勧められました。その昔にはとんと小説談義などしなかったのにと、その成長ぶりにすっかり感じ入ったものです。そのことを玉岡さんに伝えると、当然ながら、大いに喜ばれました。(2025-7-1)

 

 

 

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【13】僕の新刊本『ふれあう読書』の読みどころ━━評論家編/6-30

 今朝の公明新聞5面読書のページに拙著『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』下巻が紹介されました。自分で自分の本を宣伝するって烏滸がましいかもしれませんが、「著者が自作を語る」っていうのも悪くはないだろうと、思いました。50冊全部触れられるかどうか。ともあれ7つの章に分かれているので、章ごとにやってみます。乞うご期待。

 ⚫︎直接読まずとも読んだ気にさせる読書録

   第1章は評論家編です。トップバッターは、映画評論家の淀川長治さん。僕の母校が生み出した最大の有名人かも。皆さん、この人知ってるかな?若い人は知らないだろうけど、伝説的映画人です。虚実ない交ぜにして人物像を浮き彫りにしてみました。若い人にはともかく、信仰者にとって『生死半半』は馴染みやすいタイトルだと思います。「映画を一生の伴侶にした」というほどの「熱中人生」は、観賞用先輩として得難いものだと思います。コラムに取り上げた僕の親友・平子瀧夫君は小森和子さんに可愛がられた伝説の映画記者(?)かも。

 次に、半藤一利さん。処女作『忙中本あり』を書いた僕との初対面で、「くだらない本を随分読む人だね」とのたまわれた。今にして、「賛否半半」だと思っています。この人の「日本社会40年転換説」には僕も影響を受けたものです。取り上げた本はお勧めです。

 続いて森田実さん。かつての全学連の闘士から大の公明党支援者に変身したという人で、読者の皆さんも一度は会ったことがあるでしょう。着物姿のよく似合う人生の大先輩でした。実は姫路の女流作家・柳谷郁子さんとのご縁を取り持ったのは僕なんです。この本にも登場させたかったのですが、最終段階で漏れてしまいました。

⚫︎沖縄、中国、宗教、女性を知るために外せぬ本4冊

 第4に、坂東眞理子さん。この本に登場する女性はわずか7人だけ。選りすぐりの傑女ばかりだが、この人ほど初めて会った時から今日を想定しづらかった人も珍しいかな?と思った瞬間、ン?栴檀は双葉より芳しだったぞ、とも。要するにこちらに見抜く力がなかっただけかもしれません。尤も『女性の品格』には反発する向きもあるかもしれない。あれこれ考えるのも、その後残念なことに会ってないからでしょう。

 次に、寺島実郎氏。NHKの朝6時40分過ぎに時折登場するニュース解説は圧倒的に刺激を受けます。昨今数少ないリベラルタッチの評論家で私の好みです。宗教を取り上げたこの本では創価学会への言及が殆どありませんが、そのうちどっと吐き出されるものと期待しています。

 6番手は、ロバート・エルドリッヂさん。僕とは奥様共々大変親しい間柄。議員当時から今に至るまで最も激しく論争した米国人です。というより日本人でも彼のようにじっくり激しく議論した相手はいません。沖縄を語らせて彼の右にでる米国人はいないと確信します。真の弱者の側に立とうとする素晴らしい国際人です。

 最後は邉見伸弘さん。この人は公明党きっての論客・邉見弘先輩の長男。親父さんは僕にとってはかけがえのない職場の先輩でした。『チャイナ・アセアンの衝撃』は、中国ウオッチャー必読の本だと思います。「米中対決」が世に喧伝される中で、彼の中国見る眼は、紛れもなく本物だと確信している者のひとりです。(2025-6-30)

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【12】この映像から目をそむけるな━━映画『激動の昭和史 沖縄決戦』を観る/6-25

⚫︎戦場を徘徊する幼女と寝言で母を呼ぶ軍人の対比

 6月23日『沖縄慰霊の日』に、映画『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)を観た。岡本喜八が監督、脚本は新藤兼人である。これまで何本も観てきた「反戦映画」の中でも出色のものだと確信する。その理由は、戦場を徘徊した後にエンディングを象徴する3歳ぐらいの幼女の姿と、日本軍人の典型と見られる丹波哲郎扮する長参謀長の描き方にあると思った。幼女の作為なき天衣無縫の振る舞いと、ぎこちなさが突出した軍人役の演技と。この相反した2つの映像が映画を見終えたあと無性に迫ってくるのだ。

 洞窟を改造して作られた野戦病院での怒号、悲鳴が飛び交う中での鋸で足を切断するシーンなど目や耳を覆い隠したくなる場面の連続。そういった中を飄々と歩き彷徨う幼女。見終えた後でその残像がジワリ蘇る。一方、逞しい上半身を曝け出した将校が、「お母さん」と幾たびか寝言を呟く場面ほど、怪しげで〝らしくない〟カットも珍しい。戦さを偉そうに議論する〝うつつ〟と、母を求めて口にする〝夢枕〟との落差。言語を絶する戦争の悲惨さを突きつけ、胸掻き乱させるこの映画は稀有な存在だ。

 そう、何もかもが異常で、常軌を逸したとしか言いようがない惨状。大本営なる戦争遂行の中枢が「機能不全」となった。そこから発せられる支離滅裂な指示に翻弄される最前線。あの太平洋戦争で唯一の地上戦が展開された「沖縄戦」こそ現代日本人が幾たびも反芻し学習する必要がある歴史の一頁である。それは一瞬にして何もかもが瓦礫となった広島とは同じ地獄でも、次元を異にしたもう一つの地獄なのだ。広島、長崎は沖縄とは「点と面の違い」と言えるかもしれない。戦争の残酷さと卑劣さにおいて区別はない。点は限りなく深く、面はどこまでも無限に広い。そんな史実を学ぶ上でこの映画は比類なく貴重なものに私には思われてならない。

⚫︎歴史の書き換えを持ち出す誤認識の政治家

 戦後80年の「沖縄慰霊の日」を前に大きな話題になったのが、自民党の西田昌司参議院議員の発言である。那覇市で開かれた会合で、「ひめゆりの塔」の展示を巡り、彼は自身の古く誤った認識で、いわゆる「自虐的歴史認識」を上げつらい、「歴史の書き換え」だと批判した。後に、多方面からの批判を浴びて、発言を謝罪し撤回した。この経緯を振り返る時に、彼こそこの映画を見るべきだと思った。一連の史実が過不足なく忠実に再現されていると確信するものだからである。

 実は、この映画には「敵」の姿が全く見えない。日本国内での地上戦だから、当然米兵と思しき相手は幾たびも出てくる。海から陸への上陸風景や進みくる戦車の後方に、そして洞窟の中に火を投げ入れる場面にと。しかし、いずれも米兵とは確認できない。音声とその文字はカタカナで、「デテキナサイ、コウフクスレバイノチはタスケマス」などと、それらしき雰囲気を醸し出しはするのだが‥‥。実像は確認出来ない。

 この姿なき米兵の存在との戦いの映像を振り返って、ふと「歴史の書き換え」などといった実態とかけ離れた虚像を作り出してしまう人間の愚かな性(さが)に思いを致さざるを得ないのである。(一部修正2025-6-26)

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【11】ほんものの「建築」と「大自然」の大事さと━━「今週の本棚」から/6-22

⚫︎「腐る建築」と「ポストモダン」建築の脅威

 「今週の本棚」(毎日新聞21日付け)は、実に読み応えがあった。松原隆一郎は、「建築」なるものを根底から考えさせてくれる2冊を紹介したうえで、「現在の日本社会は、樹木を伐採する再開発を乱発している。黄昏時や木漏れ日の記憶は現実にたどり返せなくなるだろう」と結論づけている。『ファスト化する日本建築』(森山高至)と、『建築と利他』(堀部安嗣、中島岳志)である。我々の目の前に展開する日本の「建築」の劣化ぶりが分かる一方で、建築素材としての樹木の美しさと尊さを改めて印象づける2冊にも強く惹かれた。藻谷浩介による『奥入瀬でネイチャーガイドが語ること(第一集)』(河井大輔編著)と『エコツーリズムは奥入瀬観光を変えうるか』(河井大輔)の2冊の書評である。松原、藻谷のこの2書評を今回の一推しとしたい。

 僕は松原の評を読みながら、「建築」だけでなく、現代日本における「創造」の根幹が「ファスト化」で脅かされている現実に気づき、自身もその愚行に加担している恐れを抱く。前回にも触れたように、膨大な情報を入手する手法や表現方法の簡便化は急速に広まっているが、気をつけねば、早ければ、短ければよしとする風潮に流されかねない。直接には「建築」マターではないが底部で通じる。

 我がブログも敢えて長文を厭わず長めのものを書いたり、できうる限り背景を説明しようとしてきたこととも繋がっているように思われる。ともかく短く、簡素化するのでなく、論理だてを優先したいものだと思う。かつて幸田露伴の『五重塔』を読んで覚えた感動は、「建築」のファスト化の真反対に位置するものに違いない。

⚫︎森の中のぶらぶら歩きの醍醐味を味わうこと

 一方、藻谷の評で取り上げられた2冊で、僕はかつて妻と一緒に行った「奥入瀬」の素晴らしき風景を思い出した。数少ない夫婦での旅の一コマだが、緑滴る一大絵巻とでも表現するしかない10キロほどの渓谷を2人で疲れながら歩いた遠い日は忘れ難い。しかし、それは味わい深さにおいて、到底ここで語られる「本物のガイド」による説明を聴きながら歩くことには比べるべくもない。この本を手にしてもう一度チャレンジしてみたいと心底から願う。

 河井が「自然保護区でもある渓流の全体を博物館(=入場料を払い、ルールを守りつつぶらぶら見学するだけの空間)として、再定義すべきだと提言する」という。このくだりを引用した藻谷は、「実現すれば、奥入瀬は、アジア、いや世界の宝となって、末長く自然の宝庫としての日本のブランドを向上させることになるだろう」と結んでいる。

 だが、「博物館」なる言葉が醸し出すイメージはあまり僕にはフィットしない気がする。先年訪れた島根県安来市の著名な庭園・足立美術館での負の体験(庭園内を歩けずガラス越しで観る)が邪魔をしてしまうからだ。もちろん、この比較はお門違いだが、全体を「博物館」化するという発想についていけない。我が感性の方を大事にしたく思うのだがどうだろうか。

 最後に、今週の本棚の2頁目の上段にある『歩くを楽しむ、自然を味わう フラット登山』(佐々木俊尚)は、ミニコラムながら強く惹きつけられた。僕が今もなお、公益財団法人『奥山保全トラスト』の理事を務めさせていただき、若いメンバーと共に奥山を歩く(滅多にないが)ように心がけていることを蛇足だが付言しておきたい。(敬称略 2025-6-22)

 

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【10】覇権国家米国の失墜と世界秩序の行方を探る/6-20

⚫︎リアルな国家間の激突と経済の動向

 世界中が大混乱に巻き込まれ、今や地球は地獄の淵に立ったかに思われる━━イスラエルがイランの核に対する自衛のためと称して、空爆を開始し、その反撃から両当事国間の応酬が続く。ウクライナ戦争も中東・パレスチナでのガザをめぐる戦闘も未だ終焉の兆しはうかがえそうにない。冷戦時代なら、米ソ両大国の「仲裁的行為」がそれなりに効果を発揮したやも知れぬ。だが、今や一方の旗頭だった国家が先頭きって国際秩序を乱すルール違反をおかすし、他方の超大国は停戦の掛け声をかけたふりはしても、その実、真意ははかりかねる。といった〝無頼の極み〟の横行で、世界は〝無法状態〟に突入したとの見方が否定しきれない。国際社会はまさに無秩序の様相が一段と濃い。このほど開かれたG7(主要7カ国首脳会議)も、肝心の米国のトランプ大統領が早々に帰国するなど、理由はともあれ絵に描いたような「無責任大国」ぶりである。とりあえず今話題の著作を読み解くことから、この事態の行方を考えてみたい。

 実は、昨今、齋藤ジンという人物の『世界秩序が変わるとき』という本が世間で話題となっている(かに思われる)。サブタイトルに「新自由主義からのゲームチェンジ」とあるように、軍事的抗争ではなく、金融、経済分野でのせめぎ合いに、一応は的を絞ったものである。この著者は、ヘッジファンドをはじめとするプロの資金運用者に助言をするコンサルタントなのだが、この本では、今世界経済が直面する課題を適切かつ分かりやすい分析がなされていて興味深い。

 つまり、戦後の世界経済は、「ケインズ主義」の旗のもとに展開された「大きな政府」志向の時代が1980年代半ばまで続いたが、90年代に入って、「新自由主義」による「小さな政府」の時代へと変化したと、明解に仕分けている。レーガン、サッチャー(ちなみに日本では中曽根)氏らによって牽引されたレーガノミックス、サッチャリズムと呼ばれた経済政策の展開である。いらい、40年近い歳月が流れて(この間は日本のアベノミクスが有名)新自由主義的世界秩序が、漸く変わろうとしているというのである。

 世界が戦争の連鎖に喘いでいる最中、世界経済の秩序の変化とは?さて、吉と出るか凶と出るのか?

⚫︎覇権国家のパートナーという〝甘い立ち位置〟

     こう述べると、拙著『77年の興亡』で分析した1945年からの戦後の時代主潮が、高度経済成長のピークからバブル絶頂へと進み、やがてバブル崩壊を経て「失われた30年」に突入していった「枠組み」と見事に符合して、我が意を得たりとの錯覚すら覚える。

 齋藤氏の分析は、近代日本は時の覇権国家のパートナーとして、良しにつけ悪しきにつけ、利用されてきたと見る。明治維新からの77年という第一のサイクルでは、19世紀から20世紀前半にかけての覇者・英国は、「帝政ロシアの勢力拡大を抑えるため、東洋に同盟国を求め」、その結果当時の日本は、「韓国を併合しても、満州に手を出しても許され、経済的に繁栄した」というわけだ。日本はあくまで受け身で、なにをしてもされても主体的な行動の結果とは見做されない。

 そして、第二のサイクルでの米ソ冷戦下においては、覇権国家・米国が「ソビエト・ロシアを封じ込めるため、日本の経済発展を助けてくれた」というのだ。「ジャパンアズナンバーワン」と持て囃されたあげく、やがて「お役御免」とばかりに、切り捨てられ、「失われた時代」へととって代わられる。

 その後、40年ほどの雌伏のときを経て、三たびのチャンスが来ているとの見立てを齋藤氏はする。すなわち、新自由主義の秩序から新たに、「宇宙開発から核融合、AI、量子技術、脱炭素、バイオを初めとするグリーンエネルギー、防衛装備共同生産品‥‥中国を意識した日米連携が今後こうした領域を中心に活発化していく」というわけである。米国による中国封じ込め戦略の本格化に向けて、その片棒を担ぐことで、日本が再び脚光を浴びるという見立てである。

⚫︎対米楽観論にだけ同調するのでは心許ない

だが、果たして、そううまく行くかどうか。この著者は、トランプの登場で、揺れる米国社会を外から見ると「機能不全と映るかもしれないが、逆説的にはアメリカのダイナミズムそのものと捉えることも可能」だといい、返す刀で、「国家の根本が壊れずに動き続けてるところがアメリカ社会の凄さだと言える」と、どこまでも「楽観主義」に貫かれた見方を提示していく。

確かに過去からの時代の持つリズムと、世界経済体制における新自由主義の綻びによって、「何か新しいものにとって代わられる」との予感は漂う。「77年の興亡」の次に来たるものは何か、との自問に攻め立てられる我が身としては、〝渡りに舟〟とばかりに乗りたくなってしまう。「今はその過渡期なので具体的に何がどうなるのかはわからない」ものの、しきりに「何がしかの均衡点が生まれるはず」と強調されると、いやまして同調したくもなる。

 ヘッジファンドに助言をするコンサルタントとは、かくほどまでに骨の髄まで対米同調意識に支配されているものかもしれない。覇権国家・米国の足元が揺らぎを見せ、崩壊の兆しさえ浮上する中で、楽観的見立てに惹き込まれそうな我が身を叱責する声がどこからか聞こえてくる。(2025-6-20)

 

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