映画の試写会に行くのは実に久しぶりのことだった。兵庫県三田市の会場には100人を超える観客でほぼ一杯。神戸市北区の蔭山照夫さん(83)から、息子の武史が書いた(センサーとパソコンによる)自叙伝『難病飛行』をもとにした映画(八十川勝監督)ができたので、観に来て欲しいと言われたのは今年の初め頃。さる6月24日に三田市に住む友人と共に観に行ったが、心から感動する映画であった◆武史さん(2021年45歳で死亡)は、小学校低学年頃から、転倒しやすいという身体の異常を感じていたが、やがて筋ジストロフィーによるものと判明する。小学校卒業と同時に養護学校へと進む。そこでの級友たちとの心の交遊が描かれていく。ゆったりとした時間の流れの中で、優しく力強い家族の介護や淡い恋ごころの芽生えが胸を打つ◆彼の周りにはご両親と姉さんの素晴らしい家族3人を始め、多くのサポーターがいた。映画の中で、全身の筋肉が萎縮し、やがて死に至るというこの病の実態を本人が知るくだりで、母親が「どこまでもずっと母さんが付いているからね」と口ずさむシーンには、胸揺さぶられ、涙させずにおかなかった。また静かで単調になりがちな展開に、折り込まれたバンドコンビ「ちめいど」(兄弟のサポーター)の音楽がとても印象的で、暑い日の午後窓際でさえずる小鳥のように爽やかだった。◆私が蔭山さん一家を知ったのは、地元公明党市議から難病と戦うご家族を支援して欲しいとの声を聞いたことがきっかけ。家族の皆さんで立ち上げたNPO 法人「もみの木」のメンバーと、厚労省への要望に幾度か同席もしたことがある。母親も本人も映画の完成を待たずに亡くなったのは無念だが、クラウドファンディングの力で集まったお金をもとに出来上がった映画によって、さらに多くの人の心に生き続けるに違いない。いい映画はいいなあ──当たり前の言葉が自然に口をつく。(2023-7-5)
【111】通常国会の閉幕と、気になる内外重要課題あれこれ/6-23
通常国会が幕を閉じた。気になる課題を挙げてみる。国内的には、マイナンバーカード(マイナカード)をめぐるトラブルの多発と、健康保険証の廃止という問題である。マイナンバー法が成立して10年。マイナカードを使ったコンビニでの証明書発行サービスで、住民票などの誤交付が相次ぐ事態が明らかになった。さらに、マイナポイント事業で、別人にポイントを付与するミスがこの約1年で、90自治体で113件あった。また、公金受け取り口座をマイナカードにひも付ける際に、家族や同居人などの口座を登録するケースが約13万件もあったというような混乱が多発している。〝デジタル立国〟と言いながらも、お粗末な実態にウンザリする◆そんな時に現行の健康保険証を廃止してマイナカードに統一させようと急ぐのは、時期尚早だとの意見が強い。首相は「マイナンバー情報総点検本部」をデジタル庁に設置して、総点検を指示したようだが、この国の弱点を改めてさらけ出したようで、いかにも侘しい。立憲民主党などはかつての年金騒動の時のように、此処を先途と攻めたててこよう。腰を落ち着け、じっくりと対応するしかない◆一方、自公政権の「防衛装備移転3原則」とその運用指針の見直しを議論してきたワーキングチーム(WT)が国会最終日に開かれた。議論の結果、結論は秋以降に持ち越されることになった。「装備移転」とはまやかし表現。要するに「武器輸出」のこと。ウクライナ戦争の継続の中で、従来通りに、殺傷能力のあるものは排除すべきとのスタンスの公明党と、救難、輸送、警戒、監視、掃海といった「5類型」に限定することは廃止して、案件ごとに判断し、緩和すべきだとの立場の自民党とが、ぶつかっている。政権与党内部で意見の食い違いが大きいテーマの一つがこれだが、〝行き詰まったら先延ばし〟の定石通りになった◆公明党が歯止め役に徹しなければ、この種の問題はどんどん進む。つまり、戦争加担の流れが加速する。平和構築のために必要なことに限定すればいいのに、軍備拡大に貢献する道をも歩みたいとするのが自民党政治である。これを阻止するのは、まさに、平和の党・公明党の生命線とも言うべきものに違いない。いくら議論しても埒が開かない、だから、国会が閉じたら議論もお休みにしようという風になりがち。ここは、こう着状態を打開するためにどうするかの議論も抱き合わせてやるべきだろう◆安全保障分野だけでなく、同時に外交分野で平和攻勢をどう進めるかの議論をすればいい。先日もNHK テレビ番組の『ヒューマンエイジ「人間の時代」』で「戦争」と「平和」をめぐるイメージについて興味深い指摘がなされていた。「戦争」を思わせる実例は現実に数多満ちているが、「平和」を連想させるイメージは極めて少ないとの指摘であった。「平和」という言葉だけはあっても、その実態に定まった観念は確かにない。例えば、自公の外交安保を専門とする議員が国会閉会中に、「平和」に限定して、皆が持つイメージを徹底的に討論すればいい。議論が進まないか。それとも?それなりに実りあるものになるかもしれない。(6-23)
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【110】〝品格もパワーのひとつ〟を忘れてないか━━国会最終盤の風景から/6-17
国会が最終盤になると、いつも見る風景が今回もあった。内閣不信任案の提出をめぐるドタバタ劇だが、今度のは岸田首相がいかにも解散権を弄んだ風が露骨に出ていた感が拭えない。言葉の言い回しを変えて見せて、周りを慌てさせるというやり方は、〝いかにも〟だが、その時の顔つきに〝含み笑い〟が窺えたように見えたのは私だけろうか。あまりに品がないと言わざるをえない◆先日のNHK の『日曜討論』では、各党幹事長クラスが出ていたが、残念ながらどの党の顔も風格に乏しいと言わざるを得なかった。自民党は幹事長ではなく、幹事長代理だったうえ、公明党はその場ではなく、どこか別の中継場所からのライン参加だった。主役コンビ不在に何となく今の自公関係がかぶさって見えさえしたのである。野党側も立憲幹事長に往年の冴えは見えないし、維新幹事長のよそよそしさに、野党の迫力は微塵も感じられなかった◆いつの日からか、政治家に畏敬の念を抱くことがなくなってしまったように思われてならない。昭和の時代の与野党の政治家にはそれなりに砂塵を巻くかのような迫力に満ちていたのだが。今は、パワハラ、セクハラにハラハラしどおしといった実態が目に余る。選挙制度が中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に代わったことが大きいと思ってきたが、それだけでは無いように思われる◆そんなことを考えていた折に、塩野七生の映画評論『人びとのかたち』を読んでいると、『パワーと品格と』というイタリア映画の傑作『山猫』の評論に出くわした。シチリアの社会が何故に「2500年もの長い間他民族の植民地であり続けてきた」のか、との疑問に、塩野氏が気づいたというのである。答えは簡単、シチリアでは、「誰が支配者になろうと状態は変わらないことを、民衆の端々に至るまで知って」おり、「一部の人の情熱ではどうにもならない状態にまできている」からだという。塩野氏は「品格もパワーの一つに成りえることを忘れていると、社会はたちまち、ジャッカルやハイエナであふれかえることになる」と結論づけているが、なんだか、日本の社会にも当てはまるように思われてならない。(2023-6-17)
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【109】福田康夫元首相への「直撃インタビュー」──前議員会での束の間の語らいから/6-10
6月6日から3日間、上京してきました。きっかけは、衆議院前議員会が久しぶりに開かれた(7日開催)ためです。コロナ禍前までは、ほぼ毎年一回、講演会付きで行われてきましたが、今回は議長公邸での懇親会のみ(120人ほどが参加)。わたし的には、福田康夫元首相との懇談を始め、実に実りある機会となりました。衆議院細田議長と島村前議員会会長)の型通りの挨拶のあと、各テーブルごとに雑談をしたのですが、私は現役時代に数々の思い出がある福田元首相と話しました。話題は3つ。一つは、対中国観。彼が中国習近平主席を高く評価する発言を、かつて「淡路島のフォーラム」で聞いたことがあり、印象深かったので、今も変わらないかどうか改めて訊きました。同氏は「変わらないよ」と言った上で、「(習主席は)日本の悪口は言わないね」とのことでした。私は、「池田思想研究所」が中国各地の大学に併設されていることを、ご存知かどうか聞いたところ、勿論だとの返事。このため、池田先生と周恩来元首相との関係と並び、福田元首相と習近平主席との固い絆も日中関係にとって極めて大事だと思う、と伝えたしだいです◆2つ目は、かつて、私の地元での「励ます会」の講師として、官房長官当時の福田元首相に来てもらったことについて話題が及んだ際に、「あの時は姫路に行って本当に良かった」と言われたのです。同市手柄山にある第二次大戦での全国空爆死没者慰霊塔に立ち寄られた時のこと。日本に戦没者を弔うための中心的施設がないので、ぜひ姫路の慰霊塔を援用すべきと私が主張したことを覚えておいていただいたのです。その願いは叶わなかったのですが、福田氏は「(あの視察は)いい勉強になったよ」と懐かしそうに言って下さったのには、こちらが驚きました◆3つ目は、御子息の福田達夫前総務会長のことについて。私が、彼は将来の首相有力候補であり、親子3代の首相も夢でないですねと、持ち上げました。尤もそれに続いて、先の統一教会問題で、不用意な発言をされたことは残念でしたと、痛いところを突く話題を投げたのです。福田氏は、彼は何にも知らないのだから、よせばいいのに(余計なことを言って)ねぇ、と率直な反応でした。好感が持てる発言でした◆最後に、私が出版した『77年の興亡』について、遅ればせながら送るので読んで欲しいという一方、近く続編めいたものを出版するので、その推薦文をお願いしますと頼み込みました。色良い返事だったので、届け先は?と迫ると、息子のところに、とのこと。うーん。さて、どうなることやら。ともあれ、束の間ながらの充実した「直撃インタビュー」ではありました。(2023-6-10)
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【108】「自公のパイプ論」の中身について立ち入る/5-29
このところ、10増10減の小選挙区割りに伴う候補者選びで、自公間で揉めているとのニュースが散見される。またか、の思いは禁じ得ないが、気になるのは、両党間に亀裂が生じているとの解説である。自公間のパイプが細くなっていることが原因の一つというのだが、果たしてどうだろうか。ことの是非はともかく、両党の関係を見る際に、メディアが直ぐ持ち出す「パイプ」なるものの正体を考えてみたい◆ここで持ち出されているのは、以前は誰がいて相手の誰々と親しかったがゆえに関係が強かったという人間関係論である。政策については日常的課題として議論の対象になっているが、もっと大事なのは国のあり方をめぐる議論の深化ではないか。自公両党が連立を組むようになって20年を越えている。この間に、日本をどういう方向に持っていくのかについては、あまり議論されたとは聞かない◆自公両党間で「パイプ」なるものが機能しているとしたら、それは「選挙」に関するものだけかもしれない。それだからこそ、利害得失でグラッとくると、すぐ大騒ぎになる。かつて、自民党の兵庫選出の大物参議院議員の応援演説をした時のことを思い出す。私は、彼とは出身高校、大学、気質、人間性などいかに違っていても、自由と民主主義を守る、共産党や民主党(当時)とは相容れないという一点で共通すると、大見えを切った。ところが、その直後に2人きりになった時に、彼はニヤリとしつつ「あんたはあんな演説したが、あんたとわたしじゃあ憲法観が違うよ」と言われた。もう随分前のことだが、忘れられない◆彼は私の弁説のあと、自身の演説の最後に「創価学会の人、公明党の人おるか」と、声を張り上げて呼びかけ、「あんたらに応援して貰わんでええで、わしひとりで通ったるから」と言ったものだ。彼は憲法観と言ったが、それだけではなかったと思う。彼の議員会館の執務室には、よくわからなかったが、拝むべき対象のようなものが祀ってあり、蝋燭の火も灯っていたからである。自民党にも十人十色で様々な人がいる。当たり前のことだ。私はそれ以来、連立を両党が組み続けるなら、憲法9条をめぐる「戦争と平和」観、宗教観という人間の根幹にまつわるテーマについては、難しいことだろうが機会を見つけて、語り合う大事さを痛感している。(2023-5-29)
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【107】核軍縮どこが前進したかの見極めを❸/5-25
24日の衆議院予算委員会で、G7広島サミットを巡る問題を中心に内外の諸課題が議論された。冒頭の発言を含めての質疑で、岸田首相は、①各国首脳に被曝の実相に触れてもらい、それを世界の隅々に発信することができた②グローバルサウスと呼ばれる新興・途上国との関係を深めることに成功した③(ウクライナのゼレンスキー大統領が参加することで)法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を堅持し、力による一方的な現状変更は認められないという点で認識の一致が得られた──などを大きな成果として誇った。これに対して、立憲民主党など野党は、非核化への道筋が見えないとの被爆者団体の反応をもとに、疑問を投げかけた◆与野党の立場からすればこの相違は予め予測されたことであったが、私にとって残念に思えたのは、公明党の質疑だった。G7として初めて核軍縮に焦点を当てた首脳文書「広島ビジョン」が、公明党が事前に示した提言に符号していたと、評価するというのだが、果たしてそうか。大筋の方向性の一致は当たり前で、どう具体化させるのかについては殆ど見るべきものがなかったというのが正直な受け止め方ではないのか。広島サミットを機に「核軍縮への転換」を、と訴えた(5-17付け公明新聞)ことに、「核軍縮 G7で前進」(5-25付け)とあるが、どこがどう符号したというのか◆提言では、今年11月に開かれる核兵器禁止条約の第2回締約国会合に、日本としてオブザーバーで参加し、核保有国と非核保有国との「橋渡し」の役割を果たすよう主張していた。なぜ、それが叶わなかったのかぐらいはこの場で聞いて欲しかった。核の先制不使用や威嚇を禁じることについても、どう議論が進められたのかは確認すべきだった。こういう議論をすることは与党の立場からも当然あって然るべきだと思う。それ以外にも、公明党の提言で重要なものが数多くあったのに、それが殆ど反映されていない。にも関わらず、「符号した」「重なる」内容とのやりとりで済ましてしまうのは、勝手に自ら設定したハードルを下げて満足しているようなものではないか◆グローバルサウスとの関与についても、会議の中身は一般的には伝わってきていない。予算委員会はそれを聞き出す絶好の機会のはず。ロシアとの距離においてG7と異なる位置にあるインド、ブラジルを始めとする各国と、どういう議論をしたのかも聞き出して欲しかった。単にウクライナへの支援だけで事足れりとするのでは停戦どころか、戦争拡大にしかならない。複合的な視点から現状を見つめ、打開への道を求めるべきなのに、一方にのみ目を向ける岸田首相に苦言を呈することさえなかったのは、禍根を残すという他ない。(2023-5-25 この項終わり)
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【106】G7広島サミット予想通りの失望❷/5-23
岸田首相にとって今回のサミットは、各国首脳を「広島平和記念資料館」に招き入れて、改めて核の悲惨さに共感を抱いて貰ったことによる手応えは大きいに違いない。とともに、ウクライナからゼレンスキー大統領がやってきて直接G7メンバーと対話出来たことも西側の結束を確認出来たものとして大きな成果とみられよう。ただ、これらは共にパフォーマンスの領域をでないとも言える。核の廃絶、削減に向けて一歩前進をしたとはいえず、ウクライナ戦争も停戦、終結に向かって前進したといえない限り、会議前とその風景は全く変わっていない◆被爆者の代表たちは口を揃えて「失望した」ことを強調していたし、ウクライナ戦争については、具体的には米国によるF16の供与、訓練の機会など戦争拡大に向けての動きしか見られなかったのは、当初から予測されたこととはいえ、残念の極みであった。とくに、創価学会インタナショナル会長の池田先生が4月27日付けで『危機を打開する〝希望への処方箋〟を」とのG7広島サミットへの提言をしていたが、全く反映されていなかったことも◆その中では、❶2月の国連総会での決議に盛り込まれた〝重要インフラや民間施設への攻撃の即時停止〟を実現した上で、戦闘の全面停止に向けた交渉を市民社会の代表がオブザーバー参加する形で行うこと❷G7の主導で「核兵器の先制不使用」の誓約に関する協議を進めること──なども呼びかけていたのであるが、顧みられなかった。「被爆地・広島は貸座席ではない」とのコメントが被曝関係者から発せられていたが、宜なるかなとの感は強い◆今回の会議には、インドをはじめ5カ国のいわゆるグローバルサウスと呼ばれる国々が招待国として参加していた。この中にはロシアへの経済制裁などにおいて、西側とは一線を画し中立的立場をとるインド、ブラジルも含まれ、注目された。特にインドは今年のG20の議長国であり、存在感は大きいのだが、そうした国との詰めた意見交換があったのかどうか。自分達の陣営に引き摺り込もうとするだけでなく、どうしたら、戦争を終結出来るかをめぐっての議論が重要だと見られたが、それがなされた気配は感じられない。(5-23 つづく)
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【105】G7広島サミットへの目線いろいろ/❶5-22
G7広島サミットが三日間の日程を終えて終幕した。今回のこの催しをどう見るか。立場によって自ずから違うことは当たり前だが、あえて5つの視点からその成果を問うてみたい。一つは、議長国日本。二つは、NATO傘下の各国。三つは、今回招待されたいわゆるグローバルサウスを代表する国々。四つは、露中といういわゆる敵対国家群。五つは、日本の一般大衆◆まず、本題に入る前に、テレビや新聞メディアを通じて見えてきた会議に臨む各国首脳の思惑を想像してみる。まず岸田から。彼にとっては地元広島で開く、乾坤一擲ともいうべき晴れ舞台。早ければ7月か今秋と言われる解散総選挙を、圧倒的有利に導けるかどうかの試金石ともいうべき重大な機会だった。バイデンは、ギリギリまでリアル参加が疑問視されたほど、「債務上限引き上げ問題」の行方が気になっていた。〝心ここにあらず〟が本音だったはず。後のG5首脳の面々は、大なり小なり、日本・広島の〝異邦性〟に目を奪われたというところに違いない◆人を上辺だけで判断してはいけないが、かつてのヨーロッパ各国の首脳に比べていかにも小粒との感が否めない。首脳たちを、映像を通して、献花場や「平和記念資料館」周辺で見定めることさえ苦労を要したのは私だけではないだろう。英国やイタリアの首脳━━よくいえば生き生きとして、悪く言うとはしゃいでいるように見えた━━に比べて、むしろ、インドや韓国、インドネシア、ベトナムなどの招待国首脳の方が落ち着いて見えた。各国のトップに据わった時期が大いに関わってくるのだが、自ずと備わった風格の是非も気にならないといえば、嘘になる◆そんな場所に飛び込んできたウクライナのゼレンスキーは誤解を恐れずに表現すると、文字通り〝千両役者〟だった。〝危機に瀕する地球〟の今を象徴する〝危機の主人公〟として、当然ながら際立った存在感があった。こう外見を追っただけで、今回の会議の内容が透けて見えてきたのはいかんともし難い。(5-22 敬称略 以下つづく)
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【104】酒よし、城よし、夕陽よし──食と湖と庭園の「松江紀行」/5-18
京都、金沢、松江の3つの都市に共通するものは何でしょうか?いずれも「茶の文化」が定着しており、それゆえ和菓子の町だということのようです。というものの、それを私が自覚したのはつい最近のことで、高校の後輩で弁護士をするT君から、食文化の奥深さと共に聞かされてきたからです。偶々、先週末13日に私が少し関わるメタバース導入PTを目指す一般社団法人の会合が松江であるため、彼と翌14日に合流して、束の間の「松江紀行」を試みることにしました。この地を今まで訪れたのは僅か2回ほどだけの私と、この地を熟知した案内人との道行きは、格別なものになりました◆まずは昼飯から。客がいつも列をなしているという人気の蕎麦屋「神代」に。この日は20分ほどで入れましたからまずまず幸運。窓越しに増える人列影を見やりながら銘酒「豊の秋」を傾けつつ啜る蕎麦の味は格別でした。ついでに夕飯先も披露しますと、橋のたもとの居酒屋「山一」。カウンターに座って、おでん、しめ鯖と飛び魚のお造り、喉黒をお酒と共にいただき、山盛りのしじみ汁を食しました。さあ帰ろうと、後ろの席を見るとビックリ。4組8人の客がずらりと前の方向に揃って足を投げ出して、皿のものを思い思いにつついておられるではありませんか。狭き場所ゆえの気の毒な姿の〝食卓四重奏〟に笑いを堪えて店を後にしました◆この昼と夕の食事の間に、訪れた先は、明々庵、松江歴史館、松江興雲閣、松江城。なかでも、7代目松江城主・松平治郷(不昧公)が愛用した茶室だという明々庵の落ち着いた佇まいとおうすの味、そして松江城天守閣からの眺めは忘れ難い趣きがありました。お城はついついどこに行っても、我が故郷の姫路城と比較してしまいます。天守閣の豪華さは白鷺城に勝るものは天下にないとはいえ、お堀の立派さと借景としての宍道湖は完全に松江城の方に軍配を上げざるを得ないと言えましょう。夕方6時半からの宍道湖サンセットクルーズでは、見事な夕陽の落ちゆく姿とご対面出来ました。色んな場所で夕陽は見る機会がありますが、格別見事なものに見えたのは、水平線の長さにあるのかと。また途上にある嫁が島の松の木の渋さ加減が抜群でした◆翌朝は、列車で20分ほど東にある安来市の日本一の庭園という「足立庭園」に。かねて名声を聞き及んできたものの、残念ながら失望しました。てっきり庭園内を散策出来るものと思いきや、ほとんど窓ガラス越しで見るだけ。これではいくら日本一と言われても有り難みなし。ぐっと狭いけれども、姫路城脇の考古園の方が未だましと思ったしだい。お昼は、松江に戻り皆美館で。湖畔の料亭旅館で、数多の文人が好んだというだけあって、ミニ庭園も中々の雰囲気でした。勿論料理も◆ついこの間京都で観光学の講義をアレックス・カー先生から受け(前回紹介済み)、オーバーツーリズムのための管理学の必要性を学んだばかりですが、京都、金沢と違って松江は未だゆとりがあるように見受けられました。お土産のお酒と和菓子を前にして、過ぎ去った地を思い起こしつつ、ちょっぴりと幸せを感じています。(2023-5-25 一部修正)
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【103】今再びの〝観光立国〟への挑戦──京都先端科学大セミナーから/5-12
コロナ禍で閑散としていた観光地が一転、どこもかしこも大賑わい。GWの様子を報じたテレビ番組は判で押したように、旅行関係者の喜びと地元の嘆きのツーセット。8日のNHK「クローズアップ現代」では、オーバーツーリズムの問題点を洗い出していました。沖縄の石垣島や竹富島では、コロナ禍でいなくなった〝従業員探し〟に苦労している場面や、丸ごと出されたゴミを仕分けし直す小売店の皆さんの悲哀がしのばれました◆そんな折、「〝観光〟は〝立国〟か」と、いわくありげなタイトルのセミナーがあると知り、わざわざ京都まで行ってきました。主催は、KUAS(京都先端科学大学)。今年初めて卒業生を出したとのことですから、開学4年目の新しい大学です。5月10日夜のこと。会場が比較的落ち着いて見えた京都駅前だったのでほっとしました。なぜ、このセミナーに参加したかというと、実はかつて公明党の番記者だった山本名美さんがこの大学の教授に就任、このセミナーのモデレーターを務めると聞いたためです。親しく付き合った記者さんが大学教授になるというのはそう珍しくはないのですが、女性では初めてです◆カー教授の講演は実に面白いものでした。とりわけ、観光地における〝艶消し〟そのものの看板のオンパレードをパワーポイントで見せられたのは、こちらが恥ずかしくなるほどでした。彼の講演では、駐車場の場所設定などは便利さを追うことでなく、むしろ不便さが大事だとか、予約制の導入や入島料を取るなど、客を選ぶ方向がトレンドだと知りました。観光客も量より質が求められる時代だと改めて気付いたしだい◆この日一番収穫だったのは、「管理」こそ観光のポイントという一点でした。ただ闇雲に観光客を招き入れていると、立国どころか亡国になるのは目に見えているのです。どこの観光地が飽和状態か、まだゆとりがあるかをキャッチし、観光客に選択させる仕組みの確立──「管理」が最優先だということなのでしょう。こうした話を聴きながら、人口の東京の一極集中と同様に、観光客の京都一極集中をどう分散させるのかなどに思いがおよびました。ただし、これは難題。コロナ禍の3年に国は対応の努力をしたのだろうかと思いつつ、帰路についた次第です。(2023-5-12)
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