〝いい大人〟を惹きつけるテレビ放映が滅多にない民放だが、時にとても面白いのをやる。ついこのほど終わった『VIVANT」(TBS)は中々だった。広大なモンゴルの大草原を舞台に、山あり谷ありの筋立て。国家・社会と個人・家族との相剋、仲間うちの忠誠やら裏切りを盛り込み、公安、警察を主軸に、政治に軍事・外交を絡めた壮大なスケール。生命の危うさと尊さを存分に曝け出し、めくるめく展開を次々と見せた挙句の末のどんでん返し。噂を聞いて私も途中から参入。ダイジェスト版の助けを借りて漸く最終回まで辿り着いた。人気俳優の力演もあり、それなりの満足感に浸っている◆このドラマの中で活躍したのが「別班」という名の組織。共同通信が10年前に報じたところによると、陸上自衛隊の秘密情報部隊で、軍事・政治・治安情報の収集にあたる極めて優秀な人材集団という。〝別の班〟とは、とって付けたネーミングで、味もそっけもない。言葉の響きはダサく、リアル感はない。10回分のドラマが終わった後、同テレビ局は『報道1930』で、専門家3人を揃えて詳しい解説をしていた。その番組で石破茂元防衛相がかつてその存在の有無を週刊誌記者から問われて「存在している。してなきゃおかしいだろう」と答えておきながら、つい最近の「国会トークフロントライン」では「あるともないとも言えませんがね」と、トーンダウンした発言場面が放映されていた。実は、菅義偉元官房長官は2013年に「これまで存在してないし、現在も存在していない」と全否定しており、歴代の首相も防衛相も知らないことになっている◆2007年に防衛庁が防衛省になり、それに先立つ10年前の1997年に情報本部が作られた。内閣情報調査室、いわゆる「内調」と呼ばれる組織体など、警察をベースにしたものが国内を主に担当する一方、防衛省・自衛隊が国外における諸々の情報を取り扱うのだろうと漠然と思っている人は多い。今回のテレビ放映をきっかけに、政府は「別班」の存在を改めて明確にすべきだろう。でなければ、その危うさがかえって印象深くなるだけだ。戦前の日本が、昭和の冒頭20年の間に、いわゆる「軍部独走」を許し、国家消滅に至ったことは、今さらいうまでもない。今NHKで再放送中(10回放送予定)の司馬遼太郎の『雑談「昭和」への道』を観ると、改めて古傷が痛み出したという人は少なくないと思われる◆ウクライナ戦争は、始まって1年半がとっくに過ぎ、終結の兆しは見えない。それどころか、ロシアと北朝鮮の急接近やG20各国(G7を除く)の親露傾向など、世界情勢は崩れた積み木を粘土で急ぎ固定化するかのような動きが垣間見える。戦後78年が経ったとはいえ、いまだに日本は、真っ当な意味で自主・独立した国とは言い難い面があることは、拙著『77年の興亡』『新たなる77年の興亡』で示唆してきた通りだ。先の「別班」をめぐる議論での結論は、「シビリアンコントロール(文民統制)を逸脱させるな」だった。国家の基本を揺るがす事態に対応するための情報収集が他国任せであってはならず、自前のものでなければならぬことは当然だろう。その意味で『VIVANT』が提起したテーマは、娯楽番組の域にとどまらせてはならず、皆で大きな問題を考える糸口にしたい。(2023-9-21)
【121】総選挙の影に振り回されず国家戦略構築の議論の場を/9-15
プロ野球・阪神タイガースの優勝に大手がかかった14日午後6時過ぎの神戸ホテル・オークラは、衆議院議員・赤羽一嘉を激励する会の参加者でごった返していた。ドンピシャで甲子園球場の試合と重なってしまい、登壇者は次々に「アレのかかった日に‥‥」を口にした。18年ぶりの優勝だけに阪神ファンならずとも気になる対巨人戦だった。この日のスペシャルゲストのひとり河野太郎デジタル担当相は、自分は巨人ファンだがと前置きし、祝意を匂わせつつ話の口火を切った。来る衆議院選挙での「赤羽の勝利」に向けて自公結束の強さを見せつける重要な場面に、「阪神優勝」も花を添えたようだった◆前日の組閣で岸田首相は、重要6ポストの留任を軸に、ベテラン、新進取り混ぜた5人の女性大臣、11人のフレッシュな新入閣者を配置し、盤石の体制を作ったと見られている。この日もビデオで、同期当選の赤羽氏の活躍に期待する首相メッセージが披露された。岸田第二次再改造内閣の力量はこれから試されることになるが、「変化を力にする」との首相の言い回しは分かりやすいとはいえない。次々と変化する内外の情勢に押し流されず、的確な対応をするという意味だと捉えて、見守るしかなかろう。まずは、いっときの猶予も許されぬ経済対策に期待したい◆いかなる内閣も、改造直後はいわゆるご祝儀の意味合いが込められて、支持率はアップするのが相場だ。現今の政局を判ずる各種メデイアの展望や予測を眺めると、最も早くて、10月22日の補欠選挙(衆議院長崎4区と参議院徳島・高知選挙区)との同日投票を第一想定案として、11月から12月初旬にかけての総選挙の可能性があると睨むものが多い。これらはまた、首相自身は自民党内の勢力地盤が弱いため、来秋の総裁選挙に向けての基盤強化が第一の目標だとの見方で一致する。その上で、総選挙を今秋にするか、それとも明年の総裁選挙前にするかは、いつにかかって支持率アップを始めとする世の空気が大きく影響するということだろう◆ただ、私はこういう見立てそのものに、疑問をいだく。衆議院は4年任期であるものの、ほぼ3年で総選挙になり、しかもその時期は首相の恣意的判断に委ねられる。これまで戦後77年半、時の権力の〝生命維持操作〟の具に供されてきた。これから国をどういう方向に持っていくかの戦略的議論もいい加減なまま。目の前の政策課題に右往左往するのが精一杯という他ない様相が展開されてきたのである。現実政治の采配はもちろん大事だが、それと同時並行で長期戦略を時の与党勢力が考えずに誰が考えるのか。「常在戦場」は結構なことだが、総選挙の影に政治家も有権者もいつも振り回され大事な議論がその場凌ぎに終わることはごめん被りたい。自公両党のリーダーは、選挙互助のためだけの連立政権であってはならないことを強く銘記してほしい。(2023-9-15)
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【120】「日本壊滅」のリアル━━関東大震災100年と南海トラフ大地震を前に/9-8
さる9月1日は「関東大震災」から100年が経ったということで、様々の媒体が特集を組んでいました。その中で、とりわけ注目されたのは2日にわたるNHK による『関東大震災100年』の放映(前・後編)でした。残っている記録映像をカラー化したり、専門家の手で日時や場所を特定する作業によって、これまで不明だったものが鮮明になったことは大きな収穫でした。もちろん、「陸軍被服廠跡」での大惨事や「朝鮮人虐殺」、橋の上の大混乱などの詳細な映像はありませんでしたが、緊急時にも関わらず、惨事直前に映っていた人々のゆとりある表情がものの見事に捉えられていました◆一点、気になったのは、川に架かった「橋」についてです。映像では当時の住民が逃げる先を求めて、墨田川に架かった橋に両方から殺到したため押し潰されたり、川に飛び込んでの溺死を大量に生み出したとしていました。当然でしょう。ところが、一方で水天宮近くに架かった橋ではそうした惨事を免れたというのに、そこは全く触れられていませんでした。1日付け毎日新聞の1面コラム「余滴」では、警察の誘導による見事な美談が残っており、感謝の石碑の存在まで建てられていることに触れています。総じて、巨大都市にあってはむしろ「逃げないこと」が大事だというのがポイントかもしれないでしょうが、その辺りも未消化のままでした◆一方、私が注目したのは、南海トラフ大地震がこの30年内に発生する危険性が70〜80%あるとの予測の上に立ったドラマ『南海トラフ巨大地震』です。時間差で襲ってくる「半割れ」の恐怖を描いていました。ドラマの見応えは十分でしたが、エンディングにはいささか失望しました。鉄工所経営に失敗した主人公の1人が震災を機に思い直し、缶詰めの生産に取り組むというのですが。あまりに普通過ぎて夢がない、ギャグの変形のように思えました。翌日にはドラマに登場した男女2人の俳優と学者による第二部「最悪のシナリオにどう備えるか」が新企画で興味深い内容でした。尤も、気象庁職員を演じたヒロインが現実における自分の防災意識のなさを正直に話したため、微妙な失望を禁じ得ませんでした。現実での俳優の発言とドラマでの振る舞いのギャップは程々にしておかないと、「幻想が崩れる」という勝手な私的感想です◆100年前の実録と30年以内の未来予測とを合わせ観て、私の胸に去来するのは「日本壊滅」のリアルです。阪神淡路大震災と東日本大震災の二つを超えるような巨大地震がほぼ同時に日本を襲うという想定は、いかに楽観的で呑気な人でも戦慄を覚えざるを得ないと思われます。有史以来日本列島は一定の間隔をおいて、着実に大震災に襲われてきましたが、その都度不死鳥のように立ち直ってきたとの事実があります。しかし、今度はもはや希望的観測は成り立たないと思われます。河田恵昭京都大名誉教授も「(これを機に)日本の衰退が始まる」との警鐘を鳴らしていますが、私も同感です。私がこだわる『77年の興亡』は新たに第3のフェイズに入りました。2099年のゴールまでに必ず迎える事態にどう対応するかの構想を練る必要があります。国土交通省のトップをこの10数年連続して輩出してきた公明党は、この任に当たる責務があると思われてなりません。(2023-9-8)
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【119】江田島で日本防衛の「歴史と伝統」に触れる/9-2
猛烈な暑さが続くこの夏の終わり(8月25日)に、広島の江田島に行って、旧海軍兵学校跡地にある海上自衛隊幹部候補生学校と第一術科学校を訪問すると共に、旧海軍以来の歴史を「教育参考館」で学んできました。私がここにお邪魔するのはこれが2度目。初めて行ったのは今から25年ほど前で、衆議院安全保障委員会の一員としての視察でした。その時の強烈な印象忘れがたく、改めて大学同期の友人たち3人と一緒に行ってきました◆広島といえば、原爆資料館が有名で、先のG7広島サミットの際にも、各国の首脳が被曝の実態を記憶に刻んだことは周知の通りです。私はそれと共に、江田島の旧海軍兵学校跡地に行って、この国を守ることの「歴史と伝統」をつぶさに見ることも大事だと思ってきました。「戦争」を考える上で、ある日突然に無惨にも被爆死した市民と、特攻隊員などで覚悟の出撃で逝った若き兵士たちとを同時に捉える必要があると思うからです◆海軍兵学校は、1869年(明治2年)に東京築地に創設され、1888年(明治21年)に広島・江田島に移転しました。江田島は、アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスと並んで世界三大兵学校の所在地として、その名を轟かせてきました。敗戦と共に、海軍兵学校は幕を閉じ、各施設は連合軍の支配下におかれましたが、1956年(昭和31年)1月に返還され、当時横須賀にあった術科学校が江田島に移転(のちに第一術科学校に変更)、その翌年、幹部候補生学校が独立開校したのです。この日は、両校の学校長に大講堂、赤レンガ(通称)などを案内していただきました。私は冒頭のご挨拶で、かつてこの地を初訪問した際に、生徒たちの規律正しい姿勢に感動し、教育参考館で強い衝撃を受けたことなどを述べる一方、自衛隊の憲法上の位置付けについて、公明党、私自身の努力してきた経緯についても紹介しました◆教育参考館で17-18歳の青年たちが詠んだ「山桜 散り行く時に散らざれば 散り行く時は すでに去りゆく」などといった辞世の句に初めて接した友人は、しばし涙していました。すべての視察を終えて帰ろうと校庭を歩いていたときに、校内放送が鳴り渡り、「総短艇」と呼ばれる競技の場面に遭遇しました。これは日常的な実習とは関係なしに突然行われるもので、放送直後に建物のあちこちから生徒たちが寸秒争うように、飛び出してきました。海岸沿いのダビットに吊られたカッターを降ろして飛び乗り、沖にある2つのブイを回って帰投する速さを競うというのです。この説明を広報係長から聞くにつけ、千載一遇のチャンスに巡り合った運の良さを感じた次第です。(2023-9-2)
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【118】どこと組み何をするのか━━国民民主党の党首選挙と路線選択/8-25
国民民主党の党首選挙が9月2日投票に向けて今、真っ盛りだ。先日民放テレビで放映された1時間半ほどの玉木雄一郎代表と前原誠司代表代行との対論はなかなか見応えがあり、聞きがいがあった。その中身たるや、自民党を中心とする連立政権との距離感をめぐる路線論争の展開といえる。新進党との合流騒ぎの30年前、自公連立に踏み切った20年前、再び与党に返り咲いた10年前━━過去の10年刻みの歴史にまつわる個人的感慨を、まるで医者から古い血液検査表を見せられたかのように、呼び覚まされた◆日本のこの30年間の国際社会における国力の凋落ぶり。この主因は結局、自民党政治にありとし、それに代わりうる新たなる「非自民、非共産」の連立政権の枠組みを作り、政権交代を目指すしかないとの前原氏のスタンスは明解である。「(維新、立憲の中核メンバーと共に)これからの日本をどうするのかをめぐってこの3年ほど議論してきている」(趣旨)との前原発言は、我が耳朶に残る◆大胆に要約すれば、自公連立に国民民主党が新たに加わる「自公国」連立を目指すのか、それに対抗して「立維国」連立の流れをを起こそうとの選択だと思われた。この対立を衆参合わせて26人ほどの勢力しかない野党第3党における〝コップの中の嵐的対立〟と見ることは容易だ。だが、沈みゆく日本の立ち位置を何としても変えたいとの2人の気概は疎かにされてはならない◆顔を紅潮させ、激しく挑みあう2人の姿をテレビ画面で見ていて、危うさと羨ましさが交錯する感情を抑えがたかった。代表選挙後に何が起こるのか。果たしてノーサイドとなるのかどうか。人間存在を可能ならしめる社会基盤を根源から揺さぶるAIの台頭や気候変動。戦後78年は、新たなる戦前とならないのか。明治維新から77年をへた国家滅亡(昭和の敗戦)の時から〝77年プラス1〟が経ったいま、大事なことは、この国をどの方向に持っていくかの大論争ではないのか。(2023-8-25)
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【117】維新代表の「第二自民党」論の真っ当さ加減/8-18
少し前に維新の馬場代表が自分の党のことを「第二自民党」だと言って世の物議を醸した。与党自民党からも、野党からも「何を狙ってるのか」「(与党入りの)本心が透けて見えた」とか、悪評芬芬のていだった。当のご本人の思惑が那辺にあったか判然としなかったので、私もやり過ごしたのだが、大分時間も経ったので、ここいらでちょっぴり岡目八目的論評を加えてみたい◆私は自民党を公明党の「友党」というのなら、維新は「第二友党」と呼ぶべきだとの論及をしてきた。経緯はともあれ、公明党候補が出る衆議院小選挙区に自民党と並んで、維新も候補者を立てようとせず、正面からの争いを避けてきた党を友党と言わずして何と言えばいいのかと思ったからである。これまで、関西エリアにおいて、公明党が6小選挙区で勝利を曲がりなりにも得てきたのは、自民党、維新のお陰もあることは紛れもない事実だ。次の総選挙で維新が対立候補を出すからと言って、急に敵対視するのは大人気ないといわざるを得ない◆維新が大阪自民党から分かれ出てきたものであることは天下周知のこと。元を正せば、ルーツ、戸籍は自民党なのである。野党第一党の座を争うようになったからと言って、生意気にも、あるいは馴れ馴れしく「第二自民党」と名乗るのではない。氏育ちから言っても、正真正銘の第二自民党なのである。それが証拠に、「憲法改正」を目指すところを始めとして、自民党以上に保守の政治スタンスを隠さない◆恐らく馬場氏は自分の発言を観測気球のようなつもりで口にして、世の反応を伺って見せたものと思われる。というか、当たり前のことを言って見せて、みんながどう受け止めるかを探ったに違いない。「第二」とは、ご先祖・自民党に遠慮して言ったのだろう。いわゆる革新勢力やリベラル的なるものが公けには存在しなかった、戦前の日本の政党政治が「保守二党」が常態だったから、現在にあっては2番目の自民党だ、と。私には「新自民党」だと言わないところに、お顔の雰囲気に似合わぬ〝奥ゆかしさ〟を彼に感じる。勿論、このことと当面する政治課題や選挙で、自公両党と維新は相争う存在だということは、別けて考えねばならないということは当然である。(一部修正 2023-8-19)
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【116】「自公連立の今」に欠けている視点は何か━中北浩爾中大教授の分析に見る/8-9
先日、中央大の中北浩爾教授への日経新聞論説フェローの芹川洋一氏のインタビュー番組(日曜サロン)「ギクシャクする自公関係」(8-6)を聞いた。さらに、その後直ぐ中国新聞に掲載(8-8)された同教授の署名入り記事「揺れる自公の信頼」を読んだ。共に、聞き応え読み応えある内容だった。この2つでの中身を要約すると、こうだ。自公政権に代わるもう一つの連立の選択肢が出来ることが最も望ましいとした上で、自公の枠組みの信頼関係の動揺がそれを促すか、それとも政治が混乱状態に陥るかの分岐点にあるという捉え方である◆中北氏は、自公政権に代わりうる選択肢は出来ないだろうとの見方であるが、この見立てに便乗して自公両党が、「安定か混乱か」との選択肢を国民有権者に提示する方向に進むことが想定される。確かに仮に野党による連立が成立したとして、待ち受けるものは混乱であることは火を見るよりも明らかだ。しかし、自公勝利が決して政治の安定をもたらさないこともまた、これまでの結果が証明している。「混乱」ではないものの、実は「停滞」をもたらしていることに気づく必要がある。ではどうすればいいのか◆私は、今この時期に総選挙をせずに、与党両党が政権運営における課題や国家の進みゆく方向をじっくりと協議し、合意を得て行く「政権基盤の強化」の努力をすべきだと考える。これまでは、双方がぶつかるテーマは深追いせず、棚上げしてきた傾向が強い。例えば「憲法改正」、外交安保政策における対中関係や軍事力増強さらには財政運営と消費税率問題、原発依存を含めたエネルギー問題などこの国のかたちに関わるテーマの数々である。右傾化する国の方向にブレーキをかけたり、国民生活向上に向けてどう仕組みを変えて行くのかについても双方が相手に忖度して躊躇するのも度を越すと、曖昧な政策選択の持続にばかり繋がり、長期停滞をもたらしてきていると言えないか。そうしたことの蓄積が日本の「失われた30年」の現実に直結していると言えなくもない◆こうした視点による「連立の強化志向」がないまま、安定ばかりを強調し、「選挙互助連立」に安住していると、長期停滞を免れない。維新がその間隙を突いて伸張しよういる。馬場伸幸・維新代表の「第二自民党」論に与野党とも冷淡だが一般有権者の受け止め方はどうか。その方向性に安心をもたらす意味で、好意的に受け止める向きも強いように思われる。自公連立に代わってのもう一つの選択肢としての「自公維連立」、あるいは「自維連立」へのデモンストレーションに、私には見えて仕方がない。(2023-8-9)
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【115】8-6広島原爆の日での岸田首相発言への失望と公明党への注文/8-7
戦後78年目の8月6日「広島原爆の日」を迎えて、平和記念公園での式典が注目されました。G7の首脳が集結して行われた先のサミットで、各国首脳が被曝の実態を被曝記念館でつぶさに見たことに加えて、海外からの閲覧数が前年比5倍増(4-6月)になるなど、その発信力が高まってきているからです。私自身は個人的に、岸田首相が何を言うかに関心を寄せました。しかし、結論はゼロ。全く何も言わないに等しい体(てい)たらくでした◆むしろ、小学校6年生の男女2人の子どもたちのスピーチの方が聞かせました。何より2人は原稿を見ないで、暗唱して喋ったのです。例年そうなんでしょうが、式典の挨拶はノー原稿に限ります。原稿を読み上げるのは興味半減です。首相に全部原稿見ないでやれとはいいません。せめて冒頭部分だけでもそらんじて言って欲しかったと思うのです。彼は、テレビで見てる限り、式典のあいだ一貫して厳しい表情でした。そりゃあそうでしょう。聴く人たちの想いが分かってるだけに当然です◆「核抑止論は破綻した」との歯切れ良い広島市長の挨拶に比べて、何故にそうはいかないのかについて、G7の直後くらいはせめて弁明する率直さが欲しいと思ったのは私だけでしょうか。かの首脳声明での「広島ビジョン」に対する非難が強かったあとでの広島での挨拶だけに、何ら触れないのは全く情けないという他ありません。とりわけ、核兵器禁止条約の第2回締約国会議へのオブザーバー参加についてさえ、ノーコメントだったのには驚きを禁じ得ませんでした◆同じ日の記者会見では、「国の安全保障を万全にし、同時に現実を『核兵器のない世界』という理想に近づける。このロードマップ(行程表)を示すのが政治の責任だ」と反論したと伝えられているのですが、反論になっていないというべきでしょう。行程表なるものの一部でも明らかにし、オブザーバー参加がなぜできないのかを表明すべきだったと思うのです。さて、明後日の長崎での挨拶も同じなのでしょうか◆一方、山口那津男公明党代表は、同じ日の同地での会見で、核保有国と非核保有国の橋渡しをする役割を一歩一歩進めていくべきだと述べる一方、第2回締約国会議へのオブザーバー参加を目指すよう促しました。公明党も核廃絶はまさに党是とも言うべき生命線です。それを連立20年も超えているのに、相変わらず何も変えられないままというのは、情けない限りです。私自身2012年まで、その任(外交安保調査会長)にありながら、出来得なかったことを恥ずかしいと思っており、それを棚上げして、あえて仲間たちに注文をつけさせて貰います。(2023-8-7)
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【114】かつての発言の責任を痛感━━全国再エネ問題連絡会「第二回全国大会in兵庫」に参加して/7-26
風力発電や太陽光発電などの再生エネルギーの開発を進めようとする動きが、各地で自然破壊を起こしつつある。これに対して、住民たちがもっと反対の声を強く上げようと、全国再エネ問題連絡会がさる22日に兵庫県西宮市の夙川公民館で、「第二回全国大会in 兵庫」を開きました。私が顧問を務める「日本熊森協会」をはじめ、全国49団体が加盟しているもので、私も参加してきました。オンライン配信が同時にあり、現地に集ったひとは、そう多くはありませんでしたが、北は北海道石狩市から、南は九州・熊本・水俣市まで全国7箇所の報告もあり、大いに充実した集会でした◆基調講演は、鈴木猛康山梨大名誉教授による『増災━日本列島崩壊に至る再エネ開発━』。鈴木氏は、今進みつつある再エネ事業は、内外の投資家への利益誘導で、水源の森を大伐採して進められており、二酸化吸収源として気温を緩和する働きを持つ森林を破壊する、まるで新たな災害を増やす事業だと、その本末転倒ぶりを糾弾しました。また、同連絡会の共同代表である室谷裕子・日本熊森協会会長は、「国の再エネ規制はどう進んだか?」と題して、国有林、緑の回廊など、国の手で守られるべき緑の源泉がむしろ、次々と壊されている現状を的確に解説。「再エネ規制」の名の元に、悪い方向に進む実態を明らかにする一方、こうした現状を今の法律では止められないとして、❶法規制を求める動き❷孤軍奮闘する住民、地域の連携と支援が必要だと訴えました◆こうした講演を受けて、参加した宮城・加美町、京都府・京丹後市などの現地報告や、共闘する国会議員からのビデオメッセージや動画が披露されました。このうち、公明党からは、私の後輩である東北比例ブロック選出の庄子賢一衆議院議員の農水委員会での発言が紹介されました。緑の回廊への対応が経産省と林野庁とが相反する現状であることに強い懸念を表明し善処を要求していたことは、強く印象に残りました。他にも自民、立憲民主、日本維新の会の衆参両院の議員たちの映像が見られたのですが、多くが日本熊森協会の顧問たちだったことは、強い共感を得られました◆この会合に参加した私の胸に去来したのは、ほぼ10年ほど前に、衆議院予算委員会の場で、原発に代わって再エネの利用を強く主張したことです。あれから、再エネ増への道が開けてはきたものの、却って緑を破壊する方向が露骨になっているのは残念です。緑豊かな地域で自然破壊を増幅させることを伴わない形での再エネ増を模索するべく動かねばなりません。そうせねば、かつての私自身の発言が無責任になると、痛感したしだいです。(2023-7-26)
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【113】「公明党赤穂浪士論」のゆくえ━━安倍晋三元首相の狙撃死から1年/7-15
安倍晋三元首相が奈良県で参議院選挙の街頭演説中に狙撃され、亡くなっての1周忌から、一週間が経った。あの当時、突然の死に驚愕すると共に、当然ながら私の思いはまさに複雑だった。衆院当選〝同期の桜〟のあまりに無念な散り方に、「〝臨終只今にあり〟との覚悟、我にありや」との問いかけが胸中にまず浮かんだ。その一方で、安倍との私的交流の幾つかの場面が思い出され、胸掻きむしられる思いに苛まれた◆私と彼とは「新学而会」という名だたる学者と自民党保守派政治家の私的勉強会で席を同じくした(公明党からは私だけ)のだが、太田昭宏元代表や赤羽一嘉前国交相らとは違って、あまり親しく付き合う機会はなかった。私は引退してから10年、つくづく自らを政治家ではなく、新聞記者出身の評論家だと思う。常に政治家を観察し、評価する傾向が強かった。もちろんそれは今も続いて飽くことがない◆彼の政治家としての業績への判定はひたすら光と影のコントラストが強く、国民的評価はまさに真っ二つに分かれよう。私のような公明党の結党直後に大学生党員になり、卒業後に公明新聞記者になって、40歳過ぎて政治家に挑戦した者からすると、「自民党を変えるかどうか」しか政治、政党への判断基準を持ち合わせていない。私の公明党衆議院議員生活20年のうち、前半は野党、後半は与党だったが、今なお、公明党の与党化が本当に良かったのかどうかは、恥ずかしながら確信が持てないでいる◆自民党の中でひとり激しく同党批判を続ける村上誠一郎氏と懇意な関係にあったり、立憲民主党の野田佳彦元首相の「安倍晋三観」に共感するところなど、自らを非自民党的体質が強い人間だと思わざるを得ない。自民党との与党共闘に苦労する山口那津男代表や、石井啓一幹事長への慰労の思いは十二分にありながらも、ついつい注文が先立つ。こういう思いを我が体内に確立させたのは、紛れもなく安倍晋三元首相の振る舞いにあったことは間違いない。かつて、「公明党赤穂浪士論」(中道政治確立に向けて、身をやつし時を待つ)を唱えてきた私としては、安倍亡き後の日本の政治は、まるで討ち入り前に、「大石」も「吉良」も死んでしまった「忠臣蔵」のようなもので、拍子抜けしてしまい、観ていて全く面白くない。(2023-7-15)
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