昨年末は賀状を一枚も書きませんでした。人生初めてのことです。人生の師・池田大作先生のご逝去から、49日も経たぬ間に「新年明けましておめでとうございます」と書くことは気乗りがせず、憚られたというのが正直なところです。新年を迎えても賀状を新たに書くことはせず、頂いた人への返信にのみ絞りました。しかも、常日頃連携をとっている友人にはラインやメールで済ませました。また私が顧問をしている一般財団法人『日本熊森協会』の会報(冬季号)に、私が書いた一文がちょうど掲載されたので、それを大型封筒に新年の挨拶文と共に入れて送ったりもしました。結局お年玉付きの賀状に書いたのは100枚だけでした◆この作業を通じ、日本の文化と伝統に根ざした賀状もそろそろ見直す時期かもしれないと思いました。理由の一つは、頂く賀状の殆どが出来合いの印刷されたものが多く、単に「謹賀新年 旧年中はお世話になりました。今年も宜しくお願いします」という定型パターンばかりだということです。私自身は、これまでも出来るだけ相手を意識した文言を添えるようにしてきましたが、一年を通じて会う機会のない人には書く言葉に苦労します。繋がりを断つことは忍びないとの側面はあるものの、賀状だけではなく、他に違う交流の機会を作ってもいいかもしれないと思うのです◆若い世代は賀状離れが著しく、もっぱらラインにアプリで独自の写真などを貼り付けて出すことが流行しているようです。そんなことに輪をかけて、郵便料金の値上げが追い討ちをかけるに違いありません。SNS全盛のこんな時に値上げしたら、ますます郵便離れになり、葉書や封書に書くことは遠のいてしまうのは必至でしょう。かつて、賀状は筆で書こうとしたこともあったのですが、今ではボールペンや筆ペン、あるいはマジックで書いたりしていますから、何をか言わんやです。もはや、とっくの昔に文化と伝統は変質を余儀なくされていると言えましょう◆そういえば、昔はおせち料理も一家の主婦の一年の集大成とでもいうべき側面があって、我が家でも母親が腕によりを掛けて頑張ってましたし、お餅も臼に入れた餅米を杵でペッタンぺったんと、父の声がけで突いたものです。私の子供の頃はそうやって突いた餅を家族総出で丸め、直ちに小豆やきな粉でまぶして食べるのが楽しみでした。祖母から歳の数だけ食べるんやでと言われ、踏ん張ったものですが、子供心におばあちゃんは60個もよう食べるんかいなあと、真面目に心配したこともありました。いつの間にか、我が家の臼も杵も関連器材全て消えてなくなりました。代わりにスーパーやコンビニで買ってきた味気ないお餅を辛うじて元旦だけ食べています。ここでも、「昭和は遠くなりにけり」を実感するのです。(2024-1-7)