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【166】「ヤングケアラー」を支えていこう━━伊藤孝江と高嶋哲夫と赤松正雄の鼎談/6-18

 近年、18歳未満の子どもたちを始めとする若者が両親や祖父母の世話をするために、家事や介護を余儀なくされ、学業などに支障をきたすというケースが増えてきています。いわゆる「ヤングケアラー」と呼ばれる若者、子どもたちの抱える問題を指します。私の友人で作家の高嶋哲夫さんは、ヤングケアラー問題こそこれからの日本が直面する最大の社会問題だとして小説を近く刊行、世に警鐘を乱打しようとしています。そこでこの問題に熱心に取り組んでいる伊藤孝江参議院議員と私の3人で鼎談をしました。以下、そのエッセンスを掲載します。

【赤松】高嶋さんは、つい先頃『落葉』って小説を発表され、パーキンソン病を患う老人が若者と力を合わせて世の変革に立ち向かう動きを描かれましたが、今度はまたヤングケアラー問題に注目されていますね。

【高嶋】親しい編集者と話していて、今子どもたちを襲っている問題は、家族の面倒をみる負担が大きいってことから来ている──つまりヤングケアラー問題だってことに気づきましてね。それを『ファミリー』(仮称)ってタイトルで小説を書き出したんです。(今秋刊行の予定)

【赤松】家族の絆が断ち切られることがあってはいけないってことですね。伊藤さんはかねて「ヤングケアラー問題の伊藤孝江」と言われるぐらい、熱心に国会でも取り上げてきていますが、きっかけは?

【伊藤】3年ほど前に、地元の東兵庫の女性議員の皆さんとの勉強会で大阪歯科大の濱島淑恵教授のお話を聴いてからですね。その後、まだ年端もいかない子どもさんたちや青年たちが親世代の苦労を抱え込むなかで、悪戦苦闘してるってことの大変さを身近に見たんです。で、なんとか政治の力で少しでも解消させたいって、思ったのです。つい先日(6月5日)に国会で成立した「子ども子育て支援法(改正)」って、国や地方自治体がしっかりヤングケアラーを支えていこうという法律です。

【高嶋】それは大きいですね。この問題はまだまだ世間に知られていず、ヤングケアラーって何それ?っていうのが実態ですよね(笑)

【赤松】カタカナ言葉は、どうしても年寄りには馴染まないから。「老老介護」ならまだしも(笑)ね。以前、伊藤さんに「ヤングケアラーばっかりやってないで、もっと女性全般が抱えるおっきいテーマを追わなきゃあ」なんて、ヤングケアラー問題が分かっていない頓珍漢なこと言って、ホンマに失礼しました(笑)

【伊藤】そんなことありましたっけ?わたし、先輩の忠告、どっちかっていうと、直ぐ忘れるんです(笑)。ところで、高嶋さんの小説って、どんな筋書きですか?

【高嶋】先輩の忠告すぐ忘れるって、いい習慣ですね(笑)。私の小説は、主人公が女子高生。母子家庭で母親が看護師で忙しく、交通事故で重度の障害を持つようになった兄と認知症の祖母の面倒見るため、ヤングケアラーとして生きているという設定です。そこに家族3人が悲惨な事件に巻き込まれて殺されるというとんでもないことが起こってしまいます。さあ、誰がやったか?どうして?なぜ?ってことから、物語が始まるんです。

【伊藤】いやあ、いきなり衝撃的展開ですが、面白そうですね。読みたいです〜。でも、ヤングケアラーが犯人だったなんていやですよ。どう進展して決着するのか、こっそり教えてくださいませんか?(笑)

【赤松】高嶋さんは稀代のストーリーテラーだからね。あっと驚く展開だよ、きっと。でもネタバレは厳禁だから。あとは読んでのお楽しみ〜(笑)で、その小説をもとに、どうしようっていうのですか?

【高嶋】ヤングケアラーがいかに重圧のもとに生活しているかの問題提起をして、世間の関心を喚起する一方、政治家の皆さんに本腰あげてもらうべく、一大社会運動を起こそうって企んでいるんです。

【伊藤】それは凄く大事なことですね。私もできることはなんでもしっかり協力させて頂きますよ。

【赤松】本が出版されたら、まず、公明新聞紙上や、理論誌『公明』誌上で2人で対談して貰うっていいなあ。

【高嶋】赤松さんの最新本『ふれあう読書──私の縁した百人一冊』(上)では、『首都感染』を取り上げて頂きまして、ありがとうございました。ただし、あれって古いですよね。もっと新しいのお願いします。(笑)

※以上は、6月15日の夜に神戸市垂水区の高嶋哲夫事務所で行った懇談会での話を、鼎談風に要約しました。

 

 

 

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【165】新たなる旅立ちに期す━━公明党60周年に考えること(下)/6-11

◆問われるのは「よりマシな選択」

 野党や一部新聞論調では、公明党も自民党と〝同じ穴のムジナ〟だとの声があります。衆議院サイドの議論調整の終盤になって、維新の「政策活動費の10年後公開」を自民党が受け入れたことから、ムジナが三頭になったと揶揄(やゆ)する声も聞こえてきます。確かに、あるべき理想論からすれば、中途半端で抜け穴だらけとの見方も否めないかもしれません。ただし、残念ながら今の自民党を構成する多数派がヨシとする考え方(合法的にオカネを集めるのは当然)は、世の中での通常の考え方(オカネをかけずに知恵と工夫で政治を行うべし)よりも支配的です。与野党で合意できるギリギリの妥協点を見出すしかなかったといえるのです。

 公明党の後半30年の与党としての戦いぶりを評論する際に、私は「安定」を重んじるあまり「改革」が疎かにされてはならないとの議論を一貫して展開してきました。一昨年の拙著『77年の興亡──価値観の対立をめぐって』でも、昨年の『新たなる77年の興亡』でも、徹して「安定よりも改革を」との主張を続けました。これまでの動きも前回に見たようにいささか問題なしとしません(安定が優先する傾向)でしたが、ここへきて、公明党は結構頑張ってるとの評価も見られるように思われます。

 政党の政策選択を判断する場合に、理想を追うあまり現実的な合意をそっちのけにして、空理空論に走る愚を犯してはならないと思ってきました。結論的にいえば、「よりマシな選択」をするしかないというものです。今回の政規法の改革でも、どの党が「よりマシな判断」をしたのかが問われ、次の「改革」「前進」にどう繋げていくかが大事なのです。

◆国家ビジョンを「自公」で戦わすことこそ、

 実は自民党の不祥事から湧き起こった今回の政規法改正をめぐる論議については、法改正はもちろん大切ですが、同時に私はもっと大事なことがある、そっちを忘れて、ただ法改正をしてそれでおわりではないと言ってきました。第一幕の政治改革の戦いだった30年前と、今回の第二幕目とで違う点は、自公の関係です。少なくとも以前より関係が深まったといえるはずだからです。つまり、法改正だけでなく、ものの考え方に影響を与えることが大事だということです。政治とカネは、「法改正」というハード面とともにソフト面でも、「発想の転換」が重要なのです。

 例えば私は、今回の事件の決着は本当は自民党が旧派閥ごとに分裂して新党を作るのが一番スッキリするという議論もこの欄で展開しました。また、公明党は自民党との間で、常日頃から国家ビジョンを戦わすべきであって、選挙互助会的連立であってはならないとも述べてきました。党創立者である池田大作先生が残された数々の「遺訓」を軸に、「池田思想」を自民党議員との間で議論せずして、何のための連立かとも考えてきました。

 過去の党の歴史において、〝心ならずも〟そういった創立者の思いとは裏腹に、核廃絶を曖昧にしたまま温存し、大衆の側に立つといいながら、経済的貧富の差が拡大することを許してきました。これでは、「(心)ならず者」じゃあないか、とさえ。これは背後に、私自身の強い反省もあります。現役時代に、心ならずも出来得なかったことだからです。我が同僚、後輩たちも大なり小なりそういった反省の心を共有しながら、一歩でもニ歩でも改革の道を歩んで、よりマシ選択を続けていくものと信じています。

 「60周年」後からの新たなる我々の前途には、「大きな路線の選択」が待ち受けています。それは、どういうものでしょう。私は2つの道があると思います。一つは、これからも自民党という問題含みの巨大政党を、まともな政党にすべく内側からの矯正力を強めるという生き方です。二つ目は、自民党が今回の政治改革の道をまたも踏み外し、世論の指弾を受けることがあったり、公明党と袂を分つ勢力が台頭してきた場合に、政権の座からひとたび離れるという選択です。

 もちろん未来予測、仮定の話ですから、憶測を重ねることは避けるべきでしょうが、民主主義とは政権交代が可能な仕組みを意味するものである限り、庶民大衆が望む、よりよき政治選択を求めて自在に融通無碍(ゆうずうむげ)に動く必要があります。私の「77年の興亡」論からすれば、既に第三の「77年の周期」に突入しており、悠長なことをいっている余裕はありません。〝公明党かく戦わん〟との政権構想、国家ビジョンを掲げての新出発を強く望んでやまないのです。(2024-6-11この項終わり)

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【164】「安定」に徹した後期30年━━公明党創立60周年に考えること(中)/6-8

 ◆「強弱まだら模様」の自民党との悪戦苦闘

 前回の最後に、「個人的な思いや現実は別にして」と書きました。これには複雑な思いが感じられると思います。芝居に例えると、舞台上で、ひいきの役者が反権力で戦ってると思っていたのに、いつの間にか権力に寄り添った役回りをしているのを観せられたようなものです。そんなことが起こると「金返せ」と大騒ぎになります。普通はあり得ないことが起こったので、受け止め方は千差万別のはずとのニュアンスを込めました。

 しかし、与党になることで庶民大衆の暮らし向きが良くなる方向へ転換するのなら好ましい、とのスタンスに立って21世紀初頭の連立政治に公明党は対応していきました。政権の中核たる首班の色彩は文字通り〝強弱まだら模様〟(小泉、第二次安倍の強い内閣と、森、第一次安倍、福田、麻生の非力な内閣)で、平均2年に一回は首相が交代する有り様でした。弱い政権時には「安定」におおわらわで、強い内閣時には〝歯止め役〟に必死だったというのが正直なところです。連立政権での「改革のエンジン役」と、過ぎたる右傾化への〝歯止め役〟を演じたと「正史」(『公明党50年の歩み』)にはありますが、少々自画自賛気味といわざるをえません。

 一方、外では「米ソ対決」から「米一極支配」を経たうえでの「多極化(米中対決含み)」へと目まぐるしい変化の連続です。今はウクライナとガザでの戦争を前に国連の無力と国際政治の無法化が嘆かれています。「平和の党」公明党の存在感もどこへやら、日本の「安全保障」は窮地に立たされているのが現実なのです。

 まさにその混乱時に、自民党の派閥による政治資金集めのパーティー券の処理が裏金作りと重なっていた由々しき問題が起きました。30年経って再発した「政治とカネ」の問題を前に、公明党支持者の心中は穏やかではありません。「なんだ、結局元の木阿弥じゃないか」「金権腐敗の自民党政治を公明党は変えられなかったのか」との嘆きの声が高まりました。「半端な対応は許さない」「何が自公政権だ!」との怒りでした。

 ◆「後半30年」の最後に見せた決まり技

 こうした大衆の怒りを受けて公明党はまさに乾坤一擲(けんこんいってき)の戦いを強いられました。その結果、週末に政規法改正案が通過した衆議院では、公明党が最後までこだわった修正案を岸田首相が丸呑みしたことが話題になっています。当初から主張し続けてきた、いわゆる連座制の強化の導入で、会計責任者だけでなく、議員自身に対する罰則を定めたことを始め、政治資金の透明性を向上するための6項目を反映させたのです。加えて、パーティ券購入者の公開基準額を巡って、現行の「20万円超」から「5万円超」へ引き下げることや、政策活動費の使途公開を明確にすることなど、自民党がずっと渋ってきた課題を修正案に反映させることが出来ました。背後には並々ならぬ粘り強い戦いがあったはずで、精一杯、称賛したいと思います。

 尤も、野党やメディアは未だ「ざる法」だといっていますので、今後参議院での論議が注目されます。これでおしまいではなく、更に議論を重ねて一党でも多くの政党が賛同出来る様な中身にする必要があります。

 この「公明党60年」の後半30年の最後の年における政規法改正をめぐる戦いでの成果は、大相撲に例えると、土俵際に追い詰められながら、起死回生の投げが見事に功を奏したものといえましょう。相手が突然体調を壊した敵失のおかげだなどとは敢えていわないことにします。「もり・かけ・さくら」と揶揄された安倍政権下の強権的政治手法と経済格差の拡大という庶民生活への圧迫に対して、目に見える抵抗や変革をなしえてこなかった公明党にとって、一矢を報いたといえるでしょう。ですが、これで「終わりよければ全てよし」とはいきません。二の矢、三の矢を期待したいものです。(2024-6-8   つづく)

 

 

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【163】「改革」に燃えた前期30年━━公明党創立60周年に考えること(上)/6-7

 人生で60年は「還暦」にあたります。組織体でいえば生まれ変わる時ともいえましょう。「60歳になる公明党」について、つれづれなるままに考えたことを3回にわたって記してみます。

 ◆「大衆」の手に政治を取り戻す戦いへの出発

 公明党の存在を私が知ったのは1964年(昭和39年)11月17日。結成大会のニュースをテレビ、新聞で気づいたのが初めてです。高校を卒業し、大学受験浪人中のことでした。創価学会に入った翌1965年(昭和40年3月15日)よりも少し早かったのです。大学に入って4年間。信仰を我が身に取り入れつつ、区議の選挙支援活動や公明新聞の熟読など党員活動を続けました。そして大学卒業と同時に公明新聞記者になりました。これもはや60年が経とうとしています。私は、党の歴史を考える時、1993年〜95年辺りを境にして、前半30年と後半30年を分けて考えるとわかりやすいと思います。前半は、野党時代。後半は世紀末の混沌とした時期を経て与党時代という風に分けられるからです。勿論、後半には、与党になる前の第1期政治改革の嵐の中での7年ほどがあり、途中で野党に転身を余儀なくされた3年(民主党政権時)も含まれてきます。これら双方合わせて約10年間は野党だったわけですから、正確に言えば、後半は与党時代に括っても、正味は20年だったといえます。

 さて、こう仕分けすると、何が見えてくるでしょうか。公明党は周知のように、創立者池田大作先生の「庶民大衆に根ざした政党たれ」との教えを旨として、当時の自民、社会の二大政党によるいわゆる「55年体制」下のイデオロギー中心の政治打破を主たる目標に掲げました。結党当時の時代はいわゆる「60年安保」と「70年の安保」の2つの安保闘争の狭間のただなか、保守と革新の激突期にありました。公明党の母体たる創価学会的には、「大衆の手に政治を取り戻す」ことが最大の目的でした。当時の青年部は、古代中国の「三国志」になぞらえて、最大勢力の自民党を「魏」に、対抗する社会党を「呉」に、そして第3の勢力「蜀」に公明党を擬して胸躍らせたことを思い出します。

 ◆自民党単独政権に終止符を打った細川政権

 その当時の創価学会、公明党の気分は保守と革新に対抗する「第三文明」の担い手・中道との位置付けにありました。国家権力の横暴による犠牲となった牧口初代会長と二代戸田城聖会長の「仇討ち」が本心です。その戦いの先頭に立つ第三代池田大作会長への一般世間における悪口雑言、中傷の数々への〝意趣返し〟の戦いでもありました。それは「赤穂浪士」による「忠臣蔵」的感傷とピタリ一致していました。「憎っくき吉良上野介」という〝主君の仇討ち〟(具体的な人を指すのではなく、反権力をシンボライズさせたもの)に、身をやつして、江戸城下に潜みやがて目的を果たす、との故事を自分達のものとして借用したのです。

 今となっては、「遠い日の太鼓」ですが、当時の20歳から40歳ぐらいまでの、学生部員や青年男子部員はそう言った幻想的志向にはまって、我が身を鼓舞激励していたのです。公明党の先輩議員を中軸に党員支持者たちは、内外にわたる様々な〝花も嵐も乗り越えて〟「金権腐敗政治」打倒に向けて走りました。その結果が1993年の細川護煕連立政権の誕生に、ある意味で結実しました。兎にも角にも自民党単独政権を倒したのです。日本政治史上38年ぶりの快挙でした。これはその後の新生党と公明党を中核にした羽田孜政権(細川政権から社会党が離脱したため短命)へと繋がりました。個人的な感慨になりますが、その当時の政権樹立の立役者だった市川雄一氏(後の党書記長)が、若き日からの悲願達成の喜びを口にされたことを、そばで聴いた私は忘れることができません。

 それから宿敵自民党との悪戦苦闘(自社さ連立政権による公明党攻撃等)を経て、10年足らずのうちに、自由党を介在させた「自自公連立」から「自公連立」の誕生になるのです。これは、決して数合わせでも野合でもなく、公党間における連立政権の「政策合意」を踏まえたものでした。これはまた、先の〝私的比喩〟に置き換えると、「吉良」を倒し「仇討ち」を成し遂げた〝赤穂47浪士〟の気分だったわけです。つまり、その時点から個人的な思いや現実は別にして、公明党を取り巻く「政治的・歴史的局面」の空気が変わったと言えましょう。(2024-6-7  以下続く)

 

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【162】上京し、衆院議員OB、『公明』編集部、大学教授らと語らう/5月末

 先月29日から31日まで、久しぶりに上京しました。ここでは、4つの出会い(四幕)を軸に時系列順に概括的に報告します。まず第一幕は29日の正午から午後2時まで衆議院議長公邸で開かれた前議員会懇親会での語らいからです。50名ほどの前議員が集まってきていましたが、新しくこの会の会長に就かれた伊吹文明元議長に真っ先にお祝いの言葉をおかけしました。この人とは現役時代に衆議院財務金融委員会で欧米への訪問をご一緒にして以来、懇意にしていただきました。先に読売新聞紙上に掲載された回想記をまとめられた『保守の旅路』の出版について感想を述べさせていただくと共に、隣席におられた大島理森元議長にも声をかけさせていただきました。つい先日毎日新聞夕刊紙上での我が公明党の仲間・漆原良夫氏との対談について、「読みましたよ。面白かったですね」と。こうしたご挨拶のあと、元民主党政権の閣僚(T総務相、J 財務相)たちと、政治改革への議論に始まり、政治展望を巡っての核心に迫る議論をしました。さらに公明党の池坊保子さんには、娘さんの池坊専好氏のKUAS(京都先端科学大学)セミナーで私が受講した講演がいかに素晴らしいものであったかを伝えました。他に春の褒賞での公明党からの〝たったひとりの受賞者〟とも種々懇談しました◆第二幕はこの日の夜。我が党の理論誌『公明』の編集部3人と新宿で会食懇談会を3時間ぶっ通しでやりました。かつて私はこの理論誌の副部長をしていたので、人一倍の愛着があります。後輩たちの日頃の労苦をねぎらうと共に様々の意見交換をしました。事前に同誌4-6月号を熟読した上で、私なりの議論を後輩たちにふっかけてみたのです。特に、5月号の『作家高知東生さんと考える「リカバリー文化の定着で再挑戦できる社会に」』との8頁にわたる「弱者をめぐる論考」については、私の形式的な注文に対して、「もっと中身を咀嚼してから指摘してほしい」との手厳しい反論にあいました。激論の末、私の「改めて読み直すよ」という弁明でケリをつけましたが、危うく〝手負いの獅子〟になるところでした。「編集後記」の充実とか、編集企画全体の狙いを読者にわかってもらうための紙面工夫などアイディアを披歴したことについては、大いに手応えを感じたしだいです。楽しくも嬉しい〝番外編集会議〟でした◆第三幕は翌30日の朝。このたびの拙著『ふれあう読書──私の縁した百人一冊』(出雲出版)の上梓にあたり、徹底して裏支えをしてくれた慶應義塾同級の畏友・尾上晴久君との懇談です。彼はこの上巻で私が取り上げた50人をめぐる論評について、入念な吟味、チェックをしてくれました。有難いことでした。しかも出版後に仲のいいクラスメイト10人に一人づつアポを取って会いに行き、拙著を贈呈し、内容紹介までしてくれたのです。それぞれ2-3時間をかけての懇談はさぞ楽しかったと見え、克明に彼らの近況やら対談結果を報告してくれました。しみじみと持つべきは友、と感謝・感激した次第です。この日午後には遅れて上京してきた我が妻とも合流して、豊洲の「千客万来」へ「ゆりかもめ」で足を運び、飛び切り美味しいお鮨をご馳走になりました。出版祝いだと言って。お世話になったのはこちらなのに。涙が出るほど嬉しいひとときでした◆第四幕は、30日夜の新大久保での桐蔭横浜大学の阿部憲仁教授夫妻との会食懇談会です。この人とは、財団法人「日本熊森協会」のご縁で現役時代に知遇を得て以来、長い付き合いになります。その昔、私の衆議院選挙の応援に姫路まで駆けつけて演説会の応援弁士までやって貰いました。今回の拙著にも登場していただいていますが、新たに『凶悪犯 プロファイル──幼少期の家庭環境から読み解く』を出版されたばかり。常日頃、刑務所に行って凶悪犯罪者と面接をして、学問研究の取材に役立てたり、彼らの更生へのサポートをされています。この日は私ども夫婦と4人で昔話をしたりする中で、「人格形成は3歳までの家庭環境にある」との持論をお聞きしました。妻共々、大いに共感しました。以上2日間4幕5場の語らいで、今年中盤から後半戦への英気を養って、充足感を得たしだいです。(2024-6-2  修正)

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【161】関西エリアの食品小売市場を守るために━━AKR年次総会で挨拶/5-25

 先週末の24日に開かれたAKRの通常総会に、顧問の私は来賓として出席しました。大阪駅前のハービスプラザ5Fが会場です。AKRとは、出発時点での「オール小売連合」の頭文字をとった名称からも分かるように、もともと食品を中心にした小売市場の協同組合のことです。共同でモノを仕入れ、共同で配送し、共同で与信管理体制を維持するといったユニークな組織体です。大型スーパー全盛の状況の中で、苦戦する弱小市場を守りたいとの創業者(故河田正興専務理事)の意思に共感した私は、現職時代から20有余年もの間、顧問として関わってきました。コロナ禍のここ数年で更に痛手を被りながらも、近畿2府2県の43店舗が加盟しています◆この日の会合ではAKR の抱える課題のうち、「共同配送体制」がピンチに陥っている点について事務局から説明がありました。物流業界が「2024年問題」と言われるように、ドライバーの時間外労働の制限(年間960時間)によって深刻な輸送能力不足に直面しており、メーカー、卸、スーパー間でモノの動きが停滞、遅滞することが強く懸念されています。今回の法改正とドライバーの高齢化によって、モノが運びにくくなる状況にどう対応するか皆で知恵を出し合おうとの問題提起がなされました。また、食品スーパーとして、古い商い習慣から脱却する必要があるのは当然でしょう。同一地域におけるライバル企業同士でも荷物を一緒に運ぶといった、従来の常識や枠組みを超えた取り組みの研究なども大事なことだと思えました◆AKRの総会のあと、ベンダーさんやメーカーさんら「AKR協力会との意見交換会」が行われましたが、それに先立ち私は短い挨拶をしました。その内容は、以下の通りです。「先日テレビを見ていると、インドのモディ首相が国民から大層信頼を集めていて国民的人気が一段と高まっているって、報道されていました。その理由は14億人ともいわれ中国を追い抜き、世界一の人口を誇るような大国インドとして、最大の悩みであったトイレ不足がモディ首相の力によって解消したと言われていることです。翻って、日本の岸田首相はどうでしょう。自民党の派閥による政治資金集めパーティー問題で、裏金作りが問題視され、釈明に大わらわで、支持率は20%台を低迷するなど、その信頼度は地に落ちています。インドと日本の首相の違い、彼我の差は歴然としています。日本の政治家、特に自民党議員は私の見るところ、秘書や事務員を多く雇っており(1事務所20〜30人)、さながら小企業、零細企業の経営者なみです。人件費を稼ぐため、議員や秘書が日夜金集めに奔走するというのはどう考えても異常です。働き方改革を言うなら、まず自民党事務所から始めるべきでしょう」──大要こんな話をしました◆会合が終わって会場を移して、久方ぶりに懇親会が行われましたが、それに先立って、AKRが独自で進めるHACCPについての概略説明が戸ヶ崎恵一氏(近畿HACCP実践協会理事、AKR版HACCP適合認定委員会委員)からかいつまんでありました。明年の大阪万博を前に、食品を提供する現場すべての衛生管理が問われています。いち早く対応をするべく自前のチェック機能をシステム化したAKRがいかに先見の明があるかということが強調されました。参加者は大いに誇りを持ったはずだと思われます。その後、各部門の成績上位者を表彰する機会がありましたが、私はAKR 版HACCP適合認定委員会委員長として、表彰状を2人の部門代表に手渡しました。会場になった地下2階のLOVE TABLE は「いのちの恵みに感謝すること」「いのちを生かすこと」「未来を紡ぐこと」の3つ大事にするナチュラルオーガニックレストラン&カフェで、最高の料理を手頃な値段(のはず)でおもてなしいただき、大いに満足したしだいです。(2024-5-25)

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【160】政治資金規正法改正での〝自公分裂〟の妙味/5-18

 ようやく来週から衆議院政治改革特別委員会での政治資金規正法改正をめぐる審議が始まる見通しとなりました。これまで自民党が自らの法案を出し遅れ、公明党の案をベースにして、自公統一の与党法案を作る流れだったものが壊れてしまい、それぞれ別の動きをすることになったのです。これをどう見るべきでしょうか。与党としての結束が緩んだとして悲観的に見るか。それとも、自民党に合わせてばかりいず、独自の姿勢をさらに打ち出せるいいチャンスと見るか。これまで与党一本化が当たり前だったのが、異例の分裂です。これまで私は、公明党が「政治の安定」を優先するあまり、「政治の改革」を後回しにしてきた側面を指摘し、方向転換を強く提起してきました。その立場からは歓迎すべき事態だと思います。これはカネと政治にまつわる問題ゆえに、いい加減な妥協ができない特殊なケースなのか。それとも連立政権の有り様に大きな変化が起きる兆しなのか。経緯と現状を追いつつ、未来予測を試みてみましょう◆この法案については、自公それぞれの考え方を提示した上で、5月9日に大筋取りまとめました。収支報告書のオンライン提出を始め、インターネット上での公開、外部監査の導入、第三者機関の活用などについては明確に一致をみました。ですが、政治資金パーティ券購入者の公開基準額については「5万円超」への引き下げを主張する公明党と、「10万円超」とすべきだとする自民党との間で折り合いがつきませんでした。また、政策活動費についても、自民党は「組織活動費」「選挙関係費」など大まかな使用目的のみを収支報告書に記載するものとした案を提示しましたが、明確に使途を明らかに記載すべきだとする公明党との間で合意にいたりませんでした。14日には自公党首間で、こうした不一致点はあっても与党両党として一本化することを確認しあったのですが、現場担当者の詰めの作業で合意が叶わず、結局自民党は単独で法案を出す方向になったのです◆公明党としては、最終的に与野党の幅広い合意を得ることが大事であるとして、法案化作業と野党の意見聴取を同時並行でやる構えを見せていました。それが、与党内でまとまらず、頓挫したことは今後の調整の難しさをあらためて露呈したことになります。また、政策活動費については、公明党は、政党から所属議員個人にお金を出すことは一切行っていません。他党のように、党幹部に支出する政策活動費とは明確に違うのです。つまり、公明党の収支報告書にある政策活動費は、全て政務調査会の政策を作るための活動のためのもので、従来から明細を全て公表しているのです。一部報道機関(フジテレビ)がここを勘違いして、誤って報じたものを公明党の指摘で、改めて間違いを認め謝罪したのは周知の通りです◆来週からの実質審議の中で、現実的にはどうなっていくのでしょうか。公明党は自前の案を出せば、自民党とのスタンスの違いがハッキリし過ぎるとして、独自案は出さないようです。連立関係を損なってまで自前の案にこだわらないとの姿勢を明確にしたものでしょう。報道によると、ある自民党幹部が「自民党案に公明党が反対すれば連立が成り立たない」とした上で、「公明党に自民党の支援なしで当選する人はいるのか」と選挙支援を絡めて、牽制しているといいます。仮にもしそういう態度が自民党の大勢なら、公明党のみならず国民の反発を招くことになることは必至だと思われます。現在の時点でも自民と野党の溝は大きく隔たっています。それを間に立って調整して合意を得ようとする公明党を遠ざけて、強引に突き進めば、自公関係の破綻に行き着きかねません。公明党はここで自民党の歩み寄りを求めつつ、野党との合意に汗をかく必要があります。与党一本化ができないことで、かえって自民党と同じ穴のむじなではないことが明確になりました。与野党の間に立って、中道政党の真骨頂を発揮するチャンスだと思われます。(2024-5-18)

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【159】襲い来る大災害への挑戦━━作家・高嶋哲夫氏の労作から/5-11

 『チェーン・ディザスターズ』──「波状的に襲いきたる大災害」とでも訳せばいいのか。小説家・高嶋哲夫さんの近く出る予定の新刊本である。「南海トラフ巨大地震」がもし起こったらどうなるか。それを生々しいタッチで描く。壮大で精緻な想像力を駆使した、恐ろしいまでの近未来小説(202×年)である。この人は、デビューから30年ほどの間に次々と大災害の発生を予告し、我々市民に警告する小説を書き上げ、多くの読者を震えさせてきた。この度の本はこれまでの集大成といえ、例え方は稚拙だが、あたかも正月とお盆、夏祭りと秋祭りとが一緒にきたような騒ぎを描く。正確な対応を急がねば、日本はまさにこの本に描かれているように、奈落の底に陥るに違いない◆GW最後の6日のこと。彼の神戸市垂水区の高台にある事務所に、ファンであり、読書仲間でもある男女5人が集まった。この本をめぐる宣伝戦略を口実に。さて、本の概略を紹介する。この小説は、いきなり東海地震と東南海地震が同時に起こり、時の環境大臣・早乙女未来が総理官邸からヘリで横浜、小田原上空を飛ぶ場面から幕を開ける。以後、南海トラフ大地震・大災害へと矢継ぎ早に繋がる。悲劇の舞台は、「半割れ」の発生で、四国・高知へと移り飛び南海地震へと続く。さらに東京直下型地震が容赦なく発生。被災地域は大きく広がり、太平洋側は驚天動地の大騒ぎに。そこへ大型台風が直撃。豪雨で、荒川の氾濫を招く。さらに富士山までが大噴火を起こす。噴煙やら砂岩粉が東京を襲い、不可避的に「首都移転」が緊急課題になっていく。この間、次々と閣僚が大災害の犠牲になり、死や重傷を負う混乱に。そんな中、当選回数も年齢も未だ若い女性環境大臣が活躍。防災大臣に抜擢され、そして‥‥という風に展開していく。その背景には、民間IT企業のCEO・利根崎高志による災害援助ソフト「エイド」の縦横無尽の活躍があった◆こう書いてきて、高嶋さんの災害ものの作品が全てここに顔を出していることに気づく。『M8』『TSUNAMI』『東京大洪水』『首都崩壊』『富士山噴火』『首都移転』といった作品群がほぼ全部この小説に出てくるのだ。彼の未来予測と想像力の非凡さは、コロナ禍を連想させた『首都汚染』をあげるだけで十分。それだけでたまげた私など、こうした災害のチェーンぶりを見せつけられると、ただただ唖然とするしかない。高嶋さんはこの懇談たけなわの場で、大きな災害や事件が起こった際に、それを一般市民に報道する立場の新聞記者たちの姿勢をどう思うかとの質問を私に投げかけてきた。科学的知見も疎かな上に、歴史から学ぼうとする姿勢にも乏しいというのだ◆彼はコロナ禍にあっての報道の有り様に大いなる疑問を持った。日々眼前に現れた数字は科学の目から見て正しいのか?立場により、統計によって見方は変わっていないか?忖度は含まれていないのか?と。日頃の鬱憤が堰を切るように繰り出された。事実をできる限り正確に、客観的に伝えるという記者の本分が活かされていないことに疑念を持ったに違いない。忖度も偏向もない客観的事実こそ今求められていると強調した。私は黙って聞くしかなかった。これ以上の「奇」はないぐらいの小説を書いた作家の心底からの怒りと苛立ち。作られた「事実」を疑う姿が印象深い。「事実は小説より奇なり」との警句が耳元で響く。(2024-5-11)

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【158】低支持率の中の不思議な「安定」の謎━━「憲法記念日」に考える/5-4

 4-28の衆議院3補選の結果は、立憲民主党の完勝に終わりました。自民党が候補者を擁立したのは、島根1区だけで、東京15区も、長崎3区も候補者を立てずに不戦敗でした。この選挙が終わって約一週間、ここでは選挙結果を概括すると共に、77年目の憲法記念日(3日)を迎えた今のこの国に漂う空気を読んでみたいと思います。それは、一言でいえば、低支持率で危うい政権のくせに、奇妙な「安定」状況にあるということです◆まず、自民党以外の主要政党の現状を見てみましょう。立憲民主党は全勝ですので、勝利感は当然でしょう。ただ、維新との野党内主導権争いに勝ったものの、この結果が次の機会にも続くとは言い難く、10年ほど前の政権運営のまずさの記憶は未だ多くの国民に根強く残っています。まして、3選挙区とも自民党現職のしでかした失敗の傷跡癒えぬ状況下のものでしたから、勝って当然とも言えました。維新は結局大阪を中心にした地方政党だとの印象が一段と濃いように見えます。公明党は島根では自民党候補を推薦したため、金権政治批判をモロに被って大変でした。支持者は共産党の動きに敏感ですから、立憲の背後にその影を見ることで、矛盾する思いを抑え込んだのかもしれません◆ところで、3選挙区ともに投票率が極めて低かったことは、深刻です。政治とカネの問題で人々の関心が選挙に向かわず、政治不信を高めただけに終わるのは民主主義にとって致命的な問題といえましょう。選挙への関心を高めるには、どうしたらいいのでしょうか。いま、政治家の質を高めるために、魅力ある政治家を輩出するべく、事前に世間常識を試したり、人間性を試す各種の試験導入を図ったらどうかなどという〝奇妙な提案〟から、政治家にカネをかけさせないようにするために、秘書の数を公的に制限するといった〝奇天烈な着想〟に至るまで、巷の言説空間では様々な「政治家選抜構想」が飛び交っています。更にもっと極端なものとして、投票所に足を運ばずにAIを使って各人の意思を表示する道を選択するか、それとも選挙そのものを廃止して、くじ引きで政治家を選ぶという極端な手法しかないのかもしれないとの声まであります。このうち、くじ引きについては、より公平さが保たれるとして諸外国では、地方議会レベルでの政策決定の仕組みに導入され始めているようです◆ただ、政治に有権者の関心を引き寄せるには、私は、かつてのように「与野党伯仲状況」をもたらすことが手っ取り早いと思います。そのカギを握るのは「憲法」をめぐる議論と「公明党の存在」です。5月3日の憲法記念日の各種論考の中で注目されたのは境家史郎東大大学院教授の発言でしょう。この人は「これほどの低支持率で岸田政権が続いていること自体、1党優位の55年体制的といえる」とした上で、「(憲法の)条文と現実の乖離が放置され、与野党の主要争点として構造的に残る限り、自民党1党優位の『55年体制』的なシステムは変わらないだろう」(毎日新聞5-3付け)と重ねて指摘しています。こんな低支持率の首相にもかかわらず、その座を奪われないでいられるのは、憲法9条が争点化され、野党が分断されているからだというのです◆しかし、自公2党による政権なのに、1党優位として『55年体制』との類似性にこじつける、この見方には事実誤認があり、私には納得がいきません。実は公明党は改憲には積極的ですが、9条改正に反対なのです。つまり9条の争点化には否定的なのです。この流れを強くすること(政権離脱や自民党分断の動き)で、私は日本の政治の奇妙な安定が崩れて、新たな政治に向けて動き出す可能性が一気に高まると予測しています。それを阻んでいるのは、「政治を不安定にしたくない」という公明党の奇妙なまでの真面目さゆえなのだと、私には思われてなりません。(2024-5-4 一部修正)

 

 

 

 

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【157】生き生きワクワク、大自然と共に━━「日本熊森協会」の全国大会から/4-25

 熊による人身事故が多発している状況の中で、環境省はこのほど熊を「指定管理鳥獣」にしました。これによって、熊を捕獲する自治体のために国による財政的支援が講じられるなどの様々な施策が予測されます。これについては、生物環境学研究家の宮澤正義氏(日本熊森協会顧問)が「クマをシンボルに日本の水源の森を保全・再生しようという熊森協会の27年にわたる大変な努力を無駄にしてしまいかねない暴挙だ」とした上で、「野生動物たちが生きるために人間の生活圏に出ていかざるを得なくなった彼らを駆除することに、環境省は予算をつけて推進する。環境省の人たちは、生態系とは何か、日本も批准した生物多様性条約とは何かがわかっているのか。この国に環境庁が作られた理由、庁から省への格上げの狙いさえわかっていないのではないか。無念です」との痛烈な批判をされています◆毎年5月のGW前に開かれる「くまもり全国大会」も今年は27回目。「クマ保全未曾有の危機、だからこそ集まろう!」とのキャッチコピーのもとに尼崎市のホテルで開催され、私も参加してきました。これには北海道から九州まで全国各地から多数の会員が集まりました。オープニングでは、CMソングの女王と言われる特別ゲストのミネハハさんが「いのちの森」や「ありがとう地球」を熱唱してくれました。この人は今回の出演を契機に、今後、地球を守る歌を唄う歌手へと大いなる方向転換をすると表明されていますが、生命を揺さぶる大声量に私は心底から感動しました。休憩時に会場でCDを2枚も買ったことでいかに私が感激したかがお分かりいただけるかと思います。また、北海道、秋田、青森、山口などの支部長らは生き生きとした活動報告を展開。聞くものはワクワクさせられました。中でも手製の熊防御杖を持参した我満嘉明地区長の臨場感溢れるお話は、熊との共生を実感させてくれる貴重なものでした◆大会では、現場からの報告の一方、室谷悠子会長の基調報告など本部を中心にした様々な動きが紹介されました。その中でクマをめぐる環境が厳しくなる今だからこそ、ピンチをチャンスに変える好機と捉えて、力を合わせて立ちあがろうと強調されたのが印象的でした。昆虫学者の主原健司顧問は、この日配布された『顧問からの手紙』に、前述の宮澤さんと共に、「クマの異常出没に気候温暖化が関係していることを述べる報道は皆無でした」と振り返ると共に、「温暖化により寒冷な気候帯に生息している種の多くは適応できずに衰退している」との生物全体が直面する課題について大きな懸念を表明。クマを有害動物だとして駆除し続けても根本的な解決には至らないとの警鐘を乱打していましたが、会場でもユーモアを交えて挨拶、新たなる感動を呼び起こしていました◆毎年度この大会の恒例になってしまった私の「終わりの言葉」──今年は以下の通りです。《2年前に始まった「ウクライナとロシアの戦争」が依然として続いている上に、昨年10月からのパレスチナでのイスラエルとの「報復の連鎖」が付け加わってしまいました。人類にとって一段と深刻な事態です。一方、日本では、人間同士ではなく、大型動物・熊との戦いが話題になったり、つい先程、伊豆南方沖で海上自衛隊が実戦中でなく、訓練中に墜落事故をまたも起こすなど、「一見平和といえる異様な事態」が現出しています。こんな日本だからこそ、真に平和を維持し、自然との共生を日々実践する、「熊森協会」の使命がある》──と強調しました◆全国大会終了後に、本部役員と顧問、支部長に加えて、初参加の石川県の会員の代表らを交えて、2時間にわたり今後の課題を話し合いました。私はその場で名誉会長、会長始め、リーダーがほぼ全て女性である熊森協会の独自性を評価。「男中心社会の悪弊」が噴出する日本の今である故、同協会こそ地平を切り開ける可能性を持った実践環境保護団体であると指摘する一方、その自覚を強調しました。これはかねて私の持論ではありますが、男性からは異論があろうかと思います。(そのあたりはまたの機会に論じたいと思います。)懇談のあと、かつて徳島県の旧木頭村の村長として、細川内ダムを阻止に導いた藤田恵顧問(神戸市在住)と帰路をご一緒しました。車中のやりとりを通じて、自然破壊を止める旗手「熊森協会」への熱い心意気を感じました。(2024-4-25)

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