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【176】「やっぱり自民党」と思わせる人物━━総裁選を前に思うこと(上)/8-22

●「高村正彦」という卓越した人物から学ぶこと

 『冷戦後の日本外交』━━この夏に私が読んだ本でダントツのお勧め本である。いや過去に読んだ政治家の本の中で、と言い換えるべきだろう。ありきたりのタイトルからは想像できないほど面白くためになる。「政治とカネ」をめぐるドタバタ騒ぎで、自民党に愛想尽かした人は、この本を読んでからでも見切るのは遅くない。と、思わせるほどの出来栄えだ。実はこの本、著者の書き下ろしではない。高村正彦元衆議院議員から、兼原信克元内閣官房副長官補(国家安全保障局次長)ら4人の外交、国際政治学の専門家が聞き出したオーラルヒストリーである。高村氏は弁護士から1980年に衆議院議員になり、外相、防衛相などを経て自民党副総裁となり、安倍晋三首相のもとで、「安全保障法制」を制度化した。公明党の北側一雄副代表と幾たびも議論を重ねた挙句に「集団的自衛権」を部分的だが容認に持ち込んだことで知られている。

 政治家への「聞き語り」形式でのいいところは、自己宣伝になりがちなところを抑制する役割を聞き手が果たすことにあろう。安倍晋三元首相『回顧録』でのアプローチでは橋本五郎氏らがそれなりに切り込んでいた。ところがこの本では、兼原氏らが遠慮しているかに見える。政治家と新聞記者の組合せと、官僚や学者と政治家との関係の違いだろう。ただし高村氏の謙虚さも目立つ。ともあれ、高村氏が随所でジョークを飛ばしたり、時に皮肉を込めて交渉相手の人となりを揶揄したり、褒め上げたりと自由自在。実に面白い。

●論理的弁術の巧みさ

 加えていかにも練達の法律家らしい論理的弁術の切れ味の良さは惚れ惚れするほど。時に詭弁とも思えなくもないが、自己正当化の論法はお見事というほかない。とりわけ感心したのは、イラク戦争時における大量破壊兵器の有無をめぐって、米英両政府が不良イラク人に騙されたと〝それぞれの不明〟を恥じる結論を出していることに対して、真っ向から否定していること。そういうイラク側の不始末の土俵に乗らず、湾岸戦争時の国連決議に拘る論理で一貫したことが誇らしげに語られている。「私がブッシュさんだったら、この戦争はやらなかったけれど、私が小泉さんでも支持せざるを得なかった」という巧みな言い回し。米国の同盟国の日本の外相として〝技あり〟〝合わせ技一本〟というところだろう。

 安倍元首相と旧統一教会との関係の深さと古さは今更言うまでもないが、高村氏との関係(元勝共連合の顧問弁護士)も勝るとも劣らない。安倍元首相との回顧録インタビューは事件前だったこともあり、触れられないままに永遠の闇に消え去った。その点、高村氏から今の時点での彼なりの捉え方を聞きたいと思うが、テーマが違うとあって、この本では全く話題に出てこないのは残念である。

 今回の総裁選挙でも、「政治とカネ」の問題と並んで、政治姿勢という観点で問われ続けられるのは「旧統一教会問題」であろう。この問題では、候補者として名乗りを上げている人でも極めていい加減な認識を持っている人がいることは無視できない。(2024-8-22  続く)

 

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【175】今こそ自公連立の有り様を問う議論を━━岸田退陣、自民党総裁選挙に向けて/8-16

 お盆の只中、14日に岸田文雄首相が退陣を表明した。それを受けて自民党の総裁選挙に向けての動きが活発化している。個人的には岸田氏は続投を貫き通すのではないかと思っていただけに拍子抜けしたことは否めない。尤も普通に考えれば、とっくに日本のリーダーとしての賞味期限は切れていて、死に体であったのだから、ごく当たり前の判断だったに違いない。岸田退陣を報じた全国紙5紙をつぶさに読んだが、圧倒的に切れ味鋭い論評を提起していたのは毎日新聞4面オピニオンのページだった。「岸田政権とは何だったのか」との「論点」のもと、中島岳志(東京工大教授)と、上脇博之(神戸学院大教授)、鈴木哲夫(ジャーナリスト)の3氏の「さばき」から見てみたい◆バッサリ切っているのは中島氏。「首相になることだけが目的で、首相になってやりたいことのなかった政治家」「宏池会出身で30年ぶりの首相として期待されたが、中身は空っぽだった」「時々で主張を変えるヌエ的な存在だとわかった」と。3年間総理大臣の座にあってこういう評価を下されて、首相本人は返す言葉があるだろうか。「政治とカネ」の問題で「告発」者として名を馳せた上脇氏は、自分が身を引くことが自民党が変わることを示す第一歩だとの岸田発言を捉えて、「岸田氏が次の衆院選に立候補せずに議員辞職すれば第一歩だ」「不出馬は形を変えた『保身』と国民に見透かされる」と述べ、「延命最優先」のみで、任期中を通じて「第3の安倍政権」で「岸田カラーは全くなかった」とこき下ろす。鈴木氏は、政治を「官僚主導」に戻し、「国会軽視」を強めたことの二つが岸田氏の政治姿勢で、明らかな問題だという。改めて「官僚任せ」の無責任さが露呈した、と。首相の辞任発言直後の紙面にこれだけの論評を載せたのは「毎日」だけ。かねてこの3人に聞くと決めて、依頼していたに違いない。読み応えがあった◆私が国会議員を2012年暮れに辞めた後、首相を務めたのは、安倍晋三(第二次)、菅義偉、岸田文雄の3人。言うまでもなくいずれも自公政権であり、公明党が支えてきた。先に述べた様にめった斬りにされて、自民党出身の首相だからと、〝知らぬ顔の半兵衛〟は決められない。この期間、一貫してパートナーだった公明党の山口代表はどう考えているのか。14日午後の記者会見で、「首相の強い意志と重い決断を受け止める」とする一方、「岸田首相は、先送りできない課題を一つ一つ着実に前進させるという志で取り組んできた。それだけに出馬をしないという意向を伺った際は、正直言って驚いた」と率直な感想を漏らした。加えて「この段階で身を引く覚悟を示すことに残念な思いもあると述べた」という。それはそうだろう。例えば、防衛装備完成品の第三国輸出に関する方針について、「意思決定のプロセス化」や「明確な歯止め」をかけさせたことは公明党の主導によるし、「政治とカネ」の問題でも、自民党内の異論を押し切って公明党の主張を受け入れたのは首相の決断だったからだ。辞める決断をした相手に人間、政治家のモラルとして、「感謝とねぎらい」の言葉をかけるのも当然だ。「評論家」と違うのだから◆そのことは百もわかったうえで、山口代表に求めたいのは、連立政権のパートナーとしての「けじめ」であろう。公明党はこれまで20年を超えて「自公政権」を担ってきた。初めに連立ありきではなく、自民党の総裁が同党内の手続きを経て新たに決まるたびに、その当の相手と連立政権の目指す方向を議論して「合意」を得てきた。だからこそ、今回の辞任表明を受けて、山口代表は「岸田首相が任期を全うするまで自公政権合意に基づいて、公明党としても誠意を尽くして政権運営に努めていきたい」と述べている。任期を全うした後は、次の新たなリーダーとの間で、その意向を見定め、議論しなければならない。あたかも次のリーダーも公明党と組むのが当然のごとく考えるのは間違いだ。私がこれまでの自民党の総裁選挙を見ていて不審に思うのは、候補者の誰もが連立政権の相手の公明党について、注文をつけたり、異論を唱えるのを聞いたことがないことだ。大いなる議論が出て然るべきなのに。先に述べた防衛費関連の案件や「政治とカネ」をめぐる問題でも自民党の内外で百家争鳴だったのだから、総裁選挙を通じて大いなる議論が出されることが望ましい。それを経ずして、〝選挙互助会的な意味〟だけで、「連立ありき」を自明のことにするのは自公両党のためにならないことを指摘しておきたい。そして、公明党も山口代表でこれからも行くのかどうか、自民党との連立の是非を、経過を綿密に点検したうえで、党内で大きな論争が起きるように期待したい。そういう論争のない政党に国民の支持は集まらないと私は思う。(2024-8-16)

 

 

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【174】常軌を逸した行動パターン━━兵庫県知事問題の背景を追う(下)/8-8

 「一年間は黙ってみていてくれ、その後には新鮮味溢れる県政が展開するから」との斎藤知事を推した自民党の一部勢力の言葉が印象に残っています。これを鵜呑みにしたわけではないものの、それなりの期待感を持って見ていました。しかし、斎藤知事からの発信は変わり映えせぬまま。それよりも聴こえてきたのは、「知事に会おうにも会えない」「一切門戸を閉ざして会ってくれない」「知事はよほど変わってる、変人を通り越している」との怨嗟にも似た声ばかりでした。私が所属する異業種交流会はそれなりの兵庫県のエスタブリッシュメントで構成されていますが、皆さん口を揃えて「未だに会えない」「アポが取れない」でした。私は、貝原、井戸両知事との約30年、とりわけ井戸さんとの20年は県との関係が充実していましたので、時代の転期と見て、井戸引退を機に県政との距離を置くことにしました。そんな私に入ってくる噂は、専ら斎藤知事は既成の支配層との交流は避けて、若い世代との繋がりを求めているというものでした。それを聴いて、新時代の県政構築に向けて自分らしさを出したいにしてもいささかやり過ぎだと懸念を抱いたものです◆後に、片山副知事を中心とする特別なグループの人間(かつて東日本大震災時に宮城県に出張した際に出会った4人)以外の声を知事は一切聴こうとしないようだとの情報を得て、その常軌を逸した行動パターンに呆れ返ったものです。今回の一連の事件の成り行きを知るにつけ、単に新基軸を県政に導入するとの狙いよりも、井戸前知事の色合いを一切合切排除したいとのスタンスのみが際立つ政治姿勢だったように思われます。今回の事件の発端になった元西播磨県民局長の〝パワハラ告発〟に対して即座に「嘘八百」だとして、退官に追い込んでいった流れを追うと、一部週刊誌の知事を非難する報道を無碍に否定できません。知事側近グループのおぞましいまでの動きが浮かび上がってくるばかりです。同局長が自死を選択するに至った背景を知るにつけて、片山前副知事を中心とする側近グループの罪深さに思いが至り、もはや斎藤県政は持たないということが明白のように思われます◆斎藤知事を担ぎ出す役割を担ったのは自民党の国会議員団でした。県議団は分裂したことが示すように、斎藤支持に二の足を踏む向きも多かったのです。スタートから2年を越えて漸く知事の実態が露わになるにつれ、分裂状況も収束し、(つまり知事派議員も改心してしまって)斎藤与党は維新のみになっていきました。そこに起きた今回の事件で、自民党国会議員団があれこれと口を挟む姿はあまり褒められたものではないと思うのは私だけでしょうか。政治とカネにまつわる一連の不祥事や旧統一教会事件を通してとかくの行為が指弾されてきた人たちがしゃしゃり出て、したり顔に県政批判をするのは疑問視せざるを得ません。それは決して知事を擁護するわけではなく、冷静に県政当事者の動きを見るのが重要で、外野席は静かにしておれと言いたかったのです◆そんな中、県政に通じたある人物と言葉を交わす機会がありました。彼は、県議会公明党の動きがよく理解できない、と言うのです。それが、議会に百条委員会を設置して斎藤知事のパワハラ問題などを究明するにあたって、公明党が慎重だったことを指していることは明白でした。維新と一緒になって知事擁護の態度をとるのはおかしいというものです。その疑問はいかにも「維新嫌いの人」らしいものですが、私には県議会公明党の「筋を通す姿勢」が明確に分かります。知事のパワハラを含む行状を調査追求するものとして、第三者機関を設けたのだから、まずそれを先行すべきでしょう。当初の百条委員会は屋上屋を重ねるだけで反対だとの公明党のスタンスは賢明だったと思われます。ただ、政治は生まもので刻々と事態は変化します。「副知事に続き2幹部が空席」となり、「崖っぷちの兵庫県政」が露わになるにつれ、外から見ていて、維新と一緒になって斎藤知事擁護をしているかに見えてしまうのはいかがかと思われます。暑い時期だけに、早く知事問題に決着をつける方向での公明党の敏速果敢な英断を期待するものです。(2024-8-8 この項終わり)

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【173】パワーのでどころ、出しどころ━兵庫県知事問題の背景を追う(上)/8-1

 「パワハラ」を始めとする、斎藤元彦兵庫県知事の行状が問題になっています。ひとりの兵庫県民として、嘆かわしき事態だと思いますので、少しこの問題について考えてみたいと思います。この人が県知事選挙に立候補するまでの背景を追いますと、ご本人の「県知事になりたい」という若き日よりの強い意志がまず第一に挙げられます。漠然とした「政治家志望」ではなく、県知事に的を絞った夢を少年の頃から持ち続けていたことを初めて知った時、私は大いに驚きました。歴代の兵庫県知事は、明治期初代の伊藤博文から昭和、平成に至るまで、立派な人物が多かったというのは、率直な印象です。とりわけ、貝原俊民、井戸敏三のお二人は個人的にも知己を得たこともあって、それなりにとても尊敬出来ました。もちろん、生身の人間ですから、個別具体的には好き嫌いの要因があるのは当然ですが。

 斎藤さんが県知事選挙候補に名乗りを上げた頃の出来事の記憶をたどりますと、第一に井戸前知事が擁立しようとした前副知事に対する反発が県自民党内にあったように思われます。率直に言うと、確かに「良い人だけどパワーを感じない」と言うのが私の彼への印象でもありました。県議会の最大会派である自民党の中で、前副知事を推すことに反対する動きが強くあり、違う候補を探す流れが強まっていったようです。そんな中で、某国会議員が目をつけ強く推薦したのが斎藤さんでした。若くてパワーを感じるという人物評が専らでした。ただし、当時、大阪府庁の課長だったことから、維新の松井、吉村ツートップとの関係が懸念されたのは当然でした。

 自民党兵庫県議団は、前副知事を推すグループと、新しい斎藤さんで行こうという人たちとに二分化され、選挙戦を通じて分裂を余儀なくされていきました。維新の色合いが強い人物を兵庫県知事に選んでいいのかという党派的見方を巡って混乱したのです。兵庫県議会公明党は、貝原、井戸両知事時代を通じて与党の一翼を形成してきた経緯もあり、自民党の分裂は一言でいうと迷惑千万だったはずです。ただ、井戸前知事との20年の繋がりもあり、前副知事の側を応援したのです。残念ながら選挙結果は裏目となってしまいました。

 選挙が終わって、斎藤知事が誕生して半年ほどが経った頃、一向に新味が出ない斎藤県政について、県議会自民党の反乱派(斎藤県知事擁立派)の中心メンバー数人と私は懇談したことがあります。私はその際、この知事の「新しさ、凄さはどこにあるのか一向に見えない」と、苦情を言ったことを覚えています。彼らからは初の予算編成を見て欲しい、当選後1年経てば分かりますから、との返答があったのです。しかし、その後、聞こえてきた「噂話」は全く違うものでした。(2024-8-1  この項つづく)

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【172】「与野党合意」より「与党修正」に方針変更━━NHKスペシャル『政治とカネの攻防』から(下)/7-27

 「政治とカネ」をめぐる今回の各党間の攻防は、30年前に比べると議論の成り行きはお粗末そのものと言わざるをえませんでした。「政治改革」と呼ぶには値せぬ、矮小化された結論に終わりました。「改革」は継続するとの言い振りも聞こえてきますが、当座をやり過ごせば後は野となれ山となれの空気が漂っていると見るのは酷でしょうか。以下、後半のテレビ放映を要約しつつ、「攻防の顛末」を整理してみます。

●「カネの集め方」と「再発防止」のすれ違い

  自民党の政治資金集めの収支報告の杜撰さに端を発し、同党の裏金作りの実態を追及する声の高まりの中で、今回の「政治資金規正法」改正の議論は展開しました。素直に国民的関心に耳を傾けると、「自民党は現行法のルールを破ってまで、どうしてこんなにも多額のカネを集める必要があるのか」に尽きました。一般的には、「カネの集め方」にまでさかのぼっての議論が期待されましたが、自民党はそれを避けて、今回のようなケースの「再発防止」に的を絞ろうとしたわけです。体よく問題をすり替えたともいえます。

 立憲民主党は①政治資金パーティーの禁止②企業・団体献金の禁止という政策を掲げていたのは周知の通りです。テレビ放映では、立憲民主党の支持者の「月5千円、年間6万円の寄付で政治家を育てる」との主張が印象的でした。それに対して自民党の支援者が「現状は資産家でないと政治家になりにくい。だから、資金集めのためのパーティーや企業団体献金も必要なんだ」と述べていました。

 今回の国会での議論の核心はこうした議論の食い違いをどう乗り越えて、与野党間の合意を形成するのかにありました。私などは、中道政党公明党の合意形成力の発揮に期待したのです。しかし、残念ながら野党とりわけ立憲民主党の歩み寄りを促すには至りませんでした。しかし、その代わりに自民党の持論を譲らせ、公明党の主張に近づけさせることに力点が置かれ、それは見事に成功したのです。つまり、与野党合意ではなく、自公与党間合意です。政治資金パーティーの対価支払い者に係る公開基準額が現行20万円超だったのを、一気に5万円超にまで引き下げることに公明党は成功したのです。

 テレビ放映では、この合意に自民党内の反発が強かったこと━━公明党の要求通り引き下げるのは否定的で、一定程度の匿名性を担保して20万かせいぜい10万円にする案こだわった━━を様々な角度から描いていましたが、最終的に岸田首相が山口氏の、「国政選挙に影響が出る、自党の主張と有権者の反発とどちらが大事か」との説得に負けたことが浮き彫りにされていました。

●立憲民主幹部の失敗と維新党首の当てはずれ

 一方、野党の側からは、大きく2つの失敗、思惑の違いが露わになってしまいました。一つは、立憲民主党の岡田克也幹事長らが国会論議の最中に、自らのパーティー開催が取り沙汰されたのです。これは「タイミングが悪かった」では済まされないお粗末さです。事前に取り下げていればいいものを、「税金と自己資金だけでは事務所費用を賄えないことをどうするか」などという、自分の党の方針と相反することを、未練たらしく言う場面が報じられていたのは何をかいわんやでした。

 もう一つは維新は衆議院サイドでは、政策活動費などをめぐって自民党との合意ができ賛成しました。だが、かねての主張だった旧文通費の処理の仕方について、岸田首相が裏切ったから信頼関係が壊されたとして、参議院では反対に回ったのです。〝騙した騙された〟とは、国民から見て分かりづらいこと夥しいです。政党のエゴと捉えかねられない醜態だったと言わざるをえませんでした。

 こういう事態に対して、岸田首相は、「自民党は自らが起こした問題について、信頼回復に向けて誰よりも汗をかかないといけない。引き続き政治の信頼回復に取り組む」。茂木幹事長は、「総理総裁としての決断がなされた。オカネのかからない政治に持っていく。そのための制度改革だが、過渡期においては透明性を確保しながら資金を集める手段が必要だ」と、問題の本質からずれた言いぶりに止まっていました。一方、立憲民主の泉代表は「みんなでルールを守ればいい、これまでの資金源をつなげていきたいという考えでは政治は何も変わらない」と、正論を述べるだけ。政治を変えるための妙案は出ないままでした。

●「悪魔を完全に祓ったとは言えず」

 では、これからどうなるのでしょうか。政治学者の佐々木毅氏は、有権者の姿勢も問われるとして、「政治家と有権者は本来、協力関係と同時に緊張関係も孕んでいる。(今回のことは)この関係を考えろということを教えている教材のようなものだ。現実というものを直視するスタミナを持つことが大事だと思う」「法改正だけでは悪魔を完全に祓ったとはいえず、今後の議論を忍耐強く見ていきたい」と述べていました。諦めずに現実を直視して、政治変革にいどみたいと、ご自身に言い聞かせているように聞こえました。

 闘いすんで日が暮れて、カネまみれの自民党が作り上げた荒涼たる風景の中で何が見えてきたでしょうか。抜本的な政治改革の糸口には程遠いものの、公明党の自民党変革への意欲だけが浮き彫りになったと言えると思います。本当のところは、野党の変革をも促したかったのですが、ないものねだりだったのは残念でした。(2024-7-27  この項終り)

 

 

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【171】「政治改革」の酷すぎる実像━━NHKスペシャル『〝政治とカネ〟の攻防』から(上)/7-20

 NHK総合テレビが180日間にわたって政治家たちに密着取材し「なぜ政治とカネの問題が繰り返されるのか。問題の根源に何があるか」をインタビューした映像がさる14日に放映されました。前半は、岸田首相、茂木敏充幹事長、二階俊博元幹事長らが登場。また、平成の政治改革論議の際に大きな役割を果たした佐々木毅元東大総長も。たてまえと本音が入り混じっての奇妙な言説が飛び交い、様々な意味で考えさせられる番組でした。

●自民党内の責任の擦り合い

 まず、岸田首相は、政治とカネの問題がなぜ繰り返されるのかとの問いに対して、型通りのお詫びの言葉を口にしたあと、「議員や秘書の中に『何かおかしい』との違和感や問題点を感じた人も少なからずいたが、コンプライアンス意識、法律を守ろうという意識が欠如していた」からだと、〝他人ごと風的言い訳〟をしました。安倍派の元座長だった塩谷立氏は、地元での挨拶で、自らの潔白を主張する一方、収支報告にきちっと記載をすればいいのに、しないのがおかしいと述べました。自分は立場上の責任を取らされ、党全体の責任者である首相や党幹部が責任を取らないのはおかしいと、〝泣き言風のグチ〟を淡々と述べていました。

 これに対して、茂木敏充幹事長は、党の責任者として身内の責めを問うことは苦渋の決断だったとしおらしく述べるとともに、派閥解消はこれで終わりではなく、不断の改革努力が求められると、曖昧模糊とした責任回避の発言をしました。つまり、視聴者は程のいい「責任の擦り合い」を見せつけられただけでした。

●言い分け、開き直りで、変わらぬ習性

 面白かったのは、今回の一連の出来事の当事者の2人が本音を明確に語った場面です。一つは安倍派の菅家一郎衆議院議員の言動です。彼は、地元でのお詫び行脚に歩く中で、「お騒がせして申し訳ありません。一からまた出直しします」との〝定番の釈明セリフ〟を口にし、赴いた先の商店でお土産を大量に買っていました。「こうやってお話ししながら、買ってあげる。コミュニケーションが大事なんです」と。車中で、「人件費、事務所費、印刷代、通信代、燃料費などをどう捻出するか。事務所運営に追われているのが現状です」と率直に語っていました。最前線の政治家のありのままの習性と本音が語られたのがとても印象的でした。

 一方、派閥の領袖でもあり、次の総選挙では引退する二階俊博氏が歯に絹きせず語っていたのは迫力がありました。記者から平成の政治改革のときに派閥は解散されたが、その後復活しました、と水を向けられると,「それは当然です。うちには派閥ないんですなんて、そんな純粋な水みたいなのが集まってね。何かできるかって、そんなの何の力にもパワーにもならないよ。人が寄ったら派閥があるんだよ。その派閥というのをどう活用していくか。そこが大事だわね」。「派閥解消」は口先だけで、やがて復活すると言ってるわけです。

 カネがかかる最大の要因は、選挙だとして、こうも語っていました。「政治にカネがかかるってことは、我々も若いころ言われたよ。『カネはあるか」と。『今度選挙に出るそうだけど、どういう政策に力点を置いていこうとしてんのか』って、そんなこと聞く人誰もいないんだよ。みんな『カネがあるか』って、こう来るよな。腹立ったよね。そういう世界にさらされるわけだよ。いま『パーティー券何枚にしましょうか』と、パーティ券の2枚や3枚で政治になるかよ。生徒会の選挙でもならんよ」と。

 自民党政治の原風景が見事なまでに描き出されています。このあと、政治も新しい時代の進展の中で変わらなきゃあいかん、との趣旨の言い回しが付言されていましたが、付け足しのように聞こえました。

●「永遠の課題にはその都度やるしかない」と政治学者

 こうした政治家の動きについて、30年前のリクルート事件に端を発した「平成の政治改革」問題で活躍した佐々木毅元東大総長の発言が印象的でした。長い歳月の経過を物語るように、杖をついての白髪姿で登場した佐々木さんは開口一番、「一体、この30年間は何だったろうな。政治家たちが問題を真剣に議論し交渉し、改善をするというような機会がなかったままに過ぎ去ってしまった」と述べられました。痛烈でした。私も議員駆け出しの頃から今まで佐々木さんの言動を注視してきましたが、この度のテレビの画面での佇まいは、まるで罪を一身に背負う主犯のようで、哀れさを抱くばかりでした。

 「政治家たちの本音ベースは『政治とカネの問題があまり透明化され過ぎないように』という気持ちがないわけではない。これは永遠の課題で、モグラたたきゲームみたいなもんで、その都度、その都度やるしかない」と、腹の底から絞り出すように言われたのがあたかも遺言のように聞こえました。(2024-7-20  以下続く)

 

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【170】嵐の中にも厳然と━━イージス艦「摩耶」に体験搭乗して/7-16

 海の日の7月15日。朝早く、私は明石市にある住まいを出て電車を乗り継ぎ1時間ほどで、神戸市東灘区にある阪神電車魚崎駅へ。そこから歩くこと30分。「海上自衛隊阪神基地」に到着しました。ここはあの29年前の阪神淡路大震災の折に、海路からの被災地救援拠点として大きな役割を果たしたところです。どうしていま私はこの場所に行ったのでしょうか?実は、私の所属する『シニア異業種交流会』から、イージス艦(護衛艦『摩耶』)が横須賀から神戸に来るので体験搭乗しに行かないか?」との誘いがこの春にあったのです。滅多にないことだから、との気楽な気持ちで参加を決めていました。この護衛艦が世に出て4年目。普段は横須賀基地。全国で8隻保有されるイージス艦はそれぞれ担当する月に、日本海に出向きます。北方の隣国から飛んでくる弾道ミサイルなどへの対応に従事(基本的に1ヶ月サイクル)するためです。今回のように我々一般市民(350人づつ朝と昼とに分かれて参加)に公開して見せてくれることは珍しく、大いに有難い機会でした。短い時間でしたが、私はできるだけ隊員の皆さんの生の声を聞くように心がけました◆時あたかも「自衛隊創立70周年」という記念すべき年。外にロシアの対ウクライナ戦争、中国の軍事力増強のもとでの「尖閣」海域侵犯、北朝鮮の度重なるミサイル発射という挑発などがある一方で、内では信じ難いような不祥事の現状に直面しているのです。まさに「内憂外患」です。不祥事については、防衛省全体で218人にも及ぶ多数の幹部や隊員の一斉処分に踏み切ったのですが、内実は、「特定秘密」の杜撰な管理から、パワーハラスメントに至るまで多岐にわたっています。とりわけ「問われる海自の倫理観」(毎日新聞7-13付け)と報道されているように、訓練実施をしていないのに、したように申請して不正に手当を受給したり、基地内で金を払わずにただ喰いする不正飲食など、いかにもさもしい実態が暴露されています◆その一方で、海自は川崎重工業との間で裏金を捻出しての利益授受の疑いが浮上、防衛監察本部による特別防衛観察の対象にさえなっているのです。かねて防衛分野という閉鎖的な産業との関係で陥りやすい不正として懸念される向きがありましたが、「やっぱりか」との負の感慨を持たざるを得ません。こっちは年に数億単位で、10年以上にわたって架空の取引が行われていたとみられるスケールの大きさに唖然とするのです。海上自衛隊というと、さる4月に哨戒ヘリコプターSH-60K機が伊豆諸島鳥島沖合で衝突し墜落、8人が死亡した悲惨な事故が起きたばかり。更にちょうど1年前の4月には陸上自衛隊のUH-60JAヘリコプターが沖縄県宮古島沖で墜落、10人が死亡しました。自衛隊機の訓練中の事故死が伝えられると、とても複雑な思いに駆られてしまいます◆こうした現状を背景に、私は、入隊1〜2年目の新人から、20年余りの士官まで男女合わせて5-6人の隊員と、あれこれと立話をしました。尤も、いかに今回の海自の不祥事に疑問を持っていても、流石に露骨に批判の矛先を向けるわけにもいきません。やんわりと空気を探りました。その結果、彼らの常日頃の心情やら仕事への意気込みを察知できたのは収穫でした。不祥事や事故のなか、自衛隊に応募する人たちが減少する空気が高まってくるのを懸念するのですが、少なくとも今日会った隊員たちからはいかなる〝マイナスの雰囲気〟も伺えませんでした。ある士官に、かつて私が幹部候補の隊員と意見交換をした際の質疑応答を例に出しました。彼から「政治家は一体いつになったら自衛隊を憲法上で認めてくれるのですか」と問われたことです。忘れられぬ問いかけです。いらい20年あまり、憲法9条に自衛隊を明記する必要性を感じる契機になっていると伝えました。イージス艦に乗務する隊員と会話して、改めてその任務の重大さに思いを凝らすと共に、彼らの普段からの努力に応える政治であり、感謝する市民でありたいと強く思ったものです。(2024-7-16)

 

 

 

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【169】五輪を前に「戦争と平和」と「国家とスポーツ」を考える/7-7

 パリ・オリンピックが近づく。前回の2020年は1964年に次ぐ2度目の東京開催だったが、世界中がコロナ禍に見舞われ、開催は1年遅れた。「2020年東京オリンピック」は、実際には2021年の開催。感染症との戦いで、異常な雰囲気の大会となった。第二次世界大戦後で最も大会継続が危ぶまれ、あわや中止の憂き目に晒されたのは1972年の西ドイツのミュンヘンオリンピックだった。もう50年が経つのだが、原因がイスラエルとパレスチナの争いにあっただけに、今もなお生々しい。今年のパリでも類似のことが起こり得るかも知れない。感染症と戦争──人類が抱える二大病根が続け様に「平和の祭典」を襲う◆50年前の事の発端は、パレスチナ過激派集団(「黒い9月」)がイスラエルの選手、コーチたち11人を人質にして立て籠ろうとしたこと。西ドイツ政府を相手取り、イスラエルにおける自分たちの「政治犯釈放」を要求する交渉のテコにすることを狙ったものだった。さる3月19日に放映されたNHKの『アナザーストーリーズ ミュンヘン五輪事件』は、実に迫力に満ちた内容で見応えがあった。ひとたび過激派に拘束されながらも逃げ切ったレスリングのイスラエル代表選手と、過激派を罠にかけようとしながら失敗した西ドイツの警察官をインタビューで追ったものだ。前者では自分が助かった代わりに仲間が射殺された。後者では目の前で人質全員を失った。共に〝罪の意識〟に苛まれる。当事者「個人」の複雑な思いを見聞きしながら、前面に出てこない「国家」が気になった。過去に「ドイツ」を舞台に起きた「ユダヤ人虐殺」。一転、今のイスラエルとパレスチナ相互の「虐殺の連鎖」に思いは飛ばざるを得ない。50年を経て現在の泥沼化した戦争に、観るものとしてどうにもやるせ無い感情に苛まれたのである◆この事件は当時世界中で話題となった。過激派の狙いは、「平和の祭典」の影で、悲惨な現実に苦しむパレスチナからの「宣戦布告」だった。オリンピックのアヴェリー・ブランデージ会長は政治的要求によって、オリンピックが左右されるべきではないとの立場を守り、1日だけ日程をずらして予定通りスケジュールを消化する決断を下した。銃撃戦の決着でその場の火ダネは強引に消え、オリンピック続行は可能になった。当時20歳台後半の記者だった私は、実に後味が悪い結末だったことをよく覚えている。テロリストをイスラエルの人質もろとも爆破した西ドイツ政府に冷徹な〝国家の心〟を見た。もっと優しいはずの〝人間の顔〟を見たいものだ、と思った。スポーツは通常を超えた人間の持つ体力を競わせ、見るものを感動させる。オリンピックはまさにそのシンボルであろう。一方、平穏な生活を根底から覆す戦争は今再び国家間の能力を極限まで競わせる〝地獄の祭典〟というしかない◆2022年2月末からのウクライナ戦争は、ロシアによるウクライナ侵略がきっかけである。もうすでに3年目に入っている。一方、イスラエルとパレスチナの戦いも2023年10月からはや10ヶ月続く。東京オリンピック後の3年で、世界は一段と分断の様相を強め、苦悩は果てしなく続く。この状況下に、パリでオリンピックが開かれる。戦禍のすぐそばで。否が応でも「国家とスポーツ」に考えが及ばざるを得ない。スポーツ選手を丸抱えで養成している国家。スポーツに何不自由なく取り組める選手。一方、参加したくとも国家そのものを持ち得ない民族、人々。本来は人間の体力、知力を純粋に競い合う中で、人間の尊さ美しさを自覚し、平和の喜びを噛みしめるものだったはず。それがいつの日か〝国威発揚〟の場になってきた。しかも今ではリアルな戦争の轟音鳴り響く中での大会が続く。オリンピックもただ繰り返すだけでなく、なんらかの新たな仕組みを作る時に来ているような気がしてならない。(2024-7-7)

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【168】島根の友と共に、徳島・鳴門の大塚国際美術館に行く/7-1

 徳島県と島根県──四国と山陰の、共に参議院選挙での合区を余儀なくされた県です。前者は高知県と、後者は鳥取県と。つまり4県とも人口減に悩む地域ですが、私は数年前から徳島の美波町、島根県の出雲市の地域おこしにちょっぴり関わってきています。地域産業活性化支援プロジェクトマネージャーの勝瀬典雄さんと、知己を得て、私も両県の市町への関わりをここ数年強めてきたことが背景にあります。先月29日から一泊二日で、島根県の出雲市と松江市に住む友人が徳島県鳴門市の大塚国際美術館見学にやって来るというので、勝瀬さんと共に私も合流、あれこれ懇談してきました。加えて翌日は作家の玉岡かおるさんの出版記念を祝う会が神戸ポートピアホテルで開催されたので、ひとり参加してきました。玉岡さんは『われ去りしとも美は朽ちず』との作品で、大塚国際美術館建設のドラマを描いた人であり、偶然の〝重なりの妙〟を楽しんできた次第です◆島根県からやってきた友人3人は、40歳台後半から50歳台までの気鋭の経営者。この5年くらい交流を深めてきた仲間たちです。リーダー格のTさんは、松江に本社を、出雲に支店をおく、ナッツ類、スルメや魚介類などによる〝おつまみ〟を販売する商社のトップ。若き日に東京で人材派遣関連企業に勤めて、研鑽を重ねて後、生まれ故郷の島根に戻って今の仕事に取り組んできました。全国各地に営業網を広めつつ、この30年東南アジア、欧州、世界を睨んでいます。ついで、出雲市で老舗の印刷業の二代目であるNさん。3年前から出版業に触手を伸ばしてきています。この新たな事業展開に勝瀬さんが深く関与。そして私も。出雲における出版文化向上に役立てばとの思い止みがたく、拙著『77年の興亡』をこの人に託し、3年連続で本を出してきました。更に、出雲の造園業界の雄・Tさん。この人も、勝瀬さんのアドバイスのもと、日本の庭園を世界に広げる試みに取り憑かれています。コンパクトなミニ庭園を実用化し、日本から世界へと壮大な「日本文化輸出」を夢見ているといえましょう◆このメンバーたちを軸に、出雲市地域の発展に尽力しようとする試みはこの数年勢いを増しています。先年、「メタバース」(コンピューター上の仮想空間)を市場に導入しようとする動きが島根でも急速に高まったのですが、背景にはこの人たちのチームプレーがありました。今回の徳島・鳴門の大塚国際美術館見学は、これまでの地域おこしの試みを振り返り、次なる飛躍への道筋をつけるための「研修旅行」的意味合いがありました。世界の宗教的芸術や名画、彫刻などが一望のもとに出来る場所に集まって、鋭気を養い意欲を高める試みはとても重要なチャレンジでした。この美術館創設の初期段階から関わった勝瀬さんの誘いのもとに、壮大な試みの心意気に触れ得たことは、必ずや大きな実を結ぶものと思われます◆私はかねて作家の玉岡かおるさんと交流がありましたが、偶々30日に神戸で作家デビュー35年と『さまよえる神剣』の出版を祝う会があるとのお知らせをいただきました。当初は島根からの友人たちとのツアーに最後までお付き合いするつもりでしたが、急遽、予定を切り上げて、鳴門から神戸へと走ることに変更しました。私のわがまま的側面は否めなかったのですが、両方とのご縁を大事にしたいとの私流儀を許して頂いたのです。今回出版した『ふれあう読書ー私の縁した百人一冊』の下巻に玉岡かおるさんの一冊(前掲の書)を入れる予定でもあり、欠かせぬことだと思われました。作家デビュー35年を振り返る試みは、中々見応えがあるもので、播磨地域から全国まで、彼女のファンを含め多数の関係者が集う宴は大いに盛り上がりました。パーテイ現場で一人ひとりの参列者と声を交わす玉岡さんの姿勢は味わい深いものでした。私も大塚国際美術館から駆けつけたことを伝えると大いに喜んでくれたことは言うまでもありません。(2024-7-1)

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【167】沖縄戦の「記憶風化」と若者への仄かな期待──6-23「沖縄慰霊の日」をめぐって/6-24

 先の大戦の敗北を決定づけた「沖縄決戦」。これこそ現在の沖縄をもたらした大きな分岐点だと捉えられます。6-23は、戦没者を悼み、平和を誓う恒例の「沖縄慰霊の日」でしたが、この日の行事を含めて、一週間前の沖縄県議選の結果など、あれこれと考えさせられました。まず、第一には、県議選結果での本土との「逆転現象」をどう見るかについてです。自民党の派閥による政治資金集めの「裏金事件」の発覚で、21日に実質的に閉会した通常国会は、「政治改革論議」一色となりました。「政治資金規正法」〝改正騒ぎ〟に終始したのです。この動きの中で政権への批判は高まる一方で、首相への支持率はついに20%を切るまでに下落しています。先の衆議院3小選挙区補欠選挙での完敗(出馬回避も含め)など、各地の諸選挙戦での自民党の退潮傾向は覆うべくもありませんでした◆ところが沖縄県議選では、自民党と公明党が議席を前回よりも伸ばし玉城デニー知事与党の立憲、共産などが後退、「過半数割れ」になってしまいました。この結果は、自公政権への「不満と疑惑」があたかも沖縄県では消えたかのように見えます。沖縄県特有の地域事情によるもので、直接的には国政での自民党の不人気が連動しなかったのです。諸悪の根源を在日米軍基地の存在や自衛隊の沖縄県への集中傾向に求めてしまいがちな沖縄県下の野党の対沖縄選挙戦略の偏向性の結果というべきかもしれません。公明党の場合4年前は、コロナ禍がもたらした県民生活の急変を重く考え、手堅く候補者を絞って挑みました。それを今回は元に戻しただけとの見方があり、また本土での自民党の不始末の連動を極力避けた選挙選の結果ともみえます。与野党共に、沖縄県の特殊性を鑑みて、基地問題と県民生活と中央の政治腐敗などの相関関係について、綿密な結果分析が必要でしょう◆第二には。「沖縄慰霊の日」におけるテレビ番組の受け止め方の問題です。メディアは「沖縄戦」を毎年取り扱いますが、観る方はおざなりになっていないかどうか。今回もNHKスペシャル『〝戦い、そして、死んでいく〟〜沖縄戦 発掘された米軍録音記録』やETV特集『私と先生とピアノ』などが放映されましたが、私自身ビデオに録画を取り置くのが精一杯でした。ただし、過去に観た番組で強く印象に残ったものを改めて観ました。3年前の作家目取真俊氏(『水滴』で芥川賞受賞)に対するインタビュー構成の番組『こころの時代━━死者は沈黙の彼方に』です。担当記者が辺野古基地を海を隔てた場所から、「この位置から現状をどう見ますか」と何気なく聞いたことに、目取真氏は怒りを込めて、「どう見ますか?!こういう事態にしたのはあなた方日本人でしょう。安倍、菅政権がもたらしたもので沖縄人は苦しんでいるんです」などと、厳しく言い放ったことが強く印象に残っています。あの時、沖縄の抱えている問題について、本土人と沖縄人との深いミゾを痛切に感じたものでした。ややもすれば、「沖縄戦」がもたらした悲惨な事実など、今に続く「基地被害」を直視しない傾向が本土側にはあります。「意識の風化」を反省せざるを得ません◆三つ目は、23日の沖縄慰霊の日の式典での高校生のスピーチの素晴らしさです。宮古高校3年生の仲間友佑君が「これから」と題する詩を約5分ほど見事にノー原稿で朗読していました。あの沖縄戦から79年が経とうとする今、世界では依然として戦火が絶えない今をしっかりと捉えた上で、戦火が終わらないのなら、平和が地上にもたらせられるまで、僕らは祈りを繋げていこうといったものでした。聞いてるものの心を激しく打ちました。それを挟んだ知事と首相の講演が、相変わらずの中身を、ただ棒読みしているだけだったことと対比して、少なからぬ希望を抱くことができました。若者やその後に続く多くの子どもたちの未来に期待したい、との強い思いが沸々と湧き上がってきたのです。(2024-6-24)

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