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【52】安倍晋三元首相狙撃死の深刻な波紋➖朝日新聞Web『論座』への寄稿から①/7-27

 さる7月22日に朝日新聞のWebサイト『論座』政治・国際欄に、私が寄稿した『公明、自民両党が参院選後にやるべきこと〜内外に山積する課題を前に』が掲載されました。4回にわたって転載します。まず一回目から。

 コロナ禍とウクライナ戦争➖世界共通の難題に喘ぐなかでの参院選。終幕寸前の7月8日に安倍晋三元首相が狙撃死した。最高権力者の余韻消えぬ人物が公衆の面前で、警護も虚しく命を奪われた。「国を守る」ことに、最も意を注いだリーダーが敢えなく瀕死の姿で路上に横たわった姿。これをテレビで見た国民の衝撃はたとえようもなく大きかった。

 安倍氏と私の個人的思い出は二つ。一つは、新学而会という名の学者と政治家の勉強会で席を同じくしたこと。国際政治、安全保障分野の専門家の集いだった。塩川正十郎氏らを始め、少数ながら著名な保守政治家も顔を見せた。場違いながらも私が名を連ね得たのは、ひとえに学問上の師・中嶋嶺雄先生(秋田国際教養大学学長)の〝引き〟によるものだった。外交評論家の岡崎久彦さんと安倍さんという〝集団的自衛権コンビ〟との出会いもこの場でのことだった。知的興奮を覚えたものである。

 もう一つは私がある社会運動団体の会合に出席した時のこと。「尖閣防衛」の発言をし終えて、途中退席した際にばったりと安倍さんに出会った。笑みを湛えながら「公明党の方がこんな処にきていいのですか?」と。余計なことをと思い、強がりを込めて「大丈夫ですよ」と、言い返したものの、彼の忠告が耳朶に残った。今頃になって、彼に対して、ご自身の立場と付き合う団体への距離を考えねば、と〝お返し〟をすべきだったと、後悔の念がよぎらなくもない。

 安倍氏の狙撃死をめぐる様々の論評を前にして、私はものごとの掌握には、「光と影」の両面からのアプローチの重要さを改めて感じる。政治家・安倍晋三の足跡にも当然ながらそれが付き纏う。〝決められない首相〟による迷走が続いた後、決断と実行の差配ぶりは、米露中のトップと同等に渡り合った外交力の発揮とともに特筆されよう。一方、「もり・かけ・さくら」と揶揄された一連の強権支配の振る舞いは、多くの識者の眉を顰めさせるに十分なものだった。

 人の世の常か、日本人の特性か。「死」はある意味で、全てを浄化してしまう。影の部分を押し隠し、光の側面を一段と美化してしまう傾向が強い。今回の事例にあっても、テロが民主主義を破壊し、言論を封殺するものだとの、非難・断罪に終始しがちになる。だが、今回のケースにあっては違和感が残る。つまり、安倍氏の主義・主張、行動に反対するが故の蛮行ではなく、「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)に対する個人的恨みのはけどころとなったものだからだ。それはあまりにも虚しい。そこを見据えず、ただ「言論封殺、民主主義破壊」非難に終わるようでは、ことの本質を見誤ってしまう。だが、その危険性は高い。

 要人警護は、正面3割、背面7割と聞く。にも関わらず、あの日の奈良県警は殆どそれを怠っていた。前日の安倍警護に当たった岡山県警の布陣は、犯人をして狙撃を思いとどまらせるほどの堅固なものだったというのに。また、長野での遊説を急遽変更した自民党当局の判断が現場に異変をもたらしたことと、無縁でなかったかどうか。検証が待たれる。(2022-7-27  つづく)

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【51】公明党の比例区得票減に立ち向かう3秘策➖7/21

 参院選が終わって10日あまりが経ちました。日本維新の会は、比例区で得票を大幅に伸ばし、大阪政党から全国政党へと一歩前進したといえます。運動量において圧倒的に差があるこの党に、比例区で170万票ほどの差をつけられた公明党陣営としては、心中穏やかではありません。次の機会に向けてどう体制を立て直すべきでしょう。ここでは、友人たちが私に向けてきた疑問から考えてみます。

★自公間でビジョン検討チーム作れ

 まず第一に、公明党は自民党と一緒になってこの国をどうしたいのか、よく見えないという根源的な疑問の提起です。相手は60年来の友人。自民党と与党を形成するようになって、本来の特徴が見えにくくなったというのです。確かに、お互い自己主張を抑えて、妥協する側面が強く出ていると言わざるを得ません。選挙での相互支援が表に出て、内実の相違点が明確にならぬまま、特質発揮がおざなりになっていると言えましょう。

 この問題を回避するには、私は早急に両党の間でビジョン検討チームを作るべきだと思います。報道によると、選挙直後に自公党首は選挙の相互支援を労りあったのち、19日には連立政権合意を踏まえて、政策課題解決に向けて、結束を確認しあったようです。それに留まらず、もっと深いところでの協議が求められると思うのです。とりあえずは、安全保障と社会保障の両面で、この国を、この国の国民をどう守っていくのかとの方向性を明示し、人々を安心させるビジョンを提示して貰いたいのです。そのための特別チームです。

★党代表選挙を実施せよ

 第二には、公明党は代表を選ぶにあたって、選挙を経ないのは、民主主義政党としておかしいとの指摘です。これは、私の親しいある大学の政治思想史を専門とする教授からのものです。ゼミの学生たちに意見を聞くと、公明党に抱く疑問の最大のものは共産党と同様に、党内民主主義の欠如だと見えるというのです。どこでどう決まったか分からぬ形で選ばれた代表では、いかに優れた人物であろうと、おさまりが悪い、と。私はこれまで、党代表選挙をしても、党内を分断するだけ。いいことはない、と思ってきましたが‥‥。

 もし、これから公明党が代表選挙をするなら、連立政権参画の是非を巡って、改革か安定かの選択などの論争は、世の注目の的になろうかと思います。二枚看板の「平和」、「福祉」政策も、どう深めゆくかが大きなテーマでしょう。党の置かれた状況を思いやる時、思い切ってやれば、との思いが高まってきます。

★話題性のある候補者を選べ

 第三に、公明党の人材には、優秀な人が多いことは分かるものの、もっと話題性や集票能力のある著名人を求めてはどうかとの、元官僚の意見です。比例区の場合はそういったことで、浮動票を集められるとの意見でしょう。加えて女性が今回の比例区7人にゼロだったのは理解不能だと言われました。

 かつて、公明党は、学者、文化人ら党外の有識者にその道を選択してもらうという大胆な方針を取ったことがあります。私も公明新聞記者時代に、党の公認候補になった、原子核物理学者の伏見康治日本学術会議議長(当時)の人物紹介を担当したことがあります。この人を始めずらっと6人ほどの著名人を並べた名簿は壮観でした。その後、様々な意味で功を奏せず、この試みは長く続きませんでした。今やれば面白いかも、との考えも頭をもたげてきます。

 また、女性候補については、確かに少ないと思われます。それこそ、ずらっと比例区はオール女性を並べると、話題性は凄いでしょう。ともあれ、もっと色んなことを大胆にする必要があると考えます。(2022-7-21)

 

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【50】連立政権下の相互支援の難しさ➖参議院選を振り返って(下)/7-13

 カンカン照りが続いた選挙戦のあと、兵庫・関西地域はまるで梅雨どきに戻ったかのよう。故安倍元首相への涙雨か、日本の前途を憂える天の嘆きか。ここで、兵庫県に偏った今回の参議院選結果の「私的分析」を試みたい。メディアが「自公勝利」を言い募るごとに、そこはかとない違和感が漂う。「自民党大勝」であっても、公明党はそうではない、と。7選挙区全勝は喜べても、比例区票減はとても喜べないからだ。もちろん、自民党候補を全国各地で支援した公明党としては、自民と公明とを切り分けて見ようとすること自体が無理筋で、ここは素直に「自公連立政権の勝利」を喜ぶべきだろう。連立以前の野党時代の公明党で育った古い体質から抜けきれぬ我が身が疎ましく思われる▲選挙期間を通じて、全国一厳しいと公明党内で呼号されてきた兵庫選挙区は大激戦の末、前回より票を減らしながらも勝つことができた。党員、支持者の皆さんの涙ぐましい支援のお陰である。6年前の定数増で、前世紀以来の挑戦が再び出来る様になった。今回で3回目となる参院選は実に厳しい戦いの連続。尤も、苦しみ抜いたのはお互い様だ。連立政権下の相互支援の難しさが骨身に染みる。それにしても、維新の躍進は目を見張る。候補者自身の付加価値が大きいとはいえ、支援組織が殆ど見られないにも関わらず、浮動票を大きく集める力は脅威だ。この党の体質については兎角の噂がつきまとうものの、応援する層の思いは分かるような気がする。かつての公明党のお株を奪うような〝健全野党ぶり〟への期待であろう▲一方、立憲民主党の不振ぶりには、競い合った相手ながら驚く。実は私は選挙戦当初には同党候補を強敵と見ていた。市議、県議を経験し、二人の子育てをしているママさん候補は、我が陣営の候補にない強さを持つと見たのである。しかし、政見放送を聞いて驚いた。「あれもやります、これもやります」だけで、最大野党候補の政見にしては、重みや深みがなく、何より「挑戦者の物語」が窺えなかった。かつて「土井たか子」を生み出した「兵庫の革新層」は強かった。とはいえ、「立憲」と「共産」の選挙協力の影に怯えた者としては、えらそうなことは言えない。両党票を足してもこちらは未だ上だと、ほっと胸を撫で下ろすばかりだ。「強い野党よ、いでよ!」が、日本の政治を真に憂える人々の本音だろう。「安定」もいいけど、政権の価値が「低値安定」では嘆かわしい、と▲〝感情過多気味〟の結果分析になってしまった。ついでに、これからの日本政治、とりわけ連立政権への注文をつけたい。既に、私は「毎日プレミア」や「朝日論座」で主張したように、今日本が抱える課題について、まず自公両党が徹底的に議論して、それぞれの考え方を擦り合わせることが大事だと考える。選挙時には助け合っても、平時になると、それぞれが「自分の家に篭ってしまう」というのでは困る。「社会保障」で、「エネルギー」で、「経済政策」や「憲法」で、両党の方向性の違いを戦わせ、磨き上げて欲しい。これまでは、そうした議論が外に聞こえてこない。「平和安保法制」のケースは例外だったのか。その後は〝音無しの構え〟だ。選挙後、党首、幹事長の4者が顔合わせした際に、これから各種テーマで協議しようとの合意はなかった。私の耳には選挙戦を通じて「自公両党はこの国をどこへ持って行こうとしているのか?国家観、ビジョンが見えない」との、友人の声がこだましている。(2022-7-13 この項おわり)

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《49》安倍元首相の狙撃死に想うこと➖参院選を振り返って(上)/7-11

安倍晋三元首相の狙撃死から二日。参議院選挙が幕を閉じました。その結果に対する詳細な分析は後日に譲るとして、ここでは選挙戦を通じて私の個人的想いを中心に振り返ります。まず、安倍さんの死について。「日本を守る」ことに最も熱心だった同氏が、無惨にも白昼、公衆の面前で葬られ、自分を守れなかったのは、皮肉なことで、まことに残念なことでした。背景分析すれば、第一に警護についた奈良県警の杜撰な対応を挙げざるを得ません。背後がガラ空き状態だったことが各方面から指摘されていますが、あの日あの場所の様子を映像報道を通じて見るにつけ、後の祭りですが唖然とするのみです。前日、岡山での安倍氏の街頭演説に行こうとした犯人が、あまりの厳重な警戒でその中心地に近寄れなかったとされていることが、ことの真実を何よりも物語っています◆それにつけても、前日急遽同氏の街頭演説先を、長野県から奈良県に代えたことに対応の不備を招く原因がなかったかどうか。このような狙撃を可能にさせてしまった警備上の問題をまずしっかりと検証する必要があります。あの日の奈良県警の責任者3人は、薄ら笑いを浮かべたとさえ見られかねない、不謹慎さも漂う間の抜けた記者会見でした。一国の総理経験者をむざむざ殺さしめた警備担当の無念さが殆ど感じられない、お粗末な振る舞い姿だったと私は思います。加えて、今回の狙撃の動機が直接的には「安倍氏の政治思想、信条へのものでなかった」(犯人の弁)ことは重要です。某宗教団体から受けた家族の被害への恨みであり、その団体と深い関わりを持つ同氏を攻撃する対象に選んだ、との供述は聞き捨てなりません◆事件直後から、安倍氏の言論を封殺する行為は民主主義への挑戦であり、断じて容認できないとの主張が盛大に展開されていますが、いささか違和感を感じます。それは安倍氏の持つ裏の側面への反発で、表向きの日常的な政治信条へのものではなかったと見られることにあります。まだ全体像が詳らかになっていないので、詳述は避けますが、ある意味で、真正面からの言論封殺ではなく、余技としての彼の行動が偶々犯人の恨みを買ったことのようです。それだけに安倍氏周辺にとってはとりわけ無念さが込み上げてくるのではないか、と察せられます◆こう述べてきて、かつての会話が思い出されます。安倍氏と私の秘められた交流史です。私がある極右系団体の会合に出席して、発言を終え壇上から降りた際に、安倍氏とすれ違いました。その時に、彼が「赤松さん。公明党のあなたがこんな会合にきて大丈夫なんですか?」と、笑いを堪えつつ語りかけてきたのです。その時、わたしは「もちろん大丈夫です」と強がりを込めて言ったものの、その団体の持つ特殊性から判じて、誤解される向きがあろうことも胸中をよぎりました。安倍氏としては、私の党内的立場を慮っての忠告だったのでしょう。しかし、今から思えば、彼こそ、ご自分の関わる団体にまつわる誤解に十分注意する必要があったと思われます。今頃になってこうしたお互いの行動を巡る会話を思い起こしても、詮ないことでしょう。彼の私という友人への発言を通じて、その優しさを想います。その一方、非業の死を招く前に、私こそ注意をしてあげればよかったのに、と心から悔やまれます。(2022-7-11 つづく)

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《48》事前、事後の外交力と防衛力に磨きをーウクライナ戦争の100日(下)/6-10

 ウクライナ戦争の発端から100日。能天気そのものであった日本人の国防意識もようやく目覚めつつあるのだろうか。ロシアの東南に位置する隣国・日本として、かつての大戦終了間際に、ものの見事な〝火事場泥棒的侵略〟で北方領土を掠め取られた悪夢が蘇った。かの4島をいつの日か、交渉の末に取り返せると信じ続けてきた身の甘さを感じた人は少なくない。同時に、自国の都合でいつ何時襲いかかってくるかもしれないことも。一方、中国の台湾への武力侵攻も一気にリアル感が強まってきた。普通の日本人には「まさか」の意識が働く。あの台湾に戦端を開くか、と。それに比べると、尖閣諸島攻略はいとも簡単だ。しかも連日〝空き巣狙い〟のごとく見回りを繰り返す。ここで留意すべきは、露中両国が従来と変わった国になったわけではないことである。海を求めて隙あらば南下を繰り返してきたロシア。中華意識が強く、国境意識が弱い中国。専制主義国家が持つ本質的な国家悪。かつての日本も似たようなものだった。いやもっと酷かったかも。それを戦後180°変えたからといって、隣国も同じに見てしまう身勝手さ。〝我は変われど、人は変わらず〟を噛み締める時だ◆先日、陸海空の3自衛隊元幹部が一同に会してのテレビ番組(フジテレビ系「プライムニュース」)の結論場面で、今後に何を求めるかを司会者から問われて「真に戦える自衛隊」(海自)、「真に戦えるバランスある防衛力」(陸自)、「実効性の追求」(空自)と答えていたのが印象に残る。要するに現状では、「真に戦えない、バランスを欠いた、実効性なき軍隊」であるということを公然と認めたといえよう。以前から指摘され続けてきたように、自衛隊は訓練のための弾薬すら在庫を気にして節約をすることを余儀なくされてきた。さらにまた、防衛産業の暗澹たる前途なども明らかにされていた。日中の圧倒的な兵力の差は如何ともし難い。加えて、近い将来にまともな自衛隊員の確保すら疑問視されるような現実があるようにも思われる。こう見ると、戦後日本は平和を希求する意識は高まったが、周りも同じに見る愚を冒してきたという他ない◆これまで日本の防衛については、米ソ対決の狭間で、長い間非現実的な「一国平和主義」的考え方が邪魔をしてきた。公明党が政権の一翼を担うようになって、ようやく行動する「国際平和主義」の観点から、健全な形での防衛力論議が進むようになってきた。「平和安全法制」という名の、限定付きの集団的自衛権の行使も出来るようになった。だが、これらが現実の場面で、どう抑止力を現実に発揮するかどうかは未知数な点も多い。この辺りを普段から磨き上げていくことが大事だと思われるのだが、国会論議に一向にその気配はない◆法律が出来たあと一気に関心が薄れるのは今に始まったことではない。「安保法制」をより完全なものにするべくあらゆる思考を展開して不備を補う責務が与党にあり、それをチェックする役割が野党にあり、関心を持つのが国民有権者のはず。しかし、いずれも火は消え、6年ほどが経った。そこに起きた新たな事態である。公明党の山口代表が先般、日米同盟の役割分担をめぐっての議論を深めることの重要性や、周辺国家の武力行使に至らない環境醸成に向けての努力の大切さを強調した。また、防衛費の増額についての岸田首相の決意を重く受け止める旨の発言をして、金額の積み重ねを理解する発言も行った。従来のブレーキ役の色のみ濃かった側面からすると画期的なことである。野党時代の公明党ではない。紛争を〝事前に抑え込む〟不断の外交交渉といかなる事態にも耐えられるような国防力の強化。「平和の党」は、危うい隣国を〝事後も抑え込む〟力を持ってこそ存在意義がある。自公間で早急に徹底した議論を重ねた上で、適切な結論が出されることを期待したい。(2022-6-10)

※今回から1ヶ月休載します。

 

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《47》ロシアの暴挙の背後に斜陽化への屈辱感ーウクライナ戦争の100日から(上)/6-4

 

 〈この100日で世界は変わった。日本も77年前の夏以前の日々に戻りかねない。〉そんな思いが込み上げてくるなか、5月25日に日本ウクライナ研究協会の岡部芳彦会長(神戸学院大教授)から神戸・北野坂の異業種交流会の場で、戦争をめぐる話を聞いた。ウクライナへのロシアの侵略が始まった直後(2月25日)にも、この会に来て貰った。あれからちょうど3ヶ月。その間に日本だけでなく、ウクライナの新聞やテレビなどのメディアに登場すること67回という。数多のコメンテーターがいる中で、彼の発言が最も聞き応えがあり、信憑性が高いと思われる。というのも、この人は高校3年の時(1992年)に、初めてキーウ(キエフ)へ行っていらい、この30年の間、毎年訪れてきた(多い時で4回も)という。筋金入りの「ウクライナ通」だからだ。友人知人がかの国政府内にも多い◆1945年(昭和20年)生まれの私は、空爆を受けて逃げ惑ったことも、戦火を見たこともない。戦禍を強いて想像すれば、約20年前の阪神淡路大震災の時に、姫路から山を越え迂回して、神戸に入った際に目に飛び込んできたあの光景のようであろうか。長いトンネルを抜けると戦場だった、というほかないほど、そこは瓦礫だらけだった。そんな連想しか出来ない私が、テレビで見るウクライナの砲撃での住宅、ビルの破壊、火煙を見て不思議に思うことがある。惨劇の展開にも関わらず、ウクライナ全国土的には、普通の日常生活が続いていることだ。国外に避難せず残った住民はパニックに陥らず、淡々と防戦し、やり返し、押し返しているかに見えることは驚異という他ない。岡部さんにあえてそれを問うと、巨大な地震のあとに、余震が続いている様なものですとの答えであった。それにしても逞しい◆この戦争を起こしたプーチンを巡って、多くの民主主義国家から「ヒトラーの再来」との見立てを始め、それこそありとあらゆる非難や侮蔑の言葉が投げかけられている。弁護の余地など全くない。だが、なぜウクライナ侵略の選択を彼が取るに至ったかの心理背景については押さえておく必要があろう。「泥棒にも三分の理」といわれる様に、そのよって来る原因を把握しておかないと必ず火の粉は我が身にも降りかかってくる。それは、何か。一言でいえば、「国家、民族の受けた屈辱」に尽きる。ソ連崩壊後に、NATO諸国の東方拡大を巡って約束があったかなかったかは別にして、「NATO諸国がロシアの弱体化を利用して追い込んで行った」(ゴルバチョフ元大統領)ことは、その後の歴史が証明している。冷戦終了後のロシアの30年は、かつての「米ソ対決」の一方の旗頭の「栄光」は消え失せ、〝斜陽大国への道〟を転がり落ちる過程だった。元傘下の国々が次々とオセロゲームのように裏返る様子の不気味さは想像するに余りある◆20世紀の始め今から100年前の1922年に帝政ロシアは、ソ連になった。そして約70年後、他国との直接的な戦争の末にではなく、自壊した。その後の30年は屈辱の連続。今の状況を覆すことが出来るならと考えるのはそう難しくはない、と今頃になって思う。一方、その前身・清国が滅亡してちょうど110年。もっと直接的に自国の領土をあちこち野獣に食いちぎられるように奪われていった歴史を持つのが中国である。混乱と屈辱の30年余を経て社会主義国家に変身した、この国も建国以来70年余。臥薪嘗胆の末に今、軍事面でも経済的側面でも世界のトップの座に迫りつつある。指導者・習近平国家主席の口からはしばしば「中華民族の栄光」を取り返したいとの思いが発せられる。(2022-6-9  一部修正)

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《46》5月後半の動きを点描するー2022参院選❹/5-29

 5月も残りわずかとなりました。20日からの10日間の私の動きを点描します。

 ●地元有力者や姫路の女性友だちと懇談会

 20日夜は、同じ地域に住む友人(某テレビ会社勤務)Mさんと、明石市幹部Fさんの3人で懇談しました。2人は元同僚。Mさんとは私の明石移転いらいの繋がり。これで5度目の出会い。Fさんは私の顧問先だったS協会の仕事でお世話になった人ですが、会食は初めて。私の高校同期の仲間が彼らの職場の先輩だったこともあり、話題はそこら辺から。家庭内の問題、地域活性化などへと話は発展していきました。談佳境に入る中で、伊藤孝江さんの6年前の初出馬の際の応援話が飛び出し、驚きました。支援の輪は確実に広がっています。

 22日夜は、姫路と神戸に住む女友だち(前者は妻の、後者は私との)を我が家に呼び、ワンシーズン一回の恒例の懇談会を行いました。私の友人は体調不良で残念ながらドタキャン。結局4人で。話題は多岐に渡りましたが、中心は勿論「公明党論」。自公連立政権の安定力だけでなく、改革力との双方の強調が望ましいとの点で意見は一致。一方、姫路の「維新」の浸透ぶりが強調され、自公選挙協力の不確かさに懸念も出されました。

 24日昼は、某紙K記者と三宮で食事をしながら懇談。参院選の情勢を巡ってあれこれと。公明支持層の意気軒高さが目立つ、との他陣営の捉え方を聞く一方、世論調査では①維新②自民③立憲④公明の順位が動かぬことを改めて思い知らされました。2時からは県本部でOB議員の全国リモート会議。冒頭、山口代表から選挙に挑む政策実績強調点が示されました。激戦5選挙区、比例区代表からのアピールを聞く一方、太田OB会代表、井上同会副代表よりの現状分析と檄を。終了後、伊藤事務所の体制を但馬久美事務長中心に確認し合いました。

 夕刻は場所を移し、大阪・八尾市の知人K氏(84歳)からの市民相談を。中身は、奈良の古寺の継承をめぐる問題でした。その場で、問題の核心を捉えた上で、かねて昵懇の奈良県在住の自民党元代議士に連絡。応援を依頼したしだい。依頼者は喜んでくれました。どんなことでも悩んでいる人から相談を受けたら、真剣に対応する姿勢を明確に示せました。K氏とは10数年前に会っただけ。〝繋がり〟の重要さを相互に認識しました。

●顧問先の団体の委員会や恒例の異業種交流会に参加

 26日は朝に、私が顧問をするAKR 共栄会のHACCP 適合認定委員会の会議がリモートで行われました。食中毒や感染症などの弊害、事故を防ぐためのチェックをする試みです。私が委員長で、月一回関係者が集まって、進捗状況の確認や課題の点検を行っています。この日も担当各者から様々な報告があり、意見交換がされていきました。とくに、兵庫の小売市場の現状と状況説明があり、近く私も現地に行くことにした次第です。

 28日夜は三宮・北野坂での恒例の異業種交流会。ちょうどこの日は記念すべき開催100回目に当たっていました。私が議員引退後の2013年秋から友人K氏の発案で始めることに。私も共催者として、毎回1人は新しい友人を誘って参加することにしてきました。3年前の参議院選挙時には全国のOB議員の前で、この試みのもたらす効用について語り、好評を博したものでした。300人ほどにもなる新たな友人ができたことになります。

 この日も新しい友1人と共に出席しました。前知事の井戸敏三氏や、日本ウクライナ友好協会の会長の岡部芳彦神戸学院大教授、明石の経済界の有力者、地元紙の新聞記者ら8人が参加。ウクライナ戦争の現状と今後の展開予測を岡部さんから聞いたのちに、我々のとるべき態度などについて、意見交換をしました。(2022-5-29)

 

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《45》GW後の行動を点描するー2022参院選❸/5-20

 GWも過ぎてはや10日。飛び行く日々を惜しみながら、西に東に転戦する一方、遠来の友を迎え楽しみながらの共戦も。以下に、15日から19日までの私の動きの点描を報告します。

●自民党代議士の出版記念講演会や高校同期会などへ

 15日の日曜日の午後。自民党の地元選出代議士の明石市民会館での出版記念の講演会に行きました。その本とは『コロナとの死闘』。コロナ禍が少し収まってきた観を反映して、会場はほぼ満席。コロナ禍での苦労談の中で、メディアからあれこれと叩かれたとの話が強く印象に。また、日米経済事情比較が強烈な記憶に残りました。IT企業への大卒初任年棒が日本円で3000万〜5000万円というのです。日本の場合はせいぜい300万〜500万円でしょうからほぼ10倍。「私の今の年棒より遥かに多い」と。これは確かに衝撃。だが、極めて特殊なケースの比較。それ以外の職業ではそこまで大きくないとは思いますが、それにしても驚く経済格差です。

 このあと、彼は「ウクライナ戦争」を通じて、日本に求められる姿勢とは❶自前の防衛力増強❷同盟関係強化❸国連改革➖と指摘。このうち❸は時間がかかる故、❶と❷の早急な追求が必要と力説していました。その上で、①自衛隊の憲法上の位置付け明記を始めとする、自民党の求める憲法改正4項目(他に②緊急事態条項の明記③参議院の合区解消④教育の無償化明記➖を強調したのです。彼の演説の印象として、政治が極めて閉塞感に満ちており、希望が持てない状況にあることを痛感しました。整理された聴きやすい演説ではあったものの、一歩立ち入ると、自民党の実力者なら、もっと明るい展望と夢を持てる話を、と思ったしだいです。

 16日は午後から三宮で、恒例の月一回の高校同期の仲間が集う十六夜会。兵庫県下各地から9人ほどが集まりました。数年ぶりに顔を見せたA君が過去に大病を患ったことや、N君が闘病中であることから、話題は自ずと〝病と健康〟に。医師のI君からのアドバイスや体験談に集中しました。私は先日、福岡に参議院支援に行った際に、訪ねたその地の仲間の消息を伝えました。毎回選挙のたびに公明党支援を頼んでおり、受けてくれてきた仲間。候補者伊藤孝江の人となりをさりげなく話すことで十分に意思は通じることを確信しました。

 夕刻、皆と別れたその場で、東京・大田区から支援に来てくれたK君と合流。彼とは初対面ながら、親父さんが私の旧知の先輩で、同区の元区議ともあって、一気に話は弾みました。彼との懇談時間は姫路、神戸、西宮と縁者との出会いを重ね、夜には友人と会うとの狭間の僅かなひとときでしたが、極めて刺激あふれる会話ができました。というのも彼は某政府機関で仕事をしており、内外の情勢に極めて高度な知見を持つ40歳半ばの逸材だからです。共通の知人(学者、研究者)の話題も含め、これからの日本、世界の展望と我々の役割についても意見交換ができ、有意義でした。「後生畏るべし」を実感し、爺さん世代も頑張ろうと決意しました。

●顧問先の年次総会出席や遠来の友と共戦

 18日は午後2時から、私が顧問を務めるAKR共栄会の年次総会が大阪・梅田で。コロナ禍のためこの2年はリアルでは開けず、久しぶりに顔を合わせました。以前より疎遠になっていて、その後の変化にも気付かないという失礼を詫びる場面もあり、大いなる反省をも。参加者は小売市場の経営者とそこへの卸売業者が中心。私の顧問挨拶では、「77年の興亡」についての若干の導入部しか触れられませんでしたが、休憩時間や終了後に、参院選兵庫選挙区の危急存亡の事態を訴え、尽力をお願いしたしだいです。手応え十分に満足しました。

 同夜は、埼玉・行田市から応援に来てくれた中野区時代以来のO後輩夫妻と西明石で会食懇談。神戸市内から明石市内へと、友人知人宅を回って来てくれた報告を聞きながら、種々意見交換を。彼らは日頃から私のHPを丁寧に読んでくれており、呆れるほど。ついこれからの出版の夢まで語ってしまう楽しい夜となりました。

 翌19日はO夫妻と早朝から、西明石の松江海岸を散策。海のない県に住む2人とあって、束の間の〝海遊び〟に大喜びしてくれたのは当方も嬉しいかぎり。午前中に淡路市志筑のF歯科医院を彼らが訪ねるのに同行しました。双方の夫人同士が女子高の同窓生という縁でしたが、大いに話が弾むかけがえのないひとときに立ち会えました。帰りには私がかつて携わった一般社団法人仲間の務めるWホテルに立ち寄り、総支配人たちに共に支援依頼を。ついで淡路西海岸の若者で賑わう人気カフェへ。海を眺めつつ美味いしらす丼を頂き、リゾート気分をほんのちょっぴり味わいました。(2022-5-20)

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《44》核シェアではない道を探す糸口は自公協議から(下)/5-17

 先に述べた兼原の議論展開で、見落とされてはならないのは、「こういう抑止の議論が世論との関係で難しいことはよく分かります。そこは有能な政治家に捌いてもらわないといけないですね」と、しっかりフォローする発言を付け加え、「残念ですが、こういう抑止の具体的な方法については、考えなかったのが日本なんです」と結論づけている。ここにこの本の言いたいことも出ていて、遅ればせながらも、「核抑止の議論を同一テーブルで始めよう」というものである。一方、これに対抗する立場の側には乗るつもりはないかに見える。総合雑誌『世界』が最新号で「核軍縮」特集を組んでいるが、ものの見事に「核抑止」論など無視している。中満泉国連事務次長は、結論部分で「抑止論を超えて、人間を中心とした安全保障のあり方を、新しい視点で作り上げられる多様な人材が、核廃絶へのプロセスを再構築すべき現在、必要とされている」と強調。川崎哲氏(核兵器廃絶国際キャンペーン国際運営委員)も「国家間の議論を通じた外交的解決の余地は高まる。条約など無力だと、刹那的になって武力依存に突き進めば、その先には破滅しかない。この正念場で、私たちの理性と倫理が問われている」と力説し、兼原提案などどこ吹く風である★リアルな問題提起で苦しめられた、かの太田昌克氏はどうかというと、「この戦争の終わり方次第では、核をめぐる国際秩序はいっそうの混沌状態へと陥るだろう。とにかく現下の情勢では、ウクライナとその周辺での核使用をあらゆる手段を講じて食い止め、『核のタブー』を永続させなくてはならない」と、悲鳴をあげてるに近い。これではことの進展は到底望めない。では、政治の分野ではどうか。「ウクライナ戦争」勃発以降、喧しい様相になってきてるのは「核シェア」構想の議論である。「核の傘」と「核のシェア」のどちらが抑止力の発揮にとって有効なものかどうか➖精密な議論など全く関係なしに、イメージの新しさと、NATO における先例から、日本も、との空気が一部勢力から出てきている。NPT(核拡散防止条約)体制の下で、米国が日本との間で「核のシェア」をするというのは、相合い傘を捨てて雨ガッパに変えるようなものではない。これまでの核をめぐる軍縮への枠組みの根底を覆すような大きな変化を伴う。これには到底「核軍縮・廃絶」論者は乗れようはずもない★ではどうするか。ロシアの挑発を前に、日本の対応を議論するのは、「泥縄」の域を出ないと言えるが、何もせずに傍観したり、慌てて極端な行動に走るよりはましだろう。ここで最も大事だと思われるのは、異論のぶつけ合いである。同じ論調の慰め合いよりも、違う立場の議論のせめぎ合いを聞きたい。それには一番手っ取り早いのは、与党内自公間協議である。簡単に言うと、保守の旗手・自民党は、リアルな政治選択を基本にしてきた。一方公明党は「平和」を党是としてきた理想追求の政党である。「安保・防衛」には慎重なスタンスできた。「ウクライナ」事態をどうするかで、両党間の徹底討論が待望される。「安定」のために、真摯な議論を棚上げすることは許されないはずだ★あの「安保法制」論議で、自公間での密室協議がなされて、結果として「集団的自衛権」の部分的行使が陽の目を見た。私はそれは大いなる知恵の発揮だったと、論議の非公開には反発を抱きながらも、認める立場である。「ウクライナ」を前に、核兵器を始めとする日本の対応を政権与党同士で、真っ当な議論を開始すること。全てはそこから始まると私は確信する。(2022-5-17  この項終わり)

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《43》プーチンの「核」の挑発の背後に浮かぶ地獄の選択(上)/5-13

 ロシアのさる9日の「対独戦勝記念日」におけるプーチンの演説が注目されていた。「唯一の正しい決断だった」と述べ、全体的な印象としては、対ウクライナ戦争の戦果を誇るわけでもなく、犠牲者への追悼など、むしろ弁明に聞こえる内容だったように思われる。ただ、東部から南部にかけて侵略の結果として、略奪した地域の既成事実化を狙う一方、戦争決着を急ぐなかでの核兵器使用が一層懸念されていることに変わりはない。そんな状況下に、私はつい先ほど、『核兵器について、本音で話そう』を読んだ。ここでは、「核廃絶」の理想追求に立つ、共同通信社の太田昌克編集委員に対して、「核抑止」に立脚する兼原信克元国家安全保障局次長、高見澤将林元軍縮会議日本政府代表部大使、番匠幸一郎元陸上自衛隊西部方面総監の1対3というリアル派優勢の議論だった。ここから、改めて『核兵器』の現在と揺らぐ国際秩序の行く末を考えてみたい★ここでの議論の最大の読みどころは、兼原が戦術核の話について、「『お互いに怖いから撃たない』へ持っていくための議論だと思います。軍事力一般にそうですが、戦いを始めないために万全の準備をするということです。構えていないから戦争が始まってしまう」と述べたところである。それに対して、太田が「その論理は分かるのですが、そういう局面に持っていかないような他の努力、外交戦略があってしかるべきではないか。なぜそこまで究極のシナリオを考えてそこまで突き進んでしまうのでしょうか」と言い返す。ーこの対論は、戦争をめぐる従来の二つの立場がくっきりと現れている。ここで、太田はもう一歩進めて、「構えていても戦争は起こりますよ」というべきだった。言わなかったから、兼原に「それは逆だと思います。最悪の究極シナリオを考えて、その地獄が見えるから、小競り合いの段階からやめようというのが、核抑止の議論です。柔軟反応戦略も、小競り合いがエスカレーションの階段を上ることになり、最後に核の応酬につながるから、最初から喧嘩はやめようという考え方です」と突っ込まれてしまう。で、太田は「そこはそうかもしれませんが‥‥」と、あっさり兜を脱ぐ★今ウクライナの情勢は、紛れもなく「小競り合い」であり、「エスカレーションの階段を上りつつある。兼原のここでの言い振りは見事に破綻している。私は、この場面は、一番若い太田が、多勢に無勢の状況下で、不本意ながら屈したと見る。ことここに至るまでの「外交戦略の欠如」として、西側の「ロシア追い込み」の失敗もあり、ことここに至っては、後の祭り以外の何ものでもないのだが‥‥。戦後77年の日本から見た、究極のテーマとしての「核」の国際政治の現実は、力には力で強者が弱者を抑え込むか、話し合いの外交展開で平和構築に向かうか、に帰着すると言えよう★今、国連常任理事国の一角を占めてきたロシアによって、これまで国際社会が営々として築いてきたと錯覚してきた国際秩序が、積み木崩しのように壊された。そして、もう一つの常任理事国の中国が虎視眈々と主導権取りを窺っていると見える。民主主義国家群対専制主義国家グループの地獄の選択が現実化しようとしているのだ。かつて20世紀始めにイギリスを始めとする欧米日に陵辱され辱めを受けた中国の復権と、20世紀後半に自ら帝国の崩壊を余儀なくされたあと、NATO 諸国に追い上げられ昔日の面影なく、風前の灯火であるロシアの復活の「復讐のタッグマッチ」といえようか。さて、ここからどうするか。(敬称略 2022-5-13一部修正 以下続く)

 

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