安倍晋三元首相の「49日忌」も過ぎ、様々な媒体でその業績への評価が展開されている。その中で、私が興味深く思うのは、「安倍晋三とは『保守的政治家』であったのか?」との視点で論じられている論考が散見されることである。まず、京都大名誉教授の佐伯啓思氏は『中央公論』9月号の論考で、「安倍氏は、考えられる最大限の仕事をし」、「ゆるぎない決意を持っていた」が、「ただそれを『保守』と呼ぶのは難しい」し、「最上の意味で現実的(リアリスティック)で実践的(プラグマティック)な政治家だった」(「保守の矛盾を体現した政治家」)と述べている▼他方、政治学者の御厨貴氏は、「改憲を巡って発言が紆余曲折した」り、「戦後70年談話のように、イデオロギーより現実を重視する姿勢も明らかだ」ったとして、「本当に保守なのか」と疑問を投げかけている(毎日新聞8-16付夕刊特集ワイド)。これらは、安倍氏の思想そのものは、「保守」だが、行動として現れたものは違うとする点で共通する。そして更に、安倍氏の再登板以降の政権のパートナーであった公明党の役割を、何故か見逃していることでも酷似している。「中道」にこだわる私は、そこに強い不満と疑念を抱く▼この議論を進める上で、極めて示唆に富むのが、太田昭宏公明党前代表の「社会保障大きく前進」との見出しでの『安倍政治を考える」(毎日新聞8-23付)である。太田氏は、政権運営の中で安倍氏が「我々の声を聞いて、社会保障を従来の目線とは違う『全世代型社会保障』にする決断」をしたり、「高齢者中心だった社会保障を、子育てや、学生の支援、認知症やがん対策、さらには就職氷河期世代支援にまで拡大した」と高い評価をくだす。その上で、「(安倍氏は)右寄りと言われたが、実際にやってきたことを見れば、現実を直視して解を見いだすリアリストだった」とする▼公明党の立ち位置に依拠しつつ、抑制を効かせた太田氏の主張は味わい深い。これを私風に言い換えると、保守と中道の連立政権(〝ハイブリッド政権〟)のなせるわざということになる。佐伯、御厨両氏は、この安倍自公政権の本質的な部分を知ってか知らずか見落とした結果が、先に見たような安倍=保守的政治家への疑問につながる見立てなのである。「安倍保守的政治の変質」というように見えるものは、実は「中道的政治の転換」とでもいうべきものと、裏表の関係である。保守とは何か、中道とは何なのかとの「そもそも論」を棚上げすると分かりづらい。〝自公混合政治〟のしわざにまで立ち至って解説する論者は、残念ながらあまり見られない。公明党の存在感が薄いことを私が嘆く由縁でもある。(2022-8-29)
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【61】「山の日(8-11)」に寄せて、を書いた波紋/8-21
さる8月11日は「山の日」。その日に、私は朝日新聞Webサイト『論座』欄に寄稿した。過去2回、同欄には、自公連立政権への注文などを書いてきた。一転、日本の森林行政について、あれこれと論及した。私自身、この20年余り、一般財団法人『日本熊森協会』と公益財団法人『奥山保全トラスト』に関わってきた経緯もあり、仲間達の顔を思い浮かべながら書いた。とりわけ9日には岡山県と兵庫、鳥取県の県境にある若林原生林(天然林)を視察してきた。多くの友人たちも読んでくれてコメントをくれた。ここではそれに触れてみたい◆日本の森林については、建設資材としての木材が商業ベースに見合うかどうかが最大のポイントであった。戦後の自民党政治がそこを見誤ったがゆえに、放置人工林の山を生み出すに至った。こう確信して疑わない私は、この論考でも殆ど木材資源の活用に意を注がなかった。しかし、赤穂に住むO氏はウクライナ、円安による経済情勢の変化で、林業活性化が仄見えているという。放置された針葉樹林のエネルギー源への転用と合わせ、知恵を出すべきだ、と。環境譲与税の活用に腐心する地方自治体もそこが関心事。肝心要が手薄だったこと自省する◆この論考では、熊を代表とする大型野生動物が、森林が荒廃するのと比例して、人里に出没して市民生活をも脅かしていることにも、あまり触れなかった。いい過ぎることはかえってことの本質を見間違わせると思ったからだが、もっと触れるべきとの声があった。実は、先日、NHK総合テレビで、野生動物と人間の共存について示唆に富んだ特集をしていた。山あいの現場では、人間の無知ゆえの、もぐらたたき的対処で、被害が防げていない。これについては、書きそびれた。残念だった◆野生動物と森の問題を持ち出すたびに、「人間と動物のどっちが大事なのか」と、反論されてきた。公明党の人間でさえ、人間が大事だと言って憚らない人が多い。私はその都度、どっちも大事だといい、過ちの根源は、「人間主義」と「人間中心主義」の混同だと思ってきた。真の「人間主義」とは、生きとし生けるもの全てを慈しむものだ。それに比し、「人間中心主義」は、動物や生物といった自然を人間と対置させ、自然の搾取はやむを得ないとする。ここが最大の問題であろう。いっそ、「人間主義」といわずに、「生物主義」とした方がいいかもしれないと、今は考えている。(2022-8-21)
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【60】日本の真の独立と世界の平和を熱望する─77年目の「敗戦の日」に/8-15
きょう、77回目の敗戰の日(終戦記念日)を迎えた。今年冒頭に(厳密にいうと昨年末)、私が『77年の興亡➖価値観の対立を追って』を出版してから、7ヶ月余りが経つ。なぜ「77年の興亡」にこだわるか。その理由は2つ。日本近代化の始まり、明治維新から数えて77年目に、アジア太平洋を舞台にした「15年戦争」を戦って日本が敗れたことがひとつ。もう一つは、そこを起点にさらに77年、経済の復興を経たものの、今や〝失われた30年〟と称される停滞期に陥いり、まさに〝今再びの敗戰〟気分にならざるを得ないからである。前の77年は近代化を目指し「西欧対日本」の戦いの末。後の77年は民主化のもとでの「保革(リベラル)」の争いと見立てた。77年のサイクルで、〝二度目の敗戦。〟を迎えている原因を探り、これからを展望した★その際に、後半に登場した中道主義の党・公明党の闘いに焦点を絞った点が、特徴的である。「大衆福祉」と「世界平和」を二枚看板にした党が、結党60年を迎える今年、どういう立ち位置にいるのかを私なりに描いてみた。ひとことずつ、要約すると、「『格差拡大』に喘ぐ大衆の救済未だならず」と、「国際社会は第三次世界大戦への風雲止まず」であろう。内外の事態は共に急激に悪化している。「自公連立20年」に、時代が直面する大状況は、かつて公明党が船出した時に比べて良くなっているとは言い難いのだ★この現状をどう見るか。いや、どうするのか。政権に公明党が加わっているからには、自民党のなすがままであってはいいはずがない。ここは、政権の改革に向けて、自公協議を推し進め、大いなる政権ビジョンを打ち出せというのが、私の主張である。既に朝日新聞Webサイト『論座』と、毎日新聞Webサイト『政治プレミア』に書いた(共に、この欄に転載済み)通りである。安倍晋三元首相の狙撃死いらい、「旧統一教会」と政治家の関係が取り沙汰されているが、与野党共に早急に自浄作用を示す必要がある。内外の重要政治課題解決がこれによって、先送りや棚上げにされては断じてならない★77年目の敗戦の日に、私たち日本人は改めて大いなる岐路に立っていると、自覚する。それは、「世界平和」確立に向けて強い意志を示すか、状況に追従してズルズルと戦争への道にのめり込むかの分かれ道である。ロシアとウクライナの戦争長期化が確実視される一方で、北東アジアでの〝新たな戦火〟が強く懸念されている。こういう時にこそ、仏教に淵源を持つ「中道主義」の真価が発揮されるべきである。それは対立する両勢力の狭間にあって、平和確立への話し合いの交渉に徹して動くことではないか。そう自民党を、外交当局を督促すべきだ。それが出来ず、米国陣営の中で切歯扼腕するだけの日本なら、結局は米国占領下7年プラス70年の継続であったという他ない。最初の77年サイクルの始まりの頃、慶應義塾の創始者・福澤諭吉先生は日本の独立の行く末を憂えた。2度目のサイクルが始まった頃、創価大創立者・池田大作先生は「世界平和」に向けての強い意志と行動を示された。次なる77年、三たびめのサイクルに向かって、この2人の先達の思いに強い共鳴を抱く。(2022-8-15)
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【59】野党を巻き込む「部分連合」も──毎日新聞Web『政治プレミア』への寄稿から❹/8-10
さて、これからの3年で、これらのビジョン策定を進めることが出来れば、自公政権の質的安定感は飛躍的に高まります。テーマによっては、最終合意は棚上げにして、目指す理想の形と当面の現実対応とに分けることでもでもいいかもしれません。同時に、この作業は密室でなく、少なくとも協議後は議論の中身は公開すべきです。そうすることで、野党の中から「是」とする動きが健在化して、新たな展開を生み出すやもしれません(希望的観測ですが)。そこは硬直化した姿勢ではなく、柔軟な対応が求められると思われます。
大胆に言えば、テーマによっては、2党間合意でなく、野党も入れて、3党、4党間の一致を見ることがあってもいいし、さらには組む相手を変えての2党でもいいかもしれません(これまた希望的観測ですが)。パーシャル(部分)連合による連立政権も、日本の前進のためなら厭わないといった新しい時代の連立政権のあり方も期待されると思うのです。
連立のパートナーとしての公明党は、自民党との協議を進める一方、党内での活発な議論が当然ながら必要です。できれば、当選回数別の議論や、年代別、男女別の議論も面白いと思います。あるいは現役とOBとの新旧論戦もあっていいかもしれません(現役側に嫌がられるでしょうが)。自民党もこれまで公明党との連立のあり方を問う動きは全く見えてきませんでした。公明党も表にはそういう議論は聞こえてきません。両党共に、「自公連立は当たり前」という態度では、量的安定は望めても質的安定は難しいと思われます。
さらにその党内議論をオープンにして欲しいものです。日本で、日刊の機関紙を持っているのは、公明党ともう一党だけです。民主主義を掲げる政党なら、日常的に党内で対立するテーマの論争を紙上で掲載すれば、世の注目を浴びるのは必至と思います。そんな百花繚乱(りょうらん)ぶりに議論が公開されたら、日本中で話題になること請け合いです。そういう展開があれば、「比例票増」に悩むことなどない、と私は思うのですが、これまた楽観的に過ぎましょうか。
本サイト「政治プレミア」で、「時代の転機に国民的大論争を起こそう」と、呼びかけさせていただいたのは、今年2月でした。真夏の参院選に「勝利」した自公政権が「黄金の3年」に挑む今がその時。これを「真夏の夜の夢」には終わらせたくないのです。(2022-8-10 この項終わり)
※これは、毎日新聞Webサイト『政治プレミア』欄8-1付けに掲載されたものを4回に分けて、転載しました。
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【58】外交・防衛・原発で微妙な食い違い➖毎日Web『政治プレミア』への寄稿から❸/8-8
●国際平和を築く確たるビジョンを
次に安全保障について。「戦争巻き込まれ論」と「日本平和ボケ論」といった常套句に代表される左右の確執が、日本の戦後77年の防衛論議の実態でした。
そこへロシア・プーチン大統領によるウクライナ侵攻が勃発しました。〝ウクライナ支援〟に当たる欧米各国と、ロシアの側に立つ中国などとの深刻な対立を生み出しているのです。国際秩序は、米ソ対決の冷戦、米国一極化の新冷戦時代を経て、米欧・中露対決、つまり民主主義国家群と専制主義国家グループとの対決の様相を強めてきています。
そうした国際情勢の中で、日本はどう振る舞うか。日米安保条約体制の強化において、自公与党間の意志は堅固であっても、中国をめぐるスタンスは〝微妙に〟違います。本来、公明党は、軍事力でなく、話し合いによる外交の展開で平和を勝ち取ることが基本姿勢です。「地球民族主義」に依拠してきた公明党の国際認識は〝善隣友好〟であり、どの国であれ、敵視しないことが基本です。「中国」更に「台湾」をめぐって、自公両党内にも様々な立場があります。これらを調整し、これからの世界をどう作り上げていくか。さらに、いわゆる「敵基地攻撃能力」の保持についても、防衛費のありようについても、いささかの違いがあるように見受けられます。この辺りも、しっかりと議論がなされる必要があります。
ともあれ、日本が分断から破綻へと向かわぬように、国際平和を築く確たるビジョン形成に自公両党が協調することです。元内閣官房副長官補(国家安全保障局次長兼務)の兼原信克氏が、これまで『現実主義者のための安全保障のリアル』(2021)などの一連の著作で、アンリアルな〝政治家の安全保障観〟を嘆き、〝目覚め〟をけしかけてきています。そろそろ議員の皆さんも答えを出さねば、〝政官知的格差〟が恥ずかしいとおうものです。
●「原発」をめぐる複雑な様相
更にエネルギーについても。ウクライナ情勢で、電力の逼迫が急を告げ、石油、天然ガス価格の急上昇が庶民生活を直撃。エネルギー保障の問題が一段と切迫を強めてきています。東日本大震災での「福島第一原発」事故以来、水力、太陽光、風力などの自然エネルギーへの期待が、温暖化防止へのカーボンニュートラルの動きと共に高まってきていますが、それぞれ課題は山積していて、ことは深刻です。
解決は難しくないという向きは、「原発再稼動」を主張します。安全に留意して稼働させ、大震災以前の姿に戻せばことは解決するというのです。一方、伝統的なこの考え方はもはや許されず、自然エネルギーに重点を移す新しい行き方にチェンジするしかないとの主張があります。両党内にも種々の考え方の違いがあり、これはまた、世界の経済発展にまつわる国家間対立とも絡み合った複雑な様相を呈してきているのです。
日本原子力研究所を経て、留学後に作家になり、小説『首都汚染』(2020)で、今日のコロナ禍を予測した高嶋哲夫氏は、今『EV』(2021)で、近未来の世界をリアルに描いてみせています。更に一連の論考での、多彩な原子力の活用やら、水素社会への示唆も注目されます。こうした民間の知恵も生かして、両党は、エネルギー保障の未来像作成に総力をあげて取り組むべきでしょう。そこから生まれるビジョンを待望する声は極めて大きいのです。
今、三つのテーマを軸に、日本のビジョンを作る場を与党内で持って、検討して欲しい旨を述べてきました。そこで重大な忘れ物があるとのご指摘を受けそうです。そう、憲法です。これはあえて外しました。ここから始めると、まとまるものもまとまらなくなる可能性があります。このテーマではある意味で、両党間での論点は整理され、違いも明瞭になっていると私は思います。
衆議院憲法調査会、同審査会に長く籍をおいてきた私は、自民党議員の皆さんと議論をしてきました。その一つの結果として、「自衛隊の憲法上明記」ということが、自民党の「改憲4項目」に挙げられてきたと、私は理解しています。この辺りは、無念極まりない死を遂げられた安倍晋三元首相の胸中深くに思いを致す程度にしておきましょう。(2022-8-8 つづく)
※この原稿は毎日新聞Webサイト『政治プレミア』(8-1付け)欄に寄稿したものを転載しました。
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【57】「保障3分野」で与党協議を➖毎日Web『政治プレミア』への寄稿から❷/8-6
選挙後7月19日に岸田文雄、山口那津男の両党首は、既に結んでいる政権合意に基づいて、結束して課題解決に当たろうとの確認をしたとの報道に接しました。公明新聞には、「核廃絶へ、国際会議をリード」と、ありました。8月に国連で核拡散防止条約(NPT)再検討会議があり、そこに岸田首相は出席します。それに対して、エールを送ったわけで、選挙後の政権にとって、いい滑り出しが出来ました。ですが、まず早急に求められるのは、政策レベルのことは当然として、国家としての骨太のビジョンを、政権与党が一緒になってまとめ上げることではないでしょうか。
そんなこと、今更といわれるかも知れません。しかし、先ほど述べましたように、今日本は大きな岐路に立っています。気候変動による〝予測される地球の危機〟にどう立ち向かうか。まさに、その時に未曾有の疫病・新型コロナウイルス禍に襲われ、財政難は天井知らず、社会保障のありようが根底から問われています。しかも、ロシアのウクライナ侵攻という国際政治のこれまで続いた枠組みを揺るがす事態で、一国の安全保障も従来的対応では済まなくなってきているのです。
社会保障、安全保障、エネルギー保障、少なくともこれら国家の根幹をなす3分野では、与野党で共通するビジョンが確立されていないとなりません。しかし、正直なところ、この分野でさえ自公両党間の腹構えが一致しているようには見えないのです。
まずは社会保障から見ましょう。世界で最も早いスピードで少子高齢化が進む「人口減少社会・日本」にあって、安心して暮らせるビジョンが提示されているのでしょうか。年金、医療、介護といった社会保障分野の費用が増える一方で、格差や貧困がどんどんと顕在化しています。いわゆる「アベノミクス」が、一時しのぎ的には効果があったと見る向きもあるものの、将来世代に負担を課す財政の負担の基本に何らの変化も起きていません。
岸田首相は「新しい資本主義」を掲げ、事態変革に意欲を見せているものの、その発想たるや〝分配は経済成長〟で、との従来路線のままなのです。気鋭の経済学者・斎藤幸平氏が『人新世の「資本論」』(2020)で、「脱成長」を掲げ、古い世代の「成長一本やり」に疑問を投げかけ挑発しても、国会や論壇の動きは鈍いままです。首相の対応は、斎藤氏の問題提起を「新しい社会主義」の提唱と曲解したゆえか、と錯覚さえしてしまいそうです。
社会保障分野の課題解決では、消費税をどうするかが常にネックになり、財政の根源的なありようについての議論はなおざりになってきました。ベーシック・インカムやベーシック・サービスの導入などを含む根源的な財政論議を経たうえでの、日本の未来社会へのビジョン策定が強く望まれます。(8-6 つづく)
※これは、さる8-1に毎日新聞Web有料サイト『政治プレミア』に掲載されました私の『「連立政権は当たり前」か』の寄稿を転載したものです。
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【56】「自公連立政権は当たり前」か➖毎日Web『政治プレミア』への寄稿から❶/8-5
昨年の衆院選につづき、7月10日に終わった参院選で、これからの3年間は、国政選挙がない、といった〝甘い見通し〟が専らです。「黄金の3年」とかの触れ込みで、この期間に懸案に取り組めるというのが額面通りの受け止め方でしょう。しかし、一寸先は闇と言われる政治の世界で、そううまくいくかどうか。仮にそうした時間が流れたとしても、国会議員の皆さんが無為に過ごす結果となり、結局は全て〝先送り〟の羽目になったら、もう目も当てられません。ここではそうならぬようにと期待して、この3年に「政治」(自公与党中心)に取り組んで欲しい事柄について、論及してみます。
★国家ビジョンを定め、質量共に充実した「安定改革政権」を
拙著『77年の興亡──価値観の対立をめぐって』で取り上げましたように、今年2022年は、先のアジア太平洋戦争の敗戦から77年、明治維新からはちょうどその倍の154年の歳月が流れました。二つの77年のサイクルの前半で日本は、「西洋」的なるものとの価値観の対立のもと、近代化に奔走し、軍事力の拡大に取り組み、やがて一国滅亡の危機といった辛酸を舐めるに至りました。次いで、後半の77年は、保守と革新・リベラルとの対立のもと、民主主義受容に汗をかき、経済力の向上に躍起となりました。その挙句、バブル絶頂から崩壊と変転し、「失われた30年」の末に、GDPで中国の後塵を拝す一方、コロナ禍とウクライナ戦争による未曾有の混乱を迎えるに至り、今後の国運の行く末が懸念されています。
確かに、この一年の二つの選挙で、自公連立政権は「勝利」しました。ここでいう「勝利」は、衆参両院で安定多数の議席を確保したという意味です。やろうと思えば、「憲法改正」の発議も出来るだけの、議席を得たのです。私が初めて記者として国会を取材し始めた1969年(昭和44年)頃は、佐藤栄作首相時代で、それなりに安定した自民党単独政権でした。いらい50有余年。今は自公連立政権が20年を超えて続いています。
議席において大なる自民党は日本の伝統的保守の源流を受け継ぎ、小なる公明党は、仏教に淵源を持ち、大衆救済を旗印に結党されて60年近い中道主義の政党です。連立政治の強みは、為政者の目線が異種に及んで、複合的だということでしょう。ということは、量的だけでなく、質的にも安定した政権になる可能性を本来持っているはずです。民主党政権の3年を経て、日本の政治は不安定な状態が危惧されていました。この数年、公明党が選挙のたびに、「安定」を強調するのを見聞きするにつけ、その都度、私は「安定」は自民党に任せて、公明党は「改革」を叫ばねば、と思い続けてきたものです。
しかし、ようやく日本の政治は、与党が数量的には「安定」しました。もう憚ることなく「改革」を叫んでいいという風に、皮肉を込めつつ思います。いや、少なくともこの3年は質的にも安定した「政治」になったと、大向こうから評価される闘いがなされねばなりません。恐らくこの期間は、この2回の選挙で気を吐く結果を出してきた、野党・日本維新の会の動きが注目されましょう。「しがらみにとらわれず、身を切る改革」を呼号してきた同党は「是々非々」対応で与党に挑んでくるはず。ならば、「是」部分を取り込めるよう、党派性に傾斜し過ぎぬ大きな見地で、「共闘」すべきだと、私は思います。
「共闘」とは何か。日本が直面する重要課題に向けて合意形成をする闘いです。そのためには、まず与党間で早急に徹底して協議する場を持たねばならないと思うのです。(2022-8-5 つづく)
※これは、私が毎日新聞Web『政治プレミア』欄(8-1付け)に寄稿したもの(『「自公連立は当たり前」か』)を転載しました。
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【55】確たる国家像が見えないとの「連立政権」への不満——朝日web『論座』への寄稿から④/7-31
参院選が終わるまでの間、これから3年は大きな国政選挙のない平穏な時期が続く、という見方が専らだった。政界関係者の希望的観測だろう。安倍元首相という隠然とした実力者の死がこれからどれだけ影響をもたらすか計り知れない。国民の間には、選挙の有無よりも、これからの日本の進む道をどう切り開いていくのか、政党、政治家の動き、とりわけ自公連立政権に望むところはあまりにも大きいのである。
この数年間というもの、選挙のたびごとに、私が友人たちから「自公政権はこの国をどこに導こうとしているのか、よく分からない。両党に確たる一致したビジョンが見えないではないか」という疑問を聞かされた。自民党には保守独自の国家観があろうし、公明党には支持母体の思想に基盤を持つ中道政治像がうかがえる。それは分かる。だが、成り立ちの違う二つの政党が連立を組んでいくと、両者に忖度や遠慮がどうしても働き、結果は曖昧なものになる。現に先行きが不透明ではないか、との懸念の表明である。
この議論、公明党的には、「自民党の行き過ぎにはブレーキをかけ、足らざるところはアクセルを踏むとの役割を発揮するから見ていてくれ」という〝定番〟に落ち着く。私は「政治はよりマシ選択」との言い回しを切り札に使ってきた。だが、それではもう追いつかない。
終わりの見えないコロナ禍とウクライナ戦争。果てしない財政悪化と物価高。中露朝といった強権的専制国家群に囲まれた日本。いつ何時、「ウクライナ」状況が我が身に降りかかってくることにもなりかねない。経済、防衛の両面で、「安全保障」の本格的展開は待ったなしなのである。争点が見えないとされた今回の選挙でも、緊急避難的消費税下げは与野党間で、いわゆる「敵基地攻撃能力」は与党間でも意見が分かれた。
こうした問題を始め山積する課題の解決に向け、今こそ、自公両党の間で徹底した議論がなされるべきではないか。現状は微妙に食い違う点が少なくない。細かい点を曖昧にし、与党間の結論を先送りにすると、国の方向を過つ。協議をしても、全てで一致するわけではないのは当たり前だが、少なくとも双方の理想は理想として掲げ、現実的に合意に至った経緯を公開すべきである。先の「安保法制」では、集団的自衛権の行使容認をめぐって、自公の違いを踏まえつつ妥協をすることで、当面の課題を乗り越えた。この例に見習って、「財政」で、「エネルギー」で、「社会保障」で、合意を見出して、連立政権の方向を明らかにする。そして国家ビジョンの創出に繋げていく。そのための大議論を開始すべきだ。
選挙直後に開かれた岸田、山口両党首会談では、お互いの選挙協力を称え、労う場になったことが伝えられた。また、7月20日にも今後の政権運営について、衆院選後の政権合意事項を確認しあった。だが、これだけでは物足りない。相互支援は選挙だけで終わってはならない。重要な政策課題をめぐって異論をぶつけ合い、調整を目指す検討チームを直ちに作ろうとの合意ぐらいして欲しかったと思う。(2022-7-31 この項おわり)
※これで、朝日新聞Webサイト『論座』に私が寄稿した「公明、自民両党が参院選後にやるべきこと〜内外に山積する政策課題を前に」(7-22付け)の4回にわたる転載を終わります。
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【54】存在感増す維新の気になる動き——朝日Web『論座』への寄稿から③/7-30
一方、野党はといえば、選挙前から6議席増の日本維新の会(以下、維新と略)の躍進と、逆に6議席減らした立憲民主党(以下、立憲と略)の低迷ぶりが目を引く。昨年の衆院選と同じで、選挙前から概ね予測されていた通りの結果となった。衆院選の結果、代表が交代した野党第一党の立憲は、野党結束の動きにも精彩なく、ズルズルと後退した印象は拭い難い。それに比して、維新は、選挙区でこそ東京、京都と狙った議席が思うように取れなかった(4議席)ものの、比例区では6年前と比し、300万票ほど上積みし、784万票を獲得。3議席から8議席へと伸ばしたことは、全国に支持者が広がり増えたことを意味する。それでも「自民党は圧倒的に強かった。野党は力不足。負けを認めざるを得ない」(松井一郎代表)とのコメントは立憲に代わる野党第一党のセリフのように聞こえた。「勝者のいない選挙」(小林良彰慶大名誉教授)との位置付けが霞むほど、同党の存在感は高まったと、私には思われる。
この突出した維新の躍進は先の衆院選に続くもので、同党がこれからの日本の政治の動向に強い影響をもたらすことは間違いない。尤も、この党には危うさもつきまとう。松井氏が代表を辞して、この秋に後任を選ぶ選挙が行なわれるとのこと。そうした動きを経て、明年の統一地方選結果の推移を見定めるまでは、全国政党としての安定感は定着しないのではないか。大阪という一地域に依拠する特殊な政党から脱皮して、普通の政党としての評価が落ち着くまでにはまだまだ時間がかかるだろう。この一年における衆参両院選挙の結果、一般有権者の間における維新への期待は並々ならぬものがあるが、同党がそれに応えられる政党なのかどうか。まだ予断は許さないという他ない。
維新の動向は与野党にとっても注視の的だが、政策展開の最大の関心は、「憲法」に違いない。かねて同党は積極的な9条改憲論を振りかざしている。この点に絞れば明らかに自民党と同根であり、与党的立ち位置にある。一方、与党公明党は、環境権などの「加憲」ではあっても、本格的な「改憲」ではない。とりわけ9条への「自衛隊明記」にすら慎重で、与党内不一致状態が続いている。一律に改憲に前向きな政党と、括ってみることは間違いである。
今回の選挙結果から、「改憲」に前向きな政党4党が93議席を獲得し、非改選84議席と合わせて、改憲の発議に必要な参議院定数(248議席)の3分の2(166議席)を超える177議席となった。衆参両院での改憲への議席体制が整った。これを過大にみる向きがあるが、各党の思惑の落差に留意する必要があろう。
れいわ新選組が3議席を新たに得て、合計5議席を有したり、参政党が初議席を持ったことなど、少数政党の台頭をどう見るか。少なくとも与党関係者は、今の自公連立政権への不満の現れだと見る正視力が必要だと思われる。(2022-7-30 つづく)
※これは、朝日新聞Webサイト『論座』政治・国際欄(7月22日付け)に掲載された私の『公明、自民両党が参院選後にやるべきこと〜内外に山積する課題を前に』を転載したものです。
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【53】「自公連立」の勝利と公明党得票減の課題➖朝日Web『論座』への寄稿から②/7-28
選挙の勝敗は、議席の増減と得票の増減とで、一般的には推し量られる。投票率や立候補者数(政党数)も微妙な影を落とす。参議院比例区では、政党名と個人名投票が混在する影響も無視出来ない。今回の選挙結果は、トータルな議席増減結果では、与党が勝ち、野党は負けた。ただ、比例区では、自民、公明の与党組は議席、得票率共に減らした。手放しで「自公勝利」とはいえない。公明党としては目標の800万票(結果は618万票)、選挙区と合わせて改選議席獲得目標14議席(13議席)の現状維持ができなかったことは残念という他ない。
自公間の選挙協力の取り組みは今回、相互推薦をめぐって初期の段階でギクシャクしたといころがあったが、最終的には功を奏した。出自も歴史も違う政党が相手方の候補の名前や政党名を書くことは、この20年あまりで定着してきた。とくに、公明党候補が出ていない選挙区での自公両党は(推薦を断った一県を除き)ほぼ一体化しているといえよう。見返りとしての「比例区は公明党」が実効をあげているかの詮索は、もはや詮なきことだろう。
相互推薦をしあった埼玉、神奈川、愛知、兵庫、福岡の5選挙区では、自民党支持者からの票が公明党候補にきた。私が所属する兵庫県でその手応えは過去二回に続き、明確に感じることが出来た。自民党の候補者も三度目の正直で、もはや自分のところの票が流出する一方だとの〝被害者意識〟から脱却して、「自公合わせて共に勝つ」との広い度量を持たれたことと信じたい。思えば、定数2の時代にしっかり公明党は自民党候補を応援してきたのだからそのお返しを頂いてもいいはずなのである。
公明党の比例区戦略について、支援をしてくださった方々からの素朴な疑問を頂いた。そのうち、ある官僚OBは、改選対象の7議席を当初から公明党は獲得する気はなかったのではないかとさえ、指摘される。得票結果を見ると一目瞭然、上位6人と7番目以下の得票数は桁が違う。明らかに、支持する地域の割り当てがなかったと思わざるをえない、と。私は。全国の総投票パワーで7人を押し上げるから問題ないとの判断だったと答えた。だが、ここは目標の7議席を取れるように、担当エリアを分けなかったことへの不可解さは残る。
また、ある大学の教授(政治思想史専攻)は、公明党は真っ当な形で代表選挙をしないのはなぜか。現状では党内民主主義があるとは思えない、これでは浮動票を大きく望めないのは当然だ、と。私は小さな政党だから、代表選は党分断に繋がりかねないと答えたものの、説得力のなさをいささか恥じる。もうそろそろ代表選挙をオープンにやるべきときかもしれない。
公明党は日刊の機関紙を持つ。選挙期間中の選挙区候補、とりわけ激戦区候補への連日にわたる投票呼びかけは凄まじい。読者の印象、結果如何は実証が必要だが、少なくとも比例区候補との、野球の一軍と二軍選手のような大いなる差異は気になるし、候補者の奥歯の不具合までわかるのはやり過ぎと笑い話めいた声も聞いた。拡大した絶叫写真を連日掲載する号外仕立てより、そのスペースをなぜ言論戦に使わないのか、との辛辣な声もある。(2022-7-28 つづく)
※これは、さる7月22日に朝日新聞Webサイト『論座』政治・国際欄に掲載された、私の『公明、自民両党が参院選後にやるべきこと〜内外に山積する課題を前に』を転載しました。
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