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《29》時代の転機に国民的大論争を起こそう(上)ー毎日新聞「政治プレミア」から/2-19

 毎日新聞有料サイト版『政治プレミア』欄2-16日号に、『時代の転機に国民的大議論を起こそう』という私の寄稿文が掲載されました。これは、拙著『77年の興亡ー価値観の対立を追って』(出雲出版)の狙いを改めて明らかにしたものです。以下、3回にわたって、一部修正の上、転載します。

 ●二つの「77年の興亡」と価値観の対立をめぐって

 団塊の世代が後期高齢者の仲間入りを始めた本年2022年は、先の大戦で日本が敗戦した1945年から77年目にあたる。その年はまた、明治維新から77年に一致していた。一国滅亡の憂き目にあった日本は、今再びの77年目に世界中を襲う未曾有の新型コロナ禍に喘いでいる。私は、この二つの77年のサイクルにみる「日本の興亡」を、価値観に焦点を合わせて振り返ってみた。昨年末に上梓した『77年の興亡ー価値観の対立を追って』がそれである。

 第一のサイクルでは、天皇支配のもと「西洋対日本」の価値観の対立が中心となって推移した。軍事力の台頭と共に、対清、対露戦争に勝利した日本は、やがて、中国などアジア・太平洋を舞台にした対欧米戦争で完膚なきまでに敗北を喫して、占領されるに至った。分岐点となった1945年から始まる第二のサイクルでは、米国支配のもと、日本は「資本主義対社会主義」(保守対革新)の価値観の対立の中で翻弄されてきたのである。

 1991年のソ連崩壊で、社会主義は退潮傾向を露わにし、日本での米ソ対決の代理戦争的様相を色濃く反映した「自社対決の55年体制」はやがて崩壊し、自民党の一党支配も終わりを告げる。21世紀の幕開けを待たずに、幾つかの組み合わせで連立政治が常態化していく。その間に自民党にとって代わる新進党を始めとする外からの勢力の挑戦が脚光を浴びたものの、やがて終息を余儀なくされる。一方、「保守対革新」の価値観対立の中に割って入った中道主義の公明党の台頭が注目された。同党は、外からの自民党政治の変革が敵わぬと見るや、一転して内からの改革に転じ、自民党の要請を受けて、与党入りを果たす。いらい20年余。途中3年の民主党政権時代を挟み、本格的な自公連立政権が定着していく。

●中道主義公明党はどう見られているか

 価値観の対立の視点で、第二のサイクルの77年を追うと、「革新」価値観が後衛に退く代わりに、リベラリズムが登場し、保守主義、中道主義と三つ巴の鼎立状況を呈してきている、というのが私の見立てである。ただし、政権与党に自民党(保守)と公明党(中道)が共存している現実をどう見るかは、そう容易なことではない。つまり、この両党の関係を、政治行動のみで見ると、ほぼ一体化したかに見える。山口公明党は自民党の一派閥と見られかねない側面は否定できない。政治理念で追うと、リベラルに近く、自民党とは一線を画す存在であることが明確なだけに、現状は一般的には理解され難い存在に映る。

 近年、「公明党の自民党化」が進み、自公選挙協力の浸透と相まって、「中道」の埋没が日常的になってきている。ちょうどその時に、その流れを覆す動きが起きてきた。今夏の参議院選をめぐって、公明党が候補を立てる5選挙区(埼玉、神奈川、愛知、兵庫、福岡)での自公相互推薦を見合わせ、それぞれの党が対決する構図となる可能性が浮上してきたのである。これは同時に、公明党が候補を立てない、残る全ての選挙区では従来のように自民党を推薦せず、人物本位でいくとする方向が露わになってきたことでもある。

 私の住む兵庫県では、20年余り定数が2で、公明党は候補を立てられずにきた。6年前に定数が1増になり、近過去2回の選挙では、自前の候補を立てて戦うことが昔のように可能になった。結果的にはいずれも、自民、公明、維新の3党が議席を分け合ってきたのだが、一皮めくると壮絶な戦いであった。つまり自公両党は相互推薦ということで、全国で公明党が自民党候補を応援する代わりに、兵庫では自民党県連が公明党候補を応援してくれてきた。これは、応援を貰う方は誠に有り難いものの、兵庫自民党としては〝泣きの涙〟であったことは容易にうかがえる。3年前には自民党候補が危うく滑り込んだとの印象が濃い。とても公明党を応援するゆとりなどないという声は私としては、痛いほど分かる。(2022-2-19 続く)

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2022年2月19日 · 8:02 AM

《28》沖縄の日本復帰を〝悼む〟ーTV『沖縄〝迷子〟の50年』から/2-12

 2月8日にBS 1スペシャルで放映された『沖縄〝迷子〟の50年』を建国記念日の11日にビデオで観た。〝迷子〟とは言い得て妙であり、深く感じるところがあった。この番組は、沖縄では伝説の有名芸人・照屋林助と、その弟子・津波信一さんの2人の沖縄三味線を抱えた漫談風の歌と、沖縄の経済人のインタビューを交錯させて、復帰後の50年が庶民の暮らしにとっていかに期待外れであったかを描いていた。と、私には思われた。これから、復帰50年を記念する試みが新聞やテレビなどメディアで花盛りとなろうが、これはある意味でかなりの出来栄えに違いない。笑いで押し包んだ「沖縄挽歌」として▲沖縄は、中国、米国、日本と大国の間で次々と翻弄されてきた。復帰後も良くも悪くも米軍基地の存在が沖縄経済を、琉球の暮らしを左右してきた。私がこの番組を見て強く感じたのは、実は庶民の暮らし向きとは別の方向を、復帰後の沖縄経済を動かしてきた人たちが見てきたのではないかとの疑問だった。日本初の外国との地上戦を経験した沖縄は、戦後7年で占領から脱却した日本と違って、さらにその後20年間も米国の施政権下に押し込まれた。そこから解放された時点で、普通の庶民大衆は暮らしの向上を夢みたのだが、実はそうならなかったのである▲軍事支配の米国はそのまま居座り、沖縄経済は本土からの〝風まかせ〟の状態が続いてきた。実はこの番組は、「観光沖縄」に期待を寄せる雰囲気で終わっており、コロナ禍の逆風も、日米間の普天間基地や辺野古移転問題には一切触れられていなかった。その意味では尻切れトンボの謗りを免れない。唯一の希望は番組の後半で元知事の稲嶺恵一さんが、沖縄独自の復活への方途を匂わせていたくだりにあった。「沖縄らしさを追求する」「(日本本土と)同質化をめざすのではなく、異質化を伸ばす」との発言である。これしかないと思われた▲日本が米国の占領から脱して、70年が経つ。では本当に米国から独立して、完全なる自主独立の日本になったのか。見かけは独立したかに見えるがその実、「半独立」ではないのか。在日米軍基地の大半を沖縄に押し付けた現状は重く暗い。その日本に沖縄が復帰したといっても、それは半分の半分。「4分の1の独立」なのかもしれない、と思う。日本政府の庇護のもとに生きるのが当然との姿勢から脱却し、沖縄独自の道を探ることこそ、全ての始まりだろう。迷子からの独り立ち、そこから、保護者ぶっている「日本」を覚醒させるしかない。琉球民族と大和民族とー「建国記念日」に「沖縄」に思いを寄せ、「国家と人間」を考えるに至った。(2022-2-12)

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《27》自公選挙協力問題だけでは不本意ー読売新聞インタビューから/2-3

先月末に読売新聞政治部から私の本と、それにまつわる話題に関して取材依頼がありました。東京からわざわざ取材にきてくれたので、トータル6時間に及ぶ(実質は3時間ぐらい)やりとりの結果、3日付けの紙面に掲載されました。ところが、同紙の編集部の裏事情から、締切が早い版と遅い版とでは中身が結構変更になっています。そこで、ここでは双方を紹介させていただきます。まず、遅い版から。大都市はこの方が届いています。

 ●公明の「中道」回帰求める 赤松元議員が著書 党内に緩み警鐘

 元公明党衆院議員の赤松正雄氏(76)は、自公連立政権などに関する著書「77年の興亡 価値観の対立を追って」(出雲出版)を出版した。公明党が掲げる「中道主義」の理念に立ち戻って、埋没しないよう注文をつけている。

 自公連立が 20年以上続いてきたことから、赤松氏は、自民党の保守政治の中で自公の差がなくなり、中道主義が失われていると指摘。遠山清彦・元衆議院議員が貸金業法違反で在宅起訴された問題も念頭に、公明党内に緩みも出てきていると警鐘を鳴らしている。一方、赤松氏は読売新聞の取材に対し、公明が今夏の参院選で、自民との「相互推薦」による選挙協力を実施しない方針を打ち出したことについては、「本来は違う政党だ。あるべき姿に戻った」と評価した。

赤松氏は1993年衆院選で初当選し、6期務めた。党政調副会長や厚生労働副大臣などを歴任した。

   一方、早い版は次の通りです。地方都市や、大都市周辺でも交通事情の悪い地域はこちらが届いています。

●公明「中道主義もう一度」 赤松元議員 連立政権で緩み指摘

 公明党元衆議院議員の赤松正雄氏(76)は、読売新聞のインタビューに応じ、自公連立政権の現状について、「公明党が、もう一度、『中道主義』の旗を掲げ直さなければ、埋没してしまう」と注文をつけた。

 公明について、自公連立が始まった1999年から20年超が経過したことで、「自民党との差がなくなり、人間を中心に据えた価値観である中道主義が、自民党の保守政治の中で失われている」と指摘した。遠山清彦・元衆院議員が貸金業法違反で在宅起訴された問題などを踏まえ、「自公連立政権という安定の下、目に見えない部分で緩みが出てきている」と警鐘を鳴らした。

 赤松氏はこうした主張を昨年12月に出版した「77年の興亡 価値観の対立を追って」(出雲出版)で訴えた。自民との違いを明確にするため、改革姿勢を前面に打ち出すべきだと提案している。憲法改正や、財政構造、格差の解消など国家像に関わる問題にも積極的に取り組み、「小さな声を聞き、大きな声をあげる党であってほしい」とも述べた。

 一方、インタビューでは、公明が今夏の参院選で、自民との「相互推薦」による選挙協力を実施しない方針を打ち出したのは、「本来は違う政党だ。あるべき姿に戻った」と評価した。 (以下略)

●問われるべきはこの国のかたちと人類の未来

 この両記事読み比べて見ると、しみじみ、後者の方を全国に配布して欲しかったなあと思います。しかし、それこそ「後の祭り」。一部地域だけでも長い記事の方が出回っているのは、有難いと担当記者の取材と原稿に感謝の思いです。デスクから他の記事との関係から削れと厳命があって、それに対して、大分それはできないと食い下がったようですが、無理だったみたいです。そのあたり、午前4時を過ぎて私にくれたメールに「私の力不足で」と、謝ってくれていましたが、彼の人柄に打たれる思いでした。私は、むしろ、赤松正雄のネームバリューが弱いのが原因で、君のせいじゃないと言った次第です。

 そういう裏話はともあれ、私としては、この本が自公の選挙協力絡みだけで捉えられるのは不本意です。もちろん、今回の取材では自公の「相互推薦」問題の推移のタイミングからして、これしか書けなかったのは分かりますが。もっと大きな視野で本は書いたつもりです。例えば、今「新しい資本主義」をめぐる議論が岸田首相の問題提起にはじまって、国会で取り沙汰されています。これは、私からすると、今問われているのは、資本主義の行方だけではなく、消えたかに見える社会主義にも及ぶということです。資本主義も社会主義も共に、装いを新たにすべきという時代の潮流には、中道主義の再発見という問題が潜んでいます。それこそ「三たびの77年サイクル」の課題だと睨んでいます。そのあたりに着目するメディアよ出てこい、という私は気概でいるのですが。

 それとは別に、私の著作を読んで、公明党の外交安全保障政策における中道主義の具体的展開に、非常に新鮮な発見をしたと言っていただく学者がいます。近く、その視点で、ある媒体に論考を公表されるやも知れないとのこと。極めて嬉しく、待望しています。ともあれ、私はこの著作を通じて、今の日本と世界に大きな問題提起をしたつもりです。一歩も引かず次々と発信をして参る所存です。(2022-2-3)

 

 

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《26》増刷に入った我が著作『77年の興亡』をめぐる反響/1-28

 コロナウイルスの変異株「オミクロン」が異常なスピードで拡散する中、国会での予算案審議が始まっている。その中で、気になることは数多あるものの、ここではまず、発刊後1ヶ月余りが経った私の著作『77年の興亡ー価値観の対立を追って』をめぐる話題や反響を紹介させていただきたい。お読みいただいた多くのみなさんから、「これはわかりやすい。今まで自分の頭の中で未整理だったものや、漠然としか捉えられていなかったものがはっきりした。大いに勉強になった」という声を頂いたり、「参議院選挙に向けて、ぜひ友人に読んで貰いたい」と言って複数冊を購入してくださる人までが次々とおられ、感謝感激の年末年始を過ごすことが出来た◆中でも、私が現役時代にお世話になった国会付属機関のある最高幹部から昨日、長文のお手紙を頂き、身に余る称賛の感想を頂いたことは、忘れられないインパクトを受ける出来事だった。さわりの部分だけをご披露させて頂く。総論として❶実にスケールの大きな評論❷背後に膨大な読書量が随所に見られる❸公明党への忌憚のない批判と激励ーの3点を挙げ、「『赤松節』全開の快著」と持ち上げていただいた。各論として①2009年政権交代時の衆院選敗北の検証の必要性②「庶民大衆のための政治」の姿勢の堅持③沖縄に対する思いの深さ④憲法論議への提言の意味⑤「仏教の平和主義」への誤解の指摘ーに感じ入られたことが読み取れた。中道主義の視点の重要性への気付きは勿論のこと、宗教への考察の必要性や、いわゆる「中道」を巡っての維新と公明党との違いへの言及など、私自身大いに参考になる記述を頂いた◆この本は、日本近代史における二つの「77年サイクル」のうち後半における、価値観の対立を追う試みで、公明党の中道主義の登場から今に至る政治選択を具体的に検証したものである。掲げた看板は正直言って大袈裟で、中身は二つ目の「77年の興亡」についてだけ。とはいうものの、この切り口に皆さん驚かれたようだ。新年幕開けいらい、私と同じ観点から2022年の持つ意味を探った論考は二つ。一つは日経新聞の原田亮介論説主幹による「核心」欄の「成熟国家154年目の岐路」(1-10付け)。もう一つは毎日新聞のサイト・「政治プレミア」の白井聡京都精華大学専任講師の「特別な年としての2022年」(1-20号)。それぞれに興味深い中身だが、分量は短い。私のものは、一冊の本だから長い。長けりゃいいとは言わぬが、来るべき「第三の77年」における中道主義の本格的展開を待望したもので、新鮮な内容と自負している。が、その先行きは予断を許さない。これからも引き続きしっかりウオッチしていきたい◆処女作『忙中本あり』の出版(2001年)いらい、この20年余り「読書録」を書き続けた身からすると、つい自分の著作を俎上に乗せて、あれこれ料理してみたい誘惑に駆られる。色々〝著者〟の足らざるところを指摘したいのだが、それをやってしまうと、売れ行きに差し障るゆえ、控えるしかない。ビッグボスと呼んで欲しいと会見で叫び、話題を集めた日本ハムの新庄剛志新監督の「優勝なんか考えていない」とのセリフにあやかって「売れることなんか考えていない」と見栄を張りたいところだが、ここは凡人らしく多くの皆さんに買って読んで貰いたいと本音を明かす。この本、この一年、いや参院選までが勝負と決めて、大いに売り込みたい。増刷が決まって、本気でそう考えている。(2022-1-28 一部修正)

 

 

 

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《25》日本人と台湾人の「国家と個人」対談ー2022年に臨む論点を考える(下)/1-23

 毎日新聞の新年からの企画『論点「2022年にのぞんで」』の3回目(12日付け)「個人として国家と向き合う」を読んだ。東京大教授の加藤陽子さんと、台湾人作家の温又柔(おん・ゆうじゅう)さんとの対談を構成担当の鈴木英生記者がまとめたものだ。前文に、「大国化する中国との関係を考えながら私たちは歴史や国家とどう向き合うべきか。どう個人として生きるか」との触れ込みに、胸弾ませて目を滑らせていった。面白く読めたが、些か期待外れでもあった。大きいテーマに対して、記者が2人の意見を十分に引き出していず、意図する方向に議論を収束し得てなかったと思われる◆この対談に読み手が期待したのは2つ。一つは軍事、経済両面で台頭を続ける中国に、「戦争論」の泰斗・日本人学者がどうこれを捉えるかとの視点。もう一つは、その中国との間で軍事的緊張を持ち続ける台湾の立場を、日本語育ちの台湾人がどう表すかとの観点であった。ここでは前者に絞って追ってみる。冒頭で加藤さんは、戦争研究の理由を問われて、「なぜ戦前の日本人は中国人を徹底して敵だと思うようになったのかを考えてきました」と述べたもののそれをフォローする発言が出てこない。友好ムードに包まれた戦後の日中関係が、今敵対関係に変わってしまったかに見えることへの分析が聞きたかった◆しかも、次に質問は「中国との関係で、今の台湾をどう見ていますか」と続く。ここは、逆に「台湾との関係でいまの中国をどう見ているか」と訊いて欲しかった。尤も、ここで加藤さんが「日本人は、台湾と中国に対して過去の日本の保守政権がとってきた重層的な外交をもっと思い出すべき」だとして、1952年のサンフランシスコ平和条約締結時と1972年の日中国交回復時におけるバランスの取れた姿勢を挙げていることは注目される。今、公明党の山口那津男代表が中国の対外姿勢について、あえて非難を避けているかに見える。これは自民党内にあっても外に出てこない主張を代弁し、バランスを取ろうとしていると思われる。この辺に言及して欲しい◆最後、今年の仕事は?と訊かれて、加藤さんは、「東京裁判と日本国憲法の関係をつなぐ論理を分析する」としたうえで、「日本の学術会議の新会員任命を菅義偉前首相が拒否した理由も(歴史学的手法で)読み解きたい」として終わっている。現時点での加藤さんの〝読み解き〟をひきださないと、尻切れトンボの印象は拭えない。学問の分野への政治の介入と捉えられかねない前首相の行為には、公明党はもっと異議を唱えるべきだったと私は思うが、あまり聴こえてこなかった。安保法制への批判をした学者といっても、千差万別だと思う。それを十把一絡げにしてノーとしたかに見えるーという見立てでいいのかどうか、もっと加藤さんの意見を聞きたかった。新聞紙面の制約もあり、ないものねだりをしたとの自省もあるが、引き続きこのテーマでの議論は読んでみたい思いに駆られる。(2022-1-23)

 

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《24》「団塊世代の老後」「死生観」ー2022年に臨む論点を考える(上)/1-18

新年も3週目を目前にして、様々な2022年に向けての論考が飛び交っており、種々考えるきっかけをいただく。ここでは、毎日新聞の『論点ー2022年にのぞんで』3回分を取り上げたい。一つ目は、上野千鶴子『「後期高齢」を迎える団塊世代』(1-5付け)。上野はここで❶ジュニア世代との間の世代間ギャップ❷男女間格差による女性へのしわ寄せ❸福祉分野での共助の実績ーの団塊世代のもたらしたものについて、3つ挙げている。❶では「上り坂」続きの団塊世代と、「下り坂」ばかりのジュニア世代のギャップ❷では、労働のジェンダー格差が共に広がる一方の実態を描く。それに比して、❸では、介護保険を代表例として団塊世代の業績を称える。中々興味深い◆この団塊世代をめぐる考察にあって、いささか私には手前味噌に見えるのが、政治と団塊世代の関係だ。上野さんは、菅直人と菅義偉の2人の首相が団塊世代から誕生したことを挙げた上で、「生活に直結する小文字の政治を草の根でやってきた」し、「大文字の政治に救われない人たちに目を向けてきた」のが団塊世代だという。先に挙げた首相のうち、前者は政治家になる過程で確かに草の根の活動に従事したが、東日本大震災で大失敗をした。後者はコロナ禍という未曾有の混乱期に必死に立ち向かったが、大文字の政治に救われない人に目を向けきれなかった。共に、後世にいい意味で名を残すとは言い難いが、その辺りに全く触れられていない◆二つ目は、山折哲雄『昭和一桁世代の弔い合戦』(1-7付け)。山折はこの論考で①複眼的価値観が消えて社会を二元論が覆っている②コロナ禍は死を考える絶好の機会だが、命の議論は広がっていない③日本人の死生観に「点の死」はなじまないーと三つのポイントを強調している。①では、被害者か加害者かの、二元論の横行を嘆く。菊池寛の『恩讐の彼方に』と『ある抗議書』を対比して、「寛容」の過去から、「怨嗟」の現在へといった価値観の転換を挙げる。②は相変わらずの生命絶対主義に疑問を投げかけ、③では「生と死は線でつながっている」との伝統的死生観を力説する◆ここで最後に山折さんは「無」について論及し、「無の宗教」と「無党派層」の類似性に触れる。「宗教心を大事にする人ほど特定の宗教を信用しないようなところが日本人にはある」し、「党派的なものを信用しない国民性」であるがゆえに、「『無党派層』が増大する現実を嘆く必要はない」と断定する。私はこの山折説については、部分的にしか納得できない。私は日本人にとって大事な言葉は「無」よりも「空」だと思う。目に見えないのが前者だが、後者は目に見えずとも〝冥伏〟している状態を指す。「無」は禅宗的で、「空」は法華経的である。更に、浄土宗的な「線」より、法華経的な「面」の死生観の方が奥深く見えるのだが、どうだろうか。(2022-1-19 一部修正)

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《23》「維新」代表と日経「核心」から見える新年の展望/1-12

 新年もとっくに三ヶ日が過ぎ、七草粥から成人式を経て鏡開きも終わった。数え年で77歳の喜寿を迎える本年ー大いなる転換年と捉えて、あらゆる面で戦おうと決意を新たにしている。この初旬の日々を振り返ってみたい。年末年始は、昨年末に出版した『77年の興亡ー価値観の対立を追って』を、友人知人に郵送する作業に没頭した。年末21日22日の両日東京・信濃町、永田町界隈への手渡しを皮切りに、賀状と抱き合わせた郵送など合計700冊余りを手放した。人生でこれだけ短時間にかくも多くの人々に〝接触した〟のは選挙いらいの初体験である。その反応が、電話、メール、賀状で次々と届いている。「よくもまあ、こんな大著を」「分かりやすく面白かった」「これは凄い」などなど、皆さんとりあえず褒めてくださったが、最も嬉しかったのは、「これは参議院選に使える。友人のために買って贈呈するから」と言ってくれた人が少なからずいたことだ◆9日朝、NHK総合テレビでの1時間40分近くにわたる党首インタビューをしっかりと見た。政権与党の岸田、山口の自公両党首は共に、そつない発言が印象的だった。岸田首相は平板すぎて何も残らないように思えた。一方、山口代表は立板に水のごとき答え方で、不祥事を聞かれても「痛恨の極み。立党精神に立ち返って、再発防止に取り組む」と顔色一つ変えずに。このくだりは一呼吸置いて、ゆっくりと感情込めて話して欲しかった。これからの政治の方向性は「安定のもとでの改革を」との言い回しだったが、ここも「政治の安定は当然で、今年は更なる改革に重点を置く」ぐらい言って欲しいと思ったのは、私だけだろうか◆立憲民主の泉代表は前任者に比べて、癖がないように見えて、人柄の良さが全面に伺え、好感度は高いが、その分個性が弱く、印象に残らない。その点、維新と国民民主の両党首は極めてアピール力が強いように見えた。とりわけ維新の馬場伸幸共同代表は政治の現状が「55年体制」下に戻ったようだとの認識を披歴すると共に、文書通信交通費問題で領収書の公開を義務づけるなどの「国会改革」に力点を置くと強調した。また、敵基地攻撃能力問題では、同党独自の「領域内阻止能力」と言い換えるなど巧みな政策展開をうかがわせたし、近く「新しい国のかたち」の構想を示すと述べて、視聴者に期待を持たせた。経済政策で独自の切り口を提示する「国民」代表の玉木雄一郎氏と共に、この二党党首の意欲的な姿勢が強く脳裡に残った。公明党よ、ぼやぼやするなとの思いと共に◆10日のこと。日経新聞をみた私の友人から、メールがあった。「お前さんの本と全く同じ切り口の記事が出てるぞ」との内容だった。慌てて、同紙6面《オピニオン1》欄を開くと、原田亮介論説主幹名で「成熟国家154年目の岐路ー大目標掲げ人材の登用を」との見出しが目に飛び込んできた。「日本の国運は77年周期?」との図表も、私の本の帯の図表とほぼ同じだ。日経売りもののコラム「核心」である。「近現代史を決定づけた明治維新と昭和の敗戦の二つの節目から何を学ぶか」「バブル崩壊後、長く低迷する日本経済を立て直し、安定した成熟国家に導くには何が必要か」ーこの問題意識のもとに論旨が展開され、結論は「国も企業も、旧弊を脱して優れた人材を登用すること」に。中道主義への内外の覚醒に終始した私のものとは自ずと違う内容だが、国家目標設定の重要性の指摘と、「日本の国運の77年周期が続くとすれば、次は22世紀が目前の2099年。その時日本をどんな国にするのか、岐路に立つ22年の年始めである」との文末は、奇妙なまでに一致する。(2022-1-12)

 

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《22》「政治停滞」の犯人探しの愚ー『選択』1月号から/1-7

 情報誌『選択』は、毎号国内外の情報を的確に分析してくれ、興味尽かせぬ面白さがある。最近では、幹事長が岸田政権の急所になるとの「茂木敏充という災厄」の記事はなるほどと思わせたし、「バイデンは『一期』で終わりそう」や「欧州連合はすでに『死に体』」といった記事(12月号)など大いに読み応えがあった。ただ、公明党に関する記事はややもすれば当たり外れがあるようだ。今回取り上げる1月号の『公明党こそ「政治停滞」の主犯ー自民党『創価学会依存』で続く悪弊」なる記事は、〝大いなる外れ〟だと思われる。この記事は、内政における「バラマキ」と安全保障面での「現実性を欠く平和主義」の二つを槍玉に挙げている。23年目に入った自公の「友党関係こそが政治の停滞の『元凶』と知りながら抜け出せない閉塞感が、一層色濃く永田町、霞が関を覆っている」というのだ。この現状認識は著しく公正さを欠く。山口公明党の中枢なら、「友党公明党の存在あっての政治の『安定』であり、停滞の『元凶』とは筋違いも甚だしい」というに違いない◆政策判断の当否を見る場合も、自ずから両面がある。新型ウイルス対策の18歳以下への10万円給付をバラマキと見るか、弱者救済策と見るかは立場、境遇によって違ってくる。恵まれた生活環境にある人たちは不必要と見るも、生活困難者の目にとっては得難い施策と写ろう。平時なら大盤振る舞いに見えても、緊急事態時の今は必要不可欠の一手なのである。一方、「中国に毅然とした態度を取れずにいるのは公明党の影響力と無縁ではない」とか、「いわゆる敵基地攻撃能力の保有の議論を始めることにも公明党は慎重だ」などと、外交安全保障政策でも愚痴に近い泣き言を言っている。前者は、対中政策で国を挙げて強硬姿勢になることや、いたずらに周辺諸国と、ことを構えるのが、外交上得策かどうかは意見の分かれるところだ◆政権与党を組んでいる両者は、政党が違うのだから大いに議論をして、妥協点を探ればいいだけのことである。5年ほど前の安保法制の時は、丁々発止の激論が交わされた。その結果、集団的自衛権を条件付きで認めるという形で、玉虫色決着が図られた。現実に新制度下で緊急非常事態が起こっていないから何とも言えない側面はあれ、公明党の存在あったればこその安全保障サイドの前進だといえた。対中国や対北朝鮮問題で、公明党らしい政策を主張することが「政治停滞」と見るのは、右翼的色彩の濃い観点からのものと言えよう。私など、もっともっと公明党からの「改革」の発信が欲しいと常々思っており、現状では未だ弱く不満に思うことも少なくない◆「選択子」は、この記事の冒頭で、「政権として見れば、公明党が政策にブレーキをかけ、時に歪める構図は変わらない」と嘆く。それは中道主義の観点で、右に偏り過ぎる政策をただしているのであって、それが歪められると見るのは、手前勝手が過ぎるというものだ。私から見れば、公明党らしさの主張は未だ足りないと思っている。公明党のスタンスが気に入らないのなら、自民党単独で政権運営をするなり、他党を与党に組み入れればいいのである。尤も、それができないから苦労しているのだとの声が聞こえてきそうだが、お互いのプラスマイナスを測り合う幅広く深い議論を両党間ですべきだろう。尤も、残念ながら昨今、公明党内に不祥事が散見される。これは「公明党の自民党化」現象であろう。「自民党の公明党化」を目指して組んだ自公政権である。お互いのいいところを取り入れて「安定のもとでの改革競争」をすべきなのに、悪いところを真似してスパイラル現象に陥るのはごめん被りたい。今回の「選択子」の歪んだ政治「停滞」の犯人探しなどに付き合ってはおれないのである。(2022-1-7)

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《21》日本の今はこんなものかー新聞各紙読み比べ/1-2

 元旦付けの全国紙を読み比べてみる。いつの頃からか習慣になった。切り口は4つ。一面トップ記事、特集企画記事、社説、コラムである。それらを読み手として、感じるものがあったかどうかを単純に追う。新年の楽しみである。読み比べてみると、なんだか世界と日本の今が分かったような錯覚に陥ることが出来るから面白い。まず、1面トップ記事を特集にリンクさせていない風に見えるのは「読売」だけ。あとは全部特集の一回分をなしている。「読売」は、「米高速炉計画 日本参加へ」のみだしで、米国における次世代の高速炉開発計画に日本が参加するというニュースだ。温暖化への対応政策と将来の原子力市場で世界をリードしたい米国と「もんじゅ」の廃炉が決まり、活路を求めていた日本との利害が一致したというわけである。何はともあれ、新年号の1面は企画記事でなく、ニュースを追うところに「読売」らしさを見る◆特集企画をトップ記事に持ってくる手法をとった他の4紙の中で注目されるのは、「日経」の「成長の未来図」。「成長の鈍化が格差を広げ、人々の不満の高まりが民主主義の土台まで揺さぶり始めた」として、資本主義が戦前の大恐慌期、戦後の冷戦期に次ぐ三回目の危機にあると位置付け、資本主義を創り直そうとする試みを追う。ただ、世界が大きな岐路に立つとの見立ては誰しも共通するが、「脱成長」との選択肢までは視野に収めてはいないはず。「日経」の特集連載に、最後まで興味を持続させたい。「毎日」は、31日にスタートさせた「オシント新時代」。ロシアの情報改ざん工作にメスを入れる。「ビッグデータ時代の情報安全保障」を追う中で「主権回復」を問う「産経」は、AI時代の「情報」をめぐる動きに着目している。「未来予想図 ともに歩もう」の見出しの「朝日」は、この新聞社らしく全体に目配りするものの、焦点が定まっていない風に見えてしまうが、どう今後展開させるか見守りたい◆社説は当然ながら、それぞれの社風を体現する。目立つのは「産経」。論説委員長の署名入りで1面左肩に「さらば『おめでたい憲法』よ」ときた。読まずとも中身はわかる。対立する「朝日」は、〝奥ゆかしく〟11面に「憲法75年の年明けに」とのタイトルで「データの大海で人権を守る」の見出し。「何より個人の尊重に軸足を置き、力ある者らの抑制と均衡を探っていかなければならない」との末尾の結論で、言いたいことは分かる。「日経」の「資本主義を鍛え直す年にしよう」との論考は、この社らしいものだが、つい、問われているのは、「新しい社会主義」ではないのか、とのひねくれ心が頭をもたげてくる。「読売」の「『平和の方法』と行動が問われる」と、「毎日」の「つなぎ合う力が試される」の二つの見出しの中のキーワードには注目させる力がある。ただし、中身は共にいささか平凡。双方ともに、結論を参議院選の持ってくるところに、物足りなさを感じざるをえない◆最後はコラム。新聞記者の文章力が問われ、試される舞台だけに各社とも当然ながら力を注ぐ。書き手の文章の背後に潜む知識量と構想力が優劣を決める。「朝日」の天声人語、「読売」の編集手帳にはかつて一世風靡のコラムニストがいて、私も文章修行のお手本にしたものだし、「産経抄」では文章力を超えた構想力を学ばせてもらったこともある。新年冒頭のコラムは、干支に因むものや正月の風物に流れるのが定番だが、今年のもので出色は「毎日」の「余録」だと思えた。今年2022年が、毎日新聞が創刊された1872年から150年になり、ちょうど真ん中の折り返し点が1947年であり、新憲法施行と重なることに着眼している。これは、私が昨年末に出版した評論集『77年の興亡』の発想に、酷似する。敗戦と憲法発布という2年のタイムラグはあるものの、明治維新から今日までの近代日本を振り返る視点は共通する。実は、今年の元旦号に「77」なるキー数字が出て来ないかどうか注目していたが、今のところ、発見し得てない。今年も、様々な評論を追いつつ、自分もあれこれ書くことになるが、問題を掘り下げて考えることに力点をおきたい。ありきたりの問題提起で終わるのではなく、ではどうする、どうしたいのかを深く考えて、明日に少しでも繋がる論考を発信していきたい。(2022-1-2)

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《20》『77年の興亡ー価値観の対立を追って』の出版に漕ぎ着けて/12-30

令和3年も押し詰まった12月18日に私の著作が出来上がった。この5年ほどの間に『安保研リポート』に公表した20本ばかりの評論をベースに、「緒論」をはじめ、タイムラグを補うための〝まとめ〟を付け加えたものである。ここでは、この本をなぜ出すに至ったかについて触れてみたい。当初は、外交、安全保障に関わる論考だけをまとめて、裏舞台を含めてその真実を残そうと思ったのがきっかけである。当事者が書かないと、歴史の闇に葬り去られてしまうのは無念だとの思いがあった。有り余る引退後の時間の中で、一般社団法人「安保政策研究会」のリポート誌への寄稿の機会を利用させて貰った◆ただ、いざ本にしようとすると、分量が足りない。やむなく、内政分野も入れることにした。リポート誌への投稿段階から、公明党の路線を巡ってあれこれ注文をつけて書いていたのが幸いした。ところが、今度は出版してくれるところがない。ある出版社を安保研の理事長から紹介して貰った。そこの出版社の社長は全部読んだ上で、「興味深いテーマについて論及されており、面白い。充分これは出版に値する」と言ってくれた。ただ、「憲法観」だけは気に入らないと仰る。その人は護憲論者。私は憲法9条を含め加憲論に立つ。書き直せとぃわれても応じるわけにいかない◆そんな折に、この5年ほど付き合っている地域産業活性化支援プロジェクトマネージャーの勝瀬典雄氏(関学大大学院講師)より、自分の関わっている出雲市の印刷会社から出版をしてみては、と持ちかけられた。私の本の出版をきっかに、後続を期待して同市の地域おこしにも役立てたいというのが、この人の目論みだった。これは新しい試み好きの私の志向ともマッチする。二人の意気に呼応した印刷会社社長も社運をかけて、出版業に乗り出す決意を固めてくれた。公明党の元衆議院議員が書いた評論集など、一般受けするとは思えない。本のタイトルをどうするかで思い悩んだ。中身を正直に反映させれば、「中道主義・公明党の政治選択」といったところだが、それでは読者層が限られてしまう。私の論考を読んだ勝瀬氏からは、今の国民各層が広く抱く政治への不満を抉り、そのよってきたる根源を明かす内容だ、とのおだてに近い論評を貰った。公明党色を抑え、読書欲を掻き立てるタイトルにすべしとの〝御宣託〟をもいただいた。根は真面目な私としては不本意だが、乗ることにした◆この本には、三つの特徴がある。一つは、明治維新から二つの77年というサイクルを通じて日本近代の流れを概括しようというものだ。キーワードを価値観においた。二つ目は、中道主義を掲げて登場した公明党という存在が、具体的な政治選択の場面でどう立居振舞ってきたかをつぶさに挙げている。結党から60年近く経とうとしているこの党の有り様に、歯に衣きせず切り込んでみた。三つ目は、この年に77歳の喜寿を迎える私の自伝的色彩である。若き日より、池田先生の思想に深く傾倒し、また公明新聞記者として培った視点をいかんなく発揮したと自負している。この国の政治を真っ当なものにしたいという思いは一貫して変わっていない。私の仕事における巨大な先輩・市川雄一元公明党書記長が口ぐせのように言っていた言葉を今改めて思い起こす。「政治家がものを書いていいのは引退後に書く回顧録だけ」ー政治家はプレイヤーに徹せよとの戒めだった。しかし、ついついウオッチャーの性分が頭をもたげ、結局は中途半端な〝もの書き政治家〟に私は終わった。今この本を出版して長年の呪縛から漸く解き放たれた気分である。(2021-12-30)

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