今回の総選挙結果の様々な分析、評価などを見聞きして、最も考えさせられたのは、歴史家・保坂正康さんの「哲理なき現状維持」との位置付け(朝日新聞11月5日)である。その結論にいたった見立てを挙げている。一つは、有権者が大きな変化を望まず、安定と現状維持を求めたこと。二つは、自民党に近い政党が議席を伸ばし、総体的に保守勢力の追認となったこと。三つは、その結果、ますます立法府が無力化することの3つである。細かくは異論もあるものの、概ねその通りであろうと肯定したい◆この結果をもたらし、こういう論評を可能にした最大の責め負うのは、立憲民主党の枝野幸男代表の主導した共産党を含む野党共闘路線だろう。「政権選択」の選挙の側面が強い小選挙区比例代表並立制のもとで、「自民党中心か、立憲共産党(麻生太郎氏)か」と迫られれば、自ずと答えは出てくる。あれだけ、自民党に政治とカネにまつわる不祥事がありながら、この選択では、誰しも〝よりましな方〟を選ぶということになる。分かりやすく言い換えると、金権腐敗政治の継続か、強権政治の始まりかとの「地獄の選択」なのだから。この選挙戦略をとった方が巧みで、得をしたということになる。◆12日間という短い期間の選挙で勝利を得たい政党、政治家は自ずと、 短いフレーズで相手方を斬る戦術に終始しがちである。深い政策論争や国家観や未来展望など聞こうにも聞けるはずがない。そういう仕組みに、今どきの選挙がなってはいないのだ。かつてあった立ち合い演説はもとより、テレビでの政見放送も小選挙区候補はまとめて扱われがち。党代表ばかり前に出て、一人ひとりの政治家の顔は殆ど見えない。比例区単独候補にあっては、一般的には名前さえわからない。一束なんぼ、十把ひとからげとはこのことなのである。これで怒らない政治家はおかしい◆総選挙を通じての政党、政治家の哲理のあるなしを問う保坂さんの思いはわかる。だが、土台無理な選挙の仕組みで、ないものねだりという他ないのである。選挙上手、つまり、時々の空気を読んで、上手いやり方を駆使した方が勝つように出来ているのだ。今回でいえば、「革命的変化か現状維持か」を問うように仕掛けた側が、妙な例えであるが、かの人気テレビ番組の『プレバト』のように「才能あり」になる。それを受け入れた側は、「才能なし」と判定される他ない。政治に哲学と理念がないことを憂えて作られた公明党。その関係者にとって、別に政党名の上に冠せられたわけではなくても、「哲理なき」との形容には頭から反発したくなる。言った人にも、言われた党に対しても。せめてここは「哲理潜む現状維持」ぐらいに留めておいて欲しかった。(2021-11-9)