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《2》パラリンピックと自民党総裁選びそして立憲民主党/9-6

東京パラリンピックの中継をテレビで見たり、新聞で読むうちに、一応「健常者」である私は様々なことを感じた。ひとことで「障がい」といってもまことに数多く、多種多様であることへの驚きに始まり、どの競技者もそれらのハンディを全くと言っていいほど気にせず(そう見えた)、堂々と力強く戦っていたことなど、感嘆し、驚嘆し、羨望も勿論覚えた。いわゆる五体満足の身体でなくとも、今ある身体の全部位が頑健でありさえすれば、どんなことにも挑めるものだと分かった思いがした(ただし、こころの病いの場合は除かざるを得ないだろうが)▲75歳になってからというもの、身体のあちこちが不都合をきたしてきた。〝足腰立たない〟状態ではないまでも、四肢に止まらず、どの部位を動かすにつけても痛みを感じる。かつて歳はとりたくないもの、との言葉を吐く先輩諸氏を見聞きするにつけ、同情を禁じ得なかった自分が愛おしい。目がかなり近眼で、耳は片方が聞こえず、歯に部分入れ歯が入っている自分を〝障がい者〟だと規定して、一歩近づいたと満足していたことを思うと、恥ずかしい。パラリンピックを見ていて、どちらが本当の障がい者か分からない様に思われた▲そんな中で、毎日新聞紙上(8-29付け)で、元自民党総裁だった谷垣禎一さんの記事(『迫る「これが障害者」体で知った』)を読んだ。この人は同じ昭和20年生まれ(但し早生まれだから学年的には一つ上)とあって、現役時代にそれなりに親しい思いを持って接してきたが、自転車事故で頸髄を損傷するという不幸に直面された。だが、その辺りについて「(障害を)割り切ったわけではないけれど、割り切るよりしょうがない」と、元気に生きておられる姿には勇気をいただく。彼がもし健在なら、優しくて品格あるクレバーな背筋のスッキリした、いい総理大臣になったかも、と勝手に思った▲それから一週間を経ずして、菅義偉首相が次の自民党総裁選挙に出馬しないと、表明した。これには、実はあまり私は驚かなかった。後出しジャンケンよろしく、ああだった、こうも思ったとは言わないが、その予感がしていた。この一年の推移、とりわけコロナ禍対応の無惨さは、およそ褒められたものではなかったと、言わざるをえない。勿論、「小さな声を聞く党・公明党」に身を寄せ続けた姿勢など評価するのにやぶさかではないものの、全体像評価は辛口になってしまう。退任にいたる数日間は、打つ手が次々裏目に出て、まるで「秋の日のつるべ落とし」のように、その信頼感は失われていった▲さて、総裁選のゆくえはどうなるか。これで、恐らく自民党の惨敗はなくなったと、敢えて楽観的予測をしてしまう。総裁選挙直後には支持率がそれなりに高くなるのは過去の歴史が証明しているからだ。安倍政権の負の遺産を全部抱えたまま菅首相が姿を消すからと言って、決して自民党が変わるわけではないのだが。自民党ひとり総裁選挙で騒ぐ中で、世間の耳目は集中し、多くの人々はさも変わるはずと錯覚する。そこで野党第一党の立憲民主党の振る舞いが気にかかる。この場面、指を加えて見守るのみか、外野席から騒いでいるだけでは、結果は目に見えている。代表選をせよと言わないまでも、それに代わる動きを見せて欲しい。せめて自民党総裁候補と枝野氏ら執行部との対談、対論を申し込んでみてはどうだろうか。(2021-9-6)

 

 

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《1》「テロとの戦い」に負けたのかーアフガニスタンからの米軍撤退/9-2

アフガニスタンからの米軍撤収のニュースに接して思うことは多い。元を正せば、20年前の「9-11」に米国本土が「同時多発テロ」の標的にされ、多くの犠牲者が出たことが発端だ。そのテロの首謀者と見られたビンラディンをアフガニスタンのタリバン政権が匿ったために、米国が同国を攻め、10年後に彼を殺害した。ことの因果関係からすれば、これで区切りとして米軍が撤収してもよかったはずである。しかし、そうならず、今日まで更に10年間も駐留が続き、多くの犠牲を双方が重ねた▲その間の米国側の大義名分は、「テロとの戦い」という〝新しい戦争〟が拡大する事態の温床にさせない、というものであった。更に、戦争が始まった当時は、アフガニスタンを含む中東地域一帯は、世界や米国にとって〝石油の宝庫〟との位置付けであった。安定した石油供給源としての地域の保全のためにもこの地を睨む必要があったのである。ところが、その後、シェールオイル源が米国内に見出され、事態の様相が変容した。そこらで手を引く機会もあったのだが、結局ここまで引き摺ってしまった▲この地を巡る歴史を遡ると、米国の前にはソ連が進出した末に、手を焼き尽くす経緯があった。今また20年の歳月の間に米国が失ったものはあまりにも多い。20世紀後半におけるベトナム戦争の例を挙げずとも、「歴史の教訓」を学ぶ必要性は言い尽くせぬほど大きい。ベトナムは米国を撤退に追い込んだあと、見事なまでの変身を示し、その復興ぶりは世界史に特筆される。それに比べて、アフガニスタンでは、タリバンのみならずイスラム国(IS)の跋扈も見逃せず、とても一筋縄ではいかない。この集団は、今回の米国撤退の直前にカブール空港での凄惨な自爆テロも引き起こした。まさにアフガニスタンは日本中世における「戦国時代」もどきの状況下にあるとさえ見る向きもある▲ソ連から米国へとこの地での巨大国家の不始末の連続から、「帝国の墓場」と呼ばれるそうな。そこへ、中国が急接近しているとの報もある。中国は先をゆく新旧ニ帝国の失敗の轍を、またも踏むことにはよもやなるまい。今回の撤退を、覇権国家米国の衰退の象徴であり、世界の警察官の役割からの後退となるのかどうか。一気にはいかずとも、ゆっくりとその流れが進むことにはなろう。これが米国の同盟国からの駐留軍の撤退に繋がるやも、との見立てを提起する老評論家もいる。日本もその場合の対応に備えることは大切だと思われる。(2021-9-2)

※今回でこの『後の祭り回想記(回走記)』も、400回を超えます。これまでナンバーを振ってきませんでしたが、これからは500回を目指して一回ずつ数えるようにします。

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横浜市長選結果と〝岡目八目風〟解説もどき/8-27

横浜市長選が終わって一週間。兵庫からは遠く離れた地域の市長選。この結果から何が読み取れるか。世に溢れる岡目八目風の解説もどきを、みんな立ち去った後の井戸端会議録のようだが、あえて付け加えてみたい。切り口は余りにも多い。横浜市は、時の首相が政治家としての基盤を長年にわたり培ってきた地域。彼の政治家としての師匠筋の息子が閣僚の座を投げ打って挑戦した。しかも、その前大臣は、カジノを含む統合型リゾート(IR)に賛成していた立場をも捨てて、反対に転じた。これを自民党も、勿論現在のトップである首相もかつての立場もどこへやら、黙認した。それもこれも中央政治における対立軸が横浜市に持ち込まれることを恐れたからだろう。いい面の皮が、IR導入賛成の立場をとって4選目に臨んだ市長である▲この市長選に挑んだ面子がまた多彩極まる顔ぶれだった。大学医学部教授データサイエンス科長の立場をかなぐり捨てた人。元小説家で、元県知事で、元代議士の人。元代議士で、元県知事で、参議院議員だった人。それぞれの選挙戦での語り口をも吟味せずに、勝手に論じるのは心苦しい限りだが、横浜市への愛着、思い入れよりも違う目的があったのでは、と勘繰ってしまう。物足りないのは、IR賛成の主張を声高にする候補者が現市長以外にいなかったこと。落選が決まった夜、同氏は市民からいかに嵐のような批判に晒されてきたかを語った。お気の毒に思うと同時に、哀れを催した▲一方、落ちた前大臣は、これからは選挙には関わらないという意味の発言をした。ことそこに至った経緯を見れば、むべなるかなとの思いは禁じえないが、爽やかさはこの顛末で、唯一救いだった。首相とのやりとりを訊かれて「ありがとうございました」と述べたのに対して「お疲れさんでした」とだけ。言わぬが花とはいうものの、愚痴のひとつも聞きたいし、言わせたかった。二人の元県知事の敗戦の弁は、兵庫には聞こえてこないが、尼崎市選出の元代議士の顔すらテレビに映らなかったのは寂しい限りだった▲ひとや明けて、一地方自治体の首長の選挙結果は国政に影響なしとか、影響は深く静かに甚大極まるとか、予想通りに喧しい。一番悔しいのは首相のほかにいないことは歴然としている。衆院選での自民党の議席減は相当なものになることは必至である。彼が首相になって、行われた選挙はことごとく負け続き。唯一勝ったとされるのが、自民党分裂騒ぎを経て、維新の支援を受けた候補の兵庫県知事選だけだったというのも哀れを通り越す。これだけの惨状を前に、首相交代論も起きないし、次期衆議院選での野党勢力との政権交代の声も起こってこない。自民党筋から聞こえてくるのは、「衆院選での議席減は織り込み済み、仮に過半数を割り込むようなら一部野党を抱き込めばいい、むしろ、勝負は明年の参議院選」との声。来夏までに流れが好転しなければ、初めてその時に顔のすげ替えが起きる、という。横浜市長選が提起した日本の政治の問題点はあまりにも多すぎる。兵庫も横浜でも自主投票にした、IR賛成の公明党の立ち位置も含めて、岡目八目的解説が憚られるのは辛すぎる。(2021-8-27 一部修正)

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「炭素」と「原発」の是非を巡る4つの選択/8-22

2020年初頭から人々を襲う新型コロナウイルスの恐怖。これ以前は、温暖化する地球をいかに救うかが人類最大の共通課題であった。気候変動のもたらす脅威は、先進資本主義国家に、温室効果ガスの排出量をどう減らすか、また無炭素社会=カーボンニュートラルの実現に向けてどう協力し合うかの道を迫ってきた。加えて、福島第一原発事故を経験した日本は、「原発」の継続如何が、恒常的な課題として、のしかかってきている。コロナ禍からの脱却という緊急事態とは別に、「脱炭素」「脱原発」といったエネルギーを巡る闘いをどう乗り切るかが、日本の中長期的課題として立ち塞がっているのだ◆この連立方程式を解くにはどうすればいいか。勝手な〝思考の遊び〟をザックリ加えてみよう。私たちの前に横たわっている選択肢は4つ。一つは、「脱炭素」「脱原発」などお構いなしに自由に振る舞う道。二つは、「脱炭素」には取り組むが、「原発」は徐々に再稼働の道を歩む。第三は、「炭素」排出は制限せず、「脱原発」は進める。第四は、「炭素」「原発」双方ともに低減を目指す。この選択は産業革命以来の世界各国の資源開発への取り組み状況によって当然ながら差がある。米欧日中露などの先進国。工業化、原発化が遅れ、全てはこれからという後進国。その両者間に位置する国々などで、歩む道は自ずと違ってくる◆とはいうものの、よほどの自制の力が働かぬ限り、掲げられた目標はどうあれ、現実には限りなく第一の道への流れは留まらない。せいぜいが〝まだら模様〟と言うのが関の山と見られる。例えば、第二次世界大戦の終焉後4年で、共産主義国家として建国された中国を見よう。苦節70年余で変身を重ね、遂に米国に次ぐ経済大国の位置を占めるに至った。後に続くアジア、アフリカの目標となる中国は、石炭火力という炭素源の輸出国家として、これから一層頼られる存在になる。やっと勝ち取ったこの優位な地位を、簡単に投げ出すとは考え難い。その中国との〝首位争奪戦〟に、米国は自国内分断騒ぎも辞さず躍起となるのは必至で、舵取り変更を期待することは難しい◆この状況下で注目されるのが、日本の対応である。現時点で、政府は、2030年度までに温室効果ガス排出量を「13年度比46%削減」するといい、「世界の脱炭素化のリーダーシップを取る」(菅首相)とまで宣言した。その意気やよし、と言いたいところだが、政府内にも、自民党内にも疑問視する向きは少なくない。と同時に、「脱炭素」の道を「原発」に頼る動きが蠢動する。カーボンニュートラル推進と脱原発の二兎を追うことは、「温暖化防止栄えて国滅ぶ」ことになりかねないとの声に支えられて。この場面は私たちにとっても、重要な分岐点である。今まで通りの生き方でいいのか。全く違う価値観のもとで生きるか、の選択だ。コロナ禍がその選択の決断を迫っている。私にはそう思われてならない。(2021-8-22)

 

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第二の「77年の興亡」の終着まであと一年ー76年目の8-15に思うこと/8-15

 先の中国・アジア太平洋戦争が敗戦で終わったのは昭和20年(1945年)8月15日。明治元年からその時までは77年。明治維新から日清・日露戦争の勝利は、まさに国家が興隆していく時期。そこから亡国の敗戦への流れは、まさに「77年の興亡」と括られる。その区切りから、今日で76年。あと一年経つと、第二の「77年の興亡」の終着点を迎える。占領下の7年から立ち上がり、高度経済成長の末に、見事に復興した戦後日本だが、その後バブル経済の崩壊、「失われた20年」を経て、少子高齢化のピークの只中をコロナ禍という惨状化で迎えようとしている。「今再びの敗戦」と見る向きも少なくない▲一回目の「敗戦」という結果は、文字通り国家が完膚なきまで打ちのめされた。それに比べて、ニ回目の結末は、戦争をしたわけではない分、曖昧さが残る。しかし、あと一年を残した現在、既に敗北感に近い割りきれなさを少なからざる日本人が噛み締めている。それは一体何故なのか。私見では、二重の構造が指摘される。一つは、直接米国の占領下にあったのは7年足らずだが、その後の70年も日本は米国支配下の「半独立国家」であるとの冷厳な認識に立たざるを得ないこと。もう一つは、先の戦争で徹底的に日本始め西欧各国に痛めつけられた中国が、1949年に共産主義国家として建国され、紆余曲折を経た今、日本をGDPで追い抜き、米国と並び立つ経済大国となったことである▲1945年から遡ること77年間、日本は遅れてきた近代国家として米国と競い合った。そして完膚なきまでに敗れ、占領下の屈辱を受けた。その後は軍事力は米国に委ね、自らは経済に専念する道を選択した。その結果、米国と並び立つ経済大国にはなった。だがその内実は「対米追従」国家。煎じ詰めると浮かぶその事実が陰に陽に我が身を苛む。一方、中国は、20世紀初頭には先進諸国家の餌食にあいながら、約100年後の今日は、米国と競い合う軍事経済大国としての地歩を固め、今や米国を脅かすまでになっている。気がついたら、日本は様々の局面でその後塵を拝している。相手方の手法、佇まいはともあれ、当方の敗北感は覆い難い▲もちろん、いわゆる国力の競争は多面的に測られよう。これまで見てきた切り口は一面的に過ぎない。だが、日本が民主主義国家と生まれ変わった存在になりながら、あらゆる面で米国あっての存在、との側面は払拭できない。「日米同盟」の負の側面を意識せざるを得ないのである。中国は艱難辛苦を乗り越えて、「社会主義市場経済」という異名のもとに、今の地位を掴み取った。その自負心は大きいに違いない。彼我の差は歴然としている。新たな時代の幕開けに、日本はどう立ち向かうべきか。少なくとも、国家理念の見えない、これまでのような「経済成長一本槍」の姿勢は変える必要がある。地球は環境面で、資源面で危機的状況に直面していると言われて久しい。国家の枠を乗り越えて、「人間の救済」が今ほど求められているときはない。民主主義国家群の中核である日本は、「人道の競争」の先頭に立つ心意気が求められている。〝人道への国際協調〟に背を向けることはいかなる国家も許されない。(2021-8-15)

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第二の「77年の興亡」ー「東京五輪2020」終えて思うこと/8-9

 一年延長された東京夏季オリンピック大会が17日間の闘いの幕を閉じた。昭和39年、18歳だった私が見聞した東京で開かれた最初のオリンピックから57年。今大会は全てが異例づくめであった。普通の市民は、テレビを通じて人それぞれの思いに浸ったに違いない。私も開会式での参加各国、地域に初めて知る国名の少なくないのに驚いたり、連日の競技中継で、珍しい種目が多いことにも興味を持った。日本のメダル獲得ラッシュに喜んだものの、終わってみれば、金メダルで米国、中国に続いて3番目であることや、総数では英国、ロシアにも劣ってることに、昭和世代らしく少々がっかりしたりもしている▲今回の大会が始まる前に、賛否両論があったり、観客をどうするのかでも議論があった。テレビでの中継で空席と知りながら、椅子の模様がつい人の姿に見えたりして、瞬時幻想に耽ったりもした。アスリートたちの行き詰まる闘い、演技に魅入るにつけても、やはりここは観客を入れた方が良かったのにと、結果論を承知で悔しい思いに苛まれた。同時に劇的な場面や選手の表情をまざまざと見られるのはテレビなればこそ、との思いもある。この大会を終えて、時代の区切りに思いが及ぶ▲前回の大会のほぼ20年前に、中国・アジア太平洋を戦場に、欧米諸国との戦争をして、日本は負けた。1945年のことだ。その年はまた、明治元年(1868年)から数えると、77年目に当たる。いらい、今年は76年ということで、明年が77年目になる。つまり、日本の敗戦の年を境にして、前後77年の節目の年が来年やってくるわけだ。ちょうどその年に生まれた私にとって、まさに感慨深い。明治維新から「興亡77年」を経た日本が、今まさに「第二の興亡77年」を終えようとしている。近代日本の壮絶な戦いの結果としての勝利と敗戦と、一国滅亡から壮絶な戦いの末の復興と没落と。この「二つの77年」は敗戦とコロナ禍にいきついた。比べるに値する重要なテーマである▲この二つの比較をする際に、半分のほぼ40年ごとに節目があることに留意する必要がある。一つ目の77年では、日清・日露戦争の勝利だ。ここをピークに時代は暗転、下降線を辿る。二つ目の77年では、プラザ合意(1985年)という名の、為替レート安定化の先進各国間の合意がなされた年が起点である。これは日本の高度経済成長後のバブル景気、その崩壊から〝失われた20年〟という長期低迷に続く発端とされる。このように、前者の77年を生きた前後二世代と、後者を生きた前後二世代とは、全く概括的な捉え方だが、類似すると言えよう。後者の後半つまり、1985年以降今日までの期間、時代を担ってきたのは、いわゆる〝団塊の世代〟にほぼあたる。興亡の77年の「亡」をもたらした世代だ。その罪は大きい。明年で区切りをつけ、日本が新しい旅立ちをするにあたり、思うことは限りなく多い。(2021-8-10 一部修正)

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次の総選挙結果は「与野党伯仲」ー〝真夏の白昼夢〟を見た/8-1

東京五輪が開幕して一週間が経ち、8月となった。今の衆議院議員の任期が満了する10月21日まで、あと80日ほど。解散はいつで、投票日はどうなるのか。コロナ禍で何もかもが萎縮しかねない状況下、この選挙で何が起きるか。何が起きて欲しいか。予測してみる。もとより、正確なデータに基づくものでもなく、単なる〝パソ勘〟に過ぎないことは言うまでもない。普通の感性からすると、つまり市民の常識からすると、この選挙、間違いなく政権与党側にとって分が悪い。何一つ好材料がないのである◆悪夢のようだった民主党政権3年のあと、8年近くも続いた安倍政権。それを官房長官として支え続けた菅首相及びその周辺のしでかした悪政のツケ。加えてコロナ禍への対応のチグハグさ。「桜を見る会」の前夜祭を巡る一連の動きも気になる。前者は実況中継が日々展開されていて、子どもでも手詰まり感は分かる。後者は取り置きにしていたテレビドラマを改めてビデオで見るように、リアルに迫ってくる。「秘書のせい」にするだけの前首相の姿勢は、確かに「国民感情として納得できない」(東京第一検査審査会の議決)◆選挙期日はこうなると、任期満了によるしかないのか。最も遅いギリギリのパターンで、「10月21日解散11月28日投票」あたり。総裁選で目も覚めるニューリーダーの誕生が望むべくもない自民党の現状。全てをコロナ禍のせいにして、ダラダラと落ちゆくしかないのか。その結果は、自民・公明の与党側が壊滅的打撃を受け、政権から再び下野するーということか。いや、そうはならないはず。今の野党第一党・立憲民主党に政権を担う意気も覇気も、度胸も愛嬌もない、としか見えない。そこに〝与野党伯仲〟状態が浮かぶ。自民党、公明党の現与党勢力で過半数を少し上回り、野党はそれに肉薄する議席に終わる。こんな見立てだ◆野党政権が間違って誕生したら、今再びの悪夢。もし菅・自公政権の大勝になったら、ぬるま湯政権の継続。どっちに転んでも国民にとっては不幸だ。ここはかつてのような緊張感漲る政治に、と思う向きは少なくないはず。公明党が自民党に気合いをいれるのも限度があるし、今更野党に戻って喝を入れる存在に、というのも絵空事に近い。ならば、公明党が今一度初心に戻ってバランサーの役割を果たせないか。自民党、立憲民主党の抜本的変身を促進させ、国民が本当に待ち望む政治を現実にする。それには、公明党の獅子奮迅、アクロバット的戦いが求められる‥‥。東京五輪のアスリートたちの目覚ましい活躍の姿を見てるうちに、〝真夏の白昼夢〟に陥ってしまった。(2021-8-1)

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人類史的課題解決に立ち上がってこそーコロナ禍での東京オリンピックの意義/7-23

昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催から57年。元々2020年の開催予定だったものが、コロナ禍のために一年延期され、今日幕を開けた。前回の開催は第二次世界大戦のために当初開催予定(1940年の12回大会)から辞退を余儀なくされ、24年もの間遅れたのだが、今度は疫病のために遅れた。決まっていたものがずれ、しかも基本的に無観客での開催というのは史上初めてである。開催の是非を巡って論争が今も続く一方、開会ぎりぎりに運営関係者の不祥事から退任者が相次ぐことも珍しい。森喜朗大会実行委員長(元首相)の女性蔑視発言による辞任も記憶に新しい▲一連の出来事から想起されるのは、日本の国力全体の停滞傾向である。高度経済成長のピークともいえた57年前は、全てに右肩上がりの国威揚々たる時期と重なった。一転、今はGDPにおける中国との逆転関係やら、半導体生産から大学の能力を巡る諸ランキングなどの低下傾向の顕在化に象徴される惨めさだ。その極め付けが、コロナ禍にワクチン接種さえままならぬ事態に、右往左往する政治への不信感であろう。何かが狂っていはしないか、との思いが日本中に渦巻いている▲コロナ禍という疫病蔓延のもとでの五輪開催は、どこの国も直面したことのない初めての経験である。開催を返上しても、危機対応から逃げたと言われるし、無観客で開催すれば、何のための開催かと非難される。〝行くも地獄、退くも地獄〟の道は免れない。日本のこの危機的な〝究極の選択〟を、むしろ巡り合わせの妙味と捉え、積極的な意味づけをして、おおらかで明るい発信、振る舞いを望みたいものである。菅義偉首相や橋本聖子五輪組織委員会会長の顔つきや発言にその気配すら伺えないのは残念だ▲かつて「1964年日本社会転換説」なるものを同世代の歴史家が唱えたことを思い出す。戦後社会の復興が「五輪開催」で一段落し、同年から新たな国家建設へ一歩大きく踏み出す転換期になるとの位置付けだった。今の日本も世界初の出来事を後ろ向きに捉えず、むしろそれに日本だけが取り組むチャンスと捉えるべきではないか。「2021年地球社会転換説」とでも銘打って。「成長神話」からの脱却である。具体的には、2030年にも地球が直面する破滅に至る課題ー地球温暖化、食糧危機、プラスチック汚染などといったものーの解決に向かって真正面から立ち向かうことである。これらはいずれも先をいく先進国家グループと、遅れてきたる後進国家群とがせめぎ合うテーマである。これこそ人類史的課題であり、そこに挑戦する使命は限りなく重いと思うのだ。(2021-7-23)

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〝分裂した自民党は強い〟かー異例づくめだった兵庫県知事選/7-18

兵庫県知事選挙は斎藤元彦さんが当選した。43歳という年齢だけでなく、様々な意味で異例づくめの画期的な出来事である。4代続いた副知事からの〝昇格〟ではないこと。県政最大与党の自民党が分裂して戦ったこと。同党を割って出たグループに国会議員団がほぼ全員がついて支援したこと。中央で立ち位置を異にする「維新」が推薦し、力を入れたこと。同じ総務省出身者同士の戦いだったことなど、挙げればキリが無い▲負けに不思議の負けなしーとの「名言」に照らし、金澤和夫さん側の敗因を見てみる。最大のものは、井戸知事を支えて10年余、良いも悪いも影響が強すぎて、後継者自身の個性が埋没したことに尽きよう。4年前の前回の選挙で井戸さんが5選を果たした時点で、今日の事態は見えていたなどと、したり顔で解説する人が多い。勝負は時の運が左右する、選挙でも同様で、様々の条件が複雑に折り重なる。「結果論」に与すべきではなかろう▲菅政権が誕生して以降、自民党中央が肩入れした選挙で、連敗が続いていたとされる。それを覆した。しかも、「自公」の足並みも揃わなかったのに。兵庫県独自の背景があり、国政全体の今に鑑み、これからを占うには無理がある。候補者が春秋に富み、志強く、勢いがあり、話題性に満ちていれば勝利を掴めるということかもしれない。菅自民党は、この勝ちの意味を間違って取らないで欲しい。むしろ〝分裂したら強い〟とのメッセージだと、噛み締めるべきかも▲前回この回想記で、私は「〝赤勝て、白勝て〟官選知事に負けるな」と題した。選挙における遺恨残さず、あるべき兵庫に向かって、赤白渾然一体となって協力しあってほしい。ただならざる〝コロナ禍戦下〟、内輪揉めをいつまでも続けている余裕などないはずだ。まずは、勝った側の斎藤さんが、負けた側に非礼を詫びる挨拶をすることから始めるべきだろう。元の職場の大先輩二人に、突然喧嘩をふっかけたのだから。以上、選挙の帰趨が決まらぬ時点で書いた。もう一つの予定稿は消したことはいうまでもない。(2021-7-18)

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〝赤勝て、白勝て〟官選知事に負けるなー投票日まで一週間の兵庫県知事選/7-11

伊藤博文(初代)、陸奥宗光(4代)、林董(ただす=10代)ーこの3人は、いずれも兵庫県知事の経験者(ただし、選挙を経ずに任命された官選知事)。後に首相、外相として活躍した。官選知事といえば、沖縄戦時の島田叡(あきら)が忘れ難い。誰もが敬遠した地に覚悟のうえで赴いた。彼の地を最後の最後まで守り抜き、県民と共に散った。誇るべき兵庫県人である。同じ呼称ではあれ、今昔の比較に意味はないが、ついついやってしまう誘惑に駆られる▲兵庫県知事選が告示されて10日が経った。一歩リードと伝えられる若い方の候補者の街頭演説を聞きに行った。西明石駅前。懸命の頑張りの一方で失言が懸念される、新型コロナ担当・経済再生大臣のお膝元。この一年半というもの、殆ど地元に顔を見せられず、応援とはいえ蔓延後初の街頭お目見えとなった。この候補者の担ぎ出しに一役買ったとされる。二人に共通するのは、兵庫県で生まれ、東大に学び、共に高級官僚となったこと。総理と知事と、目指した先だけが違った▲この県知事候補の名は、生まれ育った頃の兵庫県知事の名にあやかって付けられたという。珍しい。「昨年6月に知事選出馬を誓い、一人ででも闘うと決意した」とこの日も発言。兵庫県を射程に意識したのは一年前でも、「知事」を目指したのは総務省入省時点だとの風評が専ら。力量は未知数ではあるものの、志の確かさが光り、運の強さが輝く▲前副知事で、もうひとりの有力候補もまた同じ東大出の総務省出身。ほぼ20年の歳の開きがある。こちらは現知事を支えること10年余。兵庫県政を隅々まで知り尽くした練達の士。誰しもが認める圧倒的な人柄の良さ。約20年後輩の思わぬ挑戦に、演説の声を荒げ、闘志を剥き出しにする。官僚人生最後の修羅場に真価が問われる▲旧自治省出身で副知事から知事への流れは過去4代続く。長きがゆえ、古さゆえの長短所がどう影響するか。維新支配下の大阪府の財政課長からの転身をどう見るか。両者いずれ劣らぬ、いわゆるエリート。冒頭に挙げた官選知事に負けぬ、命がけで県民を守る姿勢を期待したい。投票日まであと一週間、今の私は〝赤勝て、白勝て〟の心境である。(2021-7-12 一部修正)

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