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【68】今なんで総選挙で「中道」なんや━━友人との対話(上)/1-30

 衆院選序盤の情勢は自民党が単独で過半数を獲得する勢いだと報じられています。一方、新党「中道改革連合」(中道)は浸透が遅れ、各選挙区で劣勢を強いられているようです。ここでは、大阪に住む友人の大坂君との対話をほぼありのまま紹介します。(敬称略)

◆「奇襲」に対抗する新戦略

赤松)急に降ってわいたように衆院選になった。昨年の総理就任以来、実績を出すまで選挙をするゆとりなんかないと言ってきた高市が自身の人気が高いのをええことに突如態度を変えて仕掛けてきた。これに対抗し、急拵えやけど、公明党は立憲民主党と組んで新しい党「中道」を作った。応援ぜひ頼むよ。

大坂)今まで公明党の支援をしてきたけど、今度ばっかりはあかん。なんで、よりによって「立憲」なんかなあ?自民党との連立離脱までは良かったけど、これまで喧嘩してきた政党と手のひら返したように組むって、わけわからん。衆院の公明党を潰してまでやるとは!公明党単独のままなら良かったのに。

赤松)一言でいうと「戦略なきは座して死を待つがごとし」かなあ。これを機に起死回生して衝撃を自維政権に与えようという狙いだよ。「金権政治打破」の立場で、最も協調出来るのは「立憲」だからね。

大坂)「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ってわけか。ようやるよなあ。公明党の中ですんなり受け入れられたんか?反対あったやろ?それこそ、右から左に、「ハイわかった」ってなる?怖いなあ。

赤松)色んな意見あるよ。だけど、自民党政治を変えるために26年も支えてきたのに、企業団体献金の規制など「政治とカネ」の問題で決断迫ると「そんなことより」だからね〜。堪忍袋の緒も切れるって。

◆「極端主義」に立ち向かう生活者目線

大坂)ところで「中道」やけど、斉藤と野田で、言うてることちゃうなあ。斉藤は仏教由来の、「左右いずれにも偏せず、道に中(あた)る」と読むといってるけど、野田は一般的な中間的選択に聞こえるよ。

赤松)公明党は結党以来60年言い続けてきた根幹をなす理念だし、立憲はもともと「リベラル」だからね。でも、世の中に「極端主義」が広まる中で、「中道」が強調されることはとても重要だと思うね。

大坂)立憲も内部で異論あったやろなあ。勝つには「背に腹かえられん」ってことか。それにしても大きな賭けや。勝つとええけど、負けるとなあ。高市もよう言うよ。過半数とれなけりゃ「即退陣」とは。

赤松)その辺が人気の素かも。確かに歯切れはいい。高市を選ぶか、野田か斉藤かとか。究極の政権選択に持ち込むやり口だ。高市自民党は金持ち優遇。大衆は、「生活者か富裕者か」を問いたいのに。

大坂)あんたも今頃ゆうか。自民党って所詮は恵まれたもんの政党や。長い間一緒にやってて分からんかったとは言わせへんで。自民党が言うてる「政治の安定を」って、ついこないだまで公明も言うてた。

赤松)正確には公明党は「安定あっての改革」だと言ってたはずやけど。大衆に政治を取り戻すには、自民党を改革するのが先だと26年やってきたけど、無理や。今回のやり口見てると、しみじみそう思う。

◆政治、政党は「よりマシ選択」

大坂)繰り返すようやけど、自民党と別れて、なんですぐ立憲や。節操なさ過ぎちゃうか?

赤松)時間かけてる暇ない。急に選挙になったからな。無理して立公が一緒になったことは否定しようがない。だけど、自民党を壊すにはこれくらいのことせんとあかんって思わん?

大坂)ウーン。立憲ってええ加減な議員もいてるぜ。いちいち名前あげへんけど。公明党とはちゃう。

赤松)僕は前から、政治は「よりマシ選択」やと言うてきた。玉石混交は世の常。立憲はまだマシ。ええとこそれなりにある。そんな中で理想を求めつつ、現実的には、比較的にええもんを選ぶしかない。

大坂)そんなもんかもしれんか。それで「中道」のかたまり作るってか。意気だけは凄いなあ。

赤松)自民党の中から割って出てくる動きを期待したけど。結局は「寄らば大樹の陰」や。そんなら一遍政権与党になりながら失敗した野田立憲民主党に復活戦を期待するしかない、と。

大坂)まあ、安倍も一回目はあかんかったけど再挑戦で蘇ったからなあ。「柳の下のどぜう」狙いか?

赤松)公明党と自民党との26年は決して無駄じゃない。貴重な与党経験を積んだし、自民党の内部事情もわかった。自民党よりも労働者の側に立った生活者目線を持つ党と組んで、「今再び」ってわけだよ。

◆政界再編へのうねり起こす

大坂)それが盛んに今野田がいうてる「政界再編の一里塚」ってやつか。難しいぞ。国民民主党はじめみんなそっぽ向いてるし。その昔の、小沢の新進党でもうまくいかんかった。小池の希望の党もそうや。

赤松)そこを乗り越えんと、あかんね。自民党にも呼応する連中はいると思う。僕が『77年の興亡』で描いたように、大きな節目に日本が立ち向かうチャンスにしたい。

大坂)そこいらは期待するよ。比例区は中道にいれるから。日本は少子高齢社会がどんどん進んでもう持たない「限界国家」やって言われてる。世界を見渡すと、トランプの米国がめちゃくちゃして、まるで中露とおんなじ専制国家や。

赤松)だけど、欧州フランスでは「野党共同戦線」が組まれるなど新たな動きも見える。日本も「中道」の掲げる「ベーシックサービス」をテコにして、旧態依然とした古い政治から、新しい政治へのうねりを作りたいよ。(以下5日号につづく 2-4一部修正)

 

 

 

 

 

 

 

 

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【67】「保守」の再興か、「中道」の奮起か、それとも多党化か━━三つ巴の戦い(下)/1-27

◆「選挙後」こそが「政界新編」の本番

 今回の選挙戦での専門家の見通しなどで気になるのは、新党「中道」は急拵えでもあり、「比較第一党狙い」ではないかとの点と、結局新党は崩れ去る運命にあるとの見立ての2つであろう。

 巷では、新党に結集した公明党の現職24と立憲民主党の144議席の単純合算の168議席を超えれば「御の字」だとの見立てもあるが、200議席を超えて、比較第一党になり各地の小選挙区で「中道勝利」への雪崩現象を起こす可能性もあるかもしれぬとの分析もある。

 本家「中道」が看板の公明党は、「中道主義」を世に宣揚できるいい機会に勇み立つ。私の周辺には「自民党と離れた公明党こそ本来の姿だ。戻ってくれて嬉しい」とか、「『政治とカネ』の関係に引き摺られずに済む。ケジメがついた」と、小選挙区での新対応に喜び臨む仲間も多い。

 本来の公明党の立ち位置からすると。ひとたび掲げた「中道」の旗は降ろさないし、たとえ仮に立憲民主党出身者が抜けていっても、新党は続くし、続けていくべきだと考える。中道のかたまりを大きくするための本当の戦いが始まるのはむしろ「選挙後から」なのだとも思われる。

 今回の選挙では、自民・維新の「保守」グループと、立憲・公明の「中道」グループの2大政党の枠組みの構図が鮮明になるのか。それとも国民民主党や参政党などの少数政党が屹立して、一段と多党化の様相が強まるのかなどといった見方が混在している。そんな中で私は公明党風の「中道主義」が中核になって「政界新編」を起こすに違いないと確信している。

◆進む国際政治の無法化阻止への橋頭堡たれ

 この60年を振り返って私は公明党という政党の真の役割は「触媒剤」ではないかと思う。保守政党を浄化する試みから、革新、リベラル的政党を中道化する動きまで、〝政治的化学変化〟に注力してきた歴史だった。その真価が改めてここで問われようとしている。

 「トランプのアメリカ」がベネズエラに軍事力を使って大統領を拘束し、グリーンランド占有の姿勢を目指すなど、かつての 世界の「警察官」が「ならず者」に変身したようで、世界は無法状態の様相である。国際法はどこへやら、国連の無力化が激しさを増す中で、新旧専制国家が入り乱れての「縄張り争い」が進む。そんな状況下にあって、日本はどう振る舞うのか。旧来的な対米従属姿勢を続けるだけではもう持たない。トランプ氏に寄り添った高市首相のはしゃいでいた哀れな姿が目に浮かぶ。

 「平和主義」の旗を振る新党「中道」の主張と行動が注目されている。日本は米国に引き摺られるだけで右顧左眄する擬似的自主国家であってはならない。中国の「一帯一路構想」、アメリカの「ドンロー主義」に対し、欧州の民主主義国家群と連携し、リアルで確実な歯止めをかけねばならない。「戦間期」が終わり、新たな大戦の始まりが近いことが危惧される世界の今に、「中道」こそ希望の存在だと期待する他ない。(この項終わり 1-27)

 

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【66】「人間主義」と「合意形成」━━新党「中道」のスタンス(中)/1-26

◆「中道」にまつわる2つの誤認識

 自民党との連立を離脱、終わらせるべきだと思い続けてきた私でも、立憲民主党と直ちに新党を作るとの話には驚いた。やがて近い将来に同党を始めとした、いわゆるリベラルに位置付けられる政党の人たちとの共闘の時がやってくるとは思っていたのだが、自民党との間で、「保守中道政権」を作ってきた公明党が、一転「中道リベラル」政権に与(くみ)するには、それなりの時間がかかると考えていたからである。

 こう考えた背景には、内外に及ぶ2つの私自身の誤認識があった。一つは、立憲民主党を中道政党ではなく、リベラル政党だと漠然と考えていたことであり、もう一つは、公明党がここ数年の間に「中道」とは異質の「極中道」に変化してきたと捉えていたことである。

 一般的に、「中道」は足して2で割る立場や左右に偏しない真ん中というざっくりとしたイメージで捉えられがちである。その観点でいえば、立憲民主党は旧社会党よりは革新色が弱いものの、左右どちらかと言えば、左に偏した党だと見られがちで、私も同様な見方をしていた。また、公明党は連立相手の選択肢を変えない硬直性にとらわれ過ぎのように見えた。つまり、ヨーロッパで今流行してきている「極中道」と類似したスタンスに変わってしまったと見たのである。しかし、どちらも私の思い違いで、誤った認識だったのである。

◆仏教に由来する「中道観」の奥深さ

 物価高に悩む国民生活の悲鳴にたいして、高市首相はあくまで「政治の安定」を口実に「少数政党」という足場を変えることを優先させて、「維新」と組む選択をした上で、強引に解散総選挙の道を選んだ。この高市首相の荒業が、一気に立憲民主党と公明党に「非常対応」を促したといえる。

 ところで、そもそも「中道」とはなんだろうか。改めて考えたい。国語辞典では、「極端に走らず、穏当なこと」と、簡単な記述で済ませているものから、仏教の基本的教義の一つだとして「対立する見解や態度を克服した立場であり、教派によって諸説ある」などと言及するものまで種々ある。公明党は、1964年の結党以来、中道主義に立つ政党だと自認してきたが、自らのよってたつ基盤をどう表現してきたのだろうか。

 党の創立者である池田大作先生は1974年のアメリカ・カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)での「21世紀への提言」と題する講演で述べたものがわかりやすい。「この言葉(中道)は、アウフヘーベン(止揚)に近い言葉と考えていただきたい。すなわち、物質主義と精神主義を止揚する第三の「生命の道」であることを、私は確信しています」とのくだりである。そして、その理念は「人間主義」とされてきた。私自身はこれを踏まえた上で、「生きとし生けるものの『生命』を重視する仏教に依拠するスタンス」であり、政治選択が迫られる場合には、「いくつかの選択肢の中から、真っ当な結論へと合意形成をするレベルアップの営みである」などと述べてきた。つまり「人間主義」と「合意形成」という公明党の政治理念と政治手法を説明する際には、二つの補助線を引いて説明してきた。それはなぜか。

 単なる「人間主義」だけでは、キリスト教的な自然環境破壊を伴う「人間中心主義」との差異が曖昧になってしまうし、いわゆる「合意形成」だけだと、〝談合的馴れ合い風合意〟と区別がつかなくなってしまいかねないからである。(以下つづく 2026-1-26)

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【65】『中道』という価値観━━日本政治の新たな地平拓く(上)/1-25

突然降って沸いたような衆院解散総選挙。色々と取り沙汰されてはいるが、単純率直に言ってわけわからん選挙ではある。ともあれ、選挙が多すぎるという世の反応が最も素朴で納得できる。27日に公示される選挙で大きなの注目点の一つは、新党「中道」の立ち上げであろう。今日から3回に分けて、「中道」の立ち位置に焦点を合わせて、この選挙の背景を追う。

◆「政治の安定」を傘に身勝手で強引な解散総選挙

 前政権の終わり頃、日本の政治の行く末を心配した人々が「新たな政界再編」(政界新編)を期待した。自民党にはもはや往年の活力を求めても詮なく、かといって立憲民主党を先頭にした野党にも多くは望めない状況下での強い思いだった。それは左右双方の極端に走りがちな勢力に与するのではなく、穏健な改革の道を力強く進む「かたまり」ができぬものかとの模索の表れだった。自民党内の改革の狼煙や支持する世論の動向から、「元首の謀反」さえ望んだが叶わず、敢えなく〝見果てぬ夢〟に終わったのである◆その後、石破氏に代わって高市早苗氏が自民党総裁になった。安倍晋三元首相の後継を自認するこの人は、「政治の師」から、最も受け継ぐべき手法を学ぼうとしなかった。それは、「急がば回れ」方式であり、目的達成へ迅る心を抑えて、時に異心の友とも協調する姿勢といえた。安倍氏が公明党との「安保法制」の合意に見せた柔軟性。憲法9条2項を抜本的に変えずに「自衛隊明記」といった「加憲」で妥協する融和性。こうした面があったればこそ、自公政権は長期存続を可能にした。功罪相半ばした安倍政権の良き面を高市首相がどう受け継ぐか。半信半疑で見ていた公明党関係者の関心を無惨にも裏切ったのが就任直後のあの〝手前ミソ的手法〟だった◆かくして、公明党の「連立離脱」へのお膳立てを用意してくれたのは他ならぬ当の高市首相だったのだが、私のような「自公連立」に懐疑的だった者からすると、いいきっかけを与えてくれたと、喜ぶほかないといえよう◆衆議院議員を勇退(2012年末)して以来、私は2010年代半ばから、『安保研リポート』(一般社団法人「安保政策研究会」発行)の場で、主に自身の政治活動を回顧しつつ政治評論を書き続けてきた(No10-60)のだが、それをベースに書き溜めたものを集大成したのが拙著『77年の興亡━━価値観の違いを追って』(出雲出版 2022年)だった。これは、明治維新以来の日本近代史を「77年のサイクル」で区切ってみる仮説に基づく。明治から昭和20年(1945年)の日本の敗戦という節目に次ぐ2度目の77年の転換期は令和4年(2022年)だった。その頃の世界は、コロナ禍で大激震に襲われた。ウクライナでガザで戦争状態が始まり広がった。ドンピシャの大転換期の時代の幕開けに「連立離脱」の時は今とばかりに、その当時の私は奮い立ったものである。(以下つづく 2026-1-25)

 

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【64】新党『中道』に政治への「汚名返上」を託したい/1-18

◆理念を共有する両党の新党結成

 「中道改革連合」━━公明党が立憲民主党と共に立ち上げた新党の名称である。略称は「中道」。どこかから「選挙互助会」だとの声が聞こえてくる。何とでも言うのは自由だが、関係者たちの熱い思いに目と耳と心を傾けたい。前回稿の末尾に、私は「新進党」の思い出に触れた。あの日の興奮は今なお忘れ難い。横浜に、自民党出身の人たちも含めて「打倒自民党政治」への志を同じくする政党、政治家が結集した。1994年の年の暮れだった。公明党で中選挙区から当選したばかりだった私は、喜び勇んで参加したものだ。自民党に代わりうる勢力を作るためとの目的のもとに集まったのである。この党は僅か3年ほどで残念な結果に終わったが、あれからほぼ30年。今度の両党による新党は、急拵えではあるものの、新進党に比べると、「中道」という理念を共有しているところが違う。

 日本政治史上、中道政治の確立を掲げて初めて登場したのが公明党であることは、拙著『77年の興亡━━価値観の違いを追って』でみた通りである。立憲民主党の野田佳彦代表は、公明党が与党としての中道政党であったのに対し、自らの党は野党における中道政治を目指してきた党であると述べた。その意味で、出自を同じくする国民民主党も中道政党に仕分けされよう。ここで何も本家争いをするつもりはないが、最小限の共通認識として、公明党の依拠する政治理念としての「中道」のルーツを確認しておきたい。

◆「中道」とは仏教に由来する生命重視の〝動的掌握概念〟

 中道の意味については、より本質的には仏教の基本的教義の一つとして「両極端に偏らないこと。対立する見解や態度を克服した立場」とあり、「対立の内容については、快楽主義と苦行主義、自己を永遠とみる常見と死後はないとする断見、有と空、空と仮など、教義によって諸説ある」(三省堂/大辞林)という。この解説を聞いても断定を避けており、いささか分かりづらい。かつて創価学会の池田大作名誉会長は「この言葉(中道)は、アウフヘーベン(止揚)に近い言葉と考えていただきたい。すなわち、物質主義と精神主義を止揚する第三の『生命の道』のあることを、私は確信しております」(1974年のUCLAでの、講演『21世紀の提言』)と、明解に述べていた。つまり、中道とは、「物質と精神」を包含した「生命」を中心に据えた理念であって、相反する立場を動的に捉えて、より優れたものにしていく行為そのものを指すと理解したい。

 その観点からすると、右と左を足して二で割った真ん中としての折衷や妥協といった単純な意味ではない。政策の不一致を調整する行為としての「合意形成」に近いかもしれないが、これも一般的には足して割ったり、妥協の道と酷似しているため誤解を呼ぶ可能性がある。このため、より厳密には「止揚風合意形成」とか「レベルアップ的合意形成」というべきかもしれないと思う。

◆小説『限界国家』の描く日本の近未来

  公明党は今回の新党結成を経て、「中道改革」の旗印のもとに集まろうと、他の政党や政治家に呼びかけている。たまたま僕は、楡周平『限界国家』なる小説を最近読んだ。「少子高齢化、AIの進化による職業寿命の短命化、地方の過疎化、優秀な若者の海外流出」━━日本を襲う、こうした現実のため、ここから先2-30年の間に日本はもう限界に達してしまうとの未来予測が展開されている。「限界集落」の国家的拡大だ。日本国そのものが朽ち果てつつある恐怖がリアルに迫ってくる。

 今年の新年号各紙で注目されたのは、AIの未来展望であり、生まれつくと同時にネット世界に囲まれて育ってきたZ世代やそのあとに続くα(アルファ)世代の「これから」であった。先の小説には、古い世代に政治を任せていてはどうにもならないと、20代の若者から突きつけられて、恥入る老企業家が登場する。この責めから逃れられる政治家は1人もいない。かくいう私もその責任の一端を自覚する。今回新党に参加する政治家たちこそ〝汚名返上するは我にあり〟との心意気で、立ち上がって欲しい。(2026-1-18)

 

 

 

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【63】身勝手な解散総選挙への窮余の一策/1-15

 当面の国民的課題としての物価高に実効ある対策をすることが第一で、衆院解散総選挙など考えていないとしていた高市首相があっさり前言を翻した。また連立を組む維新の吉村共同代表も、〝諦め発言〟をしていた「大阪都構想」を三たび持ち出すといいだした。これまた有権者への「嘘つき行為」と言うほかない。この身勝手な解散総選挙に対抗すべく、公明党は立憲民主党との間で、新党も視野においた決死の対応を決断した。以下、緊急事態への私の率直な見方を提示してみた。

⚫︎「衆院解散」に「立公協力」━━非常識には非常手段で

 高市首相が衆院解散を検討するとした報道が飛び交った日の翌11日朝。NHK総合テレビの『党首に問う』とのインタビュー番組は生中継と録画の抱き合わせで、間が抜けていた。自民党総裁の高市早苗氏だけが、2日前の8日に収録した内容だったからである。衆院解散については、国会会期中に解散は考えているのかと問われて、「うーん解散ですか」と驚いた風を見せ、今は国民のみなさんに物価高対策などを実感していただくことが第一で、「目の前の課題に懸命に取り組むということだけです」と述べていたのである。一方、野田佳彦立憲民主党代表以下、野党党首たちは、総選挙になることを見越した発言をしていた。解散総選挙については「総理の嘘」が許されるとはいえ、あまりに露骨な食い違いだった。

 通常国会召集冒頭の衆院解散が既成事実化してしまったことを裏付けるかのように、13日には立憲民主党の野田佳彦代表と公明党の斉藤鉄夫代表が会談し、両党が選挙協力に向けて合意したことが報じられた。更に14日には、新党結成も視野に入れた選挙協力(統一比例区名簿作成など)案も浮上し、15日には新党結成への具体化に向けて動き出している。首相の強引な解散戦略に対抗する乾坤一擲の急ピッチの対抗策だといえよう。

 自公選挙協力から一転、立公選挙協力へ。「政治とカネ」にまつわる不見識で旧態依然とした自民党金権政治に鉄槌を加えようとする公明党と立憲民主党の必死の一手は、大いに注目されよう。手前勝手な高市自維政権に対する非常手段の奥の手である。

⚫︎「昨日の敵は今日の友」の必死の手段

 当初、立憲民主党が前のめり的であるのに比して、公明党の方はいささか違うように私的には思われた。衆議院選挙をめぐる「選挙協力」が公明党と立憲民主党との間で、直ちにできるかどうか心許ないと思われるからである。ついこの間まで、犬猿の仲というか、敵同士であった関係が、昨日の敵は今日の友とばかりに、急にうまく行くわけがない、とみた。政治家同士はともあれ、前線の公明党員たちは、立憲民主党については殆ど何も知らないのが実情である。

 そんな状況にあっても、選挙協力をしようというのは利に乏しいと言わざるを得ないと思われた。自立した党として自前の力で立ち向かわねばならない時に、真っ先に選挙協力を話し合うというのは、邪道ではないかいうのが常識的な見方と思えたからだ。ただし、国民生活を圧迫する物価高に喘ぎ続ける庶民の苦難をよそに、政治空白を生み出す総選挙をぶつけてきた非常識な高市首相になんとか一矢報いたいとの声はひきもきらない。庶民大衆の思いを代弁する窮余の一策が生まれる背景だった。

⚫︎両党の人間相互のオープンな議論を聞きたい

   選挙協力の準備と同時に急がれることは、両党がこの国をどういう方向に持っていこうとしているかの政権構想なり、それを下支えする政策の必要最小限のすり合わせであろうと思われる。自民党との間でもなかなか出来なかった国家ビジョンの構築だが、立憲との間での実現への具体化が望まれよう。

 例えば、両党のしかるべきメンバーがそれぞれのカウンターパート同士で議論をする場面が公開されるべきだと思われる。ユーチューブでいいから、幹部同士でも、候補者の間でも、若手代議士間でも、女性議員相互でも、出来るだけ大勢の議員が、野田氏がいう「(公明党とは)親和性がある」ことが立証されるべきであろう。かつて新進党結成の際に、打倒自民党の旗の下に多くの政治家が集まった。斉藤氏も野田氏もその中にいた。巡り巡っての再演だが、今度はうまく行くことを期待したい。(2026-1-15)

 

 

 

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【62】連立離脱後の新たな潮音━━公明党新春年賀会で考えたこと/1-10

 「こんなに沢山の皆さんにお越しいただいて涙が出るほど嬉しいです」━━いささかオーバーな表現に聞こえたが、この人が言うと自然な感情の発露だと思われた。斉藤鉄夫公明党代表が一昨日の8日に神戸市内のホテルで行われた党兵庫県本部主催の「新春年賀会」(写真)の挨拶で述べた言葉である。この日、僕よりぐっと若さ漲る明石に住む友人2人と一緒に参加した。この20数年ほどの間、同年賀会には県下の自民党関係者がどっさり姿を見せていた。それが昨晩秋の「連立離脱」後の今年の会には「来るものは拒まぬが、招待はなし」との県本部の方針で、衆参両院議員始め地方議員や自民党支持層らの大幅な参加者減が見込まれていた。それが蓋を開けると、その心配が杞憂だったことを斉藤さんは正直に述べたものだと思われる◆とはいえ、我が「心象風景」にはこころなしかの寂しさが拭えなかった。見慣れたあの顔、あの人達の姿が見えない会場は、ちょっぴり熱気が乏しかったように思われたのだ。と同時に、水入らずの集いといった雰囲気もあった。そんな中で例年と違って、県下の首長さんたち(写真)が、従来の脇役から主役に代わったかのように思われた。僕の現役の頃からずっと小野市長の地位にある蓬莱務氏(79歳・7期)や、相生市長の谷口芳紀氏(76歳・7期)らを始めとするベテランたちの談笑の輪に入っての語らいは楽しかった。僕の顔を見るや否や「『連合五党協』の頃が懐かしいね」とは蓬莱さんの弁だが、それこそ「涙が出そうだった」。打倒自民党の旗印のもとに結集した全国でも珍しい動きだったが、政治家として幅広い党派の人たちと思い存分闘い得たのは個人的に愉快な経験だった。今また公明党が自民党に代わる政権を目指す野党になったのは興味深い巡り合わせではある◆兵庫県下の首長さんが集まると、昨年の斎藤元彦県知事をめぐる騒ぎが思い出された(同知事は公務で欠席)が、話題は福井県知事のセクハラ報道に集中。「福井に比べれば、兵庫県の方が未だマシか」との声で大笑い。パワハラとセクハラ━━比べるのも恥ずかしい限りだが、兵庫県政も少しは落ち着いてきたかに思えなくもない。県知事を取り巻く一連の出来事の「市長会の戦友たち」との談論は、古傷を労わりつつ束の間ながら盛り上がった。NHK党の立花某のしでかした「世論操作の悪業」は未だに深い傷を県下に漂わせており、笑ってすませられない深刻な問題ではある◆斉藤代表は冒頭に触れた挨拶の中で、これからの公明党は「中道改革の勢力結集」に力を注ぎ、いずれ与党に戻るべく頑張りたいと述べていた。この発言は聞く人によって受け止め方は種々に分かれよう。大別すると、ポスト高市の自民党政権との連立に復帰するケースと、現在の野党と共に新たな連立政権を結成するケースの2つが浮かぶ。時間の要素も鑑みると前者が最も可能性ありと思われよう。しかし、大義の所在からすると疑問が募る。あの党がそう簡単に変わるはずがないとの見立ては根強い。ただ、後者についてはもっと悲観的だとの向きも多かろう。結局は今の与野党の枠組みを超えた「政界再編」しかないとの考えがリアルなのかもしれぬ。思索をめぐらすなかで、内に少数与党と多党化、外に分断と専制政治の台頭といった「歴史の潮音」が聞こえて来る。新たな年の幕開けに、旧態依然とした自分であってはならないとの思いが激しく立ち昇ってきた。(2026-1-10)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【61】秩序崩壊、分断の世界をどうする━━元旦社説読み比べ(下)/1-6

 次に全国紙、地方紙の社説を読み比べたい。既に新年も一週間ほど経っているが、年の初めに日本の言論機関が何を考えているかをおさえておく価値はあろうかと思うので、遅ればせながら論じたい。新年早々にトランプ米大統領の差配で、ベネズエラの大統領が拘束されるとの史上稀に見る事件が起こった。米国の国際法を無視した「主権侵害」は否めず、その無法ぶりに世界中が驚いている。この事件から、4年前のロシアのウクライナ侵略が思い起こされ、近未来の中国の台湾軍事侵攻などが懸念されている。まずは国際秩序をめぐる課題を取り上げた三紙から追ってみる。

★世界秩序の崩壊をどう食い止めるか

 「読売」が例年のことだが、通常の倍ほどの分量で、「知力、体力、発信力を高めたい━━世界秩序の受益者から形成者に」との論考を掲載した。この論題から読み取れるように、混沌として見える国際社会の秩序を大国任せにするのではなく、日本が積極的に動いて、秩序を形成する側に立つことを迫っているのだ。ただ、戦後日本は長きにわたり、米国の伴走者として、追従姿勢が明確なだけに、方向転換は容易ではない。新年早速起きたベネズエラ事案にどう立ち向かうか。易々諾々と米の後追いするだけではならない。そのあたりの「読売」の知恵が欲しいところだが、一向にうかがえないのは残念だ。

 「日経」も、海図なき時代に「米中に翻弄されぬ多国間外交導け」という。対中関係において、「脅威への抑止力を高めながら、あらゆるパイプを駆使して対話も重ねるしたたかさを求めたい」としている。正論だが、これまでの戦後の長い歴史の中で、こういう注文が受け入れられたためしがない。ロシアに続き米国の大統領が傍若無人の振る舞いを展開する中で、どう日本が翻弄されずに動くか。心許ないという他ない中身だ。

 「産経」は、論説委員長による特別編で「『台湾有事の前年』にしないために」との主張を展開している。ここでは、高市首相の「台湾有事」をめぐる発言に、内閣支持率が「微動だにしなかった」として、国民の大勢が「左派の空想的平和主義、専制国家中国を喜ばせる危うい言説に影響されなくなったのは極めて喜ばしい」と大仰に賛辞を表明している。「あらゆる分野で対中関係の仕組みの大幅な見直しが求められる」というだが、どう見ても危険な反中国包囲網の音頭取りと言わざるをえず、見苦しい。

★民主主義の危機をめぐる対応

 「朝日」と「毎日」は、それぞれ「退潮する民主主義 『分断の罠』に陥らぬように」、「『ポスト真実』超えて 未来を描き社会を変える」といった見出しで社説を掲げ、日本の現在における民主主義の危機やSNSをめぐる諸々の社会現象にどう対応すればいいかとの課題を取り上げている。

 「朝日」は、結論として「意見や立場は異なっても互いを尊重し、対話を通じて妥協点と繋がりを見いだしていく」という。これでは抽象論というほかない。これに対して、「毎日」は、岩手県矢巾町が10年前に導入した「将来人」としての議論の場の例を挙げたり、フューチャーデザインを提唱する学者の声を引用しており、具体性がある。両紙のこの違いは大きい。

 ★喧嘩の防ぎ方や排外主義への具体的対応策

     他方、ブロック紙の「東京」の「怒を恕(じょ)に変える」は、ユニークな中身だった。米ドラマ『一流シェフのファミリーレストラン』からの一場面を引用して、喧嘩の場面を巧みに一呼吸おくことで回避した話を導入部にしている。さらに後半で、ある書道家親子が、諍いごとが起こりそうになったら「恕」と言うことにするとの取り決めをしたとの話も面白い。

 似て非なる2つの漢字をめぐって書道家同士が取り交わす約束事は微笑ましく、印象に残った。いつもの同紙の社説と違って鋭くないと批判する向きもあるようだが、私は全く逆に、ほっこりしてくるいい社説だと感じた。個人と国家間との争いは同列に論じられないが、原型として顧みる価値はある。

 一方、地方紙の雄・神戸新聞の社説は「排外主義にあらがう 地域の『小さな輪をつないで」は読み応えがあった。高市自維政権は「外国人を規制の対象としか見ないような政策に前のめりだ」との位置付けのもとに、規制一辺倒に偏りがちな国の取組みを批判すると共に、地方の対抗策を紹介している。

 冒頭に挙げられた豊岡市の芸術文化観光専門職大学における舞台「もう風も吹かない」は、国際協力機構「JICA」の具体的な活動をテーマにしたもので、自国第一主義がいかに世界における人助けと逆行しているかを考えさせられた。また、ネパールなどの外国人が急増している神戸市東灘区でのケースでの「顔の見える関係づくり」や、認定NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸の「世界とつながるカフェ」などは、小さな輪に過ぎないものとはいえ、貴重な一歩として注目される。(2026-1-6)

 

 

 

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【60】AIの未来にどう向き合うか━━新年の新聞各紙の論調から(上)/1-5

 2026年新年の全国5大紙の特集、トップ記事のテーマ、は大きく2分されていた。一つは、人間とAIの関係をめぐる企画特集(朝日と日経)であり、もう一つは、対外的な危機としての「中国」を扱ったもの(読売と産経)と、国内政治に内在する「政治とカネ」の問題に関わるニュース(毎日)である。一方、各紙は社説で、国際社会の秩序の大変動について取り上げていた。以下、要点をまとめてみた。

★AIと人間を区別するものは「目の虹彩のあるなし」

  「AIの時代」(朝日)の初回は「あなたは人間ですか」という問いかけで始まる。人間が人間であることは目の「虹彩」で証明される、との着眼である。「オーブ」と呼ばれる端末をのぞくことで、虹彩が読み取られ、本物の人間として「認証」され、IDが発行される。現在既にこの仕組みを持った「オーブ端末」は世界で約1千台。そのうち、日本では約240台が稼働している。目玉が、指紋や顔よりも本人の証(あか)しを示す精度が高いというのである。世界における登録者数は昨年12月で約1800万人になったというのだが、これからどう進展するかについては、やや疑問視されていることがうかがえる。

 同紙2面では、図や絵を入れてAIの歴史を分かりやすく解説している。1956年に人工知能(AI)が誕生してから20年余で、第二次のブームが、さらに2000年代に入って第三次ブームが起きたとされる。そしてチャットGPTが公開(2022年)され、AI開発者がノーベル賞を受賞(2024年)し、米IT 大手4社(グーグル、アマゾン、メタ、マイクロソフト)の設備投資額が約37兆円(2024年)から、約57兆円になった(2025年)との歴史を持つ。この数年の歴史しか知らない者にとって、「世界変える力 ビッグテックの手中」との見出しが目に染みわたる。

 担当した編集委員は「AIの時代は、国家ですら管理できない力と向き合う時代になりうる。進化はまだ緒に就いたばかりだ。AIに何を託し、何を託さず、どんな社会を目指すのか。その分岐点に私たちはいる」と、世界を変える力が手の届かないところにあることを率直に認めている。今頃になってことの重大さを知った者には、すこぶる印象深い。

★AIを生まれながらに使いこなすα世代と市場の未来

 一方、日経の『α(アルファ)  20億人の未来』は、経済紙らしい切り口で、2010年頃以後に生まれたα世代が、これからの人類の命運を握るとの見立てのもとに、未来予測を試みる。生まれながらにデジタル端末やSNSに囲まれて育った世代は20億人に達しており、人類の変革期における主役にならざるを得ない。この世代の特性は、多様性や持続可能性、グローバルな視点を重視する価値観を持ち、消費面では、ブランドや所有志向よりも「体験」や「タイムパフォーマンス」を重視する傾向性がある。

 やがてこの世代は、1960年〜80年ごろに生まれたX世代や、81年から95年ごろのY世代、96年から2009年ごろのZ世代にとって代わる運命にある。その時代には、中国やインドが後衛に退き、代わりにアフリカが前面にでることになり、人類はより厳しい気候変動や地域紛争に悩まされるはずとみる。その際に、人類は様々な難題を乗り越えて、より豊かなステージに立ち得るかどうか。α世代は、その鍵を握ることになるというのだ。

 日経紙は想像される未来に向けて、その時代を考える上での「言論空間」を提供する役割を若者たちと共に果たしたいとする。だが、そこで待ち受けるのは、「低成長時代」。右肩下がりの、実質GDPの潜在成長率を予測するグラフが紙面に掲げられている(写真の左端グラフ)。自ずと多難な前途を想起せざるを得ない。

★人間の内面生活の強化に向けての考察こそ重要課題

 AIを論ずる二紙の書き手たちは、奇しくも孫の世代の未来予測に思いを馳せている。彼らは恐らくチャットGPTとの接触を通じて、AIの威力を思い知ったはず。かく言う僕自身のAIとの出会いがそうだった。投げかけた問いかけに瞬時膨大な資料が提示され、それこそ目を丸くするだけだった。AIの持つ能力を前にして自他の差異に驚き続ける者は、二紙の書き手たちの紙背にまるで我が影をみたような覚束なさを感じざるを得ない。

 孫たちの行く末に不安を抱く老爺婆たちに、いま必要なものは何か。それは、人間の内面により深い関心を持つことだろう。AIとは?AIとどう向き合うべきか━━そう考える前に、人間とは何か、自己自身とどう向き合うのかの、古いテーマに改めて目を向けるべきだろう。そして今、人間一人ひとりに必要なものは、自己から離れた「遠心力」ではなく、自己自身の内なるものへの「求心力」であるに違いない。そう思った時に、AIという2文字が「愛(あい)」という1字に読めた。(2026-1-5)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【59】「複合危機」の今こそ国際協力の渦を━━JICAの先達とのご縁/12-28

 2025年(令和7年)もあと数日で幕を閉じます。去り行く年も僕はよく人に会い、話をし、ご縁を結びました。26日には、神戸で恒例の異業種交流会があり、冒頭の30分間、「国際協力」をテーマにした勉強会がありました。講師は、独立行政法人「国際協力機構(JICA)」の木村出(いずる)・関西センター長。実はこの人は姫路西高を経て東大教育学部に学んだ俊英ですが、なんとまた僕の友人である電器商にして小説家の諸井学(本名・伏見利憲)さんとそれなりの関係のある人でした。お会いするまでは全く存じ上げなかったのですが、僕の「姫路はどちら?」との問いに「的形です」との答え。「ン?電器屋サン知ってますよね?」「ああ、伏見電機さんですね」ときた。世界を股にかける国際協力のスペシャリストが、2足のわらじを履いた二刀流の使い手(日本古典文学とヨーロッパポストモダン文学)と、旧知の間柄だったとは。いやはやこのご縁も有り難く、お話もめっぽう興味深いものでした。講義を聞く耳も一段とそばだったことは言うまでもありません◆講義は分かりやすい手作りのレジュメ(写真左)をもとに展開されました。まず、現在の世界が100年に一度と言われる「複合的危機」(①社会システムの危機=紛争(ウクライナと中東)②生命システムの危機=感染症(コロナ、インフルエンザ)③物理システムの危機=気候変動、気候変動に由来する激甚災害)にあるとされました。そのうえで、脅かされる「人間の安全保障」の実態を丁寧に述べられたのです。例えば、世界各国の政治体制、生活水準、国力の位置付けが、一人当たりGDP の縦軸と、自由民主主義度の横軸によって一目でわかる図表は、瞬時我が目を疑いました。この30年で、日中両国の国力の関係が逆転してしまった姿が、見事に描き出されていたからです。知ってはいても改めて比較されると、ショックでした◆そうした国際的状況の変化の中で、日本政府の国際協力の実施主体としてのJICAの役割をわかりやすく説いていかれました。「信頼で世界をつなぐ」というビジョンのもとに、国内外での縁の広がりを作っていく。それぞれの「国づくり」に立ち合うことが、いかに難しくてもやりがいあるかが語られていきました。この人が前半生をかけて取り組んできた仕事の醍醐味が鮮やかに浮上してきたのです。現役時代に外務委員会に所属して、JICAについてもわかっていたつもりでしたが、海外拠点が97ヶ所にあり、国内拠点が15ヵ所にあって、職員数が1979人、協力対象が145ヵ国・地域だということや、世界からの受け入れ研修員、留学生が13083人(累計約70万人)に及ぶことから、専門家や海外協力隊の派遣人数が8731人(累計約27万人)にも達していることまで、新鮮な驚きの連続でした◆こうした講義の合間に、ご自身の自己紹介を写真で披瀝しつつ巧みに織り込まれたのですが、これがまことに興味津々。軟式野球部に所属した東大時代から始まって、社会人3年目にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学して教育学博士号を取得したこと、フィリピン、インドネシア、イラク、アフリカなどの地域担当を経て(これまで51カ国を訪問)、この3年関西センター長をしてきた経緯などを楽しそうに語られたのです。関西時代の最大の思い出は、兵庫県立大学で「国際関係論入門」の講座を非常勤講師として担当されたことのようでしたが、さぞ魅力的な講義だったに違いありません。さらに、海外に留学中も、海外駐在中も、姫路の秋祭りには一時帰国して、屋台を担ぎ、昔の仲間との語らいで「根っこ」を確かめたとか。神戸新聞の記事(2025-10-5)の法被姿の写真には、びっくりするばかりでした。姫路出身とはいえ、本格的な祭りとは縁遠い地域(城西校区)の身としては、ちょいとした羨望感が込み上げてきました◆昨今の日本では「外国人との軋轢」がむやみに取り沙汰され、「日本人ファースト」が妙に呼号されています。気になるのは、「外にお金をだすよりも、内に出せ」とばかりに、海外援助への無理解が目立ってきていることです。「失われた30年」で、「日本人の矜持」までが損なわれてきているとしたら残念です。木村さんの豊富な体験にねざした麗しい「国際協力の手ほどき」を聞きながら、新たな知恵をめぐらせる必要を感じました。定年後に有り余った世間のパワーを活かすために「リカレント教育」の新展開を試みようとの動きが私の身近にあるのですが、それとの合流です。ともあれ、年の瀬にまるで一足早いお年玉を頂いたような気分になりました。木村さんは、新年から関西勤務を終えて、東京に栄転されるとのこと。「転勤を前に神戸で最後の仕事をさせていただき、いい思い出ができました」との声がとても爽やかでした。(2025-12-28)

 

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