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【4】垂水中学校校長を表敬訪問したあと同期会に出席/5-30

 

 5月もはや下旬となってしまいました。このところの僕の動きを振り返ってみます。写真録にアップしているように、AKRの年次総会(22日))に出て中小企業の仲間たちと懇談したり、京都先端科学大学(KUAS)を訪問(23日)して前田正史学長と意見交換をしたあと、工学部構内を中心に山本名美教授の案内で見学しました。さらにHaccp会議に出るため大阪に行った(27日)のちに、古くからの友人と四つ橋で昼食を共にしながら、参院選の支持依頼に汗を流しました。この間に、上梓したばかりの拙著『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』下巻を幅広い友人たち約100人に送るための宛名や手紙書き作業に没頭したしだいです。以下、一点集中的に昨日の行動に絞って紹介してみます。

⚫︎卒業65周年を記念する中学校の同期会に出席

卒業65年を記念する中学校同期の仲間たち

 昨29日は僕の卒業した神戸市立垂水中学校の同期会が10年ぶりにあって行ってきました。1958年(昭和33年)入学、1961年(同36年)卒業の仲間たちですから、遥か昔からのご縁です。全部で36人が集まりました。ことし80歳傘寿を迎えるのですが、集まった連中は元気いっぱいでした。東は東京、千葉より、西は熊本から駆けつけた仲間がいて、大いに昔話に花を咲かせたものです。

 当然のことながら親の介護から、連れ合いの病気看護などに至るまで高齢の人間が抱える苦労経験談で溢れかえりました。そのうち奈良先端科学大の名誉教授(工学博士)の木戸出正継君が「南極に旅をした」という話は誠にユニークでした。また、海運会社の代表取締役を務めるかたわら知的障害を持つ人たちのNPO法人のトップを続ける河辺真宏君から、常日頃の行政とのやりとりで溜まった不満鬱憤の一端を聞かせられました。彼の要望に応えられるかどうかは定かではないものの、必ず厚生労働省の関係機構の部署に繋げることを約束したしだいです。

⚫︎母校を訪問して校長から「部活の変革」を聴く

垂水中の山崎校長先生との記念の写真

 実は、この日僕は午前中に母校を訪れて山崎一雄校長を表敬訪問しました。せっかくの中学同期会に集まるのだから、母校を事前に訪れて校長と意見交換をしておこうと思ったしだいです。JR垂水駅から懐かしい道のりを約20分歩いて小高い丘の上の垂水中学校に到着すると、すっかり汗ばんでいました。

 同校長は神戸市の中学校における部活動の一大転機について縷々説明をしてくれました。学校現場での「部活」が教師の日常にとっていかに大きな負担を強いてきたか。この問題はつとに話題に上がりますが、「コベカツ」(KOBE KATSU)の名で呼ばれる神戸市の新たな取り組みに、大いなる期待が寄せられているとのこと。日本の中でも注目される特異なこの試みを簡潔に聞き及んだことは大いなる収穫でした。「日本の教育現場の変革」について考え続けている僕にとって、とてもいい機会になったしだいです。

 この機会に、僕は上梓したばかりの拙著『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』下巻と、上巻を合わせて母校図書館に寄贈をさせて貰いました。併せて、「安保研リポート58号」を手渡しました。ここには福澤諭吉の「文明教育論」における「発育」についての僕の寄稿文が掲載されています。校長先生が読んでくれたら嬉しい限り。校門まで送ってくれた校長との再会を誓い、別れました。(2025-5-30)

 

 

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【3】混迷から抜け出す道━━『公明』6月号をこう読んだ/5-25

★「人材希少社会」の今を4つの切り口でえぐりだす

    人の口の端に「人手不足」が二言目には上がるというのが現代日本の顕著な傾向である。「公明」6月号は、「人材希少社会を生きる」との特集を組み、①産業社会の最前線である建設業界の実情②労働生産性向上のための「人的資本経営」のあり方③科学技術の衰退と博士人材の将来不安との関係④教師に寄り添わない「給特法改正」をめぐる国会審議の問題点などについて課題を克明にえぐりだしている。

 4本の対談、論考から、いま日本のどこがおかしいのかが改めて見えてくる。ゴチック文字に棒線を付した大事な主張のありかを示した①や、バリューチェーン(価値創造の連鎖)を川上、川中、川下に分けて変化見取り図に示した②も面白く読め、④も国会審議の争点が分かって〝お得感〟があったが、最も僕が深刻に受け止めたのは③である。著者は自身の経験をもとに克明に科学技術者たちの置かれた状況を分析して、博士人材の危機的状況を明らかにしていく。その上で、今後どうすべきかについて、①アカデミアにおける任期制の原則廃止②アカデミア以外の分野でも博士人材の活躍出来る場の醸成③卒業後のキャリア形成などを提案している。「人材希少社会」の全貌を考える格好の入門論考集である。

 もう一本、興味深かったのは「ディズニー実写作『白雪姫』に映る変革のメッセージ」(秋元大輔・東京情報大学准教授)である。これを読むと、「女性差別」をめぐる問題の根源的所在の糸口が分かる。ディズニー映画の歴史とメディア文化の流れを振り返りながら、世界の今を見つめる著者の構想力のダイナミズムに心揺さぶられる思いがした。「実写版『白雪姫』を観た者の中から、多くの女性リーダーが誕生するであろう」と、日米の女性トップ誕生に期待するのだが、男性リーダー及びその候補こそ観るべきではないのか。

★「極中道」という不可解な政治スタンスからどう抜け出すか

 「新しい選択肢を認めない『エキセン(過激中道)』が席巻する世界」(酒井隆史・大阪公立大学教授)は、世界の政治の今を考える上で大いに刺激を受けるインタビューである。このところ毎号『公明』に登場する大胆不敵な論考企画に心躍らせている向きは少なくないと思うが、これはタイトル通り(エキセン=エキストリーム・センターの略称)極めつきの読みものだ。僕が3年前に書いた『77年の興亡』や2年前の続編で主張した、公明党の自縄自縛的立ち位置の背景が判然としてくる。体調不良の際に医者から病気の名前と由来を教えられた時のように、落ち着かなかった気分が妙にはっきりするから不思議だ。以下、このインタビューへの僕自身の独自の解釈(極解説)をちょっぴりさわりだけだが披露してみたい。

 「極左」「極右」があれば「極中道」があってもおかしくない。現代政治学が生み出した概念規定はユニークで新鮮だ。「極」とは、本来の左右、中道からはみ出した極端な立ち位置を指す。そんな中で新しい選択肢を認めようとしない行動パターンを「極中道」というのだそうだが、逆に状況に応じて新たな選択肢を見出し、的確な行動を起こすものは「真中道」と呼ぶべきかもしれない、と僕は思う。

 1980年代に目を見張るような戦いぶりを見せた公明党の中道主義が停滞しているように見え、ひたすら保守の権化・自民党に寄り添う姿を訝しく思う公明党支持者は多い。そういった現状に対して酒井さんは「オルタナティブ(選択肢)を提示すること、そして『革新勢力』に立ち返ることこそが本来の中道の役割です。例えば、民主主義の未来において、政治家は果たして必要な存在か。そうした社会や国家を根本から考える〝深い問い〟を持ってほしい」と呼びかける。

 僕はこの問いかけこそ「真中道」=「仏法中道主義」の生き方に通じるものだと思う。この酒井さんの指摘に違和感を持つ向きは、かなり「極中道」に毒されているに違いない。移りゆく情景の目新しさと繁忙さの中で、遠い日に持った〝重い問いかけ〟を忘れている仲間たちに、早く思い出すように自覚を促したい。

 酒井さんの指摘を受けて、公明党の行く道が改めてはっきりしてきた。それは「極中道」から脱して本来のあるべき「真中道」へ戻れ、ということに尽きよう。このインタビューを読んで、我が意を得たりと喜ぶ人は僕だけではないと思う。(2025-5-25)

 

 

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【2】『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』下巻を上梓して/5-20

★全ては熱中、夢中状態から甦ってくる?

 2022年から毎年一冊出してきた本も4冊目となった。2001年に現役代議士として書いた『忙中本あり━━新幹線車中読書録』を含めると5冊目(共著も加えると6冊目)になる。今回の『ふれあう読書』は、上下2巻に分けて百冊の本の論評と著者とのご縁を付した。長年にわたってブログ「忙中本あり」に書いてきたものから選んだものだ。お付き合いがあったり、何らかの関わりがあった懐かしい人の本ばかりである。改めて我ながらよく続けてきたなあと思う。

 25年ほど前。出版に携わったことのある親友Sが「書評は売れないよ。そもそも他人が書いた本をどう読んだかなんて、人は関心を持たない」といい、4つ下の弟が「国会議員が上京や帰京の新幹線車中で本を読むなんてこと自体、庶民大衆に反発される」と貶してくれた。また、ある新聞のコラムで「本の中身よりこれを書いた政治家が将来どんな仕事をするかどうかに興味がある」と書かれた。また、作家の半藤一利さんからは「あなたはくだらない本を随分たくさん読む人だねぇ」と呆れるように言われた。

 その半藤先生も先年、90歳で大往生された。共に死のうと戯れあった親友は80を目前に、若き日に親を手こずらせた弟は70で、この世を去った。当の僕自身は、新聞で心配された通りに大した仕事もしないまま国会議員を辞めて12年余も生きてきた。その間に書評や政治評論など書き続け、本にして出版した。現役時から信仰を根本に、新聞記者から秘書を経て政治家に転身したが、我が天職は物書きだと思う。

 人にあれこれ言われても、誰に遠慮もせずに自分が好きなことをやり続け、信ずる道を歩んできた。今僕は、我を忘れ、時を忘れることの積極的意味を考えている。すべては夢中、熱中の状態から甦るもののような気がしてならない。

★先に逝ってしまった友のための出版を考える

 さて、これから何に熱中するか。実はもう決めている。だが公表は未だしない。毎年本を出すのも良いが、ここらでじっくり大きなテーマに取り組まねばという気がしている。一年は本当に短い。あっという間に経つ。これでは国家の行末に何も思いを致さず、あくせくと当面の課題にのみ翻弄されている国会議員とおんなじだ。これでは議員を辞めた甲斐がないと、心底思う。もっと大きな仕事をせねば、生きてきた意味もないとさえ思う。

 先日勝手に僕をおいて先に逝ったSは、せっせと「死事」と称して、死とは?死ぬってことは?などと考えて、書きまくっていた。そのくせ、2年近くも寝たきりになって、もうお前とは会わないと決めて死んでしまった。悔しいといったらない。こんなはずじゃあなかった(はずだ)。彼の考えてきたことを本にしてみたい気がする。また、2人の対談電子本『この世は全て心理戦』も紙化してみたい。

 死んだら終わり、何を残しても意味がないと言ってた彼奴の代わりに、あいつが生きた証を代わって残してやりたいとの思いがするのだが。余計なお世話だと、あの世から怒りの声が聞こえてきそうだ。(2025-5-20)

 

 

 

 

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【1】非で似てる体験━━福澤諭吉の故事から考える/5-15

★慶応4年5月15日(旧暦。西暦では7月4日)のできごと

三田祭の後に塾図書館に行った際の同級生たち(24-11-23)

毎年5月になり中旬の頃を迎えると遠い昔の学生時代のことを思い出す。「学費値上げ反対闘争」の嵐に、慶應義塾も巻き込まれていた。一部の学生によって占拠された三田の塾監局を僕は同郷の仲間と少し離れたところから眺めやっていた。その時、偶々通りかかられた石川忠雄教授(後の塾長)が僕らのそばに立ち止まられて、「まったく困ったもんだねえ〜」と呟かれたのだ。「先生と呼ぶのは福澤諭吉だけ」という慶應義塾の伝統に早くも馴染みかけていた僕らは、石川さんに強い共感を覚え、「どういうつもりですかね〜」と、反対はわかるもののやり過ぎだと、嘆きあったものだ。
後に、当時のことが脳裏に時々浮かんでくるのだが、なぜか「慶応4年5月15日」の福澤諭吉先生の故事とダブって甦ってくる。『福翁自伝』には、その日のことがこう書かれている。
「上野ではどんどん鉄砲を打って居る、けれども上野と新銭座とは二里も離れて居て、鉄砲玉の飛んで来る気遣いはないと云うので、丁度あの時私は英書で経済の講釈をして居ました。大分騒々しい容子だが、烟でも見えるかと云うので、生徒等は面白がって梯子に登って屋根の上から見物する。何でも昼から暮れ過ぎまでの戦争でしたが、此方に関係がなければ怖い事もない」━━まるでテレビの実況中継でも観るようにリアルに伝わってくる。

★学問と「社会変革と人間改革」

福澤研究センターの都倉武之准教授から頂いた開館記念の第一回企画展の小冊子

慶応4年は9月に改元されて明治元年になる。1868年、今から157年前のことだが、この当時の諭吉の振る舞いについては、「日本中で一人として学問など見向きもしない混乱の中、『我々が講義をやめてしまうと、日本の洋学の伝統は断絶してしまう』と塾生を励まし、普段通りに学問を続けたことを、生涯の誇りとした」(慶應義塾史展示館蔵 写真)と語られている。
冒頭に紹介した僕の学生の頃からちょうど60年が経つ。後に数々の紛争を引き起こす1960年代半ばの「学生たちの反乱」を、明治維新の戦乱と比較するわけでは勿論ない。だが、当時の学生にとっては「学問と社会変革」を考える契機としては〝非で似てる〟大いなる事件ではあった。
高校時代3年を経て受験浪人1年の間に、僕は、大学での4年は一生持するに足る思想を探す時間だと、決めていた。偶々入学直前の僅かないとまに、親友の下宿先での大きな出会いがあった。創価学会への入会に誘われたのだが、今に続く号砲になるとは露ほども思わなかった。これが僕には「学問と人間改革」の闘いになっていく。学生運動に走った友とは〝似て非なる〟ものだが、僕には後悔は全くない。(2025-5-15)

※今回から改めて『新・後の祭り回想記』(別名『黄金の僕の5年』)を始めます。ジャンル分けはしませんが、これからの流れしだいで、いずれはするようになると思います。分量はなるべく少なくするように心がけます。ご愛読よろしくお願いします。

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【0】『黄金の僕らの5年』━━ブログ新出発のご挨拶/2025-5-14

赤松正雄のホームページ、ブログをのぞいてくださっている皆さん、いつも有り難うございます。このたび、拙著『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』下巻の出版を契機に、今まで20年ほど続けてきた『読書録 忙中本あり』に区切りをつけると共に、近年あれこれ試みてきたすべてのブログを整理することにしました。これまでの『後の祭り回想記』を『新・後の祭り回想記』にモデルチェンジします。ただし、正式名称とは別に、通称『黄金の僕らの5年』とさせて貰います。その意味は後述しますが、ともかく気分を一新して、新時代に向かおうとする僕の気概をお分かりくださると嬉しいです。とりあえず、今までのブログ全部ごちゃ混ぜにして、一本化します。そのうちジャンル別に仕分けするかもしれません。ただし、そうなると、これまでとおんなじになってしまうので、とりあえずは様子見です。これまで以上にご愛顧のほどお願いします。

さて、『黄金の僕らの5年』の意味するところについて、です。僕は昭和43年5月17日に、人生の師・池田大作先生から、裏表紙に揮毫された『若き日の日記』第二巻を戴きました。22歳と6ヶ月の時のことです。そこにはこう書かれていました。

僕の青春も病魔との戦いであり

それが転じて黄金の青春日記となった

君も頑張ってくれ 君自身のために

一切の未来のために

5月17日  赤松正雄君

とありました。

これまで60年近く辛い時嬉しい時これを抱きしめて走ってきました。他方、この信仰を真面目に貫くと、人生最後の5年ほどは楽しくて嬉しくてこれ以上の幸せはないといった境涯になると、聞いてきました。その5年をいつどう区切るか。中々判じものですが、創価学会創立100年の2030年は、世界的にみてもSDGs(持続可能な開発目標)のゴールに当たる重要な区切りの年ですので、丁度いいと決めました。そう、あと5年です。

池田先生から頂いた揮毫を今、僕は「青春」のくだりを「人生」に、勝手に読み替えています。そう替えることで、ことし80歳になる自分にぴったりだと得心しています。

どんな日々が待っているか。ワクワクどきどきしてきます。5年後のゴール目指して、さあ出発です。

赤松正雄

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【216】但馬、丹波のOB議員らとの語らいと亡き友への弔問/5-12

 昭和30年代の始めから公明党の豊岡市議を長年務めてきた成田康夫さんが先日亡くなられた。党の結成以前、つまり公明政治連盟(公政連)といっていた時代からの古強者ともいうべき存在だった大先輩である。享年88歳。10日午後開かれた北兵庫大光会(小山欣弥代表世話人)にその姿がなかったのはとても残念だった。後輩たちの参加を促すべく結集の呼びかけを3月上旬にお願いした際には、「分かりました。任せてください。大丈夫です」と快諾していただいていたのに。会合ではその死を悼む声が相次いだ。

 ⚫︎コメ問題の不可思議さと根本的原因

  この会の冒頭には元但東町議の森井幸子さんから、昨年10月13日に農水省の農産局、畜産局の7人が同町にやってきて地元の牛繁殖者ら畜産農家らや地元市議、県議らとの懇談、及び畜産の現場視察が行われたことについての報告が「竹中さとる議会だより」を通じて行われた。この試みは高橋光男参議院議員(今夏選挙の予定候補)への要望がきっかけで実現したもので、当日の懇談では地元畜産農家関係者7人から但馬牛を取り巻く飼料高騰による諸問題、規模拡大に向けての支援拡充などが提起されたとのこと。高橋候補の素早い適確な行動に、強い賛同の声が寄せられているとの嬉しい声が縷々述べられた。

 一方、昨今のコメ不足から始まっての、価格の高値止まりなど庶民生活を直撃する問題について元丹波市議の田坂幸恵さんからの深刻な報告があった。それは、高橋光男候補が備蓄米の放出など懸命に取り組んでいるものの、一向に終息する気配が見えないことに、内外の友人たちから憤りの混じった不審の声が浴びせられることが多いというものであった。このまま推移すると、選挙にも多大な影響を与えかねないとの意見であった。

 また、篠山市の藤本忠男元市議は、コメを始めとする農業の課題については消費者と生産者双方の目線が必要だが、世論は消費者の側に偏りがちで生産者の側に向けられることがあまりにも少ないように思われるとの意見が出された。そうした状況は一段と農業従事者の離職傾向を強めており、事態は一段と深刻な状況だとの見方も伝えられた。

 こうした現状に対して私は、戦後の自民党農政におけるコメの減反政策に根本的要因があるとした上で、与党となった公明党がそのしわ寄せをもろに被っている危機的状況が懸念されるとの認識を述べた。高橋候補が懸命に事態打開に取り組んでいるが、それがイマイチ効果をもたらさない状況が今後も続くことがないように、農政当局への働きかけを一段と強めることを促進する旨を約束した。

⚫︎気になる後輩の後を追った大先輩

  会合終了後、私は、豊岡市議の芦田竹彦さんの運転で、和田山から豊岡へ移動。成田康夫元議員宅へ弔問に訪れた。葬儀後の後始末もあって在宅されていたご長男の徹一さんや妹御と懇談出来た。3月半ばから成田さんは体調不良を自覚されたようで、4月には入院、やがて意識もない寝たきりの状態になってしまったとのことだった。草創の時代から地域の先駆者として多くの皆さんに慕われてきた父上。その存在を誇りにしつつ懸命に県政を支えてきた子息。麗しい父子関係が眩しかった。

 徹一氏は県の要職についておられることから、昨年来の兵庫県政にまつわる種々の問題についての状況の捉え方を率直に聞いてみた。立場上、言葉を選びながらも、斎藤知事が政策遂行能力は大きいものの、コミュニケーション力においては、世上指摘があるように著しく欠いており、いわゆる世間話をする機会など殆どないと語られた。

 一方、総支部前代表世話人だった森田進さんは昨年末に鬼籍に入ってしまい半年が経つ。残念ながら今頃の弔問になってしまった。実は一昨年に森田さんは相棒だった広川善徳元市議に先立たれ、私と一緒に弔問に訪れたことは以前のリポートに紹介した通りだ。仏壇の横に掛けてあった広川さんの手になる墨痕鮮やかな一幅の掛け軸。往時の2人の関係が思い出され、万感胸に迫るものがあった。

 仏間や居間には可愛いお孫さんたちの写真が所狭しと貼ってあった。そして彼が生前大好きだった川柳の作品集も飾られていた。「紅葉手で湯舟をつかむ曽孫かな」「週一のデイの朝湯が元気素」などの微笑ましいものが次々と目に飛び込んできた。既に曾孫が誕生されているのには驚いた。

 彼はもう随分前のことになるが、腎臓移植を余儀なくされ、奥さんの腎臓の一部を貰ったことで知られる。おかげで元気で生きられていると喜んでいたが、それを「腎移植妻に頂き命延ぶ」と川柳に詠み込んでいた。剛気で暴れん坊のような一面があった森田さんを、かねてより叱咤激励していた成田さん。半年を経て後を追うように旅立たれた。今ごろは仲良く昔話に花をさかせているかもしれない。懐かしき同志たちを思い起こす弔問だった。(2025-5-12 一部修正)

 

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【215】あっという間のGW━━あの人この友と語り合う/5-6

 今年のゴールデンウイークもあっという間に終わった。定年でリタイアした人間にとっては、それこそ年中休みのゴールデンイヤーで、GWがどうのこうのと騒ぐことでもないのだが、一般市民にとっては極めて重要な1週間に違いない。ここでは4月30日から5月6日までの1週間の動きを日記風にまとめた。

⚫︎66年来の親友の訃報に深い悔み

 第1日目(30日)  この日は待望の拙著『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』下巻が出版社から届いた。暮れなずむ明石大橋の絵をみごとに描いてくれた高校時代からの旧友冨士繁一君と喜びあった。上巻は、約300冊を母校長田高の昨年度入学生と、公明新聞の後輩200人に贈った。今年は、公明党総務局、衆参両院の秘書君たち300人と熊森協会の仲間たち50人に贈った。もはや私の出版も道楽に近い。

 この日は夜に東京・中野区の後輩M君がやってきた。50数年前によく励ました懐かしい後輩である。奥さんと共に大阪、兵庫と友人と会うために3泊4日で旅をしに来た途上とのこと。5時半からの四方山話の中で、貴重な体験談が聞けた。日蓮大聖人の御書を学ぶ姿勢に並々ならぬ真摯なものを感じた。後生畏るべし。魚の棚の行きつけのお店のマスター始め従業員の皆さんに紹介した。8時半からは三宮に移動。神戸学院大のA教授と地域おこしの達人Kさんと、一般社団法人の活動で打ち合わせ。充実の時間。

 第2日目(1日)  県本部に立ち寄ったのち、職員のM君の運転で伊丹に住む元県議のTさんら3人と共に、川西市の元市議Kさん宅を訪問した。OB議員の会への入会を勧めるためである。かねてKさんは凄い活動家と聞いていたが、担当地域の全家庭約3000世帯をくまなく訪問した活動体験談には驚いた。Tさんらと共に走り抜かれた「黄金の活動日記」を聞かせて貰い、後輩たちへの伝授を誓った。前生敬うべし。

   第3日目(2日)   昨夜、中学時代からの親友Sが亡くなった。2年前から血液のがんと見られる業病のため寝たきり状態になり、面談もできなくなっていた。子息のA君からの電話で悲報を知った。故人は葬儀には誰も呼ぶなと言っていたとのことだが、池田市の小さな葬儀場にひとり駆けつける。僧侶の弥陀称名を聞きながら、66年間の懐かしい日々が甦ってきた。横浜に住む息子の家族4人と、彼の終の住処となった施設の職員3人と私だけの「小さな通夜」だった。彼は一橋大の社会心理学者・南博ゼミ出身の俊英で、某大手企業を勤め終えた後は臨床心理士として開業。有名を馳せた。私との対談『この世は全て心理戦』は電子本にしたが、知られざる名著と自負している。若き日より「死事研究」に余念がなかった彼の死に顔に、満足するものを見出そうとしたが、とても伺い知ることは出来なかった。嗚呼、Sよ!

⚫︎老いも若きも、男も女も話せば道は開かれる?

 第4日目(3日) 午後から垂水に住む小説家の高嶋哲夫さんと会う。この度上梓した本に特別寄稿『政治家の方たちへ、もっと小説を読もう。僕のね』と、表紙表裏に推薦の言葉を寄せてくれた。彼はこの世の森羅万象に強い関心を持ち、次から次へとあらゆるジャンルに及ぶ小説を書いて来た。この日は夕刻までの2時間、「政治」「教育」から、お互いのライフワークまで多岐に亘り語り合った。充実感あり。

 第5日目(4日)  午前中は明石駅前の施設で、このところ不調が顕になってきたiPadを新機種に取り替えた。かねてAI関連で困った時には相談しているK君のアドバイスによる。その後、近くの大明石町で私が名誉会長を務める日本カイロプラクターズ協会の一員であるW君の施術を受けた。彼はつい先日「大阪・関西万博」に行ったばかり。最新情報を聞いた。3時からは大阪梅田に走り、プログラマーのT君夫妻と懇談した。私のホームページの改装依頼から参院選の支持依頼まで話題は広がった。夫人(実家が西宮)が政治に関心が高いと聞き、持論の「77年の興亡」から、公明党論まで熱を込めて語った。この日会った4人はいずれも40代。日頃歳の差を感じさせない交遊をしてきているつもり。関係を更に広げたい。この日妻は、私の本五冊を持って市議夫人と共に、姫路の親戚、友人宅を回ってくれた。ありがたい。

 第6日目(5日)  名古屋から創価学会学生部時代の先輩Nさんが激戦・兵庫にやって来た。神戸に住む三男の家族や友人たちに会った後の、久しぶりの出会いだった。こどもの日とあって大勢の家族連れで賑わう明石城公園を散策し、池のほとりのベンチで語り合った。老愛妻を亡くされて半年。優しい先輩が一層柔和になられた。喫茶店でのこと。隣席の女性たち(70代半ばの母親と娘さんの2人連れ)と、ひょんなことから自然なかたちで世間話が出来た。聞くと母上は私と同じ姫路の生まれ、今の住まいは須磨。当たらずと言えど遠からず。一気に距離は狭まった。政治の風向きから参院選へ、話は進んでいった。

   第7日目(6日)   会社経営や保育園事業を展開する西山志保里さん(中小企業アドバイザー)と、久方ぶりに会ってお昼から4時までみっちり懇談した。彼女が神戸市東灘区御影に「078保育園」を作った頃より懇意にしてきた。昨今の兵庫を取り巻く「政治の動き」について聞きたいとの要望だった。拙論『77年の興亡』を軸に、公明党の立ち位置など詳しく伝えた。彼女は「学童保育」の現状など、日本の子どもたちの直面する課題を細かに語ってくれ、大いに啓発された。実に有益な4時間だった。(2025-5-6)

 

 

 

 

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【214】「安保研」から中野を経て「姫人会」へ━━新緑の東京で縦横に走り語る/4-29

 さる4月24日から2日間、東京に行ってきました。たまたま24日に私が理事を務める一般社団法人『安保政策研究会』(以下、安保研)の月例会がお昼12時からあったので、久しぶりに出席。夜は姫路出身で東京界隈在住の仲間たちの会(姫人会)を召集させて貰いました。その合間に中野区桃園の友人のところに、野方の友人夫妻を連れて行くという離れ業もやって2組のご夫婦とダブルで旧交を温めてきました。以下、3つの出会いのエッセンスをお伝えします。

⚫︎野党で目が離せないのは維新の動き

 安保研の例会に出るのは久しぶりです。いつもの日比谷のプレスセンターに、この日は8人のメンバーが集まって昼食をとりながらあれこれ懇談しました。話題は、トランプ米大統領の関税騒ぎに始まり韓国の大統領選挙の行方や中国の最新情報から兵庫県知事問題などにいたるまで、多岐に渡りました。その中で、私は日本の政治の行く末のカギを握るのは「日本維新の会」(以下、維新)だという話をしました。なぜでしょうか?以下私の話の要約です。

 この党の強さは組織政党ではないところにあります。良くも悪くも浮動票に左右されるのです。兵庫でも〝隠れ知事派〟だった3県議が化けの皮が剥がされて、すっ飛んだと思いきや、しぶとく生き残り、〝斉藤人気〟に便乗しています。残る維新本体の議員も今後どういう動きをするか。予測不可能なところがあります。

 先日の党首討論会で前原誠司共同代表が「憲法改正」に向けて、しきりに石破首相をけしかけていました。日本の行く末を考える時に、安全保障の観点で「保守」勢力として自民と一致しやすいのは維新です。自衛隊が軍事力行使を迫られる場面では、与党の公明は「創価学会大衆」、野党では立憲、国民はともに「労組連合民衆」との繋がりが強く足枷になるのは必至です。維新にはそういった「しがらみ」がありません。つまり、自民党と一緒に動く可能性が最も強いと見られます。その意味で維新の動きはこれから注目されるのです。

⚫︎公明党の本当の働き、役割とは

〔姫人会の仲間と〕

夕方5時からの姫人会はこれもいつもの西麻布の霞会館で。集まってくれたのは厚労省、国交省出身の元官僚、医学博士、商社マン、女性起業家の5人。偶々この日集まったのは皆さん姫路西高出身。話題は賑やかに弾みました。私が自公連立を解消すべきとの声があるがどう思うかと問いかけたところ、こんな答えが飛び出しました。

公明党の存在があるからこそ、今の日本の政治はなんとか持ち堪えている。公明党が見放して連立を離脱したら、途端に日本は崩壊する憂き目に間違いなくあう。どんなにしんどくてもここは我慢して欲しい。

 この発言の主は、本業とは別に障がいを持つ人たちの面倒を長年みてきた活動体のリーダーであり、社会保障分野のプロだけに発言に重みがあります。誰も異論を挟む余地もなくその場は収まりました。

⚫︎中野区での都議選の語らい

 昼と夕方2つの懇談会の合間の3時からは中野駅近くのYさん夫婦宅に、駅で待ち合わせたKさん夫婦と一緒に出向きました。この2組のカップルはかねて私の友人。脱サラから料理屋経営者だったYさんの奥さんは類まれなお菓子作りの名人。FB上でしばしば豪華な食卓を披露されていることはつとに知られています。

 Kさんは現役時代に私がお世話になった事務方の幹部。当時彼が中野区の住人と知ってその後都議選のたびに支援依頼をしてきました。かつてYさんのお店に通ったことも聞いており、それぞれ知らぬ仲ではありません。そこで、このたびは思い切ってツープラスツーのご対面をセットしたしだいです。

 中野鷺宮に約20年住んでた私は、久保りか候補の人柄、政治信条をめぐっての話を持ち出しました。

 いつも上京したら都内に宿泊するのですが、この日は別の仕掛けを試みました。夜8時から東京駅で20分ほ

〔高校同期の桜と〕

ど都市計画デザイナーのH氏からの仕事上の要望を聞いたあと、常磐線車中の人になったのです。翌朝高校時代からの2人の〝同期の桜〟を観るためです。その背後にはまた心和む出来事があるのですが、それはまたの機会に。

  終日の動きで歩数計は16506。さすが疲れましたが、鄙びた駅前ホテルでの湯船は実に心地よいものでした。(2025-4-29)

 

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【213】政党機関誌の枠を超えた斬新な視点━━『公明』5月号をこう読んだ(下)/4-23

 前回は『公明』5月号が現在の政治課題をどのように面白い視点で捉えているかを述べた。政党の理論誌といえば、自分の党の主張を唯我独尊的に述べていると、見られがちだろうが、ドッコイそんな狭い了見はないと私は思う。その観点から具体的実例を示したところだ。今回は、①特集『首都の安全を考える』から「大都市防災の視点」を②『試練続く国際秩序』から米脱退でWHOは岐路を③ユニークな読み物3点を紹介してみたい。

⚫︎見落とされがちな大都市防災の焦点━━首都の安全を考える

 私の妻は、生まれも育ちも東京中野。私と結婚して15年ほどが経って、40歳代半前半に夫の選挙出馬のため、生まれ故郷を泣く泣く離れ、未知の播州姫路に居を移した。40年近くが経ったいまでも時々、挨拶回りを終えて、帰路についた夜を思い出すという。駅員のいない山奥の駅のプラットフォーム。1人立ってたその時にどれだけ心許なかったか。その妻に、私は東京に帰りたくないかと、水を向けたことがある。答えは「帰りたくない」。なんでかと問うと「だって首都直下型地震が怖い」と。

 そんな私たち夫婦が共に目を凝らして読んだのが、特集『首都の安全を考える』。闇バイト対策と地下シェルター構想というユニークな2つも興味深く読んだが、やはり、廣井悠・東大先端科学技術研センター教授の「見落としてはいけない大都市防災の焦点」に目は向いた。

 「都市は人類最高の発明である」から始まって、であるが故にさまざまなものが集積した大都市で災害が発生すると、その被害がどれだけ甚大なものになるか計り知れない。ということを丁寧に淡々と述べつつ防災対策の方向性を披瀝している。その特徴は、巨大な「集積」から派生する「激甚性」であり、「複合性」「新規性」であるという点だ。最も面白いと思ったのは、複合的リスク対応として、防災とスポーツを組み合わせた「防災スポーツ」を提唱していることである。「端的に言えば防災とスポーツの『よいとこ取り』を実現したもの」だという。この論考を読み込んで、都議選をめぐる各地での支援活動の手引きにするといいと思う。

⚫︎わがまま気ままなトランプ米大統領令で国際秩序は破壊へ

 二つ目の特集は、「試練続く国際秩序」とのタイトルで、トランプ関税とWHO(世界保健機関)からの米の脱退を取り扱っている。ここでは後者の詫摩佳代慶大法学部教授の論考を読んでの感想を述べる。

 就任早々、パリ協定やWHOからの脱退、パンデミック交渉からの離脱、海外援助の90日間停止と見直しに踏み切る一方、米国がこれまで加盟してきたすべての多国間組織及び国際条約を180日以内に包括的に見直すとする大統領令に署名した。これが現実になると、約14%分のお金がWHOのもとに入って来なくなるのだ。因みに日本のWHO会計負担額は1・13%、中国は0・32%。比較すると米国の存在感がよく分かる。

 詫摩さんは、米国のこの政策変更がもたらす影響について、微に入り細を穿って述べ、世界の人々の健康が悪化の一途を辿ることになると警告する。そして保健分野における国際連携の意義や、取るべき日本の立ち位置などを多角的に論じている。これを読むと、米国の凄さが理解出来ると同時にトランプ氏がいかに酷いことに手を染めようとしているかも分かる。

 「健康面」に加えて、関税をめぐるトランプ氏の仕業も全部「悪夢」で終わり、世界中が米国の有難さが分かって目が醒めるという劇的変化を待望したいのだが?「トランプさん、あんたの凄さはようわかったから、もうめちゃせんといて」とのセリフが現実の中の悲鳴と怒号で、かき消されそうなのは、めちゃ怖い。

⚫︎『公明』ならではの役立つ「知的お宝」探しが楽しい

 さて、最後に5月号に込められた「知的お宝」とでもいうべき面白くて役立つ情報を3つ紹介したい。一つ目は、前回も触れた浜崎洋介さんの超刺激的発言である。一杯ある中から一つに絞ると、彼が日頃家族や友人、仕事仲間と議論している事柄が、「そのまま国政レベルで議論されていると感じたことは、この数年のあいだ、一度もありません」「『市井』の感覚と『霞が関』『永田町』の感覚が、完全にズレている」とのくだりである。これを読んで、事実と違う、誤認識だという政治家がいたら名乗りをあげて欲しいものだ。

 二つ目は、松本茂章・文化と地域デザイン研究所代表の「文化✖️地域✖️デザイン」学の提案だ。アカデミックスペース「本のある工場」を開設したという彼の試みは、これからの日本を甦らせるとてつもない挑戦だと思う。「社会を元気にする『総がかり』な学問の創造を」というタイトルには魅せられた。読売記者を彼がしていた頃を知っているが、この変身に驚いた。引っ張り出した『公明』編集部の眼力に拍手したい。

 三つ目は、安成洋・映画『港に灯がともる』プロデューサーの寄稿。この人は、かの有名な『心の傷を癒すということ』の著者・安克昌医師(故人)の実弟である。兄は、阪神淡路大震災の直後から自身も被災しながら被災者の「心のケア」に取り組み、その1年間の記録をまとめた。弟はそれを映画にした。

 兄・克昌さんの残したものを「「生きづらさ」を独り抱える人の傍らに寄り添う作品に」して、普及に取り組む弟・成洋さんの戦い。震災後30年の今船出した「兄弟船」の行く末をしかと見届け、応援したい。(2025-4-23)

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【212】相反する評価を併せ読む面白さ━━『公明』5月号をこう読んだ(上)4-17

⚫︎与野党間の幅広い合意形成の要役・公明党

 公明党の理論誌『公明』って、つくづく面白い読み物だ。毎号感心しているが、今月5月号も良くできている。自分の政党の「売り」を幹事長(西田実仁参議院議員)にインタビューして巻頭に掲載した上で、それを評価する学者(諸富徹・京都大学公共政策大学院教授)の主張と、逆に評価しない学者(浜崎洋介・京都大学特定准教授)の言い分を並べているのだから。私のように、今の日本の政党の中で、公明党は「ベストではない」けど、「よりマシ」政党だと思ってる人間からすると、考える糸口を貰ってとても嬉しい気がする。

 西田幹事長はインタビューで、①「年収の壁」②「教育無償化」③「高額療養費制度」④「政治とカネ」など一連の課題について、公明党が「与野党間の幅広い合意形成の要役」だったことを明らかにしている。細かな交渉の中身は本誌に委ねるが、①については、「所得税の課税最低限を160万円に引き上げることを盛り込んだのは」、「限りある財源の中、追加の赤字国債を発行せずに、現段階での財政規律とのバランスで示せるギリギリの線」だったと主張している。②は、「26年度から私立加算の所得制限を撤廃し、上限額を私立の全国平均に相当する年45万7000円へ引き上げた」のだが、その過程で「教育の質と多様性を担保する必要性を強調した」ことが重要だとしているのだ。(③と④は省略)

⚫︎公明党への評価の声と評価しない声のぶつかり合い

 このうち①について賛成の立場から諸富徹さんが『福祉国家を支える税を嫌う国民が多いのはなぜか』とのインタビュー記事で、「『年収の壁』は、公明党案は非常に考え抜かれた良い内容だ。単純に178万円まで引き上げる国民民主党案と比べ二つの点で評価できる」としている。つまり、一つは、所得水準に応じて控除の引き上げ幅を変えた点。つまり、国民民主党案は高所得層ほど減税額が大きくなるというのだ。もう一つは、減税規模を1兆2千億円程度に抑えた点。要するに、国民民主党の案では、7兆〜8兆円もかかってしまうというのである。一方、②については、国際的に見て、教育における国家の負担が低くて遅れている日本だから、「(私は)高校授業料の無償化は肯定的に見ている」と評価する。

 一方、浜崎さんは、『社会の柔軟性、思考力を支えるのは信頼感と文化』というタイトルの記事で、①の自公案は方向性が見えにくい内容だと手厳しい。一方、国民民主党の「現在の最低賃金を基準にした所得税の課税最低限『178万円』への引き上げの方が全体の理屈は通るし分かりやすい」と。それに比べて自公案は、「178万円」と、「123万円」とのあいだを取って「160万円」に落ち着かせたようにしか見えない、というのである。しかも、「社会保障制度改革や経済政策を実行するには、その手前にある政権与党の価値観や国家観が見えていなければならないのだが、それが見えない」と。また、②についても、「逆に『市場』に任せるべき私立高校の運営に、『国家』が出張ってきた悪い例」だとして、結果的に「公私の格差」は開くばかりだと、「正論」を突きつけている。

⚫︎経済学者の優しい励ましと思想家の厳しい檄

 二人の違いをどう見るか。諸富さんは、財政的にも政党間力学的にも、厳しい環境の中で公明党が目一杯頑張って合意形成に努力したと、短期的観点から優しく励ます意味で評価してくれていると私は読みたい。一方、浜崎さんは、国家の根本的有り様に立ち返って、長期的視点から厳しく檄を飛ばしていると思われる。ざっくりいうと、前者は経済学者の見方、後者は思想家の視点だといえそうだ。(以下続く2025-4-17)

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